高橋興和氏は、「法の継承時の鍛錬について死ぬまで口を閉ざす」という
選択をされた。このままでは、高橋一栄会長も、同じ選択をされるように
思えてならない。

その背景にある感情は「自分の体面を守りたい」というよりも、むしろ
「恐怖心」のほうが強いのかもしれない。それは、GLA会員が「自分の煩悩に
対する審判者」に見えてしまい、「審判者の目が恐ろしい」、
「審判者には自分の煩悩を知られたくない」、「審判者に自分の煩悩を
明かすことが恐ろしい」という恐怖心だ。

これは、「恐怖心」と言っても、苦衰退ではなく、苦暴流の「猜疑心」
「人間不信」「世界不信」と言うか、「世界は悪意に満ちている」
という思い方が、根底にあるのだろう。

それを克服しない限り、高橋一栄会長も、高橋興和氏と同様に、残念な形で
今生の人生を終えることになるだろう。