私は少し反省しないと、テーマがバラバラであちこちに飛び回っている、これじゃ相手の理解は得られない。私と仏の会話なら
同行でどうのこうの無いのだけど、人に理解してもらうには少し考えて纏めないと自分だけ良い気分でも相手にはよく解らない。
でも考えると何にも知らない私が何かを喋れない。また反省して自分らしく考えないで書かないと自分らしく無い、理解されない
事も同じ事何回もかけば難解も何だ何回も同じ事言っていると理解されるか、夢のような事も何回でも眼の前に現れれば現実と
思われるけどそれは幻実だ。結局自分でもよくわからんままあっと意馬に出鱈目書き込をみするか。間違いも反省しない駄目な
私でもいいからほつとけが暖かく見守っているしまあよいか。前でも後ろでも進むのは同じ用だ。あまり無理して反省しなくて
良い。まあみんなもわたしもそういう役なんだろう真理をネツトで意図に操られてお釈迦さんもそういう役でみな正しい運命
反省は去る不味い少し面倒て゜も面倒みるか?私はまるで実力ないので面倒見られる立場だから反省しなさいでも面倒
ホントは早く書き終えたくて長く書く早く子路にかかそれているネタだし明日から充実するか
生死んが身える生だけの用事に使われて小○ 見えない○は知らぬがほっとけ
でも合わせれば◎だけど未知が道になる同の行の理屈はドウデモいいのだけど修行は?
考えな過ぎはボケの始まりか?鍋焦がしたちゆういミスもあちこちで