坐禅と見性第114章信念は無いけど新年 [無断転載禁止]©2ch.net
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このスレは、南予さんが建てたスレッドである。
諸行無常、諸法無我一切皆空である。
こころコロコロ、色即是空は空即是色、である。
無我なり。無我とは、さとりである。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
人は小さく生まれ、小さく死ぬと言う。
生まれなければ、死は無い、これは大目に観ない空である。
でも細界のもまあ好い野で有る◎
一生の旅とは 出会い、そして必ずの別れである。
小さく生まれ、小さく死ぬ。大きな眼空は生命の活動である。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。
道端のタンポポのこんにちは、である。
出会えば別れるのである。
問う 「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」
【前スレ】坐禅と見性第113章坐禅と見性第113章銀椀裏に雪を盛る(ぎんわんりにゆきをもる)
[無断転載禁止]©2ch.net http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1481366150/l50 346 -349 ゴンガーラ さん
> 12mgと12mgとで、飲んでた、鎮静剤を、なんと、朝に、まとめて、24mg飲めだとよ。(しかも、薬飲まなかったら精神病院に入院)こんな、アホなことが、あるか???
せめて、朝8mg×2=16mgと、寝る前に飲む、8mgに、してもらわないとなw
うわーーー!将棋24、負けたわ。逆転負けw 』
2回に分けて飲んでた薬が、1回飲むだけで済むんだから、逆に少し楽になった、と言えるのではないだろうか。
どうしても減薬して、回復に向かうはずだと言う気kうぇてかかる部分が有るから、量やかずが少しでも増えると抵抗したくなる、傾向があるのではないか。
そう言う事で、弾薬してしまうのが、一番のリスクになるんだよね。
薬を飲んでいるから、今日が有る、と。 基地蔵八部衆
>>233この世界を造った存在、という意味での神です。
インドの教えでは一方で「この世界の神は生き物を発生させて苦しめている。これは
邪神であり、この世を支配しているものは下等な神である」とする教えもあるとか。
もし仏教徒にこの世を造った神への冒涜があるのなら、そのように考え行動するはず。
でも「この世に惹かれて生まれ、活躍したいとおもうから何度も何度も生まれ変わる」と
いった話は常にこの世を発生させた神は悪くない、という前提がないとだめなのです。
そうじゃないとこの世を造った神をひたすら謗るようになるはずですから。
神様(それは天輪聖王なのか、破壊の後の創造の神なのかは存じません)が
なにを意図して殺し殺されの生命界を造ったのは知りません。もし、悪神だというのなら
その神を倒すとか、その神の支配から逃れるといった思想になるはずです。だけど
仏教ではそんなことを説いてはいない。あくまでこの世に発生してしまったのは
自分の意思である、とそう断定してます。というかそう考えないとおかしい。なぜなら
そうでなければ一旦解脱したとしても、自分の意思と関係のない力でまたこの世界に
生まれてしまうから。そうでしょう?「解脱すれば二度とこの世に生まれることはない」と
シャキャムニは説かれたのだから、そうなはずです。
その唯我独尊、だとか主人公、という場合にはやはりいずれにしろ
「始まりがあった」という提がないとだめですよね。存在がないのに
悩むわけ、ないじゃないですか。その初期設定をしたものという意味での
神です。全知全能の一神教の神ではない。創造神がないと第一
自分もこの世も存在しないわけだから、いると思いますよ。ただここでは
神様だとか始まり、だとかなんと呼ぶかは限定していません。
もし、仏教徒がこの世に発生して苦しむ・・といった初期設定をした存在を
呪うのなら、修行するのにそういった話を盛り込むだろうと思われます。邪神の
支配から逃れよう、とか倒そうだとか。しかしそんなことは言っていない。だとすれば
この世とそれを造ったものを肯定も否定もせず、修行しこの世から脱出しよう、と
いうわけです。ある意味で敬神でしょう。この世をアミターバみたいに破壊して
くれる、だとか考えないのだから。 >>351 基地子八部衆 さん
神と言い、ほとけと言い、
それは人格的存在ではありません。
たとえば、わたし達を構成している細胞の数は、最近まで60兆個と言われてきましたが、
最新の科学では37兆戸余り、と言われ始めています。
1個1個が独立した存在であり、我々はその集積体です。
生死を集合と解散、と思えばわかりやすいかもしれません。
また細胞を分解していくと分子であり、分子は原子の集合体であり、
わたし達はそれらの粒粒、粒子(りゅうし)を基礎としています。
存在するものはすべて、そうです。 >>352
人格的存在とは言ってませんね。
ここでは始まりとしての最初のきっかけとしての
神です。化合物であろうと元素であろうと
最初にそれをつくり、物理法則を定めたものが
いなければ、われわれはそもそも存在さえしない。
その神、あるいは始まり、あるいは初期設定をしたもの、
最初のこれ以上遡及できない原初のはじまり、を
仏教では否定しない。そう言っただけです。 ただ、この世の始まりだとか、終わりだとか、そんなことを考えていても
どうなることでもあるまい。そんなことにかまけているよりも修行をし、
いまのあなたの苦痛を取り除くべきであろう、とシャキャムニはおっしゃられ
ました。これはそのとおりだと思います。 鬼和尚さま。
もっと分かりやすくお願いします。私はものすごく頭が悪いのです。
高校時代は偏差値が35未満だったので、日常生活でもちょっと難しいことを
言われると理解できないのですよ。 ひふみ神示 地震の巻 第10帖
地上人は内的に生前の霊人と通じ、また死後の霊人と通じる。
地上人が生前えお知得するのは、この霊人を通じるが故であり、死後を知得するのも、また同様に通じるからである。
生前と死後は同一線上に置かれているが同一ではない。
地上には物質的形式があり、霊界には霊的形式がある。
その形式は歓喜の交叉し、発するところによって自ら成るものである。
形式なくしては合一なく、力なく、形式あるが故にものが総てに合一し、弥栄し、力し、大弥栄するのである。
形式の中に和することは、その個々が差別されているからである。
差別し区別せられることは、その各々に各々が共通する内質を持つからである。
共通性なきものは差別し、区分することができない。 霊界と現実界との関係はかかるものであるが故に、常に相応そ、力し、力を生じ、また常に相通じて力を生みゆく。
これは、平面的頭脳では中々に理解しがたいのであるが、この根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じ、永遠に弥栄する大歓喜に住するのである。
されば差別は平等と合一することによって立体の差別となり、平等は差別と合一することによって立体平等となり得る。
霊人が地上人と和合し、また地上人が霊人と和合し、弥栄するのは、この立体平等と立体差別との弥栄ゆるが為めであることを知らねばならぬ。
この二つの相反するものを統一し、常に差別しつつ平等に導き、立体して行く力こそ、神そのものの力であり、歓喜である。
この二つの力と神の歓喜なくしては地上人なく、また霊人もあり得ないのである。
生成発展もなく、神の歓喜し得ない。
この力なくしては地上人は霊人と和し、神に和し奉ることはできない。
故に生命しないのである。
10帖は以上であります…。 例えば世界全体がDVDの夢のドラマとしたら今ここで何も解らずもがいてああしてこうして洗濯している私は
何なんだろうドラマ何て網素手に過去現在未来全て時終わっるまで決まっている野鴨と思えば決まり切手
摸画居ているのか何か可笑しい。我々は今此処に映る風景しか身られないから摸学のが正解鴨。修行の旅に
出ようとした玄沙和尚は足の指を思い切り石にぶつけ痛ててでこの痛いのは何処から来るのかと思い旅を
やめ考えたとか達磨は中国に来ませんでしたと言ったとか?世界は一個の明るい珠でどうのこうの夢貸は
珠に見えたものが今の私はDVDのドラマ化パソコンの前で今ココアいやコーヒー飲みながら長くしようとする
けど長くなれば長くなるほど目的が長くする事に夢中になり無駄なんだけど意味が無いのだけどでも毎朝
長いから短いと不味いようで習慣の奴隷化もよくわからん無駄な摸書きかでも長くなるもう掟から
書き終わったホカホカの朝他以降産業書く名以降の無駄な亜書きか 神は一時は仏とも現れたのであるぞと申してありたが、仏ではもう治らん
岩戸が開けたのであるから、蓮華(れんげ)ではならん
とありますから、それまでは説いても伝わらなかったであろう事を、仏様は無記とされた
しかし、今は時節とともに説けば伝わる時代になった、という事かもしれませんね。
お釈迦様は、その時が来ることを御存知だったのかもしれません…。 科学の普及もネットの普及も大いに貢献しているのでありましょう。
いいえ、無駄なものなど何一つあり得ないのでありましょうが…。 御利益主義の信仰心では思いが叶わなければ削がれてしまう。
悪の想念が暴れ回れば、神も仏もあるものかと、自暴自棄になってしまう。
自分が自分の本心を知ることになるのでありましょう…。 クダラナイと思つても私はこういう所があるのだと温かく観れる
様になればまあ良く心も進行していのかもクダラナイ習慣も心が決めたのかも
私はダジャレや連想ではっそうかに出会うけど?ほかの人はそれぞれで
意味不明で伝わらなく会話にならな事もあるけどそれが習慣に夏て信仰するし
師匠は支障を着寿司。名無しさんは一も出口を探している友私は歌外なく
孝子師匠の歌の中に入るのでまあ良いか 習慣も心がきめたので長くなる
そよかぜの季節 https://www.youtube.com/watch?v=ZXJfHumreOk
?歌詞のなかに 見つめたのが 何時眼たの根になっているのはなぜなんだろうか
? 将棋24、今日、勝ち。
勝利の美酒は、コカ・コーラで!!!😊 >>364 素人A さん
> 歌詞のなかに 見つめたのが 何時眼たの根 になっているのは なぜなんだろうか 』
何故?と 問いただしている、のか。。
「見つめたのが 何時眼たの根」
なんじ→汝→いつ→なんどき
メタの寝→ガンタのコン
小一時間思案して、わからん になった・・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー >>360 素人A さん
> 無駄な摸書きかでも長くなる、もう掟から書き終わった。ホカホカの朝。他以降。産業書く名。以降の無駄な亜書き、か。 』
無駄なんだけど、字の練習をしていて、あ の字を書くのだ、と言う 宣言 だな、(*・ω・)(。。*)ぅん >>354-355 基地子八部衆 さん
> 人格的存在とは言ってませんね。
ここでは始まりとしての最初のきっかけとしての神です。
化合物であろうと元素であろうと、最初にそれをつくり、物理法則を定めたものがいなければ、われわれはそもそも存在さえしない。
その神、あるいは始まり、あるいは初期設定をしたもの、最初のこれ以上遡及できない原初のはじまり、を仏教では否定しない。
そう言っただけです。
ただ、この世の始まりだとか、終わりだとか、そんなことを考えていてもどうなることでもあるまい。
そんなことにかまけているよりも、修行をし、いまのあなたの苦痛を取り除くべきであろう、とシャキャムニはおっしゃられました。
これは、そのとおりだ、と思います。 』
神とは、どんな存在なのでしょうか、お尋ねします。 nijitatuoka(1938) - 53:13
https://www.youtube.com/watch?v=vOV4c2RzkmA
隣りの八重ちゃん (Tonari no Yae-chan) - Our Neighbor, Miss Yae (1934) - 1:16:37
https://www.youtube.com/watch?v=xRH-eCpGf5U
港の日本娘 (Minato no nihon musume) - Japanese Girls at The Harbor (1933) - 1:11:21
https://www.youtube.com/watch?v=VufG3iDCz8I
女人哀愁 (Nyonin Aishu) - A Woman's Sorrow - 1:14:08
https://www.youtube.com/watch?v=YaZvJfOVkA4
女優と詩人 (Joyu to Shijin) - The Actress and the Poet (1935) - 1:14:00
https://www.youtube.com/watch?v=GGq_BOIRBLY
君と行く路 (Kimi to yuku michi) - The Road I Travel With You (1936) english subtitles - 1:09:12
https://www.youtube.com/watch?v=1kEB9za8qVY
祇園の姉妹 (Gion no Shimai) - Sisters of the Gion (1936) - 1:10:06
https://www.youtube.com/watch?v=_ORqGVIK7-M
浪華悲歌 (Naniwa Ereji) - Osaka Elegy (1936) - 1:12:11
https://www.youtube.com/watch?v=T7Qbzgozr6Q
東京の宿 (Tokyo no yado) -- An Inn in Tokyo (1936) - 1:19:41
https://www.youtube.com/watch?v=Yzt4oza-D2s
The Only Son / 一人息子 (1936) - 1:22:30
https://www.youtube.com/watch?v=_gmdzh24c_E
What Did the Lady Forget? / 淑女は何を忘れたか (1937) - 1:11:08
https://www.youtube.com/watch?v=7wLPmGIHR-A >>368神、という概念はいろいろな分類があるみたいですね。
私の考える神とは「始まりの始まりを行った存在」であり、この世の物理法則を定めた存在です。 >>370 基地子八部衆 さん
> >>368神、という概念は、いろいろな分類があるみたいですね。 私の考える神とは、「始まりの始まりを行った存在」であり、この世の物理法則を定めた存在です。 』
自己の外側にだけ神や仏が存在するのではなく、自己の内側に持神や仏は存在する、のが仏教です。
主催者と言う疑似的な人格の神などは無いものを有ると思う妄想(もうぞう)ですね。
もうひとつ、始めが有れば、終わりが有ります。
始めが無いので終わりが有りません。
あなたの言う神は、始めが有るようですから、終わりが有る神でしょうね。
物理の法則、はお勉強ですから、知識の範疇ですね、形而上的な事は、無着(むき)とされ、学者が主張することを私もそうだ、と言おう、と言う態度です。
と言うのも、新しい学説が出るという事は、以前の学説を否定して新しい学説が出てくるわけですが、現時点のお勉強としては、現在の学説を支持します、という事です。 >>371
自己の内側に仏が存在するってのが妄想じゃ無い証拠見せてよ >>372
> >>371
> 自己の内側に仏が存在するってのが妄想じゃ無い証拠見せてよ
当局の方ですか。。。ブルブル((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル ワタス、PCの前に、おるで。
朝の、「ロナセン3錠」から、復活!元気! >>371さま
どうも誤解があるようですね。私は始めのもの(モノ、存在)、に人格のある
インドやギリシャのごとき多神教、あるいは一神教的な神だとは一切言ってません。
そして神が設定した(べつに人格的に、選択的に行ったのではない)法則には誰にだって
当てはまるという仏性内在性も否定してません。私たちが立っている地面の延長線上に
神が居り、そして内部にもあり。
無始無終の話についてはまた今度にしますね。 アカン。激の振り飛車が、また、「進化」しくさった。
負けたわ。これなら、まだ、24のほうが、しよい。(# ゚Д゚) >>375 基地子八部衆 さん
> 私たちが立っている地面の延長線上に神が居り、そして内部にもあり。
エネルギーという事で、よいですか。 >>376-377 ゴンガーラ さん
> 今から、激指10と将棋です。元気いいので。 アカン。激の振り飛車が、また、「進化」しくさった。 負けたわ。これなら、まだ、24のほうが、しよい。(# ゚Д゚)
内部のプレーヤーが、10ぐらい設定されているはずだから、こちらも20人ぐらいに分身して懲らしめてやろう、(笑) 父ありき (Chichi Ariki) - There Was a Father (1942) - 1:26:57
https://www.youtube.com/watch?v=EWG7EY-M5f0
戸田家の兄妹 (Todake no kyodai) - The Brothers and Sisters of the Toda Family (1941) - 1:44:39
https://www.youtube.com/watch?v=AkpPlOaS_kc
Learn from Experience, Part 1 / 禍福 前篇 (1937) - 1:18:10
https://www.youtube.com/watch?v=NiCCrFT9Oxw
Learn from Experience, Part II / 禍福 後篇 (1937) - 1:15:50
https://www.youtube.com/watch?v=PIlqAtjXsVg
Avalanche / 雪崩 (1937) (EN/RU) - 58:54
https://www.youtube.com/watch?v=DyOolResmEk 今から、夜食追加!!!(# ゚Д゚)(揚げナスみそ汁)
ガンダムトライエイジ!!!カードをそろえた時、何かが起こる!!! >>377こういうのを、研究手順を、ぶつけると、いうのだろうね。 >>381
ギャー女犯は僧籍剥奪で遠島だよ・・・。 ひふみ神示 地震の巻 第11帖
霊人は遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。
同一線上にいる霊人の言葉は、いずれも同一であって共通する。
霊人の言葉は霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通じるのである。
しかし、相手が聞くことを欲しない時には聞こえない。
それはちょうどテレビやラジオのごときものであると考えたらよい。
またその語ること、その語音によって、その相手のいかなるものなるかを知り得るのである。
すなわち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人のいかなるものなるかは、ただちに判明する。
霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。
故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、そのいずれかでなくてはならない。
しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、
数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけ、その度を増してくるのである。
原因と結果とを一にし、さらに結果より生じる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、
なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、かつ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。
言葉そのものが弥栄であり、生命である。またすべてであるということは、地上人には理解出来ぬであろう。
それは過去が現在であり、未来もまた現在であり、さらに生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。
また一里先も、百里先もまた千万里離れていても、同一の場所であるのと同様であって、理解するに極めて困難である。
だが、地上人においてもそれを知り得る内的な生命を持っているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない。 宇宙意識 生きる自由 ところで不可思議に満ちた通過と帰還はどんな結果をもたらすだろう。戦場は生を営む場の象徴
である。そこでは生きとし生けるものが他の生き物の犠牲のうえで生の営みをおこなつている。生にまつわる避けがたい
罪の自覚で心があまりに痛むため.ハムレットやアルジェナのように人は行き続けるのを拒否する場合がある。
他方我々の大部分がそうである様に.自分自身についてしょせんは正当化されない虚偽のイメージを作る場合だつてある。
つまり自分はこの世の例外的存在であって.他人のように罪人ではなく.善人だから避けがたい罪を犯しても是認される
のだと想像するのである。このような手前嘗てな正義からは.自己ばかりではなく人間と宇宙双方の本性について誤解が
うまれる。神話の目的は個人の意識と宇宙の意志を和解させ.それによってこのような無知に対する要求を追放する
ところにある。さらにこの和解は時間といううつろいやすい現象と.すべてのなかで生きかつ死にゆく不滅な生命との
真の関係を悟ることによつて成立する。?ですかでも我々庶民は環境の奴隷といえば奴隷でぽ師匠の言う自由な仏教と
言うか食うことや仲間外れにされ相手にされなくなる事を恐れ死んだらも恐れ病気も困るし社会でも道徳や薬はあるけど
民主主義で落ちこぼれた廃車はカルトというほかの国もつくりそこに逃げ込むのか我々嘘でもストレスが一休みの国が
浄土真宗やキリスト教で中法輪で騙しだけど今はそんなにカルトでは無いでも回教は狂った人もいるエホバの証人は
人厚めに奔走するし嘘でも誠がないと安心もないしありのままの自己か視察なんて我々には無理だし?自然?自由?
リベルテ https://www.youtube.com/watch?v=_OW3xeGqas0 霊人の言葉は歓喜より発するが故に歓喜そのものであり、神の言葉でもあるが、その霊人の置かれている位置によって二つのものに大別し得る。
歓喜の現われとしての愛に位置している霊人の言葉は、善的内容を多分に蔵している。
故に柔らかくて連続的であり、太陽の⦿(ひかり)と●(熱)とに譬(たと)えることができる。
また、歓喜の現われとして真に位置する霊人の言葉は、智的内容を多分に蔵している。
故に清く流れ出(い)でて連続的ではなく、ある種の固さを感じさせる。
そしてそれは月の光と、水のごとき清さとを感じさせる。
また前者は曲線的であって消極面を表に出し、後者は直線的であって積極面を表に出している。
…………………………
以下は表示が微妙なので、興味がある方は検索願います。
第11帖は以上であります…。 これはあくまでも私の想像の域を出ませんが、全てを想念が決めるとするなら、例えば仏教徒は仏教徒
キリスト教徒はキリスト教徒、そしてそれぞれの各宗派によっても細かく分かれて生き死にを繰り返すことも
想像に難くない、いや、キリスト教の方々は本物の救世主が現れるまでは眠っておられる?
しかしもう既に神の御旨の中に生かされ、そして眠っている、という事も考えられるのでしょうか…。 仏教徒にあっては、それは神の御旨とは言いませんが…。 法華転法華 法達「私は法華経を三千部も読じゅしました」慧能「たとい一万部読じゅしても、経の意味を
理解しなければ、自分の過ちさえ知ることは出来ないだろう」法達が答えた。「私はまことに愚鈍です。これまでただ文字の
意味にまかせて読んできただけです。どうしてその意味がわかりましょう」慧能が言った「では一度読んでみなさい。おまえ
に解説してあげよう」そこで法達は『法華経』を読み始めたが「方便品」まできたとき慧能が言った。「そこでやめなさい。
仏がこの世にお出ましになるいわれ、これがこの経典の中心である。多くの喩えがこの経には説かれているけれども、これに
勝るものはない。ではそのいわれとは何かといえば、ただ一大事という事である。一大事とは何かといえば、仏の知見である。
仏の知見とは何かと言えば。開示悟入である。それが自ずから仏の知見になっているのである。すでに知見が備わっているの
であり、衆生の一人一人が、すなわち仏であると言うことである。おまえはいままさに信じるがよい。仏の知見とはお前自身
の心である事を」?一番大事なのはこの世うにして来たのが位置盤大事な夢中仕事なのかぽつ師匠位置の仕事いや一の如しと言う師 地震の巻 第12帖
霊人が地上人に語る時は、その想念が同一線上に融和するが為めである。
霊人が地上人に来る時は、その人の知るすべてを知ることとなるのであるが、その語るのは霊人自身でなくて、
霊人と和合して体的の自分に語るのである。自分と自分が談話しているのである。
霊人は現実界と直接には接し得ない。また地上人は霊界と直接には接し得ないのが原則である。
しかし、それぞれの仲介を通じていっても、直接行うのと同様の結果となるのである。
為に地上人は直接なし得るものと考えるのである。
地上人の想念の中には霊界が映像されており、霊人の想念の中には現実界が内蔵されている。
故に、この二つの世界が一つに見えることもある得るのである。
しかし、映像と実相の隔たりはかなり遠いものである。
霊人と地上人との交流において、この間の真相を知らねばならぬし、その互いに交わされる談話においても前記のごとくであることを知らねばならない。
霊人も地上人も、自分自身と語り、自分自身の中に見、かつ聞いているのである。
霊人が地上人に憑依したり、動物霊が人間に憑依したりすることは、前記のごとき原則によってあり得ないのである。
しかし、外部からの感応であり、仲介された二次的交流であっても、その度の強くなった場合、地上人から見れば憑依せると同様の結果を現わすものである。
故に、神が直接、人間を通じて人語を発し、または書記するのではなくて、それぞれの順序を経て地上人に感応し、
その地上人の持つそれぞれの人語をを使用して語り、その地上人の持つそれぞれの文字を使用して神意を伝達することとなるのである。
しかし、神の言葉はいかに地上人を通じて人語としても、その神に通じる想念を内蔵せぬ地上人には伝え得ないのである。
語れども聞き得ず、読むともその真意は通じ得ないのである。
霊人の中には自分達の住む霊界の他に別の世界が限りなく存在することを知らず、また、その世界に住む霊人を知らず、
また物質世界と地上人を知らない場合もある。
それはちょうど、地上人の多くが、生前および死後の世界を信じないと同様である。
12帖は以上であります。
何れにしても、全ては心(想念)なのでありましょうか。
しかし、地上に於いては思いだけでは力しないと、行為しないければ力しないと…。 今朝(けさ)、薬減らしてもらい、調子いいので、COM(激指10)
と、一局。負け。激の振り飛車に、手を焼くワタス。 今解つた 片手の人の拍手の声を聞いてこいが
いまここで両手で叩く拍手のの音が片手の人の音で
つまり夢と現実が同じという事で今夢の仕事をしているのか
また迷いだした良くわからんさあとりあえずはまあよいか
師匠 三馬身
私はアホだなあ大人なのに心が子供の様にはしやいで報告か また、激指10に、マーケタwww(# ゚Д゚)ゴーーーーーーーー!!--------ン
あわてるとダメねw 今日は豆撒きならぬ、恵方巻でもいただいて、全てに感謝致しましょう。
感謝は分離を意味するなんて、野暮なことは言わないで…。 396.
片手の音はない、が正解である。
その音を聞いたと言うのはバカ丸出しである。 片手の音を聞こえないなんて耳がわるいんじゃないか
よく聴けよ 地上世界では、思い(心)だけでは力しない、音はしません。
しかし、行為する事(肉体を使って)によって力する、全てが力いっぱい鳴り響いているのでしょう…。 もう、私、「死ぬ」んが、イヤ。「成る」んが、イヤ。(歩→と金)
よって、もう、将棋倶楽部24は、引退。
(激指10R戦は、やめるか、どうか、わからない。) 隻手が本当に解ったというならお聞きしたい。
隻手を体・相・用に分けるとどう表現されうるか?
体とは、本体そのもの。
相とは、実体や表象。
用とは、そのはたらきです。 >>404
隻手ははんなりとしてる
焼いて食うと美味い😋 僧言えば昔ぽつたんさんが片手の人の音声の公案に取り組んで
夢中で坐前中取り組んで居たとき突前和尚さんにあなたは
雀がチュンチュン鳴いているのが聞こえないのですかと言われたとか聞いたけど >>405
お日様眩しい
隻手を出して
かざして眺める富士の山 私はまだ富士山からの眺めを知りませんから、想像するしかありませんが
それもまたよきかな、ですね…。 「体」が仏、「相」が衆生、「用」が法
仏が本源の道で、
衆生が現象としての「自分」、
法を六根の源の「心」ととらえてみる
隻手ほ「用」なんかな 体・相・用が一体となって見解を示した時、
はじめて師家から隻手が許されるんだけどね。
無字も然り。 言葉で答えになりうるってのはまだ此岸、
現象以前、音より前は彼岸を示せてないとってことなんかな ◯=◯
△=△
□=□
解釈無しに、ただそれだけです。 >>412 名無し さん
> 、ただそれだけ
無料って、それ・・・ >>411 名無し さん
> 言葉で答えになりうるってのはまだ此岸、 現象以前、音より前は彼岸を示せてないとってことなんかなぁ?
此岸とは、悟前
彼岸とは、悟後
さとるとは、これ と それを分けないこと、同じと見る事ですね。 >>410 名無し さん
> 体・相・用が一体となって見解を示した時、 はじめて師家から隻手が許されるんだけどね。 無字も然り。
禅は極めて具体的に示せ、と言う。
そして、体得せよ、と。 >>409 名無し さん
> 「体」が仏、「相」が衆生、「用」が法、 仏が本源の道で、 衆生が現象としての「自分」、 法を六根の源の「心」ととらえてみる 隻手ほ「用」なんかな
あれこれの角度を持って取り組んでいってこそ、片手の拍手を聞く、になると思います。 >>408 名無し さん
> 私はまだ富士山からの眺めを知りませんから、想像するしかありませんが それもまたよきかな、ですね…。
富士山の高みを3000メートルとする常識の否定、
地平線、水平線上に我と富士山が並んで立っているんですよ、そこを体得すれば初関を透る、祖佛祖師方と供に手を把(と)って歩み行く、ですね。 >>407 名無し さん
> >>405
> お日様眩しい、 隻手を出して かざして眺める富士の山
二者が有りますよね。 昔片手色々やつた 鏡に手を写して叩いて拍手したけど
割れんばかりの拍手はしなく軽く叩いただけたつた >>406 素人A さん
> 僧が言えば、昔々、ぽつたんさんが片手の人の音声の公案に取り組んで 夢中で坐前中取り組んで居たとき突前、和尚さんにあなたは 雀がチュンチュン鳴いているのが聞こえないのですかと言われたとか聞いたけど。
かなり、話しが 素人A さんの如是我聞になって、独自解釈になっている。。
わたしは無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく)で、人の支配を受けることを極端に避けている頃の事で、お寺の和尚さんに何かをおたずねすることが一切なかった、むしろ拒否していたきらいがあった。
それでも、世にいらっしゃる 正師 にまみえるべきではないか、との漠然とした思いも出てきて、あちこちのお寺をめぐる事が有った。
だが、そこも世間様で、和尚は多忙でアポを取ってから来てくれ、あるいは、在宅を示す履物が有り、お風呂場からは体を流す湯の音が聞こえてくると言うのに、和尚は外出中である、と言う。
また、真摯に向き合っていただいた和尚様はわたしは悟ってはいません、とさとりを求めているその道の歩みを語ってくださった。
そう言うお尋ねの途中で、やっとお会いできた臨済宗の和尚に私が効いた片手の拍手の音を話した。
話しを聞いていただきたいことが最大で、話し終えたとき、その和尚が大きな木の梢から聞こえてくる小鳥たちのさえずりがあなたに聞こえていますか、と聞いてくださった。
もちろん、耳の奥には聞こえていたが、それよりも片手の拍手の音の確認をしたかった。
その和尚に質問したのは、わたしは趙州の無字は仏性はないと言うが、悉有仏性である真理に無と言い出すのがわからないのですが、と言ったとき、無字も隻手も同じですよ、と指摘していただいた。
片手の音をずっと聞きっぱなしであった私は、聞く前に戻る事が出来なくなっていたのだった。
雀のちゅんちゅんは、これらとは全く別の話しになる。
タンポポのこんにちは、とスズメのちゅんちゅんは、同じ内容を持つ。
宇宙の始まり以来、わたしがスズメと出会ったのはいのちの連なりの中での出会いである、と言う確信であり、
道端のタンポポがこんにちはとあいさつをかけてくるのも、同じである。 >>414
>さとるとは、これ と それを分けないこと、同じと見る事ですね。
であれば同じとは見えない事も成立するが?
この世界が本当に一如なら非情と有情とがあるのは何故?
お前の論だとスズメはチュンチュン鳴くよな?
一如なら石でも壁でもチュンチュン鳴かなきゃ一如にならんと思うが? >>415
>そして、体得せよ、と。
過去心不可得現在心不可得未来心不可得なのに
どの体で得るのか? >>405 名無し さん
> >>404
> 隻手ははんなりとしてる、 焼いて食うと美味い😋
よくある話しの落としどころだね。喰うとうまいって。。 >>404 名無し さん
> 隻手が本当に解ったというならお聞きしたい。 隻手を体・相・用に分けるとどう表現されうるか? 体とは、本体そのもの。 相とは、実体や表象。 用とは、そのはたらきです。 』
禅宗の大学の教授で、わたしは未悟である、と言い放つ人は、多い。
だが、この川のここから渡って行きなさい、そうすればあちらの岸へ渡れますよと必ず渡れますと言いえる、と言う。
これもまた、誠意である。 >>421
お前のその、坊さんに
「小鳥たちのさえずりがあなたに聞こえていますか、」
と問われたのは事実か?嘘では無いよな?
もし本当に事実の話なら、その坊さんはお前にちゃんと示せてるじゃないか
解らなかったんだな、そして今もお前は解ってない
それどころか
>タンポポのこんにちは、とスズメのちゅんちゅんは、同じ内容を持つ。
表現が幼稚な上に妄想にとりつかれてしまっていると言える
何故坊さんは小鳥のさえずりが聞こえるかと尋ねたのか
お前はきっと、坊さんが解ってないから話をはぐらかしたとでも思ってるんだろう
ちゃんと答え言ってるんだよ、それが実話なんだったらな >>402 ゴンガーラ さん
> もう、私、「死ぬ」んが、イヤ。「成る」んが、イヤ。(歩→と金) よって、もう、将棋倶楽部24は、引退。 (激指10R戦は、やめるか、どうか、わからない。)
ソフトの将棋は、買ったとき、負けた時、 怒りをあらわにしたり、狂喜乱舞するのだろうか。 >>400 名無し さん
> 片手の音を聞こえないなんて耳がわるいんじゃないか、 よく聴けよ 』
という事は、あなたは聞こえているんですよね、片手の拍手の音が。。 ポッたんよ
隻手の人になったつもりで、残る片手を前に出してみろ
その出した片手だけで拍手してみろ、その時何が聞こえる?
その即今底に聞こえた音こそが隻手の音声だぞ?
どうしてお前は拍手の音とその他の音とを分別するのかな?
散々一の如し一の如しって連呼してきたじゃないか
それなのに分別して聞いたんじゃ全然一の如しじゃ無い罠 >>399 ひのふのみー さん
> 396.
> 片手の音はない、が正解である。 その音を聞いたと言うのはバカ丸出しである。
禅の途に多雨する答えは、十人十色、その人だけの答えである。
同じ答えは二つとない。 >>397 ごんガーラ さん
> また、激指10に、マーケタwww(# ゚Д゚)ゴーーーーーーーー!!--------ン あわてるとダメねw
原因がわかれば対処法が有り、好結果sになるだろうねr。 >>428
>タンポポのこんにちは、とスズメのちゅんちゅんは、同じ内容を持つ。
お前は坊さんに小鳥のさえずりを指摘されて、それが聞こえてても気付かなかったんだろ
小鳥のさえずりは聞こえてたんだよな?
どうして拍手の音と分別するんだ?
一の如しじゃ無いのか?
音は音だろ
これは世間話じゃなく、仏法の話の筈だろ >>396 素人A さん
> 今解つた 片手の人の拍手の声を聞いてこい が いまここで両手で叩く拍手のの音が片手の人の音で、 つまり、夢と現実が同じという事で、今夢の仕事をしているのか、 また迷いだした、良くわからん、さあとりあえずはまあよいか
師匠 三馬身 私はアホだなあ、大人なのに心が子供の様にはしやいで報告か 』
「 両手で叩く拍手の音が、片手の人の音 」
そうだね、和尚様。 片手でも、拍手をすればパンと拍手の音が聞こえなきゃいけない
と、そう思ってるんなら大間違いなんだよ
隻手音声はそんなオカルトな事じゃ無いぞ
片手で拍手する形をして、正當恁麼時何が聞こえるか
で、聞こえたものを答えりゃいいんだよ
分別心の捉われを如何に振り解けるかがこの公案の肝なんだからな >>395 ゴンガーラ さん
> 今朝(けさ)、薬減らしてもらい、調子いいので、COM(激指10) と、一局。負け。激の振り飛車に、手を焼くワタス。
減薬とは遅漏効果の結果だろうから、振り飛車にもすぐ勝てるだろうね。 >>393 素人A さん
> 多くの喩えがこの経には説かれているけれども、これに 勝るものはない。
ではそのいわれとは何かといえば、ただ一大事という事である。
一大事とは何かといえば、仏の知見である。
仏の知見とは何かと言えば。開示悟入である。
それが自ずから仏の知見になっているのである。
すでに知見が備わっているのであり、衆生の一人一人が、すなわち仏であると言うことである。
おまえはいままさに信じるがよい。仏の知見とはお前自身 の心である事を」 』
「お前自身 の心」
?一番大事なのは、「お前自身 の心」、この世うにして来たのが位置盤大事な夢中仕事なのか、ぽつ師匠位置の仕事いや一の如しと言う師。。 >>389 素人A さん
> 我々庶民は環境の奴隷といえば奴隷で
ぽ師匠の言う自由な仏教と言うか食うことや仲間外れにされ相手にされなくなる事を恐れ、死んだらも恐れ、病気も困るし、社会でも道徳や薬はあるけど、民主主義で落ちこぼれた廃車はカルトというほかの国もつくりそこに逃げ込むのか我々。
嘘でもストレスが一休みの国が浄土真宗やキリスト教で中法輪で騙しだけど、今はそんなにカルトでは無い。
でも回教は狂った人もいる。
エホバの証人は人厚めに奔走するし、嘘でも誠がないと安心もないし、ありのままの自己か視察なんて我々には無理だし?自然?自由? 』
オレオレ詐欺が横行する横歩きの社会だね。 >そう言うお尋ねの途中で、やっとお会いできた臨済宗の和尚に私が効いた片手の拍手の音を話した。
>話しを聞いていただきたいことが最大で、話し終えたとき、その和尚が大きな木の梢から聞こえてくる小鳥たちのさえずりがあなたに聞こえていますか、と聞いてくださった。
>もちろん、耳の奥には聞こえていたが、それよりも片手の拍手の音の確認をしたかった。
>その和尚に質問したのは、わたしは趙州の無字は仏性はないと言うが、悉有仏性である真理に無と言い出すのがわからないのですが、と言ったとき、無字も隻手も同じですよ、と指摘していただいた。
片手の音をずっと聞きっぱなしであった私は、聞く前に戻る事が出来なくなっていたのだった。 >>434 名無し さん
> 片手でも、拍手をすればパンと拍手の音が聞こえなきゃいけない、 と、そう思ってるんなら大間違いなんだよ、 隻手音声はそんなオカルトな事じゃ無いぞ
片手で拍手する形をして、正當恁麼時、何が聞こえるか、で、聞こえたものを答えりゃいいんだよ、 分別心の捉われを、如何に振り解けるかが、この公案の肝なんだからな。
ホルモン焼きのお客さんなのか、レバーの串焼き。。ウマソウウマソー(^^)/ジュル 途中送信になってしまったが
>>421へのレスだ
>和尚が大きな木の梢から聞こえてくる小鳥たちのさえずりがあなたに聞こえていますか
と問われて、聞こえちゃいるがそれが答えだとは気付けなかったんだよな
答えだと思いたくなかったのかな?
自分の見解以外には有り得ないと
>道端のタンポポがこんにちはとあいさつをかけてくるのも、同じである。
言いたかないが、頭がおかしい
電車の中でドア越しに外の景色に話しかけてる人の様だ >>432 名無し さん
> >>428
タンポポのこんにちは、とスズメのちゅんちゅんは、同じ内容を持つ。
> お前は坊さんに小鳥のさえずりを指摘されて、それが聞こえてても気付かなかったんだろ、 小鳥のさえずりは聞こえてたんだよな? どうして拍手の音と分別するんだ? 一の如しじゃ無いのか? 音は音だろ これは世間話じゃなく、仏法の話の筈だろ 」
聞こえるの現認を問う、という事だね。
わたしが歩めば宇宙が歩むと若い頃に私は、言う。
今は不可分。
マティス米国防長官「日米安保、尖閣に適用」
安倍晋三首相は3日、トランプ米政権の閣僚として最初に来日せしマティス米国防長官と首相官邸に約50分間会談しき。
日本側によると、両者は日米同盟の強化に取り組むを確認。マティス氏は沖縄県の尖閣諸島が日米安全保障条約第5条に基づく
米国の対日防衛義務の適用対象なると明言し、米政府のこれまでの方針を引き継ぐ姿勢を示しき。10日の日米首脳会談に
トランプ米大統領が同様の認識を示すやが焦点になる。
会談にマティス氏は「日米安保条約に基づく対日防衛義務、同盟国への拡大抑止提供を含め、米国の同盟上のコミットメント(関与)を再確認す」と表明。
トランプ政権も引き続き、核抑止力による「核の傘」を含めて日米安保体制を堅持する案を示しき。
首相は中国や北朝鮮など東アジアの安保環境を踏まえ「アジア太平洋での米国の強力なるプレゼンスはせちなり。日本は防衛力を強化し、
自らが果たしうる役割の拡大を謀る」と応じき。マティス氏は「日米とも防衛力をいとど強化する必要性があり」との認識を示しき。
地域情勢には中国が進出を強むる東シナ海や南シナ海の情勢に懸念を共有。わざと尖閣諸島につきて、マティス氏は「尖閣諸島は日本の施政の下なる領域なり、
日米安保条約5条の適用範囲なり」と言明。中国を念頭に「米国は尖閣諸島に対する日本の施政を損なはむとするいかなる一方的なる行動にも反対す」とけん制しき。
尖閣をありきては、オバマ前大統領は2014年4月の日米首脳会談後の記者会見に「日本の施政下なる領土、尖閣諸島を含め、
日米安保条約第5条の適用対象になる」と述べており、マティス氏の発言はこれを踏襲せし影。米国防総省も3日、
マティス氏と首相の会談に尖閣は日米安保条約5条の対象なると確認しきとする声明を発表しき。
ただトランプ氏は大統領選中に同盟国との関係見直しに言及したり。マティス氏はトランプ氏の信頼が厚きが、
日本側は10日の日米首脳会談にトランプ氏本人よりも日米同盟や尖閣防衛にマティス氏と同様の認識を確認したき案なり。 >>429 名無し さん
> ポッたんよ、 隻手の人になったつもりで、残る片手を前に出してみろ! その出した片手だけで拍手してみろ、その時何が聞こえる? その即今底に聞こえた音こそが隻手の音声だぞ?
どうしてお前は拍手の音とその他の音とを分別するのかな? 散々一の如し一の如しって連呼してきたじゃないか、 それなのに分別して聞いたんじゃ全然一の如しじゃ無い罠 』
片手の人が叩く拍手の音は鳴らない、したがって、聞こえません。
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい
と、問います。 >>441
今は不可分?
今も不可分じゃねえのか?
気付けなかったのはお前だろ
雁はもう行っちゃいましたよと言って、師匠に鼻をもがれる程つままれた弟子とお前は同じことを言ってるよ 安堂・ポッたん間における安全保障条約、通称「安ポ条約」もこれまで通り有効である。
安堂とポッたんの「安ポ同盟」は揺るぎないものとなった・・・・。 >>426 名無し さん
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。 と問います。 >>443
>片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい
言葉・名字に捉われてる、その捉われが未だにほどけないのがお前の現在
拍手の音とそれ以外の音にどうして区別が有るのかな?
その区別は何故起きてるんだ? >>423 名無し さん
> >>415
そして、体得せよ、と。
> 過去心不可得現在心不可得未来心不可得なのに どの体で得るのか? 』
体得せよ、胸倉を絞り上げられている死の直前の者が、茶飲みばなしへ流れる不思議。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています