YHWH☆十字架☆ヤハウェ☆イエス・キリスト復活66 [無断転載禁止]©2ch.net
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「さて、キリストは死人の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことですか。 もし死人の復活がないならば、
キリストもよみがえられなかったでしょう。 もしキリストがよみがえられなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしいのです。
すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけです。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、
わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反する
あかしを立てたことになるからです。 もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえられなかったでしょう。
もしキリストがよみがえられなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、
いまなお罪の中にいることになるでしょう。そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、
滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みを
いだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえられたのです。
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならないのです。」 「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。
ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばなりません。最初はキリスト、次に、ヤハウェの来臨に際して
キリストに属する者たち、 それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、
すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されます。 なぜなら、キリストはあらゆる敵を
その足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからです。 最後の敵として滅ぼされるのが、死です。
「神は万物を彼の足もとに従わせた」からです。ところが、万物を従わせたと言われる時、
万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかであす。 そして、万物が神に従う時には、
御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われるでしょう。それは、神がすべての者にあって、
すべてとなられるためです。」 「そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのでしょうか。
もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのですか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのですか。
兄弟たちよ。わたしたちのアドニー・キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている
誇りにかけて言いますが、わたしは日々死に直面しています。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つのでしょうか。
もし死人がよみがえらないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」となります。
まちがってはいけません。「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」のです。
目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいるからです。
あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのです。」 「しかし、ある人は言うでしょう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのですか。
どんなからだをして来るのですか」。 おろかな人だ。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではありませんか。
また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではありません。
麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎません。 ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、
その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになります。 すべての肉が、同じ肉なのではなく、人の肉があり、
獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天に属するからだもあれば、地に属するからだもあるのです。
天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っています。 太陽の栄光があり、月の栄光があり、
星の栄光があります。また、この星とあの星との間に、栄光の差があるのです。
死人のよみがえりも、また同様です。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、
肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのです。肉のからだがあるのだから、 霊のからだもあります。
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりです。しかし最後のアダムは命を与える霊となりました。
最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来ます。 この土に属する人に、
土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのです。
すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるでしょう。」 「兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておきます。
肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがありません。
ここで、あなたがたに神秘を告げましょう。わたしたちすべては、眠り続けるのではありません。
終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられます。
というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのです。
なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからです。
この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、 聖書に書いてある言葉が成就するのです。
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし感謝すべきことには、神はわたしたちのアドニーであるイエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を賜わったのです。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで
ヤハウェのわざに励みなさい。ヤハウェにあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、
あなたがたは知っているからです。」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています