【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 今生の人生で菩薩になるべき人々、すなわち、千年構想、7つのプログラムに
先頭に立って挑戦すべき人々が、さらにこれらを放置し続けたなら何が起こるだろうか?
私は、佳子先生が早期に(例えば数年以内に)ご帰天されることになると思う。
千年構想、7つのプログラムに挑戦すべき人々が、それを放置しているのは、
明確に「やらなくてもよい」と思っているからではないだろう。
それは、快苦に翻弄されて、ただ「面倒だから」放置しているのだろう。
あるいは、「佳子先生がもう少し丁寧にご指導して下さって、激励して
下さったなら、取り組んでやらないこともない」と思っているのだろう。
そうなってしまっている原因の一つとして、「佳子先生がご存命中だから、
どうしても頼ってしまう」という面があるのではないだろうか。
ならば、もし、佳子先生がご帰天されたなら、佳子先生ばかりを頼りにして
自ら動こうとしなかった人々も目を覚ますだろう。 これは、キリスト教の歴史を振り返っても、肯定できることである。
「イエスキリストの死」は、ある意味では、当時の弟子にとって
恩寵だったのではないだろうか。
シモン・ペテロは一晩のうちに3度もイエスキリストのことを
「知らぬ」と言ったが、最後は、磔刑に処せられるために、自らローマに
向かったことを思いだす。師の死去によって、弟子が覚醒し、
それによって魂の成長が果たされるのだ。
ならば、GLAにおいても同じように考えることができるだろう。
仮に、佳子先生が早期にご帰天されるとしても、それは弟子を見捨て
られたのではない。それは、「その人々を今生の人生で菩薩にする」
という約束を果たされるための愛の行為であり、恩寵なのだ。
勿論、そうなる前に、対象となる人々が覚醒したならば、佳子先生が
早期にご帰天される必要はなくなるし、私もそうなることを願っている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています