感情、より深い意味での本能は、心と結びつく。
心とは、愛を受け止める場であり、そこにおいて神からまことの信仰を与えられる。
また、堕落した人間にあって、原初の至福の状態をしたい求めるように促すのも、心である。

動物であるが、例えば、狩りのとき、獲物が見つかったとか見失ったとかを仲間に知らせるのに、本能ティキにしていることを意識的にやり、本能的に語っていることを意識的に語るとするならば、
自分にとってもっと切実な問題の場合にも、同じように立派に話ができるはずである。
例えば、こんなふうに言うことが。「ぼくを痛めつけるこの縄をかじってくれ。ぼくはそこまで届かないんだ*」。