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カトリックの洗礼を受けたいんだけど [無断転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/03/22(水) 15:14:34.58ID:9kYs/gVF
詳しい人います?
教会行って申し込めばいいんですか?
0423老クリスチャン
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2018/05/12(土) 10:45:38.33ID:bfI75KIr
2012年(主日B年) 5月20日 主の昇天
使 1:1〜11  エフェ 4:1〜13  マコ 16:15〜20

「体(教会)は一つ、霊は一つです。 それは、あなたがたが、一つの希望(将来の神の国)にあずかるようにと招かれているのと同じです。 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ。 すべてのものの父である神は唯一であって、 ・・・・・ 」(エフェ vv.4-6)

私たちの教会は、“ただ一度成し遂げられたキリストの贖い” の果実であって、昇天のキリスト御自身の御業の継続、その御業が現在行われている場所なのです(エフェ 1:22-23 参照)。
ですから、本来キリスト者の希望は一つである筈なのですが、実際には現代の教会の信者のほとんどが “秘められた計画”(エフェ 1:8-14)に無知であって、このためミサにおける “キリストの現存” を実感をもって理解していません。

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」(エフェ 1:17-18)

昇天のキリストは、代々の時代の教会に指導者や奉仕者をお立てになりますが、それは私たちが皆 「神の子に対する信仰と知識において一つになる」(エフェ v.13)ためです。
先月日本語訳が発売された教皇ベネディクトXVIの使徒的勧告 “主のことば” は、キリスト信者の聖書教育の項で、「すべてのキリスト信者、とくにカテキスタは適切な養成を受けることが必要です」(p.131)と述べ、
聖なる叙階の志願者については、「聖書を神学養成の魂としなければなりません」(p.137)と語っています。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0424洗脳は一つ
垢版 |
2018/05/12(土) 12:15:41.13ID:yRU//6Vk
 
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チロチロ
0425神も仏も名無しさん
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2018/05/14(月) 10:56:55.10ID:jnfUc7RI
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KJWZ2
0426老クリスチャン
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2018/05/17(木) 10:59:30.85ID:izSNtzjl
2000年(主日B年) 6月11日 聖霊降臨の主日
使 2:1〜11  ガラ 5:16〜25  ヨハ 15:26-27, 16:12-15

今年も聖霊降臨の主日を迎えました。 主イエス・キリストの受難と復活によって始まった教会の誕生と成長が、今も信じる民を通して前進し、よい実りをもたらすように祈りましょう。

最初の聖霊降臨の日の出来事について、聖書はそのイメージを非常に象徴的な話法で伝えてくれています。
その第一は、使徒たち一同が “聖霊によって語り始めた” ということであり、第二には人々が “めいめいが生まれた故郷の言葉を聞く” ように、使徒たちの語る “神の偉大な業についての宣教” を理解したということです。
私たち教会にとって、宣教とは “使徒たちの宣教” であり、その内容は “キリストの福音” であることを、ご一緒に再確認したいと思います。

20世紀の私たちの教会は、聖霊の働きの希薄な教会であったと認めざるを得ない ・・・・・ と、先週の聖書の学びで話しました。
そこでは使徒継承ということが一般の信者にとって実感の湧かない事柄となり、教会の教えは “使徒たちの宣教” とは何の関係もないもののように理解されて来ました。
十字架と復活の主であるキリストと何の関係もないような “ほかの福音”(ガラ 1:7)が、信者たちの心を支配して来ました。
初代教会の宣教とその成長の原動力であったその同じ聖霊が、再び21世紀に向かう現代の教会に訪れてくださって、その司教と司祭たちによって “使徒たちの宣教” を継続させてくださるように、ご一緒に祈りたいと思います。
0427老クリスチャン
垢版 |
2018/05/17(木) 11:00:40.52ID:izSNtzjl
(つづき)
聖霊は神であって、父と子と共に私たち教会の礼拝の対象であります。
この方は 「父のもとから出る真理の霊」(ヨハ v.26)であって、“イエス・キリストによって実現した救い” について証しし、初代教会の “使徒たちの宣教” を支え導かれました。
現代の教会における使徒継承を支え導かれるのも、この同じ聖霊なる神なのです。

この世にはもろもろの霊が働いていて、人々はそれらの中に生活していますが、
キリストの祭壇を囲んでミサをささげる群である教会には、「その方、すなわち、真理の霊」(ヨハ v.13)が来てくださって、キリストの福音の真理へとこれを導いてくださることを、今朝の福音書のテキストは語っているのです。

私たちは一方では過去の教会のありのままの姿を直視しなければなりません。
20世紀の教会は聖霊の働きの希薄な教会であったと認めざるを得ない現実がそこにあります。
しかし同時に、21世紀に向かう将来の私たちの教会に 「その方、すなわち、真理の霊」 が来てくださって、これをキリストの福音によって “造り上げて”(エフェ 4:12 )くださることを祈り求めることは、
今朝ミサをささげている私たち一同にとって、「まことにとうとい大切な務め」(奉献文/叙唱)なのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0428キリストの幅員
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2018/05/17(木) 18:50:02.19ID:FbPD8PuB
 
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チロチロチロチロ
0429老クリスチャン
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2018/05/18(金) 12:35:39.05ID:/ET+daGJ
2006年(主日B年) 6月4日 聖霊降臨の主日
使 2:1〜11  ガラ 5:16〜25  ヨハ 15:26-27, 16:12-15

「霊の導きに従って歩む」(ガラ v.16)という用語を、使徒たちが宣教した福音から切り離して理解することを、新約聖書は全く知りません。
ところが残念なことに、これまで通俗的なキリスト教理解では、「愛、喜び、平和、・・・ 親切、善意」(ガラ v.22)があれば “霊に従って歩んでいる” ことになり、
「姦淫、わいせつ、好色、・・・ 敵意、争い」(ガラ vv.19-20)を避けていれば “肉に従って歩んではいない” ことになるという具合に説明されて来ました。
しかし、聖霊は生きて働いておられる神であって、決して人間の道徳規準のことではないのです。

「わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊” により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです」(ガラ 5:5)という訴えに続いて、使徒パウロは今朝のこのテキストにある勧告を語ったのでした。
私たちは使徒の伝える福音を受け入れるために、霊に従って歩みましょう。

「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に宿っているなら、
キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの中に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも(終末の復活の日に)生かしてくださるでしょう。」(ロマ 8:11)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0430ちちのもとから出る真理ちゃん
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2018/05/18(金) 22:24:45.01ID:2LCaLSZn
 
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0431天と地と真理ちゃん
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2018/05/18(金) 22:28:44.88ID:2LCaLSZn
 
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真理ちゃ〜ん
0432老クリスチャン
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2018/05/19(土) 12:57:01.86ID:hdWbP92D
2009年(主日B年) 5月31日 聖霊降臨の主日
使 2:1〜11  ガラ 5:16〜25  ヨハ 15:26-27, 16:12-15

聖霊は、父と子から出て(ニケア・コンスタンチノープル信条)、教会共同体という群れに働くと同時に、信者一人一人に(Iコリ 12:7)送られる “天よりの力”(ルカ 24:49)です。
この聖霊について、通常は教会で教えられることが極めて少なく、そのために信者はしばしば自己流の、あるいは主観的な理解に陥る傾向があります。

聖書がいわば自明なこととして伝えている第一のことは、聖霊と使徒たちの証しとの固い結びつきです。

「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しするのである。」(ヨハ v.27)

使徒たちから伝えられたこと(神の啓示に関する教義憲章 8)とは無関係に、何か新しい働きをしたり、新しい教えを与えてくれるなどと期待してはなりません。
ですから、そもそも聖伝と聖書を自ら学ぶことなしに、聖霊に何かを期待することは間違っているのです。

第二は、“イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられた”(ロマ 4:25)という、十字架と復活の出来事との深い結びつきです。

「その方はわたしに栄光を与える。 わたしのものをうけて、あなたがたに告げるからである。」(ヨハ v.14)

十字架の福音を自ら学ぶことによって、信者一人一人が神が成し遂げられた贖いに信頼し、キリストによる罪の赦しと救いへの信仰を確信し、それ故に神の民である教会共同体と共に歩むということと、
聖霊の働きは連動していると言っても過言ではありません。
自分は聖霊の働きの外にいて、誰か他の人に聖霊が働きますようになどと無責任な祈りをする人は、何も分かっていないのだし、現代における聖霊の働きも “新しいぶどう酒に酔っている”(使 2:13)ようにしか見えないことでしょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0433神も仏も名無しさん
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2018/05/19(土) 13:03:19.97ID:rNwAN/At
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0434神も仏も名無しさん
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2018/05/19(土) 22:32:53.94ID:IpgoVQfp
 
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      \ "  、 i":;;::::!:〆 丿ゝ 
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        / イ( /  /  入  \
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0435神も仏も名無しさん
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2018/05/22(火) 17:40:57.84ID:r325u9yl
923 神も仏も名無しさん sage 2018/05/11(金) 19:43:06.15 ID:PBQQo4xT
『老クリスチャンの長文コピペについて』
  
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
   そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
   どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
   老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。

【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/
0436神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/22(火) 17:56:46.21ID:r325u9yl
老クリスチャン 心せよ

元牧師の説教スレ違い! → ⚫スレチ
説教練習場と勘違いするな !→ ⚫タイトル読め
毎回元牧師による神父模倣の不快な説教→ ⚫スレ嵐
0437老クリスチャン
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2018/05/24(木) 12:20:03.08ID:QzIAM6dn
2003年(主日B年) 6月15日 三位一体の主日
申 4:32〜40  ロマ 8:14〜17  マタ 28:16〜20

私たちの神は、歴史の中で働き続けておられる方であり、しかも終末の到来と神の国の実現という目標に向かって救済史を進めて行かれます。
旧約聖書の中には、この救済史を導かれる神への強烈な信仰を実感させる言葉として、「主は生きておられる」(王上 17:1)というのがあります。

キリスト教会は旧約聖書に語られているイスラエルへの神の約束を、洗礼の恵みを通して受け継ぎました。

「あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。」(申 vv.39-40)

新しいイスラエルであり神の国の相続人である教会にとっては、神は唯一であり(Iテモ 2:5)、ほかに神はいないのです。
実に教会は、神が御子の血によって(使 20:28)「他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた」(申 v.34)ものなのです。
そして聖霊は、聖伝と聖書を通して “古い昔の言葉” ではなく “現在の神のことば” を教会に語るのです。
0438老クリスチャン
垢版 |
2018/05/24(木) 12:21:07.93ID:QzIAM6dn
(つづき)
初代教会以来今日に至るまで洗礼式は、受洗者と教会が信仰宣言を用いて共に信仰を告白する場であります。
人は洗礼によって 「神の霊に導かれる者」(ロマ v.14 )たちの共同体に迎え入れられます。
ですから当初から、聖霊は洗礼を有効にし、受洗者を神の国の相続人とするものと理解されていました。
イエス・キリストの名による洗礼は父なる神の愛から発した秘跡であり(ロマ v.15)、聖霊の導きによって歩み始めることであるとの力強いメッセージを、私たちはこのテキストから聞かされています。

形式としての三位一体という表現は、聖書の時代よりも後になって出現したのですが、それはキリストの福音を総合的にまた正確に述べ、そのことによって今日に至るまでの福音の伝承の不変性を守ることとなった、古代教会の重要な神学的所産でありました。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0439神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/24(木) 12:23:37.61ID:7WlTx1EX
🌟   あなたに贈る言葉@

  真実の世界に目覚めよ

この世は、真実の世界から見たならば、
ちょうど正反対の世界である。
あなたがたが、その目でもって見ている、
この世の世界というものは、
ちょうど、「池のなかを覗いて、
その水面に、鏡のごとく映っているわが姿を見て、
自分だと思っている」のと、同じなのである。
あなたがたの見ている世界は、本当の世界ではない。
目の前にある、池の上に映った世界にしかすぎないのだ。

言葉を換えるとするならば、
あなたがたが、
現実であり、真実であると思っている、その世界は、
「真実の世界を映している、模倣している、
その影絵にしかすぎないのだ」と、知らなくてはならない。
あなたがたは、
映画のシーンを観て、現実だとは思わないであろう。
同じように、真実の世界から、
この世界にて生きている、あなたがたを見ている、
霊的世界の者たちの目には、
あなたがたの実社会や学生の生活が、
映画のように見えているのだ。
それは、現実を模倣したフィクションの世界であるけれども、
そのフィクションの世界が、まさしく、
あなたがたが生きている、その世界そのものであるのだ。

あなたがたが真実の世界だと思っている世界が、
真実の世界ではなく、
あなたがたが夢幻だと思っているところの、
昔話や、伝説や、宗教においてのみ、聞いたことのある世界が、
実は、本当の世界なのである。

    −「目覚めたる者となるためには」より
🌟🌟 大川隆法著 「伝道の法」より

http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1521134950/42
0440老クリスチャン
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2018/05/25(金) 11:37:18.49ID:qiXNz3BD
2006年(主日B年) 6月11日 三位一体の主日
申 4:32〜40  ロマ 8:14〜17  マタ 28:16〜20

「・・・・・ あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。」(申 v.34)

父なる神は、御子キリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました(ロマ 3:25)。
私たちはその血によって贖われ、罪を赦され(エフェ 1:7)、天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者とされました(Iペト 1:4)。
私たちを愛して、私たちを神の子としてくださった神が他にあったでしょうか。

「あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、 ・・・・・ 」(申 v.39)

“ミサを生きる”(長江神父/総則初版の序文)とは、そういうことであり、キリストの再臨の日まで、私たちキリスト者の生活のすべてはミサに結ばれ、ミサから流れ出、ミサに向かって秩序づけられて行くのです(ミサ典礼書の総則 1 参照)。
共にミサをささげる現代の教会に、今朝も昇天のキリストが語りかけておられます、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」 と。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0441老クリスチャン
垢版 |
2018/05/26(土) 10:46:01.55ID:ssbx42v5
2012年(主日B年) 6月3日 三位一体の主日
申 4:32〜40  ロマ 8:14〜17  マタ 28:16〜20

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。 彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタ vv.19-20)

新約聖書では通常洗礼は 「イエス・キリストの名によって」 授けられていて(使 2:38 他)、三位一体定式が使徒後教父たちによって用いられ始めたのは紀元150年頃からだと言われてします。
新約聖書の中では唯一ここでだけ言及されているので、聖書学者はこれを後の時代の加筆であると考えています。
しかし、それは私たちにとって感謝すべき加筆であって、そのことによって後の時代の信者は、より適切に使徒たちが伝えた福音を理解することが出来たのでした。

教会にはいろいろな教理があって、私たちはそれをカテキズムを通して学びますが、このようなカトリックの神学は、教会の信仰をいろいろな異端から守るために発達した面が多分にあります。
その意味で神学というものは、現代のカトリック信者である私たちが健全な信仰に生きるためにも、とても大切なものなのです。

言うまでもなく、私たちの信仰はイエス・キリストを信じる信仰です。
だからこそキリスト教なのです。
先ずここで私たちは、自分がキリストではなくて別の何か、例えば主義や主張や特定の文化や政治的目標などなどを、人生の最大の関心事にしているのではないかと、真面目に考えてみる必要があります。

使徒時代の当初から、教会で信仰が宣言される第一の場は洗礼式でありました。
そしてこの信仰宣言は間もなく三位一体定式のものになって行きます。
使徒信条も、ニケア・コンスタンチノープル信条も、父と子と聖霊への信仰を述べる三つの部分で構成されていることを、理解しましょう(カトリック教会のカテキズム 189-191)。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0442 ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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2018/05/26(土) 21:43:32.01ID:4KlFGf99
 
> 2ch で、ある人たちがこれを 「神父ごっこ」 と呼んで非難するのは、

>全く見当外れなことなのです。

         ,,..,,_
     , -''"´    `゙''-、     ,, -‐ 、
    ,."          `ヽ  /'    ヽ
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0443神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/27(日) 14:51:03.34ID:rC5J1lPr
前澤友作 「お客さまを神様だと思ったことは一度もないです」  身長 162.1cm
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819可愛い奥様2018/05/01(火) 11:09:37.29ID:ccmWrFn40
zozoの社長ってこんな顔なの?
完全に池沼顔だね
>>3
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旧約聖書『出エジプト記』でモーゼが
奴隷として
使役されていた
ヘブライ人を救うため、
ヘブライ人を連れてエジプトを脱出しようとしますが、エジプトの王であるファラオが追っ手を出します。葦の海で水が割れてヘブライ人が通った後、ファラオの軍勢が通ると元に戻るシーンは有名ですね。この曲中ではエジプトを出ようとしたモーゼを助けるために
神が
疫病を
エジプトに送った
ところが描かれています。
>>1 >>2
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sdasdf
0444老クリスチャン
垢版 |
2018/05/31(木) 11:02:02.33ID:wJPFpHnM
2000年(主日B年) 6月25日 キリストの聖体
出 24:3〜8  ヘブ 9:11〜15 マコ 14:12-16,22-26

キリスト教会はその始まりから今日に至るまで一貫して、聖体の秘跡を共に守る群であり続けて来ました。
新約聖書ではこれを 「主の晩餐」(Iコリ 11:20) 「パンを裂く」(使 20:7)などと呼んでいますが、既に2世紀の初め頃には “感謝” という意味の “ユーカリスティア” というギリシア語が使われるようになりました。
私たちがミサを “感謝の祭儀” と呼び、さらにその中心である聖体の秘跡を “感謝の典礼” と呼ぶのは、これに由来しているのです。

マコ vv.22-24 は、もしかすると v.25 も含めて、マルコ福音書を生み出した1世紀後半の教会のミサの式文であろうと思われます。
ミサを司る司教や司祭は、目に見えない祭壇のキリストに代わって、キリストの聖体であるパンとぶどう酒を会衆に分け与えました。
新しい契約のいけにえとしてキリストの聖体が奉献される感謝の典礼は、教会がキリストの死と復活をどのように理解し、どのように語り伝えて来たかを明確に証ししています。

新約聖書はこのような “ミサをささげる教会” から生み出された書物ですから、教会が今日に至るまで使徒継承によって受け継いで来た信仰と典礼に固く結びついています。
私たちは主日ごとのミサに与かる歩みの中でこそ、教会の信仰と典礼の光に照らして、聖書をより深くまた正しく理解することが出来るのです。
私たちが司教や司祭の手を通して受けるパンはキリストの体、感謝の杯はキリストの血です。
これは信者に永遠の命を与える糧であって、主はこれを受ける人々を終わりの日に神の国に復活させてくださいます。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0445老クリスチャン
垢版 |
2018/06/01(金) 13:20:17.29ID:0mBlNjuS
2006年(主日B年) 6月18日 キリストの聖体
出 24:3〜8  ヘブ 9:11〜15 マコ 14:12〜26

「取りなさい。 これはわたしの体である。」(マコ v.22)
「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(マコ v.24)

主イエスによる晩餐の制定の言葉は、共観福音書の各受難物語りの部分と Iコリ 11:23-26 にあって、それぞれの言い回しには多少の違いがありますが、それは初代教会のミサでこの言葉が実際に用いられた際の司牧上の配慮を反映したものと思われます。
典礼憲章は、教会が受け継いで来たこの聖なる伝承を説明して、次のように述べています。

「我々の救い主は、渡されたその夜、最後の晩餐において、自分の体と血による聖体のいけにえを制定した。 それは、十字架のいけにえを主の再臨まで世々に永続させ、しかも、愛する花嫁である教会に、自分の死と復活の記念を託するためであった。
それは、いつくしみの秘跡、一致のしるし、愛のきずなであり、キリストが食され、心は恩恵に満たされ、未来の栄光の保証が我々に与えられる復活の祝宴である。」(47)

ミサ、特に主日のミサは、教会がキリストに血によって贖われた聖なる者たちの群であり、神の国を受け継ぐ民であることの象徴であって、伝統的に “ことばの典礼” と “感謝の典礼” の二つの部分から成っています。
“ことばの典礼” では聖書に基づいて福音が宣教され、“感謝の典礼” ではその福音に従ってキリストの体の食卓がすべての信者のために用意されます。
典礼憲章は、すべての信者がこの祭儀をよく理解し、これに意識的に、敬虔に、また行動的に参加して、自分自身を奉献することを学ぶようにと教えています(48)。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0446神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/02(土) 01:20:49.25ID:ZHlmyJIv
ここもプロテスタントの信者(老クリ)の書き込みばかり。
求道者の方は、直接最寄りのカトリック教会へ。
悪い癖がついてしまいますよ。
0447老クリスチャン
垢版 |
2018/06/02(土) 13:12:33.44ID:fOaA79Ed
2012年(主日B年) 6月10日 キリストの聖体
出 24:3〜8  ヘブ 9:11〜15  マコ 14:12〜26

ヘブ v.12 の 「ただ一度(εφάπαξ)」 とは、“最後的、決定的” という意味であって、神がキリストの十字架において 「罪を罪として処断され」(ロマ 8:3)、私たちのために 「永遠の贖いを成し遂げられた」(ヘブ v.12)ということです。
私たちは洗礼の秘跡を受けるときに、この贖いの福音を教会と共に、“私も信じますと告白して”(マコ 16:16)救われました(ヘブ 6:4,10:10、ロマ 6:10、カトリック教会のカテキズム 1123参照)。
カトリック教会が 「洗礼は一回限りのもので、くりかえすことはできない」(カテキズム 1272)と説明しているのは、それがキリストの 「ただ一度(εφάπαξ)」 の贖いに与ることだからなのです(ロマ 6:3-11)。

「モーセは血を取り、民に振りかけて言った。 “見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。”」(出 v.8)

最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありませんでした(ヘブ 9:18)。
しかし、律法に基づく雄牛や雄山羊のいけにえの血は、民を完全な者にすることは出来ません(ヘブ 10:1)。 神は第二のもの(キリストの贖い)を立てるために、最初のものを廃止されました(ヘブ 10:9)。
「ただ一度(εφάπαξ)イエス・キリストの体が献げられることにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。」(ヘブ 10:10)

私たちは今日の祭日のミサで、このキリストの十字架のいけにえの秘跡的再現を、感謝して共にささげようではありませんか。
「ミサの祭儀は、キリストの行為であり、位階によって秩序づけられている神の民の行為であって、全教会にとっても、地方教会にとっても、また信者一人一人にとっても、キリスト者の生活全体の中心である。」(ミサ典礼書の総則 1)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0448神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/02(土) 15:57:15.37ID:zGJW2qeO
  

      「取りなさい。 これはわたしの体である。」

                      :..:.:::
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0449神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/02(土) 16:09:54.62ID:WviQ02tL
  | |       /━━     ━━ :::::::::::::::|
  | |       |‐=*ニ,>   <,ニ*=‐  ::::::::::::::| うまいかね?  
0450神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/02(土) 17:47:23.07ID:BgTPTrU7
 
> 「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」

                         ▂ ▪ ▂▄▅▆▇■▀▀〓◣▬ ▪ ■ … . 
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2018/06/02(土) 19:10:54.35ID:wg3DlcTW
 
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        _ ノ / /__  /   ̄ ̄ ̄ ̄ _ノ / i  i__   ̄ ̄ ̄ ̄
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0452神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/02(土) 19:57:48.30ID:VsZi4One
「モーセは血を取り、民に振りかけて言った。
“見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。”」

汚らしい宗教だな。
0473神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/19(火) 09:09:52.20ID:QBK5mvLA
生贄をささげる宗教って糞
0478神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/20(水) 08:33:56.58ID:RQxOAbj3
受洗おめでとうございます!
0485老クリスチャン
垢版 |
2018/06/21(木) 12:29:36.79ID:fsOSc5KT
2001年(主日C年) 6月24日 洗礼者ヨハネの誕生
イザ 49:1〜6  使 13:22〜26  ルカ 1:57〜80

洗礼者ヨハネは福音書の主人公ではなくて脇役です。
彼はイエスが登場すると、それと交代するように舞台から去って行きます。
しかし彼の誕生も、その短かった生涯も、神から来る喜びで満ちていました。

「その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。 多くの人もその誕生を喜ぶ。」(ルカ 1:14)
「だから、わたしは喜びで満たされている。」(ヨハ 3:29)

彼の母エリサベトは主の母マリアに、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカ 1:45)と言いましたが、
洗礼者ヨハネが誕生するとその同じ信仰によって彼女は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」(ルカ v.60)と言い、父親の 「ザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」(ルカ v.64)のでした。

そして、「主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」(ルカ vv.76-77)日が来るまで、「幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた」(ルカ v.80)のでした。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0489老クリスチャン
垢版 |
2018/06/22(金) 12:01:47.02ID:nNhwYFMH
2007年(主日C年) 6月24日 洗礼者聖ヨハネの誕生
イザ 49:1〜6  使 13:22〜26  ルカ 1:57〜80

「あなたはわたしの僕、イスラエル、」(イザ v.3)

これは “僕の歌” の第二のものですが、“主の僕” と “イスラエル” とが同一視されていることに注目しましょう。
実にイエスは、肉によるイスラエルがなし得なかったことを、イスラエルに代わって成し遂げてくださった “僕なるメシア” でありました。
それは 「ヤコブを御もとに立ち帰らせ、イスラエルを集める」(イザ v.5)ためだけではなくて、「救いを地の果てまでもたらす」(イザ v.6)ためでした。

「つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです」(ロマ 8:3)。
「そのお受けになった傷によってあなたがたはいやされました。 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです」(Iペト 24-25、イザ 53:5-6)。

救済史は、その終わりの時に向かって確実に進んでいます。
そこでは “神に従う人は信仰によって生きる” のです(ハバ 2:3-4)。
そして、その福音伝承の物語りの始めに、今も洗礼者ヨハネは “燃えて輝くともし火” として立っています。
教会は、今朝の 「洗礼者聖ヨハネの誕生」 の祭日にも、また8月10日の 「洗礼者聖ヨハネの殉教」 の記念日にも、同じ叙唱をその日のミサで用います。
なぜなら、私たちは彼が指し示した 「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハ 1:29)によって、永遠の命を得ている共同体だからです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0493老クリスチャン
垢版 |
2018/06/23(土) 12:56:44.34ID:YD0udmnm
2012年(主日B年) 6月24日 洗礼者聖ヨハネの誕生
イザ 49:1〜6  使 13:22〜26  ルカ 1:57〜66,80

「幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。」(ルカ v.80)

今年はたいへん珍しく、洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日が主日と重なって、私たちはこの日固有の聖書朗読に耳を傾けます。
典礼暦には主日に次ぐ典礼日として、祭日、祝日、記念日が定められています。
祭日は主要な典礼日のうちに数えられ、その祭儀は前日の “前晩の祈り” から始まることになっています。
祝日と記念日は、祭日に較べて重要度が劣ります。

西洋美術のテーマの一つに幼い頃のイエスとヨハネが一緒にいる場面がありますが、素直に聖書を読むとこの二人はヨルダン川での洗礼の場面までは、全く面識がなかったようです(ヨハ 1:31 参照)。
今朝の福音朗読に配分されているテキストの部分は、ルカ 1:5-25 と共に、洗礼者ヨハネ単独の伝承であって、それが福音書が形成されていく過程でイエスの誕生の物語りと結びつけられました。
ヨハネをキリストの先駆者として理解することは、原始教会の宣教における基本的な要素であったからです。
0494老クリスチャン
垢版 |
2018/06/23(土) 12:57:47.62ID:YD0udmnm
(つづき)
父ザカリアへの天使の知らせ(ルカ 1:10-20)が実現して、ヨハネは誕生しました。
不妊の女で既に年をとっていた妻エリサベト(ルカ 1:7)から恥を取り去り(ルカ 1:25)、神が大いに慈しまれたことを、近所の人々や親類は喜び合いました(ルカ v.58)。
父親が天使に告げられたとおり(ルカ 1:13) 「この子の名はヨハネ」 と書くと、彼の口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めました(ルカ vv.63-64)。

「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」(ルカ v.66)というどこの家にもある子への期待が、救い主の到来と結びついて “主の道を整える、主に先立つ人”(ルカ 1:76)となって現実になったというのが、
原始教会の宣教のいつもイントロ(導入部)であったことを、私たちは聖書から聞くのです。

「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」(ルカ 2:40)というイエスについての伝承に倣って、「身も心も健やかに育ち」(ルカ v.80)と書き伝えられたヨハネの栄誉を、私たちは尊敬と羨望の思いで見上げます。

「この子には主の力が及んでいたのである。」(ルカ v.66、士 13:24、サム上 2:21,26 参照)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0495神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/23(土) 15:39:36.26ID:+WB4HtUP
>>1
受洗おめでとう。
0497神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/23(土) 23:59:51.74ID:+WB4HtUP
受洗おめでとう(。・ω・。)ノ♡
0498神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/24(日) 01:08:24.64ID:E8y9zWNd
カトリック教会で洗礼なんか受けるな!

受洗しても行かなくなる人もたくさんいます!
0499神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/27(水) 21:15:31.13ID:CT+FE7r2
受洗おめでとうございます!
0500老クリスチャン
垢版 |
2018/06/28(木) 12:38:08.88ID:88Ji1TqK
2006年(主日B年) 7月2日 年間第13主日
知 1:13〜15,2:23〜24  IIコリ 8:7〜15  マコ 5:21〜43

「生かすためにこそ、神は万物をお造りになった。」(知 v.14)

恐らく紀元前一世紀頃に書かれた “知恵の書” は、イスラエルに受け継がれて来た旧約聖書への有益な解釈を私たちに提供してくれます。
その一例を今朝のテキストに見ることが出来ます。

神が罪を創造されたのではなくて、罪は神の創造の御業に対する反逆ないし否定として入り込んで来たという理解が、ここで述べられています。
キリストは、地上に病や苦しみや悲惨や戦争のない平和な世界を造るために、民衆を教えたり各種の奇跡を行ったりしたのではありませんでした。
それらはすべて世界が罪に支配されていることの当然の結果であって、「罪の支払う報酬は死です」(ロマ 6:23)。

キリストは私たちを罪から救い、死を滅ぼすために(Iコリ 15:26)救い主として受肉し、十字架の血によって御自分の民を贖われました。
「私たちの主イエス・キリストによって(罪と死への)勝利を賜る神に、感謝しよう」(Iコリ 15:57)というのが、教会の信仰です。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0501神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/28(木) 19:46:47.73ID:W33ZrhRI
この度の受洗おめでとうございます!
0502神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/06/28(木) 22:12:23.10ID:56DpCKKY
洗礼ならぬ「除染」をした方がよさそうな信者さんも結構いそうな気がしますけどね?

【教会探し】行ってはいけない教会39【教会相談】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1523936973/

稀に見るインチキスレであるのが明白にもかかわらず
いつまで続けるつもりなのか・・・キリスト教嫌い、偽善者信者ネタ好きにとっては面白いけどね・・・
0503老クリスチャン
垢版 |
2018/06/29(金) 14:51:52.92ID:MFqXj7lG
2012年(主日B年) 7月1日 年間第13主日
知 1:13-15, 2:23-24  IIコリ 8:7〜15  マコ 5:21〜43

「恐れることはない。 ただ信じなさい。」(マコ v.36)

イエスの奇跡が指し示している意味を信じる、つまり “罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます” という信仰を教えるために、原始教会の説教者はこのヤイロの娘の復活物語りを語ったに違いありません。

「人々はイエスをあざ笑った」(マコ v.40)

多くの人が教会が宣教する “復活の望み” を嘲笑するだろうが、再臨のキリストは来て 「起きなさい」 と命じられる。
信じる者だけが神秘(Iコリ 15:51)を知ることを許される。
他の者たちは閉め出される(ルカ 13:25-29)。

死を “眠り” であると説明する新約聖書の表現を、現代人は軽視してはなりません。
“彼らは滅んでしまったのではない、ただ神が 「起きなさい」 と命じられる日を待っているのだ” と、教会は今も宣教し続けているのですから。
「また、復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟と、すべての死者を心に留め、あなたの光の中に受け入れてください。」(第二奉献文)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0504神も仏も名無しさん
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2018/06/29(金) 16:05:23.93ID:qN/d9Q+Q
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0505神も仏も名無しさん
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2018/06/29(金) 21:57:22.66ID:ltiiEb5k
みなさん、受洗おめでとうございます!
0506神も仏も名無しさん
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2018/06/30(土) 09:47:22.60ID:mSr5cOdd
どの集団にも、
驚くべき人が若干いますが、
カトリックも例外じゃない。
0507神も仏も名無しさん
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2018/06/30(土) 10:52:33.91ID:mSr5cOdd
みなさん、受洗おめでとうございます!
0508老クリスチャン
垢版 |
2018/06/30(土) 14:08:35.24ID:gc6P7dVY
2012年(主日B年) 7月1日 年間第13主日
知 1:13-15, 2:23-24  IIコリ 8:7〜15  マコ 5:21〜43

「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。 それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(IIコリ v.9)

これはエルサレム教会の窮乏を助けるための異邦人教会からの援助について、パウロが奨めている手紙の一節ですが、私たちはこれを世間一般の慈善と同じように理解してはなりません。
聖書のイエスを、ただの気前の良い太っ腹な主人のように考えるのと、「主イエス・キリストの恵みを知る」(IIコリ v.9)こととは、全く別のことなのです。
これはキリストの受肉の出来事を指していて、“神の身分でありながら、自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられたこと”(フィリ 2:6-7)、
“わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったこと”(ロマ 5:8)、“父なる神がわたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡されたこと”(ロマ 8:32)だからです。
エルサレム教会から始まった福音の宣教によって、異邦人はその霊的なものにあずかったのだから、今彼らの窮乏を助ける義務があるとパウロは言ったのです(ロマ 15:26-27)。

現代の私たちがミサのことばの典礼で、聖書を通して使徒たちと原始教会の宣教者の説教の片鱗に触れることが出来る幸いを、感謝しましょう。
私たち信者は、ことばの典礼を通して、善意と慈愛に満ちた美しいイエス物語りではなくて、そのために命をかけた使徒と殉教者の宣教を、確かに聞いているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0509神も仏も名無しさん
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2018/06/30(土) 14:18:59.84ID:jczRCx0l
>>508
『老クリスチャンの長文コピペについて』
  
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
   そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
   どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
   老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。

【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/
0510老クリスチャン
垢版 |
2018/07/05(木) 12:10:16.05ID:wHP0d82v
2006年(主日B年) 7月9日 年間第14主日
エゼ 2:2〜5  IIコリ 12:7b〜10  マコ 6:1〜6

「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほか何も奇跡を行うことがおできにならなかった。 そして、人々の不信仰に驚かれた。」(マコ vv.5-6)

マルコ福音書だけが語っている二つの率直な表現に、私たちの注意を向けましょう。
先ず第一はイエスが 「人々の不信仰に驚かれた」 という表現です。
“神様でも、ギョッとなさることがある” というユーモアだと思いますか?
そうではなくてこれは、イエスに対する故郷の人々の反応は “神の期待に応えるものではなかった” という意味です。

私たちは、いろいろな主張や見解を語りますが、神はそれらが相対的に正しいか否かではなくて、御自分の期待に応えるものであるかどうかを見守っておられると、この物語りは教えてくれます。
「信仰がなければ、神に喜ばれる(神の期待に応える)ことは出来ません」(ヘブ 11:6)とは、初代教会がイスラエルから受け継いだ基本的な理解でありました。

第二は、イエスが 「そこでは ・・・・・ 何も奇跡を行うことがおできにならなかった」 という表現です。
“神様にも不可能ということがある” と、いかにも分かったような説明がなされるとき、それがどれほど聖書の語る信仰の世界にとって異質なものであるかを、多くの信者は気づきません。
マルコ福音書が伝えるこの表現を “聖書の中の言葉” として理解することから、殆どの現代のキリスト者は遠く離れているからです。
0511老クリスチャン
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2018/07/05(木) 12:11:18.38ID:wHP0d82v
(つづき)
第三イザヤの叫びが聞こえるではありませんか。

「主の手が短くて救えないのではない。 主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。 むしろお前たちの悪が神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が ・・・・・ 」(イザ 59:1-2)。

初代教会がイスラエルから受け継いだこれらの基本的な信仰理解に再び目覚めることを、マルコ福音書は私たちに要求しているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0512老クリスチャン
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2018/07/06(金) 11:58:54.41ID:OI+DOT30
2009年(主日B年) 7月5日 年間第14主日
エゼ 2:2〜5  IIコリ 12:7〜10  マコ 6:1〜6

使徒パウロには、その身に一つのとげ(病気)が与えられていました。
彼はある手紙の中で、「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあった」(ガラ 4:14)と言っています。
使徒パウロはこれを自分が 「思い上がることがないようにと、 ・・・・・ 与えられた」(IIコリ v.7)と解釈しました。

人は本来、キリストの福音を学んだり、その宣教の一端を担うような働きをするときには、思い上がったりしないで、むしろ謙遜になるものです。
ところが実際には福音を学ぶことを軽んじ、それ故に福音とは無関係な “人間の単なる善意や善行” に励むときには、無意識のうちに思い上がるようになるものです。
いわゆる “外国伝道” の対象とされた我が国で、西欧のキリスト教の諸活動がそのような思い上がりを伴って行われて来たことを、心ある人は気づいていたというのは確かです。

カトリック教会も含めて、キリスト教諸派が伝道と称している活動の主な内容は、福音を真実に、より深く語ることではなくて、実際には自派の組織を拡大することでありました。
そのために教会は常に、社会的にも政治的にも強くなろうとして来ました。
建前はどうであれ、信者が聖伝と聖書によってキリストの福音を学んだり、信仰によって “神の国のしるし” を読み取るということは、事実上放置されて来たのです。

「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように」(エフェ 1:18)という願いが私たちの祈りとなるとき、
初めて使徒パウロの言っている 「わたしは弱いときにこそ強い」(IIコリ v.10)という言葉が、生き返ることでしょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0515老クリスチャン
垢版 |
2018/07/07(土) 12:05:21.62ID:/iIRmbBz
2012年(主日B年) 7月8日 年間第14主日
エゼ 2:2〜5  IIコリ 12:7b〜10  マコ 6:1〜6

「彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。」(エゼ v.5)

「預言者がいた」 とは、どういう意味でしょうか。
それは来るべきキリストを待望する神のことばが、確かに語られていたということなのです(Iペト 1:10-12 参照)。
そして、新約聖書では預言者という呼称は、まさにキリストの福音の宣教と結びつけて使われているのです(マコ 6:4、エフェ 2:20)。

ある意味でそれは、来るべき神の裁きを警告するということでもありますが、誤解してならないのは、預言者は決して審判者ではないということです。
特にプロテスタント系の原理主義的な教派の人々が、福音宣教ということを誤解して、自分たち自身がまるで審判者になったような気分で激しく糾弾するのに出会うことがあります。
インターネットサイトでは、むしろそのような過激な書き込みが氾濫していて、ただ見苦しいだけではなくて、かなり深刻な迷惑をまき散らしているのが実状です。
0516老クリスチャン
垢版 |
2018/07/07(土) 12:06:19.21ID:/iIRmbBz
(つづき)
神がエゼキエルを預言者として遣わされたその目的が見失われると、そこにはイスラエルの民に対する非難と攻撃だけが残ることになります。
そのように聖書を誤解し、そのようにキリスト教信仰というものを考えてしまう人たちが、実際には多いのです。

しかし私たちが、キリスト教的敬虔を誇るときにも、教会の宣教や奉仕活動に参加するときにも、決して “信じる者すべてに救いをもたらす神の福音を告げ知らせる” という、本来の目的を忘れることがありませんように。
そうすれば、私たちは使徒パウロと共に次のように言うことが出来ます。

「キリストがわたしを通して働かれたこと以外、あえて何も申しません。」(ロマ 15:18)

栄光が神にありますように(ロマ 16:27)。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0517老クリスチャン
垢版 |
2018/07/12(木) 11:30:16.10ID:FaNwE8YX
2006年(主日B年) 7月16日 年間第15主日
アモ 7:12〜15  エフェ 1:3〜14  マコ 6:7〜13

「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。 ・・・・・ 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、“秘められた計画” をわたしたちに知らせてくださいました。」(エフェ vv.7-9)

既にキリストによって贖われ罪を赦されてしまったのだから、最早悔い改める必要はなくなったと理解して、“悔い改め” を過去の入信の際の通過儀礼のように考えるなら、それは間違っています。
多くのキリスト者が “悔い改め” を、まだ救われていない外の世界の人々に教える伝道上の教義のように考え、自分たちにとっては最早かつてほどの重大さはなくなったと勘違いしています。

「わたしたちも、 ・・・・・ 以前は ・・・・・ 、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした」(エフェ 2:3)とは、決して過去の思い出のことではなくて、今やキリストによって贖われ救われた初代教会の人々の、現在の信仰宣言でありました。
イエス・キリストは、私たちが受けるべき終末の裁きを私たちに代わって十字架の上で自ら受けてくださったのであり、その担ってくださった罪は他ならぬ私たち自身のものなのです。
この恵みを知って救われたキリスト者だけが、真に悔い改めて福音を信じる者となります。

教会だけが、教会こそが、自らを神の裁きの対象としての “神の怒りを受けるべき者” であると理解し、悔い改めて福音を信じる民なのです。
“秘められた計画”、すなわち教会が御国を受け継ぐ約束は、使徒たちによる “悔い改めさせる宣教” によって私たちに知らされました(エフェ v.9)。
教会は、この約束を保証する聖霊で証印を押されている民だということを(エフェ vv.13-14)、感謝しようではありませんか。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0518神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/13(金) 06:57:37.48ID:5OSOzAx9
>>1

545 :神も仏も名無しさん:2018/07/12(木) 18:58:26.70 ID:W1vCSN0u

信じない者、受け入れない者は怒りの日に裁かれる。
イエス・キリストの信 によってのみ義とされる。
イエスをキリスト(救世主)と信じ、その教えに従う者は裁きを受けず、天国へ。
聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。
信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬ。
神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者は、この世ではその何倍もの報いを受け
後の世では永遠の命を受ける。
信じない者は滅びの宣告を受ける。
信じなかった者たちは滅ぼされる。
0519神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/13(金) 09:31:51.96ID:k8nv+0xd
974:神も仏も名無しさん 2018/07/12(木) 08:46:58.50 ID:W1vCSN0u
モーセやヨシュアと、麻原彰晃には共通点があります。
どちらも
(1)圧倒的影響力のある指導者が、
(2)宗教的理由付けによって殺人を正当化し、
(3)それを命令し、
(4)信奉者たちが、その命令にしたがって殺人を実践した。
(5)殺人命令を受けた信者たちは、もしその命令を
実行しなかったら、彼ら自身がひどい目に遭うであろう、と
脅されました。

自分の意志と神の意志とが食い違うとき、自分はどうするか。
アクセサリーとしてではなく、神のご意志を実行しようとする真剣な信者なら、
直面したことがある問題です。特に、聖書を神の言葉として、絶対の真理であると
信じる信者は、モーセの殺人命令について、真剣に取り組まねばならないはずです。
もし自分がモーセの率いるイスラエルの民の一人であったら、
自分はどうしたであろうか。もし、モーセの殺人命令に従っていたとすれば、
自分の行為とオウム真理教信者の行為と何処が違うのか。
考えてみなければならないはずです。
0520老クリスチャン
垢版 |
2018/07/13(金) 17:26:41.64ID:3JZk6i/Q
2009年(主日B年) 7月12日 年間第15主日
アモ 7:12〜15  エフェ 1:3〜14  マコ 6:7〜13

アモスは南王国に生まれ、北王国の聖所ベテルで、恐らく短期間だけ活動した預言者でした。
彼は相当の知識人であったようですが、宗教の専門家ではなく、まして職業的預言者でもありませんでした。

「主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、“行って、わが民イスラエルに預言せよ” と言われた。」(アモ v.15)

アモスにおいて初めて神の民イスラエルは、神の裁きの対象、“悔い改めさせる宣教” の対象となったのでした。(アモ 3:2)
現代のカトリック教会においても、このような宣教理解は、教導職に限らずすべての信者のものであるべきなのです(教会憲章33 参照)。

「今こそ、神の家から裁きが始まる時です」(Iペト 4:17)とは換言すれば、私たちキリスト者にこそ、悔い改めて御国の相続者とされる恵みが、先ず提供されているということです。
復活されたキリストは、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがた(の宣教)と共にいる」(マタ 28:20)と言っておられるのですから。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0521神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/14(土) 09:01:01.94ID:+sA+hnkS
受洗おめでとうございます!
0522老クリスチャン
垢版 |
2018/07/14(土) 14:30:49.82ID:zBZBCmKF
2012年(主日B年) 7月15日 年間第15主日

「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」(エフェ v.13)

すべてのカトリック信者は、洗礼、堅信、聖体の三つの秘跡(入信の秘跡/カトリック教会のカテキズム p.379以下)を受けて、現在の信仰生活を歩み始めました。
たとえそれがどんなに幼稚で初歩的な理解であったとしても、悔い改めて福音を信じるようになったこと、教会の信仰宣言を共に唱える会衆の一人となったことは、間違いありません。
そして確かに 「聖霊で証印を押されたのです。」

それで ・・・・・ 、私たち一人一人はそれ以来おおいに成長して、“あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされ、キリスト(の福音)についての証しがますます確かなものとなった”(Iコリ 1:5-6)かと言うと、
これは個人差がたいへん大きくて、一概にそうだとは言い切れないのが実情です。
0523老クリスチャン
垢版 |
2018/07/14(土) 14:31:56.02ID:zBZBCmKF
(つづき)
その福音の内容とは、先ず第一に私たちがキリストの血によって贖われ、罪を赦されたこと(エフェ v.7)、第二には秘められた計画(エフェ v.9)、すなわち私たちが御国を受け継ぐというという希望を与えられたことであって(エフェ v.14)、
この福音への信仰を宣言し、キリストの体である教会を造り上げてゆくこと(エフェ 4:12/教会憲章 32)と、この福音をすべての人に宣べ伝える使命(マコ 16:15/教会憲章 33)は、
神の民全体に(信徒、修道者、聖職者に平等に/教会憲章 30)委ねられた聖なる使命であります。

多くの教会の主日のミサで使われている “聖書と典礼” には、共同祈願の意向(例文)が掲載されていて、その中に 「わたしたちが ・・・ 多くの人に福音を告げ知らせることができますように」 という文章がかなり頻繁に登場します。
私は、この祈りを唱える当日の奉仕者が本当に自分で福音を理解しているのだろうかと考えて、あるいは心を痛め、あるいは主のあわれみを願わずにはいられないのです。

私たちはしばしば、“福音” “救い” “信仰” などというキリスト教のイロハが分かっていない、理解出来ていないということを、白状せざるを得ないのではないでしょうか。
だからこそ、今年の10月11日から始まる “信仰年” が告示されたのです。
教皇ベネディクト十六世の次の言葉は、世界中の司教たちや司祭たちは言うまでもなく、私たちすべての信徒への呼びかけでもあります。
「主が与えてくださったこの霊的恵みの時に、信仰という尊い賜物をわたしと共に思い起こしてください。」

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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