中山みきは現実の世を、オカルトを用いて、世界ろくじにして下さる人間の親神です。
中山みきの語るそれは、現代社会では一般に「理」ではないとみなされています。
天理教(中山みきの教え)は科学的では無いというのが批判者たちの常套句でした。
その時、奇跡体験を語ることが天理教の正当性の唯一の証明であった時代がありました。
いわゆる初代の時代がそれで、奇跡的なご守護話が教団の教理信仰の中核であり、
原典は、親心や教訓として語られるばかりでした。
初代の奇跡話を土台にして大教会は応法の道で、立派な施設を普請し、財産形成をしていきましたが、
それは中山みきを信じられない不信と不安の証拠証明にすぎませんでした。
天理教の教理の本質は、それほどに、世間とかけ離れていたのです。

おやさまは、信者が欲しいわけでもなく、
世界一列の陽気暮らしが見たいだけであるという、簡単な天理すら誠をもって信じる人は、教団にはいなくなりました。
「信者になれ」「信者をつくれ」「教会になれ」「教会を作れ」と、
まるでおやさまに背いた天理教団のあり方の先頭にいた諸井系は、あるいみ心に正直な方たちばかりだとかわいそうに思います。
だって、何も分かっていないのですよ。
それなのに、高級な教理を作り上げて、人集め金集め、高座に座って大教会長様は神様だと、
お気の毒なことです。