【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 >>645 >>647
佳子先生一人で全人類を救うことはできません。
全人類を救うためには、弟子が覚醒しなければならないのです。
そして、弟子の覚醒のために必要ならば、
神は佳子先生を召し上げられるでしょう。
ただ、「佳子先生の死」が無くても弟子が覚醒できたなら、それが最善でしょうし、
佳子先生にもご帰天して頂く必要がなくなります。
そうなることを私も願っています。 > 全人類の救世主
全人類を救済してゆくために、何が必要なのか考えたことがあるかね?
例えば、イスラム圏では、イスラム以外の宗教は厳しく制限される。
中国でも、宗教団体は、政府から監視され干渉される。
日本のように、自由に進められる国は、むしろ少ない。
「こんな政府では伝道なんてできません」という腐れ根性では、
何一つ進めることなどできないだろう。その腐れ根性を打破することが
世界伝道に向けて、最初に果たさなければならないことだ。
「こんな政府では伝道なんてできません」という腐れ根性は、現在のGLAでは
「変な社会発信がされたのは関芳郎が馬鹿だからです。自分は知りません」
「佳子先生から具体的な指示をもらってないので、千年構想なんてできません」
という形で現れている。
それを打破しない限り、先には進めない。そのために必要とあらば、佳子先生は
ご帰天されるだろう。おそらく、このままでは、関芳郎よりも先に佳子先生が
ご帰天されることになるのではないかと危惧している。 信仰心なしでは生きていけない三万人の信者は、藁をもすがる思いで kさんに宗教的依存
対するkさんは三万人の信者がいなければ唯の人でしかない
こんな人々が100パーセントの力を発揮しても、まともな一般人一人にすら敵わないのが現実である 側近一人救えないのに全人類救済だとか誇大妄想にもほどがあるというか
主張内容が馬鹿過ぎて片腹痛いw >>648
まるでわかってないね
信仰心も教えも全て完全に捨てる
これが無ければ覚醒しないよ >>649 の続きだが、
> 腐れ根性を打破することが
> 世界伝道に向けて、最初に果たさなければならないことだ。
腐れ根性を打破するためには、「人類救済の願い」を確かにしなければならない。
「人類救済の願い」を確かにするためには、佳子先生の御心を自らの心に
写し取らせて頂くことが、最前の道であろう。
佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて頂くためには、
霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf )が必須であろう。
そのような意味では、霊操行に取り組むことが、弟子による具現を果たしてゆく
第一歩と言えよう。勿論、霊操行だけで終わってはならない。霊操行で育んだ
「因」によって行動を起こしてゆかなければならない。
それこそが、佳子先生の早死を避ける唯一の策であると思う。 ボトックスやヒアルロン酸を注入してるっぽい顔だよね 嘗ての鈴木その子だっけ、作りは似てるから同じ美容外科かな ジュセリーノの正体(字幕)インチキを暴いたブラジルのTV
https://www.youtube.com/watch?v=ftQgd0pomG8
有吉弘行【池田の発言】「霊能力者ってすげーな、嘘で飯食ってるんだもんな etc」140817 <有吉 毒舌ラジオ>
https://www.youtube.com/watch?v=IvHGRE6mzPc 既に述べたように、今生の人生で菩薩になるべき人々が、佳子先生から
頂いたテーマ(千年構想、7つのプログラム)を放置し続けたなら、
佳子先生が早逝されることになるだろう。それは、例えば数年以内であり、
少なくとも関芳郎よりも先に逝去されるであろう。
私は、佳子先生が早逝された時に発するであろう言葉を「今、発するように」
との神からの促しを感じた。なぜ、先走って、その言葉を、今の時点で
発する必要があるのだろうか?
その一つの理由は、佳子先生が早逝された時の後悔を今味わうことができれば、
頂いたテーマに向かえるようになり、佳子先生の早逝を避けられるからだろう。
もう一つの理由は、佳子先生の早逝が避けられなかった場合には、対象者である
人々には、その意義をより深く受け止めて頂き、意義を全うして頂くことが
できるからだろう。佳子先生が早逝された後になって、その解釈を語ることは
誰でもできるだろう。しかし、肉の目にその兆候が映らない現時点で、語られた
意味こそが真実である。
佳子先生が早逝されたならば、私は、以下のような言葉を発するだろう。 佳子先生を死に追いやったのは、あなたの因ではないのか?
佳子先生は菩薩になりたい、とのあなたの切なる願いに応えられ、
菩薩になってゆくためのテーマ(千年構想、7つのプログラム)を
あなたのために準備されたのだ。
しかし、あなたは頂いたテーマを放置してきたであろう。
テーマを放置したのは関芳郎であると、あなたは言うかもしれない。
しかし、あなたは関芳郎を放置してきたであろう。
ならば、あなた自身が、頂いたテーマを放置してきたのだ。
あなたは、なぜ、頂いたテーマを放置してきたのか?
それは、あなたが快苦に縛られ、快苦に翻弄されてきたからだ。
頂いたテーマを遂行してゆくことは、簡単ではない。面倒=苦なことである。
さらに、頂いたテーマを遂行してゆくことは、それを放置しようとする
関芳郎と対立することである。関芳郎に睨まれることは面倒=苦なことである。
関芳郎に媚び、関芳郎を放置し、頂いたテーマを放置することこそが、
楽=快なことである。 イエスキリストは、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを
恐れてはなりません。」と言った。関芳郎に一体何ができるのか?
関芳郎にできることは、せいぜいあなたを退会させることぐらいだ。
「からだを殺すこと」すらできない。
なぜ、そのような人間を恐れ、そのような人間に媚びてきたのか?
それは、あなたが快苦に縛られ、快苦に翻弄される人間だからではないのか。
また、あなたは頂いたテーマに対して、「佳子先生が動かれるべきだ」
「佳子先生が、もっとコーディネートされるべきだ」「関芳郎を動かす
にしても佳子先生がされるべきだ」などと考えていたのではないか?
なぜ、そのように考えたのだろうか?それは、その方があなたにとって
楽=快だからであろう。
快苦に縛られたあなたは、頂いたテーマの大切さを見ようとせず、
佳子先生の顔色をうかがい、佳子先生が動いて下さることをひたすら
待っていたのではないだろうか。すると、佳子先生は、あなたの修行
にとって、最大の邪魔者になったと言えるだろう。否、ひたすら快を求め
苦を避けようとするあなたの因が、佳子先生を最大の邪魔者にしてしまったのだ。
佳子先生は、必ず菩薩になれる道を整える、とあなたに約束された。
佳子先生は、御自身が最大の邪魔者になったため、あなたとの約束
を果たされるために御帰天されたのだ。 再び問う。佳子先生を死に追いやったのは、あなたの因ではないのか?
あなたは、佳子先生を死に追いやった自らの因を、しっかりと見つめ、
それを超えてゆかなければならない。
しかし、佳子先生が御帰天された今、その事を嘆いてばかりいても仕方ない。
佳子先生が御帰天されたのは、あなたとの約束を果たすためであり、
あなたに対する御慈愛の証である。
次は、注がれた御慈愛にあなたが応え、あなたが約束を果たさなければならない。
それは、あなたが智慧を尽くし、力を尽くし、頂いたテーマに挑戦することである。
頂いたテーマに挑戦することには、様々な困難が伴うだろう。
しかし、あなたが菩薩になるために必要なものは、全て与えられている。
全てを与えたからこそ、佳子先生は御帰天されたのだ。
全ては一人の菩薩を生むために、されたことなのだ。 つまりはセッキーをポア汁!と言いたいのだな。
ああ恐ろしきカルト思考。
目的が遂行されないのは邪魔者がいるからだ。
だから邪魔者を探し出し始末すればいいのだ!
安直且つ短絡的な発想は魔女狩りそのもの。 関芳郎を放置し、それによって佳子先生から頂いたテーマ
(千年構想、7つのプログラム)を放置し続けた人々に私は問いたい。
あなたは、佳子先生から頂いたテーマを関芳郎が放置しているのを
知りながら、なぜ動かなかったのか?
また、GLAを憂う元会員が、自らの退会と引き換えに、その問題点を
提起し、具体的なヴィジョンを示したのに、なぜ、あなたは動かなかったのか?
また、「7つのプログラム」の「研鑽の充実」を思い出してみるがよい。
総合本部の方針案では、地域拠点の研修として「基本ライフスタイル研修」
と称するものが掲げられていた。一方、GLAを憂う元会員は、
「地域拠点の研修とは止観シート研修である」ことを示したであろう。
http://file.copyman.syoyu.net/GD.pdf
佳子先生は、その何れが正しいのか、明確な解答を示されたではないか。
それなのに、なぜ、あなたは動かなかったのか? 佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた理由と考えられるものは、次のリンクにある。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640
しかし、2014年、佳子先生が信次先生の遺骨を祀られたとき、あなたはその意味が
全く解らなかっただろう。それは、佳子先生の御心と、あなたの心が完全に乖離している
ことの証拠だ。そのような証拠を突きつけられたのに、なぜ、あなたは動かなかったのか?
これらの問いの全ての答えは、「あなたが快苦に翻弄される人間であり、
ひたすらに快=楽を追及してきた人間であるからだ」としか言いようがない。
そのようなあなたの因、あなたの行動こそが、佳子先生を死に追いやりつつあるのだ。
しかし、「佳子先生の早逝」は、まだ神によって最終決定されたことではない。
あなたが過去を悔い、その後悔を基として覚醒し、頂いたテーマに愚直に向かって
ゆくならば、まだ間に合うのだ。「佳子先生の早逝」は避けられるのだ。 >>669
君の主張通りであるのなら、放置したのはトップであり会員には関係ない。
トップを責められず一般会員に責任を擦り付けるのは狂信者の成せる業ゆえ。
>>670
快苦に翻弄される人間が遺骨などを崇拝するわけですよ。
教えという形でストイックな要求をしておきながら一方でこのザマなんだから呆れるわ。 >>670
先生の早逝についてだが
何歳を分岐点に早いと判断してるんですか?
仮に関氏より早かった場合
それは神の意思であると認められますか?
具体的な根拠も含めて答えてください。
必ずね。 先生が早期に逝去された後は関氏が後継となり全権を任せられるだろう。
彼の説が正しければ、これは神の御意思であり誰も口を挟めないという訳だ。 >>671
> 君の主張通りであるのなら、放置したのはトップであり会員には関係ない。
> トップを責められず一般会員に責任を擦り付けるのは狂信者の成せる業ゆえ。
「そうだよね。そもそも関芳郎を総合本部長に任命したのは、佳子先生だったよね。」
「任命しておいて、関芳郎のやりたい放題を放置しているのも佳子先生だよね。」
「関芳郎の不始末は、全部、佳子先生に尻拭いして頂かないと、おかしいよね」
…そのような想いこそ、自らに与えられた修行を拒否して、佳子先生を動かそう
とするものである。それは、自らの修行のために佳子先生が邪魔者になっている
ということであり、佳子先生の死を早める結果を招くだろう。 >>672
> 先生の早逝についてだが
> 何歳を分岐点に早いと判断してるんですか?
何歳か具体的には解らない。
しかし、このままでは、確実に関芳郎よりも先に逝去されるだろう。
> それは神の意思であると認められますか?
> 具体的な根拠も含めて答えてください。必ずね。
「この世に偶然なるものはないのだ すべては神のみ心のままに」
という佳子先生のお言葉が根拠である。
>>673
> 先生が早期に逝去された後は関氏が後継となり全権を任せられるだろう。
> 彼の説が正しければ、これは神の御意思であり誰も口を挟めないという訳だ。
徳川幕府が成立したのは神の御意志である。
しかし、徳川幕府に口を挟んだ人々がいて、徳川幕府を倒し
明治維新が成立したのも、神の御意志である。 >>674
>・・・そのような想いこそ、自らに与えられた修行を拒否して、佳子先生を動かそう
> とするものである。
拒否云々以前に、そもそも何処の誰にも与えられた修行など存在しませんが。 >>675
>>>672
>> 先生の早逝についてだが
>> 何歳を分岐点に早いと判断してるんですか?
>何歳か具体的には解らない。
>しかし、このままでは、確実に関芳郎よりも先に逝去されるだろう。
ここでは、解らないと正直に告白しているが僅か数十秒前に>>674では
>それは、自らの修行のために佳子先生が邪魔者になっている
>ということであり、佳子先生の死を早める結果を招くだろう。
と断言している。 S氏に不信を抱いている会員が存在するなら既に脱会しているはず。
彼の理屈が正しいのならK子氏は、とっくに逝かれているわけですが、いまだ健在なのは変ですね。
>徳川幕府が成立したのは神の御意志である。
>しかし、徳川幕府に口を挟んだ人々がいて、徳川幕府を倒し
>明治維新が成立したのも、神の御意志である。
それぞれ人の意志が国の命運を決定づけました。
神の意志など御座いません。
神というのは人を駒のようにして戦争ゲームをして楽しんでるんですか?
そんな神など御免ですね。
君の主張する神の御意志なるものの存在価値は
紙の碁石でしかないのですよ。 TS氏のお墓は無いと聞いています。
そうなれば遺骨の処置には嘸かし困り果てた事だろうなと推察されますよね。
後に続く身内分の事情も考慮しなければならず・・・
そこで生み出された苦肉の策がアレだったのかもしれません。
多くの会員が抱いた疑問はコレだったのかも。
あくまで邪推の域を脱しませんが。 >>584 で述べたことを繰り返すが…
http://copyman.syoyu.net/Date/20140106/
ここに試算がある通り、「菩薩ではない人」が菩薩になることは、まず不可能
なことであり、数万年に一度程度しか起こらない例外中の例外の出来事である。
では、何故、菩薩は滅多に誕生しないのだろうか?
菩薩になるためには、ある「壁」を超えなければならず、
「壁」を超えられない限り、次の人生でやり直しになるのだろう。
では具体的に「壁」とは何だろうか?それは、既にあなたの目の前にある。
「関芳郎が問題なのは解る。千年構想も、7つのプログラムもGLAにとって
必要なものなのだと思う。しかし、佳子先生が動いてくれないかな?いや、
先生以外の誰か他の人でも動いてくれないかな?自分から動き出すのは嫌だ」
…その「想念」こそが神界と菩薩界を隔てる「壁」ではないだろうか。
おそらく、過去世においても、その「壁」こそが、あなたが菩薩になることを
阻んできたのだ。勿論、「壁」の具体的な内容は、その時代その時代において
全く異なるものではあるが、ある側面から眺めると、全く同じような「壁」
だったのではないだろうか。 しかし、今生の人生では、過去世と全く異なる点がある。それは、あなたが
絶対的な信を置ける相手、すなわち「佳子先生」がおられるからだ。
あなたが「佳子先生」に対する信を持てるならば、「佳子先生の智慧を少しでも
自分に写させて頂きたい」と思えるのではないだろうか。ならば、それは
霊操行に取り組んで内を変革してゆく動機になるだろう。
また、「佳子先生」に対する信を持てるならば、「自分では今一つ得心が持てない
テーマであっても、佳子先生が示されたテーマなのだから挑戦してみよう」
と思えるのではないだろうか。ならばそれは、実践を通じて内と外をつないでゆく
動機になるだろう。
「佳子先生」に対する信を基として、「内を変革してゆくこと」、「内と外を
つないでゆくこと」を深めてゆける点が、あなたの過去世にはなかったことなのだ。
そして、それを深めてゆくことによって、超え難かった壁を超えてゆく道が付いて
ゆくだろう。願わくば、「佳子先生の早逝」が起こる前にそれを実現してほしいと思う。 >>682
> 「関芳郎が問題なのは解る。千年構想も、7つのプログラムもGLAにとって
>必要なものなのだと思う。しかし、佳子先生が動いてくれないかな?いや、
> 先生以外の誰か他の人でも動いてくれないかな?自分から動き出すのは嫌だ」
>…その「想念」こそが神界と菩薩界を隔てる「壁」ではないだろうか。
一向に動こうとしないK先生は、会で言われてるようなプロフィールとは違って
菩薩の壁すら越えていない存在だったんですね >>683
>しかし、今生の人生では、過去世と全く異なる点がある。それは、あなたが
>絶対的な信を置ける相手、すなわち「佳子先生」がおられるからだ。
講師や噂に唆されて信ずるしか能のない人間へと改造されたみたいだねw
>あなたが「佳子先生」に対する信を持てるならば、「佳子先生の智慧を少しでも
>自分に写させて頂きたい」と思えるのではないだろうか。
思いませんw
>ならば、それは
>霊操行に取り組んで内を変革してゆく動機になるだろう。
なりませんw
>また、「佳子先生」に対する信を持てるならば、「自分では今一つ得心が持てない
> テーマであっても、佳子先生が示されたテーマなのだから挑戦してみよう」
>と思えるのではないだろうか。ならばそれは、実践を通じて内と外をつないでゆく
>動機になるだろう。
テーマを掲げた当事者が知らん顔状態では
いったい誰の心に挑戦しようという動機が生まれるのかねw >「佳子先生」に対する信を基として、「内を変革してゆくこと」、「内と外を
> つないでゆくこと」を深めてゆける点が、あなたの過去世にはなかったことなのだ。
信を基としたら内など変革出来やしませんw
道理が解からないまま他人の意見を鵜呑みにしてるからでしょうなw
自分の過去世をまともに語らず
他人の過去世だけを好き勝手に論評する自称霊能力者どもの下らない話をよく信じてるなw
>そして、それを深めてゆくことによって、超え難かった壁を超えてゆく道が付いて
壁を作るだけだよ
増やすだけだよw
> ゆくだろう。願わくば、「佳子先生の早逝」が起こる前にそれを実現してほしいと思う。
まったく因果関係なしw
そんでもって早かろうが遅かろうが
どこの誰にも影響しないし
語り継がれもしないだろうな >>663-666 は、
> 佳子先生が早逝されたならば、私は、以下のような言葉を発するだろう。
というテーマで書いたが、これに付け加えたい。
それは、シモン・ペトロのことだ。イエス・キリストが存命中、ペトロは
弱い心を持っていた。一晩のうちに、3度もイエスを知らぬと言ったのだ。
しかし、この事件によって、ペトロには見えていなかった自らの内面が見える
ようになったのだろう。最後は、殉教するために自らローマに戻り、
逆さ十字架にかけられて殉教するという、岩の如き強さを示せたのだ。
佳子先生が早逝されたならば、あなたは現代のペテロになればよい。
佳子先生の存命中、あなたは弱い心を持っていた。快苦に縛られ、
ただ快を求めて苦を避けるために、関芳郎のような人間を放置し、その結果
佳子先生から頂いたテーマを放置し、佳子先生の早逝を招いてしまったのだ。
しかし、佳子先生の早逝によって、あなたは見えていなかった自らの内面が
見えるようになったではないか?ならば、その事を糧として、
ペトロの如く、自らの弱さを克服してゆけるのではないだろうか。 本人に直談判出来ない者が
他人様に対して命令を下し
実行不可能なら心が弱いんだと断定非難している
残念ながら此処では決して珍しくない光景だ
実際には上から下までこの状態と評しても過言ではない
他者に超厳しく自分に超甘く
これがカルトのクオリティ
偽善者集団乙! >>690
> 偽善者集団乙!
偽善者集団とはGLAのことか?
佳子先生に向かって「世界に満ちる困に立ち向かってゆきます」
などと誓願しながら、関芳郎のような人間を放置し、結果的に
「千年構想」や「7つのプログラム」を放置しているような人間を
「偽善者」と呼ぶなら、GLAは「偽善者集団」に相違ないだろう。
しかし、彼らは「偽善者」というよりは、心が弱いだけなのだ。
ペテロも最初はそうだった。弱い心の持ち主であった。しかし、
イエスキリストの死後、ペテロは覚醒し劇的な変化を遂げた。
近い将来、GLAにも同様の事が起こる。
それは神の御意志に相違ないことなのだ。
残った問題は、「そのために佳子先生の早逝を伴うのかどうか」
ということだ。だから、「佳子先生の死の前に覚醒したらどうか」
と言っているのだ。 http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php
> 大いなる存在の光が常に注がれ、見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと共に奉納できることは、
> 魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、このうえない誇りにほかなりません。
本スレを見ると、上(↑)の愚かな記事に対して、色々と解釈を巡らせている人がいるようだ。
解釈を巡らせて、要するに、この愚かな書き込みが「大した問題ではない」と言っているようだ。
では、「何に基づいて」解釈をしているのかというと、その人がGLAで体験したことが解釈の元に
なっている。ならば、その解釈は、全くの見当はずれとしか言いようがない。
GLAホームページは、読者として誰を対象としているのか?それは、GLAについて
全く知識の無い人、GLAについて全く縁の無かった人を対象にしているのだ。
だから、そのような人が形成するであろう理解、抱くであろう印象を
基準にしなければならないのだ。 それが解らない人のためには、固有名詞を変えてみるのもいいかもしれない。
「山田一郎」という人が創設した「QLA教団」という教団ものがあったとして、
「QLA教団」の納骨堂のページに、次のような文章があったとする。
「大いなる存在の光が常に注がれ、見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
とりわけ、祖師山田一郎先生、そして、あまたの求道者たちと共に奉納できることは、
魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、このうえない誇りにほかなりません。」
あなたは、この文章を読んで、「QLA教団」に対して、どのような理解を形成
するだろうか?また、どのような印象を持つだろうか?
「山田一郎という人の遺骨とともに納骨することがQLA教団の人にとって
歓びで、このうえない誇りなんだね。変な人たちだね」とは思わないだろうか?
それは、そっくりそのまま、世間の人がGLAに対して形成する理解、
GLAに対して持つ印象と、同じなのだ。 このように、固有名詞を置き換えてみれば、>>693 で引用した文章は、
「馬鹿が書いた馬鹿丸出しの文章」であり、GLAを貶め、佳子先生を貶め、
GLA会員を貶める文章であり、GLAのことをよく知らない人々に、
重大な誤解を与えることが明白に理解できるだろう。
しかし、様々な理屈をこねて、>>693 で引用した文章を、「何らかの
意味がある文章」、あるいは「大して気にする必要の無い文章」
であるかのように理解しようとする人がいる。あるいは、
何も考えない「思考停止」に陥ろうとする人がいる。
あなたが、そのように動いているなら、それはなぜだろうか?
それは、あなたが「快苦」に縛られているからである。
「何らかの意味がある文章」、「大して気にする必要の無い文章」
ということにしてしまえば、あなたはそれ以上、何も考える必要がなくなる。
あるいは、思考停止に陥ることによって、何かをする必要を思いつくこともない。
そうすることが、あなたにとって「楽」だから、
あなたは「楽」な方向に進んでいるだけなのだ。 一方、あるがままに事実を見れば、すなわち「如実知見」を心掛けた
ならば、>>693 で引用した文章は、「馬鹿丸出しの文章」である
ことが明々白々である。
しかし、それを認めることは、あなたに「苦」をもたらすだろう。
仮に、あなたが「当該文章は馬鹿丸出しの文章である」と認めたとしよう。
ならば、あなたは、そのような文章が、なぜGLAの公式発表として
社会に垂れ流しにされているのか、その原因を考えなければならない。
その原因は何だろうか?それは、佳子先生が2008年に下さった
「社会発信力の強化」というテーマを放置してきたからだ。放置したのは、
直接的には関芳郎である。
しかし、あなたは、佳子先生が下さったテーマを関芳郎が放置してきたのを
見てきただろう。見ていながら、関芳郎を放置したのはあなたであろう。 >>693 で引用した文章が、「馬鹿丸出しの文章」であると認めることは、
そのようなものが掲載された責任があなた自身にあることを認め、
あなた自身がその責任を取ることにつながってゆくのだ。
そして、それは当然、あなたと関芳郎との間に確執が生まれることにもつながる。
それは面倒であろう。「苦」であろう。だから、あなたは認めたくないのだ。
「馬鹿丸出しの文章」に何らかの意味があるかのように考えたり、
「思考停止」の状態に陥るという手を使って、あなたは「苦」を退け、
「快」を追い求めているのだ。
あなたは、目を覚まして、その現実を直視しなければならない。
もし、あなたが目を覚まさないのであれば、…
もし、あなたが直視しないのであれば…
もし、あなたが快苦に縛られたまま、「苦」を退け「快」を追及する
態度を続けるならば、…
何度も何度も同じことを言うが、あなたの目を覚まさせるために
「佳子先生の早逝」ということが避けられなくなってしまうのだ。 今回のGLAを憂う元会員氏の私見はユーモアがあっておもしろい。
山田一郎のQLA教団のたとえ話といい
「馬鹿が書いた馬鹿丸出しの文章」といい
笑わせてもらった。
キレがある。
いいね。 >>696 に書いた「社会発信力の強化」について補足説明すると、これは
「より多くの方々に、先生、神理を理解し、生きていただく
ために、地域、社会、世界に広報していくためのシステムを整える」
というものであった。
整えてゆく「システム」が最終的に如何なるものになるのか、
具体的な解答を今述べることは難しい。「先智慧→実行→後智慧」
のサイクルを何度も回してゆくことにより、その内容が明らかになって
ゆき、青写真に近接してゆくだろう。
ただ、「システム」として単純極まるものを考えると、例えば
次のように「起案者」と「承認者」の二人で構成されるシステムを
挙げることはできるだろう。
・「起案者」は社会発信内容を起案できるが、「承認者」が承認
しない限りその内容を発信できない。
・「承認者」は「起案者」が起案した社会発信内容を承認できるが、
自らは「起案者」にはなれない。
このような「起案者」と「承認者」のたった二人で構成される
「単純極まるシステム」であっても、愚かしい内容が社会発信
されることを、かなりの確度で防止できる。それは、「起案者」
と「承認者」のうち、どちらか一方が愚かしい事を考えても、
他方がそれに気づけば、その内容は社会発信されずに済むからである。 そして、現状のGLAでは、「馬鹿丸出しの文章」が社会に垂れ流しに
されている。これは、上に挙げた「単純極まるシステム」と同程度のもの
すら、GLAには構築されていないということを意味する。
「社会発信力の強化」というテーマを佳子先生から頂いて、10年以上
が経過した。この期間、関芳郎は、頂いたテーマに対して、全く何も
取り組まず、放置したことが明らかであろう。そして、あなた自身が
そのような関芳郎を、10年以上も放置しづけたのだ。
なぜ放置したのか?関芳郎もあなたも、「怠慢」に生きることで
「快」、「楽」を追及する同志であったのではないのか?
「快」、「楽」を追及する同志が響きあい、「怠慢」のエネルギーを
交換してきたからではないのか?
ならば、「GLAの公式発表」という形で、「馬鹿丸出しの文章」が垂れ流しに
されている現状は、10年以上に渡る、関芳郎とあなたの「怠慢の響きあい」
の結果ということになるだろう。
その結果を受けて、あなたはどうするつもりなのか?
愚かな放置プレイをまだ続けるのか?
もし、そうであるならば、あなたを目覚めさせるために、
「佳子先生の早逝」が避けられなくなるだろう。 >「馬鹿丸出しの文章」
宇宙で一番偉大なる あの先生公認だろ? 佳子先生がご帰天された後、GLAがどうなるか考えてみた。
GLAの方針は、弟子が神意・青写真にアクセスして決定してゆくが、
弟子の力が及ばない場合には、「天上界からの通信」という形で
佳子先生がご助力下さることもあるだろう。
しかし、「通信」というものには恐ろしい面がある。それは、悪魔が
佳子先生のふりをして通信してくることがあるからだ。通信を受ける側の
人間は、通信の内容が神意に適うのか否か見極める力を持たなければならない。
その力が無ければ、佳子先生がご助力を下さろうとしても、
ご助力を頂くことはできなくなるだろう。
ここで、一つ、仮定に基づいて思考実験をしてみたいと思うのだ。
現在、「人生祈念館には信次先生の遺骨が祀られていない」と仮定してみる。
つまり、2014年以前の状態であったとしよう。そして、その状態のまま
佳子先生がご帰天されたとしよう。
その後、「佳子先生と思しき存在」から、何人かの人が、「人生祈念館に
信次先生と私(佳子先生)の遺骨を祀れ」という通信を受け取ったとしよう。
さらに、「佳子先生と思しき存在」は、「遺骨を祀る理由」
( http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640 )
についても丁寧に説明して下さったとしよう。 この「遺骨を祀る理由」に共感して、「通信を送って下さったのは本物の
佳子先生である。ぜひ、ご指示に従おう」と主張する人はいるだろう。
その人々を「賛成派」と呼ぼう。
一方、「これは、悪魔が佳子先生に化けて、GLAを混乱させようとしているのだ。
絶対に従ってはならない」と主張する人もいるだろう。
その人々を「反対派」と呼ぼう。
「賛成派」は、佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて頂こうとしてきた人々、
千年構想の願いを自らの内に醸成してきた人々である。だから、「遺骨を祀る理由」
( http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640 )
に共感できるのだ。
一方、「反対派」は表面的に佳子先生に従ってきた人々であり、千年構想に
真剣に取り組んだことも無かった人々だ。つまり、千年構想をベースに置いた
ご指示には、全く共感できない人々だ。
さて、ここで問題だが、「賛成派」、「反対派」のどちらの意見がGLAの
方針になるだろうか? 残念ながら、現在のGLAの中で「賛成派」は、ごく少数だろう。
「賛成派」は「反対派」に押し切られてしまい、佳子先生のご指示、
すなわち「神の御意志」は具現されずに放置されるだろう。
佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて頂こうとせず
ただ口先で佳子先生を賛美し、表面的に佳子先生に従っている人々、
千年構想の願いを自らの内に醸成しようとせず
関芳郎とともに千年構想を放置してきた人々、
そして、そのような自らの現状を恥とも思わない人々、…
そのような人々は、佳子先生が御在世中の現在のGLAでは、
さほど障害になるわけではない。
しかし、上述の思考実験から解るように、佳子先生がご帰天された後、
そのような人々は、神、佳子先生の妨害者に変貌する。佳子先生が「通信」
という形でご助力を下さろうとしても、そのような人々が妨害者となるため、
GLA共同体は、ご助力を頂くことができなくなるだろう。
そのような人々の割合が多ければ、GLAは、どんどん神意から外れ、
おかしな方向に流されてゆくだろう。そして、2018年現在のGLAを眺めて
みるならば、このままでは確実にそうなるように思えてしまうのだ。 そのような事態を避けるためには、今からでも行ずることであろう。
霊操行を基として、自分の心を佳子先生の御心に合わせてゆくことである。
これは、「静中の工夫」になるだろう。
また、千年構想のヴィジョンを描き、その具現を進めてゆくことだ。
これは、「動中の工夫」になるだろう。
この二つによって、佳子先生がご帰天された後も、
必要な場合には、佳子先生のご助力を頂けるようになるだろう。 >>702-705 に書いたことを、もう少し具体的に考えてみた。
佳子先生がご帰天された後は、おそらく伝道研鑽部会がGLAの
最高意志決定機関になるだろう。その後のGLAでは、佳子先生のような
絶対的なリーダーは存在し得なくなる。
勿論、GLAのリーダーあるいは首脳部というものは存在するが、その任命、
解任の権限は、最高意志決定機関である伝道研鑽部会が掌握するだろう。
そして、首脳部は、伝道研鑽部会の賛同と承認が無ければ、何も進めること
ができなくなるだろう。
「人生祈念館には信次先生の遺骨が祀られていない」という仮定で、
「人生祈念館に信次先生と私(佳子先生)の遺骨を祀れ」
のような通信を、GLAの首脳部が、佳子先生から、理由の説明とともに
頂いたとしよう。そして、首脳部の全員がそれに共感、賛同できたとしよう。
しかし、首脳部は、伝道研鑽部会にその内容を説明し、賛同を得ない限り、
それを実現に移すことはできなくなるということだ。 既に述べたように、佳子先生がご帰天される時期は、案外早く訪れるのでは
ないかと思う。その後、誰かが(例えばGLAの首脳部が)佳子先生から通信を受け、
それを実現しようとしたとき、伝道研鑽部会が却下して足を引っ張って
しまうことが大いに予想される。
伝研生の意識を改革しなければ、それを防止することはできないだろう。
意識を改革してゆく第一歩は、1999年に佳子先生が示されたように、
千年構想の青写真にアクセスすることである。それは、そもそも千年後に
一体何を実現したいのか、明確なヴィジョン、願いを抱くことであり、
その願いを深め、その願いに収斂してゆくことである。
そして、GLAの方針について判断を下さなければならないときは、
必ずその願いに立ち返って判断することである。
そうすれば、未来のGLAで、佳子先生が通信によって
「人生祈念館に信次先生と私(佳子先生)の遺骨を祀れ」
のようなご指示を下さったとき、そのご指示に共感することができ、
ご指示を実現できるようになるだろう。 ところで集団帰依の話はどうなったんだよ。
全然その兆しすら見当たらないのだが。
意識改革が進まないと先生が早く帰天する。
その日は近いという話と矛盾するんだけどさあ。 >>710
何事にも、「順序」というものがある。
「7つのプログラム」のうち、特に、「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」、
「通信ネットワーク環境の整備」、「拠点の充実」は、現在のGLA会員、
つまり、「佳子先生の法を学びたい」という積極的な意志を持っている
人のために、佳子先生が下さったテーマである。
しかし、あなたは、その実現のために、まだ何もしていないだろう。
なぜ、何もしていないのか?
それは、「7つのプログラム」を遂行することに、特に「願い」が持てない
からなのだろう。あるいは、あなたは、快苦に縛られ、関芳郎のような
人間を恐れ、身動きが取れないのだろう。
だから、会員の皆様の現状をよく見て、願いを突き詰め、己の内にある
障壁を乗り越えて、「7つのプログラム」を遂行することだ。
それこそ、あなたが菩薩になってゆくために、佳子先生が最初に与えて
下さったテーマなのだ。それを果たさない限り、次の段階には、絶対に進めない。 「集団帰依」というのは、さらに上の段階にある。
「集団帰依」というのは、「自分は○○教団に入ったのに、○○教団が
GLAに帰依したので、自分はGLA○○本部の会員ということ
になってしまった。しかし、高橋佳子さんの説いていることは
よく解らないし、昔のままの○○教団のほうがよかったよ」
と言っている人を相手にするということだ。
あなたは、そんな人のために働けるだろうか?「7つのプログラム」
の実現のためにすら動けないなら、そんな人のために働けるはずがないだろう。
だから、今の段階では、「集団帰依」は時期尚早でしかない。
しかし、やがては、その段階に進むべきことは明らかだ。佳子先生が
信次先生の遺骨を祀られた理由は、その準備以外には考えられない。
あなた自身は、自覚できていないのかもしれないが、「集団帰依」という
方針が正しいのか否か、その解答はあなた自身の内にある。 解答を明確にするためには、千年構想に真剣に取り組まなければならない。
千年の後、一体何を実現したいのか、突き詰めて明確にすることだ。
千年構想を突き詰めてゆけば、やがていつの日か、集団帰依についても、
「自分の一切をかけて、何がなんでも実現したい」という
願いが湧出してくるだろう。それが解答である。
弟子が覚醒したとき、佳子先生が御在世中で、佳子先生からご助力を
頂ければ、集団帰依を進めてゆくにあたって得難い力になるだろう。
しかし、集団帰依の主役は弟子である。集団帰依は、これから未来千年に
渡って、世界各国で弟子が実現してゆくことである。
その点に関して、佳子先生が御在世中であるか否かは関係ない。 GLAを憂う元会員氏の書き込みを読み、個人的な分析だが
論理的で社会的観念からみると善人であろうと思う。
しかし、人間はつくづく真面目に間違う動物なのだと思った。 人間が作り出す「パラダイム」というものには侮れない力がある。
1776年、トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言には、
「全ての人間は平等に造られている」とある。しかし、ジェファーソンは
多くの黒人奴隷を所有していた。ジェファーソンは、奴隷増殖のために
自ら奴隷との間に子供をつくり、その子供たちを自分の奴隷にしていったのだ。
「黒人奴隷」は「全ての人間」には含まれていなかったのだ。
それは、今から見ると実におかしな話だが、当時としては、
おかしな話ではなかったのだ。
それを「おかしい」という人間が「おかしな人間」として扱われたのだ。
それが「パラダイム」というものだ。 そこまで遡らなくても、60年ほど前の米国でも、人種差別は公然と行われていた。
白人と黒人は、学校、図書館、レストラン、トイレ等の施設が全て別々であり、
「黒人用」の施設は、「白人用」の施設と比べて劣悪なものであった。
それは、今から見るとおかしな話だが、当時としては、おかしな話
ではなかったのだ。それを「おかしい」という人間が「おかしな人間」
として扱われたのだ。ケネディ大統領も、キング牧師もそうだが、それを
変革しようとする人間は、暗殺され、あるいは迫害されてきたのだ。
当時、その「パラダイム」に染まっていた人は、今の時代に
「なぜそんな事を許してきたの?」と問われても、明確な回答はできないだろう。
しかし、60年前、それは確かに「正しいこと」として世間に認められてきた
ことであったのだ。それが「パラダイム」というものだ。 2018年のGLAではどうだろうか?
2018年現在、高橋佳子先生が下さった「千年構想」のテーマは、20年に渡って
放置され、「7つのプログラム」は10年に渡って放置されている。
放置しているのは、直接的には関芳郎であるが、関芳郎のような人間を放置しているのは、
関芳郎以外のGLA会員に相違ないのだ。
それは、果たして「正しい」ことだろうか?それとも、「おかしい」事なのだろうか?
「おかしい」と主張して動こうとした人間は、退会に追い込まれた。
ならば、もしかすると、「おかしい」と主張している人間がおかしいのだろうか?
そうではない人間の中には、頂いたテーマを放置しているのに、「先生にお応え
してゆきます」などと涙を流しながら誓願し、「先生にお応えしてゆく」ことの
大切さを説いている人間が多数見受けられる。
しかし、先生が下さったテーマを放置する人間の中に「先生にお応えする」
志を持っている人間が、存在できるだろうか?彼らは、ただ、「先生にお応えする
忠実な弟子である自分」という虚像を描いて、虚像に酔っているだけなのかもしれない。 それは、「おかしい」ことなのだろうか?多くの人が「おかしい」と思って
いないのであれば、もしかすると、何の問題もないのかもしれない。
パラダイムに染まることしかできない人間には、「2018年現在のGLA」が
「おかしい」状態なのか否か、2018年の現在には解らないのだ。
しかし、今は解らなくても、やがてパラダイムが転換すれば、誰でも解るようになるだろう。
一方、内界を見る力を付けた人間ならば、自分自身に如何なるパラダイムが流れ込んで
いるのか自覚することができ、その「おかしさ」に気づいて、自ら離れることが
できるだろう。
しかし、「自ら離れることができる人」が出現しても、それで全体のパラダイムを
転換することにはならない。
「自らパラダイムから離れることができる人」が、自らの危険を顧みず、
あるべき方向に動くことによって、初めて全体のパラダイムを転換してゆく
道が整ってゆくのだろう。 おまいさんの話だと
後世には関さんが正しかったとされる可能性も否めないな
千年構想、遺骨崇拝が茶番だったとされる可能性のほうが断然高いが >>707
恵まれた環境化に置かれているので早期帰天はされないだろうが
その前に支えてきた人物が揃って高齢化してるのが気になる
大半が年上だからな
引き継げそうなのは皆無
どころかさあ大地震等で日本自体がヤバくなるのは間違いなく
そのときになって初めて
いざとなったら宗教など何の役にも立たないと知っても遅過ぎるよ 佳子先生がご帰天された後の未来のGLAから今のGLAを眺めると、
一体どのような姿が目に映るが、考えてみたい。
佳子先生がご帰天された後、未来のGLAでは、解決と創造の青写真にアクセス
することは、基本的には弟子の役割になる。佳子先生が「通信」という手段で
青写真を開示して下さることはあるだろう。しかし、それが本物の佳子先生である
という確証は無いわけであるから、「それが真に青写真である」と判断するのは
弟子の役割になる。
解決と創造の青写真にアクセスすること…その役割こそは、最も困難であり、
かつ最も重要な役割と言えよう。未来のGLAでは、弟子がそれを背負って
歩むことが当然とされるのだ。
そのような未来のGLAから、今のGLAを眺めてみると、どのように見えるだろうか?
「千年構想」、「7つのプログラム」という形で、大枠の青写真、方向性は佳子先生
によって既に示されている。御在世中の佳子先生が示された方針は、その正否を
検証する必要はなく、そのまま「正しいもの」と受け止めて問題ないわけであるから、
弟子はただ愚直に、その具体的な内容をつめてゆけばよいだけなのだ。 このように、2018年のGLAでは、「無条件に信用できる大枠の方針」
というものが佳子先生によって示されている。これは、未来のGLAから眺めると、
実にうらやましい限りであり、未来の世界では絶対に得られない貴重な
宝が与えられているように見えるだろう。
また、未来のGLAでは、解決と創造の青写真に弟子がアクセスするために、
佳子先生が如何なる解決と創造を果たされてきたかが研究されるだろう。
佳子先生が示されてきた一つ一つの言葉、行為は、弟子が青写真にアクセスして
ゆくベースになるものであり、未来のGLAでは、貴重な宝として扱われるだろう。
そして、そのような道程を通じて、未来のGLAでは、
「佳子先生が遺されたお言葉を徹底的に大切にする」
というパラダイムが構築されるだろう。
その未来の人々が、2018年のGLAを眺めると、その人々の眼差しには
何が写るだろうか?そこでは、貴重な宝であるはずの、佳子先生が示された
テーマ(千年構想、7つのプログラム)がゴミのように放置され、無視されている
という信じ難い光景が目に飛び込んでくるだろう。
そして、正にそのテーマを放置しているその人々が、「先生にお応えしてゆく」
ことの大切さを口先で説いている。その姿も、未来の人々にとっては、
実に不可解で、おかしな光景に見えるだろう。 未来の人々が、今のGLAに対して感じる「おかしさ」…それは、
「全ての人間は平等に造られている」というアメリカ独立宣言を起草
しながら、多くの奴隷を保有したトーマス・ジェファーソンに対して、
今の私たちが感じる「おかしさ」と、とても似ていると思う。
わずか200年ほど前では、トーマス・ジェファーソンは自分の行動の
「おかしさ」を理解できなかったのだろう。そして、周囲の人にも、
その「おかしさ」が理解できなかったのだろう。
しかし、200年が経過し、パラダイムが変革した現在では、誰もが、
その「おかしさ」を、はっきりと認識できるようになっている。
これが、パラダイムというものだろう。
だからこそ、パラダイムの呪縛から離れて、数十年先の未来から、
今のGLAを眺める眼差しを持つことができたなら、今のGLAが
抱えている「おかしさ」をはっきりと認識できるのではないだろうか。
認識できたならば、それを変革してゆく動機も生まれてくるだろう。 未来人が現代を見て「おかしさ」を感じる物
誤用多発な仏教用語及びアレンジ用語
千年構想
遺骨崇拝
集団帰依妄想
ミカエル
太陽系霊団
会員限定パクリ本
それに伴う会員の選抜という言い逃れ
数え上げたら限がない おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼたらまにはんどまじんどらはらばりたやうん オウムも遺骨崇拝を行うだろう
人の振り見て我が身を見ろ
そして異常さを知れ
遺骨の対象者が麻原だと仮定すれば分かるはずだ これから未来千年、GLAが辿る歴史を想像してみるならば、GLAは何度も
「困難」に見舞われるだろう。「困難」というのは、「これまでのやり方が
通用しない」、「新たな解決・創造の智慧が無ければ前に進めない」という
事態に遭遇するということだ。
そのような時、神は、「鍵を持った者」をGLAに遣わされるだろう。
「鍵を持った者」は、他の人にはアクセス困難な青写真にアクセスし、
GLAが果たすべき解決・創造の道筋を示す人間である。
しかし、「鍵を持った者」は、必ずしもGLAで歓迎されるわけではない。
むしろ「迷惑千万な邪魔者」として扱われるかもしれない。特に、GLAの中に
「快苦」に縛られ煩悩を調御できない人が多いほど、そうなる可能性が高まる。
「鍵を持った者」は、GLAの中では「新参者」であったり、あるいは、
「これまで何の実績も無かった人間」であったりする。そのような人間が
解決・創造の青写真にアクセスし、その内容を明かしてゆくという行為は、
ある見方をすれば、「その時代にGLAで力を持っている者の無能さを白日の
下に晒す行為」にもなってしまうのだ。 「力を持っている者」が、自分の地位、見栄、体面などに執着しているならば、
「鍵を持った者」は、正にそれらを脅かす存在に見えるだろう。
ならば、「力を持っている者」は、「鍵を持った者」を疎んじ、黙らせ、
あるいは、GLAから排除しようと画策するだろう。
そして、「力を持っている者」の周囲の人間が、やはり快苦に縛られ、
煩悩を調御できていなければ、ただ己の保身のため、「力を持っている者」
との間に軋轢を起こさないために、「力を持っている者」に媚びへつらい、
その愚行を看過しようとするだろう。
その結果、解決・創造の青写真は具現されることなく放置される。
それは、正に神が差し出された御手を振り払う行為であり、GLAは
神のご加護を受られなくなるだろう。 そのような状態に陥ったGLAを救う方法の一つとして、「歴史を振り返る」
という方策が可能かもしれない。その時代のGLAの人々が、過去のGLAの歴史を
辿ってみると、「21世紀初頭、2018年頃のGLAでも、今とそっくり
同じような事が起こっていた」「その時代、人々は快苦に縛られ煩悩を調御できず、
神の御手を振り払うようなことをしていた」ということに気づけるだろう。
そして、さらに、「21世紀初頭のGLAでは、やがて人々は煩悩に打ち克ち、
鍵を持った者からバトンを受け継ぎ、青写真を具現していった」という
記録が残っていたとしよう。
その記録は、未来の人々にとって希望の星になるだろう。人々はその記録に
触れて目覚め、「自分たちも煩悩に打ち克ってバトンを受け継ごう」という
気運が湧いてくるだろう。
2018年現在、煩悩にまみれ、佳子先生から頂いたテーマ(千年構想、
7つのプログラム)を放置しているGLAの現状は、一つには、このような
「記録」を残すこと、できれば「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ風土」
と呼ぶべきものを醸成するために与えられているのではないだろうか。 そして、もう一つ、「個人の記憶」と呼ぶべきものを醸成することも
理由になっていると思う。今生の人生で、ある人が「煩悩に打ち克ち、
様々な困難を克服し、鍵を持った者からバトンを受け継いだ」という
事実があったとしよう。
ならば、その事実は、「個人の記憶」としてその人の魂に刻まれる。
その「個人の記憶」を持った人は、来世も同等の役割を果たせるものと
期待できるから、「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ」という役割が
その人には与えられるのではないだろうか。
むしろ、来世には、佳子先生はおられないのだから、その人が失敗したら後が無い。
ならば「来世が本番で、今世は来世のための練習」と考える方が正しいのかもしれない。
なお、言うまでもないことであるが、佳子先生が「鍵を持った者からバトンを
受け継げ」などと現状のGLA会員を叱り飛ばして、その通りに動かされたとしても、
それは未来の人々にとって何の参考にもならないことであるし、個人の成長にも、
全くつながらないことである。 GLAの現役の理事のうち、何名かが相当の年齢であるにも
かかわらず、現役を続けておられるのは、おそらく本人が
「引退したい」と希望しても、佳子先生が許されないからだろう。
佳子先生が引退を許されないとすると、その理由は、上述した点が
関係しているのかもしれない。
つまり、残りの人生の一切をかけて「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ」
気魂を育むことが求められているのだろう。
それは、その気魂を育むか否かで来世に果たせることが全く異なって
くるからだろう。 既に述べてきたこととほぼ重複するが、>>728-732で述べたことを
具体的にどのように果たしてゆくべきか、もう一度まとめて述べておこう。
高橋佳子先生は、1999年に「GLA共同体の千年構想の青写真に、
一丸となってアクセスする」というテーマを示された。
また、2008年に「7つのプログラム」について佳子先生が元々
示された「願い」は、「菩提心発掘」であった。
>>555で述べた通り、これらのテーマを進めてゆくためには、
GLA会員のうち希望する者は、誰でも、ネットワーク上で意見交換が
できる場を整えなければならない。そのためには、GLAの様々な
場で声を上げて、事務局を動かさなければならない。
具体的に事務局に要望すべきことは、まずは、>>5 に書いたように、
「GLA Facebookページの運用を変える」ということだ。 「意見交換の場」を整えない限り、多くの人の智慧を結集してゆくことは
不可能と言えるだろう。「意見交換の場」を整えることは、これから
様々な形で展開されてゆく「弟子の具現」の土台になり、礎になってゆくだろう。
但し、私は、「Facebookページ」というものが、意見交換を行うに
あたって必ずしも最適なツールであるとは思わない。様々な議題について
同時に議論を進めてゆくことを考えると、「Facebookページ」は
むしろ使いづらいと思う。
しかし、「Facebookページ」以外のツールを選択するならば、
どのような機能が必要なのか、どのツールを選択するのか、ということを
どこかで議論しなければならない。その議論をするために立ち上げる
第一歩のツールということであれば、やはり「GLA Facebookページ」
が最適ではないかと思う。 「千年構想」も「7つのプログラム」も、他のテーマと比較すれば難しい面はある。
それに対して、佳子先生が下さったヒントは非常に乏しいものに見えるかもしれない。
また、これらのテーマを進めてゆくためには、「意見交換の場」が必須であるが、
そのお膳立ても整っていない。
その理由は、>>530-535に書いたように、これらのテーマは、
「一人の菩薩を生むため」のテーマだからだろう。
あなたに与えられた条件が如何に厳しいものであれ、その条件を
クリアしない限り、あなたの内から「一人の菩薩を生む」ことが
できなくなってしまうのだろう。
今生、菩薩ではない人が菩薩になってゆくにあたって、何よりも大切なこと、
何よりも必要なこと、それは「佳子先生を信じる」ことではないかと思う。
「佳子先生を信じる」というのは、断じて、佳子先生を盲目的に賛美することではない。 あなたから見て、「ヒントが足りない」「お膳立てが足りない」
と思える点は多々あるかもしれない。しかし、佳子先生は、
「これ以上簡単にすると、“一人の菩薩を生む”ことができなくなる」
ギリギリの線を狙っておられるのだ。
「佳子先生を信じる」というのは、正に佳子先生が
「ギリギリの線を見極めることができる方」であることを信じる、
ということである。
「佳子先生を信じる」ことができるならば、困難な条件の中にあっても、
テーマに向かってゆくことができ、菩薩ではない人が菩薩になってゆく
道が整ってゆくだろう。
逆に、「佳子先生を信じる」ことができなければ、テーマに向かって
ゆく動機が湧いてこないわけであり、菩薩になってゆくことは難しいと
言わざるを得ないだろう。 ■「方策(アクションプログラム)」
はどうだろうか?「動中の工夫として菩提心発掘を果たす」ためには、
「動的な場」を作らなければならないだろう。
それは、「会員同士が7つのプログラムについて自由に議論できる場」
というものが必要だろう。これは、「新たに作る」というよりは、
GLA Facebookページの運用を変えればいいだろう。
また、「佳子先生が下さったヒント」が何であったのか明確にすることだ。
佳子先生のお言葉と、それ以外の人間の言葉とがごっちゃ混ぜになっている
現状では、何も進められないだろう。
また、実際に議論を始めると、「菩提心発掘」という事を忘れがちに
なってしまうものだ。従って、議論の場に向かう前に、「育もうとする
菩提心を念じる」ということを作法として定めればどうだろうか。
また、Facebookページに発言するとき、自分のアイコンを入れることが
できる。アイコンとして顔写真などを使っている人もいるが、
「12の菩提心」の各々に対応する12のアイコンを作成し、自分が
育もうとする菩提心のアイコンを入れるようにすれば、常に「菩提心発掘」
を意識化できると思われる。
佳子先生のことを、「大いなる存在、神の御意志を知り、
神の御意志のままに動く人間」であると認めるのか否か?
この問いに対しては、「認める」と立場(A)と、
「認めない」という立場(B)があるだろう。
Aの立場からすると、佳子先生が「常識」に反する行動を取られた
としても、それは「神の御意志」であるがゆえ何の問題も無い。
被造物である人間が作った「常識」なるものに、創造主である
神が縛られる理由は無いからだ。
一方、Bの立場からすると、佳子先生が「常識」に反する行動を
取られたのであれば、その理由は「本人が非常識だから」ということ
になる。さらに、著書のあり方で「常識/非常識」を論ずる以前に、
「これが神意、青写真です」などと言われていた言葉は
ウソ、ハッタリであったことになり、佳子先生のことを
「詐話師」とでも呼ぶことになるだろう。
自分の立場がAなのかBなのか、曖昧になっているから悩むのだ。 佳子先生が早逝されたならば、あなたは現代のペテロになればよい。
佳子先生の存命中、あなたは弱い心を持っていた。快苦に縛られ、
ただ快を求めて苦を避けるために、関芳郎のような人間を放置し、その結果
佳子先生から頂いたテーマを放置し、佳子先生の早逝を招いてしまったのだ。
しかし、佳子先生の早逝によって、あなたは見えていなかった自らの内面が
見えるようになったではないか?ならば、その事を糧として、
ペトロの如く、自らの弱さを克服してゆけるのではないだろうか。 早逝しようとしまいがも残った者に影響は無いし社会に対しても波紋は広がらない
何年経とうが待てど暮らせど奇跡めいた現象は起こらない
これが宗教的願望世界と現実世界の差だ >あなたは弱い心を持っていた。
弱い心が絶対者の存在を信じる気持ちへと繋がるのだろう。
オウム信者となんら変わらない。
脆弱なる気持ちを支える強い依存心が信仰するという自身の弱さを司っている。
某女性教祖は「信じる事が怖いから・・・・」と信者達に押し付けたが
「麻原を信じる弱さがあった」と認めた元オウム信者のほうが幾らか真実味がありはしないか。 渡辺公夫氏のことについて再び述べておこう。と言うのは、最近、
渡辺氏に関係すると思しき神の啓示を頂いたからことによる。
まず、渡辺氏の現状についておさらいしておこう。
時折、渡辺公夫氏のブログを見ているのだが、最近は全く更新されていない。
http://blog.goo.ne.jp/watanabe34044
これは、渡辺氏に伝道活動をする気がなくなったというわけではなく、
本業のほうが火の車で、伝道活動に手が回らないということだろう。
渡辺氏(株式会社ILA)は貸しビル業を営んでおられ、渋谷の一等地に、
渋谷美竹ビルというビルを所有しておられるが、そのビルは、非常に空室が多い。
https://www.chintai-jimusho.com/article/ILA%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E7%BE%8E%E7%AB%B9%E3%83%93%E3%83%AB/47168/
ちなみに、都心5区(千代田、中央、港、新宿、渋谷)のオフィスビルの
2017年12月末の平均空室率は3.12%だ。これでは、いつ倒産しても不思議ではない。
もう一つのビルは、そこそこ埋まっているようなので、
これで、なんとか持ちこたえているのだろう。 渡辺氏は、渋谷美竹ビルを建設するにあたって「信次先生の御助力があった」
というようなことを語っておられたが、それは真実だと思う。但し、「御助力」
の内容は、彼が認識していたものとは違う。「信次先生の御助力」とは、
今日のように、「渡辺氏を切羽詰まった状態に追い込む」ということだ。
それは、信次先生にとって、とても簡単なことだ。例えば、部屋を探している人が
渡辺氏のビルに見学に訪れたとしよう。そこで、得体の知れない黒い影が見えたり、
誰もいない所からうめき声が聞こえたりしたら、その人は絶対に入居しないだろう。
勿論、それは、渡辺氏が頑固さを砕いてGLAに復帰すること、
そして、信次先生から伝授された教えをGLAの場で広め、それによって
第三代目会長になる、ということを神が呼びかけられているからであろう。
とにかく、渡辺氏が頑固さを砕くまで、信次先生は厳しい形で、
彼に試練を与え続けるだろう。 次に、私が頂いた神の啓示について述べよう。
私が瞑想していると、中世に生まれた一人の修道士のヴィジョンが現れた。
そして、その修道士がこの世を去った時に抱いた想念が、私の中に
流れ込んできたのだった。その修道士をX修道士と呼ぶことにしよう。
X修道士の想念とは、言葉として、どう表現すれば良いのか迷うが、
「胸を絞られるような激しい慚愧」とも言えるものであった。
X修道士は、カトリックの教義から外れた教えを広めようとしていたのだ。
この教えに対して、法王庁は、「異端であるからやめろ」という警告を何度も
出していたのだが、X修道士は、持ち前の頑固さから警告を無視して教えを
広め続けたのだ。
その結果、X修道士の一派は弾圧を受けることになり、X修道士の弟子は
次々と捕らえられ、処刑されていったのだった。ただ、X修道士自身は、
処刑されることも捕らえられることはなく、人生を終ったのだった。
私に流れ込んだX修道士の「慚愧」とは、「頑固さ」と「間違った教え」
に対するものであった。自分の頑固さによって法王庁からの警告を無視して、
間違った教えを広め続けたこと、そして、それによって自分の大切な
人々を処刑台に追いやってしまったことに対する慚愧であった。 X修道士は、慚愧にむせびながら、このように願ったのだった。
「次に転生することができたなら、私は、この頑固さを砕きたい。
そして、真の教えを説いて人々を救済したい。
その願いが適うなら、私はどうなってもかまわない。
どれほど厳しい目に遭ってもかまわない。」
その時、X修道士を御慈愛あふれる眼差しで、じっと見つめておられる方が
おられることに気づいた。今度は、その方の想いが、私の中に流れ込んできた。
その方の想いも、なかなか言葉にしづらいものであるが、あえて言葉にすると、
次のようなものであった。
「解ったよ。解ったよ。
あなたの願いを適えてあげよう。
望み通りの人生をあなたにあげよう。」
その時、私の中に一つの自覚が起こった。それは、次のようなものであった。
「私はこの方を知っている。
この方こそ、大宇宙を創造された方。
大宇宙そのものである大いなる存在、神である」 私は、X修道士は、渡辺氏の過去世ではないかと思っている。その理由は、
渡辺氏は以前に「Y修道士」という過去世があることをブログに書いておられたが、
X修道士の人生と、Y修道士の人生とが、とてもよく似ているのだ。
そして、神がX修道士に約束されたことと、今生の渡辺氏の人生とが、妙に
符合しているように思えるのだ。つまり、
「頑固さを砕くこと=信次先生から頑固さを砕く鍛錬を頂いていること」、
「真の教えを説くこと=GLAで説くべき教えを既に信次先生から
伝授されていること」、ということになるだろう。
但し、二人の修道士が同一人物であるとすると、疑問点が一つある。
渡辺氏は、たしか、「Y修道士の人生は満足できるものであった」
ということをブログで述べておられたと記憶している
(ブログのコピーは取ってなかったので、うろ覚えだが)。
一方、私が感じたX修道士の「慚愧」は実に激しいもので、X修道士の
人生は「満足」という言葉とはほど遠く、むしろ真逆である。
この点からすると、「二人の修道士は別人」という考え方もできるだろう。 これは、私の想像だが、啓示に登場したX修道士と、渡辺氏の過去世の
Y修道士とは、おそらく同一人物である。そして、渡辺氏は、少なくとも
ブログを書いた時点では、Y修道士が抱いた「慚愧」を思い出していなかった
ために、「満足できるものであった」と述べられたのだろう。
この想像が正しいとすると、いずれ渡辺氏自身にも、Y修道士の「慚愧」
が開示される時が来るだろう。もしかすると、既に開示されている
のかもしれない。
何れにせよ、神は既に信次先生を遣わされ、渡辺氏との約束を果たされた。
次は、渡辺氏自身が神との約束を果たさなければなるまい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています