2011年(主日A年) 3月27日 四旬節第3主日
出 17:3〜7  ロマ 5:1〜8  ヨハ 4:5〜42

「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ロマ v.8)

四旬節はキリストの苦難をしのぶ期節として、カトリック教会では中世以来 “十字架の道行き” という祈りが大切にされています。
残念なことに、古代教会以来の “勝利の十字架” “勝利者キリスト” という主題が、あまり明示的には語られていません。
たとえば典礼聖歌 351 復活の続唱 でも、最後のところに “勝利の王キリスト” という語句はあっても、歌詞全体の中でその意味への言及が全く欠けているのが実状です。
その理由は、私たちが生きているこの世が、今なお罪と死と悪魔の支配のもとにあるという事実を、
そしてキリストの救は “生まれながら神の怒りを受けるべき者 ・・・・・ 、罪のために死んでいたわたしたち”(エフェ 2:3,5) を “新たに生まれさせ”(ヨハ 3:3-7)、“新しく創造された”(IIコリ 5:17) という福音の出来事を、
教導職と信者のいずれもが、聖書から直接学ぶことに怠慢であったからでありましょう。

イエス・キリストの勝利の福音は、私たち信じるすべての者に、“神の栄光にあずかる希望” (ロマ v.2) を与えてくださいます。
「わたしたちの国籍は天にあり、わたしたちはそこから来られる救い主、イエズス・キリストを待ち望んでいるのです。」(フィリ 3:20/フランシスコ会訳)

私たちは御子イエスを、先祖ヤコブに勝る井戸掘りの名人などというレベルで、決して理解してはなりません。
「こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」(ロマ 5:21)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より