マインドフルネス瞑想 Part3 [無断転載禁止]©2ch.net
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マインドフルネス瞑想は、元々宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、さらなる元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
本館(メンタルヘルス板)
【瞑想】マインドフルネス 4【気づき】©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1480917482/
前スレ
【瞑想】マインドフルネス 別館 Part.2 【宗教的話題も可】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1476200516/ 乙です。
やはりちゃんと次スレ立ったほうがいいですね。 あなたは瞑想に何を求めますか? 広い意味でのトラウマからの解放ですか?
能力の開花ですか? 神秘的な体験ですか? 人とは違うという自信ですか?
悟りですか? それとも消滅ですか?
天国への転生ですか?
何かがおかしい しっくりこないことに対しての答えですか? なーんてね 数息観で出来るだけゆっくりと呼吸しながら呼吸の数を数えたら
吸って吐いてを1回として5分間で10回
つまり30秒で1回の呼吸だったけど大体こんなものなのかな? 旅行を楽しみにいろいろ計画立てて、流れてしまうのも未熟なのでしょうか?
人として楽しみは保有するべきではないのかな? >>8
楽しみを保有するというのが無明のうちにいるのである
楽しみという無常なる想念は
私のものではない(保有するものではない)
私ではない、
我がアートマンではない、
と明らかな智慧を持って観るべきなのである >>8
旅行が流れてしまうこととあなたの未熟さは何の関係もないw
楽しみを保有するのも、捨てるのも、手を握るか開くかくらいの問題で、
どちらも大差ない
保有するしないに捉われず、楽しみなさい >>8
> 旅行を楽しみにいろいろ計画立てて、流れてしまうのも未熟なのでしょうか?
> 人として楽しみは保有するべきではないのかな?
過去ログや関連スレでもおなじようなこと何度も質問してない?
ログ掘り起こしてきてもいいけど
楽しみだとか、計画を立てることだとかがマインドフルネス瞑想と相反するものだとは思わんけどね
相反する、納得できねぇ、て言うんならわざわざ関わる必要もないのでは 何回か見たな
その人はそういう質問をすることが「楽しみ」なのかもしれないな >>13
阿字観瞑想や写経が体験できる高野山カフェの参加者は女性が多いぞ
https://youtu.be/9r2GQFQFfFQ 悟りを開く人(お釈迦etc)はとても偉いよね。
四六時中、何年も座るわけだから。
ちょっと瞑想してのマインドフルネスとは大差あるよなあ。 >>15
悟ったあとでも人付き合いなどで煩わしさを感じたりしたら石窟とかにこもって瞑想していたみたいだね。
あと達磨大師は瞑想に快楽を覚えて瞑想病になってしまったとの説あり。
三昧に至るとドーパミンがドバドバでるというしなあ。 まあ 偉いという感覚はわかるけど 実際目覚めた師匠達は不安 恐ろしい 知りたい 気持ち悪い!って感覚を解消しようとして
超個人的に自分だけのために足掻いただけだと思うよ それを後世に伝えてくれたことが有難いであります 瞑想していると妄想がどんどん出て来るのですが
タグつけて1つ1つ丁寧に観察していけばいいんですか?
呆れるくらいに妄想が出てきます
人の動きを感じる→妄想
人の声を感じる→妄想
自分が妄想するパターンはなんとなく掴めてきました
前途は多難ですが精進します 22.名も無き哲学者
脳科学的には視界を遮断して深く呼吸をするというのがいいらしいぞ
ただ、その理屈でいうと瞑想するくらいなら
その時間寝て、2度深呼吸する方がずっと効果あるそうな
23.名も無き哲学者
瞑想は20分ぐらいは、すぐ出来る様になるんだけどさ
終いにゃ、一時間くらいやんないと満足出来ない様になる
よっぽど生活に疲れて切羽詰まってるとかじゃないと、結構時間の無駄なんだよな
111.名も無き哲学者
マインドフルネス瞑想するなら禅寺で坐禅したほうがいいよ
宗教色を無くすとか言って、実際にはアメリカ式ヨガと一緒で2500年の経験則をドブに捨ててるだけだから
ヴィパッサナー瞑想の僧も見放してる
「キャッチボールは体にいいよ、野球すると怪我するけど!」てなもん
禅では必ず師匠につけってことと魔境というリスクについて口酸っぱく教えてるのに、香山リカとか「リスクがないから一度試すといいよ」とか言っちゃうから
実際、アメリカではもうブームが去り、効果のある人はジョブズ見習ってZEN教室に移ってる
144.名も無き哲学者
他にもコメあるが瞑想の類は安易に手を出すと危険だよ。
健康にいいからとか、超能力を開発するとか、
利己的な欲望のために利用しようとする人には特に。
多くの人にとって神棚や仏壇、十字架に手を合わせる方が良い。
祈る対象があることで謙虚な気持ちになれるから。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/lite/archives/5115920/comments/14/ >>19
感情や妄想を観察するって、どうもおすすめできないな
個人的には、呼吸とか、日常の動作とかから
始めた方がいいと思う
妄想はいくらでてもいいって感じで >>19
おめでとうございます 自分がこんなに支離滅裂だとは思っていなかったでしょう? 面白いと思いません?
人の気配 →異性の想起→好きな人の想起→あ また妄想が始まったという一瞬よぎるマイナスの感覚→sexの妄想→満たされていないという感覚 例えばですが 感覚が出てくる瞬間 変わる瞬間を観察! それから瞑想が進むと今の悪いAという状態からBという良い状態へ変わるというよりは
ずっとAに留まってAが大きくなったり小さくなったり色が変わったり薄くなったり というイメージの方が良いかも
Aの状態に快不快はあっても良い悪いは無いと思いますよ〜 >>25
ごめんなさーい
性行為の話は好ましくない と感じられるということは ヨーガ派の方ですかね? そっち方面は疎いので興味あります! スーパースレ違いなんだけど質問させてください
マハシ瞑想センターにメールしたら(メールアドレスこれ→mahasi-ygn@mptmail.net.mm)
@gmail.comからメールの返事が来たんだけどこれに個人情報送って大丈夫かな
なんかマハシ瞑想センターのHPがハッキングされてますってウイルスソフトがいってくるんでびびってます ちょうえつみたいに宗教色が濃くなさそうでいいね
お布施みたいな金額にビックリした 元気な小学生たちに
瞑想教室、座禅体験とかやらせても さっぱりわかんね つまんね な感じになるだろうな
我慢して目つぶってみるも、
隣の子と顔を見合わせて薄目で笑い合うみたいな
つまり病んでないと瞑想って意味ないというのはありそう。
病んでるやつ は何かしら得るところがあるのだろう。
方法論とか宗教論とかの細かい話に行くよりも
まずはただやってみる
感じてみる
ってのでいいのだろう。
細かい話が病みになってしまっては元も子もないし。 自分の知ってるあるサンガで子ども中心の集まりやってるとこあるよ
親同伴でほぼ丸一日
みんな素直にやってたけど最近ご無沙汰してるのでいまも続いてるのかどうかは知らない ティック・ナット・ハンのプラムビレッジに子供向けのプログラムがあるとこから来てるらしい
子どもを参加させるということについては、それなりの思想なりがあったと思うんだが
これも自分はよく覚えちゃいない 脳のトレーニングとか知育とか慈悲の精神を育むなど意味はある 子供って親が絶対なとこあるから、瞑想にはまってる親に瞑想やらされてて「素直にやってる」子供もいるかもな
あとはほんとにやりたくてやってる子供もいなくはないだろう
自分は子供のころ小学校の校庭で毎日のように泥だんごひたすら作ってた
ある意味瞑想かもねw あと子供の生活って睡眠とか学校や家での活動とかで習慣が出来あがってて
それは寺のお坊さんの生活とある意味類似性がある
規則正しい生活(定例的な日常の作務や仏事)
瞑想や宗教の細かな話にのめり込んでああだこうだ考えたり、議論したりして、そういう基本的なことが出来てないような本末転倒には注意したい
まあ俺のことなんだが デジタルデトックス is モハヤ メイソウ
デジタルコチコチ ネガティブシングス
It is バランス 何かメンヘル板とこっちが逆転してる感あるな
自分がしたような話はメンヘル板が合ってて、こっちはそもそも宗教的な話をするところだからそれで問題ないわけだ 去年がってんでも取り上げてたくらいやり始めた人が多そうだね
他の瞑想会社は焦ってそう >>34
あ、いやそういう一般的に考えられる意義とかでなく、
ティック・ナット・ハンとかそのサンガが子どもを参加させるにあたって考える意義、思想っていう意味 「瞑想会社」(笑)
ある人もここ最近(多分一年かそこらくらいのこと)マインドフルネスブームだって言ってるけど、
自分はそんなことないだろうと、もう何年も前からとっくにブームになってんじゃないのって思ってんだけどな 何かスマホでメイソウと打ち込んだら出てきた知らなかった言葉
めいそう-じょうき【明窓浄机】の意味 新明解四字熟語辞典
明るく清潔で、落ち着いて勉強できる書斎の形容。
「自分の脳のメモリー、机は
自分が見ている2chやネットは
明窓浄机だろうか」みたいな
上手くつながるもんだ マインドフルネスなんてカバットジンの頃から知る人ぞ知るって感じだったし
熊野教授がガッテンに最初に出たのって2012年だよ?
ティック・ナット・ハンが来日してリトリートのいつよ?
グーグルがマインドフルネスをもとにした研修プログラム採用したのも、
それが各マスコミでとりあげられたのもう何年も前 まあ、結局は、何の趣味も特技もない人たちがやるもんだから >>46
あんた、レス適当に書いてるだろw はっきり言って不快だよ、あんたのレス >>47
カリカリしすぎだろ
ほら、瞑想しろよ貧乏人 >>48
なんで「貧乏人」?意味分からないなぁw 煽るんならもう少し効果的な煽りを入れてくれんかな
カリカリしすぎっていうのも意味分からない 極めて落ち着いてるよ
楽しく書き込みしてますよ 剣禅一如なんて言葉もあるし、そのうち、スポーツでも取り上げられるかもしれないな。 >>51
おたくみたいな人ににお前よばわりされる覚えもないし、
おたくみたいな人に知ったかぶりで「気づき」が必要なんていわれる覚えもないですからw
そろそろ皆さんのじゃまになるから、話したいんならメールで二人っきりで話そうや >>54
びっくりしたよwスピーカーの音をメー一杯にしていたからなぁ。
>>55
健禅一如いい言葉だ。感動した。小泉さん風 「心」と呼ばれているものは、真我に内在する驚くべき力である。
心はすべての想念を起こさせる源である。想念がなければ心のようなものは存在しない。
それゆえ、想念が心の本性である。想念がなければ世界と呼ばれる独立した実体は存在しない。
深い眠りのなかに想念はなく、世界もない。クモが自分のなかから糸を出し、それをまた自分のなかに引き入れるのと同じように、心は
それ自身から世界を投影し、再びそれ自身のなかへ還元させる。
真我のなかから心が外に出るとき、世界が現れる。それゆえ、世界が現れているとき、真我は現れない。真我が輝いて現れるとき、世界は現れない。
人が絶え間なく心の本性を探究しつづけるならば、
心は真我をあとに残して死滅するだろう。「真我」と呼ばれているものは、アートマンである。心はつねに何か
粗大なものに依存することによってのみ存在する。それはひとりであることができない。微細身あるいは個我(ジーヴァ)と呼ばれているのは、心である。 >心はすべての想念を起こさせる源である。想念がなければ心のようなものは存在しない。
心が源なんか想念が源なんかどっちやねん 初心者です
DVDやyoutueでいちばん効果が出そうなのを教えてください iPhone「マインドフルネス・アプリ:みんなのための瞑想」 >>60
それ有料だよね
アプリって最終的には有料に誘導するから 「DVDやyoutubeでいちばん効果が出そうなの」って表現なんか引っかかるな
マインドフルネスとか瞑想ってそういうモンなのか?うまく言えないけど 「モヤモヤ」←いま>>63で感じたものにサティを入れた ゴエンカ氏の瞑想、スマナサーラ師の瞑想、ティック・ナット・ハンの瞑想、
その他の瞑想法なかでいちばん効果が出そうなものなんですか?っていうのもなんか変だよね
で、DVDやyoutubeでいちばん効果が出そうなのなんですか?っていうのは
それに輪をかけて、と言うか別方向のベクトルも加わって変だよね?ああモヤモヤする なんでティック・ナット・ハンさんだけ尊称なしやねん
そこがモヤモヤするわw >>62
このインストラクターは呼吸の観察において腹の膨らみや凹みではなく
鼻を流れる空気の流れや温度や香りを観察するやり方を挙げてるけどこちらの方が集中が途切れにくいかもしれない 昔会社の人がtmやってたけど
あの高額支払うシステムに嫌悪感があって
瞑想そのものを避けてきた
マインドフルネスに食われるだろうね
ビートルズよりグーグル >元気な小学生たちに
>瞑想教室、座禅体験とかやらせても さっぱりわかんね つまんね な感じになるだろうな
それは思う。7日の接心を受けたことがあるが、俺なんかは坐禅が始まると自然に
ストーンと静寂にはいれるが、坐禅中にごそごそしておちつかないおっさんがいて、
「こいつ、どうしようもない奴だな」と内心思っていた。
接心が終わって茶話会になると弁舌爽やかで非常に知的なので驚く。あとで聞くと
なんと大学教授だというので2度びっくりした。
精神が活発で元気な人は坐禅とか向かないと思うな。w
もう精神も肉体も死にかけたようなのが坐禅には向くと思う。
もともと悪ガキで大人になってもなにか悪さをしてたのが、瞑想をして改心したような
人がなかなかいい。5歳から坐禅修行して指導者になったようなのは糞坊主が多い。
そんな気がする。
チクナットハンなんかも幼少は糞餓鬼で成人してはベトコンの勇敢な闘志だったのだ
が、なんか心に引っかかるものがあって瞑想をして改心した。それで、ああいう魅力的
な成長をしたのだろうと思う。まあ半分想像だが、、、、 ティック・ナット・ハン氏はベトコンだったのか
それは知らなかった いやベトコンだったか反戦社会運動家だったかそれは知らん。想像だ。w
ただ勇ましく戦ってる姿は報道写真かなにかでみたことがある気がする。たしか
そんな気がするw だいたい宗教家なんて出自はスパイや工作員だろ。そんなもんだろ。w
でなければわざわざ外国くんだりまで出かける必要もなし。 >初心者です
>DVDやyoutueでいちばん効果が出そうなのを教えてください
映像というはいいな。本性は表情や所作を見るとよくわかる。やはり落ち着いてる
人は文章にもそれが滲みでてくるから本でもわかるけど、本は代筆が整えるし
推敲を何度もすると粗雑なところをそぎ落とすことができるので、眼力がないと
見抜けないこともある。
しかし所作を見るといい加減なやつは簡単に見破れる。w
電気のスイッチを入れるとか、本をたたむとか、ほんのちょっとしたところにボロ
がでて意外なところで本性が見えたりする。
その点お花の先生とかお茶の先生は意識が隅々まで行き届いていて所作の美しい
人が多い。瞑想なんかをやるよりはお茶を習う方がいいんじゃないかな。坊主は
ろくなのがいない。(ような気がする。w) >>72
想像で書くなよ
気がする、で書くな
無責任な奴だな >59
これなんかどう
https://www.youtube.com/watch?v=Uq-FOOQ1TpE
知的精神が旺盛だとこういう感じだ。こういうのが好きだな。
死んだ精神も探してみるな。ちょっとまて、 >75
1950年に禅の道場を創設。ベトナムで初めて、僧の授業に外国語や西洋の科学、
哲学の学習を導入する[2]。
ベトナム戦争中は、僧院の中で修行を続けるべきか、あるいは僧院を出て爆撃
に苦しむ人のために行動すべきか考えた末、戦禍をくぐりながらその両方を行う
ことを決意し、いわゆる「行動する仏教」の指導者として、被災者や難民の救
済を行う。1964年以降、病院や社会福祉青年学校、ヴァン・ハン仏教大学、ティ
ェプ・ヒエン教団などを設立し[2]、
孤児たちの社会的支援や、死体の回収などを行なった。 いや、そんなWikiのコピペとかいらんから
>>74
>しかし所作を見るといい加減なやつは簡単に見破れる。w
それお前のことだろ ベトコンは正式には南ベトナム解放民族戦線のことで
戦線は、諸抵抗組織の緩やかな連合体であり、以下の政党・団体等が参加した[8]。
---政党そのた---
ベトナム人民革命党[9]
南ベトナム急進社会党[10]
南ベトナム民主党[11]
解放労働者協会
解放農民協会
解放婦人連合会
解放学生・生徒連盟
解放青年同盟
人民革命青年団
解放作家芸術家協会
愛国民主ジャーナリスト協会
旧抵抗戦士協会
愛国軍人家族会
解放赤十字社
---宗教団体---
南ベトナム仏教会
愛国キリスト教徒協会
ホアハオ教
諸派
アジア・アフリカ連帯ベトナム委員会
民主法律家協会
タイグエン少数民族自治運動 南ベトナム仏教会もベトコンの構成員ではあるから、記憶はあながち間違いではないと
思う。 南ベトナム仏教会を南ベトナム解放民族戦線を構成する団体とみなしたとしても
ティク・ナット・ハンをベトコンと考えるのは飛躍があるだろう
うえの人も書いてるけど、書いてることがいい加減すぎ >>61
「それ有料だよね」
って触ってもないのに言うな。
無料部分だけでマインドフルネスのやり方ちゃんと分かるし、
タイマーもフル機能使える。 >>84
あなた、どんだけの瞑想会を知ってるの?その運営状況知ってるの?
「結局」とか書くんだから、実状をよほど知ってるんだろうね
ご教示お待ちしております >>84
一例として、ゴエンカ氏の団体の合宿がどういう運営してるか、あなた知ってますか? 瞑想教室は玉石混淆なのは確かだろうね
流行りはじめの今みたいな時期は特にそうだろう
出版されてる本にも中にはマインドフルネスと引き寄せの法則(笑)が
セットになってるのもある >>87
>出版されてる本にも中にはマインドフルネスと引き寄せの法則(笑)が
>セットになってるのもある
意外とそれが本当に効果があるのかもよ? 平井堅「僕の心をつくってよ」
なにを他人に依存してんねん
自分の心は自分が作るんやろ?
桔梗が丘は泣けたけど >一例として、ゴエンカ氏の団体の合宿がどういう運営してるか、あなた知ってますか?
知らん人は知らんよ。関係ないんだから
知ってないと駄目なんか? チクナットハンも知らん人は知らん。
知ってないと駄目なんか?
知ってないといい加減なんか? じゃあどれだけ自分が知ってるのよ。
それより、自分が知ってることを完全だと思い込んで
相手が徐々に理解していことしてることとか
訂正の機会も与えようとしない。
そういうとここそ傲慢ではないのか?
自分が知ってることがあれば教えればいい。
相手が間違っていれば訂正すればいい。
でもいい加減な理解しかしていないから逆上するするしかない。
正しくても逆上でしか説明できないなら
それは傲慢でしかないとおもうよ。それが正しくてもね。 自分が逆上しているんじゃないの?
怒りまくってるよな?
自分がまいた種なのに >知ってないと駄目なんか? チクナットハンも知らん人は知らん。
知ってないと駄目なんか?
知ってないと駄目なんじゃない
知らないことを知ってるように話すことが駄目なんだよ 仏教では偽りは犯罪より重い罪と言われてるのになんなんだろう >知らないことを知ってるように話すことが駄目なんだよ
じゃあ瞑想をしってるのか?
しってるのか? しってるのなら罵ってないで説明したらいいだろ。
しらないのか? じゃあ知らないのなら喋るなよ。 >仏教では偽りは犯罪より重い罪と言われてるのになんなんだろう
偽りってなんなんだよ。
お札を売って「家内安全」って、なんの根拠があっていってるんだよ。
嘘なのかほんとなのかはっきり白よ。嘘なら罪になるんだろ。
仏教ってそんな脅しを本当にいってるのか? 本当にそうなんだよな。お前は
確信をもっていえるんだよな。
それが嘘なら罪だぞ。仏教がどうこうというよりもお前がそう決めてるんだろ。
それは罪だと。な。 >犯罪じゃない。殺人
そうやってお前等は簡単に人を殺人呼ばわりする。罪だとかなんだとか勝手に
妄想で作り出してな。
なんでやすやすと平気で殺人者呼ばわりする? 何の権威によってかな?
釈迦の権威によってか? お前等釈迦の力を借りてなんでも好き放題いいだす。 知らないことを人に喋ることで知ることになる。表現してみて初めてわかるというのが
最も普通の理解の方法だ。できないことをやってみる。分からないことを言葉にして
みる。そうすることで理解ができる。
瞑想しても解ることにはならない。瞑想しても悟りは絶対にない。本当の悟りは言葉を
介して人が返してくれるものだ。それが悟りになる。 釈迦のさとりは自分の言葉ではないと釈迦自らはっきり言っている。先立つ7人の覚者
の教えだと。 先立つ7人の覚者の教えとは誰からの教えなのだろうか? それ以前の
覚者の教えだ。じゃあその前の前の覚者はだれなんだ。悟りというのは覚者の教えじゃ
ない。悟りのほんとうの中身はコミニケーションだ。
コミニケーションの中で悟りが生まれている。覚者が悟ったのでない。
本質はコミニケーションだ。 大事なことはそのめんどくさいところにある。そこをはっきりと見ないから
権威に溺れる。なすが儘になる。考えずに権威に従う。しかしその権威はいつの間にか
悪魔にすり替わっている。「正しいこと」という名のもとに悪行を平然と行うようになる。
「釈迦がこういった」というのは、言葉とは裏腹に悪行の口実になっている。 >>93
例えば、宗教の嘘で集団自殺から戦争まで起きてるでしょ?
そして、嘘は継承されていきます。恐ろしいでしょ?
ブッダが言うことも嘘だから罪だろ?と言う人が出てきますが、否定できるなら間違いを教えてくださいというのがブッダです。 最近TEDでモニカ・ルインスキーの講演を聞いたが、まさに世界中の誰もが彼女に石
を投げつけた。権威あるありとあらゆるメディア、宗教者、知識人がいた。もちろん
その背後にはそれ等の権威者を指導してきたメンターがいてさらにその背後には
キリストも仏陀もいたのだ。
もちろん一部には冷静な人もいただろうが、結局のところ仏陀もキリストも彼女に
石を投げつけて売女、淫売呼ばわりしたのだ。
いま冷静に考えてみると、それがどんなに過酷で酷いことだったかが解る。そんな
ことが、悟りがあって、何十万年も積み上げた知識や知恵があっても平然と行われる。 権威とはこのように危ういものだ。権威そのものが危ういというよりも、言葉が
簡単にすり替わるからだ。すり替わった言葉が暴走する。
釈迦のいう正思、正言とはどういうことだろうか?なにが本当に正しいことなのか?
それを追求する前にまずは、このすり替わりを防ぐことが最も大切なことだ。
それは自分の頭でハッキリとやる以外にない。 正言なんてお釈迦さんは言ってないけどな
もし言ったとしたら
「チクナットハンなんかも幼少は糞餓鬼で成人してはベトコンの勇敢な闘志だったのだ」なんて己の妄想で語らないことかもな
嘘つきが必死で自分を正当化しても見苦しいだけだぞ 幼少気にクソガキの方が偉人になりやすいという意味で書いてると思うが、文章
を正確に読めないようだな。
基本的に粒度の荒いイデアから出発して徐々に絞り込むということをするのが、
普通の方法だ。そのはじまりで逆上して受付けないというのでは瞑想なんて絶対に
無理だと思うぞ。あたまを柔軟にして先入観なしに捉えることができないようでは
どうしても、他人の思考に依存する。口車に乗るだけになる。それは悪の拡声器の
働きをするだけだ。 お釈迦さん。w
釈迦でいいだろ。
利用しようとしたり、依存しようとするのが見え透いている。
通常は釈迦だろ。常識の無い奴だな。 嘘つきのお前と違って
平気で嘘をつかないくらいの常識は備えてるけどな >113
お前は嘘つきではないし、最近の仏教の本質はお前のような体質と考え方そのもの
だな。
お前はまさに正真正銘の仏教の輩だ。お前がまさに仏教を代表している。 「正確に読めない」のはどっちだって話だよなぁ
コミュニケーション能力のないやつが盛んにコミュニケーションについて語ってら
陽気がいいと、おかしなのが湧いて出るなあ これを糞坊主といわずになんと表現すればいいんだよ。w 人に「さん」をつけたら常識がないって
どういう思考をしたらそういう考えが出てくるんだろう?
ちょっと頭がおかしい人なんだろうな 人に「さん」をつける人間よりも
呼び捨てにする人間のほうが常識があるのか?
病院なんかで呼ばれた時にも
「さん」をつけて呼ぶなんて常識がないって怒るのか?
まあ息を吐くように嘘をつく、常識のないお前ならやりかねんか >>107
八正道の正思惟では離欲の思、怒りのない思、仕返しをしない思。
正語は嘘、噂、粗悪語、無駄話をやめることです。 >呼び捨てにする人間のほうが常識があるのか?
呼び捨てではなくて、それが常識。
お聖徳太子さんは大化の改心をしました。なんていわんだろ。w となりの道子さんやサザエさんを呼ぶんじゃないからな。釈迦にさんづけなんて
するのは非常識。よくおぼえとけ。 自分の子供が人に「さん」をつけたら常識がないと怒るのか
そんな非常識な親に育てられたら子供はかわいそうだな
「お釈迦さん」のどこが常識がないのかわからない >「お釈迦さん」のどこが常識がないのかわからない
ほんとうにわからんの?
お母さま、お母さんは身内や家の中で使う。だからお前等坊主が僧院のなかで
お釈迦さんっていうんはOK。
外に出たら母はっていうだろ。それと同じだ。だから釈迦だ。
外でもお母さんと呼んでいいのは稚児。まあ5、6歳までだな。おれは三歳の
ころから
母は、、、、っていってたよ。
おまえまさかいまだにお母さんは、、、って外でいってるのか? 親しみやリスペクトがあるから「お釈迦さん」と言う
普通に言われてる言葉なのに
嘘つきの愚か者はそれを「非常識」だと捉えるんだな
人を坊主って決めつけてるのは、統合失調症でも患ってるのかな? 信者や坊主でないならなおさらだ。リスペクトは人に強要するものではない。
気持ち悪い >>126
キチガイさん、そろそろこっちの板にでも移動してくんない?
電波・お花畑 http://hanabi.2ch.net/denpa/ 一般的な敬称だし、安倍さん、池上さん、お釈迦さん、何の問題もない >>99
悟りとは何か論は置いておくとして、
何げにこれは深いと思う
ソクラテスも対話を重視したそうだ
匿名ネットでの千の表面的なやり取りより
リアル世界で信頼出来る人との対話、
自分をさらけだした吐露、叫びに対する意味的には当たり前の素朴な語りかけ一つが人生を変える救いになることもあると思う とりあえず、スレタイ読んでから書き込んでくれないかな >>88
自己暗示という意味できっと効果はあるだろうとは思う
けどその説明がオカルトなのが萎えるんだ
特にそういうこと言う教室があったら絶対に行かない ここってなんの板なんですか?w
もしかし自我が暴れまわるのを観察するための観察場所? うーんw 本館の方がいいのかもしれませんが
今日立つ瞑想してて急に自分が広大な土地に立っている感覚がありました。
目を閉じているので何も見えないのですが感覚としてものすごく広い土地に突っ立っている、そんなイメージでした >>138
そう感じたり 自分が視覚聴覚だけ残して無くなったような感じがしたり色々ありますが 気にせず拘らずが良いと思いますよ 瞑想してマインドフルネスになろうとしてるのに掲示板で煽り合いするとはこれいかに マインドフルネスのスレなのに・・・っていうそんなレスのほうもウンザリですわ
自分はたかみにいるふうを装ってる感があるだけに、煽り合いのレスより鬱陶しくすらある >>138
それ不思議のアリス症候群みたいな感じ?
自分が小さくなった感じというか周りがグンと広がった感じというか 自我(自分)は世界の中の一欠片であるとか、世界を超越したところにもう1つ世界が見えたりするけど、全部妄想なんだよね 自己暗示だか妄想だかだろうけど、
だいたいヴィパッサナーとかマインドフルネスとかの目指すものとは違うもんだよな
ほかのおかしげな瞑想のスレと勘違いしてんじゃないの? >>144
所謂現実とやらも妄想だってわかってくるよ マインドフルネス的には泥棒しながらでも喧嘩しながらでもできるので 世界と一つになった!って瞑想しながらでもできる
ようは 鍵を壊そうとしてドキドキしている 相手が鼻から血が出て胸がスカッとする
瞑想が進んで嬉しい でも幻かも?
これを細かく見ていくだけのこと 全部妄想というのは簡単だがそうするとマインドフルネスも妄想だ。細かく見ていく
のも妄想だ。 8 走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想をのり越えた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
10 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
11 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
12 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
13 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 そうだよw 全部妄想なんだけど その妄想が妄想に苦しんでる状態が普通の人間だっていうところがミソなんだよ
色んな瞑想があるけどこの方法なら7割以上の人が現代でも次々と目覚めているって無いでしょ? 各時代の覚者も道は結構バラバラ だから方法に拘るのも迷い 役に立つ方便 合う方便があるだけだわ >>145
ヴィパッサナーの入門書にすら、そういう妄想(雑念)はあるものだと買いていました >>151
そういう妄想が出てきても、それがヴィパッサナーの目指すものとは違うでしょ? この世の中は幻想の世界(マーヤ)であり、神の世界(真我)から人(個我)は遊びに来ているのです。
その神の世界から遊びに来ている世界、それがこの世界(幻想の世界=マーヤ)であるということです。
「この世界はマーヤーである」、では、マーヤーで生きる目的は何でしょうか。
その目的は、遊び楽しむことであります。
いわゆる、ただ遊んでいればいいということでの”遊ぶ”ではなくて、
五感や六感、またはそれ以上の何かを観じて味わい尽くす事が生きることになります。
今起こっていることを味わい尽くしていくことがマーヤでの遊びなのです。
それを少し表現を変えると”いまここ”という言い方にもなるかと思います。
瞬間瞬間に新しく生まれでる世界を味わい遊ぶことが、そのままヨガの実践になっていきます。 >>152
それについての対処法も勿論書いてましたし、目指すところが違うのは分かっています まぁ、そんなものが見えたとして「お、俺、ひょっとして悟っちゃった?! 解脱しちゃった?」
なぁんて考えるイカレトンチキはいないだろうけどね >>153
あなたは、何について語っているのですか? まあ色々難しい事もそれはそれで真実の一面ではあるのだけど・・・
要するに、妄想だって看破し易いものと看破し難いものがあるから、看破し易いものにフォーカスしましょってだけ
たまに心の作用で看破し難いものが湧出してくるけど、迷わず看破し易いものに戻ってればいい、それだけのこと >150
何処が味噌かわからんな。ビパッサナが妄想なのに妄想に優劣とかあるのか?
そもそも苦しむのは不味いと考えるのは非科学的だよな。わざわざ苦しむ機能が
備わってるのは進化の過程で必要だから獲得してきたわけだ。それなら苦しみは
人生に組み込んで理解しないといけないよな。
だって苦しみがないなんて死んでる状態か死にかけの状態だろ。例えば青年は
性の苦しみを味わうが、老人は枯れてるからそんなのはピッともない。だから老人が
理想ってことにはならない。w >青年は性の苦しみを味わうが、
そうか?
それはお前みたいなブサイクに限ってのことじゃないのか?
イケメンだったらモテすぎてつらいくらいのもんだろ >159
頭が悪いと嫉妬するだろ。その苦しみが一番つらいだろうな。俺には分からんが、、 >160
お前の場合はマスタベーションの苦しみだな。 >>162
それはお前みたいなブサイクの唯一の楽しみだろw 集中力が付くとか嘘もいいとこ。
はんだ付けのオバサンほどの集中力もないと思う。0.5mmの抵抗とか10個もつけたら
うんざりするが、毎日毎日2000個くらいつける人もいる。それを何年にもわたって
やる。
瞑想のベテラン坊主にそんなことやらせたら、3日坊主だな。w
集中力とか馬鹿も休み休みえいえと言いたい。
テニスの集中力はテニスでないと付かない。勉強の集中力は勉強でしかつかない。
そもそも集中力は思考力の一部だから汎用的な集中力なんてあるわけない。w
坊主にテニスをさせてみたらすぐわかる。させてみなくても解る。w まぁ…こういう人も社会の一員なので…w
できるだけ見守ってあげたいよね 嘘をついてしばかれ、リベンジにきてしばかれ
アホな例えでまたしばかれてアンチに変身てとこか ビパッサナをやって上達するのはビパッサナだけ。当然なのに。w ビパッサナでピアノが上達するわけないのに、この至極かんたんな真理がわから
ないとは。
ビパッサナをなにか魔法のツールのごとく考えるから当たり前のことを言って
いるのに反発が生まれる。 ドヤ顔で語ってるとこ悪いけど、このスレだとヴィパッサナーの目的がヴィパッサナーだって知ってる人の方が多数派かもよ >>144
否定されたから否定されたことについて理解してることについて補足していっただけでどんどん初心者みたいな扱いになるしね まあ色々思うところはあるとは思うけど 本来の瞑想の世界は世捨て人 ヤクザな世界
だけど多すぎる思考を減らして楽になりたい的な目的にも上手く使えば役にたつ(立たないこともない) でもやっぱりマラソンとか適度な運動じゃダメなの?と思ってしまうw トムクルーズが入ってるとことか良さそうじゃんw能力開発なら 目的が世間的なら、そら世間的な方法の方が役に立つわな
瞑想の根本は出世間的な目的なんだから >174
出世間なんて無理でしょ。無理してやってるってのがもろ出る。バイタリティーの
ある人ほどそうなる。もともと枯れてる人はビパッサナなんて思いもしないしやり
もしない。精力過多な人が精力を抑制して代償として妄想や幻覚が見える。それが
悟り。 >>164
ハンダ付けの仕事をしていて毎日2000個くらいハンダ付けが苦もなくできる人はマインドフルネスの必要はない
2000個どころか数百でも続けるのが困難な人、心ここにあらずで集中力がなくミスを連発する人、こういう人は意識をいまここに置くマインドフルネスをしてみる価値がある
>>165
ジョーダンもジョコビッチも実践 – マインドフルネス瞑想の手順と方法
http://www.fitnessclub.jp/news/training/3804.html
>>170
ギターの練習と瞑想っておいしいの?
http://guitar-hide.com/guitar-meditation/ >>175
まあ釈迦も世の流れに逆らうもの(だったかな?)って言ってることは確かだわな 世間に対して深刻になりがちだったりネガテイブなイメージを持ってる人なんかには
世間があり出世間もあるという思考は効能がある感じがするね
あと、ドラムを叩いてたりギターを弾いてたりすると
神が憑依した様な感覚に包まれることがあるから
正しい知識と楽器の演奏で瞑想を愉しむっていう方向に昇華できれば
演奏と瞑想の双方に効き目があるんじゃないかと思える >178
その方が健全に決まってる。
ビッパサナは根拠も何もないのに万能のように見せかけるのが最大の嘘。
ビパッサナに散歩や料理やゲーム以上の効果があるとは思えん。w
さういう意味考えるならなんにでも効果はある。
嫌なことを忘れるためにとかアフォらしい。嫌なことを忘れたいなら走ればいい。
スポーツをやってる時にはそれに集中するので嫌なことは必然的に忘れる。スポーツ
の最大の利点は体を動かすことで代謝があがり血行が良くなることだ。
ビパッサナなんて暗がりで代謝を落として血行が悪くなるので不健全なのは明白だよ。
万能どころか無茶苦茶特殊なやり方だ。 >は意識をいまここに置くマインドフルネスをしてみる価値がある
実験的にやってみることには、ビッパサナも滝行も断食も憑依も面白いと思う。それがト
リガーになって何かを掴むことはある。しかしあくまで実験だな。非日常としてそれを
やることに意味がある。
ジョコビッチが瞑想をやるのはスポーツマンだからだな。運動はもういらない。w
TOPを維持するためにすべてをやり尽くしても、なにかやることがないかと探して
カスみたいな瞑想を最後に掴んだ。トップと2番手の違いは1カスでも違えばトップだ。
最後の最後のカス。それが瞑想だ。 >作曲や良いインスピレーションを受けたいと言うことで、頭の中をクリアにさせ
>る作業の一つである「瞑想」を日々の習慣にしているミュージシャンは結構多いです。
多いよ。しかし続けてるやつなんてねえよ。瞬間的に齧ってそれが「やってます」って
メディアで広まってるに過ぎない。みんなそんなに馬鹿じゃない。齧ってすぐやめる。 瞑想もブームがある。流行とおなじだ。洋服みたいに、飽きてすぐ捨てる。だから
一時的な流行がある。瞑想がブームになるのは、ファッションと同じで飽きてすぐに
すてるからだ。すぐに捨てる。それがたまたま同期して流行になる。
これは捨てられるものの宿命だ。そういう者であることの証明書。 >>182
ポールマッカートニーやリンゴスターは今でも1967〜1968年にインドで習った瞑想(TM瞑想)を続けてるし、ジョージハリスンも死ぬ直前まで瞑想していた。
https://youtu.be/BsTPFUnOgN0 >>179
仏教には84000の法門があるがそのどれもが彼岸に至る教えで彼岸までの道のりが違うだけ。
瞑想ではなく念仏とか題目で彼岸に至れるとした宗祖もいた。
スポーツや科学で彼岸に至ってもそれはそれでよい。
要は道は一つではなく彼岸にたどり着けさえすれば自分に合った道、法門を選べばそれで良いのである。 >184
音楽でも特に作曲をやってると発想が枯れると苦しいから、苦し紛れにドラッグに
手を出したり瞑想に嵌ったりする。シャマタやマントラタイプは特に中毒になりやすい。
ドラッグと一緒だな。
それにしてもポールはふとってるなー。食いすぎだろ。w
瞑想なんかやってないのは明白だし、やっていても食のコントロールすらできて
ないんだろ。
こういうのは社交辞令で言うだけだ。真に受けたらだめ。 >要は道は一つではなく彼岸にたどり着けさえすれば自分に合った
>道、法門を選べばそれで良いのである。
まあそれはそうだが、そんなに法門に拘る必要はない。何もしなくても彼岸は
待ってるからね。
誰も見落とすことなしに誰もが100%彼岸に到達できる。 >>187
ちょっと代わりに訊いてみようか?
ヴって字の出し方知らないんですかー?知ってますか〜??(大声 >>182
>>作曲や良いインスピレーションを受けたいと言うことで、頭の中をクリアにさせ
>>る作業の一つである「瞑想」を日々の習慣にしているミュージシャンは結構多いです。
>多いよ。しかし続けてるやつなんてねえよ。瞬間的に齧ってそれが「やってます」って
>メディアで広まってるに過ぎない。みんなそんなに馬鹿じゃない。齧ってすぐやめる。
1967年に、ビートルズやビーチボーイズのメンバーが、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーから超越瞑想を学んだことで、超越瞑想の名は全世界に知られるようになった[226][227]。
その後、ビートルズはマハリシと訣別したと報道されたが、1992年にジョージ・ハリスンはロンドンでTM運動を支援するためにチャリティコンサートを行い[228][229]、
2009年にはポール・マッカートニーと[230][231]、リンゴ・スターが[232][233]、100万人の子供達に超越瞑想を教えるためのチャリティーコンサートを行っている[234]。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子ショーン・レノンも超越瞑想を行っている[235]。
2012年にバンド結成50周年を迎えたビーチボーイズのメンバーも超越瞑想を続けている[236][237]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E8%B6%8A%E7%9E%91%E6%83%B3
ウィキペディアの記事を信用すれば「続けてるやつなんていねえよ」「齧ってすぐやめる」が自分の妄想であるというのが分かりますか?
ま、ウィキペディアの記事の方が妄想であるというなら好きにすれば良い。 >>186
だいたい主張は分かったから、そろそろ物語じゃなくて何があったのかを語ってみたらどうかな?
価値が無いと思ってるメソッドのスレに来て連投してるのは、何か理由があるんでしよ? >>189
あ、じゃあ、ビを使ってもいいけど、
ビッパサナじゃなくて
ビパッサナなんで、(綴り的に)
ちゃんと調べてるかもついでに聞いてみて >190
TMとか彼らにとっては汚点だとはおもわないのか?
マントラで法外な金をとって、、、、糞カルトという烙印を押す人は多い。 >その後、ビートルズはマハリシと訣別したと報道されたが、1992年にジョージ・ハリスンはロンドンでTM運
何故決別したのか? やってみて糞だったからだろ。w
だからマハリシ糞野郎ってジョンの曲ができたわけだ。
マハリシって人品卑しき奴なのよ。だからマントラで金儲けをする。 マントラ瞑想はTMの専売特許じゃない。大昔から各地にある。TMは何でもいい
マントラを「何の根拠もなしにあたかもその人固有のもっとも適切なマントラが
あってそれを法外な金を払えば教える」という商売に替えた。それがTMの独自性だ。
Wikiがバカを書いてるってことが分からんのか? ビパッサナって書いてる時もあるから打ち間違いだと思われ。
聞こえてないように思われ。 >>196
まあ、都合の悪い時には誰でも聞こえなくなっちゃうよねw TMは何故「その人に最も相応しいマントラ」が分かるんだね。この部分だけ
よく考えてごらん。
もっとも基礎的な部分で間違っていて、それを基礎としてその上に構築したものは
すべてまやかしと思ってばっさり捨てる。そうしていると本当のものが見えてくる。
瞑想なんかをしているとこういうことが分からなくなる。だから瞑想を止めて
違う角度からも見てみる必要がある。
この前提を認めてしまうと、確かにマントラ瞑想の様々な効果は役に立つように
思えてくる。役に立つからTMも正しいと逆に結論付けてしまう。これが間違い。
カルトの洗脳技術は非常に巧だ。ビートルズを騙すくらいはお手のもの。それに
一旦公言して広まったことを覆すのは心理的に難しい。その特性を利用して広める。
名前のいきわたった連中を狙って巧みに宣伝するのは彼らの上等手段だ。 >>195
>Wikiがバカを書いてるってことが分からんのか?
自分の嘘を取り繕う為に
Wikiのコピペを必死で貼ってたお前がそれを言う?w ここマインドフルネス瞑想のスレだから、TMはカテゴリーエラーっぽいし、聞いてる人いないかもよ
って思うけど、語り始めたら周り見えなくなっちゃってる系かな? マインドフルネススレで
「マインドフルネスは効果がない!」>なら黙って失せろ
「TM瞑想は効果がない!」<効果どころか興味もない 大体ストレスや悩みがあるから瞑想始める人が多いんだろうけど、
強いストレスと同じく良いことがあってすごく嬉しいときも
瞑想で気付きをキープするのが難しく感じる 瞑想は魔法と同じだ。だから強烈な効果が出ることがある。でもその効果の理由は
簡単だ。
フィリピンに1か月語学留学しただけで急激に英語が上達する人がいる。
僅か1か月で英語がペラペラになる。フィリピン留学は魔法だ。でもこれにはチャンと
した理由がある。そういう人は受験勉強で相当の基礎力を既に備えていた人だ。語彙
にして2万位は既にあって、文法や読解力もちゃんとある。にもかかわらず勉強だけ
で英語に直に触れたことがない。英語の実践的な使い方を知らないという人だ。
こういう人がフィリピンに語学留学をするとあっという間に上達する。
瞑想で劇的な効果がでるというのはこの現象と同じだ。哲学や宗教やあらゆること
をよく勉強していて、すでに相当の人間力があって、そういう人が瞑想に触れること
で一気に繋がる。一瞬にして開花する。これが魔法の理由だ。
気付きのキープなんて何にもならない。屁のカス。 人の書き込みを「屁のカス」とこき捨てる
その「人間力」のなさを脚下照顧 退歩を学ぶのに何年費やしたのだろう。
頭良すぎるんだよってさ。
いわんや、かの祇園の生(しょうち)たる、端坐六年の蹤跡(しょうせき)みつべし。少林の心印を伝うる、
面壁九歳の声明なお聞こゆ。故聖(こしょう)すでに然り、今人なんぞ弁ぜざる。
ゆえに、すべからく言(こと)を尋ね、語を遂(お)うの解行(げぎょう)を休すべし。
すべからく、回向返照の退歩を学すべし。身心じねんにだらくして、本来の面目現前せん。
恁麼の事を得んと欲せば、急に恁麼の事を務めよ。 エビデンス無しで自分の意見を表明するだけなら、ここ来てクダ巻いてないでブログでやってほしいんだけど エビデンスは本館()で求めればいいのでは?
あっちはエビデンスや論文が大好きなカチコチ頭の集まりでしょ? でも流石に「わたしはこう思う」って内容に終始されると、何の参考にもならないわけよ >その「人間力」のなさを脚下照顧
カスというのはあらゆる人がいうところだ。フッダも大拙も道元も、、、
中身は空っぽの箱。空だ。何もない。カスカスのスカ。w
しつこく、何度もそういうことを教えてるのに、空箱を重たそうに抱えて
これ見よがしに高いとこにおく。
そのカスカスのスカはというと、khaはサンスクリットで穴のことだ。
Suは安全(丸いこと?)を意味するらしい。
Duhは不完全DukKhaは苦しみだが不完全な穴のことだ。Sukhaスカは幸福というが
満ち足りた幸福のことではない。穴というのは車輪(チャクラ)の中心の
ことでチャクラとは幸福と不幸と苦難と地獄と天国と全部を含んでカラカラと
回りつづける車輪のことだ。
要するにそういうことが全部ですよ。地獄もありますよ。偶に天国もありますよ。
ってことだな。いくら瞑想してもいつまでも車輪はカラカラと回りづつける。w
運が悪いと地獄に落ちつづける。それもやむえない。
スカは中心の丸い穴一つ。穴が開いてるだけで瞑想とは無関係。w 言葉の端々から偉そうにしているのが気に食わないという気持ちが透けて見えるのがなあ >>202
凄く不幸なこともストレスだし
凄く幸運なことも同じストレスだとTV()でやっていたなぁ DukkhaもLobhaもこのSankaraを維持する側だからなあ >>198
そこって瞑想が終わった後、毎回グルにお礼言うって本当? >>215
真理からすると、この世は怒っても駄目だし興奮しても駄目な酷い世界
ストレスなく生きるには、あーそうですか程度で終わらせなくてはいけない >>217
集まって瞑想してるときに、インストラクターが "はいいまから話しますよー注目ー" みたいな感覚で "Jay Guru Dev" って言ってたね
今もやってるのかな スレ違いのTM瞑想の話を延々続けてないと死んでしまう病気にでもかかっているのか? >>220
そう?
ナモータッサーバガワトー…より結構短いけど >>223
都合が悪いって何、どういう都合?
なにか妄想でもわいたのかね
ちょいとばかり「マナー」の悪い連中がめだったんで突っ込んだだけだけど マインドフルネス瞑想のスレでスレ違いを散々語ってることについて
「都合悪いのか?」って、頭悪いのか?w ●深い眠りは日中には不可能だ。太陽光線はそれを妨げる固有の効果があるからだ。
そこで、もしあなたが日中にうとうとするならば、それを瞑想に向け直すことは極めて容易だ。それは瞑想に近似している。
●【瞑想と真我探求の違い】 瞑想はエゴが保持されているときにのみ可能だ。そこには「エゴ」と「瞑想される対象」がある。この方法は間接的だ。
しかしもし我々がエゴの源を探求し、エゴが消えれば、残っているものが「真我」だ。この方法は直接的だ。
●ひとたびディヤーナ(瞑想)がうまく定着すると、それを止めることができず、
あなたが仕事や遊びを行っているときにさえ、また眠りの中においてさえ、「自動的」に進行していくだろう。
それがあたかも「天性」であるかのように、深く根付くようにならなくてはならない。
http://samten.seesaa.net/s/article/445524997.html?from_sp >>213
フッダって誰?
Who is フッダ? 初期のテイクには、"Maharishi, you fucking cunt /
Who the fuck do you think you are?" という歌詞が入っていた >228
そう。瞑想はいらない。
社交辞令だから、カスとは言わんかっただけだな。 瞑想はいらない、なら
このスレに朝から張りつく時間もいらない >>211
心の世界にエビデンスはいらない。
科学ではない。全ては妄想であり、主観だから。 >>225
マインドフルネスとの違いがわかってよかったけどな
2連投するくらいカッカしてるのは瞑想ができてないってことだぞ その手のレスいらんから。なんとかの一つ覚えみたいにまぁ >>237
そういうレスがお里が出るっていうんだぜ
みっともないやつ それを言うなら「お里が知れる」だぞ
みっともないやつ >>239
じゃあ、この大辞泉の用例は間違ってるってことになるなぁw
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/30789/meaning/m0u/
日本語学者並のいっぱしのお口をたたかれる方でありましたか
大辞泉の編者にもみっともないって言ってくるといいよ 本当、お里が知れるしつこさだなw
おまえみたいなのがいるから瞑想する奴は迷走しているって言われるんだよ >>241
いやいやw
その表現だと刃が自分にも向いちゃってるってw >相変わらず気づきとはかけ離れた人ばかり
理解力がないと人間嫌いになる。その人を理解できればその人を好きになる。
「心酔する」か「非難する」かという二者択一になるのが日本人の悪い傾向だ。
つまり権威的なものに従順過ぎて自分の意見が出せない。
そういう人は釈迦を友達にできない。釈迦の友達がフランクに「あいつはな、、、」
と釈迦のことをいうと感情的な非難に転ずる。釈迦もキリストもオギャーと
生まれてきたんだ。繊細な気付きの前に、そういう単純なことに先ずは気付いてほしい。 たしかに、「相変わらず気づきとはかけ離れた人ばかり」
こんなのも他者非難でしかないわな 釈迦の友達はほとんど釈迦を尊敬してるので、
フランクに「あいつはな」とか言わず
「あの方は」
って言ってしまうと思う。
釈迦はある意味孤高で孤独である あのね、呼び名に拘る必要はないだろ
お釈迦さま様であろうが、釈迦釈迦シャンシャンであろうが、
意味が通じればいいんだよ 世界中の教育レベルの低い国民は平時は非常に従順で優しく穏やかに見える。
しかし扇動されると簡単に感情爆発して暴徒となる。
従順さの内側に潜む暴挙が垣間見れる2chは貴重だ。 超越はフライングできるみたいだけど(笑)
こっちは何ができる? >>246
たしかに、「たしかに、「相変わらず気づきとはかけ離れた人ばかり」
こんなのも他者非難でしかないわな」
こんなのも他者非難でしかないわな >>245
>理解力がないと人間嫌いになる。その人を理解できればその人を好きになる。
ダウト〜w
ダウト過ぎるでしょ 大金を欲しがる瞑想団体は妄想させて金を巻き上げるだけ
要注意 >>247
釈迦教団ではお互いを
友よ
で呼び合ってたんじゃなかったっけ 人間的な成長というのは人間的な経験がものをいう。何も経験することなしに竹藪の中で
育ったら人間にはならん。
豊かな経験を積むという意味では、宗教よりも文学だろう。小説を読むことでたくさんの
体験ができる。だから瞑想するんなら鼻息を数えたりするよりも小説を読む瞑想をした方が
いい。読書瞑想だな。これならあまり外れはない。それでも外す奴はいるが。w
鼻息を数えて人生を見つけるとか無茶苦茶特殊だし、難しいに決まってる。これに成功
する人は稀。w
読書瞑想しなさい。 筒香がバッターボックスに立つと静かに見える。あの静けさは内部に秘めた
爆発力をコントロールできているからだ。静けさとはそういう静けさでなくて
はだめだ。筋肉を鍛えることで静けさが生まれる。
座り込んで眠っていても静かではある。鼻息を数えていればさらに静かになる。
しかしそういう静けさは屁の突っ張りにしかならない。 愚行の前に愚考せよ。愚考でもその方がマシ。まずは愚考からだ。座っていても
なんにもならん。最初は短文でもしかたないが、徐々に長文にする。長文なら
推敲するとすこしはマシになる。短文では手の施しようもない。w
救えるか救えないかはそこにかかっている。良くしゃべる人は救える。喋っている
内にだんだんと理解が深まるからだ。
従順な者は簡単に過激に走る。オーム事件はその一例に過ぎない。彼らは熱心で
従順な仏教徒?の一派で初期のころには宗教学者も一目を置くような存在だったが、
何が悪さをしたかしらんが決定的には未熟な指導者についたばかりにとんでもない
事件の加害者になった。
最近ではイスラム過激派がよく上がる。彼らもまた本質的には従順で敬虔な宗教
者だ。なぜあれほどまで過激な行動に出られるのか、それは権威に従順だからだ。
神だとか釈迦だとかそういうお面を被ったものが殺せといえば、「できるかアフォ」
とよう言わん。だから過激になる。 基本、思い込みでロジック不明の断言調なんだけど、頷かざるをえないトコもちらちらあるのが、いい味わい いやいや >>263さんの内容はほぼ完全に正しいんだよ ただそれでは納得できない頑固な精神病んだ人が数%いる
本来はそういう人のための方法が瞑想 ただ今更ながらマインドフルネス調べてみたら 瞑想の準備瞑想的なライトな感じだった
これは良いかもね ただそれだと宗教的側面が不純物に感じられるw >ただ今更ながらマインドフルネス調べてみたら 瞑想の準備瞑想的なライトな感じだった
だそうです() 瞑想なんてやってる奴は、どうせ人間的な経験もなくて人生何かに挑戦したこともなく、瞑想だけやってりゃ足りると思ってる連中ばかりなんだろう、だったら…
という感じで藁人形をつくって叩き出してしまう訳で、その一本槍なのがいい味わいなんですわ いい味わいしかお前言ってないだろ。IDくるくる人間 心の動きを観察する上で呼吸に注目したのはこれは素晴らしい
洞察だと思う。呼吸が静かなものは心も静かだ。これは正しい。
だからといって「呼吸を整えたら心も整う。呼吸を整えるのがベストだ」と
考えるのはあまりに素朴だ。素朴すぎる。
呼吸は観測ポイントだ。このデリケートな観測ポイントを
トレーニングするとどうなるか? 結果は目に見えている。
そう呼吸は乱れなくなり「神経が鈍感で図太くなる」
それ見たことか鈍感で図太い坊主がイッチョ上がりだ。
観測ポイントは非常にデリケートなのでここを習慣化して鈍らせる
のは駄目だ。毎日座るというようなことをしてはいけない。週に
2日20分程度なら瞑想してもOKだ。この程度なら害はない。毒でも
酒でも瞑想でも微量ならむしろ薬になる。理想は良く晴れた満月の
夜に限って瞑想をする。これがいい。 呼吸もいいが観測ポイントなら目の方がいい。目は口程に物を言う。
澄んだ目をした人は心も美しい。知性の高さも目を見ると解る。だから
頻繁に鏡をみるのはいい。女性は鏡を見る回数が多いので概して笑顔が
綺麗だ。鼻毛を伸ばしていたり鼻くそをつけている女性は少ない。
>269
人の悪態はつくが自分には気が付かない。悪態をつく前に鏡をよく見て
その鼻くそを何とかしろといいたい。先ずそういうシンプルなところを
正しくする。 呼吸の働きは深淵で奥深い。だからアナパナサティをする。これは一理ある。しかし
深淵で奥深いのは呼吸だけではない。ウンコが詰まったらどんだけ大変か? 女性なら
よくわかると思う。女王様だろうがプリンセスだろうが絶世の美女だろうがウンコが
詰まるとたちどころに立ちいかなくなる。それ程までにウンコは深淵で奥深い。
だから別に呼吸だけが神秘的なのではない。鼻くそだって神秘的だ。
ここのところをよく理解したうえでのアナパナサティなら問題ない。これはどういう
ことなのか? 例えば、平気で悪態をついたり鼻くそをつけていても人間には変わりない。
実際のところこの違いは非常に僅かな違いでしかない。しかし鼻くそを平然とつけて
あるくものや悪態をつくものを大抵の人間なら即座に峻別できるし、絶対に嫌だと思う
はずだ。大人としての知性が感じられない。 人が見るとよくわかる、恥ずかしい。しかし本人は気が付かない。
これこそが肝だ。人はこのようにできている。このギャップを独力で埋めようとするのが
アナパナサティだ。しかし不用意につけた鼻くそを見つけるくらいのことはそんなに
苦労して自分で技術を磨かなくても、いたらないところは他人に注意してもらえばいい。
これは悪態でも同じでコミニケーションを円滑にしておけば
自分のことをそれ程気にする必要はない。逆に言えばコミニケーションを円滑に行う
ようにと神の配慮なのかもしれない。 アナパナで一番最初に教わる基礎は、「呼吸を整えない」って事だからねえ
# プラナヤーマとはそこが違う マインドフルネス調べた感じではほんとにライト感を感じたよ 体のセンターとか指先 足先 舌などを意識することも無いし 記憶とかイメージを使うこともないし 呼吸も操作しない
脱力のための柔軟もセットで考えられてるし時間も10分程度 この時間が良いね 40分やったら急激に変わりすぎる恐れもあるし あのさ、いわゆるマインドフルネスにもいろいろあるんだぜ 宗教系、医療系、いろいろあるけど例えばカバットジンのボディスキャンなんて
横になって寝てやるから楽だと舐めてるととんでもない
それこそ体のセンター、指先、足先、舌などを意識してやる
これを50分近くな マインドフルネス系と理解されてるヴィパッサナー瞑想のひとつ
ゴエンカ氏のところが合宿でどういう瞑想やってるかも調べてご覧よ
再度書くが、これらもごく一例にすぎない でね、その程度の雑駁、浅薄な知識しかない人間が
>いやいや >>263さんの内容はほぼ完全に正しいんだよ ただそれでは納得できない頑固な精神病んだ人が数%いる
>本来はそういう人のための方法が瞑想
>ただ今更ながらマインドフルネス調べてみたら 瞑想の準備瞑想的なライトな感じだった
こんなん書き連ねるってどうなのよ いやいや まあそれは何をマインドフルネス ヴィパサナと呼ぶか 定義するかの問題でしょう 俺は興味持った人が検索でたどり着く説明サイト的な上位3つくらいで世間のマインドフルネスを理解したよって話 あ 追記すると 俺のイメージの中だけの 「世間のマインドフルネス」って意味だからね 世界中で全く同一の定義持ってる人は一人もいないと思うのでw >>281
> 俺は興味持った人が検索でたどり着く説明サイト的な上位3つくらいで世間のマインドフルネスを理解したよって話
検索して調べる対象がたった3つ?!しかも検索で上位の?
そんなんで「世間のマインドフルネス」を「理解した」つうんなら、
そらDeNAも好き放題できたわけだ
クラウドソーシング業界も低賃金で奴隷使って質の低い記事量産して
アフィリエイトしほうだいだわな マインドフルネスもすっかりバズワード化してて、神道系や引き寄せの法則とかも混じって戦国状態だから、ポッとググっただけの人が勘違いしててもあまり驚かないな
この先は、その勘違い派の方が優勢になって広辞苑に載っちゃったり 瞑想がいいと20年前に知ったら、あの高額な超越をやってたところだった
マインドフルに出会えてよかった >>285
20年前からあるよ
マハーシさんの本うちにあるもの シンギングリンっていうやつ、聴いてみた。
EQいじりたくなった
何か効果あるのかな? コーヒー飲みすぎの状態で瞑想したら全然話にならないくらいダメだった まあ20年前っていう架空の心配をするなら、あの頃一番ヤバかったのは、バグワンシュリラジニーシとオウムやろうね >>285
うちの会社(大企業の子会社)でもやってる人がいたなー
オウム事件ですすめてこなくなったけど、こっそりやってたんだろうなあ >>294
今はネットで大体の情報がわかる時代になったから、
金ぶんどられそうだと思ったら 最初から関わらなくてすむからね
瞑想って金かからないんだ、って最近ちょっと感動してる 昔から瞑想はタダの方が多いだろ
ヨガや仏教系で山のように本が出てたし、対面でも座禅とかならタダ
オレその頃からやってるけど、全然金かかってないもの(本は別だが
アメリカで発展した超越やフルフィルメントとかがメソッド非公開で有料なだけだわ
世の流れからして、公開しちゃっていいんじゃないのって思うけどね >>296
超越は教える側の生活に関係してるからあんな料金なんじゃないの?
それにマインドフルネスは今ここを意識して瞑想するけど
他のは未来とか宇宙とか大きすぎて相当先を意識してやり続けなくては
意味がなさそうで簡単さを感じない
なんだかんだ言っても、NHKで特集やるようなものじゃなきゃ信用できない 空に架かる虹を今日も信じ
歩き続けよう
優しすぎる嘘で涙を拭いたら
虹はほらそこに
過去は消えず
未来は読めず
不安が付きまとう
だけど明日を変えていくんなら今
今だけがここにある
きっと
虹はもうここにある >>285
やっちまって金も時間もムダにした俺が来ましたよ >>300
金をどんどん吐き出させるところらしいから
つぎ込んだ金がもったいないから
やめられなくなるみたいね
むかし英会話のノバでそうだったから気持ちわかる >>303
オレ個人の経験からは、習った後は全然接点無いけどなあ
メーリングリストにイベントのお知らせがぽつぽつ入ってきてるくらい
まあグループ瞑想とか都会の方ではやってるみたいだし、そういうの出ると違うのかもしれないけど てか何でマインドフルネススレでまたTMの話になっちゃってるの?w
オレもつい反応しちゃったけど >>305
不善心所のひとつmâna
他との比較で自分の立ち位置をはかる心の働き
静観推奨 >>305
TMのサイトでもマインドフルネスを取り上げてる
今ここのマインドフルネスと違ってTMは未来宇宙とかわけわからん
NHKでも取り上げられてて意識しているのは明白
そりゃタダでできるのとお布施が必要なのとはえらい違いだからね マントラ系は 落ち着きのない芸術家とかクルクルパーとか天才肌向き
マインドフルネスは 緻密で賢い人向き
只管打坐は 明鏡止水、精神が落ち着いている人とか精神遅滞の馬鹿向き
仕事でいうと
マントラ系 芸術家
マインドフルネス 研究者
只管打坐 農業 >293
ああいうものは少し危ないことをやらないと面白くない。奇抜で危ないことをやって
人を集めていたところはオオム事件で大被害を受けた。w
キャンプファイアーを囲んで太鼓に合わせて、踊り狂う。人家を離れ
た場所でやっているにも拘わらす、オーム事件以後は自治会長とか数人のオバサン達が
やってきて、
「苦情がきてるのでここではそういうことは、お願いですからやめてください」
ということになる。
本でしか知らないがラジネシのところなんかもその口かな。世界中の瞑想技法を
集めまくって組み合わせて過激に改良をした。教祖も元は心理学者だったからそういう
のには詳しい。今でも残党が残ってるみたいだがダイナミック瞑想とかまだやってる
んだろうか? あれは体験型のエンターテイメントだな。 土曜日の朝っぱらから長文連投...
落ち着きのない農家か?、 クルクルパーか?、 精神遅滞の馬鹿か? >>310
マントラ系、当たってる〜
ADHDとか犯罪者とかが効果あるってことだもんねw 苦しいことの後には少なくとも解放感がある。
目標を決めて苦労して到達すると達成感がある。
楽しいことを準備して楽しめば楽しい。
難問を深く考えて解決すると喜びがある。
未知のものに出会って発見をすると快感がある。
複雑なことを理解すると喜びがある。
因果も結果を常に楽しくなるようにしておけば結構なことになる。
因とは遊びの準備のことであり、果とはその快感のことだ。
ギャンブルだって勝つまでやったら常に勝。因果の果とは常に至福だ。
それを不幸で区切るから不幸なだけ。至福で区切ればいつでも至福だ。
人生は常に幸福の準備と幸福の結果の回転だ。
遊びの準備はめんどくさい、幸福の準備もめんどくさい。しかしひと手間かける
習慣をつけると苦も無くできるようになる。そうすると人生はすべて遊びだ。
「今に生きる」「今を幸福に生きる」必要はない。そんな難しい悟りはいらない。
今はひと手間かける時だ。あとで遊びが待っている。 必要あるとかないとかじゃなくて
人は「今」しか生きることはできない >>315
>ギャンブルだって勝つまでやったら常に勝。因果の果とは常に至福だ。
勝つまでやる前に財布の中が空になるだろw >316
そこまで言うとそれは詭弁だな。そんなのはできっこない。
それが本当なら明日を生きるための金なんて要らんだろ、俺に有り金全部よこせw
今を生きてるのではなくて50億年を生きている。それに明日も生きる。
そんなのは当たり前のことだ。 >317
財布が空っぽで満足ならそれでOKだし、カッカするなら、それはやがてくる至福の
準備だな。
おれはギャンブルで一度も負けはない。w 前に「時間は実在するか」(だったかな?)って本読んだけど、結構面白かったよ >>321
時間の非実在性の証明のやつねマクタガートの >321
数学的には時間は単にディメンションの一つだからな。でも時間はどんな馬鹿でも
感じることができる。時間中心に考えるのは自然だよ。 >>320
財布が空で満足する人は変態、カッカする前に絶望するだろ。
一文無しでどうやって生きれば良いんだよ。ルンペンになれっていうのかよ。 >>310
知ってる人でマントラ瞑想している人
精神的に問題あると会社の診断で言われたそうだ
やり始めたらしい25年前、何が変わったんだろ? 誰もが勝つまでやれたらギャンブルに負けて電車に飛び込む人なんていないわな
こういう勝つまでやるとか短絡思考のマントラ系だから
朝から長文オ○ニーできるんだろうな >>325
邪見に洗脳された。
ブッダの正見は真理だから安全
悪いことはできなくなるし、神仏に頼るようなこともしない。 >328
真理は普遍妥当性がないとだめだね。釈迦の言葉はまあ名言ではあっても真理じゃない。 それに名言は安全ではないよ。寧ろ危険な要素を含んでいる。危険なものでないと有効に
働かないことが多い。 >>318
詭弁でも何でもない
「今」を生きるということは「明日」を蔑ろにすることではない
「今」を大切に生きる人間だからこそ来たるべき「明日」に備える
ギャンブルをするような下等な存在に捨てる金はない >331
今に集中し過ぎると明日が疎かになるだろ。チャンと明日のことも考えて動くはずだよ。
だから過度に今に生きるというのは良くない。 ペース配分ってのが大事だ。釈迦もマラソンをやっていたらそれを仏典にペース配分の
重要性を残しただろう。 最初からダッシュしてたらすぐにばてる。
ギャンブルもペース配分が重要だ。今に集中して1レースに有り金全部賭けるなんて
ことをやっていた負ける。
1レース2000円くらいでボチボチ楽しんでここぞという時には1万円を張る。ある程度
ゆっくりと楽しんでからでないと勘が冴えてこない。勘が冴えてくると勝てる。 瞑想がギャンブルを扱えないないとすると片手落ちやな。
数学でも経済学でもギャンブルを扱える。そういう学問の方がより汎用的だし普遍性があり
真理を扱うに相応しいということだ。 >一文無しでどうやって生きれば良いんだよ。ルンペンになれっていうのかよ。
借金 瞑想をして心が穏やかな人間ならそういう言葉を扱わない良識は具えているだろうな 釈迦もルンペンをしてたのだだから、達人になればルンペンでも楽しめると思う。 で、お前はここで何をする為に
土曜日の朝から長文を連投してるの?
瞑想を、マインドフルネスを否定したいのかな?
その時間の使い方の意図がわからない 何かに執着心剥き出しなので、そういう精神的な病気なんでしょ(適当 今日は調子が出ない。そういう時がある。
でも少しずつ調整していると調子が出てくる。仕事でも瞑想でも調子を出すコツがある。
いきなり張り切って頑張ると失敗する。張り切り過ぎは禁物だ。かと言ってあまり極端
に間を開けるとモチベーションが下がる。その点達人に習う場合には間隔を
かなり空けてもモチベーションが落ちることがない。例えば名作は少しづつ読んでも
イメージが途切れない。一ヶ月前に読んだところからまた読み始めてもイメージが
サッと蘇ってきて面白く読める。そういうのに似ている。
だから老師が達人かどうかは冷却時間をおいてみると解る。最初は「この人物こそは」と
有頂天になったのに3か月してきてみるとスッカリメッキが剥げて幻滅するようだ
と、習うだけ無駄。w とても単純化していうと
いまここを離れて過去の回想や未来の予測を必要なとき必要なだけするのは問題ない、というか必要なこと
ただ、感情や欲求は、大脳が創り出した回想や予測を現実に起きている事象と区別できないので、ドキドキしたり冷や汗をかいたりと必要以上のストレスを生み出す事がある
それを避けるためには2つ方法がある
1.回想・予測機能の側(デフォルトON)を定期的にOFFにすることで稼働を抑える
2.感情・欲求の側がショボい事柄には反応しないように最悪ケース(死とか)を視野に入れるようにする
瞑想での「いまここ」は1.の点で意味のあること
でも、元から感情・欲求の回想・予測への反応が弱い人には、1.の価値は理解できない
あくまで世間的な話だけど >>328
その人の友達の話では、母親と一緒になって嫁いびりしてて離婚寸前みたい
上の人が書いてるみたいに、マントラ瞑想のくるくるぱー系の人だよ あれ何このマジレスw
銀髪の少女っぽいセリフ期待してたんだけどw(青髪でも可 >344
そういうものは、あまりに否定的な空想のイメージを蓄え過ぎなの。例えばホラー小説を
読み過ぎると夜が怖くなるみたいにね。単純にはホラーイメージを掻き立てる神経のインパルス
が多いってことだ。
それの影響を無くしたい場合には方法としてはON・OFF制御する方法もあるが、明るいイメージ
をたくさん入れて相対的に滅してしまう方法もある。
S(明るいイメージ)/N(暗いイメージ)の比率をS/N比っていうのだがS/Nが大きくなって明るい
方に傾けば制御は下手でも影響はなくなる。
つまり明るい物語をたくさん読む。脳は物語と現実の区別はつかないから、夜怖くてトイレに
行けないとかの問題はたちどころに無くなる。
瞑想で制御技術を獲得するなんて難しい。そんなものコントロールできない。それに瞑想では
国語力はつかないが、物語を読めば国語力のUPになる。しかも否定的な感情はきれいさっぱり
なくなる。一石二鳥だ。 妄想力の強い人は妄想を無くそうとしても無理。だからその妄想力を使っていい妄想を掻き立てる
方が近道だ。妄想をもって妄想を制する。 >>349
その方法が好きな人はそれでやればいいし、瞑想が好きな人は瞑想すればいいんじゃないの?って思うけどね。
実際に否定的な妄想を消すだけが目的なら、読書でも仕事でもその時すべき事に集中すれば十分だし、肯定的な妄想で埋め尽くせば、一時的に出てこなくなる。それはその通り。
でも、どちらもエンジンは止まってないから、集中や肯定のネタが尽きたら出てくるけど。 >352
いや、でも肯定的なイメージの方が圧倒的に力が強い。すぐに否定的なイメージを消し去る。
悲しみよりも笑いの方が圧倒的に強力だよ。葬式で屁でもかましたら悲しみどころじゃない。
笑いをこらえるのに必死になる。 >>353
それは確かにそう
瞑想したくても妄想ばっかりで全然瞑想にならないって事も珍しいことじゃないし、そういう時は肯定的なモノで気分を変えてから始めるときもある
ただ、瞑想やってる連中は…オレの場合は、否定を消し去るのに肯定をかぶせるなんてやり方にはもう飽き飽きしてる訳なんですわ
カンマというブラックボックスから自動的に掴んでくる想念の当り玉(肯定)を増やすんじゃなくて、必要無い時に自動で掴むのを止めて手動にしたい訳よ >>310
超越なんかをいまだにやってるのは払った金がもったいないとか団体の人間関係のしがらみから脱せない人では? 一週間や10日のリトリートに参加できるって
社会人なら限られた職場や職業の人しか参加できないね
いつか参加したいけど無理だろうな >356
そこに行けば何かが起こると思うからだよ。誰かが何か素晴らしい秘密を教えてくれる。その
秘密を学ぶと奇跡が起きると思うからリトリートに行きたくなる。
でも実際リトリートはあまり関係ない。奇跡はいつでも起こせる。リトリートに行こうが
何をしようが結局のところは奇跡は自分で起こす以外にはない。
そもそもここに生まれる確率は1/400兆だと計算した学者がいる。誰もがその幸運に恵まれて生
を受けている。既に奇跡は起きているし始まっている。だからリトリートなんて必要ない。
瞑想も不要だ。今すでにこれが奇跡だ。 釈迦が考えた事なんて当たり前のことだ。特殊なことなんて真理でもなんでもない。当たり前
のことが真理だ。空気や水と同じであまりにも大切なものはかえってありふれているから気が
付き難い。だから良く落ち着いて考えてみれば自然にわかる。 ピアノが弾きたければピアノを練習する。瞑想は不要だ。 自分が不要だと思うスレに朝から晩まで張り付いて
20レス以上してることはわかった なんでピアノ?w
書道の方が静寂の中で集中して瞑想に近いと思うけど ただの構ってくんなので全員がNGして一切相手しなければ行き場のなくなった感情は全部そいつに帰っていくのに(ボソッ
あっ、これ仏陀の受け売りね 集中というのはトランス。トランスが集中だ。書道でも集中するとトランス状態になる。
トランス状態になると書道に集中して周りが見えなくなる。ゾーンというのもトランス
だな。集中状態が極限になると時間の感覚も変わる。一瞬一瞬がハッキリと見えるので
時間が遅くなったように感じる。足を踏み外して高い崖から落ちるようなときとか
バイク事故を起こしたようなときにはそういう状態になる。
そういう時に静寂に感じるのは、聴覚なども感覚が変わるからだ。集中するために
不要なものは聞こえなくなる。それが集中による静寂だ。集中による静寂はピアノでも
滑落事故でも書道でも同じだな。環境の静寂ではなくて内的な静寂だ。 熊でもイノシシでも動物は恐ろしく運動神経がいい。非常に素早いと同時に筋力は
人間の何倍も強い。猫ですら爪で引っ掛けられると1cmくらいはえぐられるが熊の
爪にかかったら簡単に肉がえぐり取られるだろう。
しかしクマに襲われて戦った人は怪我をしても食い殺されるというケースは殆どない。鎌や鉈などの作業中の道具を持っていれば応戦して追い払うことができる。人も極限
状態になるとクマと互角に戦える。これもゾーンのなせる技だな。瞑想で練習しておか
無ければできないということはない。 テニスでゾーンに入るつもりならテニスの練習のなかで獲得しないと無理だ。瞑想を
してもゾーンの練習にはならない。勉強でゾーンに入るのも、ゲームでゾーンに入る
ンも同じこと。しかしゲームでゾーンに簡単にはいれる人は勉強でもゾーンに入りやすく
はなる。そこで瞑想の登場かというと、ゾーンの練習をするなら瞑想よりも戦闘ゲーム
の方がゾーンに入りやすい。何故なら熊に襲われるのと同じで、一瞬にして危機的な
状態になるからゾーンに入りやすい。
瞑想のようにただじっと座って集中力を磨くのは非常に難しい。ゲームなら3秒で集中
できるのに瞑想だと1時間かかる。
瞑想はゾーンの練習方法としては映画やゲームに完全に劣る。 ただし瞑想にはゲームに比べて圧倒的な利点がある。それは君等には関係ないだろう
からおいておくが、、、 俳優はオーラを放つ。天野やウドがTVに出た頃は田舎ものみたいで随分ダサかったが
最近では天野も中堅の貫禄が出てきた。なかなかいい味を出している。
俳優は見せる為に表情を作る。例えば涙や笑顔を自在にコントロールできる。
そういうパーツが自在にコントロールできるようになると、「存在感」やオーラ
も次第にコントロールできるようになる。だからステージに立ってオーラを出すこと
ができるようになる。これもトランスだ。コントロールする脳の部位が違うだけで
集中によって、例えば水を飲んで酔っ払うこともできるし、子供の用に無邪気に
なることもできる。オーラを放つこともできる。 まずは高速のPCを買って戦闘ゲームやカーチェイスをやった方がいいとおもう。
鬼和尚は専門家だから崖から落ちてみるか熊と戦ってみてほしい。其のときは
是非ともyoutubeに上げてくれ。 昨日ちょっと相手にしてみたけど、
最後黙っちゃったみたいだし、
「当り前のことが真理だ」って分かってそうな事も言うのに、その後ピアノの練習とか…(演奏なら分かるけどねぇ)
字面だけの聞き齧りで話してるっぽいので、今後は皆さんに習って、反応しないでNGしますわ 溜息や感情の発露だけではだめだな。重要なのは「問い」の発し方だ。
問いが発せられるようになると格段と理解が広がる。
先入観を打ち砕くのは「問い」によってしかできない。優れた宗教家も優れた哲学者も
鋭い問を発することができる。それが特徴だ。
溜息はつかない。それは雑魚のしるし。 本館向きかもね
瞑想で能力開発()派と現実見ろよ派の闘い 現実見ろよ()って人に限って、現実の見え方が狭隘で貧しいからなぁ
むしろ現実見えてない人たち 理解度は経験量によって違う。ゾーンを一度も経験したことがない人にはゾーンを説明
するのは難しい。事故や危険な状態を経験したことがあれば馴染みのある現象ばかりだ。
最近ではダンスでも演劇でもワークショップに参加すると直ぐに瞑想が出てくる。
トレーニングに必ずといっていいほど瞑想を取り入れている。瞑想はキーワードに
なっている。しかしあまりにも曖昧だから、雑魚もたくさんいる。一旦は全部を叩き
壊してみる。そうすると残るものなら残る。雑魚は消える。 あっちのスレでtmの話題やってるけど
教師になるまで300万はかかるみたいね
瞑想を極める必要ないと思うんだけど >>383
だから東北にあんなすごい施設があるのか >>384
東北に瞑想関連ですごい施設なんてあったっけ?
出家用? 何だ超越の話なのか
瞑想ってもともと出家のものだから、瞑想を極めようと
思ったら出家しちゃう人もいるよねって事を言っただけだよ
超越は営利団体だから出家なんて無いんじゃないの ある意味、瞑想で出家なんて理想だよね
ずっと瞑想していられる贅沢 自分の中身をとことん探る毎日って楽しそう
でも何ヶ月もやったら日常生活に戻れそうにないな
テーラワーダだと一日出家とかあるみたいだけど 最低3ヵ月ぐらいは修行寺に籠もっていられれば、なんらかの手応えは得られると思うよ。
国内だと、10日間ぐらいの瞑想合宿。
本人の資質と努力次第だが、10日あれば、もしかするともしかする可能性はある。
7日だとちょっと短いかなー。
慣れてきて、いざこれからってところで終わってしまう。 7日間は長いぞ。w 初心者が三昧のコツつかめるのは3日〜4日でつかめる。
4日目にハッと解るケースが最も多い。後はダラダラやっても同じ。だから7日が
ベストだ。
1日目 ヒエー、やばいとこにきてしまった。寒―。
2日目 全然わからん
3日目 くっそー頭にきた、今日は死ぬ気でやってやる。
4日目 ハッ、解った!!!
5日目 なるほど
6日目 余韻を楽しむ
7日目 茶話会でワイワイガヤガヤ
接心を受ける前に一通り調査したけど南方系のところはさすがに国民性が出ていて
全体的に喧しいみたいだな。ざわざわしていて騒々しい。ピリッとしない。緩い。
向き不向きがあると思うが、、、武道とかのピリッとしたのが好きだったら接心が
いいと思う。 瞑想そのものは好きなんだけど
瞑想について語ってるブログが気持ち悪いのばっかりなのは何故なんだろう
メンヘラこじらせスイーツ()みたいなのが
宇宙の真理を理解したので分かち合いたいれす(^q^)みたいなやつ
一種の瞑想ハイなのかな? あまり詳細をバラスと処女体験の面白さが半減して良くないので詳細は控えるが
、接心を受けるポイントが三つある。
一つは三昧の方法を知る。
二つは講和を楽しむ。
三つ目は読経を楽しむ。
道元系の場合はこの三つだな。南方系だと講和がダメだと思う。スピーカーから
ダラダラと流れてくるようなのと、生のイキイキした講和は全然迫力が違う。
これはもうほんとびっくりした。老師にもよると思うが、無茶苦茶迫力がある。
あとで調べたところによると指導できる資格を貰うには境地を得たと認められた
人でさらに10年くらいの厳しい修行が必要だ。これはもっぱら講和の技術を磨くの
だと思う。 >宇宙の真理を理解したので分かち合いたいれす(^q^)みたいなやつ
>一種の瞑想ハイなのかな?
それは、ドラッグやってる人どうしがハイレベルで共感できるのと同じだね。傍から
見てると全然わからん。w
でも共感できるというよりも積極的に共感して楽しむ。というのが正しい。
プロレス観戦とかみたいな感じだな。対象はなんでもいい。駅弁マニアでも
鉄どうマニアでも皆同じ。とにかくマニアックにいろいろ知識を披露する
ものがいて「うんうん、そうそう」的に益々乗っていく。乗りの技術だな。
暗黙の了解として否定的なことは絶対に言わない。そうするとあんな感じで盛り上がる。
w あっUFOが見える。ホラッあそこ。えっ、まじーーーー。すごーーい。
これで4,5人が乗ってくると、ほんとにリアルに見えてくる。
やっぱり見えない人は頭がおかしい。 俺が入ったのもカフェオムだったのかな?
表通りから丸見えだけど、昼間でも電気つけてないから中は薄暗くてよく見えない
中には外に向けて並べられた椅子が20脚くらいあって、昼過ぎ時で、客は俺入れて2人しか居なかった
従業員の子は3人居て、とりあえず女の子を選んで二人でおしゃべりしながらコーヒーを飲む感じだったな。
女の子は俺の腰の上に座るわけだがwww
胸揉みもおk
でも、英語は全く通じない
最初、中学生くらいかと思って、いいのかよ!ドキドキ
って感じだったけど、話を聞いたら、もう子供が入るとのこと
ちと萎えたけど、未成年だったから、おk
チップの額は決めてなかったけど、会計の時200kドンくれと言われて渡したら喜んでたわ
ハノイ近くのとある町では、250kドンで一発やれるからなw
ホーチミンなら、外国人が200kで胸揉み放題出来るなら、まあ、安い方かね
ベトナムはインドネシアより、なんつうか、昭和な感じで好きだね >>395
共感も無くはないんだろうけど
気持ち悪さの原因は不自然さにあると思うんだよね
分かち合いたい、シェアしたいとは言うんだけど
中身は「瞑想極めたので伝授します」的な上から目線というか。
気づきを得た自分に酔ってる感じというか。
鉄道とか駅弁とか趣味語ってる人見ても別に気持ち悪いとは思わないし 他にも定点観測したがclassic。年々レベル低下が叫ばれて・・それはお前が過去の記憶を美化させてるから
そう見えるんであって・・と言いたかったけど。無理。2回行って、いい時間と曜日なのにいまいちで一回は
10分で帰った。あと受付でやったのに入場料を要求され、ごまかすなよっというと間違えちゃったって感じで
すぐ撤回。札をもらって出たとこでも婆がチップ表らしきもの見せながら要求。どの根拠か聞くととコリアか、ジャパンか?
とまくし立てて要求。俺は知ってるぞ!と堂々とすると即撤回。コリアとジャパンがすんなり払うと思って狙われてるw
あとクラシックからブサル方面へバイタクで帰る途中の偽装置屋の前で若い連中が呼び込み交通整理。もっと隠さんかいワレー。
何人かのオジェックの話からもコス型派遣風俗が結構盛り上がってるようで、何件かのうちの一軒行ってみた。残念ながらそこは
可愛くなかった。
でもあとから考えるとクラシックまだまだいけるわ。その後のタイでバカラ、シャーク、クレージー、レインボー等々GOGOバー
やらなんやら行まくったけど俺の個人的な好みの問題でないと思うけどクラシックやコタインダーの方がかわいい子断然多いように感じた。
しかも値段1/3でっせ? 飯がまずい、観光絶望、交通絶望の代わりに神様は値段を1/3にしてくれたんだね。
その他マイナー風俗情報は需要がなさそう&うんざりすると思うのでまた今度。
結局今回の3か国でBJバー、MP、てーめー、GOGO、スパ、置屋と遊びまくって日本から持って行った薄いコンドーム24個は使い切って
足らなくなってしまったけど・・・・リアルに一番安らぎを感じたのはコタ置屋でアラサーのふくよかな子持ちととのまったりセックスでした。 >鉄道とか駅弁とか趣味語ってる人見ても別に気持ち悪いとは思わないし
そういう遊びを理解できない人は腹を立てる人もいるよ。「昼間から、鉄道写真とか
馬鹿ちゃう。しごとしろよ、、、」とね。 >中身は「瞑想極めたので伝授します」的な上から目線というか。
>気づきを得た自分に酔ってる感じというか。
排他的ってことだな。瞑想に限っては「乗り」とか「酔い」を
自覚していなくて、マジな人も多いから。
でもアニメでもプロレスファンでもそういう人はかなり多いよ。人生を賭けて完全没入。
アニメに人生を捧げます。
プロレスに人生を捧げます。
瞑想に人生を捧げます。
同じだと思うよ。
本気なのか乗りなのか区別がつかない人がかなりいて困る。
仏典にもUFOはたくさん出てくる。共感しあうとリアルに見えるんだな。
仏典を読んでいて最初に違和感を覚えたのはなんといってもUFOだな。
「なんだよこれー」みたいな。
理趣経に違和感を覚える人も多いけど、Sexは自然の摂理だから理解できる。しかし
UFOはどう理解すべきか?
でもプロレスも仏教も全く同じということが解ると違和感がなくなる。 人のふり見て我がふり直せって言葉があるけど
今日心に誓ったのは
飲んだら書くなって事かな… マインドフルネスは南方系の小乗仏教だな。
ベトナムと日本は大乗。そこでは仏教は嘗てはキラキラした壮大なエンターテイメント
だったし政治の中心でもあるし、医療も出産も葬式も手掛ける巨大なビジネスでもあった。
いまでは葬式だけ。
>飲んだら書くなって事かな…
瞑想の基本はトランス、これは酔うんと同じ。
アルコールをいれると制御が難しい。素面で酔いを制御すること
を発明したのが釈迦。ちなみに釈迦の場合はアルコールがあったかどうかむしろ
一般的にはハシッシだと思うが、、、いまでもサドゥーはハシッシが大好き。
インドの馬の骨と日本の仏教では格が違う。あっちは小乗ジャンキー、こっちは
大乗哲学だ。
瞑想はトランスではない。
瞑想はトランスではない。
瞑想はトランスではない。
と仏僧はしきりに言うけども、何を隠そうそれはやっぱりトランスだということ。w 修行にはアルコールは駄目。
なぜかというと瞑想は酔いではあるけどもアルコールの酔い方をするといかんのよ。
瞑想をするとアルコールの酔い方で酔う人がかなりいる。そうじゃない。そこがデリケート
なところで老師はそれを伝えたいのだが、アルコール的に酔う人が多い。w
UFOが見えるとかもその口。 乗り物はやっぱバイクですよ
気ままに走って好きな風景をみて
地図があってもたまに外れてみるのもまた楽し >>403
ヒンズーとか、他国の宗教じゃなきゃ幸福感でないなら
来世はその国の1国民に生まれるなw
まさか葬式は日本のなんとか宗とかじゃないよなww >>390
携帯をさわる時間を内観に変えたらどんなことが起きるのか気になる
でも携帯をいじってしまう 瞑想をやる人種ってどんなストレス持ってんだろ?
貧乏、病気、コミュ障、仕事できない、、こういう類いか >>412
自我に振り回されるのに飽きた
ただそれだけだよ 貧乏、病気、コミュ障、仕事できないから
朝から長文を連投してるんだろうな 貧乏、病気、コミュ障、仕事できないから
しっかり反応しているんだろうな フランスの高校生の作文を見て、日本の高校生の作文をみると小学生かというくらい
幼稚だものな。
それでもって、さらにマインドフルネスで静寂の練習をする。==>益々静寂で幼稚になる。
反逆せよ。騒げ。太鼓を叩け。
そういう瞑想の方が絶対に必要だと思う。w
長文? って作文力も読書力もないからこんな短文ですら読ませるのは無理だよな。 >>417
ぶっちゃけこのレスの文からは他人の文にケチつけるほどの文才も知性も感じない アメリカ人やフランス人は自己主張がしっかりしてるから、マインドフルネスは
有効に効くが日本人は従順で自己主張がないし文章も書けないからマインドフルネスは
多分有害だな。
このスレでもそうだが、「黙る」か「感情的に貶す」かどちらかしかできない。
まあどこのスレも似たようなものだが、、
瞑想をしても表現力はつかない。表現力がないというのはつまらんよ。
生き生きと生きるためには表現力が必要だ。
心の内では分かっている人も多いと思うが、表現をしないとそれが正しいかどうか
は分らない。誤った思い込みかもしれない。言葉にして出してみることでよくわかる。
釈迦だって何度も間違って修正をしている。生涯修正し続けている。
間違っても修正が気楽にできる環境というのが重要だな。一回まちがうと銃殺とか
だと、沈黙は金になる。w >ぶっちゃけこのレスの文からは他人の文にケチつけるほどの文才も知性も感じない
「文才も知性も俺が上」と思ってるわけだよね。そういう時には圧倒的な文章力で
その知性と文才を間接的に示すというのがベストだね。誹謗するのは下手なやり方。
文章力があれば比較してみるとよくわかる。
文章力は会話力と同じで、
「相手の会話を受けとれる。」
「適切に投げ返すことが出できる。」
これに尽きると思う。さらに言えば、会話の質を徐々に高めるように反応できるという
事ではないかな。 >>411
あー分かるなあ
携帯って悪魔の手先なんじゃないかとすら最近思いはじめたくらい 会話が下手ではセックスも仕事も下手と見られる。会話は重要だよ。あまり短い
セックスは駄目だと思うよ。子孫を残すためには、、、w セックスの時間が短いと子孫は残せないなんてどんなチン説だよ 相変わらずキチガイが騒いでるな
これが「反逆せよ。騒げ。太鼓を叩け。」
というキチガイの瞑想か? >>422
>釈迦だって何度も間違って修正をしている。生涯修正し続けている。
仏陀のことを呼び捨てにできる、その姿勢から、仏教理解がどの程度か推し量れる。 >>426
子供のとき親からゲームは1日1時間と教育されたのに、暇があればさわってるからね
今も まあなんだね
変人認定されるから
瞑想は人には言えない(誇れない)趣味 >仏陀のことを呼び捨てにできる、その姿勢から、仏教理解がどの程度か推し量れる。
ブッダガヤには日本寺があって宿泊施設を提供している。インドの下手なホテルよりも
清潔なので利用させてもらったことがある。
そうすると朝のお勤めに参加することが決まりになっている。お堂にいってみると
インド人が土べたに座って手を合わせているので「こっち上がれよ」って言うと、
「そこは日本人だけでインド人はそこに上がったらダメよ」
なんてことがあった。
仏教徒のくせにカースト丸出し。差別丸出しのその姿勢が気に入らんかったな。
綺麗ごとを言っても、その程度だ。そいでもって言葉だけではお釈迦様とは
釈迦が笑うわw >瞑想は人には言えない(誇れない)趣味
本物は行動に滲み出る。それがすべて。 >428
短文しか書けないというのは考える力や構成力がないということだ。それは
理解できるな。そうすると、大きな仕事は無理だな。大きな仕事は構成力が
必要だからね。なので下働きとか雑用になる。当然収入も少なくなるから
家族を構成できない。生活力がないと嫁もこない。必然的に子孫が残せない。
せめてセックスだけでも上手にできれば別の可能性もあるが、理解力がないと
適切なトレーニングも代替技術を編み出すような知恵も浮かばない。ひたすら
坐りつづけるだけ。それでは生存競争に勝てないだろ。良い娘を見つけても
直ぐにライバルに取られてしまう。
チン説ではなくて明白な事実。 >>435
全部あとづけの理由でなんの合理性もない
むりやり自分で決めた結論のほうに自分がこう思うからこうなんだ!て持っていってるだけじゃん
事象の間に「風が吹けば桶屋が儲かる」ほどのつながりもないよ ケータイいじる時間を内観に…って話を読んでハッとしたので
画面を消して瞑想を始めた。
そのあと、手帳に自分の思いを書きながら、これからの行き方を吟味した。 ID:3rSX9uuH
↑
初心者が真に受けると有害だし、NGでおk。 >事象の間に「風が吹けば桶屋が儲かる」ほどのつながりもないよ
自動車王フォードは文盲だったが、大成功をした。例外はあるので
短文しか書けなくても可能性は皆無ではない。
しかし現実には統計を取れば解るが知力のあるものが成功を収める。
坐っていても知力にはならないのもまた事実だ。
しかし知力のあるものが坐れば状況は全然変わる。フランス人には
マインドフルネスは有効だというのはこういうことだ。しかし詳しく
説明しなくても435が追える人なら解ると思うから説明は省略する。 瞑想を極めようと懸命にやっちゃうと妄想みちゃって
それがオナニーのごとく気持ちいいから中毒になって
もっと快感を得ようと金払ってやめられなくなるんだよ
怖い怖い まあ確かに目的を持って瞑想してると、そうなるかもしらんな
昔のクリシュナムルティの本を持ち出して、いま旅行先で読んでるんだけど、楽しくてたまらない
あなたが
瞑想をしようとこころみるなら
それは瞑想ではなくなってしまうでしょう
あなたが善良であろうとするなら
善はけっして花ひらくことはないでしょう
あなたが謙虚さを身につけようとするなら
それはなくなってしまうでしょう
瞑想とは
窓をあけておくと自然に流れ込んでくる
そよ風のようなものです
しかし
わざと窓をあけて待っていたり
それを故意に招き入れようとするなら
けっして姿をあらわさないでしょう
引用で長文ごめんな 行為の結果は尽き果てるが、それは行為者を行為の大海におとしいれる種子を残す。
それゆえ、行為が解放をもたらすことはない。
だが結果を期待せず、神への奉仕として為された行為は、心を清め、解脱へと導く。
身体、言葉、心による礼拝、ジャパ、瞑想という行為は、その順に向上する。 判断しない
苦しいとか面倒くさいとか欲しいとかそのたもろもろ 単純に、明確に、偏見も偏りもなく考えましょう。安倍昭恵はあほ・・・
仮に憎んでいれば「憎んではいけない、愛さなければならない」と言うでしょう。それは愛ではありません。
では、想像を絶するほどに奇怪で不道徳なこの社会を作り出した責任を感じながら、そしてまた
この世界や社会に生きながら、私たちひろりひとりが、完全に無秩序から自由になることができるでしょうか。
それは葛藤の完全な終わりを、私たちの中にある二元性の感覚、二元性、つまり私たちの中にある相反する要素の終わりを意味します。
ですから、それは計り知れないほど気ずいている、全ての思考に気が付いているということではないでしょうか。気が付いていられますか?
戦争、憎しみ、嫉妬、他人を傷つけることへの願望、思考は計り知れない害悪をもたらしました。時間の中での記憶の活動です。知識は経験にもとずいたものです。そして、経験はつねに有限です。
つねに、私は宇宙の秩序の広大無辺さを経験することはできません。それを経験することはできない。けれども、想像することはできます。すばらしいものです。
経験は有限です。ですから、知識もどんどん追加されていったとしても、現在、未来において有限です。科学知識はそのことにもとずいています。
思考は有限です。高尚でも下品でも、宗教的でも非宗教でも、徳があってもなくても、道徳的であっても非道徳的であっても、思考はやはり有限です。
思考のすることがなんであれ、それは限られています。それは脳が受け入れ、共に生きてきたパターンです。脳がパターンを作り出したのです。しかし、もし脳が、時間は変化の運動において何の価値もないと、圧力や脅迫からではなく自力で悟れば、そのときあなたは
パターンを壊したことにねるのです。すると、まったく違った生き方がうまれます >単純に、明確に、偏見も偏りもなく考えましょう。安倍昭恵はあほ・・・
自らは何の行動しないで、失敗を恐れずに行動する者を誹謗中傷するものこそ
最も惨めだ。
瞑想をしてもKを読んでも何の効果もない。
馬の耳に念仏
自らの頭では考えられないで、他人の頭が考えたことをダラダラと引用するだけ。
頭の中では仏典がゴミ屋敷をなす w。 >あなたが善良であろうとするなら
>善はけっして花ひらくことはないでしょう
これの意味わかってんの? チョット解説してくれる?
少なくとも偽善のことじゃないよな。そんな単純なことをKはいってるんじゃないよな。
じゃあ何で善良でありたいと思う人が善良にはならんのだね。 最近ダライラマがニュースにならないが、彼はあのような地位にありながら
非常に心が軽い。時には軽薄にさえ見える。オームの浅原と並んで写真を撮ったり
もした。心が開かれた人はこういうところがある。だから誹謗中傷には無防備な
ところがある。。
安倍昭恵も同じような心の軽い人だ。このような利点を見ないで猜疑心ばかりを
煽る。 また別の種類の変な長文が来たw
安倍昭恵はあほとか何なのかw
旅のお供にクリシュナムルティ持って来て良かったです
俗っぽい言い方だけどいつ読んでも自分の驕りを補正してくれるというか、自分が経験している実感の正しい部分を照らし出してくれるというか、そんな感じ 「ありのまま」を勘違いした人>妄想のありのままも見るのかー
現実の身体のありのままなのにね 何処がや?
何が実感なんや
何処が正しいとおもうんや
「そんな感じ」とかではわからんなーと突っ込みたくなる。
第一クリシュナムルティは世界中の宗教を敵に回して言いたい放題いってるのに
普通に考えてたら、自分の驕りを補正してくれるどころか100倍強化するわ。w
どう読んだら「驕りを補正してくれるん」のかと、そこのところが抜けてて
そんな感じーーでは、どんな感じか全然わからん。 読むのは言葉をイメージ(=理解)に変換する。書くのはこの逆でイメージ
を言葉に変換する。
読むだけに慣れていると逆がおぼつかなくなる。何が問題かというと
理解したつもりが正しいのかどうかの検証が疎かになる。
だから上っ面だけしか理解していないという過ちが頻発する。字面をよんで
感覚的に理解して何も疑問が起こらないということになる。
だから双方向の訓練が必要だ。双方向というのは「読む・書く」だけではなくて
「考える・行動する」これも双方向だ。静寂を練習する瞑想もこれだけでは片手
落ちだ。
日本では瞑想は自然に根付いている。誰もが瞑想的で静かだ。しかも協調的で
従順だ。すべてのことが阿吽の呼吸で解る。だからこれ以上は静かになる必要はない。
不要だ。有害。
アメリカやフランスで人気がでたからといって急いで輸入しても、これは役に
たたない。 >>451
自分が感じとってるのがパンニャッティなのかパラマッタなのか意識せずにヴィパッサナーしてる人もいるからねえ まあオレごときがクリシュナムルティ読んでても
ク「見たまえあれが山のてっぺんだ、そしてそこに至る道はない」
自分「あー霞んでてよく見えないけど辛うじて…」(ジタバタ)
くらいな感じではあるんだけどね ここは瞑想を必要としていたり瞑想に興味がある人がくるスレだよな?
そこに瞑想は不要だと書き込みに来ても無意味だと思うんだが
酔っ払いの憂さ晴らしは他所でやればいいのにな >>456
スマホで見てるのならあぼーんするといいよ これが正しいあれは間違いというのをすべて消して
精神をすべての条件付けから解放できたら
どんなに興味深いことか で みなさんはどんな成果があったの? 初心者なんで教えて欲しい 生きやすくなるのが目的? 悟りが目的なの?
何年やっててどう変わったの? というか ここは成果を報告し合う場なの? 技法の方法などの質問の場? それとも何処かの組織へ誘導したりとか?
書き込みに対する自分への返しをあれこれ心配したり怒ったり その時の自分を観察するには最良の場というのはわかる だいぶん役に立ちそう 皮肉でなくて 1人がエゴを撒き散らして、全員がそいつをNGしてゆるく語る場所だよ。特に決まった話題もない >460
瞑想が効果的に実践されると、
1.排他的で狭量でジメジメした性格はなくなる。
2.精神が解放されるので、どんな意見も大らかに耳を傾けることができるようになる。
3.心が軽くなるので誹謗中傷をしなくなる。
みたいな感じだな。 うつ病で精神が沈んだような人がさらに静寂の練習をすると症状は悪化する。
別にうつ病でなくてもある程度のバイタリティーやエネルギーがない人が
瞑想で沈み込む練習をするのは良くない。
これは釈迦も反省して途中でやめてる。最初は墓を暴いて死を見つめる瞑想を
やっていたが、うつ病になるものが出てきて中止してる。そういう記録が
残っている。
だから普段からぶちぶちぶちと陰湿な人は瞑想は向かないしやめた方がいい。
益々陰湿になる。 瞑想は魔法でも何でもないから、間違ったやり方をすると有害だ。
欝の人はプロ―ザックでもリタリンでも処方してもらって飲んだ方がいい。 思考錯誤によってしか真理には到達できない。思考錯誤では間違うということも正しい
こと同様に意味がある。
大きく大胆に間違う人は速く目標にたどり着く。
あまりにも錯誤が多いとハンチングして収束しなくなるが、高速に収束させる
には大いなる錯誤が重要なのだ。
正しいことだけしか喋れないというような会社はすぐに倒産する。遠慮なく
なんでも言える風通しのよい会社は業績もいい。これは会社でも会話でも同じだ。
シャチこばった倫理くんがいては会話は弾まない。 >>459
真摯に回答を求めている?
荒らすネタが欲しいだけ?
たぶんみんな無駄なことはしたくないと思うので 瞑想は危険だから精神科で薬をって
殆どの 場合、精神科の方が遥かに危険 >447
クリシュナムルティはマインドフルネスは瞑想ではないといってる。彼が言いたい
のはマインドフルネスは偽物だということだ。
ソクラテスはそこが戦場であれ市場であれ、あるときフッと立ち止まった。一晩立ち
続けることもあった。これが瞑想だ。瞑想は時と場所を選ばずに向こうからやってくる。
瞑想は天与のものだから、坐って鼻息を見つめても全く関係ない。起こるときは起こる
が起こらない時は起こらない。
「さあこれから坐ってみなさん瞑想しましょう」なんてのは愚にもつかない戯言だと、
まあそういうように言ってる。
静寂は瞑想の条件ではなくて結果として訪れるもの。だから意図的に静かにすること
で精神的遅滞は加速されることがあっても瞑想にはなんら寄与しない。 >殆どの 場合、精神科の方が遥かに危険
寝たきりになると1週間でガクッと手足が弱くなる。これは体の話だが精神も同じ
だ。非常に健康な精神をもった人でもリトリート(ワークショップ)に参加すると
1週間でガラリと人格が変わる場合がある。まあ日常生活に戻れば1週間で元の木阿弥
でまた健康になるが、ダメージを残す人もいる。習慣的にやりつづければダメージは
少しづつ蓄積していく。
客観的に見るとダメージだが、「静かでよい性格になったねーーー。お利口さんに
なったねーー」という無責任な見方もある。 朝晩5kmづつ走ってるんだけど、
ただ漫然と走るよりマインドフルネスで走ると気持ちはしゃっきりするね、特に朝は。わんこいないのは残念だがw
ブッダは行住座臥すべてで気付きを絶やすなって言ってたし、走は入ってないけど行ってことで
旅行中走ってないしレースまで2か月だからちょっと頑張らないと 旅行中クリシュナムルティに大分心酔したので、
神智学会にいた頃の本も引っ張り出して読んでる
その頃のクリシュナムルティは…アストラル体がどうだの言いだしてて痛い感じなので、補正にはちょうどいい なんで一般人が瞑想?
そもそも制限された人生を送ってる僧侶がやることだろwww そういや何故始めたのかは忘れたな…
まあいいや、始めたときの理由は無くなったんだろう >>472
> なんで一般人が瞑想?
>
> そもそも制限された人生を送ってる僧侶がやることだろwww
誰がそんなこと言ってるの?
誰がそんなこと決めたの?
自分で適当に言ってるだけ?どういう理由? >>474
まあまあ、単なるFAQじゃないっすかw >>475
ググる必要もないからお前に問うたのだが
答えられないのか?
頭悪いのはお前だろう。脳梅毒でもわずらってるのか?流行ってるらしいからな >>476
あぁ、ごめんまた相手しちゃったよ、あはは
春だなぁ >>479
必死に見えるかぁ?相手が必死になってくれるほどの器が自分にあると思うかぁ?
いまね、鼻くそほじくる瞑想しながらこれ書いてるのw
さぁ、どんどんレスしておくれ。書けば書くほどキミの頭の良さがみんなに見えてくるよ! おそらくマインドフルネスの知識も瞑想の知識もまったくない人間に違いないと思ってたら
そのうえにレスアンカーの打ち方も知らないネット初心者、PC初心者であったよ
真剣10代しゃべりば!! 感情的な人にはマインドフルネスは合わない
悲観的な人のほうが合ってるよ
感情のコントロールはマハリシの瞑想がオススメ
旦那のdvがひどくてやらせたら良くなった
癌で死ななかったら続けていたかも
無料講習会があるから参加してみたらいいよ 次、後手「TMやったら癌で死んどるんかい!」を着手 いやそういう展開になると思うよ
それで枝葉の話がちょろちょろ出て、水着回があって、やっぱり瞑想なんてやってる奴は・・・みたいになって1クール終了、2期期待、みたいな TMやっても性格直らなかった人沢山知ってるけど・・・(またクールが始まる >>488
人の不幸を話の種にするんだからあんたも癌になります 話のネタになるよって予言したら話のネタにしたことになって呪われたw
ちなみにTMには無料講習会はありません。あるのは無料説明会ね。効果と動作原理を教わるだけ。 AIが発達するとヴィパッサナー出来るようになるのかな?
自分のインターフェースや思考が量子化されていることをAIは如実に知見出来るんだろか?
なんて無駄な思考実験でしばし遊んでしまった >>491
以前それに出たけど、すごい地味な教師でびっくりした
しかも投資もうまくできるようになるとか言うけど、ゴージャスってどういう意味か
わかってないようなおばさんだった
お金は口座にいくらあっても日々の人生が白黒の人っているよね
逆に資産はなくても日々の人生がカラーの人も多いのに
心が白黒の人が現実逃避するような感じで引いたわ > 心が白黒の人が現実逃避するような感じ
わかるなあ オレはマハシ式だから、膨らみ縮みをメディテーションアンカーにして朝ランしてるんだけど、走ってる時は呼吸に対する作為はすごく見つけやすいのでおすすめ
たいした運動強度はいらなくて、5メッツも出てれば呼吸の観察にちょっとでも作為が入ればすぐわかる まあ走ってるとたまにカニカサマーディっぽくなっちゃって、あれオレ死ぬの?って思う時も遠からず来ると思うけど、相手にしなきゃ消えてくので、心配はないっす >>501
マハシ式が何百万とかwww
ちょ何とかしてよ、これじゃ瞑想なんないしwww >お金は口座にいくらあっても日々の人生が白黒の人っているよね
お金を貯めるには成功する必要がある。成功するには強い信念が必要だ。
傾向としては頭はどうしても固くなるしカラフルにはなりにくい。
しかし知恵や想像力によってお金を貯める人もいる。こういう人はカラフル。
強い信念と想像力は矛盾した頭の使い方なので両立は難しい。
マインドフルネスをやればどうなるのかというと、注意深く観察する力の
基礎訓練になる。しかし3日も練習して観察力が付かないというのは異常だ。
普通の知能があれば1日も練習すれば十分だ。にも拘らず何日も何日も練習
するとどうなるだろうか? このような訓練は忍耐力の訓練にはなっても
観察力の訓練ではないのは明らかだ。では何の力をつけたいというのだろうか? >>501
ありがとう、肩の力が抜けたのか今日の一座は非常に良かった
マジレスしとくと、マハシとマハリシは違うから
まあ確かに似てるよね、瞑想知ってる人なら、膨らみ縮みが…とまで言ってて間違いようも無いと思うけど >>505
金は棺桶に入れてあの世へ持っていけないからね
死銭あつめてほくそえんでる人って表情が死んでるよ マインドフルネススレ来ててマハシ式知らないっていうのはおかしいでしょ
歩行瞑想や早歩きのときは腹部の感覚などの呼吸じゃなくて足の感覚を
中心対象にする指導者が多いと思うんだけど
ティク・ナット・ハンは歩く瞑想でも呼吸を意識するけど、腹部の感覚を対象にはしてなかったと思う
>>500がやってるのは独自のやり方?別に批判してるわけではない ↑ティク・ナット・ハンを例に上げたけど、ティク・ナット・ハンはラベリングしないからマハシ式ではない >>502
わたしも瞑想朝ランしてるんですけど、ちょっと怖くなりました
カニカサマーディって死ぬかも?って体験なんですか? >>500
ランニングしながら冥想ができるのは驚きです。
ランニングの能力も増すの?
息苦しくならない? ランニング中は呼吸に注意しなくてはならない。呼吸だけでなくて姿勢やスピードにも
細心の注意が必要だ。しかしそれは瞑想とは言わずに「ランニング」というんが普通だ。 ランナーズハイってのは経験したことがある。しかし寧ろランニング中よりも
ラン後ハイだな。ランニング中にハイになるのは寧ろヤバい。
走り始めた頃は走った後は異常に気持ちがいい。これがランニングハイ
といわれているが、実際はラン後ハイ。でもすぐに体力が付くのでハイは無くなる。
普通に気持ちがいいというレベルに落ち着く。 瞑想もランナーズハイと同じで、初心者には嘗て体験をしたことがない驚くような
高揚感がおこることある。しかしすぐに平衡を取り戻すのでこの高揚感は二度と
起こらない。
ただし脳に病気を抱えているような人ではこの高揚感がいつまでも続いて収まらない
ことがある。 >>500
動中の工夫は静中の工夫より勝ということはまさにそのことだな
動きに余計な意識が吸い取られてて、より注意が集中しやすくなるってことかもしれない
動きとは別のことに意識を向けるというのは、そういう利点があるかもしれないな >動中の工夫は静中の工夫より勝ということはまさにそのことだな
勝るというよりは、静中の工夫などは殆ど役に立たない。坐って瞑想しても
何にもならんということだ。それは薬物依存や酔っ払いとあまり違わない。
動中の工夫というのは、何を隠そう普通の科学的練習のことだ。そこに瞑想などは
関係ない。 右の足をあげました。左の足を上げました。、、、、、、
そんな走り方はできない。それよりも前方をしっかりと見て穴ぼこに落ちないよう
に気を付ける。 ランニング中に冥想に似た状態になるのはわかるけど、
ランニング中に冥想も同時に行えるというのは疑問。 >>519
> 右の足をあげました。左の足を上げました。、、、、、、
> そんな走り方はできない。
ま、そりゃそうだろうな
だいたい、ヴィパッサナーは基本、動作をスローモーションにして実況するのが特徴だと思う
速歩きせざるを得ない時の「歩行瞑想」のやり方、グリーンヒルではこの動画の最後のように教えているらしい
https://www.youtube.com/watch?v=b9JJ7cvIqqo
>それよりも前方をしっかりと見て穴ぼこに落ちないように気を付ける。
そこは「穴ぼこ」「怖れ」ってサティを入れるとこ、冗談だけど 俺が最初に見るものは見られるものの状態になった時は そろばんみたいな動作を高速でやってるときだったな
ただし意識を置く場所にコツがあって...
世界がそろばんだけになって そろばんが生き生きし過ぎてて後から笑った >>522
ちょっと質問なんだけど
・マインドフルネス瞑想を実践してる方ですか?
・マインドフルネス瞑想を実践してない方なら、マインドフルネス瞑想に少しは興味のある方ですか? >>497
>>498
goo辞書
TMer
[名詞] ((米)) 超絶瞑想めいそう者,超絶瞑想の信者.
↑信者って、、宗教じゃんw >522
それって「3時までに決算してくれないと会社が倒産する」
って社長に泣きつかれた時だろ。 瞑想中は煩悩や悩み苦しみから離れられるけど、
瞑想から覚めるとまた煩悩や悩み苦しみに襲われる。
瞑想をいくら続けても不動心が身についている気がしない。
かえって瞑想中の心地よさと現実とのギャップが広がってるように思えてならない。 >瞑想をいくら続けても不動心が身についている気がしない。
不動心は無理。唯一それを可能にするのは実際に死ぬかもしくは
精神的に死ぬときだけ。
>かえって瞑想中の心地よさと現実とのギャップが広がってるように思えてならない。
そのギャップを楽しむ。不動ならざる心の揺れを楽しむために生まれてきたのだから
お不動さんになってしまっては意味がない。 ヴィパサナやって毎回心地よいと感じるなら、それは違うことやってるのかもよ >>508
>>>500がやってるのは独自のやり方?別に批判してるわけではない
日々のメニューとしての立歩座の歩は、歩く時の感覚でやってるけど、ランはエクストラなんで日常の気付きの一環として勝手にやってます
ランで走る動作をアンカーにするとすぐ号令になっちゃうし(右っ左っ右っ左っほぃほぃほぃってなる)
あとは運動強度を一定に保つために呼吸はもともと観察した方が良いということと、呼吸に対する作為を見つけるのにすっごーーーく効いたってので、そのまま続けてます >>510
>カニカサマーディって死ぬかも?って体験なんですか?
いや、っぽいだけでたぶんカニカサマーディじゃないと思います…
なんか急にスローモーションになって世界がぐわっと鮮明になるんで、ヒェッ何おきた次走馬灯くるの?って最初思っただけ
予告無しで突然朝ランでそんなの来られても迷惑なだけですよね
でも相手しないでメディテーションアンカーに戻ってれば勝手に消えるので大丈夫ですよ >>512
>ランニングの能力も増すの?
いや無いと思いますよ、あり得ない
>息苦しくならない?
観察にちょっとでも作為が入ってるとすっごい辛いですw
走ってる時の瞑想はヴィパッサナーだったら問題なく出来るのでは?
まあ、座のときみたいな状態にはならないですが
瞑想を「するもの」じゃなく、「して何かの境地に達するもの」って捉えちゃってません? >>533
瞑想しても1分後には彼女のことを想うものだからな うまくいかない恋はきっぱり諦めたいけど、会社で毎日のように話すから諦められない 恋瞑想。
恋を瞑想にする。w マラソンだって瞑想と呼びたい人はいるみたいだし恋なら
もっと瞑想に相応しい。走っている時にフッと意識が飛んでしまうようなときがある
が、恋でもフッと意識が飛ぶ。w
いずれにしても柱に頭をぶつけないように注意するのがコツだ。 ↑
何この人葱持ち悪いw
ボッシーになりそうな予感w 瞑想を目指すというのは一つにはていのいい逃げ道を選んでいるに過ぎない。勉強はだめ、
運動もだめ、何をやっても勝てそうにないが、瞑想なら何とかなるかもしれないと思わせる
なにかがある。コッソリと誰も知らない秘密のコツを掴めば、圧倒的な能力を獲得できる
と思わせるだけの非常に曖昧模糊とした仕組みになっている。
仕組みのキーワードの一つが釈迦だ。こいつを祭り上げておくことで誰もが安易に踏み込めない
神聖なバリアができる。釈迦だけは侵してはならない神聖な領域だ。だからここに何でも
かんでもほりこんで隠してしまう。
「、、、、とお釈迦さんがいいました」 「へへーーーーー」と頭を下げる。
だもんでチョット瞑想の駄目だしをすると怒り狂う人がいる。
あと日本にはカタカナ信仰があるので、坐禅という言葉には坊主臭いと抵抗感があっても
ビパッサナとかマインドフルネスっていうと中身は殆ど変わらなくててもチョと新鮮な感じがする。 >>539
> 瞑想を目指すというのは一つにはていのいい逃げ道を選んでいるに過ぎない。
もちろん、瞑想が認知行動療法等でよく言われる「体験の回避」になってはならない
これは熊野さんも指摘している
そういうことでなければマインドフルネスは本質的・基本的には回避ではないと俺は思う
また、瞑想さえすれば万能の処方箋が得られるなんて考えはおかしいが、
人それぞれとはいえ瞑想、マインドフルネスによって得られるメリットがありうるわけで、
それを十把一からげに逃げ道と断ずることは適当ではない ヴィパッサナーが新鮮だとは思わないが、「ビパッサナ」は新鮮だな ヴィパッサナーはオウム真理教用語みたいな言葉の響きでカルト臭がある 高級車がつくと、御付のものがサッと出てきて赤いジュータンを敷く。ドアを恭しく
開けて平身低頭すると、中から坊主が出てきて、赤いジュータンの敷き詰めた道をゆっくり
とビパッサナであるく。行く先々で赤い絨毯が道に敷かれる。
これはピンの坊主。
ロールスロイスを何百台も所有していた坊主もいた。日本かぶれで「和尚」と呼ばれていたが
実はインド人。マジシャン顔負けのマジックで手から聖砂を出して一財産を稼いだのもいる。
最近セロのマジックを見たが恐ろしい。とんでもないマジックだ。こんなマジックを使って
空中浮揚とか見せられたら一発で信じ込んでしまいそうだ。早速熱烈な手紙を書いて入門を
お願いして許可してもらって只管パシリと只管坐禅をすることになる。いつまでたっても
超能力はつかない。
反対に貧乏坊主とか乞食坊主もいる。まあピンキリだな。
キリ坊主。こっちは清貧なのでやはり心が疼く。母性本能がくすぐられて
「なんとかしてあげなくては」
と思ってしまう。ただ貧乏だけが取り柄なのに、心優しい人々が何かと支えになる。そうこう
する内にメディアに取り上げられて偉大な聖者に祭り上げられてしまう。
NHKに出てくる坊主でも、一体全体何をいってるのか訳が分からんのが多い。まあそれでも
清貧というのは素晴らしいことだ。 言葉で俺様スタンダードで勝手にイメージつくって妄想するような人のことまで知らんがなw 子供のころ、親にTVって絵が動いてるように見えるけど光る点が明滅してるだけなんだと言われ、虫眼鏡でみせてもらったことがある。
そのまま虫眼鏡をもらって色々見て回ったものだった。楽しかった。
そして数年前、
友「人間が物事を認識する時って、感覚に受けた情報そのまんまのパラマッタと、それにまとめて名前を付けただけの仮想的な存在のパンニャッティがあって、ヴィパッサナー瞑想やると頭の中のその処理がわかるようになるらしい」
私「あーわかるわー、水の流れを川って認識するようなもんね」
友「…まあそれは荒すぎるけど、それで自分の心の中も同じように思考の単位をバラで見られるようになる」
私「へー…でもそれって面白いの?」
友「この話の流れでわからん?w お前もパンニャッティなんやで」
私「はい?www………あーマジか…まいったな…」
頭では分かってる。その時友が説明のなにを端折ったのかも今はわかる。しかし自我があたかも存在しているという実感はまだ強烈にある。
というわけで、今日も虫眼鏡片手に探検している。真偽を自分の目で見る為に。そうじゃなきゃ楽しくないもんね。
今朝は雨で走れなかった、明日の朝は10km走ろう >>542
あ、それ何か分かるわ〜
ヘクトパスカルも最初は違和感あったもんね >>542
じゃ元祖マントラの超越はどうなるんだw
T@教師ってどういう人がなるんだろ?
マイコンされやすい人とか? NGしてても言ってる事がだいたい分かっちゃう不思議w 必死に超越に話をひっぱってく人もいるしもうバトルロワイアルだな
まあ嫌いじゃないが 長文荒らしは誰かと話したくてしかたなくて
TMはTMのことを話したくてしかたがないんだろう >ヴィパッサナー瞑想やると頭の中のその処理がわかるようになるらしい」
音がリアルに見えるようになったとしても、それは寄せては返すさざ波だ。
意味を剥ぎ取って真実を見たところでなんも意味はない。
只のさざ波にすぎないものに意味を被せるからニャーとなく。猫なら50種
位の言葉を持つ。猫以下を目指す馬鹿インド人、それをサドゥーという。 インドのyogaマニアは水中で1時間も息を止めたりできる人もいると聞くが
訓練をすれば恐らくできるようになるのだろう。1時間くらいならさもありなん。
10分くらいなら練習すれば自分でもできそうな気がするが、1時間だと一線を越える
ような努力が必要だと思う。マラソンで2時間を切るのと1時間呼吸を止めるのと
どちらが難しいだろうか? どちらが難しいかわわからないが、マラソンなら
オリンピックで優勝という輝かしい実績になる。だからどうせ目指すならマラソンだろう。
仮に2時間を切れなくて3時間だったとしても、地方の大会で優勝できれば米俵が
貰えることもある。更に妥協して4時間だったとしても一目置かれる。さらにさらに
妥協して5時間だったとしても、一般人から見れば凄いと思われる。6時間以上も
もかかってしまうと途中でバスに乗せられて強制送還されるという不名誉が待って
いるがギリギリ5時間50分で走ってもまだ後ろには何百人も走っているので
「よく頑張った」という自信になる。
そういえば千日回峰業ってもあるな。まだまだ希少価値があるのであれをやり遂げる
と寺の住職なみのポストには十分ありつける。 そういや長文荒しさん前に、小乗はジャンキーバエだけど大乗は大乗哲学だって言ってたけど、やっぱ大乗の人なのかな
おそろしや >>547
教師ってつくから教師みたいな硬そうな人が多いんだろうな
メガネかけたり髪の毛染めてたりガリガリに痩せてたり、、
そういうオーラがなさそうな人は普通にいても寄りたくないね >>553
それは無いんじゃない
マインドフルネスって技法は上座部の影響大きいけど理念は大乗でしょ まあ、tmみたいに空中浮揚をしたいとか目的があって
大金出してる人はそれはそれだよ
経済が回るからいいんでね? 去年の6月くらいから瞑想を始めて
今日、やっと無常を体験できた気がします
とても新鮮な体験でした
ヴィパッサナー瞑想でいつもと同じように観察していたのですが
現象が現れて認識しタグを打った後に「あ、この現象は終わった(滅したというんですか?)んだ」と実感できました
一切皆苦から始まり今日で諸行無常、あと諸法無我を体験できるように精進したいと思います >>558
おー、それは素晴らしい。
どんなメニューで実践されてます? ありがとうございます
本格的にやっておられる方のまえで発表するには
私のやってることは正直恥ずかしいのですが何かお役に立てれば
いろいろ試行錯誤して以下が現在の日課になってます
立つ瞑想15分
歩く瞑想10分くらい(駅から職場までとか家から駅までとかの短時間を数回)
ヴィパッサナー随時(家事やる時とか単純作業とかですね)
慈悲の瞑想 随時(ただし朝歯磨きする時は必ずしてます)
食べる瞑想 1日1回(土日はサボリ気味です)
自分はAwareness meditation 第3版とブッダの瞑想法を土台にして
通勤の読書できる時間にスマナサーラ長老の本を少しずつ読んだり2chの関連スレを読んだりして勉強してます
Amazon unlimitedの読み放題サービスで瞑想や仏教関連の本がたくさん読めるので重宝しています 段階を追って一切快苦ーー>諸行無常ーー>諸法無我となるとは限らない。
知恵はそのように限定的なものじゃない。段階を追って到達するのは教育の成果で
知識。知識として詰め込むからそのような段階を踏めるし成果が出る。到達もできる。
それは絶対的真理だと教育された妄想。
本当に知恵が発露したら段階を踏んで到達するようなことはない。行く先も限定
されることはない。野放し。
だから行く先が「一切地獄」かもしれない。w 妄想を否定しているのではない。寧ろ肯定している。
諸法無我は釈迦が発明したエンターテイメントだ。だから劇団四季のマーメイドや
美女と野獣と同じようなものだ。みんなでやるんではなくて一人で頭の中でやるという
違いはある。しかし押さえておかなくてはならんのはやはりこれはエンターテイメント
だということ。泣けてくるとか体が疼くとか浮遊感があるとか、飛んでいくとか似た
ような感覚は誰でも持つ。
なので一生懸命練習したら面白い。しかし一線を越えてはいけない。あくまで妄想だと
いうことだ。
洋服を買うと作る想像力は無くなる。それがプラダでも釈迦でも同じだ。買うのは
手っ取り早いが失うものも多い。
買うことで人は殆どの楽しみを失う。そこで酔うしかない。プラダに酔う。釈迦に酔う。
TMはべらぼうだが、マインドフルネスは安い買い物だ。デザインも味も似ている。
どちらを選んでも同じように酔える。 >洋服を買うと作る想像力は無くなる。
洋服を作る必要はない
素人が一から作るより専門家が真剣にデザインしたもののほうが優れている
>どちらを選んでも同じように酔える。
お前は酒に酔っているのか?
己の長文の駄文に酔っているのか? >>560
なるほど日常に組み込んでますね。
食事の瞑想を一日一回ってのがすごい、オレちょっと普段は無理ですw
以前テーラワーダ協会の守谷の合宿におじゃましたことがあるんですが、皆さん食事に1時間くらいかけるんですね。まあ確かに一口一口箸を戻してから噛む噛む噛む味わう飲み込むってサティ入れてたら1時間余裕ですが
食事の観察って唱えるじゃないですか「正覚者の説かれた…」ってやつ。守谷では食事のときにそれが書かれたパウチを取って席につくんですが、ふと裏を見ると、たぶん一般人ドン引きと思われるスッタの言葉が書かれておりw、家族に見せたくて一枚貰って帰りましたw
Kindle unlimitedの話がでたから見たら正田大観さんの翻訳シリーズが戻ってきてた。一度外れたから入るの止めたんだけど…入会しちゃおうかな… >たぶん一般人ドン引きと思われるスッタの言葉が書かれておりw、家族に見せたくて一枚貰って帰りましたw
そのスッタの言葉って何?
お経の言葉で家族をドン引きさせることはできましたか? >>565
あー不勉強が白日の下に晒されるwww
あれ何の経なんでしょ、身体は糞尿を包んだ肉の袋で病になれば膿み崩れる不浄でおぞましき…みたいな、明らかに初期仏教のノリのやつです
食事の瞑想の裏これ?ってwww
妻に見せたら笑いは取れましたw >>562
>TMはべらぼうだが、マインドフルネスは安い買い物だ。デザインも味も似ている。
どう違うの? 瞑想続けてると食べる量減らしてないのにちょっとずつ痩せてきますよね?
脳が活性化するから消費カロリーが増えるとかそんなですか?
私ウエスト82あったのに今じゃ72まで縮みました 研究されてないから分からないが、酸素を取り込んで基礎代謝を上げる活動(運動に近いもの)だから、と思ってる 瞑想によって感情が非常に鋭くなるばあい、たとえば、遠くの鳥の声がリアルに
聞こえるとか、普通では感じない桜の花の匂いを感じたりとか、こういう状態では
脳は活性化している。
静止というのも休んでいる静止もあるが、サーボが効いた状態の静止もある。
肉体で言えば竿の先端でバランスを取って静止している状態だ。このときは静止
していても活動している。常時このような訓練をしていれば脳は活性化するので
腹が減る。体重も減る。 「好きこそものの上手なれ」というが、好きになるとやはり腹が減る。これでも
痩せる。嫌々やっているような仕事では、一生懸命頑張っていても脳は活動
的にならない。不平が多い人が頭が悪いのは、脳が活性化しないからだ。
なんにでもいちゃもんをつける。ずいぶん活動量が多いように見えるが、実は
感覚が閉じているので脳は停止している。
だから感情を豊かにするとか感覚を鋭くするのは脳の健康に非常にいい。
頭が悪いと言葉も悪いが表情が無くなる。それが一番問題だ。 >どう違うの?
違いは問題にならない。使い方次第だからね。どちらにしても使い方が分からなく
ては役にたたない。もともとそんなものは不要だ。必要な人はすでに使ってる。
しかし、行き詰って藁にもすがりたいと思う時には藁の代わりにマインドフルネス
でもいい。TMは掴まんほうがいいだろ。
マインドフルネス、藁、TMの順ばんだな。 >>573
レスありがとう
瞑想でググると必ずTMが出てくるけど同時に費用がバカ高いみたいなのでやめておきます
マインドフルネスの本を買ってきましたのでやってみます 他の思いが起こってきたときに、その思いを追いかけるのをやめ、その思いは
誰に起こってきたのか。。と尋ねるべきである・・・どんな思いが起ころうと
かまいはしない。。
想いが起こるたびに、その想いは誰に起こってきたのか、、と勤勉に問いかければよい
その問いに対する回答は、私に、、であるに決まっている。そこで私は誰か。。と問えば
心は源に引き戻され。。現れ出た想いは静かになるだろう。この方法を繰り返し実習することにより
心はその源にとどまる術を見出すだろう。微細なものである心が、頭脳や感覚器官をとおして外部に出ると
粗大なものである名前や形が立ち現れる。心がハートのうちにとどまっていれば
名前や形は消えてしまう。心を外に出ていかせず、内在性アンタールムカと呼ばれているハートのうちにとどめておきなさい。
心をハートから出してしまうことは外向性バーヒールムカと呼ばれている。
このように、心がハートの内にとどまっているときには、すべての想いの源である私は去り、常在の自己が輝くだろう。人が何をするにしても、私というエゴ性なしに
それをしなければならない。すべてのことをそのように行えば、すべてはシバの神の本性として現れるだろう。
ラマナマハルシの教えより >576
そんな小難しいことを言ってもやり方が分からんだろ。要するに好きなればいい。
ラマナが好きなら、ラマナの写真をそこら中に貼りまくっていれば好きになる。
理由はわからんが、なんかしら毎日みてると親しみが沸いてきて段々と好きになる。
好きになったら心が入るので理解も進む。ラマナの本を胸に抱いて温もりを感じる
ようでないと好きになったとはいえんな。36.5度の体温が40度くらいになる。
そのくらい好きになったら本を読んでもよく理解できるようになる。
毎日抱いて寝たら暖房もいらない。 やばい人がいるけど、本人はやばいってことに気づいてないんだろうな 読経は今読むことに集中することでマインドフルネスの鍛錬になるし、
丹田呼吸法で読み上げるので健康的にも良いし、
仏やご先祖への感謝の念から謙虚になれるので人格形成にも良い。
掃除も綺麗にすることに集中することでマインドフルネスの鍛錬にるなるし、
体を使うので健康的にも良いし、
綺麗にすると心まで綺麗になったように思われるので精神的にも良い。
瞑想ももちろん意識を呼吸において雑念から呼吸に意識を戻すことでマインドフルネスの鍛錬になる。
歩く瞑想はゆっくり歩いて踵の裏の感触に意識を置くものだが、
そんな悠長なことをしてるよりも5000歩散歩する方が自分には向いている。 平井堅「僕の心をつくってよ」
いや、自分の心は自分だけがつくれる >やばい人がいるけど、本人はやばいってことに気づいてないんだろうな
やばいなー、気付いてないんだろうな。
言語習得は膨大な時間を必要とする。TEDを聞いていると多言語を短期間にマスター
した人は対話からが殆どだ。
原理的に多読は最も効率的な方法だと思うが、鬱々と勉強しているようでは脳は
活性化していない。だから大量に時間を使って勉強しているようでもマスター
できない。
揚げ足取りを習慣化しているような人の頭は沈滞している。脳にとっては最も
悪い習慣だ。
一方で和気藹々と対話できる人の脳は着火している。爆発的に活動している
だから何百倍も効率的に働いている。そういう状態で学習すれば上達が早いのは
明らかだ。だから多読のように大量の情報に触れているからといって効果的に
学習できるとは限らない。
慈悲の瞑想が最も効果があるという人は多い。これは感情が豊かになるからだ。
感情が豊かになると脳が活発に動く。静かなようでも活動的になっている。
着火状態になれば爆発的な活動状態になる。フランシスコザビエルは町を
飛び跳ねるように歩きまわっていていたという。子供が嬉しそうに走り回って
いる姿が目に浮かぶ。
良寛などもそういう逸話が多い。ダライラマも陽気だ。陰鬱な坊主はいかんな。
あるく瞑想とか駄目だろ。 >仏やご先祖への感謝の念から謙虚になれるので人格形成にも良い。
先祖によりけりだと思う。酒飲みの先祖とか、ウダウダと揚げ足取りの先祖は
同じような先祖だから、そんな先祖慕ってマインドフルネスをするとやはり
揚げ足取りになる。それが延々とつづいて今日がある。
如何せん聖人を先祖に持つ人は少ない。だいたいの先祖は揚げ足取りの先祖だ。
人格形成にはよくないのは明らかだ。w
>掃除も綺麗にすることに集中することでマインドフルネスの鍛錬にるなるし、
>体を使うので健康的にも良いし、
>綺麗にすると心まで綺麗になったように思われるので精神的にも良い。
酒飲みや揚げ足取りの先祖よりも掃除がいい。これなら間違いなし。
>瞑想ももちろん意識を呼吸において雑念から呼吸に意識を戻すことで
>マインドフルネスの鍛錬になる。
瞑想は効果がない。揚げ足取りの瞑想は、揚げ足取りにしかならんからね。
そもそも瞑想にならん。 マインドフルに散歩悪くないね。
雨で走れないときは散歩でもしようかな。
雨の日の散歩はガマが道に出てるときが多くて、
そのままにしとくと大抵車に轢かれてペッちゃんこになっちゃうので目的地(と思われる家の庭w)に放り込んでおくんだけど、やつら毒があるのね。
前に手の洗いかたが甘かったのか、顔さわったら目が痛くなった時があった。
昨日の夜も子供が帰ってきて「ガマが隣の敷地に入ろうとして悩んでたみたいだったからウチの庭に運んどいた」って言ってたし、最近多いみたいだから、軍手して散歩かな。 >>530
>でも相手しないでメディテーションアンカーに戻ってれば勝手に消えるので大丈夫ですよ
ありがとうございました。
安心しました笑 それでも気になる。どうしても気になる。NGを外して内容を見てみる。チョッとだけ
ちょっかいだしとこ。てへ、、、
好奇心は抑えられない。そうやって少しづつ少しづつ悪い仲間に引っ張りこまれる。
安心はできない。
兎に角シャットアウトというのはビビりの証拠。そのビビりな奴ほど狙い目だ。
洗脳集団はそういうやつをカモにする。
セールスお断りと書いてあるところを詐欺師は狙う。これがカモのマークだ。
「保険は大嫌い」というやつほど狙い目というのは保険外交員の常識。 >>581
お前が一番ヤバイんだけど
気付いてないんだろうなw
歩くも漢字で書けないくらい酔ってるのか? 酔っぱらうとくってかかる人。酔っぱらうと上機嫌になる人。酔っぱらうとくどくなる人
これは瞑想と飲み屋に共通してみられる現象だ。 >>581
揚げ足取りが習慣化している人はどうすればよいんでしょう?
たしかに脳が不活性です。何とかしたいです。 カルト宗教の信者がどうして増えてくのかを今理解したw 片思いのストレス
仕事のストレス
老化のストレス
最近は本にも映画にも集中できない
マインドフルに生きたい 生きることはストレス
「苦」であり、思い通りにいかないものだと
お釈迦さんは言ったんだよね
キリストさんが産まれる500年くらい前に
そしてその「苦」を終わらせる方法を示した 去年の今頃マインドフルネスが有名だったらな〜
nhkで取り上げたから知った
TMに入ってん十万払ったし教師と人間関係できてるし
これから先を考えたらやめようかな >>590
辛いときは何やっても楽しめないよね
理性は比較する機能だから、理性の働きが強い時はそうなりがち
恋人になっている理想の自分、成果を上げ続ける理想の自分、それとの差を見てしまうから
そういう時は瞑想しようなんて気負わずに、1日5分でいいから時間を捨てよう。
その時間は他の時間と違って比較の対象にならない(しない)。もちろん毎日の5分同士も比較の対象にならない。
次に、絶対失敗しない行動を選ぶ、例えば呼吸。
そして毎回上手くいった!YES!と言ってあげよう。
心が凹んでるときはそのくらいで十分たから。 病気のストレス
がないだけ幸せなんだよ
これは気力じゃ気休めで終わる >>594
> これは気力じゃ気休めで終わる
最近「気休め」って実はいい言葉なんじゃないかと思ってるw
気を休めてそれで終わる(結果を求めない)
実に瞑想的だわ >>592
マインドフルネスでは坐ったまま跳ねる空中浮揚とかまではできない。
またマインドフルネスは個人のみの救済に終わるが、超越瞑想には会員が増えれば会員個人の心身の健康だけではなく、
地上が浄土となり世界平和に貢献するという「社会変革」の崇高な目的がある。
昔、宮沢賢治は言った
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない >>592
揚げ足取りだけど、去年の今頃とっくにマインドフルネスは現在レベルには有名だったはずだよ
過去何年、何度もNHKで関連番組は放送済みだったし、
数年前にグーグルがマインドフルネスをもとにした社内プログラムを採用したせいで
関連本なんかの出版も盛んだった
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B9 サイエンスZEROのマインドフルネスの放送日は2016年8月だね
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp553.html
自分はこれを見て瞑想を始めたけど、以前から瞑想していた人はガッカリ感が強いだろう >>602
それ以前でサクッと書くとこんな感じですかね
2012年1月11日「ためしてガッテン」 熊野教授出演「不眠ストレス緊張撃退 1日15分!脳の簡単トレ」
2012年1月25日朝イチ 熊野教授出演「危険な不安病頭痛・不眠も一週間で改善!?脳の簡単トレ&魔法の言葉」
2014年11月6日「おはよう日本」でマインドフルネスの紹介
2015年4月5日、11日 「こころの時代」ティク・ナット・ハン、マインドフルネス特集
それ以降で―
2016年8月 「こころの時代」再放送
2016年9月 「サイエンスZERO」 シリーズキラーストレス
「ためしてガッテン」 ボケない!脳が若返る「めい想パワー」SP
漏れもあるだろうし、
熊野教授は必ずしも「マインドフルネス」って言葉はメインで使ってなかったかもしれないし
ACTのメソッドが中心だったかもしれない 追加 2016年2月 「ニュース シブ5時」でマインドフルネス紹介 >>598
空中浮揚ってオウムカルトと同じ方向性で笑うとこか
そういう超能力に免疫なく惹かれカルトに入信した者がいた
マインドフルネスが個人の救済になるなら他者に広めれば救われるじゃん
宮沢賢治なんて法華経被れで観念論の域でしょ
ちなテレビのマインドフルネスは宗教と切り離されてるんだよ
そのバックの宗教には利他、慈悲の教えだってあるさ
元オウムカルトの上祐なんて初期仏教かじってから随分まともに
なったよ 超越カルトよりマシなこと教えてる よく分かんないんだけど、TMと初期仏教って仲悪いの? あのビートルズでもTMのパシリをやってる。
いろいろしがらみができると無碍に断ることもできない。ちょっとだけならいいだろと
宣伝の片棒を担ぐ。「ビートルズがTMをやってますよ」といえば軽く1000億くらいの
宣伝効果がある。
しがらみ、これは厄介だ。ハリスンがいうから仕方ないとポケットに手を突っ込みながら
適当にお世辞の一言いっただけなんだが、それだけで馬鹿が山ほど釣れる。ウハウハだ。
しかしなかなか落とせそうもない時は脇の甘い嫁から先に落とす。
女は保守的で伝統を受け継ぐようになっていて繊細で頑固という良い特性があるのだが、
その分ロジックが弱い。だから一旦香具師に刷り込まれると理路整然と
「あれは香具師だ。近づかない方がいい」
と説明してもお釈迦様だとか天のお父様だとか、おやっ様だとか、天使様だとかムード
に弱い。子どものころお母さまのお膝の上でたくさん絵本を読んでもらった育ちのいい人
ほどムードに弱い。感情豊かにそだった人は想像力も豊かだから、ありもしないことも
平気で信じこんでしまう。想像力を働かせて宝塚や劇団四季のファンになって楽しむので
あればもんだいない。いくらトランスに酔ったとしても酔いを自覚しているなら問題ない。
しかし自覚のない酔っ払いは怖い。外見上も見分けがつけられないとしたら益々もって怖い。
巧みな洗脳はこの二つを兼ね備えている。 >揚げ足取りが習慣化している人はどうすればよいんでしょう?
>たしかに脳が不活性です。何とかしたいです。
おおっーー、初めて俺の言葉に耳を傾けようとするものが出てきた。素晴らしい。
まさに心の開花。桜の季節に相応しい。脳は不活性でも頭は柔らかい。見込みがある。
1000人に一人、いや100000人に一人の逸材だ。
瞬時に脳を活性化させる方法がある。教えて進ぜよう。
先ず第一に悪い習慣はやめる。
酒と瞑想はよくない。すこしならいいが、習慣化してはいけない。睡眠をチャンと
取って寝言を言ってれば瞑想は不要だ。瞑想は寝言みたいなもんや。
寝すぎは良くない。チャンと睡眠をとった上にまた瞑想して寝る必要はない。睡眠と
覚醒のサイクルの中で必要なことはすべて行われている。寝すぎたら体調を崩すだろ。
ちょっとくらいなら瞑想しても自覚症状はでないが、余分な筋トレと同じで余計な
ところが発達するだけや。記憶力が良くなったとかで喜んだらあかん。忘れるべき
ことを忘れるのが正解や。海馬が訓練されて頭が重たくなってみろ、余計な心配事
が増える。頭が少し軽いくらいの方が姿勢よくなっていい。 脳活性化の基本は熱く語ること。これが基本だ。まずその前に体温を上げるといい。
毎日でなくていいから風呂にはいること。週に2日くらいは熱め風呂に入って
汗をかくとhspが活発になって組織が若返る。
体温を上げると血液循環が良くなる。血液循環が良く成れば頭も良く働くように
なる。だから先ずはスポーツをする。スポーツを何もしていないなら走ればいい。
ジョギングをする。ただし走るというのは脳みそからみると蹴られていることになる。
ゴンゴン蹴られるから小さい神経とかは溶けてなくなる。だから小さい悩みは全部
消えるがその分、走り過ぎると馬鹿になる。ほどほどにしないと、明るいだけの
馬鹿になる。
まあせいぜい5km〜10kmくらいかな。選べるのであれば姿勢が良くて
脳に衝撃の少ないスポーツがいい。でも贅沢を言い出すとスポーツが遠のくから
ジョギングでよしとする。
体が温まって血液循環が良くなると次は情熱的に熱く語る。これは脳を活性化する。
やはり対話が基本だ。人を相手にしないといけない。一人で閉じこもるとろくな
ことにならない。坐って瞑想とかトンデモナイことだ。座ってる暇があったら
熱く語りなさい。 >空中浮揚ってオウムカルトと同じ方向性で笑うとこか
>そういう超能力に免疫なく惹かれカルトに入信した者がいた 。
マジックと超能力とは区別がつかない。空中浮揚は実際にある。
俺でも騙されるから、騙されてもしかたない。笑っているとそのうち騙される。
しかしマジックかどうかは誰も証明できない。「ありえない」だけでは説明にな
らない。それは寝言だ。現実にある。だから騙されたのか超能力かは見極める
力がない限りわからん。オカルトの世界は非常に不思議だ。科学と哲学と文学と宗教と
心理学とあらゆることを立ち読みで吸収した俺ですら、オカルトは分からんなー。
ちょうどお前と同じようなことを言っていた男が、俺の目の前で割れたガラスコップ
で血だらけになった。あまりにも怖いのでいま思い出したくもない。そういえば
あれは4月10日だった。なんという符合だ。君、、、今日は気を付けた方がいいよ。 >>608-609
ありがとうございます!
なんか、あなたの言葉はすんなりと腑に落ちます。
言われたこと実践してみます。 誰でも誰かに必要とされてて、それが上手く噛み合うってことはあるもんなんだな
何を話してるのかはよく分からんが… 携帯、テレビ、本、映画、音楽、噂話、ニュースなどをできるだけしない生活を目指す
ということでお休み まずあなたが誰なのかを見出しなさいと言うのである。私は誰か?どうして私はこの生の過ちを手にしたのか?
と尋ねれば、私は静まり、真我を実現するだろう。もしこの探求を正しく行えば、過ちという観念は消え去り
平和が得られるだろう。なぜ得る必要さえあろうか?
真我はあるがままに在るのである・・・
行為者である私とは誰か?誰がカルマを始めたのか、、
と問うことで、自己の真理を知ること。
それがカルマの本質である。カルマを為す自我が探求によって消去されるまでは、カルマヨーガの報いである至福の平和を達成することはできない。
もし。。私が唱名をしている、、という感覚がなければ、犯した罪も彼から離れていくだろう。
もし、、私が唱名をしている。。という感覚がそこにあれば、悪行の報いは彼につきまとうだろう。 >>616
ラマナマハリシ系って、何かこう具体的なメソッドみたいなものはあるのですか?
たまに行く上座仏教の集まりで、系統は違うけど彼のサッダー(信)は見習うべきものって話がでてて、軽くお薦めになってたのです。 >>592です
GWに次のコースに進もうかと予定してましたが
マインドフルネスをやることにしました
もう瞑想にお金はかけません
っていうかかけるものじゃないですよね
テレビでもそんなにたくさんあったんですね
今日youtubeをいろいろ見て勉強します >>618
マインドフルネスは裾野が広いから気を付けてね
引き寄せの法則とかと混じってるのもあるし
熊野さんの本とか読んで認知療法の知識やエビデンスを確認しながら進めていくのが良いですよ ティーエムがうさんくさいと思うところは
有名俳優やモデルをいろいろ出してるけど
第一
そういう人から一般人と同じ金取ってんのか? >>620
セレブがやってるのは瞑想だけじゃないと思う
いろいろなことをやってるはず
金と時間に余裕があるんだからさ
TMだけやってると思うのは浅はかってもんだよ >>618
ドツボにはまる前でよかったと思ったらいいよ
教師とかになるには数百万必要でしょ
ハマる性格の人って狂気でもある >>622
TMにふれてTM叩きたいならTMスレで好きなだけやれや
スレタイの文字も読めないのか >>622
やれやれTMがマインドフルネス標榜したせいで
こんなクズどもが集まってくるとはえらい迷惑だな
アンチTMキャンペーンやりたいなら
その関連スレで思う存分やれや
無関係のスレを使うな
せめて名前統一しろ超越とTMでNGしてるのに >>625>>626
臨床心理学の認知の歪み、べき思考が強い人だね
クズというレッテル貼りもそう
それのどこがマインドフルネスな人なの
近視眼的にならずスルーしとけばいいでしょ、さざ波に過ぎないでしょ >>627
人の認知のゆがみを指摘する前に自分の歪みに気づいたらどうだ?
無関係のグループで無関係のことを延々話してる人間がいたらどうよ?
コミュニケーション能力乏しいか、アスペルガーか、ネットの世界じゃ荒らしだ
そういうことはマインドネスフルとは関係ないだろが >>627
おたくも同じようなこと度々書いてるよな。
「マインドフルネス」になってスレ違い、荒らしを指摘するレスはスルーしたらどうだ? 瞑想しててもなにも頭の中に浮かんでこなくて何を考えているのかを観察する、というのができない >>627
俺がマインドフルネスになれないのは俺の問題だが
それとTMの話題がスレチだってのは別の話だな
スレチはスレチ
誰もスレチって言わないと
ヨガやチベット密教や引き寄せの法則や非二元や
何が来てもスレチって言えなくなるぞ >>628
全く無関係ではないよ、無関係と思うのは知識不足
瞑想なんかするなと自説の連投者がいるが、むしろそっちの方が無関係
>>630
このスレでは数回しか書いてない うへぇ、知識不足って言われちゃったよ。あははは
それより「マインドフルネス」はどうしんたの? >>631
他の色んな人とのコミュニケーションにおいても同じように出てこなくなったら もうちょっとで目覚めかもしれませんよ
進むにつれて観察しにくくなるのは正常で 実に微妙な変化に気づかないといけないように難しくなります と思います >>635
失礼ながら目覚めとは…?
関連書籍も漁らずに、ネット知識だけで、変性意識の状態のときに思い出したように瞑想をやってみて失敗するからわからんのです あれ、これってラマナマハリシの話もスレちって言われちゃう流れ?
だとしたら済まぬのう 失礼します
瞑想をやりはじめて分からなくなってしまったのでお教え願いたいのですが
何か対象を認識し、そこから煩悩が生じて滅していくのを観察するのと
自らの身体を動かしてその様子を観察するのと
同時に起こるようなイベント(例えば掃除)では瞑想するべきではないのでしょうか?
洗面台のシンクをスポンジで「左、右、左、右」と擦ることと
掃除中に外の声を認識し、煩悩が生じそして消えることは同時に起こりえます
このような場合は瞑想に不適切な環境なのでしょうか? 臨床心理学でのマインドフル瞑想と仏教のいう瞑想とは大分違うよね。
いいとこ取りしようとしてるんだと思うけど。 >>637
ラマナマハルシはスレチっちゃスレチかもしれないが
俺は警察じゃないし
スレチで書込み量が邪魔で口調に品が無くて
NGワードすり抜けでスレチって優しく言っても止めない
ロイヤルストレートフラッシュじゃなきゃどうでもいいです >>640
> 臨床心理学でのマインドフル瞑想と仏教のいう瞑想とは大分違うよね。
そこでいう「臨床心理学」とそこでいう「仏教」がなにを指すのかにもよると思うけど
そんなに違うかね?
仏教といってもいささか広うござんす >>638
【1】 日常生活の中での冥想の仕方 1 : http://www.j-theravada.net/qa/gimon1.html
【2】 日常生活の中での冥想の仕方 2 : http://www.j-theravada.net/qa/gimon2.html
【Q4】日常生活のサティ
瞑想中ではなく、普通の仕事や家事をしているときのサティはどうしたらよいですか?
http://www.satisati.jp/Special/Q-A.html#d
マインドフルネス | こころのスキルアップ・トレーニング : http://www.cbtjp.net/mindfulness/
日常生活のマインドフルネス
瞑想のような特別な方法だけでなく、日常生活のありふれた動作の中でマインドフルネスを実践するコツを解説します。 >>636
知らないに越したことはありません 気にしないで下さい
>>638
一般的に普通の観察する瞑想では非常に素早かったり動作が多かったりする場合には観察し難くなります また思考が同時だと もう何が何やら... ですが意識の矢印は通常は一つで 慣れてくると矢印が移り変わって行くのが解ると思います >>638
加えて観察する瞑想では常に自分に気づいていなければ!という思いから自然な状態では意識しない場面で無理に何かを意識してしまうことも...
混乱した場合は 何かが起こってから気づく 何かが起こってから気づく... とスピードを落として落ち着いてみても良いかもしれません テレビの映りが悪い。テレビを一生懸命改良して映りをよくするのがマインドフルネス。
アンテナを正しく向けたら一発で映りはよくなる。無駄な努力だ。
アンテナの向きは正しい。しかし映りが悪い。この場合はTVの性能が悪いかボケてきた
かのどちらかだ。叩くと映りだすことがある。だからそれに味を占めて習慣的に叩き
まくる。昔のインドのテレビならいざ知らず。訳も解らずに叩いても無駄。
これがマインドフルネスの無駄な使い方だ。
>大念処経を読むと、全体がわかるよ。
虫が食ったような昔の修理マニュアルや設計図を出して、TVの改造をするのは無駄。
>加えて観察する瞑想では常に自分に気づいていなければ!という思いから自然な状態で>は意識しない場面で無理に何かを意識してしまうことも...
ボケてると思って感度を上げ過ぎると、余計にノイズをひろってしまう。下手な修理。
>混乱した場合は 何かが起こってから気づく 何かが起こってから気づく... とスピード>を落として落ち着いてみても良いかもしれません
処理能力をオーバーすると混乱する。処理量を減らす。スピードを落とすのは正解。
複雑さによって混乱した場合は観測ポイントがたりない。観測ポイントを増やして
各部を理解する。部分を理解しないで全体を理解しようとするマインドフルネスは
間違い。それはマインドフルネスという名前の焦り。
各部を理解したからといって全体の混乱が収まるとは限らない。別の方法が必要だ。
虫食いの修理マニュアルでは無理。 >瞑想をやりはじめて分からなくなってしまったのでお教え願いたいのですが
>何か対象を認識し、そこから煩悩が生じて滅していくのを観察するのと
>自らの身体を動かしてその様子を観察するのと
>同時に起こるようなイベント(例えば掃除)では瞑想するべきではないのでしょうか?
能力のゆとりがあれば同時処理が可能だ。ゆとりがなければ同時処理は無理。
電話応対をしながらでも、楽々と事務処理をできるおねえちゃんもいれば、指先に
全神経を集中しないとワードを打ち間違える部長もいる。そういう時を狙って
出張の飲み食いのハンコを貰うとスンナリと貰える。煩悩はこのようにして解消する
のが正しい。
観察して、発見して、実行してみる。生じて消えていくのを観察するだけでは駄目。 >失礼ながら目覚めとは…?
>関連書籍も漁らずに、ネット知識だけで、変性意識の状態のときに思い出したように瞑想をやってみて失敗するからわからんのです
アリの目覚めと、キリギリスの目覚めは違う。アリはキリギリスに憧れて瞑想する。
キリギリスはアリに憧れて瞑想する。
アリがキリギリスになることも、キリギリスがアリになることもできない。だから瞑想
は失敗する。そういうものだ。瞑想をすると解らなくなる。わからんので正解だ。
瞑想を止めるとアリはアリとしてアリアリと目覚める。これがラマナの教え。 >>639
なるほどシンプルですね、メソッド自体は宗教の香りも無いし
ちなみにラマナマハリシの生涯的なものでお薦め本とかあります?
あの強烈な信がどうやって生まれたのか興味があるので ここ二日瞼の裏にホラー映像がgifみたいに浮かんできて困ってる....
そのまま続けようとしたら耐え難いイメージが出てきて、ハッと目を開ける。瞑想できてないなあ、と思いつつ続けると、イメージはそのままに脳内麻薬が出てくる所まで行く。どうすりゃいいんだ... 瞑想の本来の目標というのは、流れのままに心身を委ねるということなんだよね
旗で譬えるならば、風にただ揺られている状態
どんな風にも微動だにしないってことじゃない
もしもどんな風にも微動だにしないってことを瞑想の目標にしていたならば、ほんの少しの風が当たっただけで、
それが崩れたと思うことになる
ささいな風にも敏感になる
よく不動心というけれど、それはどんな風にも微動だにしないってことじゃなくて、
ただ風の流れに心身を任せ、自分でなんとかしようという我が少しも出ないこと
不動というのは我が動かないということなんだよ
ありのままに起こってるくる雑念も、不都合も、ただそのままにして、ああしよう、こうしよう、という我が少しも動かない
それが真の不動心
その不動心こそ、真の三昧ということなんだよ >>651
わたしもたまになりますね
不浄観も一緒にできてお得!って思って観察してると消えちゃうw
嫌なイメージを観察するんじゃなく
嫌なイメージを嫌だなあと思って見ているような自分を観察するってどうでしょう? ラマナマハリシはある日突然って感じじゃないかね
一般的には信(バクティ)の人じゃなくてジュニャーナ(知)の人じゃないかな
バクティといえばラーマクリシュナ ま、生まれてきた時点で皆さん死亡率100%なんですけどねw たくさんのアドバイスありがとうございます!
>>643
リンクのご提示ありがとうございます。日常生活では大まかなタグ付けでも構わないのですか
自分の悪癖はタグに頼りすぎて好ましくない感覚をそれによって消そうとするのがあるので
タグに頼りすぎない意味でも大まかにするのは有効な気がします
その他のリンクもブックマークして繰り返し活用したいと思います
ID:182iqNNn
手がかりと励ましありがとうございます
特に意識の矢印というのがすごくピンと来ました
日常の観察ではとても外に矢印が引っ張られているのがみてとれ
(ノ∀`)アチャーという感じです
焦らず精進します
>>648
ユーモアを交えたアドバイス感謝いたします
自分はまだまだなのでまず同時進行敵に観察、発見まで試みます
煩悩の件は久しぶりに膝叩いて笑いました
行き詰まっていた感じだったので課題がたくさん見つかりまた精進していこうとやる気が出ました
皆さんが幸せでありますように ノシ >>491
遅レスですが、TMの無料説明会の内容を教えてください
やり方は教えてもらえないのなら、TMの素晴らしさを2時間も講演されちゃうの?
マインドコントロールされにくと意味ないですか? >>654
あれ?w
いま確認したら、当日のメモにもラマナマハリシって書いてあったんだけど、そもそも書き間違えたのかな???
確かにラーマクリシュナなら信は納得ですねえ >>652
なんか禅ですねえ
うちにある本にも似たような事が書いてあります
その状態というのは「寂滅の法に非ず、動作の法に非ず。」とありますが、
これはどういうことかと云いますと、
人間が殊更に心を静めた上に起きて来た人間の取り扱いとしての法でもなければ、
人間が考えた上の動作の法でもないということです。
それはどうかというと、天真にして妙なり。
人の迷悟に属せざる本来の面目の様子なのです。
『普勧坐禅儀・坐禅用心記提唱録』井上義衍老師提唱 瞑想は大脳を休めて海馬を強くするので、適切に行えば記憶力が良くなる。
その半面大脳が疎かになる。一長一短だ。
大脳が弱そうな人ほど瞑想をする。これが一番の問題だ。 >それが真の不動心
短所の無いものはない。長所の無いものもない。真の不動心も一長一短だ。だから
「真の」不動心は嘘。絶対に何が何でも間違いのない、何が何でも立派なものを
「真の」と形容したいのだろうが、そんなものはない。
だから単なる不動心。もしくはたかが不動心。 瞑想はなあ…
ヨーガの行者に多い半睡眠状態でうとうとして意識を止めるというのならまだ分かる
数息観も羊が一匹二匹を呼吸が一つ二つとやってることで意識を止めるのも分からないでもない
しかしマインドフルネスのように雑念とラベリングして無理やり意識を止めても仕方ないと思う
しかもそれを日常生活にまで応用させるとなると人の思考能力を強制的に無くしていくものとなるだろう いちいち訂正するのも自分が正しいって言いたいからってことには気づいてますよね 脳には計り知れない能力と、計り知れないエネルギーがあります。人間が技術の世界で成し遂げたことをごらんなさい。
アメリカの科学者はみなスターウォーズ計画に関わっています。が、それには触れないでおきましょう。
もしあなたが何かに集中し、何かに注意を向けると、脳にはこのように計り知れないエネルギーが生まれるのです・・・
人間が他の人間を殺すことに注意を向けたために、原子爆弾が出現しました。私たちの脳は私たちのものではありません。長い時を経て進化してきたものです。
そして、その進化の過程で、私たちはおびただしい知識と経験を蓄積してきました。
ただし、その全てにおいて、愛と呼ばれるものはほとんどありません。
私は、妻、子供、国を愛するかもしれませんが私の国は思想や地理的な面で分断されてきました。
それが世界です。
人の生きてる世界が全世界です。。。ですから、長い時を経て進化してきた私の脳、意識を持つその脳は、私のものではないのです。
なぜなら、私は他のあらゆる人と意識を共有しているからです。
X氏は言います。今おっしゃったことについては本で読んだことがあります。
繰り返すわけではありませんが、私もそう感じています。
これまでどこを訪ねても、世界のいたるところに、苦痛、心配、絶望的な孤独で苦しんでいる人々がいました。ですから
私たちは意識を他の全ての人々と共有しているのです。。。
あなたはこのことを自覚していますか。。知的ではなく実際に。
もし本当にそう感じれば、分裂はなくなるでしょう 悟りは全ての収集から完全に自由です。それはつまり愛ではないでしょうか?
あなたを得てしまったからあなたを愛さない。性的な意味であなたに満足している、あなたと一緒にいると楽しい。寂しいのであなたに依存する。そうなるとこれは商品になります。
そして、私たちは互いに搾取しあい、利用しあい、裏切りあうのです。もちろんそれは愛ではありません、、ね?
収集せずに生きられるのかどうか見出してくださいと頼んでいるのです。。。答えを教えてもらうことは出来ません。。。・・・でもそれを一緒に探求することはできます・・・
けれども、実際に決して収集せず、蓄積した記憶を決して働かせないというのはじつに微妙です。多くの探求を必要とします。
コミュニケーションの基礎を互いに確立しました。そこには優れたものもいなければ劣ったものもいないし、知っているものもいなければ知らないものもいないのです。 >>666
過去や未来の不必要な肥大化した妄想から距離をとり、今現在の現実に立ち戻ることが
思考能力を強制的になくすなどということにつながるものではないですね
臨床試験の結果とも相反します
2行目〜3行目の「意識を止める」というのも正確な表現ではないと思いますが、
それにしても、なんでヨーガ、数息観のそれがよくて、マインドフルネスは仕方ない、となるのか? >いちいち訂正するのも自分が正しいって言いたいからってことには気づいてますよね
気付いたら言葉にしてみる。そうすると客観的にわかることが多い。その態度を否定
するのは良くない。その内容を指摘するの良い。
しかし指摘の仕方によってはカチンとくることもあるだろう。それは頭が固いからだ。
カチン,コチンと音が聞こえる。一方で頭が緩いとスーッと抜ける。馬路東風。坐禅に
熱心な老人に多い。無心。 >悟りは全ての収集から完全に自由です。それはつまり愛ではないでしょうか?
計り知れない、、、とか、真の、、、、とか、完全に、、、とか、絶対にとかが
ポンポンと出る。
今年は絶対に阪神が優勝するとか、、、、、ありえない。それは酔っているからだ。
自覚しなさい。自覚して酔うのであれば笑って許せる。自覚のない酔いは鳥肌が立つ。 >ヨーガの行者に多い半睡眠状態でうとうとして意識を止めるというのならまだ分かる
試してガテンでやっていたが、ヨガマニアの成瀬に脳波計をつけて瞑想させてたら
θ派が大量に出る。
普通の人なら寝言を言っているような時にしか出ない脳波だ。脳波から見る限りは
瞑想は寝言だ。成瀬は毎年一回はインドに行って寝言の練習をしてくるらしい。寝言の
練習くらいどこでもできるだろうにと思うが、インドに寝言に丁度いい岩があるようだ。
マニアの行動はチョウ信じられない。 クジラを食べるなんて可哀そう。愛がないといいつつ、牛肉をたらふく食べる。
つまりそれが愛。 次スレではFAQに入れた方がいいかもね
マインドフルネスでは意識は止めません、集中もしません、静かな状態を作り出すこともしませんって
勘違いの中でこの3つが多い気がする >>674
>計り知れない、、、とか、真の、、、、とか、完全に、、、とか、絶対にとかが
ポンポンと出る。
自分も揚げ足取りしてるよな 座禅もよく無念無想になるものって勘違いされてるみたいだけど
普勧座禅儀でも「心意識の運転を停め」ってちゃんと書いてて、「心意識を停め」では無いし
道元さんも草葉の陰で泣いてるだろ 研究社 新英和中辞典
mindful
1 〔…を〕心に留めて,忘れないで 〔of〕
2 〈…であることに〉注意して,〈…であることを〉忘れないで 〈that〉.
mindfulness 【名詞】
辞書ひけるやつなら、勘違いのしようもないなw
元々のパーリ語のsatiもほぼ同じじゃなかった? 仏陀「無智なものは多く語り、智慧のあるものは語らない」 「多くを語らないのはなぜですか?」
仏陀「喋り過ぎると飯のタネが無くなるだろ」
「知恵は無尽蔵ではないのですか?」
仏陀「知恵は無尽蔵だが、汲みだせるのは僅かだ。大事にしなさい」
「悟りを開いても、僅かしか知恵はないのですか?」
仏陀「当たり前だ。知恵は考えて出すものだ。考えないでいて知恵が出るわけがない」 >自分も揚げ足取りしてるよな
たんなる無心は馬鹿とおなじ。しかし芸術的「無心」は存在感になる。したがって
芸術的揚げ足取りは愛になる。 仏教では愛は感情なので煩悩です。
自分に都合の良いことだけを愛という言葉を使って、自分のエゴを隠そうと工作活動をするのが人間です。 エゴを隠すのはパンツをはくのと同じ。パンツをめくって、エゴだエゴだというのはセクハラ。
愛も煩悩もない世界など想像もできないが、氷の世界か? まあ特殊な世界ではある。 >マインドフルネスでは意識は止めません、集中もしません、静かな状態を作り出すこともしませんって
>勘違いの中でこの3つが多い気がする
そんなー。
一方では意識を止めてといい。一方ではそれは勘ちがいと言う。そんなら
どっちでもいいんかというと、それはトンデモナイというにきまってる。
曖昧模糊。いやトンデモナク奥深いものなのだ。それほどまでに奥深いありがたいものだから普通の
人には分からない。
それには同意する。しかし一体全体「奥の浅い」「ありがたくないもの」があるのだろうか?
ゴムボールを叩いて遊ぶゴルフですら、2000億円以上の産業になっている。実に奥が深い。
TMはマントラをプロテクトキーにして旨いこと儲ける仕組みを作った。このアイデアは素晴らしい。
なるほどなーと思った。一定量の馬鹿は十分釣れる。
やはり儲けるには知恵がいる。知恵者集団のグーグルがマインドフルネスに目を付けた。TMに習って
一儲け考えているに違いない。 自分の揚げ足取りは芸術的で
他人の揚げ足取りは頭が沈滞している
「揚げ足取り」という行為自体は同じに見えるがな
自分は良くて人はダメ
キチガイ論法か >>679
「心意識の運転を停め」
それだと座禅以外だと運転して煩悩が起きてるってことだよね
それと人は無我夢中以外の思考産物状態もあるわけで
そもそも、道元さんのは中国産の「すでに仏、無情仏性」←インド仏典にない
中国思想家の土着思想、無為自然あるがままの影響受けてるから、
今ここの事実に気づく観察瞑想とは似て非なるよね
そういうのが昨今のマインドフルネスブームに入ってきて、混乱を与えやすい
根源の(宇宙)意識の話もそうなんだよ、それウパニシャッドですよね >687
ルパンは盗人なのに可愛いのはなーぜ? 釈迦ともきっと馬が合う。
可愛くないなら仕方ないが、可愛いなら、何故可愛いのか正しい論法を考えてみ。 >>690
わかったわかった
子供と遊んでる暇はない >>666
背景、根底にある教理を知らないからそのような疑問が出るのでしょう
思考を道具として、思考に支配されない生き方でもあるんです
そのメリットは多くあります
たいてい人は、今ここに生きてなく、観念的思考の産物状態です
人は思想、観念、概念構想、思い込み等に同化束縛されていて、
認知バイアス、心の癖、色メガネに依存し、偏見、差別、争い、そして
苦悩が生まれるものです
そういう想念観念の同化束縛からの解脱の教えが背景にあります
それら同化束縛から自由になって、生きやすくなるわけです
これには心理的時間の話が関係あり、今ここの事実に生きるってフレーズが
出てくるのです >>688
はいw
まあオレもマハシ式のヴィパッサナーをやってるわけで、坐禅の側に立つつもりも無いんだけど、いわゆるマンドフルネスってジャンルは禅を含むんじゃないかと思ってます。
というのも、マインドフルネスの医療面での立役者の一人であるジョン・カバット・ジンが、マインドフルネスの基本理念は道元禅師の曹洞宗だと明言していること。
それと、Googleでチャディー・メン・タンによってリードされてるマインドフルネスの研修はティク・ナット・ハンの教えがベースになってて、彼は広義の臨済宗の僧侶なので、やはり理念は禅ベースと思われる。
手法としては上座部仏教を多く(ほぼ丸々)取り入れてても、彼らの根本的な発想はたぶん禅なのね。
だから、オレとかヴィパッサナーやってる人達はつい マインドフルネス=vipassanā って思っちゃうけど、
マインドフルネスって言葉を使っちゃった時点で現実は マインドフルネス(注意し心に留める)=気付き瞑想であるヴィパッサナーと禅(もしかして他にも) になっちゃうんじゃないかな、と。
それに根本思想は違うけど禅とは仲良くできそうな気がするしw
ちなみに、「心意識の運転を停め」の運転は、作為的な操作の意味です。
心と意と識における作為的な操作(これは雑念、あの音を気にしない、etc)をせずあるがままを見て、去るままにする、というのがここの意味のはず。
禅は細かくは知らんので違ってたら誰かフォローよろしく^^; 瞑想すると今まで気づいていなかったかごまかしていた
生の苦痛というのがダイレクトに感じられて吐きそうになることがある
一切皆苦とは本当によくできた言葉だと思う >>692
>たいてい人は、今ここに生きてなく、観念的思考の産物状態です
>人は思想、観念、概念構想、思い込み等に同化束縛されていて、
>認知バイアス、心の癖、色メガネに依存し、偏見、差別、争い、そして
>苦悩が生まれるものです
>そういう想念観念の同化束縛からの解脱の教えが背景にあります
思考、観念、観念構想、思い込み、認知バイアス、心の癖、色メガネ、偏見、差別、争い、苦悩、
それらの自我をすっかり取り払った真の自己をアートマン(真我)という。
解脱の教えとは真我探求である。
http://gorich.jp/blog-entry-248.html >>693
それは少々正確でないとこがありますね
まずジャックコンフィールドさんが、上座部で瞑想体験修行し、
帰国後、アメリカでインサイトメディテーションの
創始者となりました(アメリカ向けヴィパッサナ瞑想センター)
その後、最初に禅に影響を受けたジョンカバットジンさんが、
インサイトメディテーションで実践経験して影響を受け、
マインドフルネスを提唱しました
日本の精神認知療法でマインドフルネス療法の第一人者、熊野先生は、
今この瞬間に気づき、※集中でなく観察が重要と説かれ、テレビ番組の
後でも、集中瞑想と誤解された側面があると述べてます
また上座部僧との対談を通じて理解を深めていらっしゃいます 熊野さんて、やっぱり学者さんだから
ぶっちゃけ素人向けへのかゆいところに手の届く説明の仕方ってあまりうまくないと思うんだよね
葉っぱの流れのエクササイズの説明でも、あっちへ追いやる、なかったことにする、ようなことじゃないと
のちになってエクスキュースのように説明してるけど、
最初のガッテンでのオンエア時にはそう誤解されても仕方ないような説明の仕方だったもの。著作も同じ >>696
補足ありがとうございます。
まあオレの発言の方は、マインドフルネスと禅の関連だけ拾っちゃいましたものね。
でも言いたかったのは、要するにマインドフルネスって言うと元々自然に禅が混じるんじゃないのって話です。
禅は老子思想が混じってて仏伝そのものじゃないのに、マインドフルネスブームに乗って入って来ちゃってー、
みたいなのはちょっと違うよねって思ってるわけです。 あなたの行えることのほとんどをコンピューターがやれるようになったとき
もちろんセックスは除きますが。。人間の頭脳はどうなるのでしょう。
そうなると星を見て、なんと美しい晩でしょうとは言えなくなります。
美とは何かがとうてい理解できなくなります。
すると人間の頭脳はどうなるでしょうか。レーザーコンピューターがあなたの思考にとってかわれば、
頭脳は衰えてしまうのでしょうか。。。
娯楽に頼るか、まったく別の方向に向かうでしょう。というのも
私たちは心理的、内面的に際限なく進むことができるからです。脳には、各人の脳には途方もない能力があります。
技術がなしとげたことを見てごらんなさい。けれども心理的、主観的に見れば
私たちは幾年も幾世紀も、
葛藤、苦悶、苦痛、心配などで相も変わらぬままなのです・・・
愛。。死。。宗教とはなにか、瞑想とはなにか、そして人間のあらゆる努力を超えた存在するかどうか。それとも、人間が唯一の尺度なのか
思考の構造を超えた何かが存在するのでしょうか。永遠なるものが存在するのでしょうか。
このことを、問題にしなければなりません。
私たちは感覚で生きています。。私たちの構造全体が感覚にもとずいています
性的、想像的、空想的、非現実的な感覚などに。
利己心は最大の堕落です。
だとすると、感覚、つまり五感を刺激することは愛でしょうか。
私たちは互いに尋ねあっています。愛とはなにかとーーこの言葉は損なわれ。。つばを吐かれ。おとしめられてしまいました。
ですから、この言葉の乱用には大いに注意しなければなりません。。。
愛とはなんでしょう。
方向つけもなく、意識したものでも、企まれたものでもない瞑想があるでしょうか・・・
見出しなさい。。。そのたmめには膨大なエネルギー、注意力、情熱が必要です。
すると、まさにその情熱、エネルギー、強烈さが、静寂になるのです。
しかし、
それは考え出された静寂ではありません。時間、空間のない計りしれない静寂です。
そのとき、そこには名状しがたい、神聖な、永遠なるものが存在するのです。。。 通りがかりの者だがな
自分は、昔にヴィパッサナー瞑想の10日間合宿に参加したことがあるのだが
当時はまだまだ瞑想初心者ということもあったろうが、
その10日間は大きな体験だったものの、正直、ピンとこない部分もあった
その後、数年は続けたり中断したりの繰り返しだったが、今のところ瞑想は必要なくなった
瞑想自体の効果は実感しつつも、瞑想の必要のない心構えを得るために瞑想を求めていたのではなかったのか、と思う
なんというか、あれはちょっとした心の掃除なので
宗教性を極める(=悟り?)つもりなら、瞑想だけでは立ち行かない
揺るぎない死生観と教義と信心、そして、その厳しい修行を貫徹できる環境の確保(主に経済的なもの)が必要
早い話が、一日に10時間以上誰とも話さずに、ずーっと瞑想して過ごして食っていける環境が必要
それ以前に、宗教学の基本書の読解が必要
これまでの人類が、どういう境遇で何を求めて各宗教を呼ばれる現象を成立させてきたかの歴史の理解なしには
何を宗教と名指しているのかが確定できない、そして確定できないものは修得もできない
おれ自身は宗教への探求は捨てていないが、マインドフルネスの水準なら、宗教性は必ずしも要らないと思う
多くの人は世俗で生きていくわけだから
世俗の汚れを救うために宗教が必要という向きもあろうが、自意識のこじれや苦悩からの解放を目指すだけならマインドフルネスで充分
それに宗教が役立つこともあるだろうが、宗教性とは関係ない
つまり代替可能で、幾つかある手段の一つに過ぎない
心の穏やかさを得るためのテクニカルな手段のアレコレに固執している人は本当に不思議
それは、穏やかさと真逆の方向性ではないのか
何かに固執することから解放されるための答えのない手段に固執して迷いながら人生を終わらせるのか
世俗で生きていくうえでの困難に付け込んで宗教を説くところにカルトが巣くうし、
自己流の「真理」を身勝手に定義してそれで事足れりとする胡散臭さが付きまとう
だから、この手のスレは早めに卒業した方が良いと思う
このスレに集う人々の心の解放を、そしてこの言葉が届くことを祈る はっきり言って、一日10時間以上も誰とも話さず修行するのも、ただ何気なく要所要所に気付いているのも、
まったく同じなんだよな >>700
自分の求めているものが見えて、瞑想が必要無くなった(?)んですね
おめでとう、読んでいて心の安定が感じられてこちらもちょっと幸せになりました
何が必要無くなるって実は幸せな事なんですよね……
オレは「自我」を必要としない状態ってのにすごく興味があって瞑想やらやってる人なので、宗教とかよく分からんですね
どうも先天的に「信」が欠けてるっぽい
課題は宗教性なのかな…遠いな… >>700
ほとんど同意できますが 貴方は勘違いしているところがあります 高級車に乗りたい とびきりの異性と付き合いたい 豪邸が欲しい 人から崇められたい
瞑想はこれらと同一で娯楽なんです 暇つぶしなんです エンターテイメントなんです みんな適度に辞めていきますので大丈夫w >>700
十分な知的準備なしに、瞑想が魔法のように思い広告に釣られ、
10日間合宿に参加したら、そりゃ失敗するでしょうね
書き方からして、思いに依存したまま観念的に好き勝手論書いて
いらっしゃるのかしら
卒業というか、単に語るスレで、2ちゃんの書き込み読んで
勉強になったことも経験上ありますからね
ここには、こういう教えがあるよとか自説を連投して自由に書いている
方もいますが、各種方面勉強不足な人は、見ない方がおすすめですよ
かえって混乱しますから、もちろん知識の詰め込みがいいってことでなく >禅は老子思想が混じってて仏伝そのものじゃないのに、マインドフルネスブームに乗って入って来ちゃってー、
>みたいなのはちょっと違うよねって思ってるわけです。
たいして変わらんと思うよ。
観察といっても単に観察するんじゃないから「集中して観察する」ことだからね。
瞑想の場合は観察に主眼があるわけじゃない。集中することに意味がある。
一点観察で集中する。
マントラで集中する。
息を数えて集中する。
只管打坐で集中する。
で集中の先に何があるかというと、変性意識状態。
この状態は催眠状態とおなじで暗示に非常にかかりやすい。良い暗示を与えることで
無意識に行っていた悪い習慣を治すことができる。
生活改善のための潜在意識のリプログラミング。
心理療法系
1.集中ーーー>2.変性意識ーーーー>3.生活改善
能力開発系
1.集中ーーー>2.変性意識ーーーー>3.願望達成
カルト系
1.集中ーーー>2.変性意識ーーーー>3.宗教刷り込み
3の過程をを自分できる人はいいが、外力に頼る人は刷り込みされる。 >10日間合宿に参加したら、そりゃ失敗するでしょうね
勝手に失敗って決めつけるのはあかんよ。俺からみたら大成功。w
君のほうが失敗してるように見える。 >>707
集中でしか変性意識状態がおこせないとか
変性意識状態の方が暗示や刷り込みが起こりやすいとか
思ってるようだが
それどこで刷り込まれてきたwww >>707
おいおい、どこのカルト宗教だよ
マインドフルネスの第一人者の学者先生が、集中でなく観察と説明してる
原始仏典でも三昧のみでは(最終)解脱せず、観行必須と説かれている
集中:作為的、意図的→一時的で壊滅する、境地に囚われる自我のまま
観察:自覚的に注意を払う→脱同化、無執着、自我の克服へ
八正道の正念:一瞬一刻に常に注意を払い、心を保つ >709
ハッシシでもやるんか?w
>710
仏教的観察というのは、止観がセット。観は集中を達成して行う観察だ。
そこを外したら瞑想にならんよ。 >八正道の正念:一瞬一刻に常に注意を払い、心を保つ
集中力がないと一瞬一瞬に注意を払うことはできない。
無知というのは怠惰によるのではなくて努力の結果だ。「知らずにいたい」というひたむき
な頑張りが無知を引き起こす。頑張ってね。w 他人からことばで警告されたときには、心をおちつけて感謝せよ。
ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。
その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを
思ってはならぬ。 スッタニパータ
瞑想では達成できない。こういう言葉を理解する必要がある。瞑想だけで達成
できるなら、こういう言葉はいらない。瞑想は単なる補助に過ぎない。言葉を
理解しないものは釈迦のサンガからは破門された。そういうものが瞑想をすると
有害だからだ。 >>710
>原始仏典でも三昧のみでは(最終)解脱せず、観行必須と説かれている
その仏典て何でしたっけ?
以前読んだような気がするんですけど名前を思い出せなくて >>711-712
あー固定観念の人だったか
大念処経、長部22、四念処経、中部10経等に目を通してないのかな、ほぼ観察行
そして中部経典で、乾観行者というのがいて観行だけで解脱した者がいると
説かれ、止行を極めても修行半ばと説かれ、観行必須で解脱と説かれてる
ええとね、実は観行だけでも同時に禅定にも入れてるのよ >>714
中部経典の中です、禅定を極めても悟りに至るものでないと説かれてるとこが
あります それと倶分解脱、心解脱、慧解脱のそれぞれの説明があり観行必須
と説かれてます 中部のどこだったか、厚い本を今からページめくれば分かりま
すが、時間のない中、短い時間利用して書いてます、すみません
悟りの階梯、藤本晃の本にも確か書いてありましたよ >ええとね、実は観行だけでも同時に禅定にも入れてるのよ
禅定が集中の成果なのだよ。
別に本読むだけでも絵をかいてもマントラでも踊りでも禅定に入る人はいるん
だからそれは当たり前。
人によって入りやすい方法はいろいろだ。禅定にはいることよりも禅定に入って
から何をするかの方が遥かに重要だ。そういうことが分からないで禅定に入っても
洗脳されるのがおち。 >>715-716は無我という人から神経症と認定された2号という人、どちらもまともに相手しちゃダメよ。 >>716
中部経典ですか、ありがとうございます
その辺りのことに興味があるので調べてみます >>522
> 俺が最初に見るものは見られるものの状態になった時は そろばんみたいな動作を高速でやってるときだったな
よく云うフロー状態に入ると云うやつだな?
如何なる動作か想像するのは難しいが、公共の場所でやるとアブナイ奴と思われかねないから場所は選んだほうが良いかもな
そうだな…
クラブとかカラオケBOXとか誰も気にとめないような場所がお薦めだ。 >>663
> 『普勧坐禅儀・坐禅用心記提唱録』井上義衍老師提唱
私家版で絶版本じゃないか
なんで上座部やってるやつが持ってんだ
もったいないから俺によこせwww 物とか言葉じゃなくてそのまわりの空間を見る練習をしてるけど、だいぶ効果を感じる 今、死がやって来た・・・これはいったい何を意味するのか?死んでいくのはなんなのか?
死ぬのはこの身体だ。私はすぐさま死という出来事を劇的に表現しました。
探求によりいっそうの現実性を与えるため、あたかも死後硬直が起こったかのように
手足を固く伸ばしたまま死体を模倣しました。。。
そして、どんな音も漏れることなく、私という言葉やそれ以外の言葉も口に出せないように
息を殺し、固く唇を閉じて心の中でつぶやきました。これでこの身体は死んだ
それは硬直したまま火葬場に運ばれ、そこで燃やされて灰と化すのだ。
だがこの身体の死とともに私は死ぬのだろうか?はたしてこの身体が私なのだろうか?
身体は沈黙し、それ自体に生命力はない。だが、私は自分の人格の完全な力を感じているし
それとは別に、内側で私という声さえ感じる。それゆえ、私は体を超越した霊性なのだ。
身体は死ぬ。だが、それを超越した霊性は死によって触れられることはない。それゆえ、私は不滅の霊性なのだ
これらはけっしてとりとめのない漠然とした考えなどではありませんでした。
それはほとんど何の思考過程もなしに直接知覚された生きた真理として、鮮やかに私にひらめいたのです。
私とは真に実在する何かであり、私の現在において唯一真正なものでした。
身体と結びついた意識的な活動は、すべて私を中心としていました。その瞬間から私あるいは真我は、強力な
魅惑をもってしてそれ自身に注意を集中するようになったのです。
死の恐怖は消え失せ、それ以来、真我への没入は揺ぎ無く不断のものになりました。
他の想念は音楽のさまざまな音階のように来ては去っていくけど、私は基底のシュルティー音のようにすべての
他の音の根底にあって、それらと交わり調和していました。身体が会話や読書や他のかつどうに従事していようと
私は私に中心が定まったままでした。この一大転機が起こる以前は、はっきりと真我を認識したこともなく、意識的に
興味を持ったこともありませんでした。ましてその中に永遠にとどまろうと思ってもいなかったのです。
ラマナマハルシの生涯より なんだ覚醒するんはインド人ばっかじゃねえかよ。 お前等ももっと頑張れよ。 >私家版で絶版本じゃないか
誰ーーれも読まん。だから絶版になる。そんな本よんでどうすんの? 他に読む本は
やまのようにあるだろ。 >>723
あーwww
説法用の自費出版だから配布終わっちゃうと古書店でもなかなかね。でも禅は不立文字なのでは?w
ただ…どこにお住まいかは存じませんが、中野ブロードウェイのまんだらけにあるのは見ましたよ…イキナリローカル
自費出版って同人誌みたいなものなので 上のほうのレスで煩悩を観察して実行して滅するって興味深いことを言ってる人がいらしたけど
気づきの状態を維持しつつ煩悩と戯れるのはOKってこと?
なかなかに豪胆ですね 高速道路を150km/hくらいで追い抜いて行ったポルシェがポリに捕まってた。
「ざまあみろ。馬鹿目。パンパかぱーん」
これが煩悩だな。これが無くなるとどうなるのよ?
煩悩がないとかカスみたいだな。 >>733
結局、心を満たす思いも一時的or一定期間って気づかないかな
君は心の欠乏、欠落、非充足を満たそうとするが、永続的に満たせて
ないよね
否定、不満、怒り、恐れが拠り所で、おれ様の思いこそ正しく自分教に
束縛されてて、利己的排他的でネガティブ性を帯びてないだろうか
かつ苦悩の対処法も知らないわけですよね >>733
煩悩が弱まったら
金持ち見ても何も思わなくなるから楽だよ
誰かの不幸で喜びたくもなくなる。 ラマナマハルシの本いっぱい出てるじゃない。酔っ払い女わよーー・・・あるがままには三千円
/フ⌒ `丶
/〈/ / \
/ / / .:/ :/ | ヽ: `ニ=ー
/ / 〃 / :/ ..::/ :j .:i: ': ヽ
i ii .:i:―/-.::::/ .::;ハ .:| .:!: ! :i
/ / | i| .:i:|.::/|.:::/::ヽ:/ i.::|.::j::i:. | ::i|
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{./|::::i:::::/|::::::::::八| lハ |/ 煩悩はバクティによる明け渡しで受け取って頂き苦悩から脱却すっる。
P147
自分の人生の全責任を、完全に神あるいは真我に明け渡すこと。
なぜなら、そのような明け渡しが効果的に為されるには、自分自身の意志や欲望をまったく持ってはならず、
神から独立して行動できるひとりの個人が存在するという観念から完全に解放されなければならないからである。
P153
もし明け渡したのなら、神の御心にしたがい、あなたの気に入らないことが起こったとしても不平不満なく受け入れなければならない。
P155
明け渡しとは自分自身を自己の存在の原因の源に放棄することである。
あなたの源はあなたの内側に在る。つまり源を探しだし、そのなかに溶け去ることである。
http://gorich.jp/blog-entry-248.html
日本では念仏による阿弥陀仏との合一で自我の明け渡しを説いた一遍が知られている。 われわれが出来るのは、明け渡しの環境を整えることなんだよね
それがマインドフルネスであり、気付きということ
いつ、どんな時にでも気付きの状態でいられることで、自我が出てくることが無くなってくる
今この瞬間には自我は存在できないんだよね
なぜなら自我は、記憶や思考・・・ つまり仏教的に言うと、執着によって成り立っているから
記憶や思考は時間の幅を必要とする
だから、時間の幅の無い今この瞬間には、自我は存在できない
もし誰かが四六時中、今この瞬間にいることに成功したら、その人の自我は存在していないと言ってもいいだろう
自我がなければ、それ自体がサレンダーであり、明け渡しということなんだよ
だからわれわれは、今この瞬間に気付いて、明け渡しの環境を整えてやればいいわけだ
植物の芽を出すためには、あたたかくして、水を上げて、植物の生育にいい環境を作ってやればいいんだが
こと、瞑想やマインドフルネスにおいては、われわれはしばしば自分の手で、
芽を引っ張り出すような真似をするんだよね
環境を整えてやれば、向こうは勝手に芽を出してくるので、われわれは環境を整えることを
しっかりやればいいわけだ その「環境を整える」ということが簡単にはいかないんだよ
人それぞれ置かれている「環境」が違うから >結局、心を満たす思いも一時的or一定期間って気づかないかな
一時的でないものってなんだよ。全て一時的だよ。
>君は心の欠乏、欠落、非充足を満たそうとするが、永続的に満たせて
>ないよね
そうでもないよ。第一煩悩がないと、セックスとかどうすんの?
子孫ができないよ。
科学的に見れば煩悩を滅すなんて人類を滅ぼそうとする試みだから極めて重罪で
不遜な行為だよ。
>否定、不満、怒り、恐れが拠り所で、おれ様の思いこそ正しく自分教に
>束縛されてて、利己的排他的でネガティブ性を帯びてないだろうか
それは当てつけだよ。それは言葉巧みに人類を侮辱してるだけだよ。
誰にでもそういう感情はある。完全になくすことはできない。ネガティブ感情も
必要だからね。必要でないものは存在しない。
>かつ苦悩の対処法も知らないわけですよね
思い上がりとおもうよ。誰でもそれなりのバランスを取った対処してる。
煩悩を滅するなんて極端すぎる。 >金持ち見ても何も思わなくなるから楽だよ
>誰かの不幸で喜びたくもなくなる。
憧れというのは大事な感情だとおもうよ。
感情の起伏が無くなるというのは程度の問題だと思う。全く無感動では
人間として悲しい。 >>739
環境を整えるというのは、親鸞の念仏で言えば、ただ念仏を唱えるということであり、
道元の座禅で言えば、ただ座るということなんだよね
おれらのやることは、ただ気付く、ということだけであって、
他には何もないわけ
人それぞれ環境が違っても、気付きというのはどこでも、
すぐにでも出来るよね >>742
どこでも直ぐにでもできるけど、それを保つことは難しい
すぐに自分の、自分の我でいっぱいになって「気付く」ということを忘れるから >>741
仏教では無関心になるのではなく、慈しみの心を育てますので心配いりませんよ。 >>740
> 一時的でないものってなんだよ。全て一時的だよ。
急に本質的なとこきたw
仏教の基本理念の3つのうちの1つだから、YESと言わざるを得ないなw >>743
気付きを持続させるという、線で捉えるのではなく、
点で考えたほうがいいよ
ポイントポイントで気付いていく
当然、その間は気付きが失われてるわけだ
だけど、気付きの回数を増やしていくことによって、
やがて点が線となるよね
自力的に「保つ」ということではなくて、点を増やしていくことによって、
自然に保たれるようになる、それが理想だよね
人間の思考の強さというのは、そのままカルマの厚さを意味するから、
ちょっとやそっとのことでは破れない
自力的なやり方では、絶対無理なわけ
だからこそ、気付きの回数を少しづつ増やしていって、
持続につながる環境を与えてやればいいんだよ
自力で持続させることは不可能だが、
持続につながる環境を与えるということは可能ということ オレ的には煩悩を滅する必要は無くて
煩悩=自分だったり、煩悩に駆り立てられるままに生きたりしてるんじゃなく、煩悩がただの道具に成り下がってくれれば、それでいいんだけど
ランニングとか健康を保ちたい走るの気持ちいいって欲ですし、美味しいものも食べたいし、お金もほしい
でもそういう欲がまるで主人のような面をして居座ってコントロールを握ってるのは勘弁だわ >>747
>ランニングとか健康を保ちたい走るの気持ちいい
ランニングは健康のためにはあんまり良くないんじゃないかな
気持ち良くなるために走るのはありだと思うけど
健康のためにという観点では、活性酸素を大量に発生させるランニングは長い目で見たら健康的ではないかもね
脚の関節的にも まあ それぞれの段階で感じ方は違うから難しいんだろうけど 段階が進んでくると 色んな拘り執着は 「気にならなくなる」って考えてくれても良いと思うよ
例えばクワガタとカブトムシどっちが好き? 靴紐の色は黒が良い?白が良い?って聞かれるのと同じレベルで 今日sexする? どっちでも良い ってなる >>749
そうそうその活性酸素が実は問題で、そこにどんだけ配慮しているかってのを詳しく語りだすと、このスレ使い切っちゃうから、ほどほどにしますけど…
まず普段の活性酸素の発生量と人体の活性酸素処理能力ってのは相関関係があって、処理能力を上回らない程度に負荷をかけることは、活性酸素処理能力の底上げにつながります。
それがない場合、年齢とともに活性酸素処理能力は下がっていくので、体は自然と活性酸素にやられていくことになってしまう。
オレは競技者じゃなくてたまにレースに出て失格にならない時間内で走れれば十分満足なただの市民ランナーなので、
心拍計(設定以上になると警告が鳴る)と呼吸の観察(主に1分あたりの呼吸数と呼吸の深さ、呼と吸の規則性)を使って、
最大能力の半分ちょいの運動強度(気持ちいい程度)にコントロールして、活性酸素処理能力にちょうど経験値稼ぎにいい敵を与えて訓練をさせてるわけです。
あとやってるのは、関節とか痛めちゃう場合もあるので、その対策として走る姿を正面と横から撮影して姿勢や動きをチェックしてもらったり、撮影でわかった着地姿勢にあった靴を選んだり、とか色々。
家の周りを短パンでちょいと走るくらいならどってこと無いんでしょうが、たまにとはいえレースに出るとなると、姿勢が悪いと30kmくらいで関節や筋を確実にやられるので。
でもまあランニングはスポーツの中では体への負荷はコントロールしやすい方だと思いますよ。ジョギングならルールとかないので無理する必要が全然無いし。ちょっとでも普段と違う感じがしたらただの散歩にしちゃっていいし。
それでも観察と身体との対話が足りない人は、何か起こしちゃうかもしれないですけどね… とりあえずアドレスを貼るのみで、当スレからは立ち去りますが、
もし興味ある方は読まれて下さい。
『救済的真理の伝達・証明』
《神・転生の存在の科学的証明》
http://message21.web.fc2.com/index.htm
>>747
自分もその方向性で、以前より変われたし生きやすくなりましたよ
おまけで以前より友達も増え、異性に好かれるようになりました
煩悩を滅するなんて、出家もせず現代の環境の中で、そこまでいけないでしょ
って感じで、某著名な学者先生は、滅するでなく制し離れる(=滅する)という
解釈がありますけどね
というか、煩悩どうののこだわりでなく、根本仏教の基礎として要素の集合体の
話から、それが私、私そのものでないというのは、洞察力のある人なら分かる
ように、私の思いこそ私そのものでなかったという目から鱗的な理知的な教説に
よって、これは意義があるものと始められる動機付けの一つにはなりますけど、
分からない人には、思考こそ私、我思う故に我ありで、好き勝手論の思考で何が
悪いって感じで、そこでもうすでに差があって、ここに書くアンチの人の無理解
は無理もないと思います あのスマ氏だって根拠にもとづく思考は否定してなく、
自己の否定でもないのに、敵は仏教の教えだっていうのも自我思考らしいです
いえいえ敵はあなたのその内面にないかしらで 私は煩悩を滅し尽くすことを理想に精進してまいります。
その結果道端で刺殺されたとしてもそれは私に原因があるのでしょう
私が恐怖しているのは死そのものではなくその手前にある避けられない痛みと恐怖
だがそれも誰かが無理やりにでも引き起こしてくれるのならそれもまた因果ですね
この世を観察すれば地獄です
精進できる時間がなくなるのは残念ですが仕方ありません
生きとし生けるものが幸せでありますように >756
私の思いが私でないなら私はなんだと洞察したのかな?
私の思いに気付いている私が私ということかな? その気付きにはアンチはいれて
はいけないという気付きだよな。アンチは嫌いだという理由で、その時点でかなり
勝手に好き嫌いが入っている主観的直観的な気付きだよな。
それに思いに気づいている私がいるということを発見したというだけで、それが
私の本体だとはならないと思うよ。その気付いている私をさらに気付いている私も
当然あるし、さらにそれを気付いている私もある。それはそういう気付きがあると
いうことにしかならない。それが私だと固定できるようなものは何もない。だから
気付いている私が最初の私の思い以上のものだとはならない。私の思いに振り回され
ている私も、気づいている私も同じ程度に確かに私だよ。そういう理由でわれ思う
故に我ありは、我あり故に我ありでも、我気付きゆえに我ありでもなんら違いはない。 >私は煩悩を滅し尽くすことを理想に精進してまいります。
煩悩は心臓が勝手に動くのと同じで、勝手に動いてるものだからから滅する
ことはできないよ。一兆個も活動している腸内細菌のすべてをコントロールする
なんてできないだろ。彼らも勝手に活動してるし脳へも影響を与えている。 >>758
それら基本的なことは、ググれば解説が出てきますよ
私→対象の私を含めた観察です
そしてその観察には私の思考解釈、ジャッジがない
あなたのように思考の産物(の物語)に同化させない
この辺の基礎は、ここに来る人なら誰でも知ってます
こういう慧の修習は、某中国産改造仏教にはないので、
あるがまま思想で思い(煩悩)に振り回されているのかしら
S宗に毎年犯罪者が多いのは、それと関係なければいいですが >>760=2号
>そしてその観察には私の思考解釈、ジャッジがない
なぜ私のジャッジがないと言い切れるのだ >>729
行かれる距離じゃないので
まんだらけ通販というのをみたけど売り切れだった・・・
でもここに入る可能性があることはわかった
ありがとう たちまちそれ自身の適合のパターンを確立する。
各人が、自分の適合によって安定を得られるだろうと考える。
この適合への動きと共に、権威が姿を現す。現在あるものとしての教育は
若者たちに服従し、受け入れ、従うことを教えており、それに逆らう人々も
服従、受容、従属の彼ら自身のパターンを持っている。
問題がつのる一方なのにそれらを解決する力を持たないというわなに陥る。
この全過程をあなたがたは教育と称しておられるのだ。
人は、比較と測定によって起こる競争的なこの攻撃性について学ばなければならない。
それは偉大な知識の蓄積をもたらし、あなたに多くの事をなしとげさせるかもしれないが
しかしそれは愛を否定し また自分自身への理解を拒む。
ひとかどの人間になるよりも、はるかに大切なのだ。
まさに私たちが使う言葉自体が比較級である。。。より良い、より偉大だ、より気高い、というように。
べーダンタという言葉は知識の終わりを意味します。つまり死であり
無時間、時間のない状態ということであり、すなわちそれは愛なのです。
そこで愛と死です。愛は慈悲を意味します。愛や慈悲は突極の知恵を意味し
本や学者や経験による知恵を意味するのではありません。そのような知恵はあるレベルでは必要ですが
愛や慈悲があるとき、あらゆる知恵の真髄が現れます。
けれども、すべてのものの終焉である死がなければ、慈悲と愛はありません。
大いなる沈黙、大いなる空間です。本質的に愛と慈悲と死であるものが、創造という知恵なのです。
死と愛の二つがそこにあるとき、創造もそこにあります。それ以外のすべては、発明です。 >>740
こういう一般大衆が世にはびこり、悟った人は世の中から居なくなる。
よって、世の中は良くはならない。
それが定説だよ。 世の中からいなくなる>X
俗世間から離れて間接的にアドバイスをくれる>O 山のてっぺん行ったこと無い人が集まって、てっぺんから見える風景をあーでもないこーでもないって議論してても意味無くない?
皆で一緒にてっぺん登る方が確実だし楽しいんじゃないかな 宗教は入口が一番楽しいよ。入ったら最後地獄。w
入口でてっぺんを想像するのが一番のてっぺん。 仏教は絶版になったりするし、難度も歴史から廃れている。日本でも同じように
廃れてはまたでてくるということの繰り返し。それがなにをいみするかだよな。
たとえば貨幣は発明以後いちども廃れたことはない。文字も一度も廃れた
ことはない。印刷もそうだね。数学もそうだね。
それに比べて仏教は何度もすたれている。ブームもあった。スカートや洋服
と同じだな。 >>769
そこで実際にやってみるかどうかで道が別れちゃうんだよ
趣味の問題だけどね >>770
釈迦も言ってるしね
お願いされたから一応教えてくけど、そもそも世の流れに逆らうものだから、そのうち無くなっちゃうからねって(意訳) >>767
シャクティパットグルにでもなったつもりであろうか >そこで実際にやってみるかどうかで道が別れちゃうんだよ
>趣味の問題だけどね
そうだね。でもてっぺんが意味するものが何かだよな。単純に山のてっぺんを目指す
好奇心なのか、それとも賞賛とか歴史に名を残したいとかそういう願望なのか?
指向性としてはスポーツマンが新記録に挑戦するのとそんなに変わらない。何が
違うかというと、
「お前らのは欲望で浅ましい、我等は「欲望」ではなくて神聖だ」と言う。そこが
チョと違うかな。
神聖がキーワードかもしれないな。神聖ということを外すと寧ろ社会の厄介者ばかり
だし、ろくでもないことをしてる。w >俗世間から離れて間接的にアドバイスをくれる>O
イマジナリグランド。基準点の一つではあるな。 >>777
まあ基本的には同意なんだけど、ちゃんとした師がついてれば、自分達のやってる事を特別な聖として俗を見下すような態度は一番最初にガツんと潰されるとこ
というわけで、そんな入口の方にいないで、もっとこっちにおいでよ
瞑想のからかいネタも増えるかもしれないよ
おいで…おいでよ…もうちょっとだよ… イヤーだ、入口が最高。何でも「変わり目」とか「際」がおもしろいんだよ。
歴史も変わり目が面白いし、宗教も入口が面白い。特に勧誘をしているような
宗教は入ったら100%幻滅する。入らずに時々覗く程度だと女の子
(おばさんだったり)がたくさん寄ってきてチヤホヤ、ホイホイされる。これは
クラブなんかの程度の悪い女の子よりもはるかに気分がいい。でも入ったら最後
「修行」という名目でドンドン要求を突きつけられて体のいいパシリにされる。 ↓ふ〜ん高校生や大学生の事故死、自殺率が断トツに高いんだ?
創価脱会者の内部暴露^^信者の悲惨な最後
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=noah1971noah1971&articleId=12263753949&frm_src=article_articleList >マインドフルなひとがいないのはなぜ
マインドフルネスでも数学でも英語の勉強でも、少しずづやっていればそのうち
視界がパッと開ける。其のときに始めて素晴らしいものは素晴らしいと解る。
視界が開けても残念ながら素晴らしくないと人は去っていく。それがブームが
去るという現象だ。
ただし、不味い食事でも豊かな(特殊な?)感性のある人は美味しく食べ
られる。詰らない文学でも咀嚼してあじわうことができる人もいる。そういう人が
亡び去ったものを掘り起こして復活させる。復活当時は新鮮なので多くの人に
受け入れられるが、しばらくすると「解り」が起こりまた捨てられる。 マインドフルネスは定義が曖昧過ぎて...
観 ヴィパサナ スレだったらまた随分語りやすいのに... 気付くということは大事な要素ではある。ビタミンのように大事なもの。しかし
ビタミンAばかり気を取られていても仕方ない。
「初め善く、中間も善く、終わりも善く、意味と文句を完全にそなえること」
つまり中道でんがな。ビタミンAもBもCも必要。
他にはイランのか?というと他もいりますよ。ぐあー――。もう何でもアリや。
芋もこんにゃくも必要かもしれんから、当然の帰結として曖昧になる。 人間は個性的だ。それをキリスト教では不完全というが、個性的という方が
正しい。こういうところがキリスト教の神様のちょっとだけ弱いところだ。
でまあ個性的なわけだから、それぞれの人に欠乏するビタミンもそれぞれだ。
「気付き」というビタミンよりも、「勇気」というビタミンが相応しい場合
も多い。自分のようにすでに悟りを開いて生まれたものは、行動がゆっくり
過ぎてまるで牛のようだといわれる。このような人々にはマメに動くこと、とにかく
速く、速く、早く、焦ってやるように教える方がいい。「マメ」というビタミンが
不足がちになる。気付きは不要だから取り過ぎても単に小便になってでるだけ。 >>780
おのれあと一歩で我が手中に堕ちたものを
口惜しや >>787
おいちょっと待てw
そのセリフ通りがかりの通行人が言っちゃうのおかしくね?w 嫌いな人が心を占めているときは、どんなふうにラベリングすればいいのですか?
イマイチしっくりくる言葉が見つかりません >>789
「嫌い」
という感情の根源をラベリングすれば良い(怒り、嫉妬、欲、執着など色々ある >イマイチしっくりくる言葉が見つかりません
しっくりくる言葉を見つける過程が重要だと思う。人から教えてもらったラベルを
貼ってもあまり意味がない。ラベルを貼るのは整理するためで、いったんは押し入れに
しまい込んでしまうことだ。そうすると空間が確保できるので自由にのびのびできる。
しかし押し入れには依然としてあるので忘れている内に腐ったりカビが生えたりする。
状況はもっと厄介なことになるかもしれない。
こういうのをその場凌ぎという。ラベリングはその場凌ぎだ。 >自分はまともだと思ってますか?
まともかどうかが気になる。他人と同じかどうかが気になる。それはどんぐり。
自分と違っていると気になって仕方がないというのが「どんぐり」思考だ。
どんぐりのためのビパッサナということで進化したのが日本の禅だ。だから口を
開けていればバナナが落ちてくる南方のビパッサナとはかなり違う。南方では
その場凌ぎのラベリングで十分だが、日本ではそうはいかない。 >>784
好きなように語っていいんじゃないの
定義が曖昧なぶん余程のスレチじゃなけりゃオッケーでしょ >>789
しっくり来なくても、その気持ちを大事にしてれば、そのうちハっと気付く時がくるから大丈夫(経験的には…だけど…
もしそれが来なくてしっくりしない気持ちが消えちゃうようなら、ラベリングが号令になってる印だから注意な >>789
ラベリングよりも詩句になってしまうが瞑想中にこう頭の中で唱えて念じてみよう
私の嫌いなあの人が幸せでありますように
私の嫌いなあの人の苦しみが無くなりますように
私の嫌いなあの人の願い事が叶えられますように
私の嫌いなあの人にも悟りの光が現れますように
私の嫌いなあの人が幸せでありますように 私の嫌いなあの人が幸せでありますように 私の嫌いなあの人が幸せでありますように
私を嫌っている人々が幸せでありますように
私を嫌っている人々の苦しみが無くなりますように
私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々が幸せでありますように 私を嫌っている人々が幸せでありますように 私を嫌っている人々が幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものが幸せでありますように
たとえ自分の本心ではなくても修行だと思って毎回唱えましょう
やがてはその人を嫌ってることがどうでもよくなります >796
なんか無理があるような気がするんだが、、、、w
これでどういう原理で「どうでもよくなる」という気持ちがうまれるの?
「早くくたばってしまいますように」ってのなら解らんでもない。 仏教的には、普段から地獄絵をいろいろ教え込んで
「地獄に落ちるぞ」
と脅すのがもっともポピュラーなやり方だと思う。で気の小さい人は震えあがって
「皆が平和で健康でありますように」
とお祈りするようになる。「くたばれー」とか言ってると地獄に落ちることになる
からね。
そのあたりの原理で嫌いな人にも「お幸せに」とか心にもないことを言う
習慣が付いたのではあるまいか? ラベリングの話からは大分ズレてしまってるが
慈悲の瞑想の健康や精神への効果は研究されてて統計的には明らか
原理は分からんけどな
口先だけでも「幸せでありますように」と唱えていると
何故か本当に憎しみなんかどうでもよくなって
幸せになって欲しくなってくる
人間ってバカなのかも >>>791
私の場合はネガティブな意味合いの言葉でラベリングすると心がいっそう疲弊してしまうので、
できるだけ「好き」とか「嫌い」といった価値判断を伴わない言葉でラベリングしたいと思っています。
例えば、あたりがうるさいなと感じたときは「音、音」といったふうに。
語感もよくて唱えやすいんです。
こういう感じで、>>789のような場合に使える言葉があればいいなと思っています。 >>796
慈悲の瞑想もいつか実践してみたいのですが、
普段から心がそわそわして落ち着きがないため、
これだけ長い文句を唱えるのは今はまだ難しいと感じてしまいます。 >>795
その通りかもしれません。
でも、皆さんはどういった言葉でラベリングしているのかな?と、ふと知りたくなりまして…… >>789
明け渡し(バクティ
嫌いという感情も自我(エゴ)なのですが、
その自我をあなたが帰依するものに明け渡すのです。
南無阿弥陀
南無釈迦牟尼仏
南無観世音菩薩
オン バサラダトバン
御心のままに
など
http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/truthis-holder/sinrinomi08c.htm >>803はラベリングというよりもマントラ(真言)の例として挙げました。 宗教板だから言いますけど、輪廻転生は本当にあるよ。
三昧に入ったら、過去世の記憶を思い出せる。
過去世の記憶ってのは、脳みそにあるわけじゃない。
過去世には、そもそも、いま使っているこの脳みそは存在してない。
三昧に入ってる時は、この身体における思考と感覚は、働きが止まっている。
その外にもまだ意識がある。
そこは、身体が死んでもなくならないと思う。 そりゃあ遺伝で、生まれてきたんだから過去は当然あるわな。見えるかどうかは
べつにしてな。
でも未来は転生ではなくて進化じゃないかな。 進化なら下らんものは消えて
無くなる。いいものだけが残る。頑張らないと転生できんな。 >>806
その見方・考え方を短く仏教用語で言うと、有身見です。
この身体が自己であり、自己の本体だという前提認識。
そして、唯物論も前提にあります。
ここでいう唯物論とは、身体が自己意識の発生源であるし、身体が死ねば
意識も消えてなくなる、という前提に立っているということです。
しかし、その前提が正しいことを証明した人間は誰一人いません。
科学とは物理現象の観察によって確かめるものですが、
実は瞑想というのは精神現象の観察なのです。 身体から意識が発生しているのではなく、
意識が身体という物体を生命にしているのです。
身体が意識を包摂しているのではなく、
意識が身体を包摂しているのです。
身体が意識を生みだしているのではなく、
意識が物質を生みだしているのです。 ふつう人間は、自己を出発点として世界を認識しようとしますが
ほんとうは世界が先にあって、自己は後から生まれ出てきたものです。
ふつう人間は、自己を中心として世界を認識しようとしますが、
本当は自己は世界の中心ではありません。
五感に生じる感覚が自己だと思っているので、肉体の構造上、そういう
風にしか認識できないのですが、人間の理性とうのは、前提的にこのような
誤謬を抱えているのです。 般若心経の文言で短く言うと、顛倒夢想ということでしょう。
人間の考えることは、根本的な部分ですべてが逆さまなのです。 「感謝の言葉」を言う時に血圧が下がったり、血液がサラサラになったり、
「憎しみの言葉」を言うときに血圧が上がったり、血圧がドロドロになったり、、、
というのは単なるオカルトではなく、科学的にエピデンス(とここで言っていいものか)が取れて発表されてる >>786
個性的なかたですね
マメはお好きですか?
>>811
そりゃ言葉の問題というより
元々の感情およびそれに伴う生理的反応(アドレナリン凝集とか)の問題じゃ無いのかい?
と思った。
人が憎しみの言葉を言うとき、なのか、(状況によらず)憎しみの言葉を言うと(その結果として)なのかがわからん。
そのエビデンスには何と? >>800
スキ・キライ・フツウでラベリングするのが嫌なら感情が波立ったとか心が動いたとかw >>789
要はしっくりくる言葉が思いつかないってことですよね 結構大事で言葉がドンピシャならズキン と響いたりします あるあるです
自分に何が起こっているか その時体はどうなってる? 特定の部位は? 私なら胸の痛み痛み お腹の力み力み 眉間の力み力み とか試してみるかな >>805
また古代ヒンドゥの伝承由来に固執して、身体の外に意識体があると
妄執しているよね
長部経の中で、それらは、色受想行識の範疇の接触を縁としていて、
かれらが接触もなく感知できるという、この道理は存在しないと説かれ、
それは、渇愛に囚われた者たちとある
三昧は作られたものであり壊滅するものとあり、三昧の体験のその実体視は、
意識誘導されたもので、言語の消えた心的状態は。事物、自他の区別もなく
誤解が生じやすく、都合よく意味づけをしてしまうものです
「われには、われが、かつて存在したという思いもないし、
またわれには、われが未来に存在するであろうという思いもない。
潜在的形成力は消滅するであろう。ここに何の悲しみがあるであろうか。」
仏典テーラガーターより、これこそマインドフルネスらしい >>816
2号君、君はスマナサーラ本の受け売りで煽って他人を冷やかして遊ぶという悪趣味を止めるつもりはないのかね? >>816
>身体の外に意識体があると妄執しているよね
受も五蘊の一部だし、識も五蘊の一部ですよ。
身体の外になんらかの実体があるということではなくて、五蘊はそれぞれが別々のパーツであり、
自我というのは、ひとつの完結したものではないということ。
あなたの方こそ、色だけが自我の構成要素だと思っているのでは?
仏教徒の行ずる三昧(サマーディ)というのは、八正道の正定(サンマー・サマーディ)のことであり、
邪定(ミッチャー・サマーディ)のことではありません。 三昧の智慧を基礎として、観智を開発していくことが説かれている(戒定慧)わけですから、
>>816 の見方は、戒定慧の三学における定学を否定していることになるし、八正道の正定を
否定していることでもあります。 >口先だけでも「幸せでありますように」と唱えていると
>何故か本当に憎しみなんかどうでもよくなって
自動化がおこるんだろうね。一般人にはかなりメンドクサイことでも仕事として
やっていると自動化が起こって、なんとも思わなくなる。自分の仕事は
穴を掘っては埋めるような繰り返し確認を10万回くらいやりつづけるが、普通の人
だと精神衰弱になって発狂すると思う。w こういう単純作業も慣れると、そこそこ
楽しんでできる。
英語もメンドクサイし大嫌いだったが、無理やり読んでると自動化が起こって
面白くなる。人が嫌いというのも、言うことなすことに相手をするのがメンドクサイ
のであって、慣れてしまえばスイスイと受け流せる。
ほんじゃあまあ「皆さまが幸せでありますように」
>「感謝の言葉」を言う時に血圧が下がったり、血液がサラサラになったり、
>「憎しみの言葉」を言うときに血圧が上がったり、血圧がドロドロになったり、、、
反射だな。ウソ泣きで涙を流すくらいは俺でもできるもんな。 >ここでいう唯物論とは、身体が自己意識の発生源であるし、身体が死ねば
>意識も消えてなくなる、という前提に立っているということです。
死ななくても意識は無くなってるよ。自己という形で継続してきているように
錯覚しているけれども、そうではないと思うよ。去年の自分と今の自分を比較して
意識も体も残っているものはなにもないよ。全部入れ替わっている。
のこっているのは記憶のようなパターンだな。犬が歩いた足跡とか風が吹き抜けた
あとのさざ波のようなものだな。だからいずれ消えてなくなる。 生滅してるから、もともと実体がないっていうことでしょ。
そういうことを言ってるわけじゃないんだけども。
五蘊無我と最初から言われてる。
禅とか定というのは、そういうことじゃなくて、五蘊のうちの五蓋の支配下にあるか
そこから脱しているか、そこの違い。 >>802
ひとの聞いても参考にならないと思いますがw
オレの場合、普通の嫌いは「思っている」だけど、心を占めるほどの年代物(笑)の嫌いもあって、そいつが出て来た時のラベリングは「わかっている」です。(何のこっちゃ?でしょw
個人的な経験では、人間は(自分は…)姿のはっきりしないものにしっくり来るラベルをつけることは基本的にできないですね。
だから、たいていの場合、しっくり来ないのはしっくり来る言葉が見つからないのではなく、自分の中で「それ」の姿が不安定で定まっていないからです。姿が定まると、言葉の方から「それ」を包含するように寄り添って、しっくりします。
したがって、しっくり来ない間はしっくり来ないまま丸ごと気付くのが正しいラベリングの状態だと思ってます。それで「その気持ちを大事にしてれば」と言ってます。
えーっと、しっくり来ました?w >>816
>また古代ヒンドゥの伝承由来に固執して、身体の外に意識体があると
>妄執しているよね
ヒンドゥではそういう考えがあるんですね
その体の外の意識体とはどんなものか詳しく教えてください 慈悲の瞑想ってすごいですよね
最早これを知る前自分がどんな印象を持ってたかはっきりと思い出せない
結構文言に抵抗があったような気もするんですがはっきりしないです
ただ自然とやってます
それでどうということもないのですが
最近は私の嫌いなものや私を嫌うものに対しても自発的に慈悲の瞑想を行ってることに気づいて「おおっ」ってなります >>825
アファメーションの変形バージョンという感じですかね(どちらが古いとか関係なくね >慈悲の瞑想ってすごいですよね
慈悲っていうより要するに慣れだな。ニンジンが嫌いとかピーマンが嫌いとか田中が
きらいとかそういうものは、慣れると嫌いじゃなくなる。
嫌いじゃなくなるが行き過ぎると好きになる。
慈悲の瞑想じゃなくても、繰り返しイメージするだけでも慣れは起こる。写真を貼って
いつでもみていたらそれでも慣れる。
英語を毎日1pづつ読んでたら、慣れる。慣れたら好きになる。ゴミみたいな仏典でも
同じだな。 慣れるというのは、神経をナトリウムイオンが流れる。神経と神経の接続部分(シナプス)
にくるとそこに隙間があるので化学物質に変化して伝達される。でまたナトリウムイオンに
もどる。ここで時間がかかる。それがメンドクサイということの正体だ。でも習熟すると
スピードアップする。これが快感とか天国の正体だ。
マントラのようにシツコク繰り返すと習熟して快感が生まれる。マントラじゃなくても
読書でも高速に読めるようになると快感になる。物語の内容とかには関係なしに快感が
走る。それが活字中毒だ。 >>825
> 最近は私の嫌いなものや私を嫌うものに対しても自発的に慈悲の瞑想を行ってることに気づいて「おおっ」ってなります
あー何か分かるわーw
オレも「幸せ光線銃」やってたら、いつの間にか習慣化しちゃいましたw >>818-819
いえ、あなたが先に根源的意識体が実在すると書いたのですよ
その意識は、瞑想体験から分かり実在すると説くあなたに向け、
816を書いたのですよ
それと九次第定と八正道の四禅定の中身が異なること知ってますよね
>>824ウパニシャッドに、根源的真実在、宇宙意識なるものと本質的一致の
思想があり、意識体、真我がそれら一体と説く宗教があります >>802
あーそういうことなら
嫌いな人が心を占めるということがない
故に、ラベリングしていない。
故に、回答できない。
となる。
いや、気付いてないだけか…?
そうですね、嫌いとはちょっと違うが近いところで最近
「彼の人はウザい」(と感じた)とラベリングした。
仮にここで「ネガティブワードはキライ」と感じる状況にあるとする。
ウザい≒うざったい::=鬱陶しい、ごちゃごちゃと煩わしい、しつこい
といったネガティブな意味を含む言葉
これ定説。
その後「彼の人はボダ」(と認識した)とラベリングする。
これでウザいという言葉は消えた。(表面上は)
仮にここでボダはネガティブな意味を含む言葉だ(と判断した)とラベリングしたとする。
ならばボダの代わりに「境界性パーソナリティ障がい者」を用いる。
さすればネガティブワードにならない。
まるで人格的に問題があるかのような差別的表現に配慮した、国家公認の正式な呼称であるし、しかも害というネガティブな表意文字も使用していない。
パーフェクトだ。 >>830
>>>824ウパニシャッドに、根源的真実在、宇宙意識なるものと本質的一致の
>思想があり、意識体、真我がそれら一体と説く宗教があります
それは現代の量子脳理論の中のペンローズ・ハメロフ アプローチで提唱されたモデルと酷似してそうですよ
このアプローチは発表されて20年になりますが未だに根本否定されたことがないそうです
古代インド人が量子力学や素粒子の存在を知らなくても体験的にそれらのアプローチを認識していたとすれば凄いですね なんで急に輪廻転生なんて話題になったの?
宗教板だから、じゃなくてまずスレタイ読めよ >>820
反射じゃなくて、長期的な側面でもポジティブな人間は長生きするしネガティブな人間は早死にするというエピデンス発表されてる >>832
提唱されたモデルというのは、仮設理論で証明できてないわけですよね
そして調べる方法がないから否定もできないってことになりますよね
形而上見解ってことになります
そういう見解に固執して思想を抱き自我を構成させてしまいますよね
しかも>>816の仏典の説明によって、その体験を否定しています
Sn.798、Sn795には、なんらかの存在を根本的なるものとして絶対視するのは、
束縛であり、究極のものだと信念にしたりしないと説かれます >>834
最近ではそれはどうも疑わしいという流れになっていなかったけ >>835
あなたはスッタニパータの説法を絶対視して究極なものにしてるんじゃないの?
どうなの?なんでスッタニパータの教えに固執してるの?あなたの自我がそうさせてるの? >>830
欲界、色界、無色界。
このうち欲界の自我が消えても、色界以上の部分は残ってる。
色界以上の意識も五蘊なので、別にそれが真我のような実体としてあると言っているわけじゃない。
経験から出てくる言葉としては、肉体の死が意識全体の死を意味するわけではない、これは実体験から出てくる実感。
また、涅槃について基本的な立場は無記だが、不生不滅とも言われ「何もない」ということではない。
それは断見。
五蘊は無常だが、涅槃が無常とは言わない。 >>833
>>798へのレスからの流れ。
>>830
肉体に生じている五感と思考が自己なわけじゃないよ。
五感と思考を見ている意識がある。
その意識も無我。 ↓ココまで全部消えるわけじゃない
色受想行識
↑
ココが死んでも >どうなの?なんでスッタニパータの教えに固執してるの?あなたの自我がそうさせてるの?
怠惰な人は、自分で考えるのがメンドクサイから他人の考えたものをチャッカリ利用する。
ヤドカリみたいなもんだな。 >まるで人格的に問題があるかのような差別的表現に配慮した、国家公認の正式な呼称であるし、>しかも害というネガティブな表意文字も使用していない。
ラベリングは認知の自動化訓練だからあれこれと考えるのではなくて適当にサッサとラベル
してしまう。どうせ中身を問題にするのではないから、ラベルを何にしようが関係ない。
ウンコでも差別語でも何でも構わない。単にウンコで差別的な人格に見えるようになる
というだけだ。今でもそんなに感じだからパーフェクトだ。 >自分に何が起こっているか その時体はどうなってる? 特定の部位は?
>私なら胸の痛み痛み お腹の力み力み 眉間の力み力み とか試してみるかな
そういう内容とは関係なしに、多少はいい加減でもいいから高速にラベリングして
みる。こうすると頭の回転は良くなる。
短絡思考にすれば頭の回転は良くなる。頭の回転を良くしたうえで深みのある思考に
戻ればいい。
仕事を開始する前に簡単な100マス計算をすると、集中力が上がって飛躍的に頭の回転
がよくなる。そういうのに似ている。
ラベリングは思考が深みに嵌るのを防ぐ働きがある。決断と同じだな。決断には熟考が
伴うが、熟考なしに決断する。だから頭は高速に回転するが思慮に欠けたものになる。
ラベリングをマスターするとチャッチャッと仕事をして5時:00:03秒には帰路に就く。
というようにやっつけ仕事の達人に成れる。 >反射じゃなくて、長期的な側面でもポジティブな人間は長生きするしネガティブな人間は
>早死にするというエピデンス発表されてる
それは他人の平均値だから、君はいつ死ぬかわからんな。平均的に生きられるわけではない。
だからポジティブだろうがタバコを吸おうが、君には全く関係がない。80歳で死にたくても
ウダウダ不平を言いながらネガティブに150歳まで生きてしまうかもしれない。証拠があっても
それは他人の平均だ。
反射的に「世界が平和でありますように、あなたが幸せでありますように」と
口をついて出てくるようにするのは簡単だ。言葉に出せるのだから気持ちを込めることだって
簡単にできる。一週間も練習したら跳び箱が飛べるようになるのと同じだ。
ポジティブな言葉を100例文くらい覚えてスラスラいえるようになれば、会社でも一目置かれる
高潔な人物になれる。英語を苦労して100例文覚えるよりもはるかに昇進の可能性が高くなる。 検診や医療を受けないで自然にまかせたほうが、長生きするらしい。 そういや以前憎悪の瞑想って実験してみたことあるよw
幸せ光線の逆で、1時間に1回ランダムに2人選んで10秒づつ心の中で、あいつが不幸になりますように悩み苦しみが膨れ上がりますように願い事が叶えられませんように輪廻を繰り返しても涅槃に辿り着けませんように…って
もちろん口先だけなんだけど…その日は最悪の気分でしたw
教訓:人体実験もほどほどに >>837
根拠を示すための引用ですよ、それと仏教徒ではない
どこかの連投さんの主観、自説であーだこーだとは異なります >>847
その根拠はあなたの中で仮定か真か?それを問う 悟りの概念とはどいうのかというと、まず、我々の世界というのは本来一つで、
わけ隔ての無いものなんだよね
そこに自我が生まれることによって、あれ、これ、それ、と、分離が生じた。
言ってみれば、一枚の絵が、まるで独立したパズルのピースによって
成り立っているかのように錯覚した。
よく、われわれの見ている世界は幻想だというとき、それは分別によって分断された個々・・・
山、川、彼、わたし、など、個々に識別された世界が幻想ってことなんだよね
つまり、この個々のピースが、"無"というわけ
あるいは、一枚の絵の中には、個々のピースが存在しないので、
一枚の絵の中は、"空"というわけ
この世界は"無限の一"しか存在しないわけ
部分的なものに境目がなくなれば、その部分は部分としては存在できなくなり、
必然的に、"一"に帰一するんだよね
部分として合体するんじゃなくて、部分としていられなくなる
部分としていられなくなれば、"一"しかないわけ
それが悟り >>849
また有名なヒンドゥ思想と中国産が融合した発生論的一元論を
ドヤ顔で語る、朝からw >>849
文体をである調にして、
仏教用語で小難しい表現の修飾語をつけて、
ちょっと大層ぶった表現にしたら
鈴木大拙っぽくなっていいと思います。 >>852
鈴木大拙は、世界の学者は批判している
それはインド大乗でなく、日本独自の大拙乗ですよとw
彼の影響受けた信者は多い、特に昭和に生きた人たち
中国産改造仏教の流れでもあるんですけどね >>853
華厳経w、後世創作のさとりの世界のSF感動小説ね >>842
> ウンコでも差別語でも何でも構わない。単にウンコで差別的な人格に見えるようになる
> というだけだ。今でもそんなに感じだからパーフェクトだ。
なかなか本質を付いて居られる。
ワタシは〜カンジタ。
このワタシが肝なのだが、
実のところ別にワタシでなくたってなんだっていい。
便器にこびり付く糞でもタワシでもなんでも。
ワタシは〜カンジタでも
タワシは〜カンジタでも同じ事だ。 >>847>>851>>854-855
おい2号、朝から元気だな!
久しくお前を見てなかったかアク禁でもされてたのか?
最近解除になってまた荒らしに来てるってか?w >もちろん口先だけなんだけど…その日は最悪の気分でしたw
それはやり方が不味い。上手くやるとスカッとする。そういうんは、直接
「馬鹿野郎」と怒りをぶっつけるのがいい。そうするとスカッとする。
本来なら義憤として発散させるべき「怒り」を閉じ込めて憎しみに変えて
しまうと気分が悪くなる。憎しみは向かう対象がハッキリしない。その情動が
何処から生まれてくるのかもハッキリしない。ハッキリしないから気分が
悪くなる。
怒りの観察というのは怒りを閉じ込めてしまう。だからそれが憎しみに
変わってもわからない。怒りがこみ上げてきたときに「糞馬鹿たてが、、、」と
怒りを爆発させるのがもっと分かりやすい。これが最良の観察方法だ。
瞑想というのは、やりかたを間違えると物事を分かりにくく閉じ込めて
しまう。そういう逆のマイナス効果も出てくる。 >>851
いや、あなたの方がまだわかってない。
阿羅漢果に達する時、五上分結が滅することで涅槃に到達する(と教えられる)でしょ。
その時に慢が消える。
自他の境界を形作っている枠である慢が消えることによって、我が滅する。
消えるのは境界の方。
涅槃は断滅ではない。 >860
悟りの振り付けなんだから別にそんなに拘らなくてもなんでもいいんでないの?
新しいタイプの振り付けした方が受けると思う。 >>855
無分別智である智慧を、分別智である言葉で表現する時、教えの受け手に応じて
いろんな表現となり得るんだよ(方便)。
仏陀の教えはもともと対機説法だから。
無分別智である智慧がわかるためには、正定が必要。
そこまで達すれば、仏教の色んなパターンが、どれも仏教であることが理解できる。 医者にかかると、患者毎に処方が違う。
様々な処方は違っているが、どれも正しい。
処方が違っていても、医学が違うわけじゃない。
宗派の違いも同様。
智慧と慈悲から出てきた表現が、多様であるに過ぎない。
最終的には、仏陀が「この一道のみ」と言って教えたところに帰納する。 >>863
おれら仏教だから〜って言ってたら
多少食い違っててももうOKって感じ? それが智慧からでてきた言葉なのか、思考から生みだされた概念に過ぎないのか、
そこの違いは分別する必要があると思いますよ。 仏陀への信。
正法であることの目印は戒律(を守っているサンガ)。
戒があればこその定と慧ですから。
教義内容については、一般的には三宝印という答えになるんでしょうけど、
実生活の上では、仏陀への信さえあれば、残りはあとから全部付いてくると思う。
だけど、これだと念仏宗みたいな話になってしまいますね。
三学を修めて悟るんだ、解脱するんだという立場の人たちにとって
目印となるのは、なんと言っても戒律だと思います。 >>868
仏陀への信があるかどうかと
教えが智慧から出てるかただの概念かは
別の話じゃないですか?
おれら仏教だし仏陀への信あるし〜で最初に戻ってしまう
教えの内容が智慧から出ているか否かが
仏教か否かを分けるなら
その必要十分条件が何が知りたいです >>867
これは具体的w ありがとう
もうちょっと聞かせて
諸行無常の諸行は世界の現象のすべてを含む集合だと思ってます
その要素に涅槃は入っていますか?(自分は入ってないと思ってる
入ってないとして、釈迦は涅槃が無常か否かについて言及しましたか?(これは無記と思った >>870
ごもっともな疑問ですが、回答が難しい。
言語と思考は分別智ですから、言語だけで無分別智を判定する視座が得られるかというと、
原理的に無理、あるいは限界がある気がします。
無分別智を、自分自身で体験智として知った時、経典教学の知識(こちらは分別智)と
組み合わせて、他の言い換えを理解する視座ができてくるはず。
ちょっと乱暴な答えですけど、わからないところはブラックボックスのままに、
やっぱり最初の段階で、仏陀という正解にフックをかけておくことが重要だと思います。 今生で仏様にご縁があって本当に素晴らしいことです。 >>870
入らないですね
諸行無常sabbe saṅkhārā aniccā
sabbe…一切の
saṅkhārā…形成力、形成されたもの(五蘊の行蘊)
aniccā…無常
そこで小部「ウダーナ」8.3 第三の涅槃に関することの経(73)
「比丘たちよ、
『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの(有為)』でないもの(涅槃)は存在する。
比丘たちよ、
もし、その、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』でないもの(涅槃)が有ることなくあったなら、
ここに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの出離は覚知されないであろう。
比丘たちよ、
しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』でないもの(涅槃)が存在することから、
それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの出離が覚知される」と。
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-3.html
ということで涅槃は「形成されたもの」ではないので諸行の行には含まれません >>872
ありがとう
とりあえず語れないものは語らず
仏陀に信をおいて精進するって感じですかね >>874
はい、涅槃は釈迦が無常と言った集合(諸行)に含まれない
自分もそう思います
では、釈迦は涅槃が無常か否かに言及したか?
という点はどうでしょう?
この集合の要素はすべて無常=集合に含まれない要素は恒常
ではないですよね?
あと、実は自分他にも興味があって
諸行以外の要素は涅槃のみである、と釈迦が言ったかどうかも気になってます。 >では、釈迦は涅槃が無常か否かに言及したか?
>という点はどうでしょう?
>この集合の要素はすべて無常=集合に含まれない要素は恒常ではないですよね?
スッタニパータ
756 見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、<名称と形態>(個体・心身)に執著している。「これこそ真実である」と考えている。
757 或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものは異なったものとなる。何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
758 安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る。かれらは実に真理をさとるが故に、快をむさぼることなく平安に帰しているのである。
安らぎの原文がnibbānaṃ(ニッバーナン=ニルヴァーナ=涅槃)です。
>あと、実は自分他にも興味があって
>諸行以外の要素は涅槃のみである、と釈迦が言ったかどうかも気になってます。
釈迦が言ったのは「涅槃はサンカーラ(行)ではない」ということですね。
「諸行以外の要素は涅槃のみである」と限定したような言い方はしてなかったと思いますが、
涅槃以外で諸行外について言及した説法があるのかどうかまでは存じません。。
マハリシは常に自らは真我であるから真我は新たに形成されない、というようなことを言ってたと思います。 日本の世間教の信者の方々とどうしても折り合いがつきません。
皆さんはどのように彼らとおつきあいされているのですか?
日本の世間教
多神教 八百万の神々(サラリーマンの神、高校生の神といった外のを歩く人々)
教義 5つの推奨される事柄を守れば俗世で幸せになれる
嘘をつきましょう
不倫をしましょう
無益な殺生をしましょう
酒を飲みましょう
許可されてもいない人の物や心を奪い取りましょう
世間教の慈悲の瞑想
私、私の親しいもの、生きとし生けるものが
不幸せになりますように
悩みや苦しみが増えますように
願い事が叶えられませんように
悟りの光は消え失せ真っ暗闇になりますように
不幸になりますように
初期仏教は邪教とみなされひどい迫害を受けています なーんかやっぱり話がズレるんだよな…
慈悲の瞑想とやり方変えたら対照実験にならないし、別に憎悪の瞑想を上手くやりたいわけじゃないんだけど… >>871
そんじょそこらの一般人の凡夫が悟ったとか言ったり悟るつもりでいたら大笑いだよ
高僧でも本当に「悟った」なんてのいるのか?ほとんどいないだろ 悟りを神聖化する者たちから悟りを奪い返さなければらない 仏道(八正道)は道なので、一歩でも前に進もうと思えば、毎日前に進める。
100点か0点かだと、一ミリも前に進めず、スタートする前から挫折があるのみ。
白か黒か、0か100かのデジタル思考。
完璧主義。
これはよくない。 >>878
世間教そこまでひどくないんじゃ…(^^;
オレの周りの無宗教の人達でも、普通に五戒から不飲酒戒引いたくらいの感じだけど >>877
安らぎは虚妄ならざるもの、了解です。
涅槃は無常ではないとスッタに残されていると。
無常か否かは無記ではなく断言できる。
ここで自分がこう↓言ったらどう思います?
釈迦は、アートマンやブラーマンの存在は否定したが
無常ではないものは涅槃のみである、とは言っていない。
生前の釈迦が老子思想に言及した記録はない。
したがって、タオは無常ではないもの、という論を仏説によって否定することはできない。 みんな頭で考えるの好きだな〜 答え合わせは目覚めた後の楽しみすれば良いのに〜
箱の中から音がする ある人は猫だと言い ある人は音を分析しして携帯のバイブ音だと言う またある人は深い夢で中身がわかったという
開ければ良いじゃんね〜 箱を まあみんな同じ物を見るとは限らないけど〜w >そんじょそこらの一般人の凡夫が悟ったとか言ったり悟るつもりでいたら大笑いだよ
>高僧でも本当に「悟った」なんてのいるのか?ほとんどいないだろ
低僧にはたくさんいるぞ。悟りは低僧にこそ訪れるものだ。
理解は難しいがラノベが好きな人もいる。あれでも嵌り込むと面白いんだろうなとは
思う。ラノベにはラノベのなにか共通点があるんだろうと思う。そこだけ外さなければ
多少は雑な文章でも面白く読める。
悟りの楽しみかたというのは、ラノベの楽しみ方に通ずると思う。嵌るポイントが
分かれば楽しめる。まともな常識があるとそのポイントが見えない。常識を外して、
何か「悟り」核になるものを潜在意識に滑り込ませるとドンドン楽しめるようになる。 >世間教そこまでひどくないんじゃ…(^^;
>オレの周りの無宗教の人達でも、普通に五戒から不飲酒戒引いたくらいの感じだけど
心に映るものを見る。心が酷いと酷いものが見える。
嘘つきには嘘つきがよーく見える。
純真な人には純真なものが見える。
呑み助には酒がよく見える。 >白か黒か、0か100かのデジタル思考。
>完璧主義。
>これはよくない。
仏道は完璧でなくてはならない。いい加減なことを流布するからあれこれと迷いが
生ずる。
デジタルは0、1かで完璧だ。完璧を押しすすめると、完璧以外は生じない。
0,1だ。こんな簡単なことが守れない。
ウイルスとは何か? デジタルシステムにウイルスなど生じる筈がない。いい加減
な技術者が、いい加減なプログラム作って、いい加減なOSを作った会社が、いい加減に
ばら撒いて、いい加減な人々がそのプログラムを実行する。
そして「ウイルスにやられました」
「ウイルスは脅威だ」とは笑止千万だ。
しかしいつの間にか「まあ仕方ないか?」とウイルスを受け入れている。この過程で
だれか一人でもいい加減を拒否するならばウイルスはない。
まあそういう人になりなさい。 >なーんかやっぱり話がズレるんだよな…
>慈悲の瞑想とやり方変えたら対照実験にならないし、別に憎悪の瞑想を上手くやりたいわけじゃないんだけど…
話を元に戻す前に憎悪と怒りは別だ。
0.怒り: 怒りの対象がハッキリしている。
1.憎悪: チョンは嫌いだ。デブは嫌いだ。というように原因のハッキリしない、曖昧な全体に向けられている。
こういうことを完璧に0か1かで押さえておくことが重要だ。
そこで怒りというのは、あまりいいとは言えないが時と場合によっては必要になる。
憎悪はというとこれは無くしたほうがいい。 >>889
差別の心は慢です。
慢は欲の煩悩です。
種類は傲慢、卑下慢、同等慢の三種類あります。自分は駄目な奴と思うのは卑下慢。皆、平等に扱われるべきだと思うのは同等慢。 仏教マインドマップ
差別心
慢
欲の煩悩
傲慢
卑下慢
駄目な奴と思うのは卑下慢
同等慢
平等に扱われるべきだと思うのは同等慢
これはいいモデリングなのかどうか?
理解するうえではモデリングをしっかりと作るのがいい。いい加減なモデリングだと
階層のレベルを間違えたり、錯綜したりすることになる。
モデリングが不味いとウイルスが発生する。 スポーツならタイムを見れば有望かどうかはすぐわかる。これは簡単だ。
判別はすこし高度になるが歌声を聞けばその新人歌手が有望かどうかはすぐわかる。
素人には分りにくいが、それを仕事にしていると判断力は鍛えられる。
だから慣れた人がモデリングを見ればその思想が破たんしているかどうかはすぐわかる。 憎悪の瞑想とかくだらんことやってるやつ、そういうことやってそうな捻くれた性格してるな 感想言っただけでなんでも「怒り」と捉えるのは良くないのでは? この人は偉大な覚醒者だから話を聞けるのはたいへんありがたいことなんだよ >>884
タオ信仰も自由、内側に神を置くのも、外側に神がいて信仰も自由
ただ釈迦仏教は、解脱,悟りに役立つ教えとそうでないものを区別していた
学術研究によって、一元論、依正不二、無情仏性の教えが非プロト仏教
であることは学者によって、根拠を元に明らかにされている
どこからそんな教えが発生し、混入されて変容して日本に入ってきたのか、
鵜呑み盲信せず、分析すれば分かることです
有為、無為に分別したのは、アビダルマ論師だし、実体論化に繋がった
とにかく改造仏教ぞっこんの人は、信念体系にしがみつく
しがみつき自我を構成させ、それを守りに観念回転で正当化させる
対象にしがみつく自分を観察しない
頭は中国思想家の影響下に鵜呑み盲信している域にとどまっている >>884
釈迦はアートマンやブラフマンの存在を否定も肯定もしてないですね(無記)。
アートマン(やブラフマン)の存在の有無へ固執することは否定していたと言っていいかもしれません。
>無常ではないものは涅槃のみである、とは言っていない。
>生前の釈迦が老子思想に言及した記録はない。
>したがって、タオは無常ではないもの、という論を仏説によって否定することはできない。
そのような数学的証明問題の他に、
タオ自体が老子によってなんと説かれているかどうかという問題もありますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99
ウィキペディアを参考にすると「道」(タオ)は不滅の真理とありますから
やはり無常ではないもの、のようですね。
概念としてはブラフマンに近いように思えます。
しかし、こちらのサイトを参考にすると
http://tooka.exblog.jp/17633726/
道は仏教でいう無相、空性なもので、名は名色(名称と形態)ですね。
そこから老子第一章を俯瞰すると、道と名は関係性としては、色即是空空即是色に近いように思われます。
色が名で空が道ですね。
となると空とは虚妄を意味しますので、道も同じように虚妄となり、無常なものとなりますが…。
ただ、空は真理であり空自体は無為と考えると無常ではなくなる?
諸行無常という真理自体は無常ではないというのと同じで…。
と書いていくと戯論になりますので、この辺で止めておきますかw >>897
人はどうでもいいんです。
盲信であるか否かと、その内容が真か偽かは別物です。
問題はロジカルに否定できるかどうかです。
大乗仏教は道教だかヴェーダンタだかの影響を受けてて
初期仏教視点からはありえない展開をしているのは
分かりますが、「釈迦の教えの根本は外してないし、
釈迦の真意はこれだから」という大乗の主張は、
仏説との明確で論理的な矛盾を指摘できない限り
否定できないですよね。 >>898
おっとアートマンとブラーマンは無記でしたか…
仏教と道教を比較することに意味が無いのは百も承知なのですが、
仏教の一派が発展の過程で道教思想の影響を受けたとき、
「それを取り込んだらもう仏教じゃないよ」と言える
ものが何なのかと、その論拠が気になるのですよ。
だから大乗っぽい人にもどこまでが仏教か聞いてるわけで。
大乗は「ここまで仏教」って条件を決めるのに
仏と僧は使えないから、もう法しか無いと思うんですが。 俺バカだから教えてほしいんだけど、
この話の流れってマインドフルネス瞑想にどれほどの関係あるの?
こういうのを延々と熱く語りたいならもっと適したスレがあるんじゃないかと思うんだが
この板は雑談カテゴリに属してるわけでもないし、このスレは雑談スレでもないんだよね マインドフルネスに関係あることを言っているのは俺だけだな。 >>900
>「それを取り込んだらもう仏教じゃないよ」と言える
>ものが何なのかと、その論拠が気になるのですよ。
松本史朗氏によると
●“縁起”は仏教であるが、“涅槃”も“解脱”も仏教ではない。
●如来蔵思想は仏教ではない。
●(永遠不変の)真理という考え方こそ、仏教を永く非仏教と化してきた最大の功労者(真理は仏教ではない)。
など、論拠はこちら
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/12c2a22ae6567df92065b7237c13b89c >>520
ラリー・ローゼンバーグの『呼吸による癒し』の41ページの
歩行瞑想に関する記述のなかに
歩行瞑想によって「培った気づきは、…(中略)もっと長い距離の散歩や
ランニングをするときにも応用できます」という一文があるよ >>901
マインドフルネスを語りたければメンタルヘルス板の方に行けばいいんじゃないかな?
ここは元々は論文大好きの頭でっかちのアホが「宗教は別スレで」という趣旨で宗教ネタを排除するために立てたスレだから、宗教ネタを語っても許されるとおもうけどな >>905
宗教ネタ語っても許されるも何も、ここは「心と宗教板」なんだから当たり前じゃないか
しかしマインドフルネス瞑想と関連性の薄い話を延々とすることが本筋だと思うのか?
宗教ネタを話すのにもマインドフルネス瞑想と関連した話をするのがスジだと思わない?
スレタイとスレ趣旨をどう考えてるの?なんか、あなたぶっとんでるね >>906
>ここは「心と宗教板」なんだから当たり前じゃないか
>こういうのを延々と熱く語りたいならもっと適したスレがあるんじゃないかと思うんだが
ここが適したスレなんだよ
>宗教ネタを話すのにもマインドフルネス瞑想と関連した話をするのがスジだと思わない?
マインドフルネス自体が元々は宗教だろ
仏教を話すことがマインドフルネスに関連してないとおもうほうがぶっ飛んでるんじゃないのか? >>907
元々が宗教(ママ)だから「マインドフルネス瞑想」のスレで関連性の薄い宗教の話を延々することが最適だ?
日本語が通じないみたいだな。それこそ宗教(仏教)について語るならほかにいくらでもスレがあるだろ
スレタイ100万回読み直して、ほかのスレもひと通り見てみればいいんじゃないのかね
それから、2ちゃんねるの初心者板行くことをすすめる。ついでにガイドラインでも読んでみるとなおよろしい >>908
俺バカなら俺バカで通せよ
バカがこのスレいる意味がわからない >>909
バカだからマインドフルネス瞑想について知りたいんだよw
宗教的、仏教的な議論もまじえてね。
わざわざ「マインドフルネス瞑想」としたスレで、大上段の話なんかされてもね、って話だ。バカでもわかる >>901
>俺バカだから教えてほしいんだけど
って謙虚だからレスしたけど
とんでもないアホやったわ
>>908
人にめっちゃ上から言えるくらいアホやったなw >>911
こうしてレスしてると、おたくの人となりも露わになって、とても興味深くて楽しいよw
レスを重ねるといろんなことがわかるね >>910
全然大上段の話ではない
仏教を真摯に学んでる人には腑に落ちる話 >>899-900
まず原始仏典の釈迦は、智慧の力で物事の正邪真偽、善と不善等の判別、
解脱,悟りの役に立つ教えと、そうでない教えを区別しています
ところが中国思想家の一元論や無情仏性は、山川草木の現象という真如、
無為自然、タオ思想=仏性内在、※煩悩のある有情より無情のあり方が悟って
いると目指し、無分別、無念無想、不二、一如、また仏性顕在と修行不要論
にも陥った
プロト仏教では、無我(非我)の、私、私そのものの本質ではないという核なる
教説があり、無情のあり方が本質と本来の仏教の目指す方向でなく、
利己性を帯びる我執の仮構の自我の克服は、禅定のみで解脱,悟りに至らず、
観行必須と説かれ、その修習によって自我を克服するにつれ、他者と素通しに
なっていき、生きとし生けるものに慈悲なる美質が湧いてきます
智慧の力が働かない無情のあり方は、道徳も成り立たず、かつ(三昧)境地に囚われ、
日常で無為自然あるがままの思い(煩悩)に振り回され、統計的な結果として、
日本の禅僧が毎年犯罪者が生まれているという状況は、中国産改造仏教による
現証にもなっています 根源的意識体の真実在、実体論化についてはすでに前の方で
説明しました これらは自説でなく、学者の研究分析の話にもとづいてます >>901
なるほどスレタイから見ると当然の疑問ですね。
ここ最近の話題が当スレの範囲内かどうかは
まず >>1 を見て欲しい。
>そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
次にマインドフルネス瞑想との関連性だけど
マインドフルネス瞑想の技法は上座部仏教のヴィパッサナー瞑想が多く含まれてることはご存じですよね。
その「効果」には、世間的な意味での効果と、
涅槃もしくは悟りに至るための手段としての効果があり、
前者は統計的に効果が確認できますが、
後者は「何か」を論拠にしないと正しさを組立てることが出来ません。
今はその「何か」の論拠を話しているわけです。 >>914
学者の研究分析の有無であれば、
大乗仏教側にもあるわけですし、
またどちらが正しいか、どちらの学者を信じるかという議論になるだけです。
禅僧の犯罪については、社会環境と人口の差異があり、
統計的に意味を持ちません。
問題は、タオ思想に影響を受けた要素を、
初期仏典の記載との矛盾、または、初期仏典の記載からの論理的帰結との矛盾をもとに否定できるかどうかです。 ブッダの10の判断基準
1ただ聞いたこと(神の言葉など)を判断の基準にしない
2伝承、伝統、伝説を判断の基準にしない
3見当や当てずっぽうなことを判断の基準にしない
4聖典や古典を判断の基準にしない
5理屈を判断の基準にしない
6推論、推測を判断の基準にしない
7うわべだけの考えを判断の基準にしない
8自分の見解と同じということを判断の基準にしない
9可能性を判断の基準にしない
10語る人の偉大さ(師)を判断の基準にしない
お釈迦さまは、カーラマ族の人々に、自分の教えを押しつけたり、信じさせようとすることはありませんでした。その替わりに、このように言われました。
「あなたがたが『このことは善であり、有益である』と自ら知るならば、それらを受け入れ従うことです」と。 >>916
ですから学者が矛盾を元に否定して説き明かしてますよね
大乗側の学者のほとんどは、宗門に属していてバイアスがあるのです
インド大乗では、仏性=仏となる可能性でした
中国の思想の内在するタオ=仏性内在としました
しかも無情(山川草木、無生物、自然界の事物)まで仏性内在としました
その無情のあり方が悟っていると目指し、無分別、無念無想、不二、一如、
また仏性顕在と修行不要論にも陥りました
無情では智慧の力が働かず、そのものあるがままで道徳も成り立ちません
無情が悟りということは説いてません、恣意的なすり替えが中国思想家がやって
しまい、その天台法門の影響下が大きい日本仏教です
ですから鈴木大拙も世界の学者は、インド大乗でなく日本独自の大拙乗と批判
するわけです 結局、ウパニシャッド哲学化になりました
なら最初からブッダは、仏教でなく古代ヒンドゥーの教えでよかったことになるわけ
です >>914
>説明しました これらは自説でなく、学者の研究分析の話にもとづいてます
証拠としてその学者の名前を挙げてみてください >>919
>ですから鈴木大拙も世界の学者は、インド大乗でなく日本独自の大拙乗と批判するわけです
批判している世界の学者の名を挙げてみてください >>919
>ですから学者が矛盾を元に否定して説き明かしてますよね
道教要素がオリジナルの仏説にはない異教要素で
あることは分かっていますよ。
釈迦はそれを説かなかった。それは知っています。
しかし、いま自分が問うているのは違うことです。
釈迦が説かなかったものの仏教的な意味での真偽は、
初期仏典に直接の記載が無いのですから、
その記載からの論理的帰結との矛盾で判断するしか
ありませんから、論理的に導けますか?と問うています。
>大乗側の学者のほとんどは、宗門に属していてバイアスがあるのです
それ証明するのは厳しい道だと思いますよ。
まず何がバイアスなのか、それを否定する仏典はなにか
という話になります。
>インド大乗では、仏性=仏となる可能性でした
>中国の思想の内在するタオ=仏性内在としました
>しかも無情(山川草木、無生物、自然界の事物)まで仏性内在としました
この主張が大乗的に正しいなら、
結構キーになる気がしますね。
仏性=仏となる可能性、であれば無情とくに無生物などは
仏になる可能性はゼロですよね。直感的には。
でも、その点について仏陀が何か言った記録はありましたっけ? 次号のサンガジャパンの特集が
無我―「私」とはなにか―
なんだと
オレ的には外せない話題なんで久々にかっちゃおうかな 「無我」の本についての書き込みで私情を挟む
っていうネタか? あーっ、もしかして無我さんと勘違いされてた?www
もー全然違うわ…ありえねぇ… 無我と無私の区別がついていないみたいだけど、
無我は、ものごとの性質を述べているのであって、道徳的に中立。
人間的な道徳的価値観で見た時に価値があると思ってるものを、無私のことを指している場合が多い。
無我は、ものごとの性質を表した客観的な事実に過ぎない。 我欲の強い人の自我も、性質としては無我。
我欲のない人の自我も、性質としては無我。
人々が評価し、よろこぶのは無私の態度。
他人様に向かって、お前の態度は無私の態度じゃない、けしからんとか言っても仕方ない。 ああそういう…
あれ?自分が何をやってて何を好むかって、語っちゃいけないんだっけここ? そんなに必死にならなくてもw
あれか?洒落とか言葉遊びとかが通じないタイプか? 曖昧さが多くの問題を生みだす。
もし、悟りや解脱といったものを目指すのなら、
素人レベルの曖昧な理解は脱する必要があると、わたしは思う。 とはいえ、100の言葉で語るより
1回の正定が多くの洞察をもたらす。
話しているより、瞑想を進めた方がずっといい。 >曖昧さが多くの問題を生みだす。
その曖昧さが多くの笑いを生みだす
言葉の解釈は人それぞれ違う
その最大公約数的な所でみんな話してる
人は言葉をキミみたいにギチギチに定義して理解して使ってないと思うよ 言葉によるコミュは、もともとそういう性質を持っているね。
だからこそ経典教学においては、その定義を大事にしているんだと思うよ。
とくにテーラワーダのスタイルはそう。 いや必死っていうか、なに言われたのか全然分からなかったからさ
洒落だったんならすまん、絡んだみたいになっちまったな
ごめんね インド宗教のテイストそのままというのは、多くの日本人の感性には合わなかったのかもしれないね。 ぼく自身は、普段の日常生活は曖昧さを好み、尊重する立場だよ。
一方で、自分の修道、求道に関しては曖昧さを取り除く努力をしている。 諸法無我を気づくヒントを下さい
この真理は難しいです 戒定慧の三学において、定に至れば慧が出てきます。
その時に体験智としての無我も経験すると思います。
しかし、この段階ではまだ四向四果の悟りではありません。
サマタ瞑想の結果としての慧がではじめた段階です。
それ以上はわかりません。 「サマタ瞑想の結果としての慧」は諸法無我の諸法に入るのでしょうか? 経典教学的に答えはあるのでしょうけど、慧そのものの開発は
ヴィパッサナーを通して行うことであるはずなので、これからの課題です。
わたしの段階は、おそらく坐禅でいう見性体験を通過したところだと思うので
ようやく本格的な修行がはじまったばかりの段階なのでしょう。
つまり、わかりません。 >>941
ありがとうございました
定学が滞っていることに気づきました
知らず世俗に飲まれていました >>922
ならタオに帰一の名称変化の梵我一如化なら、なぜブッダははじめから梵我一如
を説かなかったのか疑問を持ちませんか
それと仏性という実体論化の問題点って何か分かりませんか
それと記載があるんです、対象の判断を四句分別として排しているのです
ブッダが断定して説いたことは、仏典の中で限られています
では、なぜ排したのか、一つは、あなたのように真実在という対象にしがみつき、
精神的な見解、認識の立ち位置に執着,同化して(束縛させ)、自我を
構成させるからです、それは解脱の逆です
ですので、あなたは自分が抱く思想,見解の正当化に走り、私に論争をしかけるのです
私は、ただ学者の研究分析の結果の事実を書いただけで、これ以上何もないのです
某学者の分析は、そのような根拠の示しがあるのですねで終わるものです
↓もしご興味おありなら禅思想の批判的研究を読んで下さい
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/14255/KJ00005120899.pdf >>920
松本と袴谷です
>>921
ドラヴァレプサン >>946
先ずは取り敢えず解読可能な文章を希望する 座るヴィパッサナー瞑想で集中する体の箇所は、お腹の膨らみ縮みだけですか?
他に集中しても構わない体の箇所がありましたら教えてください。 >>946
ロジックに関係無いので言いませんでしたが、
わたしは上座部仏教よりの人間ですよ。
ここ数年くらいはマハーシ式のヴィパッサナーを
修していますし、とある団体に所属して
多少なりとアビダンマの学習も進めています。
勉強不足は否めませんが…
わたしも仏説に基づいて大乗の思想をバッサリ
切れたら、どんなにすっきりするかと思います。
しかし自分の希望と論理的に妥当かどうかは完全に別ですよ。
ともあれ、リンクはありがとう。
あとで詳しく読んでみますが、チラ見した感じでは、
大乗が仏教ではない理由は書かれているようですが、
大乗が仏説から否定できるかは書かれていないように
思えます… >>879
> なーんかやっぱり話がズレるんだよな…
ですよねー なんつーか諸宗教崇拝派の俺としては、議論している暇があったら
自分にあった修行法なり信仰なりに打ち込んだらいいんじゃないかと思うんだが・・・ マハシ・パオのハイブリッド型も増えて来てるみたいだしな。 >>947
ありがとうございます。
それであなたは松本さんと袴谷氏の仏教縁起(のみ)論やそれに基づいた如来蔵批判や本学思想批判、
そして松本氏の「釈尊も仏教を理解してない」(釈尊よりも私の方が本当の仏教というものを理解している)発言
などはどのように考えているのですか?
別に何も考えてません、私はただこういう意見があると紹介しただけです、ではないですよね?
彼らの学説をわざわざ引用して人の思想にケチつけているのは何の意図があってのことですか?
鈴木大拙批判は要は大拙の処女作があまりにヴェーダーンタ的思想に満ちていたからのようですが、
この時点でどの程度鈴木大拙はインド哲学を学んでいたのでしょう?
むしろインドや中国や日本の時間や空間を超えて出没した思想家は、松本氏がいう基体説?の方向に何故走るのかに興味が湧いてきましたw
基体説と言えば「虚妄ならざる涅槃」は基体にはならないのかな?
もっとも、松本氏は涅槃も仏教とは関係ないという考えのようですが。 >>951
読んでみましたが、やはり違います。
仏説ではないという主張であって、仏説と矛盾するという主張ではありません。
例えていうと、同じロードマップを見ていると仮定して、
釈迦が「涅槃に行くには南に行くルートA1が正しい。西に行くルートB1は間違い」と言ったとして、
〇〇さんが「西に行くルートB2は大丈夫行けるよ」と言ったらそれを否定できるか?という事です。
もちろんルートB2を採用することは仏説ではありませんが、
二つは矛盾しませんから明らかに両立しますね。
両立しないのは、釈迦が「ルートA以外に辿り着く道は無い」と明言しているか、〇〇さんが「B1は行ける」と言った場合です。
#両者とも仏説を公理として採用する前提 >>953
わたしも同意なのですが、
他者の思想や行法にケチをつける人はよく見るので、今回はその根拠がどのくらい強固なのか問うてみたくなりました。
自分が何を信じ何を修するかは、とても個人的で大きなリスクテイクであり、他者が容易に踏み込んではならないものだと思います。
それが出来るのは、100%確実に間違っているものを緊急避難的に助ける場合だけで、自分の依って立つロジックには、意見を異にする者に向けるのと同じような厳密で批判的な視点が必要です。
今回は大乗っぽい人は全然わたしに付き合ってくれなかったので、やや不完全燃焼ですが… >>960
それは臨床心理学でいう認知の歪みに該当する見解ですよね
こうでなければならない、という囚われ
ケチもユングの投影によれば、自分の中にもあるものですから
あなもそう言うことで、その他者に差別主義者になっているわけです
まだ束縛から自由でなく、ある精神的な見解、認識に固執してますよね
原始仏典の中で、これ以外は外道って示しているところがあります
大乗といっても沢山ありますが、それがかなりの部分該当してしまいます
それと遺言で私の死後、これまでの教えが師となるとあり、学術研究上
後世に創られらたとされる教えはどうなるのでしょう
そしてここはいろんな意見が書ける2chです、スレタイの禁止事項にも
なく関連していれば、出てくる話はあるものです >>961
「これはケチである」という認識が認知の歪みである可能性はあります。私は何かを見誤っているのでしょう。
しかし、「これはケチではない」という認識が認知の歪みである可能性もまたあります。それをあなたは認められますか?
ご参考に、私が建設的な議論ではなくケチをつけてると感じるのは、論理の不整合や事実の誤りの指摘以外のものが入った時です。例えば、相手の信条や相手が所属している団体への非難(それが議論の中心と合意が取れている場合を除く)や相手の能力に対する言及ですね。
> 原始仏典の中で、これ以外は外道って示しているところがあります
これです。私が最初っから聞いているのは!
どこに記載されていますか?
同一の表現が原始仏典に複数登場する場合、表現の解釈次第では、大乗どころかアビダンマや清浄道論まで直接の仏説でないものは芋づる式に壊滅ですからね。
非常に興味があります。
> 後世に創られらたとされる教えはどうなるのでしょう
要するにそれらに本当にNG判定出せますか?ってことです。
そのカテゴライズでまとめてNGなら、アビダンマが駄目な可能性ありますよ。 私が鬱陶しいと思っているこの人にも悟りの光が現れますように 瞑想を哲学にするならそこはやめた方がいい
突き進んでいくと日本人に生まれたのは失敗
インド人に生まれた方が良かったということで
インドで修行させるために金かねカネになる >>955
>基体説と言えば「虚妄ならざる涅槃」は基体にはならないのかな?
基体に結びつけたいのは自由ですけど、例えば中論13章に、
「もし空でない何ものかが存在するならば、空である何ものかが存在しよう。しかし、
空でない何ものも存在しないから、どうして空であるものが存在しようか。
すべては空であるということが明らかになったわけだから、どうしてその空が存在と
いえようか。存在であるならば、それもまた否定されなければならないことになるわけ
です。」
龍樹さんは、空が何らかの意味で静的な真実在として主張することを戒めてます
不生不滅の法性という誤解、中国思想家の影響があると学者は説明しています >>962
>それをあなたは認められますか?
述べたいことありますけど、論争になりそうなので、やめときます
>どこに記載されていますか?
相応部20.7に、短くまとめますと、
空と相応している教えの諸経典以外は、外道に由来するものと説かれてます >>965
松本史朗氏の系譜の小川一乗氏のまんま受け売りですね。
小川一乗氏の解説までそのままコピペして。
http://fallibilism.web.fc2.com/052.html
どちらにせよ
「虚妄ならざる涅槃」とは関係のない話。
「虚妄ならざる涅槃」はスッタニパータの758でブッダが説いていたもので、龍樹も中国思想家も関係ない。
http://s.webry.info/sp/76263383.at.webry.info/201501/article_14.html
ま、あなたがあなたの主義主張において何に依っているのかが大体分かりました。
ただあなた自身その依っているものを別に「信じてない」のでしたら
それを根拠のようにして人様のレスにケチを付けるようなことは控えるべきと思います。 >>966
>相応部20.7に、短くまとめますと、
>空と相応している教えの諸経典以外は、外道に由来するものと説かれてます
了解です。早速入手して確認します。
でも、なかなかに微妙な表現ですね。
仏陀の時代にあった経典では空と相応したもの以外は外道だったということなのか、
経典の話ではなく空と相応しない教えは全て間違いと言ったのか…
あと、今後は大乗系の人とこういう議論をする時は、
相手の能力否定や禅僧の犯罪とか織り交ぜずに、
上記のように原典に基づいての議論のみにされた方が良いと思いますよ。
相手が同じレベルで付き合ってくれるかどうかは分かりませんが、
それは相手の責任です。 『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応して
いるものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、
了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは
考えないであろう。
これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するもので
あり、弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けよ
うとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものである
と考えるであろう。
かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応してい
る諸経典は消滅してしまうであろう。
比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―――[如来の説かれた、深遠にして意義
が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにしよう。
耳を傾け、了解しようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると
考えることにしよう]と。』
(『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5) >>967
解脱の境地は空にして無相とスッタにあって、
「虚妄ならざる涅槃」が、なぜ基体説に飛躍するのかな
その過程に誤解がある、その誤解は中国で起きた
そもそも中国に正確なインドの空が移入されなかった
中村元も「一切皆空」「諸法皆空」だと解説している
涅槃は空住、あなたの中国天台仏教への信仰ですから、お好きにどうぞ >>969
この『サンユッタ・ニカーヤ(相応部)』20.7.4-5自体が後世に差し込まれたものである可能性もあるとされます。
>如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く
釈迦自らが「如来の説かれたこれらの諸経典」などというわけがないからです。
経典が編纂されたのは釈迦の入滅後の話ですので。
それと
>>961
>>961
>それと遺言で私の死後、これまでの教えが師となるとあり、学術研究上
>後世に創られらたとされる教えはどうなるのでしょう
遺言は自灯明法灯明でしょう。
微妙に改竄するのは悪質ですよ。
後世に創られたとされる教えは拠り所とする法に沿っていれば問題ないはずです。
アーナンダよ。このようにして、
修行僧は自己を灯明とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとしないでいるのである。
アーナンダよ。今でも、また私の死後にでも、誰でも自己を灯明とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、
法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、
彼らは私の修行僧として最高の境地にあるであろう、−誰でも学ぼうと望む人々はー。」
(涅槃教) >>970
スッタじゃなくてダンマじゃないの?
ちなみにあなたがよく引用する松本史朗氏は
つまり、“縁起”は仏教であるが、“涅槃”も“解脱”も仏教ではない。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/12c2a22ae6567df92065b7237c13b89c
と言ってますが。 >>972
そうだダンマだった、仏典マニアなのか
>微妙に改竄するのは悪質ですよ。
その有名な自灯明法灯明もそうだけど、
「私の死後、説いた教えが師となる」とあるからよく確認してごらん
で、この時代に、学術研究上、後世の教えはない
仮構の自己の克服で、浄化された自己、無我(非我)の実現と中村元も
解説していて、そこに基体なんて出てこないから、古代の人間は何らかの
真実在(神とか)と繋がる観念がほしく、その伝承思想と融合したわけね
あなたの宗門の教えでしょうから、お好きにどうぞ
涅槃も解脱も仏教ではないって、松本でなくそのブログ主の誤認でしょ >>973
>そうだダンマだった、仏典マニアなのか
適当にスッタと書いておいて間違いを指摘されたらそういう言葉(仏典マニアなのか)で誤魔化すものじゃないですよ。
逆に悪質と言ったのは謝ります、申し訳ありませんでした。
確かに「アーナンダよ、そなたたちのために説いた教えと戒律とが、私の死後、そなたたちの師となるのだ」と言ってますね。
しかし、その教えには有名な自灯明法灯明が含まれているので後は法とはなんぞやの解釈次第じゃないですか。
釈迦は縁起について「如来の世に出ずるも出てざるも法界常住なり」と言ってますが。
ウダーナ8・3
比丘たちよ、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が存在する。
比丘たちよ、もし、その、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が〔存在し〕ないなら、
この〔世において〕、「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為されたもの」「形成されたもの(有為)」からの出離は、覚知されないであろう。
比丘たちよ、しかしながら、まさに、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が存在するがゆえに、
それゆえに、「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為されたもの」「形成されたもの(有為)」からの出離が、覚知されるのである。
さて、この無為の涅槃は松本史朗氏のいう基体とやらに相当しないのですか?
>涅槃も解脱も仏教ではないって、松本でなくそのブログ主の誤認でしょ
「縁起と空 如来蔵批判」を所持しているのですか?
あとブログには
>法(真理)は普遍、常住でなければならないという発想 …と否定し
とありますが、「縁起と空 如来蔵批判」にそう書いてあるのなら、
前述の釈迦の縁起は法界常住なりと説いたことも仏弟子による捏造と松本氏は思っているということか?w >>969
長文なのに引用していただきありがとうございます。
もう買ってしまいましたが、相応部は有偈編しか持っていなかったのでいい機会です。
ともあれこの文言だと、やはり当時存在した経典への評価であって、その時点で存在しなかった経典や概念は対象外ですね。 松本史朗氏(1)
十二支縁起を思惟することのみが仏教であり、悟り・禅定は仏教ではない
松本史朗氏(駒沢大学教授)は、禅定や悟りは、仏教ではない。
十二支縁起のみが仏教だという。仏典の言葉を重視するからだという。
(PC)http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/4bu-ronsou/fl-detail-b/matumoto1.htm
(スマホ1)http://fast-uploader.com/file/7048550363903/
(スマホ2)http://fast-uploader.com/file/7048550442487/
ヒリヒリする劇薬! 『縁起と空 如来蔵思想批判』(1)
「仏教とは無我説であり縁起説である」とする松本氏の論は、以下のように宣言します。
・お釈迦さまの「法」を「真理」とするのは仏教ではない!
・「悟り」という言葉も反仏教である!
・「解脱」という考え方も反仏教である!
・ 仏教徒はマンダラのような空間的世界を論じてはならない!
・「スッタニパータ」は、お釈迦さまが否定したはずの「常住の我=アートマン」まみれである!
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10523346238.html いつまでも言葉の迷路にはまってても仕方ないので、瞑想して下さい。 こういうの嫌いな人はそもそも掲示板に来なけりゃいいと思うよ 掲示板は言葉によって成り立つコミュニティ
それが嫌な人は掲示板に参加しないで瞑想して下さい >>974
私、あなたのその根源的基体に対する正当化の執念と執着に
感心しています お好きにどうぞって書きましたけど
涅槃は空住で、無我(非我)の実現により至る境地で、
実体として存在するものでないんです
心理的時間を超えてる境地不変で、仮構の我でない空住なんです
根源的基体どうのの話は、頭で創ったウパニ哲学と類似で、
それが私の本質というのは、私(自我)の構築構成になり空住でなく
華厳の法界縁起は、単なる世界感の哲学で、それはそれでいいけど、
その哲学と空に反し実体視した内在仏との一致は、梵我一如化ヒンドゥー化
になります しかもインドでなく中国産
「中国僧侶の手にかかると、まったく無関係な理論の組み立てに応用される
のだから空恐ろしい」とまで学者は批判しています
中国で変質した仏教でググると、詳しいこと出てきますが >>976
少々読解力ないようです、未来にってありますでしょ、未来予見、注意喚起で、
すでに説かれたものと、反して創られたものと分けてますよね
貴方に聞きたかったけど、なぜ大乗でなく上座部なんですか
仏説なら法華経は、これまでの教えは方便で本当の教えはと説かれてますから、
五種法師、十種供養でも実践したらいかがですか
それとバッサリ切れたらとか書きながら、偽善的擁護で矛盾してますよね >>982
> 少々読解力ないようです、未来にってありますでしょ、未来予見、注意喚起で、
「未来世に比丘どもは次のようになるであろう」ってとこですか?
ここの解釈を、現時点における予測ではなく、超能力要素入れちゃいますか…
…あー、ちょっとわたし的には無理感が漂ってきました…
> 貴方に聞きたかったけど、なぜ大乗でなく上座部なんですか
それは私が唯一正しいダンマだと信じているからですよ。当たり前じゃないですか。
それは私の個人的な選択であって、誰にも何も言わせないけど、同じように個人的な選択をした人には、何も言えないんです。100%否定できて緊急避難的に助けるケースでない限り。
だから、100%否定できる論拠があるかを聞いているわけです。
(でも神通を議論に混ぜたらもう説得できないと思う…)
私は大乗を擁護してませんよ。読み返してみてください。大乗を仏典と論理をもって完全に否定できますか?と言っているだけです。
大乗っぽいひとが話に付き合ってくれたら「牡牛座アルクトゥールス星人がチャネリングでブッダダンマ説いてきたら仏教って認める?」って聞いてみるつもりでした。たぶん阿弥陀如来とかの衝撃はそれを越えていたと思うので。 2号の曹洞宗アンチの方が相当だ
あちこちで老荘思想が入ったまがい物
煩悩を否定しないので犯罪者が多いと書いている
なぜこんなにも曹洞宗に執着するかというとライバルの無我というコテハンとの論戦で
無我が信奉する曹洞宗をdisることでコテハン無我を批判するようになったからであろう
今でも無我への対抗心からかあちこちで曹洞宗disを続けていると
2号みたいなあちこちから用語を引っ張りだして無理くり繋げて詭弁を弄する者と論戦した無我は
もともとあった体験への傾倒が極まって体験至上主義のキチガイとなった
己の体験とやらで自我を構成しそれに固執し突っ込まれると体験がない人はそういうでしょうねと返す
(他に仏教大学出身で自我構成もあるがその割には知識不足)
とにかく無我とは健全な議論を無我とするのは無理
2号は2号で相変わらず無我への潜在的対抗心があるようで老荘とか曹洞宗には過敏に反応して
それを書いた人にそれは紛い物でどうたらこうたら批判してくる
しかもワザとやってるっぽいが前に書いた通り学術用語を無理くり繋げて滅茶苦茶な文書を書き争点をボカしてくる
万事この調子なので2号相手に議論しても無意味
最後は脈絡無視で中国仏教と曹洞宗の批判に繋げてくるし
この2人はトムとジェリーみたいに相性がいいかもしれないので「無我VS2号」みたいな専用スレを作って
そこで延々と論戦しているといいだろう
そうすれば誰も迷惑しないからな >>975
こういう駄文は本スレにこそ相応しい。
過疎ってるようだしそちらへ。 腹式呼吸で瞑想していたら腹筋か胃か分からないけどとにかくお腹が痛くなってる >>988
瞑想による彼岸に至る深淵なる智慧の完成により
五蘊皆空と照見すれば一切の苦しみや災いを彼岸に度することができるよ
空という真実の中には苦しみも苦しみの原因も苦滅も苦滅に至る方法も全部実体はない
だから貴方の苦しみも実は空であり実体はない >>987
呼吸をコントロールしてるとそうなるよ
まあ鍛錬になってそのうち痛まなくなるかもしれないけど
ちなみにランニング中も呼吸にコントロールが入ると背中が痛くなります きょう図書館で「仏陀の修行法・四神足より四神足瞑想法」って本見たら、ほとんどヨガと気功と仙道でびっくりしたよ… 愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
個人的には四苦八苦の中ではこの二つが特にドゥッカというよりも日本語としての文字通りの苦を感じる。
古典的な無常・苦・無我で自我を手放して、それは諦めになるのだが、そうしてその苦を処理するしかないかな。
瞑想の中でも愛する者や憎んでいる浮かんできたりしたら、それは無我であるとして執着から離れることを毎回してけば良いのだろうか? テーラワーダ系の僧侶で指導を請いたいと心から思える方に出会う事が出来ました。
私はその方のもとで修行しますわ。
正師の存在は大切よね。 >>992
たくさんの人がマインドフルネスで金儲けしてるけど。 >>996
この方の様な人生を歩みたいって思える方にはなかなか巡り会えないですよね
羨ましい
おめでとうございます >>998
ありがとうございます。
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