【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 こうなってしまった一つの背景として考えられることは、多分、
佳子先生は、「7つのプログラムのウィズダムを作成せよ」とは、
一言も指示されなかったのだと思う。
しかし、佳子先生は、それ以前、30年以上に渡ってウィズダムの
大切さを説かれ、何をするにしてもウィズダムの作成を指示されて
いたはずだ。「7つのプログラム」について「ウィズダムを作成せよ」
と指示されなかったとしても、作成するのが当然であろう。
それゆえ、「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
ということは、驚愕すべき事実として未来の人々に受け止め
られるだろう。
原始GLAの時代、「初代弟子」と称する人々によって、佳子先生の
教えが軽んじられ、無視されてきたのだ。しかも、その人々は、
どうゆうわけか、口先では佳子先生を賛美し、佳子先生の教えを
実践する大切さを口にしていたのだ。 上述した私の考えが当たっていたなら、これは2016年以前に
起こった歴史上の事実であり、今さら何をやっても変えられず、
そのままの形で未来に伝わってゆくことになるだろう。
しかし、2017年以降の歴史であれば、これから如何様にも創る
ことができる。
佳子先生の教えを軽んじ、無視してきた「初代弟子」が、前非を悔い、
転換を果たして「7つのプログラム」を再スタートさせるだろうか?
それとも、2017年以降も、2016年以前と何も変わらないのだろうか?
どちらになるかは解らないが、その結果は、間違いなく歴史上の
事実として、未来千年に渡って伝えられてゆくだろう。 「7つのプログラムのウィズダムを作れ」と述べるだけでは
不親切なのかもしれぬ。先生が職員に対してどのような指導を
されたのかは知らないが、思いついたことだけを述べてみよう。
■「願い」は、
「7つのプログラムの実践を通じて菩提心発掘を果たす」
でいいだろう。
■「現状」
はどうだろうか?GLA創立40周年記念プロジェクトの「喜捨行」と「書写行」
を通じて、会員は菩提心発掘に取り組んできた。これは、「静中の工夫」と
捉えることができるだろう。しかし、「動中の工夫」、すなわち動的な
場の中で菩提心を体現してゆくという面では、「喜捨行」と「書写行」のみでは、
足りないところがあっただろう。
すると、
■「目標」は、
「7つのプログラムの実践を通じて、動中の工夫として菩提心発掘を果たす」
ということになるだろう。 ■「方策(アクションプログラム)」
はどうだろうか?「動中の工夫として菩提心発掘を果たす」ためには、
「動的な場」を作らなければならないだろう。
それは、「会員同士が7つのプログラムについて自由に議論できる場」
というものが必要だろう。これは、「新たに作る」というよりは、
GLA Facebookページの運用を変えればいいだろう。
また、「佳子先生が下さったヒント」が何であったのか明確にすることだ。
佳子先生のお言葉と、それ以外の人間の言葉とがごっちゃ混ぜになっている
現状では、何も進められないだろう。
また、実際に議論を始めると、「菩提心発掘」という事を忘れがちに
なってしまうものだ。従って、議論の場に向かう前に、「育もうとする
菩提心を念じる」ということを作法として定めればどうだろうか。
また、Facebookページに発言するとき、自分のアイコンを入れることが
できる。アイコンとして顔写真などを使っている人もいるが、
「12の菩提心」の各々に対応する12のアイコンを作成し、自分が
育もうとする菩提心のアイコンを入れるようにすれば、常に「菩提心発掘」
を意識化できると思われる。 佳子先生のことを、「大いなる存在、神の御意志を知り、
神の御意志のままに動く人間」であると認めるのか否か?
この問いに対しては、「認める」と立場(A)と、
「認めない」という立場(B)があるだろう。
Aの立場からすると、佳子先生が「常識」に反する行動を取られた
としても、それは「神の御意志」であるがゆえ何の問題も無い。
被造物である人間が作った「常識」なるものに、創造主である
神が縛られる理由は無いからだ。
一方、Bの立場からすると、佳子先生が「常識」に反する行動を
取られたのであれば、その理由は「本人が非常識だから」ということ
になる。さらに、著書のあり方で「常識/非常識」を論ずる以前に、
「これが神意、青写真です」などと言われていた言葉は
ウソ、ハッタリであったことになり、佳子先生のことを
「詐話師」とでも呼ぶことになるだろう。
自分の立場がAなのかBなのか、曖昧になっているから悩むのだ。
佳子先生に出会って間もない人ならともかく、40年も経ったのなら、
自分の立場を明確にして、その態度を貫いたらどうなのかね。
そうすれば楽になるだろう。 「会員の選抜」というのは、対象にされた人からすると、
厳しく、痛みの大きいものであったのだろう。
既に起こってしまった事実は覆せるものではないが、
その痛みを多少なりとも癒す方法はあるかもしれない。
http://file.copyman.syoyu.net/GG.pdf の9ページに、
“3.4 佳子先生に与えられた「よびかけ」について”という
節がある。この節によれば、神が「会員の選抜」を命じられた
のに、佳子先生がそれに逆らおうとされ、厳しい形で
「よびかけ」を受けられることになったのではないか、
という推測が述べられている。
当時の事実関係や、時系列など、よく解らない点が多いが、
この推測が正しい可能性があるならば、「歴史の整備」の
一環として、当時の記録を整理して公開すればどうだろうか。
佳子先生は、何事につけても神の御意志のままに生きようと
された方である。しかし、「会員の選抜」については、
例外的に神の御意志に逆らおうとされたのかもしれない。
その事を知れば、多少なりとも痛みは癒えるかもしれない。 関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを作成せずに
「7つのプログラム」を進めようとした、との考えを述べた。
しかし、その後、何か自分自身で「引っ掛かる」ものを感じた。
何が引っ掛かっているのか突き詰めてゆくと、それは
「ウィズダムは具現のために必須なものだろうか?」ということだ。
「ウィズダム」は佳子先生が20世紀後半に提唱されたメソッド
であり、それ以前には、明示的な形で示されたことは無かった。
しかし、それ以前の長い長い人類の歴史の中で、願いに基づいて
具現を果たした人は数多存在する。
ということは、あくまでも「願い」が「主」であり、「ウィズダム」
は「従」であるということだ。適切な例えではないかもしれないが、
「願い」を「食糧」とすると、「ウィズダム」は「食器」のような
ものだと言えるだろう。
「食器」が無くても「食糧」があれば、飢え死することはない。
ただ、「食器」があれば、より衛生的であるし、便利に食事が
できる。しかし、「食糧」を与えられず「食器」だけ与えられれば
飢え死するだろう。 関芳郎と茶坊主どもは、ウソの「願い」を書いた
ウソの「ウィズダム」を何年も、何年も書き続けてきたのだろう。
関芳郎と茶坊主どもが、7つのプログラムに関して取った行動
のうち、会員の「菩提心発掘」を意図したものが一つでもあった
だろうか?何一つとして無かったではないか。
「菩提心発掘」の願いがあれば、ウィズダムを書き忘れたとしても、
「菩提心発掘」につながることを意図した、何らかの行動は
取れるはずなのだ。何の行動も取れなかったのは、そもそも
「菩提心発掘」の願いが無かったからである。
佳子先生が「願い」を表明されたとき、その「願い」を己の心に
写そうとせず、ただ文字のみを紙の上に写せばよい、と考える
浅ましさ。その浅ましい内界(空)が、現実(色)として
現れたと言うか、口先だけで愛を語る偽善者の馬脚が現れた
というか、それが「7つのプログラム」であったと思うのだ。 関芳郎よ、茶坊主どもよ。
佳子先生が表明された「願い」を己の心に写すことなく、
ただ口先だけで同じ「願い」を語る者、ただ「願い」の文字
のみを紙の上に書き写す者、これらの者は、偽善者なのだ。
その偽善者の「空」が如何なる事態を生みだすのか、
7つのプログラムを通じて、己ら自身の姿から
学ぶことができたであろう。
お前たちは、これからも偽善者として生きたいのか?
偽善者のまま今生の人生を終えたいのか?
お前たちが「偽善者」の身分から脱却したいのであれば、
佳子先生の御心を、自らの心に写し取ることである。
佳子先生の御心を自らの心に写し取るためには、
様々な方法があるだろうが、最適な行は、おそらく
霊操行( http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf )
であろう。 私は関芳郎について、不思議に思っていたことがあった。
それは、「やっていて恥ずかしくないのだろうか」ということだ。
何度も言ってきたことだが、千年構想にしても、7つのプログラム
にしても、関芳郎の怠慢と放置プレイによって、ほとんど何も進捗していない。
その事態に対して、「進捗させるつもりがあるなら速やかに
再スタートすべきであるし、再スタートさせるつもりが無いのなら
速やかに引退すべき」というのが私の考えだった。
再スタートさせるわけでもなく、引退するわけでもなく、今まで通り
漫然と放置プレイを続けていて、関芳郎は恥ずかしいとは思わない
のか、とても不思議であった。
しかし、「実は、関芳郎は引退したくて、引退したくて、うずうず
しているのに、佳子先生がそれを許されないのかもしれない」とふと思った。 要するに、「千年構想も、7つのプログラムも、関芳郎が再スタート
させなければならない。それまで、関芳郎が引退することは
許さない」というのが、神の御意志であり、佳子先生の御意志
なのかもしれない。
やる気の無い人間を無理に動かすことは、非常に効率が悪いことだ。
千年構想も、7つのプログラムも、後任者に再スタートさせた
ほうが、よほど速く進むだろう。
しかし、それでは、関芳郎は「怠慢と放置プレイによって、
糞を撒き散らかした挙句、自分は逃避して、後任者に尻拭いを
させた人間」として今生の人生を終えることになる。
それは、全て本人の自業自得としか言いようが無いことではあるが、
神が関芳郎に引退を許されないとすると、神は関芳郎に対して、
転換を果たす機会を与えておられるのだろう。
「自分が撒き散らかした糞を、自分で拭き取るだけの責任感を育むこと」
これこそ、神が関芳郎に与えられたテーマであり、それを
果たすまで関芳郎には引退が許されないのかもしれない。 「あなたは関芳郎の問題に対して一切動くな」と佳子先生から命令されて
いたなら、関芳郎を放置していて何の問題もない。
しかし、そのような命令が無いのに、関芳郎を放置してきたのであれば、
理事として職務怠慢と言わざるを得ず、関芳郎とともに連帯責任を
負うことになるだろう。
すなわち、関芳郎とともに、千年構想、7つのプログラムを再スタート
させない限り、引退することを神は許されないだろう。 関芳郎の「力量」など何の関係も無い。
馬鹿は馬鹿なりに、真剣に取り組んだのか否かが問題だ。
例えば、千年構想に関し、「GLA共同体の千年構想の青写真に、
一丸となってアクセスする」という御指示を、真剣に実現しようと
したのか否かが問題だ。
たとえ見当外れな事をやってしまったにしても、御指示を刻印し、
御指示を実現しようとして真剣に取り組んだ結果であったのなら、
それは仕方が無いことだと思う。
しかし、何もやらずに放置しているから、叩いているのだ。 7つのプログラムにしてもそうだ。7つのプログラムに込められた
「菩提心発掘」という願いを、己の心に真剣に刻印したのか否か、
真剣に実現しようとしたのか否かが問題だ。
真剣に実現しようとしたならば、会員の「菩提心発掘」を
「意図した」何らかの行動が取れたはずだ。「意図した」ことが
実際に「菩提心発掘」につながらなかったとしても、それはそれで
仕方が無かったことだと思う。
しかし、「菩提心発掘」という願いを己の心に刻印しなかったため、
「菩提心発掘を意図した」と思える何の行動も取れない。
だから、叩いているのだ。 前世の関芳郎は、モーセの心にアクセスしようとせず、
ただモーセの言葉だけを表面的に解釈して領主ヘロデを批判し、
結果として首を切られるという憂き目に遭ったわけだ。
今生の関芳郎には、40年以上に渡って、信次先生、佳子先生の
すぐ傍らで薫陶を受けられるという特別な立場が与えられたが、
その結果、どうなっただろうか? 現在の関芳郎は、佳子先生の御心にアクセスしようとせず、
ただ佳子先生の言葉だけを表面的に解釈しているため、
佳子先生が何をされているかも理解できないのだろう。
40年以上に渡る鍛錬の成果が現れていないのは、
何とも物悲しいが、それが人間のカルマの重さという
ものだろうか。
関芳郎よ、カルマ超克を果たすために、
もう一度、首でも切られてみるか? 今のGLAに起こっていることは、
未来のGLAに起こることでもある。
未来のGLAでも、権力を持った人間が己の体面を守るために、
耳の痛い事を言う会員を黙らせようと動くことは、充分に
予想される。
その時、誰が、どのようにしてGLAを正常化させてゆけば
良いだろうか?正常化のために誰も動かなければ、GLAは
どんどん形骸化してゆくしかないだろう。
「佳子先生にどうにかして頂く」というのは、
「自分は何もしない」ということであり、しかも、
せいぜいあと30年程度しか通用しない。
仮に、佳子先生が動かれたとしても、それは未来千年に
何もつながらない。だから、現在の問題に対しても、
佳子先生は何もされないだろう。
一部の人間が、怠惰を貪るために佳子先生の御指示を
放置している現状を、今、どうするのか?
それは未来のGLAのあり方を決定付けることになるだろう。 関芳郎は、なぜ佳子先生の御指示を放置しているのか?
なぜ己の心を佳子先生の御心に合わせようとしないのか?
まさか、佳子先生に反逆したくて、やっているわけではあるまい。
御指示に従うことも、己の心を佳子先生の御心に合せることも、
苦労や困難を伴う、いわば「苦」であるからだ。
御指示を放置し、己の心も放置することは、苦労や困難を
避けられる「快」であるからだ。
茶坊主どもは、なぜ関芳郎のケツの穴を舐めているのか?
関芳郎に向かって意見を言うことは、軋轢を生み出す「苦」であるからだ。
関芳郎のケツの穴を舐めるのは、表面的には軋轢を避ける「快」であるからだ。
今のGLAに現れている現状は、「苦」を避け「快」を得ようとする、
快苦に翻弄された関芳郎と茶坊主どもの想念が生み出した結果と言えよう。 ただ、快苦に翻弄される傾向があるのは関芳郎と茶坊主ども
ばかりではない。快苦に翻弄されるのは、「全ての人間が抱える
傾向」とも言えるだろう。
佳子先生が指示されることは、苦労や困難を伴う、いわば「苦」の
側面が多い。佳子先生がご帰天された後は、佳子先生の顔色を
伺う必要はなくなる。すると、佳子先生のお言葉は、現在以上に
無視され、放置され続けることになるだろう。
「苦」を退け、「快」を追及する快感原則のままGLAを運営すれば、
どんどん、「快」の方向、「楽」な方向に流されてゆくことは
必定である。やがて、GLAという教団は、何をやっているのか
解らなくなるだろう。
未来千年、GLAは「快感原則」と戦い続けることになるだろう。
「志」と「願い」を喚起し、「快感原則」に勝利しない限り、
千年の伝承を果たすことはできないだろう。 GLAを憂う元会員は、千年構想のヴィジョンとして、信次先生の法
を復活させることや、集団帰依を促進することを提唱している。
佳子先生が、信次先生の御著書の新装改訂版を発刊されたことや、
信次先生の御遺骨を祀られたことは、元会員の描いたヴィジョンの
方向性が概ね正しいことを示していると思う。
しかし、「信次先生の法の復活」や「集団帰依」を実行に移す
ということは、これまでとは趣の異なった、新たな層の会員を
増やすということだ。はっきり言ってしまうと、今のGLAでは
入会をお断りしている人達を会員として迎えるということだ。
その中には、佳子先生の法になかなか興味を示さない人もいるだろう。
また、悪霊の干渉を受け、言動がおかしくなっている人もいるだろう。 新たな層の会員を、現状のまま迎え入れてしまうと、何が起こる
だろうか?「その種の人達が入会するのは迷惑だ。入会させないで
ほしい」という想いがGLAの中に蔓延し、会員間の断絶を生じさせ
かねないだろう。
佳子先生が「7つのプログラム」を提唱して下さったのは「菩提心発掘」
を果たし、断絶を乗り越えてゆくためではなかっただろうか。
すなわち、現在のGLA会員が「自分たちのため」ではなく、「新たな
層の会員」のために研鑽を充実させ、人生同伴態勢を充実させ、拠点を
充実させようと「努力する」ことが大切ではないだろうか。
極論してしまえば、努力した結果、見当外れなヴィジョンしか描けず、
結局全て佳子先生に解答を示して頂くことになったとしても、
それはそれで構わないのだと思う。
やがて集ってくる「新たな層の会員」を思い遣って努力すること、
それによって「菩提心発掘」を果たすことが肝心であろう。
それは、新たな層の会員を迎え入れるにあたって、何よりも
欠かすことのできない準備であると思われる。 入会希望者の面接担当をしている人の中には、辛く、やるせない
想いを抱えている人が多くいるのではないだろうか。
例えば、入会希望者が「私はどうも、悪霊の憑依を受けている
ようです。お助け頂けませんでしょうか?」と言い出したとする。
それに対して、面接担当は何をしなければならないだろうか。
「佳子先生の法を学び実践する志があるのかどうか」を確認しなけれ
ばならず、その志が無いと、入会承認してはならないはずだ。
その志を表明できない人に対しては、手を差し伸べる手段は無い。
GLAは、ある意味では、「最も救いを必要としている人々」を
切り捨ててきたと言っても過言ではないだろう。 その現状は、大変に痛ましいものである。
しかし、今の段階では、「そうする以外仕方が無い」のだ。
その人々をお世話できる態勢が未だ整っていないからだ。
その状態を転換するためには、GLA全体の菩提心発掘のレベルを
底上げしなければならない。すなわち、新たな層の会員のために、
研鑽を充実させ、人生同伴態勢を充実させ、拠点の機能を充実させる
こと、すなわち「7つのプログラム」の実践を通じて、
菩提心を発掘することである。
その取り組みがあって、初めて、新たな層の会員のために
門戸を広げることができるだろう。
では、「7つのプログラム」の実践は、如何にして進めることが
できるだろうか?「7つのプログラム」の実践を進めるためには、
現状では、「総合本部長=関芳郎を動かす」以外に道はない。 関芳郎よ、茶坊主どもよ。
お前たちが何年にも渡って掲載し続けたQ&Aをもう一度
読み返してみよ。そこから、一体何が読み取れるであろうか。
信次先生、佳子先生が愛し続けた人々に対する
お前たちの「嫌悪」以外、何も読み取れないではないか。
このような恥ずかしい文章を、よく何年も掲載し続けたものだ。
お前たちの中に「恥ずかしいからこのQ&Aを削除すべきだ」
と言い出す者は一人もいなかったのかね?
そうだとすると、実に嘆かわしい話だ。 しかし、近年中にGLAの入会条件は大幅に緩和され、
原則的には、希望すれば、誰でも入会できるようになるだろう。
これは、神の御意志であり、お前たちには変えることなどできない。
それによって何が起こるだろうか?
お前たちがGLAホームページで「嫌悪」をぶつけてきた相手が、
今度は「GLA会員」としてお前たちの前に現れるということだ。
その時、一体、どのような顔をして彼らに会うつもりなのか?
偽善者ならば、作り笑いをするのは得意だろう。
嫌悪に満ちたQ&Aなど、最初から無かったことにしてしまい、
引きつった作り笑いをしながら、「あなたをお待ちしていました。
ようこそ、GLAへ」とでも言ってみるかね?
それとも、愚かなQ&Aを掲載し続けたことを悔い、霊操行によって
信次先生、佳子先生との一体化を深め、多少なりとも、偽善者を
脱却した人間として、彼らに奉仕したいかね? 関芳郎と茶坊主どもは、“「魂の学」の実践”なるものに、ずいぶん
自信を持っているようだな。佳子先生から頂いた御指示を放置しているのに、
この自信は、一体どこから来るのだろうか?
わざわざホームページで宣伝するほど自信があるなら、関芳郎と
茶坊主どもの“「魂の学」の実践”なるものをぜひ拝見したいものだ。
佳子先生から頂いた御指示を放置し、指示されてもいない愚かな行為を
繰り返してきた人間が、“「魂の学」の実践”に励むと、如何なる
「事実」が生じるのか?すなわち、佳子先生から頂いた御指示を愚直に、
忠実に実践すると、如何なる「事実」が生じるのか?
関芳郎よ、茶坊主どもよ。
お前たちは、その「事実」こそ、内外に披露すべきではないのか?
「事実に基づいたご理解」を他人に求めるのは、それからでも遅すぎまい。 GLA会員であれば、誰でも自由に情報を開示し、意見を表明できる
コミュニティをネットワーク上で構築することだ。
そして、そのコミュニティを通して、多くの情報を集積してゆくことだ。
それが出来なければ、「歴史の整備」は果たせないだろう。
そして、関芳郎と茶坊主どもを動かさなければ、コミュニティを実現する
ことはできないだろう。彼らを動かすためには、多くの会員の声が
必要になるだろう。 佳子先生の御指示を十数年に渡って放置し続けている関芳郎、
その関芳郎に媚びて関芳郎を放置している茶坊主ども。
それらの行為の源泉は、ひたすらに「苦」を退け、「快」を希求し
続けるパラダイムが染みついていることにある。
それでいながら、佳子先生を賛美し、佳子先生に忠実な弟子であるかの
ように振る舞う姿は、「誠に見苦しく、醜悪なものである」と私は思う。
関芳郎や茶坊主どもは、自分自身の姿を見て、「見苦しく、
醜悪なものである」とは思えないのだろうか?
「醜悪だ」と思えなければ、「そこから離れたい」とも思わないの
だろうから、そこから離れることはできないだろう。
もし、「醜悪だ」と思えたならば、そこから離れてゆくことだ。 「内界に対する感性」が低い人間は、何年経っても気付けないし、
何十年も関芳郎のケツの穴を舐めるようなことをしても、
恥ずかしいとは思わないようだ。 今、関芳郎と茶坊主どもは、花見で忙しいらしい。
花見の季節が終われば、三社祭で忙しい。
三社祭が終われば、花火大会で忙しい。
花火大会が終われば、サンバカーニバルで忙しい。
年中忙しい関芳郎と茶坊主どもにとって、「千年構想」とは
「実に下らないもの」「どうでもいいもの」であり、花見やら
三社祭のほうが優先させるべきものなのだろうか。
だから、放置し続けることができるのだろうか。
以前、佳子先生は「志の無い人間にとって、時間とは快楽の餌である」
と仰ったことがあった。もしかすると、関芳郎と茶坊主どもは、
この言葉の正しさを立証しようとしているのだろうか。 関芳郎は、今まで千年構想を放置してきたわけだが、期限を切られて
「分かち合え」と命じられたなら、何かヴィジョンを捻り出さなければなら
なくなる。おそらく、関芳郎は、馬鹿丸出しのヴィジョンを出してくるだろう。
「馬鹿丸出しのヴィジョン」とは、佳子先生がこれまでされてきた事と、
全く整合性の取れないヴィジョンである。 関芳郎よ、茶坊主どもよ。
お前たちは過去20年、充分に怠惰を貪ったであろう。
お前たちは、過去20年の放置プレイを恥じ、佳子先生がされている事の意味をよく
吟味し、「よびかけ」を聞くことだ。新たに集う人々のことを思い遣る
ならば、千年構想を推進してゆくしかあるまい。 余談だが、先日、爆笑問題の田中がやってる番組でバックに不動明王の像を置いてるのを見かけた。バカかと思う。
不動明王(シヴァー)は実は一番中心になって東大震災を起こした張本人といわれている。
こいつによってそうゆう因縁でもないのに不正に障害者にされたものもいる。また古代から不正にひどい陰謀を
たくまれてきた者もいる。赤不動、青不動、黄色、白、黒とあって、家のは赤だからあるいは白だから大丈夫と
言ってるのもいるが、全部同じで百面相でごまかしただけ。ひがみの因縁がきれてない。共産党の悪化したみたい
にみんなで引きずり落としあいになってしまう、また何らかの形でからかわれるようにばっかもなる。
そんなものを拝んじゃダメだ。オーム教と同じ。さっさと何処へでも納札してすててこい!アホッ!! 女神など存在しません。
ミカエル
エルランティ
エルカンターレ
天上界
太陽系霊団
これらも全て空想の産物です。
宗教、スピリチュアルの話は童話でしかなく
そういった麻薬的な劇物を利用して
各自の思考を奪い
無理やり信じ込ませて
権威を振りかざしているだけである。
千年構想もそのひとつでしょう。
自分を捨て
何もかも犠牲にして
千年先に捧げろ
と言う投げかけですから。 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/
↑これの次スレが、なかなか立てられないので、
とりあえずここに書くとしよう。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/922
> お前が関氏の立場だったら
> 何をしたのか?
> 何が出来たか?
> を具体的に説明してみろよ。
この質問に対しては、
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/932-933
にて、GLAの様々な集いの中で、機運を高める場を設けるべき旨を
回答した。「その中に含まれている」とも言えるが、重要なこと
なので追加で述べておく。それは、「情報共有」である。
関芳郎や茶坊主どもは、在家の会員には与えられていない
特別な御指導(千年構想の青写真にアクセスするための研修)や、
特別な情報(ボーディサットヴァウィズダム等)を頂いている。
これらの情報は、在家の会員に対して共有されるべきものが
含まれているのではないか。 勿論、佳子先生から頂いた情報の中には、そのまま在家の会員に
開示すべきでないものも含まれているだろう。しかし、
「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
ためには、共有しなければならない情報も、多く含まれているはずだ。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/932
に書いた
> 「多くのGLA会員が千年先について無関心で、リアリティが持てない」
という現実は、「情報共有がされていない」ことに起因している
面も大きいだろう。
勿論、佳子先生から頂いた御指導をそのまま流すだけなら、誰にでも
できる。関芳郎や茶坊主どもに求められていることは、次の2つだろう。
(1)佳子先生から、どのような御指導を頂いたのか、ありのままに
伝えること。
(2)それに対して、自分達はどのように受け止め、どのように
進めてゆきたいのかを明らかにし、会員に賛同を求めること。 以上述べたことは、「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となって
アクセスする」(GLA誌1999年11月号79ページ)という御指示を
「願い、目的」としてウィズダムに取り組んだなら、その
「アクションプログラム」として容易に導かれたことだと思う。
関芳郎や茶坊主どもが、全く何もできていないのは、全くウィズダムに
取り組んでいないからではないのか。一体、なぜ取り組まないのだろうか?
「ウィズダムなど何の意味もない。そんなもの無くても具現できる」
とでも考えているのだろうか?それとも、「そもそも千年構想など、
具現する必要はない。だからウィズダムに取り組む必要もない。
やりたければ佳子先生が勝手にやればいい」とでも考えているのだろうか?
とにかく、
> お前が関氏の立場だったら
> 何をしたのか?
> 何が出来たか?
> を具体的に説明してみろよ。
との問いに対する根本的な回答は、次の通りだ。
「私なら、まず、ウィズダムに取り組んだだろう」 コップの中の嵐w
未来人類へ英知を繋ぐという名目で
実は一個人の名誉維持を担わされただけではないの?
言いだしっぺ本人すらグランドデザインも示せず
責任を直属の部下へ押し付けるとは情けないね。 関芳郎や茶坊主どもは、ほとんど社会経験を積むことなくGLAの事務局に
入ったのだろう。社会経験を積んだと言っても、例えば丁稚仕事のように、
大した責任の無い仕事ばかりやってきたのだろう。
だから、関芳郎や茶坊主どもは、通常の職業人が身に着けている「常識」を
学んでいないように見受けられる。ならば、彼らにも理解できるように
「常識」を教えてやったほうがいいのかもしれない。
一般の会社では、「トップが示した指示、方針」というものは、絶対
なのだよ。トップに向かって、「指示、方針がおかしい。変えるべき」
と意見するのは構わない。しかし、それによってトップが指示、方針を
変えなかった場合は、「指示、方針」に従って動くのが一般の職業人という
ものなのだよ。
どうしても納得できない、「指示、方針に従うのが嫌だ」という立場を
貫きたい、のであれば、その会社を退職するものなのだよ。
それが、一般の職業人というものなのだよ。 その一般常識を踏まえて、GLAの中を見てみよう。
GLAのトップは、言うまでもなく佳子先生である。その佳子先生が
「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
(GLA誌1999年11月号79ページ)と指示、方針を示されたのだ。
ならば、それを実現すべく努力するのが、「GLAの職員」というものではないのか。
ところが、関芳郎や茶坊主どもは、何もやらずに指示、方針を放置している。
勿論、「一生懸命努力したが、出来なかった」ということなら、仕方無い面も
あるが、全く努力の跡が見られないのだ。すなわち、
「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」ことの実現を
意図した行為(実際に実現したか否かは問わない)すら、全く見られないのだ。
関芳郎や茶坊主どもは、ただ安楽、快を貪るために、何もやらずに指示、方針を
放置しているのだ。「GLAの事務局」以外の職場では、このような行為に及べば、
クビになるのだよ。 >>43
>関芳郎や茶坊主どもは、ほとんど社会経験を積むことなくGLAの事務局に
>入ったのだろう。
>だから、関芳郎や茶坊主どもは、通常の職業人が身に着けている「常識」を
>学んでいないように見受けられる。ならば、彼らにも理解できるように
>「常識」を教えてやったほうがいいのかもしれない。
K子先生は? >>44
>ところが、関芳郎や茶坊主どもは、何もやらずに指示、方針を放置している。
> 勿論、「一生懸命努力したが、出来なかった」ということなら、仕方無い面も
>あるが、全く努力の跡が見られないのだ。
>関芳郎や茶坊主どもは、ただ安楽、快を貪るために、何もやらずに指示、方針を
>放置しているのだ。
K子先生は? >>43
>一般の会社では、「トップが示した指示、方針」というものは、絶対
>なのだよ。トップに向かって、「指示、方針がおかしい。変えるべき」
>と意見するのは構わない。しかし、それによってトップが指示、方針を
>変えなかった場合は、「指示、方針」に従って動くのが一般の職業人という
> ものなのだよ。
>どうしても納得できない、「指示、方針に従うのが嫌だ」という立場を
>貫きたい、のであれば、その会社を退職するものなのだよ
雇う側に問題を追及しなければ
永遠に解決しない訳だが。 直属の部下を放置するトップに問題はないのか?
株主ならば当然それを追及するだろう。
社会経験に乏しいのはスレ主かもね。 >>48
放置などされているのかな?
信次先生の御著書の新装版を発刊されたこと、
信次先生の遺骨を祀られたこと、
他教団との交流を深められていること、…
これらの出来事は、佳子先生が関芳郎や茶坊主どもの耳元で
「気付けよ!目覚めよ!」と叫んでおられるかのように見えるのだが。 関芳郎とかさ一般会員に関係なくね?
誰それ?って感じだろ
千年構想とか古いし知らんわ 園頭広周氏が発信した情報に基づく罰天使の記事について、見解を書いて
おくとしよう。園頭氏が発信した様々な情報によれば、法の継承当時、
佳子先生は、園頭氏から反発され、軽蔑されるような行動を様々取られたようだ。
佳子先生が、そのような事をされた理由は、正に園頭氏にGLAから出て行って
頂くためだったのだろう。ただ、「出て行って頂く」と言っても、それは
「会員の選抜」とは、かなり趣が異なる。園頭氏には、「未来のGLAで重要な
使命を果たして頂くため」に、今生はGLAから出て行って頂いたのだと思う。
少し長くなるが、その詳細を述べてみたい。
GLAを憂う元会員のレポート http://file.copyman.syoyu.net/GI.pdf
(千年構想)9〜10ページには、神理の「ローカライズ」
(土地と時代の要請に応じて神理を説き直す)というヴィジョンが示されている。
このヴィジョンが正しいと仮定し、未来のある時代、ある国の
「ローカライズ」を担う責任者に求められる条件とは何だろうか?
それは、次に挙げる条件A〜条件Cであると思う。
条件A:佳子先生が説かれた神理を、エネルギーの流れとして掴んでいること。
条件B:佳子先生が説かれていない神理を、エネルギーの流れとして掴めること。
条件C:掴んだエネルギーの流れを解りやすい言葉で表現できること。 「条件A」については、比較的容易な側面が多いであろうし、部分的には
多くのGLA会員が実践していることでもある。ただ、「内容」と「人」によっては、
難しい場合もある。例えば、関芳郎と茶坊主どもは、次のような文章を
GLAホームページに掲載している。
https://www.gla.or.jp/tamashiinogaku/termiology.html
> ■ウイズダム
> 「ウイズダム」とは、あらゆる解決と創造の道を切り開くための智慧であり、
> その智慧をもたらすメソッド(方法)です。宇宙は、それぞれの時代、様々な局面で、
> 私たち人間が本当に必要としている現実をこの世界に生み出そうとしています。
ここに書かれていること自体は正しいが、千年構想に対して、あるいは7つの
プログラムに対して、ウィズダムを作成することなく放置している現状を見るならば、
「エネルギーの流れ」として「ウィズダム」の神理を掴んでいない、
「ウィズダム」について真の理解に至っていないことは明らかであろう。 次に、「条件B」について考えてみる。
「神理」は太古の昔から、変わらず存在しているものであるが、それを「言葉として
教えてくれる人がいないのに、エネルギーの流れとして自ら掴む」ことは、かなり難しい。
「条件A」を「地図を頼りに目的地にたどり着ける力」に例えるなら、
「条件B」を「地図を持たずに目的地にたどり着ける力」と言える。
この点で、「条件B」は「条件A」とは、全く次元が違う。「条件B」を満たせる
人は、限定されている。
次に、「条件C」について考えてみる。
つい、数十年前まで、「条件C」は「不可能」と言うべきものであった。
「条件B」を満たせる人が神理を掴んだとしても、それは「不立文字」であり、
解りやすい言葉で伝承できるものではなかったのだ。如何に言葉を尽くしたとしても、
「解る人には解るが、解らない人には全く解らない」ものにしかならなかったのだ。
しかし、佳子先生が神理を説かれた現在では、全く状況が変わってしまっている。
GLAを憂う元会員が実践して見せたように、佳子先生が神理を説かれた神理に
整合させつつ神理を説けば、それは理解しやすい「一乗の法」となり、多くの人が
理解できるものになるのだ。 このように、「ローカライズ」を担う責任者に求められる条件A〜Cを振り返って
みると、「条件B」がネックになっていることが解る。
「条件B」を満たせる人なら、若干の期間学べば、「条件A」も満たせるだろう。
そして、「条件A」と「条件B」を満たせば、「条件C」も容易に満たせるだろう。
このように考えると、「条件Bを満たしていない人」であって、「満たせる
可能性のある人」は、人生の一切の時間、エネルギーをかけて、その事に挑戦すべき
だと思うのだ。
勿論、佳子先生に師事して条件Aを満たし、同時に条件Bを満たす力も獲得できれば
理想的ではある。しかし、実際にそれを果たせるのは「既に過去世で条件Bを満たした人」
だけだ。今生の人生で新たにその力を獲得したいと願う人は、「条件Bのみ」に集中
しなければ、到底願いを適えることはできないであろう。
佳子先生は、そのために、園頭氏がGLAから出て行くように仕向けられたのであろう。
それは、「条件Aを獲得する機会を奪う」ためではなく、「条件Bのみにエネルギーを
集中させる」ためであろう。 GLAを去った園頭氏は、信次先生のお言葉に向かい合うことになっただろう。
信次先生が園頭氏のことを「大天使ガブリエル」と言われたこと、
「僕の説いた事を全て理解できたのは、園頭さん、あなた一人だけだ」、
「本当に心の綺麗な人が十人いれば世界は救われる。しかし十人どころか
園頭さん一人しかいない」などと言われたこと…。
信次先生のお言葉の意味を、「言葉」として園頭氏に教えてくれる人は
誰もいなかった。園頭氏は、自分の内界に流れるエネルギーを自ら掴みとって
悟るしかなかったのだ。そして、彼の人生の最期の時期、彼はそれを
達成したのだと思う。
彼が死の直前、弟子に遺言したことがあったと聞いている。それは、
「自分の死とともに国際正法協会は解散し、自分の著書は全て絶版にすること」
「自分の死後、活動するのは自由だが、『正法』という言葉は使ってはならない」
ということだった。
つまり、「自分のやってきたことは『正法』ではない。後世に残す価値はない」
ということだろう。 一方、園頭氏は、「では真の『正法』とは何なのか」ということは言い残して
いないようだ。おそらくそれは、「魂」「心」「現実」をつなぐエネルギーの流れ、
すなわち「魂の因果律」であり、信次先生が彼にかけられたお言葉の意味を全て
明らかにするものであったのだろう。
しかし、今生の彼は、佳子先生に師事していないため条件Aは満たしていない。
そもそも、彼が逝去した1999年には佳子先生も「魂の因果律」は説かれていなかった。
だから、園頭氏は、自分が掴んだエネルギーの流れを言葉で説明することなど
不可能だったのだ。それゆえに、上述のような遺言になってしまったのだろう。
園頭氏は、今生の人生は、一切をかけて条件Bを満たす力を獲得したのだと思う。
園頭氏が来世、どの時代にどの国に転生するかは解らないが、今生の人生で
獲得した力を使って、そこに流れるエネルギーの流れを掴めるのではないだろうか。
そして、来世は佳子先生の説かれた神理を学んで条件Aを満たしたならば、
条件Cも満たせるようになるだろう。ならば、園頭氏は、その国の多くの
人々を救済してゆく希望の星になれる可能性がある。
仮にそうなったとすると、今生の園頭氏にGLAから出て行って頂いたのは正解
だったということになるだろう。 >>49
>信次先生の御著書の新装版を発刊されたこと、
>信次先生の遺骨を祀られたこと、
>他教団との交流を深められていること、…
>「気付けよ!目覚めよ!」と叫んでおられるかのように見えるのだが。
関連付けについては
あまりにも無理が有り過ぎる。
大体、本当に気付けと本気で思っているのなら直接言えば済む話だろ。
綺麗事極まれり。
これだからね新興宗教はw >>51
違うね。若手幹部や自分にとって邪魔だから出て行ってもらおうとしただけでしょ。
本音を語らず大人しくしていれば利用価値があったでしょうが、そうではなかったんだろう。
まあ傍らから見れば
どっちもどっちだったという話で総括できる。 >>55
>つまり、「自分のやってきたことは『正法』ではない。後世に残す価値はない」
>ということだろう。
付け加えるなら正法なる物を丸ごと否定したんでしょう。 >>56
君の願望と誇大妄想でしかない。
頭脳遊戯に過ぎないのだよw 救済という名の押し売り営業。
勘違いによる親切心ほど迷惑なものはありません。 >>57
> 関連付けについては
> あまりにも無理が有り過ぎる。
なら、次の事実について、無理のない説明を披露してほしい。
> 信次先生の御著書の新装版を発刊されたこと、
> 信次先生の遺骨を祀られたこと、
> 他教団との交流を深められていること、…
>>60
> 君の願望と誇大妄想でしかない。
> 頭脳遊戯に過ぎないのだよw
確かに、当たっているかどうか解らない点は多いな。
当たっているかどうかは、園頭氏が、来世の人生によって、
証してくれるだろう。 >>57
> 関連付けについては
> あまりにも無理が有り過ぎる。
なら、次の事実について、無理のない説明を披露すればいい。
> 信次先生の御著書の新装版を発刊されたこと、
> 信次先生の遺骨を祀られたこと、
> 他教団との交流を深められていること、…
>>60
> 君の願望と誇大妄想でしかない。
> 頭脳遊戯に過ぎないのだよw
確かに、当たっているかどうか解らない点は多いな。
当たっているかどうかは、園頭氏が、来世の人生によって、
証してくれるだろう。 園頭氏以外の人に関しては、私はほとんど何も情報を持っていないので、
一層不確かになるが、法の継承当時、>>51に挙げた「条件B」
に挑戦するか否かで、その後の人生が分かれた可能性はある。
つまり、「条件Bに挑戦して果たせる可能性のある人」に対しては、
信次先生によって「課題」が与えられ、佳子先生によって、
GLAから出てゆくように仕向けられた可能性がある。
一方、「条件Bに挑戦できる前提を満たしていない人」というか、
「それ以前に、条件Aを満たせるように修業すべき人」がGLAに残された
のではないかな?
ただ、「過去世に条件Bを満たした」という実績が無いのに、今生で
達成するには、相当の困難を伴うだろう。挑戦しても果たせなかった
人のほうが多かったのではないかな。
以上述べたことは、確かに不確かな面も多いが、その点について
佳子先生から「歴史の整備」というテーマを頂いているわけだから、
GLAとして、きちんと調査して、結論を出すべきであろう。 > 信次先生の御著書の新装版を発刊されたこと、
> 信次先生の遺骨を祀られたこと、
> 他教団との交流を深められていること、…
例えば
これらの事象を関氏が自身の立場で行ったら千年構想の礎として君は認めたか?
何を勝手な行動を起こすんだ。
それが千年構想に繋がるのか無能め!と非難するのがオチでしょ? >>63
>園頭氏が、来世の人生によって、
>証してくれるだろう。
無いでしょうねw
それにしても天上界とやらの御計画は杜撰過ぎやしませんか?
どこに誰が座るかまで完璧なまでに綿密ではなかったんですか?
ところが信次さんの発言が突然急展開したり
後継を託された人物に語った話を総合すると辻褄が合わない事柄ばかりだしw
従って八方美人の二枚舌三枚舌だった可能性が高いと思ってしまったりするわけです。
だから、あくまで、あの御方を神の如く存在と信ずる人にとっては永遠に謎の人物に終始しますよ。
そうでない人から見れば簡単に見抜けるはずですが。 >>65
GLAから出てくる情報(例えばGLAのホームページの記事)には、
誰が情報の根源であるのか、客観的な表示が無いものがほとんどだ。
しかし、その中には、智慧深い情報と、アホな情報の2種類がある。
「智慧深い情報」は佳子先生によるものであり、
「アホな情報」は関芳郎と茶坊主どもによるものだと私は判断して、
これまで関芳郎と茶坊主どもを叩いてきたのだが、
私が判断を誤ったことなど、一度でもあったかね? >>66
信次先生の偉大さを実感したいなら、これを読めばいい。
http://file.copyman.syoyu.net/GB.pdf
《GLAの歴史概観》
「地獄滅消の法」を佳子先生が説かれたとき、佳子先生は108煩悩の
分類の意味=「煩悩地図の原理」に気付いておられなかったのだ。
佳子先生が「煩悩地図の原理」を把握されたのは、ずっと後になってからだ。
佳子先生が説かれた事は、日本語の細かい点に至るまで、一つ一つ、
信次先生が指示されたということが解るだろう。
だから、実質的に「地獄滅消の法」を説かれたのは、信次先生なのだ。 蛇足であるが、…
>>65
> これらの事象を関氏が自身の立場で行ったら千年構想の礎として君は認めたか?
関芳郎に、そのような事を期待している人間は一人もいないだろう。
関芳郎が最優先で取り組むべきことは、
「佳子先生から指示されたことを指示された通りに遂行する」
ことである。それ以外の事は、全て後回しにすべきだ。
具体的には、これまで述べたことの繰り返しになるが、例えば
「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
(GLA誌1999年11月号79ページ)という御指示を遂行することだ。
そのために、まず果たすべき事は、ウィズダムに取り組むことだ。
「GLA共同体の千年構想の青写真に、一丸となってアクセスする」
ことを願いとして、「現状」を眺めるならば、「多くの会員が
千年構想に無関心」ということが明らかになるだろう。 ならば、最初に掲げるべき目標は、例えば、
「GLAの中で、千年構想に向かう機運を醸成する」のようなものになるだろう。
すると、アクションプログラムとして、次のようなものが出てくるだろう。
(1)GLAの様々な集いの中で、「千年先に何を実現したいと願うのか」を
一人ひとりが「想起する場」や、「想起したことを話し合う場」を設けること。
(2)職員が、佳子先生からどのような御指導を頂いたのか、
ありのままに伝えること。
(3)それに対して、職員一同がどのように受け止め、どのように
進めてゆきたいのかを明らかにし、会員に賛同を求めること。
これらを実行に移すことだ。それが、
「佳子先生から指示されたことを指示された通りに遂行する」
ということだ。 高橋信次は、嘘つきのカルトのエタのオッサン
福島の橋本孝男も、進藤安子も、カルトのお馬鹿さん。
こんなのに、洗脳されるなよ。
金めあてだよ。 佳子なきながら、二度とミカエルとは、いいません。
エタの親子の妄想カルト宗教 エタとか言うなよwww
単なるホラ吹き親子だけど宗教で飯食っとるw 法螺吹き説法は、信者の根拠を度外視した誇大妄信へ脈々と受け継がれている。
>如実に物語っているのが>68 >「千年先に何を実現したいと願うのか」を
>一人ひとりが「想起する場」や、「想起したことを話し合う場」を設けること。
まずは、お前が人前でこの話を発表しろ。 >それが、
> 「佳子先生から指示されたことを指示された通りに遂行する」
>ということだ。
究極の指示待ち族w
指示されないと何もできないw
指示されたから私は悪くないw
指示通りしなかった人は悪w
指示通りされた以外は何もしてはいけないのに各自で話し合えとかw
最終的に先生が同意しなければ全て×w
これでは人間的成長は望めないねw
やってることが幼稚園レベルだw >>77
> 指示通りされた以外は何もしてはいけないのに各自で話し合えとかw
指示されたことを実現するために必要なことは、
当然、指示の中に含まれている。
「コーヒーを入れろ」と指示されたなら、何も言われなくても
「カップを棚から出すこと」「湯を沸かす」ことも含まれる。
> これでは人間的成長は望めないねw
> やってることが幼稚園レベルだw
上司から指示されたことしかできない人間は、世間では「ダメ社員」と呼ばれる。
確かにその通りだ。「ダメ社員」は、いつリストラされるか解らない。
しかし、その下に、上司から指示されたことを放置する「社会人失格」レベル
というものがある。これが、関芳郎や茶坊主どもの現状だ。「GLAの事務局」
以外の職場では、「社会人失格」レベルは即刻解雇だ。
「社会人失格」レベルの人間が、「ダメ社員」レベルになったのなら、
それはそれで人間的成長を果たしたと言えるではないか。 >>77
> 指示通りされた以外は何もしてはいけないのに各自で話し合えとかw
これは、>>70 に書いた
> (1)GLAの様々な集いの中で、「千年先に何を実現したいと願うのか」を
> 一人ひとりが「想起する場」や、「想起したことを話し合う場」を設けること。
を指しているのだろう。しかし、この場合、最も重要な御指示は、
>>69 に書いた「ウィズダムに取り組むこと」である。
>>70 に書いたことは、「ウィズダムに取り組んだのであれば、到達できると
“私に”思えること」の具体例として挙げたまでだ。しかし、この具体例は、
必須のものとは言えないかもしれない。
すなわち、>>70 の具体例を私が挙げたのは、私が知り得る限りのGLAの内情(現状)
に基づくものである。しかし、私が持っている情報は、職員が持っている情報と
比較して、実に微々たるものである。
より多くの情報を得られる立場の人間であり、より多くの御指導を佳子先生から
頂ける立場の人間である職員がウィズダムに取り組んだならば、他に最善の方策を
見い出せる可能性は大いにある。
もう一度繰り返す。ここで、最も遵守すべき重要な御指示とは、
★★「ウィズダムに取り組むこと」★★である。 千年構想などという際物を打ち上げる自体が異常。
無視する部下は寧ろ正常。
遺骨に固執し、どうにでも受け取れる意味不明な哲学的な教え
心理学から抜き取った内容を融合させたような自己啓発セミナーぽい研修。 私の両親は「豊心大学」という名のもとに年金をGLAに捧げている お金は、自分のため家族のために使いましょう。
宗教へのお布施は、本人にとって尊い気持ちのつもりでしょうが所詮は投資なんですよ。
他宗教のお布施行為は悪魔行為と非難しつつ
ここは正反対に位置するから全く逆の効果、神の恩恵が受けられる
なんて虫のいい話があるかい!
糞の役にも立ちません。 人生にとって掛け買いなき大切な時間とお金
これらを宗教などに注ぎ込んではいけません。
詐欺的であり麻薬的である宗教を信じたり期待したりするのはやめて
生きていくための判断は自分自身で決めましょう。 GLAは講演が終わりになりつつあると「謝念」と書かれた封筒を回しだす
宗教法人も課税すべき!
高橋K子ウハウハ過ぎだろ! GLAや高橋佳子って言っても知名度は全然だろ
主宰者死んだら終わりの団体だし無視無視 幸福の科学の大川の講演見て「こんなバカにだまされる奴いるの?」
と思ってるけど
GLAのDVDを他人が見たら同じように思うんだろうな 大皮溜崩の話は爺の亜流であり変種。
爺も何種かの宗教、精神世界からの合成宗教。
受け売りなき宗教は太古から存在しないとも言われている。
共に漫画と現実の区別ができず、少しでも優位な世界へ導いてほしいと願うあまり
真剣に投資しまくってるのが熱狂信者の姿だろう。 少しでも優位なあの世へ行きたい。
出来れば現世も優位に成りたいと願うなら、こうして下さい、ああして下さい。
無理ならば、せめてこれくらいは出来ますよね?
自分に出来ることは何ですか?
わかっているのにやらないというのは凄く大きな罪なんですよ。
わかりますよね?
私達は、あなたが地獄へ堕ちようが何も困りません。
全ては、あなた次第です。
あなたの運命はあなたが決めるのです。
いいですね?
これでマインドコントロール終了。 もとい!
これでマインドコントロール完成!
だな。 >>87
三代目候補いないよね。
それなのに千年とか現実離れにも程がある。
逆に言えば最大の悩みであるからこそ湧き出た発想でもあるといえる。
遺骨崇拝なども困り果てた故の発案であろう。 ミカエルボーイズ&ガールズ復活したらいいのに・・・(嘲笑 三代目 G Soul Boys and Girls 三代目 G Soul Brothers and Sisters ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています