聖書を根底から学ぶスレ8 [無断転載禁止]©2ch.net
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聖書を牛歩のごとく、ゆっくり学んでいくスレです。
2016年の4月になりましたので、過去に約束したとおり、
このスレを復活させました。
以後よろしくお願いいたします。
※前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1472095192/ >通常に暮らしていて、
「通常に暮ら」せなくて鬱状態になる信仰者もいます。
それは信仰がないから鬱になるんでしょうか? >>590
興味があるというか鬱病患者です。入院も経験しています。
>楽しいこと、愉快なこと、人と楽しく過ごすことに着目するようにしてください。
そうできなくなるのが鬱病です。それに対して判を押したように楽しい気持ちになれ、
などというのは律法学者のやることですよ。自覚してください。 ひとつだけ言っておきます。
「感謝」ということが、自分にとってどれほど素晴らしいのかを説明します。
多くの人は、「感謝」とは、自分以外の誰かの為にするものと思っているかもしれないです。
けれども、本当は「感謝」は自分のためになるものなのです。
なぜかというと、「感謝する」という行為自体が『自分は恵まれている』ということの
表明であり、証となるからです。
ですから、感謝することにより恵みがもたらされ、恵みがもたらされることにより
感謝が増えるという、好循環になります。 「健康な者に医者はいらない」
このイエスの言葉についてよく考えてみてくださいね 感謝して鬱病が治れば医者も薬もいりません
というか論点ずれているでしょうwww
正直に自分の認識不足を認めればいいのに >>596
>感謝して鬱病が治れば医者も薬もいりません
あなたのおっしゃるとおりです!
実践しても損はありませんよ。 つまり原罪をなきものにしてしまったパウロ教には悟りがないのです。 全てを捨ててということでは仏教もキリスト教も同じことを言っているにも関わらずです。 信仰とは強制されて信じるというものではないのです。
自覚なのです。 >>597
いや、僕が言いたいのは感謝したって鬱病は治らないってことです。
日本語OK? >>597 ← 祖国の全体的な症状悪化と、やっぱり連動している様に見受けられます。
民族の集合的無意識ってやつかな。 ダニエルは自分のことを「ダニエル坊やなんだ」という謙虚な気持ちになって
人の話を聞かないとな。自分の誤りを認めず、屁理屈をこねて、誤魔化して逃げ回る。
「ぼくが間違っていました。」が全然ない。
知識だけのすろさんには、ダニエル坊やの信仰の歪みは見えないのか、それとも
小松菜を育てる優しさなのか、聞き流してあげてますわなあ。 マタイ9:30
καὶ ἠνεῴχθησαν αὐτῶν οἱ ὀφθαλμοί.
καὶ ἐνεβριμήθη αὐτοῖς ὁ Ἰησοῦς λέγων·
ὁρᾶτε μηδεὶς γινωσκέτω.
καὶ接続詞 すると
ἠνεῴχθησαν 過去受身三複 それらは開かれた、開けられた
αὐτῶν 男単属格 彼らの
οἱ ὀφθαλμοί. 指示代名詞男複主格+男複主格 これらの目(複数)が
καὶ 接続詞 そして
ἐνεβριμήθη 過去三単 彼は厳しく咎めた
αὐτοῖς 男複与格 彼らを
ὁ Ἰησοῦς 冠詞+男単主格 イエスは
λέγων· 現分男単主格 言った
ὁρᾶτε 現命二複 お前たちは見なさい
μηδεὶς 否定代名詞 誰も〜ない
γινωσκέτω.現命三単 知られないように
スロージューサー訳
すると彼らのこれらの目(複数)が開かれた。
そしてイエスは彼を厳しく咎めて言った
「見よ、誰にも知らないようにしなさい」
参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0930.pdf ダニ坊は、自分が間違っていることを認められないのです。 主は言われる
70年の終わった後に
わたしはバビロンの王と
その民と、カルデア人の地を
その罪のために罰し
永遠の荒れ地とする
イザヤ書 地球浄化計画 イエスは道の象徴でありイエスの十字架はあくまでもイエスの十字架に過ぎず、
十字架による救いとは自分の十字架をおうことに他ならないのです。 カルディアって今も荒れ地 上空から見るとウルの遺跡が広大に広がっているのが見える。
(現在のイラク) ソドムとゴモラについての抗議の声が あまりにも大きいのだ。
その訴えによると とてもむごく罪深いことをやっているらしいのだ
そこで、わたしは下界に降りてきて確かめようと思ったのだ
もし、訴えの通りならば、彼らはこの都市を完全に破壊するだろう
もし、そうでなければ、本当のことを知りたいのだ。
創世記 17 章 >>611
脱皮しない蛇は滅びる
フリードリッヒ・ニーチェ 一連のダニエルさんの主張をまとめると、
1.鬱病になるのは信仰がないから
2.感謝すれば医者も薬もなしに鬱病は治る
3.根拠は特にないです
こんなところでOK?w じゃあついでにw
・高名な神学者であるにもかかわらず、ヘンリ・ナウエンが鬱になったのは彼に信仰がないから
・ダニ坊さんが鬱にならないのは、いつも感謝して信仰があるから
この理解で間違いないですか?OK?
まあ、あなたの主張が正しいかどうか、人に尋ねるまでもないですねw >>593
ダニエルさん、大空スレで共通するような話題が出ています。
私は、鬱と言ってもその人の人格が先にあるし、よく分かりません。
鬱病と鬱症状というのも違うようですしね。
それと、人はホルモンに死ぬまで影響を受けるようで、
成長期にホルモンの影響で心のバランスまで崩したり、
更年期のホルモン変化は男性にもあるようです。 何をしたから治ると言うのでもなく、その時期を過ぎ去るのを
待たなければ、意志でどうにかならないほどの辛さがあるそうです。
その更年期は、ちょうど自分の人生で何をしてきたかが出てきますから、
精神的にも総括的に大変なようで、体と心の調整が今までの方法では
通用しないものがあるらしく、その年になってみないと解らない。
でも、躁鬱病でなくて、ホルモンバランスが崩れた鬱症状らしいです。 ダニエルさんのお話の牧師さんは、その更年期だったのでは?
無茶苦茶で我が儘放題のような人格まで及ぼしている、
疾患であったでしょうか。
私は、その点が大事だと思うのです。
牧師であっても、身体の病気になることもあるでしょうし、
信仰が揺らいだりでなければ、きっと元気になられるはずです。
信仰の基礎は十分わかっておられると思いますので、
人間に上下はありませんし、辛い時はお互い様、
祈りと感謝は通じる方だと思うのですが。 >>619
>高名な神学者であるにもかかわらず、ヘンリ・ナウエンが鬱になったのは彼に信仰がないから
「信仰がない」ということについて、あなたがよくわかっていないように思います。
僕は「信頼を置いていない」と書いていたのですが、その方がわかりやすいかと思います。
赤ん坊は母親に対して全般の信頼を置いていますので、その態度が参考になると思います。
特にクリスチャンの人は「信仰がない」ということを駄目出しされたように感じるのだと思いますが、
そもそも信仰ということがよくわかっていないのだから、感情的になる必要はないです。 自分の立場であるとか、エゴに縛られている人は、
自分以外のものを信頼する、ということが出来難くなっているので
信仰心というものから自然と離れているのです。
この状態を「信仰ができない」状態であると言えるのですが、
この状態で生活していると、様々な問題が発生してきます。 >>623
「信仰がない」でも「信頼を置いていない」でもどちらでも構いませんが、
あなたはあなた自身が鬱にならないのは、神に「信頼を置いている」からで、
鬱になる人は神に「信頼を置いていない」からだとおっしゃりたいのですよね? そうした状態から離れた状態もあります。
それには、赤ん坊の態度が参考になると思います。
思い煩わない態度、生きていることに信頼を置くこと。
これらが出来るようになったなら、自然と感謝の気持ちが沸いてくるはずです。 別にわたしはナウエンの信奉者ではありませんが、
あなたがおっしゃっていることは、要約すれば、
「少なくとも僕は、鬱になるようなナウエンよりは神に信頼を置いている人間だ(だから鬱になんてならないもん)」
ということで間違いありませんか? >>625
>「信仰がない」でも「信頼を置いていない」でもどちらでも構いませんが、
>あなたはあなた自身が鬱にならないのは、神に「信頼を置いている」からで、
>鬱になる人は神に「信頼を置いていない」からだとおっしゃりたいのですよね?
神に全面的に信頼したなら、何の心配もなくなります。 >>620-622さんがおっしゃる通り、神への信頼、信仰に関わらず、
加齢などの問題で、人は鬱になることがあるんですよ。
他にも、病気、事故、挫折、親しい人との別れ、など原因は様々です。
繰り返しますが、信仰や信頼、感謝の有無は鬱病とは「無関係」です。 >>627
>別にわたしはナウエンの信奉者ではありませんが、
>あなたがおっしゃっていることは、要約すれば、
>「少なくとも僕は、鬱になるようなナウエンよりは神に信頼を置いている人間だ(だから鬱になんてならないもん)」
>ということで間違いありませんか?
立派な人だから、神に信頼できているということでもないですし、
普通の人だから、神に信頼できないということもないのです。 >>629
>繰り返しますが、信仰や信頼、感謝の有無は鬱病とは「無関係」です。
なぜそのように言い切れるのですか?
あなたは神に信頼して、感謝の生活を送っていて、なおかつ鬱なのですか? >神に全面的に信頼したなら、何の心配もなくなります。
「はい」か「いいえ」で答えられるように質問しているんですけど。僕の日本語理解できています?w
・ダニ坊さんは神に全面的に信頼を置いているから、何の心配もなく、鬱にもならない
「はい」ですか?「いいえ」ですか?
・例えば、鬱になったナウエンは、神に信頼を置いていないと断定できる
「はい」ですか?「いいえ」ですか? >>632
信仰について、人と人とを比較することはご法度なのです。
あなたは聖書を読んでいるのに、そんなこともわからないのですか? >>631
はい、そうです。
それでも入院するほどの鬱病になりました。
あなたもこんな風に「はい」か「いいえ」でシンプルに答えてねw ★ルカ福音書 18章
パリサイ人はこう祈った。
「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、
また、この取税人のような人間でないことを感謝します。(中省略)」
「あなたがたに言っておく、神に義とされて自分の家に帰ったのは、
この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。 >>633
>>557の発言なんか、自分を上に、他人を下に見て、
「信仰について、人と人とを比較」している典型的な例だと思いますが。
>>582もそうですね。それとも一般的に「神に信頼を置いている人には不安がありません。」
ということが言いたかったのでしょうか?それなら、質問の答えになっていません。
人の質問に誠実に回答もせず、神には全面的に信頼を置いている、っていうこと、あるんですか?
ないと思いますよ。 「沙門でございます。出家の修行者でございます。」
「私もかつてあなたと同じように生・老・病・死の人生の大きな問題で悩み続けました。
老・病・死の苦悩の解決は他に求めて得られるものではなくて、また瞑想して観念的に解決のつくものでもありませんでした。
自分を正しく支配できるように厳しい苦行をし、努力を重ねる以外に方法はなかったのです。」
と、自分の体験を語りました。 >>636
>人の質問に誠実に回答もせず、
きちんと丁寧に回答しています。
しかし、あなたがそう思わないのはご自由です。 ご自分がパリサイ派だといいたいのね。
了解しましたw >きちんと丁寧に回答しています
丁寧ではなくていいので、「はい、か、いいえ」で「端的に」回答してください。
ご自分のご意見はその後におっしゃればよろしいのでは? いかん 実家の母親と長電話をした。1時間ほど
身体が寒い。風邪をひきかけているようだ
風邪薬を飲んだ。電気毛布にくるまって寝よう。
信仰がわたしを風邪から守りますように >>642
お大事に(^O^)/
信仰がなくても風邪薬があれば大丈夫さ なぜそのように言い切れるのですか?
あなたは神に信頼して、感謝の生活を送っていて、なおかつ鬱なのですか?
>>634
それでも、入院するほどの鬱病になったと仰いましたが、
回復できましたか?
回復した時、鬱の原因も含めて何が回復をもたらしたと
お考えになりましたか? >>644
薬、休養、適切な処置、周りの支えで回復しました。
僕個人に信仰があったからだとは思いません。
原因は正直、一言では語れないですね。 ダニエルさんの意見も実体験にはわからないでもない
小学生の時、キリストの十字架の贖いを信じた時、確かに死が突然に
怖くなくなった。死が克服されたからです。永遠の命に参加する者に
なったという安心感に包まれたのですね。
そういうことは入信時に喜びとして、初信の者にはありがちだと思います。
それ以前の不安にあった者ほど、その安心感は深いのかもです
ただ同時に信仰的に問題ない方々も病気をする、鬱にもなるということが
あります。それらすべての方を信仰がないと一刀両断にするのは
いかがなものかと思います。 >>642
ややこしい話にして、行き過ぎて遊んだ事に対する
母マリアからの体罰です(爆笑 >>645
そうですか、回復に信仰は何の役にも立たなかった・・・ >>647
母の話に付き合うのも親孝行なのです。
あなたの聖母マリアは子供に体罰を与えるような方なのですか?
妹が尊敬する聖母マリアは温かい方のようですが >>642
長電話も電気毛布も体に良くないですよ。
お大事にです。 > 母の話に付き合うのも親孝行なのです。
これってほんとにそうなんだよなあ
俺の場合は一度電話すると3時間でも4時間でも母親は話を止めない
しかもこっちはなーんも知らないような母親のご近所さんの話
だがそれを「うん、うん」言いながら聞いてあげるのも親孝行と思って耐えてるw >>648
僕はですけど、鬱状態の時って、とてもじゃないですけど、
信仰を維持できるようなエネルギーはないですよ。
ですから、鬱状態で信仰がなくなっている/低下している、
ということはよくあると思います。
でも、もともとから信仰がなかったわけじゃないですね。 「語らないか?信仰についてダニエルと」
のようなスレッドを立ててみんなで話した方がいいよ。
聖書にでてくる美少年ダニエルなので、やらないか?というのを少し想起させる
工夫のスレタイ。 >>652
イエス様は
マタイ11:28
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
と言われていますし、パウロは
ガラテヤ6:2
互に重荷を負い合いなさい。
そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。
と私たちに命じています。
信仰を維持できるようなエネルギーが無い時ほど
本当は教会で休んでほしいものですが、この世の教会は
そういう癒しの場所に残念ながらなってないようです >>652
ふむ、なら2chなんかで、我が儘、好き放題で、人を巻き込み
イライラを発散するような、エネルギーはないという事ですね。
それは鬱とは違う病名が考えられますね。
いづれにせよ、回復したいなら入院と言う選択肢は大事なようですね。 >>655
ないですね、少なくとも鬱の時は。
僕も今は鬱じゃないということでしょうね。
躁うつ病の躁鬱混合状態というのは別らしいですけど。
こっちは、イライラいながら鬱状態という複雑な状況らしいです。
信仰や感謝で何とかなるとか幻想も甚だしいですよ。
鬱でも躁鬱でも、まずは適切な治療と休養が必要でしょうね。 >>656
>信仰や感謝で何とかなるとか幻想も甚だしいですよ。
あなたは僕の書いていたことを少しも理解できていないじゃないですか。
そもそも理解しようとして読んでいなかったのでしょう。
信仰や感謝で何とかなる、というような内容は書いていないです。
感謝と鬱とは、ベクトルが逆方向にあるのだということを理解できないと
僕の書いていた内容も、自分勝手な解釈しか出来ないものになります。 >>656
なるほどね。
もうひとつお聞きしたいのですが、
回復するのに信仰が役に立たないというか、もうそんなエネルギーも
ないという事でしたが、
回復された前後で、信仰にたいする考え方が変わりましたか? 何かのきっかけで鬱になった人の場合、
そのきっかけとなった出来事の受け止め方に問題があったのです。
これ以上は書きたくありません。あなたを怒らせたくないからです。
しかし、鬱になるには本人に問題があったのです。
しかし、これ以上細かくは書きません。
何度も同じことを書くのは気がひけますが、神に信頼を置いている状態であり、
さまざまなことに感謝が出来ているなら鬱にはならないのです。
もっとも物理的に頭に障害を負ったような場合は、この限りではありません。 >>657
>感謝と鬱とは、ベクトルが逆方向にあるのだ
言い換えれば、こんな感じでしょうか、祈りや感謝、あるいは信頼は
赤子の様に、一番自らのエネルギーは要らない。 >>657
すいませんが、あなたの回答は全く質問とかみ合っていないので理解しようがありません。
はいかいいえで答えられる質問に対して、回りくどく意味不明なことをおっしゃっているんですから。
>>658
僕の経験ですが、回復した後、ふと2コリント12章9節が実体験として理解できたような気がしました。
鬱はつらかったですけど、いい経験をしたようにも思います。 >>660
>言い換えれば、こんな感じでしょうか、祈りや感謝、あるいは信頼は
>赤子の様に、一番自らのエネルギーは要らない。
エネルギーについては、よくわからないですが、
安心とか、落ち着いているとか、幸せとかで表現できる状態です。
鬱に限らず、世の中が信用ならない、と思うだけで、その人の状態は悪くなります。 >>661
>すいませんが、あなたの回答は全く質問とかみ合っていないので理解しようがありません。
そうではなく、あなたは初めからこちらの書いている内容を理解しようという態度がありません。
しかし、それはあなたの選択ですから、こちらがどうこう言う事でもないのです。 >信仰や感謝で何とかなる、というような内容は書いていないです。
↓に書いてますけどw
>さまざまなことに感謝が出来ているなら鬱にはならないのです。 >>661
あなたには感謝しています。あなたがこちらに質問をしなければ
ここに僕が書いたことは、無かったはずなのですから。 え?ダニ坊はまだ投了してなかったの。暴れ回るもんだねえw あら、話は打ち切るんじゃなかったんですか?w
>あなたは初めからこちらの書いている内容を理解しようという態度がありません。
あなたもはじめからYes、Noで答えてくれていませんね。
なぜです?
あなたこそ、こちらの問いに答える姿勢がないように思われましたが。 >>665
了解です。こちらこそ、ありがとうございました。 >>661
その聖書箇所、良いですね。
渦中は、それどころではなかったけれど、いい経験を
聖書が、これでしょ、なんて言ってくれるところが
やはり、信頼できる書であるということで、嬉しいですね。
色々お聞きしたことに、答えて下さり、ありがとうございました。 他でも書きましたがこちらでも質問します。
私が買った新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注)には、赤色と青色の紐がついているんですが、この赤色と青色にはどんな意味や意図がふくまれているのでしょうか? >>662
>鬱に限らず、世の中が信用ならない、と思うだけで、
>その人の状態は悪くなります。
例えば、東京都民の税金の使い方だとか、国民の税金の使い方だとか
汚職等、戦争でお金もうけしようとか、土地や資源確保だとか
そういった事を監視することの必要性、
国や権力者でなく国民が主人公であるという
自覚は必要です。
恐れから服従していた時代を克服するのは、
信用どうのでなく、それで鬱になるとかその人の状態が悪くなる
ということはなく、健全さの現れです。
イエスがそうでした。宗教と結びついた金と権力の腐敗に対してね。
ダニエルさんが仰る、この世が信用できないの、この世とは自分が生活してる
場での直接的な人間同士の事であり、抽象的なこの世でなく
具体的な環境とそこに生じている人間関係のことを指していますか? >>671
>信用どうのでなく、それで鬱になるとかその人の状態が悪くなる
>ということはなく、健全さの現れです。
あなたの考えというか、ご意見はよくわかりました。
さらに、僕の書いていた内容があなたに伝わっていないのもわかりました。
もう一度わかりやすく書きますが、
政治家が間違っているとか、お金の配分の仕方が悪い、だとか思うことが
あなたにとって良い影響を及ぼすわけではないのです。
そのような考えに浸っているときに、鏡でご自身の表情を確認してみてください。
そうすれば、すべてわかるのです。
そのような考え方が、人を幸せにすることはありません。 人間の作る社会も、日進月歩でよくなってきていますが、
それでも、これから先も完璧な社会が出来るわけではありません。
ですから、社会が不完全なことを嘆いたり指摘しても、それは無駄です。
そうは思えないだろうことも、わかりますが、無意味なことは無意味なのです。
もっとも、あなたが官僚なり政治家なりといった権力者になって変革させるなら
それは良いとは思います。
このことに気付いたなら、無駄なことに注目するよりも
自分にとって楽しいこと、やってみたいこと、好きなことに着目した方がいいのです。 >>673-674
ダニエルさん、私は「世の中が信用ならない」という言葉が、
どこに適用されて言っておられるのか、聞くために
話しました。
ダニエルさん、
>さらに、僕の書いていた内容があなたに伝わっていないのもわかりました。
なぜ、そのような話にいきなり被害妄想のように結論付けられるのでしょう。
あなたが、勘違いしない様に
イエスの事も出して、信用ならないについてを粗雑に扱う事が
ないように、例を上げた上で、
ダニエルさんのお話の鬱やその人の状態が悪くなるは、
会社や学校、家庭、身近な生活環境とそこからくる人間関係の事で
起こるでよろしいか、とお尋ねしたのです。
国民が主人公であり、国民の政治参加は、人類の苦渋から到達した
貴重な一歩であり、それを無意味だという感覚はどこから来ているのでしょう。
イエスを侮辱されるのですか。
ダニエルさんが、外面情報に振り回されて、異常な関心の持ち方をした
経歴があって、鏡をみて変だと思ったのかもしれませんが、
それは、あなたの偏りと精神が健全でなかったことから来る別の事では
ありませんか。
あなたのレス、どうされたのか、思いましたよ。 ダニエルさん、人の話を普通に聞いていただきたく思います。
>このことに気付いたなら、無駄なことに注目するよりも
>自分にとって楽しいこと、やってみたいこと、好きなことに着目した方がいいのです。
今ね、そのような話はしていないし、あなたが抑圧的に
生活する期間が長った事など、いきなり話に混ぜてこられても・・・
・???
今お聞きしているのは、
ダニエルさんが仰る、この世が信用できないの、この世とは自分が生活してる
場での直接的な人間同士の事であり、抽象的なこの世でなく
具体的な環境とそこに生じている人間関係のことを指していますか?
です。
と言いますのは、そこらへんの信用が崩れた時、痛手を受ける人が
いる事を知っているからです。
で、ダニエルさんもそこに着目されていますか?
と尋ねているのです。 >>675
>ダニエルさんのお話の鬱やその人の状態が悪くなるは、
>会社や学校、家庭、身近な生活環境とそこからくる人間関係の事で
>起こるでよろしいか、とお尋ねしたのです。
人間関係はもちろんのこと、あらゆることは
あなた自身の受け取り方によって、良くなったり
悪くなったりするということです。
なぜなら、様々な出来事に意味づけするのは自分自身だからです。 >>675
>国民が主人公であり、国民の政治参加は、人類の苦渋から到達した
>貴重な一歩であり、それを無意味だという感覚はどこから来ているのでしょう。
確かに、あなたの言うように「民主主義」というものは、人間が手にした良いものです。
しかし、あなたは民主主義をコントロールするのではなく、民主主義の恩恵によって
幸せを得る道を選択すればいいのです。わかりますか?
必要以上に政治に興味を示すことが良いことではないことをご理解ください。
個人が政治や社会に対して憤ったり、意見を持ったりすることが良いことであるかのように
マスコミから洗脳されてしまっていることを、どうか悟ってください。 あなたにとって本当に大切なのは、日本の政治や社会の動きなどではなく、
あなたの身近な人、たとえば奥さんのちょっとした変化や、言葉遣いに関心を持つこと。
あなたと関わる多くの人に笑顔をもたらすこと。あなたの好きなことに熱中することなのです。
このことが、現代人は本当にわからなくなっているのです。
やがて、老人になって死が自分の目前に迫ってきた時になって、
「いったい今まで自分は何をやっていたのだろう。意味のないことに気をとられて、
本当に大切にしなければいけなかったことを見逃していた。」
と気づくのかもしれないです。 >>677
話が変わっていますが、
ダニエルさんが信用という言葉を使われたので、
それをまず聞いているのであって、
>人間関係はもちろんのこと、あらゆることは
>あなた自身の受け取り方によって、良くなったり
>悪くなったりするということです。
>なぜなら、様々な出来事に意味づけするのは自分自身だからです。
なぜ、そんな話になっているのですか? >>678-679
だれが、政治に熱中せよとか、言いましたか?
信用と言う言葉が粗雑に扱われない様に、
例をあげたのです。
しかもダニエルさんが誤解しない様に、イエスも出しておいたのです。 >>680
>ダニエルさんが信用という言葉を使われたので、
>それをまず聞いているのであって
わかりました。
あなたにとって「信用」とはどんなものですか?
それをまず、先に教えてください。 ダニエルさん、視野のバランスが崩れていませんか?
福祉は日本は充実しているとはいえませんが、
それで、どれほど助けられている面もあるかです。
それは、政治家が実現することではなく、国民がつくりあげるのです。
税金に使い方は、国民が決めるのです。
家計簿と同じで、働いたお金を何に使うかです。
年老いて、にこにこできるのも何となくでなく、そういう社会と
無関係ではありません。
社会が良くなければ個人は良くなりません。
個人が良くなければ社会は良くなりません。
社会の構成員は個々人だからです。
これはノーマルな考え方であり、中学生段階の話です。
あなたが笑顔を支えるのは、見えないさまざまであるという
ノーマルな考えが分からないのは、あなたが政治に対しての
観念が分裂状態の域をでないところにしかいなかったのでは、
そんなダニエルさんの、不健全の話をしているのでは
まったくありません。
このような違う話をしなければならなくなるとは・・・。 >>682
用事を済ましてから、のちほど。
少し、ほっとしました^^ マタイ9:31
οἱ δὲ ἐξελθόντες διεφήμισαν αὐτὸν ἐν ὅλῃ τῇ γῇ ἐκείνῃ.
οἱ 男単主格 これらの
δὲ 接続詞 だが
ἐξελθόντες 2過分詞男複主格 出て行って
διεφήμισαν 三複過去 彼らは言い広めた、宣伝した。
αὐτὸν 男単対格 彼を
ἐν 前置詞+与格 〜で
ὅλῃ 女単与格 全体
τῇ γῇ 冠詞+女単与格 地方
ἐκείνῃ.指示代名詞女単与格 その
スロージューサー訳
だがこれらの者たちは出て行って、イエスをこの地方全体に宣伝した。
参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0931.pdf スローでロハスなスシローおおおおおおおおおお。
ていいたい、 ダニ坊は屁理屈をこねて逃げ回るんだ。反省したり改めることがない。
この人はおかしいぞ ?と気づく人が次から次に現れる。
大抵ダニ坊とやりあってる人の方が正しいことを言ってて、追い詰められてる
ダニ坊に判官贔屓のすろさんが助け舟出してうやむやにということになるよ。 イエズス様がゲッセマネで血の汗を流しながら苦しまれた。もっと信仰があれば
苦しまないで済みますよ、と言わんばかりの論を展開している。 657 : ダニエル ◆o31oshrvYE 2016/10/31(月) 23:32:26.98 ID:e8RPtFo9
>>656
>信仰や感謝で何とかなるとか幻想も甚だしいですよ。
信仰や感謝で何とかなる、というような内容は書いていないです。
感謝と鬱とは、ベクトルが逆方向にあるのだということを理解できないと
僕の書いていた内容も、自分勝手な解釈しか出来ないものになります。
659 : ダニエル ◆o31oshrvYE 2016/10/31(月) 23:35:41.19 ID:e8RPtFo9
何かのきっかけで鬱になった人の場合、
そのきっかけとなった出来事の受け止め方に問題があったのです。
何度も同じことを書くのは気がひけますが、神に信頼を置いている状態であり、
さまざまなことに感謝が出来ているなら鬱にはならないのです。
もっとも物理的に頭に障害を負ったような場合は、この限りではありません。
662 : ダニエル ◆o31oshrvYE 2016/10/31(月) 23:42:35.56 ID:e8RPtFo9
>>660
>言い換えれば、こんな感じでしょうか、祈りや感謝、あるいは信頼は
>赤子の様に、一番自らのエネルギーは要らない。
エネルギーについては、よくわからないですが、
安心とか、落ち着いているとか、幸せとかで表現できる状態です。
鬱に限らず、世の中が信用ならない、と思うだけで、その人の状態は悪くなります。 <<ダニエルさんが仰る、この世が信用できないの、この世とは自分が生活してる
場での直接的な人間同士の事であり、抽象的なこの世でなく
具体的な環境とそこに生じている人間関係のことを指していますか?>>
☆ 話を少し前から、抜粋して貼っています。
677 : ダニエル ◆o31oshrvYE 2016/11/01(火) 17:59:55.05 ID:8Esyobid
>>675
>ダニエルさんのお話の鬱やその人の状態が悪くなるは、
>会社や学校、家庭、身近な生活環境とそこからくる人間関係の事で
>起こるでよろしいか、とお尋ねしたのです。
人間関係はもちろんのこと、あらゆることは
あなた自身の受け取り方によって、良くなったり
悪くなったりするということです。
なぜなら、様々な出来事に意味づけするのは自分自身だからです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています