外道の独り言 7 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
まず最初に断わっておきますが、「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」
というスレではありません。 このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に
関して、私が私見、疑問点等を提示いたします。まさに、「外道がぶつぶつと
独り言を書き散らしているスレ」だと思ってくれて構いません。
勿論、それに対して異論、反論、疑義等は排除するものではありませんが、
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います。
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく、
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいですw) 「真摯なる碩学」が、私の
書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です。
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動
してください。
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑
なのです。
前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1474820531/
ログ保管庫
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html さて・・
「仏教」が継承されるとはどういうことか?
*勿論そこには、
「仏教」が継承されるということと「仏法」が継承されるということとの違い
も、吟味されねばならないわけだが、どちらにしても↓
継承するために、
現代社会・行政・世相・未来志向の価値観、
個人の権利・尊厳・自由意志、社会的相関関係・しがらみ
に阿諛しなけれならないのが、――もっと言い換えれば――
非世俗で有り続けるために世俗化せねばならない状況に、現代日本仏教は陥っているわけで。
なんという劇的な矛盾www 仏教は反社会じゃないよ。脱世間。
反社会というのは、暴力や詐欺をするような連中であって。 しかし、仏教は資本主義社会には反しているとは言える。
仏教は世間=苦であり、世間的な利益追求は貪りであり、苦しみをもたらす。
そんなことから離れなさい、遠ざかりなさい。
貪りを滅し尽くしなさいと仏典で説かれている。 多くの日本人は仏教が正しいと分かっているんだが、実行は無理なだけ。
みんなオマンマ食べたいから仕方なく利益を貪っている。 江戸時代の真言宗の慈雲尊者は、日本ではまれに見る仏教徒だった。
戒律を徹底して守られていた。
宗派関係なく三宝に帰依し、戒律を守ってる者が真の仏教徒と言える。 >>851->>855
空想的内容が多すぎ、
850のバービーの文章なら意味は理解できるが、 >仏教は反社会じゃないよ。脱世間。
> 反社会というのは、暴力や詐欺をするような連中であって。
「反社会」という語彙を単に「暴力、詐欺」等の犯罪行為に限定しているわけではないのw
釈迦仏教が持つ、⇒「一般的な世俗における価値体系と反する価値体系」を
「反社会」という語彙で表現したのさ。
釈迦仏教は、とことん行けば、社会の破棄にもリンクするわけ。
勿論、現実にはそんなことにはならないだろうし、釈迦もその辺は分かってるから
世俗での生き方も説いている。
しかし、それに内包されている「反社会性」を理解せずに、「信じれば救われる」的な
安易な新興宗教の甘言のみに浸っていると、永久に釈迦の教説はわからんよw >>859
まあしかし釈迦の教説も社会性がないからそう有り難がるものでもないけどな
釈迦もその辺は分かってて布教はしたが無理強いはしなかった >>860 その無理強いはしなかった ところが、釈迦が最も優れていたところだと思うのだがw
しかし、仏教の継承 と言う観点からみると、大乗の発生は必然だし、世俗からの需要に適応
することも、いわば、「必要悪」だったとも言える。
仏教の土着宗教の許容とか、葬儀への関わりとかねw
そういうのを完全に却下するのも短絡的だし、また、それに埋没して原点を無視するのも
浅薄だしw どのみち社会は必ず滅するわけだから。
だけれども心は平静であれ。これがお釈迦様の教えだと思います。 お釈迦様は人には無理強いしなかったが
お釈迦様ご自身は誰よりも自分に無理強いしたことは明らか。 >>859
このような知見がパーピマンの真骨頂。
仏教信奉者側からは普段、こういった見解が語られることは殆どない。
外道を自称するパーピマンだからこその優れた見識かな。 >>865
マハトマ・ガンジーに見るようなヒンドゥーの教えである非暴力アヒンサーの重要性が、
ラーマ・クリシュナら近代アヴァターラ方によって更に強調して説かれたけれども、
一応、現在は無くなったとはいわれているヴェーダの動物生贄の伝統のみならず、
今だに続いているらしいカーリー女神像へ吹き付けられる動物生血の鮮血や
シヴァ派サドーら(裸系苦行者)の中にも人間に危害を加える過激な奴がいるともいう...。
ということで、
ヒンドゥー教としての教義上では業と非暴力の思想から平和的である筈なのですが、
派や各グループ個人においてはかなり不透明で混沌としており、中には恐ろしい人間もいると見るべきでしょう。 パーピマンは天空寺の柚子森に考え方が似てる
そっくりかも 柚子森 って誰だい?w
コテつけてるのかね? その人は。 >>864追記:
仏教というものは、
それが説かれた年代と地域と時代背景を考慮しなければならないと思う。
つまり、もしも現代日本においてゴータマがいたのならば、
果たしてどのような教えが説かれただろうか? ということ。
ゴータマの対機説法は当然、きっとまた違った教え方をされたに違いない筈です。
当時の古代インドでの教えとは異なったものとなる、と。 >>868
パーピもやられたね笑
もしかして柚子森知ってないか?
絡んだことあるかもよ
とにかく悠々してて話も面白い
ロンには嫌われまくってる笑 >>870
wwwww
わからんw
最近は、鬼スレ殆どいかないんで、住人がわからんw みなさん不動明王は拝んではいけません。一瞬よくなったように見えても、もともと悪く
なるように仕組んでおいて、それをはずしてるだけだったりするので、その後また悪くなる。
徳がつんであって障害者になる運命じゃない人をなんくせつけて不正に障害者になるよう仕向
けたり、借金地獄になるような運命じゃない人を借金地獄になるよう仕向けたりしてます。
また落ちこぼれの人に教えるよう救いの手を差し向けるとそこをねらってその落ちこぼれの
人の運命と入れ替え逆になるようしむけたりもあります。また幼いころから釈迦などと
後でもめるよう仕向けたりしておいて、後でもめてるところを、自分は釈迦とグルになるよう
はからったり、情報では2万年前のソドムとゴモラの町も別に悪い町じゃなく今より何百年か
何千年かすすんだ科学都市だったらしいですが、それで他の惑星と友好的にやっていこうと
してたのに、例の不動の癖で嫉妬とひがみにくるった状態で裏からヤハウェに「あれでお宅の惑星
を攻めてくるつもりです」と嘘を巧みな話術と幻術で洗脳し滅ぼすように仕組んだりもありました。
とにかくひがみと嫉妬に狂っていて汚くずるい。カリスマ性やモテ度もカリスマ性やモテ度を持ってる人から
奪い取って嘘のカリスマ性やモテ度で周りを呼び込んでいます。
ビートたけしは家が真言宗だと聞いたが、不動はおがんではいけません。だからか、最近ギャグ
を言ってもぜんぜん面白くないし、映画もたいしておもしろくない。というよりは真言宗が一番中心に
となえる神から不動明王を排除して降三世明王や他の明王にすべきです。不動は悪い方へ行って
しまったのではなくもともと何万年と人類や上の神仏をだましてきたのです。
上の神様大日如来もパワーがほしいときあるいは怒りがほしいとき不動とがったいしてはいけません。
記憶、記録も思いもいいように嘘にすりかえられてしまいます。 ☆
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE
サーンキヤ
永遠に変化することのないプルシャ
プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると、プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆく
ttp://☆mi☆tsu☆nako☆udai.blog.fc☆2.com/blog-en☆try-160.html
古代エジプト 魂
…
…カーを原型にして、その人固有の身体と人格が形作られている
生きている間は、カーが主体となって、その人の精神的活動を行う
「自我」や「エゴ」というものは、カーの働きによって形成されている
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%A8%98
阿頼耶識 − さとりに達するための修行の障害がない
末那識 − 我癡・我見・我慢・我愛の四つの煩悩をしたがえており、障害がある
中論 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明に依存して
渇愛(タンハー)に依存して
誤ったあり方を掴んで離さないような固執が現れる
ttp://www.onedhamma.com/?p=6349
無為の世界を納得できないのは、やはりエゴに邪魔されている為なのか?
たとえば、おじゃるの場合は、無明と我愛に依存して
それゆえに >>827 >>828 は無理なので おじゃる m(_ _)m キリスト教の福音派は進化論の否定w
よって公立学校では進化論を教えられてしまうので、自宅学習にしている世帯が
なんと100万世帯ww
しかし、世界の最先端科学を担っているのもアメリカw
面白い国だなあw Nスペ 藤井聡太
Q:同世代の子を羨ましく思ったりしない?
A:特には・・。
ずっと将棋をやってきてたので、将棋ができることが楽しいので。
仏弟子も、こうあるべきかもな・・w
世俗に興味なく、修行が楽しい、と。
で、世襲ってのは、
(梨園も、もしかしたらそうあるべきだし、それができている世界かもしらんけど)、
≪そういう「人材育成」ができる≫という点でのみ、
教義上も許容される可能性を有するのかもな・・。 が、同時に、
(今日の昼間の、鑑定団再放送のラスト出品は、「一休の源氏物語写し」だったがw)
一休の在り様も、
アレはアレで、禅僧の生き方の、一つのサンプル(―しかも、本質を抉り尽くした―)
と、言い得るわけでね・・・w オレは、昔から、一休は どうもねw
自己を単なる「一夜の現れ、刹那の現出」と割り切って、
「ならば、遊びに遊びきって、全てを茶化して生きる」 ってのも、禅的にはOKなんだろうが、
それには、絶対的に外せない条件があると思うんだが?w
つまり、全てを「遊び」に昇華してしまうのならば、そこに必ず自己も含めること。
自己をも遊びの一端として、徹底的に突き放せるんならばいいけど、大概の者は、
遊びと自己を分離して、遊ぶ対象と遊んでいる自己・・・になるでしょう?w
すると結局は、無頼を気取るだけの似非覚者で終わってしまう。
・・・・世間的な常識、宗教者としての常識をわざと、逸脱するような言動を繰り返し、
「何物にも縛られない自己」というものを演出する。
これは他者を欺くのを目的とするよりも、寧ろ自己を欺く・・・・これが悟りだ・・・
という思い込みに酔う 意味合いが大きいと思うけどねw
そして、そういう者は必ずある種の臭みが漂う。
・・・・オレ的には、どうしても、一休にはその臭みがねえwww 明恵、白隠、良寛、一休、
時代下って山本玄峰、山田無文、
或いは、政治世俗絡みで夢窓とか、
これらそれぞれにどういう評価を与えるか?
が、そのままその人の立ち位置になるかもな。 明恵は、以前、道元のことを調べていた資料で知ったが、あまりよくは知らんなw
ただ、なんていうか、密教臭が強かったので、深く知ろうとも思わんかったw
白隠は、好きなほうだねw
ジタバタしてる感じが、何とも人間臭くていいw
やっぱり、この中では良寛が一番好きだw
この人は、悟っているとは思えないが、実に自分に素直に生きた・・・という印象なんだw
なんというか、僧侶のくせして、「悟り」自体にも興味がなさそうで、ただ、思うがままに生きた
印象だねw
自分が何者かになろうとするところが全く見られなくて(若いときはそういう面も見られたがw)
常に方の力を抜いて生きてるみたいなw
(その書も、なんかすごくいいw まさに「飄々」として・・・)
山本玄峰、山田無文、・・・・この人たちについては、正直よくわからんw
評価が定まるのは、まだずっと先のようなw
夢窓についても、詳しく調べたことはないのでww
ただ、庭造りが得意な人か? 明恵は、法相宗の貞慶や三論宗の明遍とならび、しばしば超人的な学僧と評される[5]が、学問としての教説理解よりも実際の修行を重視し、きびしく戒律を護って身を持することきわめて謹厳であった[3]。
上覚からは伝法灌頂を受けており、学問研究と実践修行の統一を図った[2]。
その人柄は、無欲無私にして清廉、なおかつ世俗権力・権勢を怖れるところがいささかもなかった。
かれの打ち立てた華厳密教は、晩年にいたるまで俗人が理解しやすいようさまざまに工夫されたものであった[3]。
たとえば、在家の人びとに対しては三時三宝礼の行儀により、『観無量寿経』に説く上品上生によって極楽往生できるとし、「南無三宝後生たすけさせ給へ」
あるいは「南無三宝菩提心、現当二世所願円満」等の言葉を唱えることを強調するなど[6][7]、
後述するように、表面的には専修念仏をきびしく非難しながらも浄土門諸宗の説く易行の提唱を学びとり、それによって従来の学問中心の仏教からの脱皮をはかろうとする一面もあった[8]。
なお、松尾剛次は、明恵を祖師とする教団を「新義華厳教団」と呼んでいる[4]。
建暦2年(1212年)、法然批判の書『摧邪輪』を著しており、翌年には『摧邪輪荘厳記』を著してそれを補足している。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%81%B5 >>880
ばーびーちゅわん。
俺は、明恵の唯一の後継者らしい笑(爆)
山本玄峰は、まともな奴に坐禅不要論、
山田無文はまあ基礎を教育してもらったよ、これは本で。。 みなさん不動明王とイルミナティ(フリーメーソン)は悪の出方は違っても
同じところから発してる同一のものだとだした霊媒師がいたので、どちらも
拝んではいけません。後はそれぞれで他宗教にあたってよくよく調べてください。 >>883 wwwwwwwwww
ったくw
スマさんも、アホな説法いい加減にやめればいいのにw
スマさんは、日本の仏教とは異なる、上座部という仏教があるんですよ と紹介した
功績はあるけど、大乗への攻撃・・・・それも非常に偏向性に富んだ浅薄な見解で
批判するもんだから、バカにされるw 某師家
今入制提唱で普賢行力説
又、数代前の師家の著や書入れをもとに
近世禅宗の観音信仰及び念観音(→自己の行の在り方の点検)の意義をも
若いが、
やっぱり、今全国一だろうな・・・ >>889
諸師遍参のプロみたいな大王に聞いてみたら? >>888補
また、
白隠(法華経的世界観)の功罪を指摘しつつ、近世禅林の様相を俯瞰して、
今後の方向性を(華厳的(普賢行的)世界観・視座に立脚したベクトルを)模索している点も、
将来性の高さを感じさせる >>891
普賢行ねえw
確かに理念として尊いのはわかるが、(悪魔的視座からw)ひねくれた見解を述べると・・・・
オレは御免こうむりたいw 全部まとめて衆生救済 てえのは、何とも上から目線の「善の押しつけ」
のように感じられてねw
一つ菩薩さまにお尋ねしたいw
「貴方は自分のしていることを正しいことと信じて行っているのですよね?
その貴方の心の片隅にほんの僅かでも、「このようなことを行っている自分は正しいのだ」というような
自己肯定の心はありませんか?
衆生救済は絶対的な善であると、自己の行為の「絶対性」という固定観念に囚われていませんか?」
「利他の精神」というのは、本当に難しいと思うね。
・・・・・確かに、人のために無償で何かを行う と言う行為は素晴らしいよ。
実に尊い行為だ。 それは間違いないと思う。 だがねw
自分の心の奥底をじっと覗いてごらん。
そこに、「こんなことしてる自分はエライ。」 っていう意識が潜んでないかい?w
無意識の奥の奥に、潜んではいませんか?w
以前、「ボランティア活動を通して一体感が得られる。みんなと繋がっている自分を確認できる。」
と言ってたアホ ボランティアがいたw
・・・・・「お前、結局、自分のためにボランティアしてるんじゃん。」 と、心の中で突っ込んだがww 憲法というのは、確かに「理念」の標榜 という面がある。
下位の法律の文言に比しても、その言い回しは非常に抽象的であり、よって
そこに「解釈」という作業が必須となる。
単に理念の標榜だけであればよいが、憲法は下位の法律に干渉し、それに反する立法は排除される。
しかし、現実の社会は常に流動的であり、実体が憲法と乖離すれば、当然、何かしらの作業が
必要とされる。
@解釈の変更
A関連法の立法
B憲法そのものの変更
・・・・・俺としては、Bが最も妥当だと思うけどね。 そのために、改正の手続きも定められて
いるのだし。
9条があり、話し合いさえすれば、どの様な場合でも平和は保証されるなんて、脳内お花畑は
いい加減にやめましょうw 法華経の久遠実成も浄土宗の阿弥陀様も
イエス・キリストのことだと言ってるの
いるけど、ホントですか?因みに大乗仏教
もキリスト教も時期的に、あまり変わらない
のだとか? >法華経の久遠実成も浄土宗の阿弥陀様も
>イエス・キリストのことだと言ってるの
> いるけど、ホントですか?
んなわけないでしょうw
>因みに大乗仏教
>もキリスト教も時期的に、あまり変わらない
>のだとか?
時期的にかぶるところはありますが、大乗の萌芽は紀元前からあります。
お話にあった法華経も成立年代には長いスパンがあって、ごく初期のものは
紀元前後と言われていますが、その思想そのものは紀元前に既にあります。 >>896
ありがとうございます。
キリスト教テレビ番組「目からウロコ」に
出てた人が言ってました。 熱心な信仰者は、他教の神(仏)などを、「実はあれは、(自分の宗教の)神、
または、その部下のことだ。」 と言い出したがります。
どうしても自己の信じる宗教の優位性を主張したいのでしょう。
勿論、仏教にもその傾向はありまして、多くのヒンドゥーの神々が取り込まれていますw
あとは、奇説が特に好きな御仁が創作したりする場合もあるでしょう。
真宗とキリスト教のような一神教の類似は、昔から言われていますが、
当の真宗の方々は、それを嫌いますねw 「今、世界は無宗教が増えてるとか」と
言うスレを興味があったら覗いてください。
大乗仏教はキリスト教の影響と言ってる人がいます。
以前から、こんな説あったのかな? >>899
一口に「大乗」と言っても、そのスパンは非常に長いので、どの時期を指しているのかによって、話は変わるでしょう。
例えば、後世、アジアと西洋の文化交流が行われるようになってからは、当然、
仏教もキリスト教の影響を受けたでしょう。
しかし、前にも言いましたが、その発端は紀元前であり、あまりにも教説探求に
走りすぎ、世俗から浮いてしまった部派仏教に対する批判勢力が、原初だと思われます。
その、原初には二つの説がありまして、ストゥーパ信仰の世俗信者とする説と
部派内の出家学僧の一部とするものがあります。
現在では、後者の説が有力とされていると思います。 ガキの頃、物心つく前からわけのわからんものを色々見て、怖い思いもたくさんした
オカルト系に興味が湧くようになるのは、まぁ必然だわな
自分が見たものが何か知りたかっただけだったが、最初は本を読んだ
神秘主義や心理学の本(ユングが中心)宗教本や哲学書まで色々鼻血出しながら読んだ
仏教(ごく一部)もACIM(まだ全部は読めてないww)も齧ったけど
神道(国家神道ではなくて古神道)って凄いんじゃね?ってここ最近改めて思う
うまい例えが浮かばないが、トンネルを掘って掘って掘って苦労して穴を開けて光を通すやり方と
光の方がこっちに向かってきてくる仕組、後者の方が楽だww
教義があるとどうしてもそれにこだわってしまう、囚われてしまう 先生は神道系だったけど、別に信者になるように洗脳されてたわけじゃないし
ああしろこうしろと指図されたわけじゃない
だた特殊な空間をつくっていたな、あの空間は実はすごかったんじゃないかと
今更ながら思う… >>898
> 勿論、仏教にもその傾向はありまして、多くのヒンドゥーの神々が取り込まれていますw
○○天とつくのがヒンズーの神でしたっけ?
お釈迦様が、取り入れたのですか?
あるいは弟子たち? >>904
>お釈迦様が、取り入れたのですか?
>あるいは弟子たち?
勿論、後世の仏弟子たちです。
(・・・というと、「いや、釈迦は初めから、神々の存在を認めていた。」 と言い出す人もいるからなあww) >>907
wwwwwwwwwwwww
まあ、いるよな? そういう奴w
僧堂に籠って、教理研究しかしたことない奴w
部派の悪いところを現代にまで継承してるとw
しかし、なんで皆、両極端に走るのかな?
世俗の煩悩まみれの「なんちゃって覚者」 と
大乗非仏説マンセーで、「我らこそ真の仏教」とやりだすアホとww どうですか、私の発狂アイドル・プロデュース能力は笑。
ジャンキー君、私が居なくても、もはやスターです笑。 最近、時々、「悟りスレ」を覗いてんだが・・・・・なんかねえww
覗くたんびに、新しい「覚者さん」が登場しているw
どこそこの禅師に覚者認定もらいましたw とかww
まあ、本人が喜んでるからいいのかな?w
まあ、俺の感想としては、その「どこそこの禅師」ってのも、罪なことするなあ・・・なんだけどw 今、南直裁の10月30日のブログを見た。
秀逸。まさに、「よく言ってくれた」 だったねw
以前、道元は、いわゆる「神秘事項」を肯定するか?・・・について討論した時、
(確か、発端は「舎利信仰」だったと思うが)・・・正法眼蔵 の深信因果の巻や、三時業の巻
で道元は輪廻業報論を指示している・・・と対論相手が言うわけよw
それに対して、オレは、「違うって。道元がそれらの記述をしたのは晩年で、その当時、道元の
弟子たちは、いわゆる天台本覚に染まって、「修行なんてしなくてもいいじゃん」的な態度だった。
それをみた道元は、自分の死後、これらの弟子たちが修行を疎かにして、仏道から外れることを
危惧し、あえて輪廻の話をしたんだよ。」 と主張したが、誰からも賛意を得られなかったww
しかし、南氏が言いたいことを全部言ってくれたw
・・・・やっと、気分が晴れたわww ☆↓これでつか?
ttp://blog.goo.ne.jp/jikisaim
『正法眼蔵』の因果、業、輪廻 2017年10月30日
ttp://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%CB%DC%BE%DA%CC%AF%BD%A4
…一足飛びに「本体に気付けば修行は不要である」という議論が起こることになる
道元禅師はそれらを、その批判の軸として「本証妙修」はあると考えられて良い
なんちゃって覚者タソとかの台詞
『無明は仮設としての仮の現れなので
無明している世界から → 解脱するというような
たとえば
呼吸の観察をすというような
上座部系のような観察は必要がない』
机先生の台詞
『心の働きも無なので、それゆえに只管打坐も必要ない』
− これに対して −
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
上座部系 パオ・セヤドー
仮設としての
地水火風空識の微粒子の仮の現れ(そして滅)に依存して
…
無明により → 色受想行識が現れ(そして滅し)て
渇愛により → 色受想行識が現れ(そして滅し)ている
おじゃるの場合は脳ミソが弱いので↑上座部系の説明の方がわかりやすくて良いでつ m(_ _)m 脳ミソが弱い、おじゃる、の登場である。
滅することはない。これを理解できないバカであるよ。
>覚者になれないバービマンが…
パーピマン殿は
円成実性そのものの世界から観察して
「覚者である」という想いも手放して
「覚者ではない」という想いも手放して
非覚者非非覚者も超えて
(非想非非想も超えて)
円成実性そのものの
光り輝いている
智慧と慈悲をもって
移り行く世界の様をありのまま見つめている
そこには、川が流れ、花が咲き、鳥が鳴き、雨が降り、風が吹き、生死があり、そして人の営みがあった
このような世界なのでつ(↑たぶん m(_ _)m )
ttp://www.j-theravada.net/3-jihi.html
生きとし生けるものにも
光り輝いている
如来の
智慧と慈悲が現れますように
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m 916.
バービマンは覚者である、と言いたいのかや。
ばか、おじゃる、の言うことであるよ。 おーい、誰か暇があって頭のいい奴いないか?
実は俺、今朝から↓のスレに張り付いて持論を展開していたんだが、
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1509494005/l50
4レスもしたのに返しのレスが来ない。わざと煽りも入れたりしたのに
反発もして来ない。俺に反論する奴がいないってことは俺は議論に勝ってしまったんだろうか?
ちなみに俺のレスは>572・579・584・588
>>918 ID:k29HWrO8殿は誤爆投下したのかしらん?
とりあえず
(上座部系の?)
仏教的な説明としては
仮設としての
無明している世界の中で
地水火風空識の微粒子の仮の現れ(そして滅)に依存して
(それ自体、単独で成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けて
無明に依存して
渇愛(タンハー)に依存して
たとえば
『年上が良い・年下が良い』というような想いが現れ(そして滅す)る
無明に依存している『想い(色受想行識も含めて)』は
地水火風空識の微粒子に分解して現れ、そして滅していく
ttps://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
滅(涅槃)に触れて想滅定が生起して → 滅(涅槃)そのもの ☆
(仏教の話とは関係ないけど)
PCで掲示板を見てる人は、あまりいないのかしらん?
とりあえず
ttp://janesoft.net/janestyle/test.html
5ちゃんねる専用ブラウザ Jane Style テストバージョン
デバッグのためのテストバージョンです
β版であることをご理解の上ご利用ください
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/8173/1508084116/
不具合報告や要望を受け付けています
ttp://fiveslot777.com/archives/37505529.html
したらば掲示板を Jane Style で閲覧する方法
新規カテゴリを追加 → rentalbbs.shitaraba.com
板URL → jbbs.shitaraba.net/internet/8173/
板名 → ジェーンBBS 警策 六発ww
坊主が言うには、警策はツボを打つので血行が良くなるww
・・・・・・イテエよ、バカやろおww >>923
パーピマンは学者向きだと思っていたけれども、
なんと実践の徒でもあったんだね!
見直したわ。 >>921
基本、仏教は「利己的」だよw 少なくとも、その道の初期段階はねw。
まずは、己を整えましょう・・・・というスタンス。
初めから、菩薩よろしく、「全てを導くぞ〜〜」なんて言ってる奴は、胡散臭いこと
この上ないw
・・・・まあ、そのリンク先の彼の言うことも、一般論としては分かるが、
仏教的ということからは、少し外れるねえw
楽をもって苦をゼロにする・・・んじゃなくて、苦も楽も、結果、ゼロもみ〜〜んな
無に落とし込む ってのが仏教の基本でしょ?
・・・・・・・オレが今まで仏教を「お勉強」してきて思ったことは、
とにかく「多面的に物事を捉えることの重要性」・・・これホント大切w
一つのお題について、論文読んだり、色々調べていると、ホント様々な見解がある。
思うに出来るだけ多くの見解を見た方がいいねw
一つの「真理」にだけ目が行ってしまうと、近視眼的になり、「自分はわかってる。
あいつは分かってない。」・・となるw
仏教なら、まず、初めにインド仏教史をお勉強しましょうw
全体を俯瞰することは大切。
そいうのとは対極にあるように思える禅宗も、やっぱり同じだと思うんだがw
・・・ということで、久々にまた、禅宗史を読み直してみるw
禅のターニングポイントは、馬祖だと思うんだよね。
そこをもう一度w ☆
仮設としての
無明している世界の中で
地水火風空識の微粒子に依存して
現れ(そして滅し)ている
色受想行識の仮和合が
遍計所執性に依存して
(我癡・我見・我慢・我愛に依存して)
ほんの僅かでも方向性を誤れば天と地ほども悟りから隔たってしまう
僅かでも分別心が生ずればたちまちに本心を失ってしまう
− これを対処するために −
円成実性の世界をもって
光り輝いている
如来の
智慧と慈悲をもって
坐禅のときの >>923 >警策をもって
(過去への未来への妄想が依存している)無明している世界を手放して
今この瞬間を切っ掛けにして
光り輝いている
如来の
智慧と慈悲の世界に戻る帰る(帰依する?)
ということでつね m(_ _)m >インド仏教史をお勉強しましょう。全体を俯瞰することは大切
たとえば
ナンチャッテ覚者タソとかは
『釈迦は菩提樹の下に坐して成道したので
それゆえに経典・論書・解説書も必要ない』とかアホなこと言ってるけど
たとえば
釈迦は
ウッダカ・ラーマプッタの非想非非想とかの
マニュアル・手引・説明・補足を
瓶から瓶へ水をうつす瀉瓶のごとく受け入れていれて
最終的には
非想非非想も超えて
滅(涅槃)に触れ想滅定(只管打坐)が生起してるので
それゆえに
余念を交えず、ただひたすら只管打坐する
前段階・下準備の段階においては
経典・論書・解説書(マニュアル・手引・説明・補足)とかも必要でしょ?ということでつ
アホな
ナンチャッテ覚者タソとかは
うっとうしいので絡んで来なくて良いでつ m(_ _)m スマソ http://www.mekong-publishing.com/books/ISBN4-8396-0299-4.htm
知らんかった こんな本が出てるとは
あまぞんのレビューにあるように、語句の集成だけでなく
最近の地域情報や文化的情報があるなら買いかも。
つか、顔ぶれが・・・w >>929
12000円+税
素人ですが、ためになること書いてあるかな?
おじゃるは貧乏だけど↓これも欲しいでつ
ttps://samgha.co.jp/shop/products/detail/261
サンガジャパン Vol.25(2017Winter)
原始仏典 その伝承と実践の現在
アルボムッレ・スマナサーラ,片山一良,島田啓介,藤本晃,吉村均,その他
ttps://samgha.co.jp/shop/products/detail/320
サンガジャパン Vol.27(2017Summer)
禅 世界を魅了する修行の系譜
テーラワーダからみた禅 アルボムッレ・スマナサーラ×藤田一照 その他
ttps://samgha.co.jp/shop/products/detail/342
光の中のマインドフルネス 山下良道
ミャンマーの光に入る瞑想(パオ・セヤドー瞑想メソッド)
_ _ _
↓これは持ってるけど、とりあえず宣伝
ttps://www.kosei-shuppan.co.jp/book/b274451.html
新アジア仏教史1 インドT 仏教出現の背景
奈良康明 下田正弘 その他 >素人ですが…
↓参照資料として?
ttp://true-buddhism.com/shuha/theravada/
このリンク先は上座部批判をしてる感じもするけど、とりあえず
『パーリ語よりも
漢訳の阿含経のほうが古くから存在している』ということであるらしい
『(中国経由の)日本の大乗は
自利利他の大乗で
大乗の(観音?)菩薩道としての導き?』←どこかの怪しい宗教団体のリンクかも?
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
文献学的には
大乗仏教の仏典のみならず
パーリ経典の大部分も釈迦の死後数百年にわたり編纂されたものであることが明らかとなっている
最古の経典も釈迦の死後100年以内の編纂とみなされているため
近代の文献学上は原始経典さえも釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでない
それでもとりあえず
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF
スッタニパータ 第4〜5章
この部分がもっとも古く、元は独立した経典だったと考えられている
ということであるらしい クソジジイは、聞きもしないのに、「仕事で」とか書いているよな! >>933
>↓参照資料として?
>ttp://true-buddhism.com/shuha/theravada/
>このリンク先は上座部批判をしてる感じもするけど、とりあえず
>『パーリ語よりも
> 漢訳の阿含経のほうが古くから存在している』ということであるらしい
この主張はマガダ語からの漢訳ということなのか?
ならば何故、このサイトはそれをここにバーンと示さない?
その肝心の話である、では“どの部分がパーリよりも古い漢訳部分なのか”
を示したものをこの私はかつて一度も見たことがない。
>『パーリ仏典は、漢訳仏典の約10分の1で、
> 自分たちの伝える以外のお経は知りません。』
それは大乗諸経すべて含めての話であって、そりゃ〜創作を続ければいくらでも増えて当たり前。
しかし、原始経典においては漢訳に対応するほぼ同等の経以外にも、
漢訳にはないパーリ経典が多く現存している。
つまり、クッダカ・ニカーヤ(小部経典)におけるスッタニパータなど15のニカーヤについては殆ど漢訳がない。
>『そして、阿羅漢は他の人に教えを説きますが、
>やはりまずは自己の完成を目指す、自利を重視した教えですので、
> 小さな乗り物である小乗仏教といわれます。
>
>漢訳仏典には、
> 分別説部の伝えるお経に相当する阿含経も含めて
>体系的に教えられ、すべての人が救われる、
> 自利利他の菩薩道が教えられています。
>
>日本の仏教は、自利が主体の小乗仏教ではなく、
> 自利利他の大乗仏教ですので、
> 大乗の菩薩道を進ませて頂きましょう。』
こんなことをいってるようではとても話にならない。
最初から大乗マンセーの精神ありありなのが明白です。
「大乗非仏説」が気に食わないので、これを何とか覆したいとする大乗徒たちがいるということ。
要するに、大乗にドップリ洗脳されたら最後、そこから抜け出るのは非常に困難と言わざる得ない。 どの部分がパーリよりも古いとかではなくて
ブッダゴーサがパーリを編纂するよりも早くに北伝諸部派が保持するアーガマ(ニカーヤ)の漢訳がなされたということだと思う
漢訳の阿含経は、パーリ語のを訳したものなのでしょうか?
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q10153372385 http://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/244
244 初代スレ7 sage ▼ 2008/12/25(木) 00:35:46 ID:wzjHZDF4 [1回目]
> >> 239
> 歴史的位相はこんな感じじゃね? 知らんけどw
>
>
> 直・初期
> 在世 仏 弟子 古M語 P Skt Tib 漢
> | ○
> | ○
> | ○
> | ○ ..○
> | ○ ..○ ○
> | .○ .○ ○
> | .○ .○─○ ○
> | .○ .○─○ ○
> | .○ .○─○ ○
> | .○ .○─○ ○
> ↓ .○ .○─○ ○
> 現代
体系的な成立、及び文字化の確立、
という点では、チベットに次いでパーリが最も遅い筈 http://toki.5ch.net/test/read.cgi/psy/1320683783/456
> >> 451
> 初期仏教で説かれていること ●○
> パーリで ●○△
> 大乗で ●◎▲
> 般若系で ○◎▲*
> 法華経系で ◎▲□@
> 浄土系で ◎□■$
> 密教系で ◎■*※
>
> 神智学 ☆▲□※ >>939
なるほどw
神智学のおける ☆▲□※ は・・・・・
※は、呪術系的要素、
□は、超越的存在 の是認、信仰
▲は、何だろ? 利他の精神の強調かな?
で、・・・・
☆は、・・・頭わかしてんじゃねえよw ってことか?ww >>940 今、ざっと眺めてみたw
2008年かあw もうあれから10年近くたってるんだw
あの頃は、結構、真面目に討論してたねw
登場人物も懐かしいw
(机は相変わらず、ずれてるが、それも懐かしいw)
コテも「初代スレの5」とか「初代スレの7」とかww >>941
>神智学のおける ☆▲□※ は・・・・・
>※は、呪術系的要素、
神智学の採る立場は、
呪術の中には実際的な神秘力を発揮するものがあることを認めるというものであって、
だからといって、神智学徒に対してその種々の呪術を執り行うよう指導するなどということはない。
精々、なされていることといえばマントラム(聖音オームなど)について解説し、
それらを瞑想に導くための技術の一つとしてや意志の確立を促すものとしての使用を指導する程度です。
一つオマケとして、
歴史上のゴータマの実際については知るすべがないけれども、
原始仏教の時代においては、呪文なども使われていたことを窺い知ることはできそうです。
パーリ聖典成立の過程では原始仏教時代の呪術的側面の殆どが削除されてしまったのだと思われます
(一部が今日の上座部も使用するパリッタへと継承された)。
岩波文庫、中村氏の解説によれば、
『また第二八章一八に仏教の四種の真理(四諦)がドラヴィダ語でしるされ、漢訳でもそのまま音写して、何のことだか
訳の解らぬ奇怪な印象を与えるように表現している。何故か? これは原始仏教において陀羅尼の成立する過程を示してい
る。インドでは古来、仏教以前から、真理をたもつ者、真実を語る者は不思議な呪力を体得する(satyakriya^)という伝
統的信仰があるので、一部の仏教徒は四諦すなわち四種の真理を体得すると呪力が得られると考えた。呪力をたもつため
には訳のわからぬドラヴィダ語の呪文のほうが良いと考えたのである。』
(『ブッダの真理のことば・感興のことば』p393-394) パーピマン氏はよくニ諦を説くけど勝義の視座にいるものって誰なんですか?
誰が勝義視座というものを確認するのですか? >>944
>パーピマン氏はよくニ諦を説くけど・・・・
説きませんw
何故なら、私は覚者ではありませんのでw
ただ、世俗の話をしているのに、突然、勝義の話にスライドさせて、
論点を誤魔化して自己正当化を図るバカをおちょくってるだけですw
>勝義の視座にいるものって誰なんですか?
> 誰が勝義視座というものを確認するのですか?
さて、・・・・これですが、なんと答えて良いものやらw
まあ、『貴方』 です。・・・・こういう答えになるでしょうねw
するとすぐに、「無我なのに、私がいるんですか? おかしくありませんか?」 とくるわけですねw
ホントに分からず、上記の問いをする者と、分かった上で言ってる者の二種類があると
思いますが、後者はたちが悪いw
殆どの場合、相手をディスることが目的でしょうw
・・・・・正直なところ、貴方がどういう人なのかわからないので、答えようがないんです。
全くの初心者なのか? それとも、「五蘊の仮和合」という言い回しを用いても、
解説不要で話を進めていけるのか?
もし、コテつけてたのなら、それを示してね。
大体わかると思うからw 他スレで自分も、まことにされたけど、
まことって何なの?アウトロー板に出てくる
「絹ごし」みたいな? >勝義の視座にいるものって誰なんですか?誰が勝義視座というものを確認するのですか?
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
ガウタマ・シッダールタは
菩提樹の下に坐して瞑想に入り悟りに達して仏陀となった(成道)
_ _ _
仮設としての
無明している世界の中で
地水火風空識の微粒子に依存して
色受想行識の仮和合が現れて
たとえば
おじゃるの場合は
(それ自体、単独で成立してる色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立してる色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性が現れている
− これを対処するために −
実相般若の世界の
般若の智慧によって
『すべて一切の諸法』という想いも手放し
『我(誰某が)』という想いも手放し
自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出している深層意識の阿頼耶識も
最終的には『空性である』
↑という感じであるらしい >また、ブラヴァツキーはゴビ砂漠で虚空を飛行していくチベット僧を目撃したといわれ
ブラヴァツキーと言う人はゴビ砂漠の虚空を飛行するチベット僧の肉体を目撃したのか、
それともチベット僧のアルトラル体が幽体離脱してゴビ砂漠の虚空を飛行したのを何らかの能力で目撃したのか、
本当にその時のチベット僧は肉体とアルトラル体どちらだったんですか?宝珠さん >>950
特に何の断りもない場合には、
そのまま生身の「肉体」のことだと普通は受け止めるべきだろうと私は思いますが...。
もし、アストラル飛行ということであったのなら、
それはちょっとした熟達者ならば幽体離脱して意のままに飛行してくることなどは造作もないことなので、
大騒ぎするほどの出来事でも何でもないことです。
そうではなく、要するに肉体にて飛行していたからこそ
彼女もリアルにその驚くべき光景を目撃できたのだということ。
それはチベット僧のミラレパについても然り。
濃密物質の肉体にて現実に飛行していたからこそ、誰からも目撃されたのです。
そのことはダライラマ法王も公認されている事実です。
『彼の道は、甚深なる空の見地---仏陀の第二の説法、すなわち転妙法輪の主題---と無上タントラの教えとを結んだ瑜伽ヨーガ
であった。この二面的な瑜伽ヨーガの力によって、彼は内なる諸要素をコントロールする力を得、ひいては外なる諸要素を支配す
る力をも獲得するに至った。こうして、彼はこの伝記に見られる種々の奇蹟を行うことができたのである。チベット仏教のあら
ゆる法統にわたって、教理の信奉者たちは例外なく彼の生涯と功績に多大な敬意と帰依を捧げ、鑽仰の対象としている。』
(『チベットの偉大なるヨギーミラレパ』めるくまーる社/「序--日本の読者へ」第十四世ダライ・ラマ) レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。