宇宙意識 さてこの伝説(釈迦が煩悩を退けて菩提樹の下で悟った)を概観して驚かされるのは、仏陀の敵対者の名前とジョイスが
あげている芸術家を芸術の「本来の」道からそらさせるところの動機とが見事に一致しているという事です。すなわち(1)カーマ
欲望、(2)死すなわち死の恐怖(3)ダルマ社会的義務、徳、および関与、というわけです。また未来仏が己の目的を追求するため
に坐った(不動の地点)という観念も意義深いものであり、これはブラック・エルクの言う「世界の中央」に対応しています。つま
りあらゆるところにあり、そこから彼が「聖なる作法にのつとつて」万物を見た場所です。そこは地理的な場所ではなく、諸所の
生命を苦悩と悲惨へ強いる妄想的な欲望、恐怖、関与から開放された精神状態なのです
?毎日適当な観今日の中で適当な説きが行われてほうほけ今日で適当な私の正なのか、それとも適当な世の中なのか思うように
行かないという私だが、私の思うような適当な世の中の様な気もするし、私がもつと真面目に修行すれば少しは環境も変わるの
か?でもあまり真面目も好きではないし適当なだらだらで決まるものも決まらない世の中を選んでいるのか?よくわからん
?民族も内のじゃと言われても?その中に私は居るの蛇、私の中に宇宙が入るし内言うは
そつと言う事でお喋りなトランプさんはマスコミに追求されるし安倍さんもこれも
韓国の僕大統領のせいか?