「倫理的勧告をもって」

あなた方は時にこう言います。
「私は彼が善に乏しく、道を外れようとしているのを見た。だから私が彼に教え導こう」
それならいいのです。その動機は絶対ではありませんが、愛に基づいていると言えるでしょう。
しかし、その人に無礼な発言をしたり、また、ケンカしてしまっては、
何が導こうなのでしょうか?

あなた方はそれが必要不可欠だと言うのかもしれません。
ならば私はローマ12章21節の「悪にまけてはいけません。むしろ善をもって悪に勝ちなさい。」といいます。
しかしあなた方は、悪をしたつもりはないと言うかもしれません。
ならば私はローマ14章15節の「あなたの食べ物のことで兄弟が心を痛めるなら、あなたはもはや愛の道を歩いてはいません。」といいます。

あなた方がそのつもりでなくとも、非難や指摘を受けた人は苦しんだのだとしたならば、あなた方は、「その苦しみについて私にはなんの罪もない、あなたの勘違いだ」などと言って無視するのですか?
兄弟よ。そのような振る舞いを、あなたは自信をもって愛の道だと言えるのでしょうか?

無礼な発言、ケンカ、これはあなた方の心を悟らずとも見ればわかります。
導くなら、あなた方はその行いも含めて善の内にしっかりと立っていなさい。
人を善の内に立って導くことが出来ないならば、あなた方さえも失われてしまうのです。

咎めるべき人の多さにうんざりすると言うなら、
ローマ14章1〜12節を読みなさい。
あなた方の仕事が減ります。