>>940 A ちゃん

>  今日は昨日だけど 臨死体験した人の話を聴いた。
  その人は子供の頃熱病にかかつて死にかかったとき、綺麗なお花畑に・・・ 』

朦朧とした意識下で、湯奥見る夢みたいなものだろうか。
わたしの見る夢には、
高い山の道を上っていくと、眼下に広々とした谷間がずっと広がっていて、
よくよく見てみると、きれいな花が咲く高原で、
見晴らしの良い風景は心地よく、
しばし見とれている、と言ったものや、
もう一つのパターンは、
山を駆け巡るか、グルグルと歩き回る、というもの。
病院に出くわしたり、
ぞろぞろ歩く病人たちと一緒に、その病院にたどり着いたり、
ほかには、低い山を越えたら、そこは良く見知ってる光景なのに、目的の場所に行きつけなくて、
まてよ、と考え込んだりして、それでも、よく状況が把握できず、歩き始めたり、

そんな夢を見る、事がたまにある。

わたしは、夢を覚えてるほうで、夢が覚めた後、事細かに語る事が出来る。

夢なら、覚めれば、きれいさっぱり忘れてしまえばいいのに、こうやっていつまでも覚えている夢もある、それも、なんだかなー、である。

一時期フロイドの夢分析をまなんだが、その影響なのかな。

だが、フロイドの夢分析をまなんだことが、同じユダヤ人であるマルクスの平和を希求する考え方や、
ユダヤ教徒であるヨシュアの3年間の言葉が、鮮やかに受け取ることにつながった、と思う。