碧巌録(へきがんろく) 第17則? 香林坐久成労  
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試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
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本則

修業僧、香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師に問う、「如何(いか)なるかこれ祖師西来意(そし さいらいい)?」。

林云く、「坐久成労(長く坐っていてくたびれたな。)」。
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頌:
1箇万箇千万箇
籠頭を脱却して角駄を卸す
左転右転 後えに随い来る
紫胡 劉鉄磨(りゅうてつま)を打たんことを要す
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香林禅師は「坐久成労」の修行によって禅の本質が分かり心身ともに束縛から解放されて楽になった。
1〜2人ではなく多くの人々が香林禅師のように心身ともに束縛から解放されて楽になったのである。
昔、紫胡禅師は「左転右転 」と言う言葉に引っかかった劉鉄磨を打った。
もし、「坐久成労」と言う言葉に引っかかったり捉われたら劉鉄磨のように打たれることになるだろう。
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香林は八十歳で遷化するに当たって「我四十年にして始めて打成一片(だじょういっぺん)なり」と言った。
香林は「私は長い間坐禅修行に専心したが四十年経って始めて正念相続する集中状態(打(だ)成(じょう)一片(いっぺん))を達成できるようになった。」という。
彼の言葉は 「坐久成労するくらい坐禅修行しないとその質問には答えることができないよ」とも
「 坐久成労して始めて分かる。未だ坐久成労していないお前さんにはその答えは言っても分からんだろう」とも響く。
大森曹玄老師はこの公案の解説で、坐久成労について「ああ、くたびれたわい!」と言っておられる。
香林は鈍根の人であったが非常に篤実な人で雲門の下で18年間侍者をしていた大根器の人と伝えられる。
雲門は香林に会うたびに「遠侍者」と呼んだ。香林は「はい」と答えた。
雲門は「是れ什麼(なん)ぞ」と質問した。「はい」と答える者は何者かという意味である。
このようにして18年を過ごして香林は始めて悟った。
この時雲門は「我今より後更に汝を呼ばじ」と言ったと伝えられる。
坐禅修行には時間がかかる。 山岡鉄舟 は「禅には根気が重要だ」と言っている。