【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 心行って会内部ではまだ売ってるんじゃないの?
むか〜しわけてもらったけど500円だったわ。 「菩薩の存在を信じられない」という人間に「信じよ」と言うのは無理な話だ。
しかし、あと数年すれば、否が応にも認めざるを得なくなるだろう。
快苦に縛られ己の保身のために、関芳郎のような人間を放置してきた人々。
佳子先生が下さったテーマを関芳郎とともに放置してきた人々。
煩悩の泥沼にうごめく、その人々が覚醒し動き始めるだろう。
そして、その中から次々と菩薩が誕生してくるだろう。
それは、土くれの中から湧き出してくる菩薩、「地湧の菩薩」として
法華経の中に予言されたことである。あと近年中にその予言が具現してゆくだろう。
問題は、「地湧の菩薩」の誕生のために「佳子先生の死」が条件になるかどうかだ。
対象となる人々が「佳子先生がどうにかされる」などという幻想に浸っているなら、
神は佳子先生を天上界に召し上げられることになるだろう。 >>632
心行の経文だけの薄いのは大きな講演会場では500円で販売してた
心行と細かい解説付きの厚いほうは公で販売されてなかったな
詳細を言うと装丁も皮革っぽくて表紙文字も金色と銀色のパターンがあった
会場で販売されてた500円の装丁はそれなりに安っぽい
>>633
「神対応」という言葉が普通に使用されている世の中で
自分にとって都合が良くて素晴らしい人を「神」と呼ぶんだから
神より下の菩薩になろうとする時代じゃないでしょ
もう予言とか信じるのやめたほうがいいよ
聖書の予言から始まってノストラダムスの大予言やら高橋信次の予言や
高橋佳子ミカエル天使長大菩薩女神様の真創世記黙示録の予言も的中したがことない
未来だのいつかだの数年後だの具体的な事も根拠もない事は誰でも言えるホラでしかない S行なんて名称は心経からのアレンジだろう
遊び心で真理を神理と弄くった幼い心理と同じパターンなのは明白
売れ残った経文を教祖は嘆いていたが一向に売れ行きは芳しくなく
そのままフェードアウト
そりゃそうだろ難解な経文を否定した話に賛同して集まったのが大半の信者だったのだからw
ましてやあの内容ではねw
しかもS行を作成したのはH田氏なんでしょ? >>633
>「菩薩の存在を信じられない」という人間に「信じよ」と言うのは無理な話だ。
菩薩の意味
わかってないよね君w
>しかし、あと数年すれば、否が応にも認めざるを得なくなるだろう。
それにしても下手な告知だなw
悔しければ詳しく説明してみなされw
思わせぶりな予見めいた子供騙しの法螺話は何十年も前からの伝統芸w
莫迦過ぎますw >>635
H田氏って堀田さんですか?
知らない人のために補足すると、堀田さんは三宝出版の元社長で
信次さん亡き後にGLAから分派して新たに教団作った人
詳細は「偕和會」でぐぐってくだせぃな
どの宗教にも言える事だけど退会しようが脱会しようが
何かに依存しようとする心から脱却しない限り次の心の拠り所探しで
人生終了どすぇ >どの宗教にも言える事だけど退会しようが脱会しようが
>何かに依存しようとする心から脱却しない限り次の心の拠り所探しで
>人生終了どすぇ
それ今この方がやっています。
ttps://twitter.com/kiminori_sasaki 私は、GLAが全体として成長を遂げてゆくためには、
「弟子の力を100%出し切る」ということが欠かせないと思う。
「弟子の力」というのは、勿論、「GLA会員3万人の総合力」ということ
であり、そのごく一部の人間のみ(例えば関芳郎や茶坊主どものみ)の
力がどうであろうが、関係ない。
弟子の力を100%出し切ったならば、
「GLAを憂う元会員」が公開したものよりも優れたヴィジョンを打ち出す
ことができるはずだ。
なぜなら、「GLAを憂う元会員」が持っている経験、見識は、
「GLA会員3万人」が持っている経験、見識に、絶対に勝てるわけはない
からだ。さらに、「GLAを憂う元会員」が公開したヴィジョンのうち、
「そのまま使える」と思われるものは、そのまま使ってよいわけであるし、
「これは変更する必要がある」と思われるものは、変更すればよいわけである。
すると、「最終的な出来」は、「GLAを憂う元会員」が公開した
ヴィジョンよりも劣るはずなど無いのだ。 「弟子の力を100%出し切る」というのは、言葉を変えると、
「佳子先生は既にこの世におられない」ものと受け止めて、頂いた
テーマに対して弟子が100%の責任を担うということでもある。
ただ、弟子の力を100%出し尽くしたとしても、佳子先生からすれば、
それは百点満点で40点ぐらいの点数しか付かないかもしれない。
ならば、そのとき、佳子先生は「残りの60点を取るにはどうするか」
ということをご指導下さるだろう。すると、そのご指導によって、
GLA全体に蓄積される智慧のレベルが、上がるだろう。
一方、弟子が100%の力を出し尽くしていないのにご指導を
下さっても、それはあまり身につかないと思う。それゆえに、とにかく、
「100%の力、GLA会員3万人の総合力を出す」ということが、
場全体の成長を果たしてゆくためには、最低限の条件ではないかと思うのだ。 ここで、弟子の中に、佳子先生を頼ってしまう傾向があれば、
佳子先生の顔色を伺い、「佳子先生からご指示があるまで何もやらない」
という行為に走ってしまいがちになる。すると、「100%の力、GLA会員
3万人の総合力を出す」という最低限の条件すら満たせなくなってしまうのだ。
その場合には、「最低限の条件を満たす」ために、佳子先生にはご帰天
して頂くしか、道はなくなるだろう。
しかし、最初から「佳子先生は既にこの世におられない」ものと受け止めて、
頂いたテーマに対して弟子が100%の責任を担ったらどうだろうか?
上述のように、佳子先生は、「100%」をさらに上げてゆうく
ご指導を次々と下さるであろうし、それによって、GLAの場全体を
成長させてゆくことができるだろう。
このように、弟子が「佳子先生のご指示、ご指導」というものを
当てにしたならば、それは佳子先生の死を早める結果につながるだろう。
一方、弟子が「佳子先生のご指示、ご指導」というものを当てにしなければ、
多くのご指導を頂けて、それだけ場を成長させてゆくことができるだろう。 佳子先生の運命は、3万人のGLA会員が握っている。
3万人のGLA会員が「これから佳子先生に何をして頂きたいと望むのか?」
ということによって、佳子先生の運命は決まるのだ。
否、佳子先生の運命は、「これを読んでいるあなた」が握っている
と言ってもいいかもしれない。
佳子先生には、「100%の力、GLA会員3万人の総合力を出す」という
最低限の条件をクリアするために、ご帰天頂くべきだろうか?
本当に、そんな事のために、佳子先生の命を使って頂いても良いのだろうか?
それとも、「100%の力、GLA会員3万人の総合力を出す」という
最低条件は弟子のみでクリアし、佳子先生には、さらなる飛躍を遂げる
ご指導をして頂くために、命を使って頂くべきだろうか?
それを選ぶのは、あなたである。
そして、あなたが選んだ通りの現実が起こるだろう。 >>639-642
これ佳子先生が読んだら怒るだろw >>643
佳子先生は、何よりも弟子の成長を願っておられるよ。
もし、ご自身が成長のために邪魔になるなら、この世を去られるだろう。 佳子先生は全人類の救世主だって言ってたからそれはないんじゃない?
弟子以外の人類はどうなるの? 佳子先生は全人類だけではなく、天上界も御守りしております。
そして宇宙は信次先生が見守っているのでもっと壮大な観点で妄想しましょう。 >>645 >>647
佳子先生一人で全人類を救うことはできません。
全人類を救うためには、弟子が覚醒しなければならないのです。
そして、弟子の覚醒のために必要ならば、
神は佳子先生を召し上げられるでしょう。
ただ、「佳子先生の死」が無くても弟子が覚醒できたなら、それが最善でしょうし、
佳子先生にもご帰天して頂く必要がなくなります。
そうなることを私も願っています。 > 全人類の救世主
全人類を救済してゆくために、何が必要なのか考えたことがあるかね?
例えば、イスラム圏では、イスラム以外の宗教は厳しく制限される。
中国でも、宗教団体は、政府から監視され干渉される。
日本のように、自由に進められる国は、むしろ少ない。
「こんな政府では伝道なんてできません」という腐れ根性では、
何一つ進めることなどできないだろう。その腐れ根性を打破することが
世界伝道に向けて、最初に果たさなければならないことだ。
「こんな政府では伝道なんてできません」という腐れ根性は、現在のGLAでは
「変な社会発信がされたのは関芳郎が馬鹿だからです。自分は知りません」
「佳子先生から具体的な指示をもらってないので、千年構想なんてできません」
という形で現れている。
それを打破しない限り、先には進めない。そのために必要とあらば、佳子先生は
ご帰天されるだろう。おそらく、このままでは、関芳郎よりも先に佳子先生が
ご帰天されることになるのではないかと危惧している。 信仰心なしでは生きていけない三万人の信者は、藁をもすがる思いで kさんに宗教的依存
対するkさんは三万人の信者がいなければ唯の人でしかない
こんな人々が100パーセントの力を発揮しても、まともな一般人一人にすら敵わないのが現実である 側近一人救えないのに全人類救済だとか誇大妄想にもほどがあるというか
主張内容が馬鹿過ぎて片腹痛いw >>648
まるでわかってないね
信仰心も教えも全て完全に捨てる
これが無ければ覚醒しないよ >>649 の続きだが、
> 腐れ根性を打破することが
> 世界伝道に向けて、最初に果たさなければならないことだ。
腐れ根性を打破するためには、「人類救済の願い」を確かにしなければならない。
「人類救済の願い」を確かにするためには、佳子先生の御心を自らの心に
写し取らせて頂くことが、最前の道であろう。
佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて頂くためには、
霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf )が必須であろう。
そのような意味では、霊操行に取り組むことが、弟子による具現を果たしてゆく
第一歩と言えよう。勿論、霊操行だけで終わってはならない。霊操行で育んだ
「因」によって行動を起こしてゆかなければならない。
それこそが、佳子先生の早死を避ける唯一の策であると思う。 ボトックスやヒアルロン酸を注入してるっぽい顔だよね 嘗ての鈴木その子だっけ、作りは似てるから同じ美容外科かな ジュセリーノの正体(字幕)インチキを暴いたブラジルのTV
https://www.youtube.com/watch?v=ftQgd0pomG8
有吉弘行【池田の発言】「霊能力者ってすげーな、嘘で飯食ってるんだもんな etc」140817 <有吉 毒舌ラジオ>
https://www.youtube.com/watch?v=IvHGRE6mzPc 既に述べたように、今生の人生で菩薩になるべき人々が、佳子先生から
頂いたテーマ(千年構想、7つのプログラム)を放置し続けたなら、
佳子先生が早逝されることになるだろう。それは、例えば数年以内であり、
少なくとも関芳郎よりも先に逝去されるであろう。
私は、佳子先生が早逝された時に発するであろう言葉を「今、発するように」
との神からの促しを感じた。なぜ、先走って、その言葉を、今の時点で
発する必要があるのだろうか?
その一つの理由は、佳子先生が早逝された時の後悔を今味わうことができれば、
頂いたテーマに向かえるようになり、佳子先生の早逝を避けられるからだろう。
もう一つの理由は、佳子先生の早逝が避けられなかった場合には、対象者である
人々には、その意義をより深く受け止めて頂き、意義を全うして頂くことが
できるからだろう。佳子先生が早逝された後になって、その解釈を語ることは
誰でもできるだろう。しかし、肉の目にその兆候が映らない現時点で、語られた
意味こそが真実である。
佳子先生が早逝されたならば、私は、以下のような言葉を発するだろう。 佳子先生を死に追いやったのは、あなたの因ではないのか?
佳子先生は菩薩になりたい、とのあなたの切なる願いに応えられ、
菩薩になってゆくためのテーマ(千年構想、7つのプログラム)を
あなたのために準備されたのだ。
しかし、あなたは頂いたテーマを放置してきたであろう。
テーマを放置したのは関芳郎であると、あなたは言うかもしれない。
しかし、あなたは関芳郎を放置してきたであろう。
ならば、あなた自身が、頂いたテーマを放置してきたのだ。
あなたは、なぜ、頂いたテーマを放置してきたのか?
それは、あなたが快苦に縛られ、快苦に翻弄されてきたからだ。
頂いたテーマを遂行してゆくことは、簡単ではない。面倒=苦なことである。
さらに、頂いたテーマを遂行してゆくことは、それを放置しようとする
関芳郎と対立することである。関芳郎に睨まれることは面倒=苦なことである。
関芳郎に媚び、関芳郎を放置し、頂いたテーマを放置することこそが、
楽=快なことである。 イエスキリストは、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを
恐れてはなりません。」と言った。関芳郎に一体何ができるのか?
関芳郎にできることは、せいぜいあなたを退会させることぐらいだ。
「からだを殺すこと」すらできない。
なぜ、そのような人間を恐れ、そのような人間に媚びてきたのか?
それは、あなたが快苦に縛られ、快苦に翻弄される人間だからではないのか。
また、あなたは頂いたテーマに対して、「佳子先生が動かれるべきだ」
「佳子先生が、もっとコーディネートされるべきだ」「関芳郎を動かす
にしても佳子先生がされるべきだ」などと考えていたのではないか?
なぜ、そのように考えたのだろうか?それは、その方があなたにとって
楽=快だからであろう。
快苦に縛られたあなたは、頂いたテーマの大切さを見ようとせず、
佳子先生の顔色をうかがい、佳子先生が動いて下さることをひたすら
待っていたのではないだろうか。すると、佳子先生は、あなたの修行
にとって、最大の邪魔者になったと言えるだろう。否、ひたすら快を求め
苦を避けようとするあなたの因が、佳子先生を最大の邪魔者にしてしまったのだ。
佳子先生は、必ず菩薩になれる道を整える、とあなたに約束された。
佳子先生は、御自身が最大の邪魔者になったため、あなたとの約束
を果たされるために御帰天されたのだ。 再び問う。佳子先生を死に追いやったのは、あなたの因ではないのか?
あなたは、佳子先生を死に追いやった自らの因を、しっかりと見つめ、
それを超えてゆかなければならない。
しかし、佳子先生が御帰天された今、その事を嘆いてばかりいても仕方ない。
佳子先生が御帰天されたのは、あなたとの約束を果たすためであり、
あなたに対する御慈愛の証である。
次は、注がれた御慈愛にあなたが応え、あなたが約束を果たさなければならない。
それは、あなたが智慧を尽くし、力を尽くし、頂いたテーマに挑戦することである。
頂いたテーマに挑戦することには、様々な困難が伴うだろう。
しかし、あなたが菩薩になるために必要なものは、全て与えられている。
全てを与えたからこそ、佳子先生は御帰天されたのだ。
全ては一人の菩薩を生むために、されたことなのだ。 つまりはセッキーをポア汁!と言いたいのだな。
ああ恐ろしきカルト思考。
目的が遂行されないのは邪魔者がいるからだ。
だから邪魔者を探し出し始末すればいいのだ!
安直且つ短絡的な発想は魔女狩りそのもの。 関芳郎を放置し、それによって佳子先生から頂いたテーマ
(千年構想、7つのプログラム)を放置し続けた人々に私は問いたい。
あなたは、佳子先生から頂いたテーマを関芳郎が放置しているのを
知りながら、なぜ動かなかったのか?
また、GLAを憂う元会員が、自らの退会と引き換えに、その問題点を
提起し、具体的なヴィジョンを示したのに、なぜ、あなたは動かなかったのか?
また、「7つのプログラム」の「研鑽の充実」を思い出してみるがよい。
総合本部の方針案では、地域拠点の研修として「基本ライフスタイル研修」
と称するものが掲げられていた。一方、GLAを憂う元会員は、
「地域拠点の研修とは止観シート研修である」ことを示したであろう。
http://file.copyman.syoyu.net/GD.pdf
佳子先生は、その何れが正しいのか、明確な解答を示されたではないか。
それなのに、なぜ、あなたは動かなかったのか? 佳子先生が信次先生の遺骨を祀られた理由と考えられるものは、次のリンクにある。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640
しかし、2014年、佳子先生が信次先生の遺骨を祀られたとき、あなたはその意味が
全く解らなかっただろう。それは、佳子先生の御心と、あなたの心が完全に乖離している
ことの証拠だ。そのような証拠を突きつけられたのに、なぜ、あなたは動かなかったのか?
これらの問いの全ての答えは、「あなたが快苦に翻弄される人間であり、
ひたすらに快=楽を追及してきた人間であるからだ」としか言いようがない。
そのようなあなたの因、あなたの行動こそが、佳子先生を死に追いやりつつあるのだ。
しかし、「佳子先生の早逝」は、まだ神によって最終決定されたことではない。
あなたが過去を悔い、その後悔を基として覚醒し、頂いたテーマに愚直に向かって
ゆくならば、まだ間に合うのだ。「佳子先生の早逝」は避けられるのだ。 >>669
君の主張通りであるのなら、放置したのはトップであり会員には関係ない。
トップを責められず一般会員に責任を擦り付けるのは狂信者の成せる業ゆえ。
>>670
快苦に翻弄される人間が遺骨などを崇拝するわけですよ。
教えという形でストイックな要求をしておきながら一方でこのザマなんだから呆れるわ。 >>670
先生の早逝についてだが
何歳を分岐点に早いと判断してるんですか?
仮に関氏より早かった場合
それは神の意思であると認められますか?
具体的な根拠も含めて答えてください。
必ずね。 先生が早期に逝去された後は関氏が後継となり全権を任せられるだろう。
彼の説が正しければ、これは神の御意思であり誰も口を挟めないという訳だ。 >>671
> 君の主張通りであるのなら、放置したのはトップであり会員には関係ない。
> トップを責められず一般会員に責任を擦り付けるのは狂信者の成せる業ゆえ。
「そうだよね。そもそも関芳郎を総合本部長に任命したのは、佳子先生だったよね。」
「任命しておいて、関芳郎のやりたい放題を放置しているのも佳子先生だよね。」
「関芳郎の不始末は、全部、佳子先生に尻拭いして頂かないと、おかしいよね」
…そのような想いこそ、自らに与えられた修行を拒否して、佳子先生を動かそう
とするものである。それは、自らの修行のために佳子先生が邪魔者になっている
ということであり、佳子先生の死を早める結果を招くだろう。 >>672
> 先生の早逝についてだが
> 何歳を分岐点に早いと判断してるんですか?
何歳か具体的には解らない。
しかし、このままでは、確実に関芳郎よりも先に逝去されるだろう。
> それは神の意思であると認められますか?
> 具体的な根拠も含めて答えてください。必ずね。
「この世に偶然なるものはないのだ すべては神のみ心のままに」
という佳子先生のお言葉が根拠である。
>>673
> 先生が早期に逝去された後は関氏が後継となり全権を任せられるだろう。
> 彼の説が正しければ、これは神の御意思であり誰も口を挟めないという訳だ。
徳川幕府が成立したのは神の御意志である。
しかし、徳川幕府に口を挟んだ人々がいて、徳川幕府を倒し
明治維新が成立したのも、神の御意志である。 >>674
>・・・そのような想いこそ、自らに与えられた修行を拒否して、佳子先生を動かそう
> とするものである。
拒否云々以前に、そもそも何処の誰にも与えられた修行など存在しませんが。 >>675
>>>672
>> 先生の早逝についてだが
>> 何歳を分岐点に早いと判断してるんですか?
>何歳か具体的には解らない。
>しかし、このままでは、確実に関芳郎よりも先に逝去されるだろう。
ここでは、解らないと正直に告白しているが僅か数十秒前に>>674では
>それは、自らの修行のために佳子先生が邪魔者になっている
>ということであり、佳子先生の死を早める結果を招くだろう。
と断言している。 S氏に不信を抱いている会員が存在するなら既に脱会しているはず。
彼の理屈が正しいのならK子氏は、とっくに逝かれているわけですが、いまだ健在なのは変ですね。
>徳川幕府が成立したのは神の御意志である。
>しかし、徳川幕府に口を挟んだ人々がいて、徳川幕府を倒し
>明治維新が成立したのも、神の御意志である。
それぞれ人の意志が国の命運を決定づけました。
神の意志など御座いません。
神というのは人を駒のようにして戦争ゲームをして楽しんでるんですか?
そんな神など御免ですね。
君の主張する神の御意志なるものの存在価値は
紙の碁石でしかないのですよ。 TS氏のお墓は無いと聞いています。
そうなれば遺骨の処置には嘸かし困り果てた事だろうなと推察されますよね。
後に続く身内分の事情も考慮しなければならず・・・
そこで生み出された苦肉の策がアレだったのかもしれません。
多くの会員が抱いた疑問はコレだったのかも。
あくまで邪推の域を脱しませんが。 >>584 で述べたことを繰り返すが…
http://copyman.syoyu.net/Date/20140106/
ここに試算がある通り、「菩薩ではない人」が菩薩になることは、まず不可能
なことであり、数万年に一度程度しか起こらない例外中の例外の出来事である。
では、何故、菩薩は滅多に誕生しないのだろうか?
菩薩になるためには、ある「壁」を超えなければならず、
「壁」を超えられない限り、次の人生でやり直しになるのだろう。
では具体的に「壁」とは何だろうか?それは、既にあなたの目の前にある。
「関芳郎が問題なのは解る。千年構想も、7つのプログラムもGLAにとって
必要なものなのだと思う。しかし、佳子先生が動いてくれないかな?いや、
先生以外の誰か他の人でも動いてくれないかな?自分から動き出すのは嫌だ」
…その「想念」こそが神界と菩薩界を隔てる「壁」ではないだろうか。
おそらく、過去世においても、その「壁」こそが、あなたが菩薩になることを
阻んできたのだ。勿論、「壁」の具体的な内容は、その時代その時代において
全く異なるものではあるが、ある側面から眺めると、全く同じような「壁」
だったのではないだろうか。 しかし、今生の人生では、過去世と全く異なる点がある。それは、あなたが
絶対的な信を置ける相手、すなわち「佳子先生」がおられるからだ。
あなたが「佳子先生」に対する信を持てるならば、「佳子先生の智慧を少しでも
自分に写させて頂きたい」と思えるのではないだろうか。ならば、それは
霊操行に取り組んで内を変革してゆく動機になるだろう。
また、「佳子先生」に対する信を持てるならば、「自分では今一つ得心が持てない
テーマであっても、佳子先生が示されたテーマなのだから挑戦してみよう」
と思えるのではないだろうか。ならばそれは、実践を通じて内と外をつないでゆく
動機になるだろう。
「佳子先生」に対する信を基として、「内を変革してゆくこと」、「内と外を
つないでゆくこと」を深めてゆける点が、あなたの過去世にはなかったことなのだ。
そして、それを深めてゆくことによって、超え難かった壁を超えてゆく道が付いて
ゆくだろう。願わくば、「佳子先生の早逝」が起こる前にそれを実現してほしいと思う。 >>682
> 「関芳郎が問題なのは解る。千年構想も、7つのプログラムもGLAにとって
>必要なものなのだと思う。しかし、佳子先生が動いてくれないかな?いや、
> 先生以外の誰か他の人でも動いてくれないかな?自分から動き出すのは嫌だ」
>…その「想念」こそが神界と菩薩界を隔てる「壁」ではないだろうか。
一向に動こうとしないK先生は、会で言われてるようなプロフィールとは違って
菩薩の壁すら越えていない存在だったんですね >>683
>しかし、今生の人生では、過去世と全く異なる点がある。それは、あなたが
>絶対的な信を置ける相手、すなわち「佳子先生」がおられるからだ。
講師や噂に唆されて信ずるしか能のない人間へと改造されたみたいだねw
>あなたが「佳子先生」に対する信を持てるならば、「佳子先生の智慧を少しでも
>自分に写させて頂きたい」と思えるのではないだろうか。
思いませんw
>ならば、それは
>霊操行に取り組んで内を変革してゆく動機になるだろう。
なりませんw
>また、「佳子先生」に対する信を持てるならば、「自分では今一つ得心が持てない
> テーマであっても、佳子先生が示されたテーマなのだから挑戦してみよう」
>と思えるのではないだろうか。ならばそれは、実践を通じて内と外をつないでゆく
>動機になるだろう。
テーマを掲げた当事者が知らん顔状態では
いったい誰の心に挑戦しようという動機が生まれるのかねw >「佳子先生」に対する信を基として、「内を変革してゆくこと」、「内と外を
> つないでゆくこと」を深めてゆける点が、あなたの過去世にはなかったことなのだ。
信を基としたら内など変革出来やしませんw
道理が解からないまま他人の意見を鵜呑みにしてるからでしょうなw
自分の過去世をまともに語らず
他人の過去世だけを好き勝手に論評する自称霊能力者どもの下らない話をよく信じてるなw
>そして、それを深めてゆくことによって、超え難かった壁を超えてゆく道が付いて
壁を作るだけだよ
増やすだけだよw
> ゆくだろう。願わくば、「佳子先生の早逝」が起こる前にそれを実現してほしいと思う。
まったく因果関係なしw
そんでもって早かろうが遅かろうが
どこの誰にも影響しないし
語り継がれもしないだろうな >>663-666 は、
> 佳子先生が早逝されたならば、私は、以下のような言葉を発するだろう。
というテーマで書いたが、これに付け加えたい。
それは、シモン・ペトロのことだ。イエス・キリストが存命中、ペトロは
弱い心を持っていた。一晩のうちに、3度もイエスを知らぬと言ったのだ。
しかし、この事件によって、ペトロには見えていなかった自らの内面が見える
ようになったのだろう。最後は、殉教するために自らローマに戻り、
逆さ十字架にかけられて殉教するという、岩の如き強さを示せたのだ。
佳子先生が早逝されたならば、あなたは現代のペテロになればよい。
佳子先生の存命中、あなたは弱い心を持っていた。快苦に縛られ、
ただ快を求めて苦を避けるために、関芳郎のような人間を放置し、その結果
佳子先生から頂いたテーマを放置し、佳子先生の早逝を招いてしまったのだ。
しかし、佳子先生の早逝によって、あなたは見えていなかった自らの内面が
見えるようになったではないか?ならば、その事を糧として、
ペトロの如く、自らの弱さを克服してゆけるのではないだろうか。 本人に直談判出来ない者が
他人様に対して命令を下し
実行不可能なら心が弱いんだと断定非難している
残念ながら此処では決して珍しくない光景だ
実際には上から下までこの状態と評しても過言ではない
他者に超厳しく自分に超甘く
これがカルトのクオリティ
偽善者集団乙! >>690
> 偽善者集団乙!
偽善者集団とはGLAのことか?
佳子先生に向かって「世界に満ちる困に立ち向かってゆきます」
などと誓願しながら、関芳郎のような人間を放置し、結果的に
「千年構想」や「7つのプログラム」を放置しているような人間を
「偽善者」と呼ぶなら、GLAは「偽善者集団」に相違ないだろう。
しかし、彼らは「偽善者」というよりは、心が弱いだけなのだ。
ペテロも最初はそうだった。弱い心の持ち主であった。しかし、
イエスキリストの死後、ペテロは覚醒し劇的な変化を遂げた。
近い将来、GLAにも同様の事が起こる。
それは神の御意志に相違ないことなのだ。
残った問題は、「そのために佳子先生の早逝を伴うのかどうか」
ということだ。だから、「佳子先生の死の前に覚醒したらどうか」
と言っているのだ。 http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php
> 大いなる存在の光が常に注がれ、見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと共に奉納できることは、
> 魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、このうえない誇りにほかなりません。
本スレを見ると、上(↑)の愚かな記事に対して、色々と解釈を巡らせている人がいるようだ。
解釈を巡らせて、要するに、この愚かな書き込みが「大した問題ではない」と言っているようだ。
では、「何に基づいて」解釈をしているのかというと、その人がGLAで体験したことが解釈の元に
なっている。ならば、その解釈は、全くの見当はずれとしか言いようがない。
GLAホームページは、読者として誰を対象としているのか?それは、GLAについて
全く知識の無い人、GLAについて全く縁の無かった人を対象にしているのだ。
だから、そのような人が形成するであろう理解、抱くであろう印象を
基準にしなければならないのだ。 それが解らない人のためには、固有名詞を変えてみるのもいいかもしれない。
「山田一郎」という人が創設した「QLA教団」という教団ものがあったとして、
「QLA教団」の納骨堂のページに、次のような文章があったとする。
「大いなる存在の光が常に注がれ、見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
とりわけ、祖師山田一郎先生、そして、あまたの求道者たちと共に奉納できることは、
魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、このうえない誇りにほかなりません。」
あなたは、この文章を読んで、「QLA教団」に対して、どのような理解を形成
するだろうか?また、どのような印象を持つだろうか?
「山田一郎という人の遺骨とともに納骨することがQLA教団の人にとって
歓びで、このうえない誇りなんだね。変な人たちだね」とは思わないだろうか?
それは、そっくりそのまま、世間の人がGLAに対して形成する理解、
GLAに対して持つ印象と、同じなのだ。 このように、固有名詞を置き換えてみれば、>>693 で引用した文章は、
「馬鹿が書いた馬鹿丸出しの文章」であり、GLAを貶め、佳子先生を貶め、
GLA会員を貶める文章であり、GLAのことをよく知らない人々に、
重大な誤解を与えることが明白に理解できるだろう。
しかし、様々な理屈をこねて、>>693 で引用した文章を、「何らかの
意味がある文章」、あるいは「大して気にする必要の無い文章」
であるかのように理解しようとする人がいる。あるいは、
何も考えない「思考停止」に陥ろうとする人がいる。
あなたが、そのように動いているなら、それはなぜだろうか?
それは、あなたが「快苦」に縛られているからである。
「何らかの意味がある文章」、「大して気にする必要の無い文章」
ということにしてしまえば、あなたはそれ以上、何も考える必要がなくなる。
あるいは、思考停止に陥ることによって、何かをする必要を思いつくこともない。
そうすることが、あなたにとって「楽」だから、
あなたは「楽」な方向に進んでいるだけなのだ。 一方、あるがままに事実を見れば、すなわち「如実知見」を心掛けた
ならば、>>693 で引用した文章は、「馬鹿丸出しの文章」である
ことが明々白々である。
しかし、それを認めることは、あなたに「苦」をもたらすだろう。
仮に、あなたが「当該文章は馬鹿丸出しの文章である」と認めたとしよう。
ならば、あなたは、そのような文章が、なぜGLAの公式発表として
社会に垂れ流しにされているのか、その原因を考えなければならない。
その原因は何だろうか?それは、佳子先生が2008年に下さった
「社会発信力の強化」というテーマを放置してきたからだ。放置したのは、
直接的には関芳郎である。
しかし、あなたは、佳子先生が下さったテーマを関芳郎が放置してきたのを
見てきただろう。見ていながら、関芳郎を放置したのはあなたであろう。 >>693 で引用した文章が、「馬鹿丸出しの文章」であると認めることは、
そのようなものが掲載された責任があなた自身にあることを認め、
あなた自身がその責任を取ることにつながってゆくのだ。
そして、それは当然、あなたと関芳郎との間に確執が生まれることにもつながる。
それは面倒であろう。「苦」であろう。だから、あなたは認めたくないのだ。
「馬鹿丸出しの文章」に何らかの意味があるかのように考えたり、
「思考停止」の状態に陥るという手を使って、あなたは「苦」を退け、
「快」を追い求めているのだ。
あなたは、目を覚まして、その現実を直視しなければならない。
もし、あなたが目を覚まさないのであれば、…
もし、あなたが直視しないのであれば…
もし、あなたが快苦に縛られたまま、「苦」を退け「快」を追及する
態度を続けるならば、…
何度も何度も同じことを言うが、あなたの目を覚まさせるために
「佳子先生の早逝」ということが避けられなくなってしまうのだ。 今回のGLAを憂う元会員氏の私見はユーモアがあっておもしろい。
山田一郎のQLA教団のたとえ話といい
「馬鹿が書いた馬鹿丸出しの文章」といい
笑わせてもらった。
キレがある。
いいね。 >>696 に書いた「社会発信力の強化」について補足説明すると、これは
「より多くの方々に、先生、神理を理解し、生きていただく
ために、地域、社会、世界に広報していくためのシステムを整える」
というものであった。
整えてゆく「システム」が最終的に如何なるものになるのか、
具体的な解答を今述べることは難しい。「先智慧→実行→後智慧」
のサイクルを何度も回してゆくことにより、その内容が明らかになって
ゆき、青写真に近接してゆくだろう。
ただ、「システム」として単純極まるものを考えると、例えば
次のように「起案者」と「承認者」の二人で構成されるシステムを
挙げることはできるだろう。
・「起案者」は社会発信内容を起案できるが、「承認者」が承認
しない限りその内容を発信できない。
・「承認者」は「起案者」が起案した社会発信内容を承認できるが、
自らは「起案者」にはなれない。
このような「起案者」と「承認者」のたった二人で構成される
「単純極まるシステム」であっても、愚かしい内容が社会発信
されることを、かなりの確度で防止できる。それは、「起案者」
と「承認者」のうち、どちらか一方が愚かしい事を考えても、
他方がそれに気づけば、その内容は社会発信されずに済むからである。 そして、現状のGLAでは、「馬鹿丸出しの文章」が社会に垂れ流しに
されている。これは、上に挙げた「単純極まるシステム」と同程度のもの
すら、GLAには構築されていないということを意味する。
「社会発信力の強化」というテーマを佳子先生から頂いて、10年以上
が経過した。この期間、関芳郎は、頂いたテーマに対して、全く何も
取り組まず、放置したことが明らかであろう。そして、あなた自身が
そのような関芳郎を、10年以上も放置しづけたのだ。
なぜ放置したのか?関芳郎もあなたも、「怠慢」に生きることで
「快」、「楽」を追及する同志であったのではないのか?
「快」、「楽」を追及する同志が響きあい、「怠慢」のエネルギーを
交換してきたからではないのか?
ならば、「GLAの公式発表」という形で、「馬鹿丸出しの文章」が垂れ流しに
されている現状は、10年以上に渡る、関芳郎とあなたの「怠慢の響きあい」
の結果ということになるだろう。
その結果を受けて、あなたはどうするつもりなのか?
愚かな放置プレイをまだ続けるのか?
もし、そうであるならば、あなたを目覚めさせるために、
「佳子先生の早逝」が避けられなくなるだろう。 >「馬鹿丸出しの文章」
宇宙で一番偉大なる あの先生公認だろ? 佳子先生がご帰天された後、GLAがどうなるか考えてみた。
GLAの方針は、弟子が神意・青写真にアクセスして決定してゆくが、
弟子の力が及ばない場合には、「天上界からの通信」という形で
佳子先生がご助力下さることもあるだろう。
しかし、「通信」というものには恐ろしい面がある。それは、悪魔が
佳子先生のふりをして通信してくることがあるからだ。通信を受ける側の
人間は、通信の内容が神意に適うのか否か見極める力を持たなければならない。
その力が無ければ、佳子先生がご助力を下さろうとしても、
ご助力を頂くことはできなくなるだろう。
ここで、一つ、仮定に基づいて思考実験をしてみたいと思うのだ。
現在、「人生祈念館には信次先生の遺骨が祀られていない」と仮定してみる。
つまり、2014年以前の状態であったとしよう。そして、その状態のまま
佳子先生がご帰天されたとしよう。
その後、「佳子先生と思しき存在」から、何人かの人が、「人生祈念館に
信次先生と私(佳子先生)の遺骨を祀れ」という通信を受け取ったとしよう。
さらに、「佳子先生と思しき存在」は、「遺骨を祀る理由」
( http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640 )
についても丁寧に説明して下さったとしよう。 この「遺骨を祀る理由」に共感して、「通信を送って下さったのは本物の
佳子先生である。ぜひ、ご指示に従おう」と主張する人はいるだろう。
その人々を「賛成派」と呼ぼう。
一方、「これは、悪魔が佳子先生に化けて、GLAを混乱させようとしているのだ。
絶対に従ってはならない」と主張する人もいるだろう。
その人々を「反対派」と呼ぼう。
「賛成派」は、佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて頂こうとしてきた人々、
千年構想の願いを自らの内に醸成してきた人々である。だから、「遺骨を祀る理由」
( http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640 )
に共感できるのだ。
一方、「反対派」は表面的に佳子先生に従ってきた人々であり、千年構想に
真剣に取り組んだことも無かった人々だ。つまり、千年構想をベースに置いた
ご指示には、全く共感できない人々だ。
さて、ここで問題だが、「賛成派」、「反対派」のどちらの意見がGLAの
方針になるだろうか? 残念ながら、現在のGLAの中で「賛成派」は、ごく少数だろう。
「賛成派」は「反対派」に押し切られてしまい、佳子先生のご指示、
すなわち「神の御意志」は具現されずに放置されるだろう。
佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて頂こうとせず
ただ口先で佳子先生を賛美し、表面的に佳子先生に従っている人々、
千年構想の願いを自らの内に醸成しようとせず
関芳郎とともに千年構想を放置してきた人々、
そして、そのような自らの現状を恥とも思わない人々、…
そのような人々は、佳子先生が御在世中の現在のGLAでは、
さほど障害になるわけではない。
しかし、上述の思考実験から解るように、佳子先生がご帰天された後、
そのような人々は、神、佳子先生の妨害者に変貌する。佳子先生が「通信」
という形でご助力を下さろうとしても、そのような人々が妨害者となるため、
GLA共同体は、ご助力を頂くことができなくなるだろう。
そのような人々の割合が多ければ、GLAは、どんどん神意から外れ、
おかしな方向に流されてゆくだろう。そして、2018年現在のGLAを眺めて
みるならば、このままでは確実にそうなるように思えてしまうのだ。 そのような事態を避けるためには、今からでも行ずることであろう。
霊操行を基として、自分の心を佳子先生の御心に合わせてゆくことである。
これは、「静中の工夫」になるだろう。
また、千年構想のヴィジョンを描き、その具現を進めてゆくことだ。
これは、「動中の工夫」になるだろう。
この二つによって、佳子先生がご帰天された後も、
必要な場合には、佳子先生のご助力を頂けるようになるだろう。 >>702-705 に書いたことを、もう少し具体的に考えてみた。
佳子先生がご帰天された後は、おそらく伝道研鑽部会がGLAの
最高意志決定機関になるだろう。その後のGLAでは、佳子先生のような
絶対的なリーダーは存在し得なくなる。
勿論、GLAのリーダーあるいは首脳部というものは存在するが、その任命、
解任の権限は、最高意志決定機関である伝道研鑽部会が掌握するだろう。
そして、首脳部は、伝道研鑽部会の賛同と承認が無ければ、何も進めること
ができなくなるだろう。
「人生祈念館には信次先生の遺骨が祀られていない」という仮定で、
「人生祈念館に信次先生と私(佳子先生)の遺骨を祀れ」
のような通信を、GLAの首脳部が、佳子先生から、理由の説明とともに
頂いたとしよう。そして、首脳部の全員がそれに共感、賛同できたとしよう。
しかし、首脳部は、伝道研鑽部会にその内容を説明し、賛同を得ない限り、
それを実現に移すことはできなくなるということだ。 既に述べたように、佳子先生がご帰天される時期は、案外早く訪れるのでは
ないかと思う。その後、誰かが(例えばGLAの首脳部が)佳子先生から通信を受け、
それを実現しようとしたとき、伝道研鑽部会が却下して足を引っ張って
しまうことが大いに予想される。
伝研生の意識を改革しなければ、それを防止することはできないだろう。
意識を改革してゆく第一歩は、1999年に佳子先生が示されたように、
千年構想の青写真にアクセスすることである。それは、そもそも千年後に
一体何を実現したいのか、明確なヴィジョン、願いを抱くことであり、
その願いを深め、その願いに収斂してゆくことである。
そして、GLAの方針について判断を下さなければならないときは、
必ずその願いに立ち返って判断することである。
そうすれば、未来のGLAで、佳子先生が通信によって
「人生祈念館に信次先生と私(佳子先生)の遺骨を祀れ」
のようなご指示を下さったとき、そのご指示に共感することができ、
ご指示を実現できるようになるだろう。 ところで集団帰依の話はどうなったんだよ。
全然その兆しすら見当たらないのだが。
意識改革が進まないと先生が早く帰天する。
その日は近いという話と矛盾するんだけどさあ。 >>710
何事にも、「順序」というものがある。
「7つのプログラム」のうち、特に、「研鑽の充実」、「人生同伴態勢の充実」、
「通信ネットワーク環境の整備」、「拠点の充実」は、現在のGLA会員、
つまり、「佳子先生の法を学びたい」という積極的な意志を持っている
人のために、佳子先生が下さったテーマである。
しかし、あなたは、その実現のために、まだ何もしていないだろう。
なぜ、何もしていないのか?
それは、「7つのプログラム」を遂行することに、特に「願い」が持てない
からなのだろう。あるいは、あなたは、快苦に縛られ、関芳郎のような
人間を恐れ、身動きが取れないのだろう。
だから、会員の皆様の現状をよく見て、願いを突き詰め、己の内にある
障壁を乗り越えて、「7つのプログラム」を遂行することだ。
それこそ、あなたが菩薩になってゆくために、佳子先生が最初に与えて
下さったテーマなのだ。それを果たさない限り、次の段階には、絶対に進めない。 「集団帰依」というのは、さらに上の段階にある。
「集団帰依」というのは、「自分は○○教団に入ったのに、○○教団が
GLAに帰依したので、自分はGLA○○本部の会員ということ
になってしまった。しかし、高橋佳子さんの説いていることは
よく解らないし、昔のままの○○教団のほうがよかったよ」
と言っている人を相手にするということだ。
あなたは、そんな人のために働けるだろうか?「7つのプログラム」
の実現のためにすら動けないなら、そんな人のために働けるはずがないだろう。
だから、今の段階では、「集団帰依」は時期尚早でしかない。
しかし、やがては、その段階に進むべきことは明らかだ。佳子先生が
信次先生の遺骨を祀られた理由は、その準備以外には考えられない。
あなた自身は、自覚できていないのかもしれないが、「集団帰依」という
方針が正しいのか否か、その解答はあなた自身の内にある。 解答を明確にするためには、千年構想に真剣に取り組まなければならない。
千年の後、一体何を実現したいのか、突き詰めて明確にすることだ。
千年構想を突き詰めてゆけば、やがていつの日か、集団帰依についても、
「自分の一切をかけて、何がなんでも実現したい」という
願いが湧出してくるだろう。それが解答である。
弟子が覚醒したとき、佳子先生が御在世中で、佳子先生からご助力を
頂ければ、集団帰依を進めてゆくにあたって得難い力になるだろう。
しかし、集団帰依の主役は弟子である。集団帰依は、これから未来千年に
渡って、世界各国で弟子が実現してゆくことである。
その点に関して、佳子先生が御在世中であるか否かは関係ない。 GLAを憂う元会員氏の書き込みを読み、個人的な分析だが
論理的で社会的観念からみると善人であろうと思う。
しかし、人間はつくづく真面目に間違う動物なのだと思った。 人間が作り出す「パラダイム」というものには侮れない力がある。
1776年、トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言には、
「全ての人間は平等に造られている」とある。しかし、ジェファーソンは
多くの黒人奴隷を所有していた。ジェファーソンは、奴隷増殖のために
自ら奴隷との間に子供をつくり、その子供たちを自分の奴隷にしていったのだ。
「黒人奴隷」は「全ての人間」には含まれていなかったのだ。
それは、今から見ると実におかしな話だが、当時としては、
おかしな話ではなかったのだ。
それを「おかしい」という人間が「おかしな人間」として扱われたのだ。
それが「パラダイム」というものだ。 そこまで遡らなくても、60年ほど前の米国でも、人種差別は公然と行われていた。
白人と黒人は、学校、図書館、レストラン、トイレ等の施設が全て別々であり、
「黒人用」の施設は、「白人用」の施設と比べて劣悪なものであった。
それは、今から見るとおかしな話だが、当時としては、おかしな話
ではなかったのだ。それを「おかしい」という人間が「おかしな人間」
として扱われたのだ。ケネディ大統領も、キング牧師もそうだが、それを
変革しようとする人間は、暗殺され、あるいは迫害されてきたのだ。
当時、その「パラダイム」に染まっていた人は、今の時代に
「なぜそんな事を許してきたの?」と問われても、明確な回答はできないだろう。
しかし、60年前、それは確かに「正しいこと」として世間に認められてきた
ことであったのだ。それが「パラダイム」というものだ。 2018年のGLAではどうだろうか?
2018年現在、高橋佳子先生が下さった「千年構想」のテーマは、20年に渡って
放置され、「7つのプログラム」は10年に渡って放置されている。
放置しているのは、直接的には関芳郎であるが、関芳郎のような人間を放置しているのは、
関芳郎以外のGLA会員に相違ないのだ。
それは、果たして「正しい」ことだろうか?それとも、「おかしい」事なのだろうか?
「おかしい」と主張して動こうとした人間は、退会に追い込まれた。
ならば、もしかすると、「おかしい」と主張している人間がおかしいのだろうか?
そうではない人間の中には、頂いたテーマを放置しているのに、「先生にお応え
してゆきます」などと涙を流しながら誓願し、「先生にお応えしてゆく」ことの
大切さを説いている人間が多数見受けられる。
しかし、先生が下さったテーマを放置する人間の中に「先生にお応えする」
志を持っている人間が、存在できるだろうか?彼らは、ただ、「先生にお応えする
忠実な弟子である自分」という虚像を描いて、虚像に酔っているだけなのかもしれない。 それは、「おかしい」ことなのだろうか?多くの人が「おかしい」と思って
いないのであれば、もしかすると、何の問題もないのかもしれない。
パラダイムに染まることしかできない人間には、「2018年現在のGLA」が
「おかしい」状態なのか否か、2018年の現在には解らないのだ。
しかし、今は解らなくても、やがてパラダイムが転換すれば、誰でも解るようになるだろう。
一方、内界を見る力を付けた人間ならば、自分自身に如何なるパラダイムが流れ込んで
いるのか自覚することができ、その「おかしさ」に気づいて、自ら離れることが
できるだろう。
しかし、「自ら離れることができる人」が出現しても、それで全体のパラダイムを
転換することにはならない。
「自らパラダイムから離れることができる人」が、自らの危険を顧みず、
あるべき方向に動くことによって、初めて全体のパラダイムを転換してゆく
道が整ってゆくのだろう。 おまいさんの話だと
後世には関さんが正しかったとされる可能性も否めないな
千年構想、遺骨崇拝が茶番だったとされる可能性のほうが断然高いが >>707
恵まれた環境化に置かれているので早期帰天はされないだろうが
その前に支えてきた人物が揃って高齢化してるのが気になる
大半が年上だからな
引き継げそうなのは皆無
どころかさあ大地震等で日本自体がヤバくなるのは間違いなく
そのときになって初めて
いざとなったら宗教など何の役にも立たないと知っても遅過ぎるよ 佳子先生がご帰天された後の未来のGLAから今のGLAを眺めると、
一体どのような姿が目に映るが、考えてみたい。
佳子先生がご帰天された後、未来のGLAでは、解決と創造の青写真にアクセス
することは、基本的には弟子の役割になる。佳子先生が「通信」という手段で
青写真を開示して下さることはあるだろう。しかし、それが本物の佳子先生である
という確証は無いわけであるから、「それが真に青写真である」と判断するのは
弟子の役割になる。
解決と創造の青写真にアクセスすること…その役割こそは、最も困難であり、
かつ最も重要な役割と言えよう。未来のGLAでは、弟子がそれを背負って
歩むことが当然とされるのだ。
そのような未来のGLAから、今のGLAを眺めてみると、どのように見えるだろうか?
「千年構想」、「7つのプログラム」という形で、大枠の青写真、方向性は佳子先生
によって既に示されている。御在世中の佳子先生が示された方針は、その正否を
検証する必要はなく、そのまま「正しいもの」と受け止めて問題ないわけであるから、
弟子はただ愚直に、その具体的な内容をつめてゆけばよいだけなのだ。 このように、2018年のGLAでは、「無条件に信用できる大枠の方針」
というものが佳子先生によって示されている。これは、未来のGLAから眺めると、
実にうらやましい限りであり、未来の世界では絶対に得られない貴重な
宝が与えられているように見えるだろう。
また、未来のGLAでは、解決と創造の青写真に弟子がアクセスするために、
佳子先生が如何なる解決と創造を果たされてきたかが研究されるだろう。
佳子先生が示されてきた一つ一つの言葉、行為は、弟子が青写真にアクセスして
ゆくベースになるものであり、未来のGLAでは、貴重な宝として扱われるだろう。
そして、そのような道程を通じて、未来のGLAでは、
「佳子先生が遺されたお言葉を徹底的に大切にする」
というパラダイムが構築されるだろう。
その未来の人々が、2018年のGLAを眺めると、その人々の眼差しには
何が写るだろうか?そこでは、貴重な宝であるはずの、佳子先生が示された
テーマ(千年構想、7つのプログラム)がゴミのように放置され、無視されている
という信じ難い光景が目に飛び込んでくるだろう。
そして、正にそのテーマを放置しているその人々が、「先生にお応えしてゆく」
ことの大切さを口先で説いている。その姿も、未来の人々にとっては、
実に不可解で、おかしな光景に見えるだろう。 未来の人々が、今のGLAに対して感じる「おかしさ」…それは、
「全ての人間は平等に造られている」というアメリカ独立宣言を起草
しながら、多くの奴隷を保有したトーマス・ジェファーソンに対して、
今の私たちが感じる「おかしさ」と、とても似ていると思う。
わずか200年ほど前では、トーマス・ジェファーソンは自分の行動の
「おかしさ」を理解できなかったのだろう。そして、周囲の人にも、
その「おかしさ」が理解できなかったのだろう。
しかし、200年が経過し、パラダイムが変革した現在では、誰もが、
その「おかしさ」を、はっきりと認識できるようになっている。
これが、パラダイムというものだろう。
だからこそ、パラダイムの呪縛から離れて、数十年先の未来から、
今のGLAを眺める眼差しを持つことができたなら、今のGLAが
抱えている「おかしさ」をはっきりと認識できるのではないだろうか。
認識できたならば、それを変革してゆく動機も生まれてくるだろう。 未来人が現代を見て「おかしさ」を感じる物
誤用多発な仏教用語及びアレンジ用語
千年構想
遺骨崇拝
集団帰依妄想
ミカエル
太陽系霊団
会員限定パクリ本
それに伴う会員の選抜という言い逃れ
数え上げたら限がない おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼたらまにはんどまじんどらはらばりたやうん オウムも遺骨崇拝を行うだろう
人の振り見て我が身を見ろ
そして異常さを知れ
遺骨の対象者が麻原だと仮定すれば分かるはずだ これから未来千年、GLAが辿る歴史を想像してみるならば、GLAは何度も
「困難」に見舞われるだろう。「困難」というのは、「これまでのやり方が
通用しない」、「新たな解決・創造の智慧が無ければ前に進めない」という
事態に遭遇するということだ。
そのような時、神は、「鍵を持った者」をGLAに遣わされるだろう。
「鍵を持った者」は、他の人にはアクセス困難な青写真にアクセスし、
GLAが果たすべき解決・創造の道筋を示す人間である。
しかし、「鍵を持った者」は、必ずしもGLAで歓迎されるわけではない。
むしろ「迷惑千万な邪魔者」として扱われるかもしれない。特に、GLAの中に
「快苦」に縛られ煩悩を調御できない人が多いほど、そうなる可能性が高まる。
「鍵を持った者」は、GLAの中では「新参者」であったり、あるいは、
「これまで何の実績も無かった人間」であったりする。そのような人間が
解決・創造の青写真にアクセスし、その内容を明かしてゆくという行為は、
ある見方をすれば、「その時代にGLAで力を持っている者の無能さを白日の
下に晒す行為」にもなってしまうのだ。 「力を持っている者」が、自分の地位、見栄、体面などに執着しているならば、
「鍵を持った者」は、正にそれらを脅かす存在に見えるだろう。
ならば、「力を持っている者」は、「鍵を持った者」を疎んじ、黙らせ、
あるいは、GLAから排除しようと画策するだろう。
そして、「力を持っている者」の周囲の人間が、やはり快苦に縛られ、
煩悩を調御できていなければ、ただ己の保身のため、「力を持っている者」
との間に軋轢を起こさないために、「力を持っている者」に媚びへつらい、
その愚行を看過しようとするだろう。
その結果、解決・創造の青写真は具現されることなく放置される。
それは、正に神が差し出された御手を振り払う行為であり、GLAは
神のご加護を受られなくなるだろう。 そのような状態に陥ったGLAを救う方法の一つとして、「歴史を振り返る」
という方策が可能かもしれない。その時代のGLAの人々が、過去のGLAの歴史を
辿ってみると、「21世紀初頭、2018年頃のGLAでも、今とそっくり
同じような事が起こっていた」「その時代、人々は快苦に縛られ煩悩を調御できず、
神の御手を振り払うようなことをしていた」ということに気づけるだろう。
そして、さらに、「21世紀初頭のGLAでは、やがて人々は煩悩に打ち克ち、
鍵を持った者からバトンを受け継ぎ、青写真を具現していった」という
記録が残っていたとしよう。
その記録は、未来の人々にとって希望の星になるだろう。人々はその記録に
触れて目覚め、「自分たちも煩悩に打ち克ってバトンを受け継ごう」という
気運が湧いてくるだろう。
2018年現在、煩悩にまみれ、佳子先生から頂いたテーマ(千年構想、
7つのプログラム)を放置しているGLAの現状は、一つには、このような
「記録」を残すこと、できれば「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ風土」
と呼ぶべきものを醸成するために与えられているのではないだろうか。 そして、もう一つ、「個人の記憶」と呼ぶべきものを醸成することも
理由になっていると思う。今生の人生で、ある人が「煩悩に打ち克ち、
様々な困難を克服し、鍵を持った者からバトンを受け継いだ」という
事実があったとしよう。
ならば、その事実は、「個人の記憶」としてその人の魂に刻まれる。
その「個人の記憶」を持った人は、来世も同等の役割を果たせるものと
期待できるから、「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ」という役割が
その人には与えられるのではないだろうか。
むしろ、来世には、佳子先生はおられないのだから、その人が失敗したら後が無い。
ならば「来世が本番で、今世は来世のための練習」と考える方が正しいのかもしれない。
なお、言うまでもないことであるが、佳子先生が「鍵を持った者からバトンを
受け継げ」などと現状のGLA会員を叱り飛ばして、その通りに動かされたとしても、
それは未来の人々にとって何の参考にもならないことであるし、個人の成長にも、
全くつながらないことである。 GLAの現役の理事のうち、何名かが相当の年齢であるにも
かかわらず、現役を続けておられるのは、おそらく本人が
「引退したい」と希望しても、佳子先生が許されないからだろう。
佳子先生が引退を許されないとすると、その理由は、上述した点が
関係しているのかもしれない。
つまり、残りの人生の一切をかけて「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ」
気魂を育むことが求められているのだろう。
それは、その気魂を育むか否かで来世に果たせることが全く異なって
くるからだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています