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天理教 基本教理 天理教教典 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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0542基本。
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2018/12/21(金) 10:38:06.82ID:yD17vDqH
元バークレー神学連合大学院生深谷耕治さんの「「おふでさき」の有機的展開」にある、陳腐と滑稽をここで語ってみよう。
彼はこんな風に書いている。
「中山みきの言行録としての『稿本天理教教祖伝』(以下、『教祖伝』)や『稿本天理教教祖伝逸話篇』
(以下、『逸話篇』)が「おふでさき」より二義的であるとは(編纂史的には別にして)教義学的には必ずしもいえないからだ。」
・・・・・
おやさまは「これだけあったら他にはいらない」とお筆先の位置を語られている。
「中山みきの言行録はおふでさきより二義的」に決まっているのだ。
なにを詭弁を語るかと言えば、こんな事を言っている。
「。「おやさとやかた」
は天理大学、天理小学校、天理よろづ相談所病院「憩の家」など
の施設として利用されており、天理教の信仰者以外の人にとって
も天理教文化の一つとして特徴的な建物だ。ところが、その構想
の基は「おふでさき」ではなく、「今に、ここら辺り一面に、家
が建て詰むのやで」(『逸話篇』158 〜159 頁)云々という中山
みきの言葉にある。一人の女性の一言に基づいて壮大な建築が進
められているということは、天理教の所作一つひとつが中山みき
という人から生まれていることを如実に表している。」
つまり彼は、「おやさとやかた」はおふでさきから生じていないという事を例にして、
お筆先がすべてでは無いと語っているのだが、小学生のがきでもあるまいに。
「やまとのぢばのかみがた」と、お筆先が書かれた時に「神の館・おやさとやかた」は形も無かったが、
おふでさきに基づいて建てられたものであり、そんな初歩の知識も無い馬鹿を、海外に留学させて、
天理教の教義を語らせる、山名系深谷系の陳腐はお笑い種では無いか。
0543基本。
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2018/12/21(金) 10:41:09.78ID:yD17vDqH
このような執筆の様子を実際に目の当たりにしたならば、素
朴な心情はそこに超越性を見出すだろう。そこでは超越性の運
動がまずは中山みきという女性の身体に現れ、次に筆を執った
彼女の身体の活動によって幕末期から明治初期の大和近辺に流
通していた言葉として流れ出した。超越性の運動は身体に多大
なる負荷をかけるのだろう、「手がしびれた」とある。そして、
その運動は、身体のレベルから言葉の意味のレベルに位相を
移し、人の精神にまで作用しようとする。それが、「心鎮めて、
これを読んでみて、分からんこと尋ねよ」という問いかけに入
れ筆をしたプロセスに当たる。「書くだけ書く」段階では身体
に焦点が当たっているが、手が動かなくなりその機能がストッ
プしたあとは、「心鎮めて」「読んで」理解する知的・精神的な
活動が主になっている。
このように「おふでさき」の主導権はつねに超越性の側にあ
り、その運動は人間の身体的・知的・精神的な領域に及ぼうと
する。本連載のタイトルである「「おふでさき」の有機的展開」
とはそのような超越性の運動が働く様を示しており、それは「お
ふでさき」を執筆した者だけではなく読む者にも及ぶ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「超越性の運動」という怪しげな造語で彼が説明しているの内容にはおやさまが親神だという一番の肝心が抜けている。
おまけに逸話の解釈がきちんと出来ていない。
言いたいことは「「おふでさき」においても「驚き」がなければそれを神の言葉
として読むことは叶わない」。と、ここにあるようだが、驚きより大切なのは、「親神さまがこう教えて下さっている」という謙虚さだ。
0544基本。
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2018/12/21(金) 10:45:04.37ID:yD17vDqH
天理教は「かなの教え」であるが、以下の解説は「かなの教えの精神」に反している。

「「見晴らす」という作用が現れた時点でその作用の主と客が相関的
に要請され、第一首において「見晴らす」主体が明示されては
いないもののすでに潜在的に示されている。さらに言えば、そ
のような対象化の作用そのものが、「よろつよのせかい一れつ」
や「むねのハかりたもの」の出現を成立させる背景・土壌を用
意している潜在的な主体ともいえる。」
「第一首では「見晴らす」という対象化作用としての潜在
的主体とその対象の否定(主客分離)、第二首では自己と対象
の共否定による「理」としての潜在的主体の現れ(主客融合)、
そして第三首で「神」としての潜在的主体の顕在化と対象の主
体化(主客一致)が示されていると言えよう。そして第四首以降、
この「神」について順々と明らかにされていく。」
・・・・・・・・・・・・・・
こんなかなの教えでは無い唐人の説を説いていて、
教会本部ではエリート扱いしているとしたら、まだ山名系はさんげできていない。
0545基本。
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2018/12/21(金) 10:56:52.26ID:yD17vDqH
おふでさき」の有機的展開(18)第三号:第七十三首〜第八十首
「正月二十六日」について述べている「おさしづ」を読むと、この二首に込められている思いがよく理解
できる。」
おやさと研究所嘱託研究員深谷耕治は、このおさしづの解釈を「都合よく解釈」して、
おつとめと教会設置を説いたおさしづだと巧妙に語っている。

「正月二十六日を待つ」というのは、「教祖が現身を隠して、世界だすけをなお一層進める日を待つ」という意味が第一義であ
ると解することができる。
それでは、そのような世界だすけはどのようにして進められるのであろうか。それはつとめによってである。そうである
から、次の首で、このあいだ(執筆時から明治20 年陰暦正月二十六日)までに芯を定めて、欲を忘れた人々を揃え、つとめ
の段取りを進めることを述べているのである。世間から「取り払われた」のはつとめの中心点(ぢば)を示すかんろだいであり、
警察から「差し止められた」のはつとめである。そして、この「おさしづ」を伺った松村の懸案事項は教会設置であり、教会の第
一義は「つとめを勤める場所」である。すべて一貫して「つと
めによって世界をたすける」という態度」・・

おさしづ原文を見てみたら良い。いかさまが見て取れる程度に2チャンネルのお人は原典に強くなっているはずだ。
0546基本。
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2018/12/21(金) 11:00:03.67ID:yD17vDqH
明治二十二年三月十日
松村吉太郎三月六日のおさしづに『生涯の理も諭そ』との事に付伺
さあ/\何か事情、尋ねる処/\、さあ/\数々の理は言うまでやない/\。これまでに聞かしてある。数々の事は言わん。
どんな事も、どんな道も、世界の事情もこれまでの理も、通り来てある。月々年々の日も通り来てある。
さあ/\五十年以前からの道すがら。元泥水やない。
元初まりの理を聞き分け。理を見よ。人間心で始めたのではない。
拵えたのやない。誰に談じてしたやない。
今日は晴天、今日は雨かと、この理を分かれば、理は鮮やか分かる。
さあ/\最初初めというものは、難し処より始め掛け。
さあ/\世界ではもう取り払いや/\と言うた日も、幾度も幾度もある。
又取り消した、又差し止めた事もある。
さあ/\正月二十六日と筆に付けて置いて、始め掛けた理を見よ。
さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界ろくぢに踏み均しに出て始め掛けた理と、
さあ/\取り払うと言われてした理と、二つ合わして理を聞き分けば、さあ/\理は鮮やかと分かるやろ、と。
よく聞き分けてすれば、分からんやあろまい。
世界ろくぢに踏み均しに出て居る。疑いもあろまい。
なれど疑い心があるなれば、尋ねて見よ。
神は幽冥と思うやろ。幽冥と思うなよ。
五十年以前の道の理を思案して見よ。神は嘘と追従これ嫌い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが原文である。
神はなんと言っているか、教会とかおつとめとか言っているか。
深谷解説のインチキはきちんと見破れる。
0547基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 11:12:26.12ID:yD17vDqH
神がこうしろと言う内容は、始めかけに関してのものである。
「最初初めというものは、難し処より始め掛け。」
「始め掛けた理を見よ。 」
「疑い心があるなれば、尋ねて見よ。」
「五十年以前の道の理を思案して見よ。」(神は嘘と追従これ嫌い。)

立教直後の「貧のどん底に落ちきれ」を、その理を思案しろとの神意であって、
始めかけよと言う話題である。

ごちゃごちゃ難しい事を言っておいて、「勤めの完成」になると突然平易な言葉を用いて短絡的に語る。
そんなの誰にも通用しなくなるよ、可愛そうな山名系の後継者たちは、おやさまが生き神様だと知らないのに、知ったかぶりの「高山」さん。
いんねんは切れていませんね。異端です。

山の中でもあちこちと天理王のつとめする。ここで勤めをしていれど胸の分かりた者は無い。

おやさまは、こうおっしゃっておられます。
最初から見抜かれているわけです。
おやさと研究所、足袋の上に長靴はいて上から掻いているような深谷さんの教理理解。
恥はかいておくものです。
集金信仰組織の思想リーダーは、こんなにも可愛そうな裸の王様だと、皆に周知されるためには、
彼の恥知らずな研究態度は、笑われることで、一列の皆様のお役に立つと言う事です。
0548基本。
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2018/12/21(金) 14:43:53.43ID:yD17vDqH
その神の働きは、天理教団の説くような「心の成人」や「魂のお徳」で神は働くのではありません。
神は勝手に働いて、そういう世界にしてしまうのです。

その神の働きを「成ってくる理」と呼びます。
人にできるのは、そのおやの働きを悟ることであり、ご守護の中で陽気に暮らす事です。

「ほうさくを教えたい」とお筆先にありますが、「豊作」は「方策」があって叶うものです。
「豊作を教えてこらう事を、豊年にしてくれる方策」を学ぶ事と理解しないで、
「神に祈れば豊作」とは、おやさまのおしえではない。
それは「宗教詐欺の大教会教理」です。
方と策、方法と策、
中山みきが教えたいのは、この世を豊年にする「方策」です。

おふでさきから、それを悟りとるには、貧乏から行うしかない。
谷底に落ちて通るしかない。
それが「成ってくる理が天の理」を体解する唯一の道です。
0549基本。
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2018/12/21(金) 14:46:41.05ID:yD17vDqH
先ずおふでさき3号の本質的なテーマは何かと言う事です。
 しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい (3-8)
 このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん (3-9)
  だん/\とをふくよせたるこのたちき
   よふほくになるものハないぞや (3-49)
  いかなきもをふくよせてハあるけれど
  いがみかゞみハこれわかなハん (3-50)
 せかいぢうむねのうちよりしんばしら 神のせきこみはやくみせたい (3-51)
 このたびハうちをふさめるしんばしら はやくいれたい水をすまして (3-56)
  にごり水はやくすまさん事にてわ
 しんのはしらのいれよふがない (3-66)
  はしらさいはやくいれたる事ならば
  まつたいしかとをさまりがつく (3-67)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
真柱を入れたいという話題が3号の主題です。
0550基本。
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2018/12/21(金) 14:48:28.21ID:yD17vDqH
そもそも「つとめ」とは何であるのかというそれそのものを、山名系は巧妙に歪めて解説します。
地場で甘露台を囲んでの神楽面を用いての「かぐらつとめ」が、「つとめ」だという定義を持ち出しています。
それもつとめではあるし、僅か十人の人衆のおつとめと言うものに限定的に許されている「かぐら勤め」が、最高にして至高だという語り口が常套手段です。
おやさまは、「つとめでも心の勤め身のつとめ」と言われています。
「どのような事をするのも皆つとめ」と言われています。
つまり、たった十人のかんろだいつとめだけではなく、お勝手で食事用意していても炊事洗濯であっても、草むしりであっても、心のつとめ、身のつとめです。

家業第一と示されていますから、家業のつとめも「つとめ」。
聖と俗に隔ててしまうと、神事としてのつとめが本当のつとめだという詭弁に引っかかります。
ではなくて、おやさまは普通の暮らしの中においての「心のつとめ身のつとめ」を教えられている。
「ここで勤めをしていれど胸の分かりた者は無い」というのは、神事としてのおつとめをしている人たちに対するご指摘です。
おやさまの「人間は働くために生まれてきたのや」という、本質は、普通の労働を肯定していて、高山的宗教家業を否定しているわけです。
ところが道専務という宗教家業のお徳の高いお家柄でございますと言う、聖職者でございますと言う、そういう腐った根性が詭弁を生み出すわけです。

おやさまの教えの本質は世界一列にあって、限定された聖地地場でのつとめは特別凄いと言うようなものでは無いと言う事です。
0551基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 14:50:03.10ID:yD17vDqH
この人を三か三よさにやどしこみ
 三ねん三月とどまりていた       6号 47
 それよりもむまれたしたハ五分からや
 五分五分としてせへぢんをした     6号 48
 このものに一どをしえたこのしゅごふ
 をなじたいない三どやどりた      6号 49

ぢば定めより、
9年9月後。 立教48年4月26日 吉祥。
3日3夜   1885年4月29日 「天理教会結収願い」を大阪府知事に。
3年3月後。 1888年7月23日 お地場が天理教会本部となる。
妊娠約9月余 1889年5月    神道本局3等教会に昇格。
5年(5分) 1894年6月    真柱神道本局神殿普請の監督になる。
5年(5分) 1899年5月21日 神道本局管長一派独立をすすめる。
9年9月後  1909年2月19日 天理教独立報告祭
・・1885年(明治18年)5月23日に、神道本局傘下の六等教会「神道天理教会」として認可されたが・・・・・・・・・・・・・・・

 神道本局の傘下として「神道天理教会」として認可された事。
これで組織としての苦がなくなったわけです。
 ところが中山みきにものを言わしてはならないというお上の達しがあった。
 中山みきは投獄収監、拷問。
 山名はさっさと天輪教会で認可受けて苦はなく、5年も偽かぐらでした。
0552基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 14:52:13.79ID:yD17vDqH
教祖は、明治15年頃から、特に「ひっそ、ひっそ」と、命じていて、明治政府が最も危険視していた天理教の「こふき話」も、いつも密かに説いているありさまでした。
教祖のお書きになった、おふでさきは、なかったこととされて、みかぐらうたも、原本は見つかりませんと、官憲を欺いてきました。
一方信者たちは、有力な講元が、公認を得る為の方策に動いていて、教祖の、「慎みがおふかん」とは程遠い、派手で活発な活動でした。
ここに、お屋敷では、ひっそにしたい。
講元たちは堂々と表を通りたいという事情が立てあいました。
115歳の定命の教祖は、そこで、皆に尋ねました。
「扉開いてぢをならそうか、扉をしまりて地をならそうか」と。
皆は、扉を開いた方が宜しいと答えました。
「堂々」と「ひっそ」のどちらを選ぶかを尋ねた時、子供たちは、「堂々」を選びました。
教祖は、そこで、25年の命を縮めました。
政府に、地方権力に迎合した、堂々の道を求める心は、慎みを忘れた手がけの大道でした。
戦争協力の道は、この時、選ばれていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しんばしらの軽視、大教会長の神様扱い。泥水事情です。

いまゝでわからハゑらいとゆうたれど これからさきハをれるはかりや (3-89)
海外留学して「からはえらい」と、そういう山名系の教義学者がはびこる泥水事情。
予言です。
0553基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 14:54:07.24ID:yD17vDqH
「このような社会において一人の若者が宗教書を自己の信仰にもとづいて読むという経験の記録は
どのような意味を持ちえるのであろうか。」
「天理教産業」への寄与に堕するのみか、それとも社会に還元されるべき経験知として保存されるのか。
あるいは、人の評価はともかくも神が喜ぶのであろうか。」
>元バークレー神学連合大学院生深谷耕治さんの「「おふでさき」の有機的展開」より、引用した。

↑ これは、天理教教団幹部エリートの自白である。

「このような社会において一人の若者が宗教書を自己の信仰にもとづいて読むという経験の記録は
どのような意味を持ちえるのであろうか。」
 おふでさきは「宗教書」だと、言っているとか、自己の信仰にもとづいてとか、これらも問題だが、

「天理教産業」への寄与に堕する」との自白は、天理教で飯を食って天理教を産業だと、そして「堕する」と自ら自白している点、
深谷君の天理教に対する自白としてはまさに神に言わされての、正体暴露となっている。

「天理教産業」への寄与に堕すると、
 それとも社会に還元されるべき経験知として保存されるのか。

この対比は、まさに天理教産業は社会に何も還元していない堕落産業だと自白していて、
こういう未熟者をチェックすら出来ない教団のおつむの衰えは、まさに骨董品的、腐臭すらする。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0554基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 19:32:50.58ID:yD17vDqH
大社高山というものは、おやさまによれば「法」「方」を用いると言われている。
「学問」というものも大社高山の用いる「統治方法」に重要な役割を果たしている。
しかし学問には「真理」という基準があって、真理真実の探究を建前としているために統治者の意図に反する場合もあるだろう。

> おやさまの教えは実数ですから、正月30日の予言は130年は、1998年の出来事でした。
丁度、それについて書き始めていて、・・・
1998年を1として13年は、2010年です。
1998年の出来事は、「天候・天災・観測等」
エルニーニョ現象の影響で世界的な異常気象。日本でも年間平均気温は顕著な高温となり、西日本、南西諸島で戦後最も気温の高い年となった。
世界の平均気温も史上1位の高温となった。
2010年にはラニーニャ現象の最盛期。
////////////////////
日本の気象庁は高山のための学問機関である。琉球新聞は1998年の異常気象を認めているが、

気象庁はその事実に触れようとしていない。

つまり、それほど、大社高山には問題が深刻である、その深刻さに気が付いていると言う事だ。
0555基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 19:37:41.78ID:yD17vDqH
類感呪術(模倣呪術、英: imitative magic)類似の原理に基づく呪術である。
求める結果を模倣する行為により目的を達成しようとする呪術などがこれに含まれる。
雨乞いのために水をまいたり、太鼓を叩くなどして、自然現象を模倣する形式をとる。

わら人形を用いて五寸釘を打ち込んでのろいの相手を呪詛する方法は、典型的な模倣呪術である。

みきが中山家において、正月三十日と日を切った「ひながた」を残したと言う事は、
13年目十三年目の出来事で、神の返しをきちんと示したと言う事は、
130目には世界の温暖化・エルニーニョ(イエスキリスト)の返しの、開始となっている。
そして130年から13年目でも、2010年においても異常気象現象を神の返し、特にキリストの返しとしての異常気象を神はして見せている。
その次の13年目は2022年である。

基本的研究によれば、2022年は異常気象問題の次の一段の「始めかけ」になる。
この問題については、FCザ掲示板に、天災 水が欲しかろう に、議論の場を立てました。

今度は何が起きるか語ってみよと言うご期待におこたえしまして、
おふでさきの数理と、「ひながた」に照らして、私でも分かる明らかな、正月三十日の予言を未然に研究しそこで語りたいと思います。
0556基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 19:41:19.31ID:yD17vDqH
さて、非科学である中山みきの天理教は、みきとして、有力幹部は「応法の道」として、
世間的な高等宗教の紫の衣を着るために、高学歴宗教学者をリーダーに据えた。
しかしみきの教えは非科学なのであり、社会に媚を売り信者と金を集めまくるはずが、
そういうおやさまに盲信的になれない信者しかいない天理教団は、
オカルト全盛の時代からどんどん衰退した。
あわてて、おさずけが大切と言うプロパガンダに走っている。

そこで、証拠ためしをすることが基本的に最も大切になる。
おやさまは、わたしをたすけてくれた者は一人も無かったといわれている。
基本的にはおやさまをたすける。
これが天災の予言を「しょち」承知したと言う事になる。
おやさまの教えを実証することが、世界中の不時災難を防ぐと言う事は、
何のことは無い、基本一人の使命になるわけだ。

一粒万倍の教理の神意。その裏返しが正月三十日の送り。
陽気暮らしをさせたい親神の力を、その力で神が働くことに私は手助けすると心決めている。
そんな格好いいこと一人でしては良くないかなという、遠慮気兼ねをさらりと捨てて、
世界に普請を、してみたいと思う。

おやさまが隊を編成させたひながたがない。
それが基本的な私の判断の元です。

人を助けるというまことの心の発露ということなら、それとして、
おやさまのこの世の普請には、そういう組織の編成が本筋とは言いがたいと思います。
0557基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 19:46:43.04ID:yD17vDqH
神の社の問題ですが、東本系は、初代さんの中山みき親神信仰を忘れ果てていました。

天理教講座。
C: 教祖の立場: 月日(神)の社、・・神の社というのは、教祖の体を介して、神が、出入りするということ
この↑解説は大間違いです。
 国語の文法の格助詞「の」の意味が分かっていないミスです。九つまでの知恵の仕込み文字の仕込みを侮らないことです。

天理教教典に示された「神の社」「月日の社」の「の」は、「所有・所属」を表す「の」です。
みきが神の所有する社、或いは神に所属する社になったと言う事です。

「神の社というのは、教祖の体を介して、神が、出入りするということ」と言うのは、教祖が「よりしろ」になったという文意であります。
みきが「精神も肉体も・神に所属、神の所有」になると言う事が「神の社に差し上げます」と言う事である。

基本のバックはみき姉さんだけですよ。
0558金持ち名無しさん 貧乏名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 19:49:31.55ID:yD17vDqH
【市場騒然】日経平均株価、今年の最安値を更新!
急落で2万円台割れが目前に!アメリカなどでも株安の傾向 

日経平均株価が遂に大台の20000円台を割ろうとしています。12月21日の日経平均株価は売りが強まり、
下げ幅は一時300円を超えました。20050円まで値下げた後は謎の買い注文で値段を少し上げていますが、
依然として激しい攻防が続いています。
ここまで株価が下がった要因は米中貿易戦争の激化やアメリカの金利政策、
ソフトバンクの株価低迷などが複数合わさったからです。

平年ならばクリスマス需要の期待感から株価が上がりやすい時期だけに、
このタイミングで株価が急落するのはちょっと不気味だと言えるでしょう。
0559金持ち名無しさん 貧乏名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 19:54:00.08ID:yD17vDqH
いよいよ来週にでも日経平均株価20000万円割れがもう確実ですね。
白状すれば、自分投資信託の「売り」のタイミングを誤りました。株価低迷に引きずられる形で基準価格低迷、
利益130万円が一年でぶっとびましたわ(笑)

あれ、景気はいざなぎごえ、だったんじゃないの?
2万を割らないように、介入してるという見方もあるようだけれど、
とにかく、いざなぎごえとか発表してこれかあw
まあ、今後の株の動きに関係なく、来年消費税増税はするだろうな。
中国人よく見てみなって
本当に景気いい時はみな使いまくるから
気持ちだけでなんとかなるわけがないでしょ
そういやナルトで出てくるイザナギは幻覚だったよね
0560Ψ
垢版 |
2018/12/21(金) 19:57:09.40ID:yD17vDqH
【真の日米関係】「秘密保護法」制定で「安倍総理のおじいさん」である岸元首相に米が厳しい要求をしていたことが、
19日に公開された外交文書から判明!

「秘密保護法」制定めぐり岸元首相に米が厳しい要求 外交文書

1957年、当時の岸総理大臣は、アメリカのアイゼンハワー大統領と「日米新時代」を打ち出しました。
しかし、その後、9時間にもおよぶダレス国務長官らとの会談で、軍事技術の供与を受けたいのであれば、
「秘密保護法」の制定が必要だと、厳しい要求を突きつけられていたことが、
19日公開された外交文書で明らかになりました。

岸総理大臣は、帰国後、法整備に向けて検討を始めるものの法案の国会提出には至りませんでした。

その後の自民党政権でも、たびたび法整備が模索され、
2013年12月、岸氏の孫にあたる安倍総理大臣のもと、「特定秘密保護法」が成立しました。
0561基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:00:22.38ID:yD17vDqH
天理大学にはあの頃は、出席日数問わず、取得単位問わず進級させてくれる優しさがありました。
基本は、先ず天理教学生会内にはびこっていた統一教会汚染、共産革命思想汚染、教団本部批判、こういうものと闘って、
おやさと館内部の謀反と闘う日々でしたから、実は授業なんて、正味一ヶ月も受けていなくて、
それで、「天理大学四回生」4年に進級は出来たのです。
基本のこの授業行かないで落第なしが問題となって、
天理大学では、授業出席しないとか単位に満たないとかは落第させるようになったとの事で、
後輩の皆様には迷惑をおかけしました。
 英語の教材が「金枝篇」関係の英文書でした。

宗教学未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書 それが金枝篇で、
呪術呪法の、宗教学的位置づけを、この「金枝篇」のタイトルだけしって、模倣呪術と言う宗教学上の用語を知りました。
授業2回しか出ていないと思いますが、キリスト教神学が邪教を呪法呪術の魔法として、
排除したその基準書物のタイトルを教えてくれたのでした。
0562基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:03:35.42ID:yD17vDqH
天理大学ではわずか1、2回の授業でしたが、中山慶一先生には「甘露台三下がり」について、
教えて頂きました。
異端神一条教が、中山みきの著作のみかぐらうたと中心に据えているのが「甘露台三下がり」です。
中山慶一先生は、教祖の赤衣の実例を語って、いくらおやさまの赤衣でも、埃の人間に渡って穢れたものには理が何も無いと、
小寒様の作とも言われているが、みかぐらうたには間違いないが、本部としては、理の無いものとして無視していると、教えて下さいました。
大急ぎで伝を求めて、甘露台三下がりを読みに走った記憶があります。

永尾広海先生には、授業の時、かぐら勤めの地歌の相違が12種類のつとめにはあるのかと質問して、
実際に朗々と歌って教えて頂きました。本部かんろだい地方の先生に歌って頂けたのは、ありがたいことでした。
ただ、永尾先生はみかぐらうたの文書についての研究をされているとの事で、
(後にこれは神名天輪王異説に根拠を与えるような副作用を生む研究で)、
基本は、「あ、余分なことなさる」と、直感しました。
後にわかりましたがご本人の身上でその研究は大きな結実をみなかったのですが、
異端や統一教会や、原理主義的革命思想家、教団内部の批判者たちと闘う日々にあった基本には、
そういう研究がどんなに危険かは体で分かりました。
ずっと後に、八島秀雄が神名は「天理王ではなかった」と唱え始めたとき、
永尾先生のスタッフに動員された研究員たちが、八島に加担したと、これは直感でそう思いました
0563基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:08:54.90ID:yD17vDqH
本当は、永尾先生がなさろうとしていた研究は、御神楽歌本の研究は、とても重大で重要な研究だと思ったのですが、
いわば劇薬であって、親神様の深いところを見ないと、書誌学的な研究では困難な研究。

ほんの数回の授業出席でしたが、末端にいて、触れることのなかった重大問題を知っただけでも、ありがたいことでした。
没収された甘露台の石を本部に戻したのは、競艇の「笹川良一」であることも、
お二人のどちらかから、学びました。

おやさまは、基本に必要最小限の授業だけは受けさせて下さったわけで、
感謝にたえません。
0564基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:12:02.63ID:yD17vDqH
「一二三三段一つ。」「三段一つより越せようまい」

異端や他宗教・統一教会や天理教批判者、原理主義者と闘う上では、原典、ひながたの理解が最重要になります。
彼らは天理教の教理をしっかり研究しておいて、その弱点と思われる箇所をえぐるように突いてきます。
だから、朝晩におやさまのお願いしては「必要最小限だけ教えて下さい」と、学び用いて語り、一日十時間以上、教義教理、教義教理の討論の連続でした。
でも、「一段一段しか登れない」。「一つはじまり、二つたっぷり、三つ身につく」の3点セットを、三段一つと悟れば、ともかく、一つづつをたっぷりと、身につくまで、
教義教理として根を掘り続けるしかない。

そしたら、「お釈迦様でも博打に負けて」の、博打・麻雀が、そういう日々に侵入してきて、
神の知らせと博打と言う、もう一つのジャンルの研究も・・・
因縁上の事で、通らねばならぬこともあり、神の道に必要で通らねば成らぬこともありです。

教祖の教えをとくと言う事は、「必ず通らされる」。
言ったことには責任がつく。
と、言う事は、真冬に水ぶっ掛けられるわけで、
どうかそれだけは、冷たいので、ご勘弁をと、その頃から、軟弱そのものの基本です。

基本の父親は「立教の護摩を焚いた煙の話」と、「教祖が拘引され拷問された」話を、毎月教会の子供会のお話として講話する教育者で、
事細かに護摩の焚き方を教わりましたが、全く覚えていません。
ただ、真冬の拷問シーンは子供には寒すぎる話でしたが、それがあって、今日、やっと、三段一つが、越せたと父親に感謝しています。
0565基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:15:04.90ID:yD17vDqH
芹沢光治良の人間の運命を読破して下されば、二代目教祖井出国さんの本音が書かれています。

明治41(1908年)年頃に突然神様が降り、その言動と振る舞いは、中山みきをしのばせることが多かったと言われた。
「天理教二代目教祖」とか「播州のおやさま」とか尊称されたが、天理教本部では、彼女の帰神を公式に認めていない。

当時、井出国神がかり当時には、教祖再臨説があって、
明治40年に本席が死んで教団には霊能力者がいなくなったと思慮した、中山家の親族は、
井出国の神がかりを利用して、或いは井出国は親族を利用して、教祖の再臨を、教会本部神殿で演出した。
演技なのに演技がとまらなくなる事を、基本的には「赤い靴の踊り子」に比ゆしているが、
井出国は自分で自分の霊能力が管理できない「赤い靴の踊り子」現象に陥って、脱げなくなってしまった。

「三木支教会周辺」は、異端のメッカで、みき在世中に、立教36年の赤衣の偽教祖も、種市さんの奥さんの偽教祖も、ともかく大勢いて、
それを、本席のいなくなった教団に売り込みたくて失敗したと、基本的にはそう思っています。
真柱という超超超能力者がいることすら、感得できない、霊感の感度の低さからしても、「世界一列たすける」には、役不足でした。
0566基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:19:29.30ID:yD17vDqH
二代目教祖井出国さんの本音は、基本の記憶では、体が勝手に震えてしまう、やめたくてもやめられない。
つまり「赤い靴を履いてしまったという自白」です。

教祖は、それをきちんと記録に残しておきたい場合には、「霊能者」にしてしまうことがあります。
天理教きほん教理天理教教典にて、例えば柳井徳次郎さんの伝承を紹介しています。

本部神殿おたすけで盲目の目が開き、いざりさんがその場で足が立ったという霊能は、当然おやさまがお与えになったお力です。
基本は雅楽の講習に来て教えてくれた甲賀の分教会長はその現場にいた体験を聞いたことがありますし、
柳井徳次郎さんの弟子のお一人からも聞いていますし、
みちのともには、本部関係者で病気おたすけをしてもらった人の記録も残っています。
ともかく人格的には最低で中央初代でありながら部内では人としての評判は悪い。
では、何をもって霊能を与えたかと言うと、
伝承の教理の内容に、公式の教団教理では説かれていない内容があって、それにはとても重大なものが含まれてあって、
教祖は奇跡を柳井徳次郎さんに起こさせることで、その伝承を保護したと、
そう理解しています。

井出国さんの場合は、みきの親族に利用されたか利用したか、
みきの天啓のレベルをその頃うじゃうじゃいた偽教祖や偽天啓のレベルと同じ程度と錯誤して、
本席の死をきっかけに教祖再臨説に乗っかって、一芝居打ったら、みきは本当に霊能者にしてしまった。
そういう、記録保全、証拠保全。「しょこ」とは「書庫」でもあるからです。
0567基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:22:40.58ID:yD17vDqH
教会本部が異端として、排除するばかりで、そこのまつわる記録を無くされそうな場合には、
世界の事情として、有名作家を使って記録として「書庫」に入れます。
井出国、伊藤青年(天命庵)は、芹沢光治良という作家を用いて世間からの評価と言う効能を利用して、「しょこ・書庫」に入れます。
天理本道の記録は、松本清張という作家を用いて世間からの評価と言う効能で、証拠を保全するわけです。

異端は、実は教団内部の姿を映す鏡だったりしますから、異端の記録にも重大なものがあるからです。
「甘露台三下がり」という御神楽歌は、異端だから「書庫」に入れておいてくださった。
小寒の作と言われているわけで、小寒様を軽視する教団幹部に任せておくより、異端なら、誰にも読めるようにして下さると言う、教祖の配慮です。
0568基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:26:04.75ID:yD17vDqH
人間は「はたらく」為にこの世に生まれたと教えられています。
「働く」については、「傍傍を楽にする事や」と、教えられてもいます。
互い助け合いというものが、はたらくそのものになるわけです。

それに対して「労働」「労務」という言葉があります。


労(ろう)とは律令制の官人が官職に勤務すること及びその勤務期間を指す。
労効(ろうこう)ともいう。
また、特定の官職における勤務期間を年労(ねんろう)とも称した。

お上に使える事という意味が、「労」にはついています。
社長は「上」で労務者は「下」ですから、「互い助け合い」ではなく、お仕えする、会社のお世話になる、
そこに所属し、身分を頂いて、「社員」となります。
「お社」の「一員」と言う意味ですね。

経済の発展発達が資本主義的な展開を見せる前から、律令制の頃に、「労務者」という階級が生まれていたわけです。

すると、」本来自由で傍を助け合う行為としての「働き」は、特定の所属した「お社」の社員ですから、大きな制約を受けます。
ここに、大社高山の支配には「労務に従事する者」が、債務奴隷として必要になった事情が重なって、
人として喜んで「はたらく」をする働きは、大きく後退してあいまっていると言う事情があります。
0569基本。
垢版 |
2018/12/21(金) 20:29:03.64ID:yD17vDqH
職業選択の自由と言うのは、どこの社に従属するかを選べる自由の事ですが、社の側にも労務者を選択する自由があって、
「上」には勝てないし仕組みになっています。

分かりやすいお話で言いますと「美味しいケーキが焼ける」という事で、傍を喜ばせたいとします。
それが「家業」の発端のようなものです。
高く買って、安く売って、みんなから美味しい美味しいと喜んで頂いたら、なによりの、
「つとめ」です。

大企業ではその美味しいケーキの味で、とまでは考えず、ケーキは売れると、ビジネスを構築します。
原価を落とすべく仕入れを叩いて、大規模な工場で例えば、CMで、それを利潤追求に使います。

その工場では、傍を喜ばせるためではなく「社の上」を喜ばせるために労務します。
こういう世の中では、人は陽気になれないと言う事です。
0570基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:21:51.66ID:RQXqvodv
家業第一と言うのは、現代社会では、よほどの職能を持っていないと、できる事ではありません。
大企業・大資本と伍して、小さいながらも自立するとしたら、普通の常識では、大資本に負けてしまいます。

そこで、路銀としての「さづけ」を神様は、お与え下さる。
これが、「授け」と「家業第一」の因果関係です。
「第一には家業」、それは大社高山の前では「蟷螂の斧」のようなものです。
だが、「さづけ」によって路銀があるなら、その家業が家業として成立し根付くまで、路銀には困らないよと言う、意味に解したら良いと思います。
俄かには理解されにくいお話をしてしまいましたが、
先ず八丁四方神の館では、「八棟八商売」が行われると言うおやさまの予言の存在をしらねばなりません。

おやさとやかたは、実は経済活動を目的としており、宗教施設目的ではなかった。事実です。
0571基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:24:14.60ID:RQXqvodv
> やかたを四方八方囲んで、その中を砂利で敷き詰めて、かんろだいだけのこして、
>そこを人間で埋め尽くして12下りをつとめるのが最終目標じゃないの?
それをすれば陽気ぐらしが達成されるんでしょ?

↑創作教理です。お上に見せかける作文慣れして、
その作文がいつの間にか神学教学になって、
真理と称する救済のうそが、うそが語られたものです。

証拠は、逸話にあります。
【八町四方】逸話篇93
ある時、教祖は、中南の門屋にあったお居間の南の窓から、
竹藪や田圃ばかりの続く外の景色を眺めておられたが、ふと、側の人々に向かい、
「今に、ここら辺り一面に、家が建て詰むのやで。
奈良、初瀬七里の間は家が建て続き、一里四方は宿屋で詰まる程に。
屋敷の中は、八町四方と成るのやで。」と、仰せ下された。
【廊下の下を】逸話篇61
明治十一年、上田民蔵十八才の時、母いそと共に、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。教祖が、・・・
 又、ある時、母いそと共にお屋敷へ帰らせて頂いた時、教祖は、
「民蔵はん、この屋敷は、先になったらなあ、廊下の下を人が往き来するようになるのやで。」
と、仰せられた。

居間の南の窓から見える範囲は、八丁四方今で言うおやさと館の見える範囲です。
そこは、辺り一面家が建てつむのです。(砂利しか見えないでは無い)建物だらけです。
この屋敷と言うのは今の神殿教祖殿、真柱宅を含めてお屋敷ですから、建物の廊下の下は、人が往来する。
おやさと館も、屋敷内々、つまりお屋敷。
つまり、建物がぎっしり、下に砂利、八丁四方のお屋敷には、廊下があって、廊下の下を人が往来するのですから、
 >そこを人間で埋め尽くして12下りをつとめるのが
これは、ありえない。

イベントの会場にしても、人間で埋め尽くしたら危険極まりないです。

ショッピングモールの超超超巨大な施設、「八丁四方神の館」はまさに人類の故郷で、
どんな名産品もどこより安く買える、「安く売るのやで」のお地場です。
 
0572基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:29:14.52ID:RQXqvodv
八棟八商売について、ネット上にこんな資料がありました。ご紹介します。
井上昭夫さんは、私が学生会委員長当時の教団思想リーダーのお一人で、「理論武装」「教理武装」を、
率先して語っていた、教団衰退の原因のお一人です。

逸話編が編集された過程を、第16稿の場面で、資料整理し、語っています。

もともとは、『教祖伝』の中の一つか二つの章に逸話を入れる予定だったが、
2代真柱の「旬を改めてもっとたくさん集め、一巻の本にして出せ」との指示により、
編さん中の教祖伝から削除された。・・
・・逸話のまとめられていた「ひながたの親」の章が削除されたのは、
第18 稿(昭和30 年10 月26 日)である。2代真柱の指示は、
第17 稿(昭和30 年8月26 日)が出た後の、同年9月頃ということになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、二代真柱の指示で、みんながまとめていた「ひな型の親」が、変更されちゃったと、
その変更内容を、わざわざ一覧の表にして公開した、
まったく、ミスリードの因縁は切れていないお姿で、おかわいそうですが、
その変更の理由に、神意ありですが、お分かりにはなっていなかったと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
93 八町四方
『おもかげ』。「こ」。「おさしづ」明治27 年11 月17 日、同明治26 年2月6日。
/原文にあった「八棟八商売」削除。
0573基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:32:04.86ID:RQXqvodv
ひながたの親。
月日の社であり、ひな型のおやであると、そういう観点から逸話を、教祖伝に書き込もうとしたのは、
まさに、逸話一つ一つが予言である、予言の書が逸話であって、皆がお手本にしましょうと言う「ひながた」ではない。
それは、おやさまが天理王命さまであることを真剣に思っていないと分かるものではありません。

二代真柱様が「月読命様」(主・イエス様)と分かっていないと、
見えてくる世界が狭くなります。

「教祖のおもかげ」にはあった、しかし逸話編には、逸話としては削除した。
神意は明白です。
巨大テーマパークであり巨大ショッピングモールである、八丁四方のかみのやかた。
そして、周囲一里四方には、奈良長谷7里は門前うちら、寺社めぐりをし、世界一安いショッピング。

八棟八商売実現のための実行を思い立ったときから、そのための「根をほるもよう」。
そして、いまも続く奈良長谷、7里への道は、基本の大望の道です。
0574神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 02:35:04.54ID:RQXqvodv
基本さん。私は「小商売」したいです。
サラリーマンは私も「家業」ではないと思います。
24年サラリーマンしました。
実家の家業は廃業したけれど、50前に「錦」を飾りたいと強く思っております。

基本さん
・この世に生を受けるということ
・この世に人間として生を受けるということ
・(この世に人間として生を受けている数十年の間に)おやさまの教えを聞くということ
・天理教の教会に生を受けるということ
・天理教の教会に後継者と目される立場で生を受けるということ
・天理教の教会の会長になるということ

どんな意味があると考えられますか?
「いんねん」という教えから理解できるのでしょうか?
お時間がありましたら、見解を聞かせて下さい。

天理教やキリスト教、創価学会に鳥取市の大手企業との訳の分からないトラブルを話したが
話を聞いてくれるだけで、情報収集に協力してくれない。
0575基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:38:47.34ID:RQXqvodv
>>574
> どんな意味があると考えられますか?
ご飯を美味しく食べていますか。美味しい食事をしているとき、つまり健康なときには、
食事は「美味しい」、腹いっぱいになった。と、そういう意味しか持ちません。
 しかしやせるための食事と、そういう意味を持った食事は普通の食事ではなく「痩せるという意味の為の食事」です。
 病人食となると、「為」という意識がより強くなります。
 血糖値を揚げないため、血圧を下げるため、「為」「為」「為」。
> ・この世に生を受けるということ
> ・この世に人間として生を受けるということ
> ・(この世に人間として生を受けている数十年の間に)おやさまの教えを聞くということ
> ・天理教の教会に生を受けるということ
> ・天理教の教会に後継者と目される立場で生を受けるということ
↑この中には、自分の意思で選べないものがあります。
それは「なってきた理」としての因縁です。
しかし、自分が天理教するかしないかは自分の意思で選ばなくてはならない問題です。
「なす理」です。
教会を後継し教会長になると言うのも、「なす理」です。
自分の意思で選ばなければならない問題です。
 それを「精神定め」といいます、
「精神定めが第一」と教えられています。
 例えば「親孝行の為に教会長します。」という場合は、何を精神に定めたのでしょうか。
言うまでもなく「親孝行」です。
親孝行をなすと言う理、それは、そこだけみたら「誠真実」ですが、実は親神様を信じているわけでもないとなると、
「親孝行の為に、信じてもいない親神の教えを伝える天理教教会長します」と、これが実態ですから、つまり嘘追従ですから、
実質親不孝です。
 では、親孝行したい精神は本物なのだから、天理王の教えをちゃんと信者に伝えられる教会長になれば良いわけです。
難しいことではありません。基本教理を千遍聞いて千遍諭せばわがの理なんだから、
きちんと学んできちんと諭して、一日に三人に三年で、わがの理ですから、
 目的である親孝行の為に教理を聞き教理を諭しを、ほんの三年実行したら良いだけです。
0576基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:41:28.78ID:RQXqvodv
そこまで親孝行したいと言うのは、実は過去世には山々の親不孝がしてあって、
心は闇路で、憂いが胸にあって「すべてが憂世に思えてしまう孤独な魂であって、
何をしていても喜べない心とすれば、おやさまの教えは必要だから・・・
そういう天の配剤があって、自分がそこにいるのでは無いでしょうか。
私はエゴイストだから、千遍諭すには何遍でも聞いてくださる人大歓迎です。

昔よく夢をみました。
盃を蹴っ飛ばす、盃がころがる、こぼれる。
前世に、こういうことしてあるのだなあと、しみじみ思いました。
神の道にいて離反したり背いたり、そういう前世があって、ここにいる。
だとしたら、それでもおやさまがお添い下さるのだから、それだからこそ、心配で付いていて下さるのだから、
それもまた、よしと、たんのう(大満足)しております。
飯田の岩さんも針ヶの助造さんも、みんな仲良しと、親しみをもって、生まれ変わって今世では、どんなお暮らしだろうと、思います。
憂き世は浮世に浮かれて、道楽三昧して「うきよ」と、言わされているのです。
そこでまた、自分だけが浮くのでは無い、大勢の皆様を「浮かれさす」陽気な浮世を、
今世は、一列に楽しまれたらいかがでしょうか。

おやさまは、おやさしいのです。
陽気ゆさんが、みたい、それだけです。
0577神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 02:44:21.66ID:RQXqvodv
基本さん
教会長にとっての「家業第一」とはどうあるべきなのでしょうか?
僕は教会長を務めていますが、会社員として正社員で働いています。「労働」をしているわけですから「はたらく」とはかけ離れた状態です。
「貧に落ちきる」覚悟は持てそうにありませんし、妻は身体が弱いので何かとお金が必要です。
いわゆる「道専務・道一筋」の同世代の会長・後継者達から「道一筋になりきれない、ダメ会長」とからかわれます。
詰所などへ行くと彼らはNHKの朝ドラを楽しそうに見ています。僕は会社員ですので朝ドラを見る習慣がありません。
「朝ドラ見ている=ヒマ」などという訳ではありませんが、道一筋になるのなら、どのような心構えが必要でしょうか?

「すべてが憂世に思えてしまう孤独な魂」、おっしゃる通りです。
金銭被害スレ8から何回もアドバイスを頂いている者です。
「家業第一」についても質問させて頂きました。
本来は過去スレ、基本さんの書き込み、紹介して下さるリンク先を一通り確認してから質問するのが礼儀でしょうが、元来の怠け癖で堂々巡りの質問を安易にしてしまい、お手数おかけします。付き合って下さる基本さんの優しさに感謝致します。
千遍聞いて千遍諭すに励みます。
またアドバイスよろしくお願いします。
0578基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:47:06.65ID:RQXqvodv
秀司は青物売りをした、・・・・寺子屋をした・・・おやさまはお針子を教えた。
ところで「妻は身体が弱いのでなにかとお金が必要です」これは、先ず奥様の健康を助けて頂くことです。
奥様の心が「晴れる」。
奥様に聞いてみたら如何でしょうか。
どんな商売、何を売る商売ならしたいのか、どんなお教室なら、どんなお稽古事を教えるのなら出来るのか、
着付け教室なのかダンス教室なのか、手芸教室なのか、学習塾なのか、
洋服売りか、アクセサリー売りか、などなど、
教会の一室で出来る教えごとを、奥様に相談されたら如何でしょうか。
それで、よしやろうと決めて、奥様が健康になったら正解です。

> 効き目も無いのに天理なんて信仰しなくてもよい。
正論です。
家業第一として「好きが因縁」ですから、奥様の好きな事でお仕事を見つけて、
それで健康になると言う効き目があるのが、天理です。

いんねんほどこわいものはないで。

いんねんに負け、ほこりやいんねんをまき散らしてその点け合いして

果てて行くのやで。

いんねん寄せて果てると言うてあるやろう。

神様が心通りにあらわして見せるのやで。」
0579基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:50:30.58ID:RQXqvodv
伝承されている教理は、しばしば人間の悟りが混入されます。
>いんねん寄せて果てると言うてあるやろう。
これが、お筆先では、果てるとは理が知らされてありません。
「せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる (1-74)」
因果と言う事ですが、口で言わすという理から思案しますと、
 「妻は身体が弱いのでなにかとお金が必要です」との自らの告白は、
 妻の病弱が「因」で→自分は「労働せざるを得ない」と、そういう因果を語られています。
 これが本当だとすると悪いのは奥様です。
 仮に609さんの因果の悟りに悟り違いがあるとしますと、「あなたが妻の為にと労働していて→妻は病気になっている」と、
こう言う因果が、実は、真相なのだと言う事になります。

 609さんはこうも語られています。
「詰所などへ行くと彼らはNHKの朝ドラを楽しそうに見ています。
僕は会社員ですので朝ドラを見る習慣がありません。
「朝ドラ見ている=ヒマ」などという訳ではありませんが、
道一筋になるのなら、どのような心構えが必要でしょうか? 」
 
この自白は、天理教教典基本教理でお話を触れました処の、宗教家業の悪因縁・偽キリスト的な思案の匂いがします。
道一筋になって、朝ドラ見る。それを「あしき」と認識されていると言う「道一条・聖職者の道」という、
女鳴り物には三味線ですか?それ神事ですか、という通俗を否定する大社高山の宗教論理、倫理観が溢れています。
0580基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:53:20.44ID:RQXqvodv
先ず病弱な奥さんと言うテーマですが、伊蔵さんにまつわる話として、
大工の伊蔵さんの奥さんは病弱であったという話が伊那谷に布教に来た懲戒免職の布教師から伝承されています。
大工の仕事をしていた伊蔵さんがある日昼間家に戻ると、奥さんが寝ていた。
伊蔵さんは心配してどうしたのか、病気か楽寝かと、お尋ねになった。
奥さんは「楽根です」と、歌の鳴くような声で言われた。
 「ああ、良かった。楽寝でよかった。」と、心から喜ばれたと言います。
 自分は一生懸命に働いているのに、昼間から楽寝して、何てことだとは言われなかった。
  実は伊蔵さんは三人目の奥さんであった。(当時聴いた記憶で語ってますからね}
 一人は若死に、一人は男と逃げて、三人目の奥さんであった。
  奥さんは病弱であって、ご飯の支度は伊蔵さんは「お弟子」とジャンケンシテ決めて、負けた方がご飯焚き食事の支度をした。
 こういう中で、奥さんの楽寝を「ああ、良かった」。
 609さん。労働して男は家に帰って食事の支度はするわけでは無い社会。
 労働して、女は家に帰っても炊事洗濯、おさんどん。
 さんげすべきは、「女の楽寝を楽しめない」精神、もしそうであったら、さんげです。

 詰所などへ行くと彼らはNHKの朝ドラを楽しそうに見ています
ああ、「楽しそうでよかった」、「楽寝していて下されても良いのに」と、そういうご思案が「家業第一には」大切です。
 自分が陽気の日々を楽しむことでおやさまが喜び、傍も楽が出来ます。
自分が昼ドラ楽しまないでは、昼ドラ楽しむ心がわからないでは無いですか。
 因縁の自覚とは、たんのう(精通・満足)にいたる道です。

 つまり609さんは酷い、酷い心があるから、昼間から一緒に楽寝できない、味気なさなのです。
奥様のお心痛めるような道一条になってはならず、

> 奥様の心が「晴れる」。
「 奥様に聞いてみたら」如何でしょうか。

伊蔵様のようにと、そういう思案が基本です。
0581基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 02:57:53.00ID:RQXqvodv
> 宗教家業の悪因縁・偽キリスト的な思案の匂いがします。

さりげない自白から、本質の問題を語らせて頂く事とします。
偽キリストのヨハネ黙示録は、何を悪しきと語っているかです。
16・・・
この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、
憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、
その額には、一つの名がしるされていた。
それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
 わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。
この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ・・、
「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、
あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
 あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、
彼女の肉を食い、火で焼き尽くすであろう。
 神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、
彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
 あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。

つまり退廃した大都市の事を大淫婦と呼んでいて、神は獣に支配権を意図的にもたせてきたと、
そして終末にはその獣を滅ぼすと言うことになっています。
「賑わしく暮らしている」ことの退廃は神がそうさせておいて、そして滅ぼすと言う偽キリストらしい語りです。
おやさまは「悪しきのことは言わん」と言われています。
偽キリストの宗教家は、統一教会のように神に許された聖なる結婚をとく。
偽キリストは、女を知らない若い男性、男を知らない若い女性を、「清らか」。
性をあしきとみなす西欧唐人には、「繁栄は堕落。性はあしき罪」という強迫観念から、
神に仕えるなら清らかな聖職者であれと、こう言う論法です。

イエスのような直接的な「やまい助け」、「貧者への施し」を表の教理とせず、「原罪からの救済」を教義の中心に据えて、
幽冥の世界での「最後の審判」を説くのは、その胸の内、真の真が「から、空虚」だからです。
0582基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:08:17.20ID:RQXqvodv
親が子供に直接天理教しなさいと教えるのは比ゆではなく、真っ向勝負です。
そういう短絡的なわが身思案をして、教団の将来を考える精神では、「比ゆ」の意味も価値も見えないでしょう。

先ず、おやさまは何をされたか。
「散財」です。「施し」「喜捨」です。
それを、しっかりとご思案、実行することです。
0583神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 03:11:41.60ID:RQXqvodv
別の物事を借りて言い表す
天理教教典では「比ゆ」とは表記せず、難しい漢字を用いています。

「別の物事を借りる」
これがお筆先の理の責めの比ゆの意味を示しています。
書かれてある物事ではなく、その物事は別の事を教えようとする場合に、比ゆが用いられるわけです。

お指図では「神一条言うやない」です。
「言わん言えんの理」といいます。

言わずに伝える、それを「映す」というのです。
それが分かっていないと、「言葉で伝えよう」とします。「ビジュアル」ではなく、「オーディオ」で響かす問題では無いと言う事です。
口では陽気暮らしの教えだと説きます。
しかし顔には陰気がある。音は「陽気」、映像は「陰気」。
子供に移るのは、「陰気」。

口で神一条を説いて、「この道より無い」と諭します。「音」。
しかし、親がしていることは「応法、横暴」。「人間思案、理の親信仰」。「絵」。
子供に映るのは、「人間心一条の宗教業者の欲のそろばん」。

縦の伝道は、親が、「その姿」で「映す」を基本とします。
0584基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:14:08.38ID:RQXqvodv
二代真柱様は、縦の伝道をご自身もされているわけです。
天理教教典は道の子に、伝道する書物です。
だから、「説き、伝えると言う手法」を排除し、
悟るものにしか分からないように、「言わない」「言えない」を、全てに配慮されています。

知らしたら現れ出るのは気の毒、秀司も知らしたら死にました。
小寒も知らしたら死にました。
理を知らせると言う事は「命のやり取り」だからこそ、ここ一番の時しか、諭してはならない。
口で言うのではなく、行いで、日々の陽気で、「映されること」です。
0585基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:17:28.11ID:RQXqvodv
文字と言葉は、文字は目、言葉は耳。
基本の長文は「音」では無い。
おふでさきには、口でも言わんとあるように、口で言う事が問題なのです。
親が毎日子供に、「天理教しろ」「教会を継げ」と口で言う事をおやさまは戒めておられます。

基本はおやさまが働きやすいように細かしく言う基本です。
上から下の「縦」ではなく、阿呆な基本です。
だから、いくらでも、何度でも、語るしか能が無いので、お許し下さい。
0586神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 03:20:52.48ID:RQXqvodv
基本さん、早速の丁寧な見解、ありがとうございました!
祖父は烈火の如き信仰心を持っていましたが、内孫の僕にたった一言も「天理教をしなさい」といった類は言いませんでした。その理由が少しわかったような気がします。
対して父は事あるごとに、「もっとしっかり通れ」、「きちんとお供えしろ」と言います。感謝も尊敬もしていますが、どこか冷や水をぶっかれかれるような気持ちになります。
信仰において「代を重ねる」事、「代が重なる」事、に意味はあるのでしょうか?
「代を重ねる事」は良いい事で、「代が重ならない事」は悪い事ですか?
重複する質問で、基本さんの見解を理解できていない事になるかもしれませんが、よろしかったらご意見を聞かせて下さい。
0587基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:24:58.65ID:RQXqvodv
明治二十二年一月二十九日
松村吉太郎前の二十六日のおさしづを考えるに、
そのおさしづはぢばへ常詰しておぢばにて尽すべきや、又は国所に於て分教会を設けとの事なるや、
両方の何れなるや伺
さあ/\尋ねる処/\、身上から事情ありて尋ねる処、こちらからどうせこうせどうせこうせいつ/\もこれは言わん。
元々一つの理を出してある。
長らえて一名一人の処より理を諭し、一人から始め/\、
これは年限々々通し、これまでの道に成りたる処である。
一代は一代の理、二代は二代の理、代々続く生涯末代の理である。
さあ/\国所に一つの理の治め、ぢばにて尽す、二つの理を一つの心に治め。
これを心の道を合わせて通れば、身上も速やかであろう。
国所一つ/\治めにゃなろまい。
年限合わせば分からんであろまい。
身上が理と合わせば身は速やかと成る。
身上から理を合わせば速やかと分かるであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんなおさしづがあります。
どのように解釈するのでしょうか。
0588基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:33:33.25ID:RQXqvodv
一代 → 一代の理 一つはじまりと教えられています。
二代 → 二代の理 二つたっぷりと教えられています。
代々続く →生涯末代の理 
初代とは何事も初めての事ばかりで、一に勢い出ばなのにごりの道です。
二代とは、何事も反復、初代さんの追体験のようなもので、「重複」「重荷」。
まさに時間との戦いになるわけです。
代々続くとは、そうした「一、二」で代々続けること、そこに「末代」の理が、三つ身につく。

「だんだん道」と言います。「一段二段」の段々を必ず通るわけです。
個人においても、先ず始める、初体験が反復されて、身につくところ「三」に到達すると、
「つながる理→継続」。一がなけば二がなく、一二、一二があって、「だんだん」。
「さあさあだんだんの席、返す返すの席」と、示されてある、基本です。
「個人においても」「家においても」、一二三は、道の順序であり、基本です。
0589基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:37:53.34ID:RQXqvodv
> 長らえて一名一人の処より理を諭し、一人から始め/\、
> これは年限々々通し、これまでの道に成りたる処である。
これは松村家の事情です。
「理を諭し」とあります。これは、おやさまが「一名一人に」理を諭したと
言う事です。

松村榮治郎【まつむら えいじろう」
天保13年(1842)10月8日生まれ(河内国高安郡教興寺村‐現・大阪府八尾市教興寺)
明治22年(1889)3月3日出直し:48才
明治4年(1871)1月妻さくの「たちやまい」という患いを教祖に助けられ入信
妻さく(1846-1928)の妹・小東まつゑは明治2年(1869)、中山秀司に嫁ぐ
長男・吉太郎は高安分教会(現大教会)初代会長
(『稿本天理教教祖伝逸話篇』102「私が見舞いに」 190「この道は」)

おやさまに理を諭された方は、「松村さく」様です。

> おやさまに理を諭された方は、「松村さく」様です。
【私が見舞いに】逸話篇102
 明治十五年六月十八日(陰暦五月三日)教祖は、まつゑの姉にあたる河内国教興寺村の松村さくが、痛風症で悩んでいると聞かれて、
「姉さんの障りなら、私が見舞いに行こう。」
と、仰せになり、飯降伊蔵外一名を連れ、赤衣を召し人力車に乗って、国分街道を出かけられた。
そして、三日間、松村栄治郎宅に滞在なされたが、その間、さくをみずから手厚くお世話下された。
 ところが、教祖のおいでになっている事を伝え聞いた信者達が、大勢寄り集まって来たので、
柏原警察分署から巡査が出張して来て、門の閉鎖を命じ、立番までする有様であった。
それでも、多くの信者が寄って来て、門を閉めて置いても、入って来て投銭をした。教祖は、
「出て来る者を、何んぼ止めても止まらぬ。
ここは、詣り場所になる。打ち分け場所になるのやで。」
と、仰せられた。
さくは、教祖にお教え頂いて、三日目におぢばへ帰り、半月余りで、すっきり全快の御守護を頂いた。
0590基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:47:36.53ID:RQXqvodv
数理マニアの為に、「年限合わせば」とは、「合わせる」つまり足せと言う事です。
「神の一日は一年」ですから、逸話遍102の数字は、「三日間、松村栄治郎宅に滞在なされたが」
「教祖にお教え頂いて、三日目におぢばへ帰り」が、三日三日です。
合わせると6年の理となります。

「打ち分け場所になるのやで」と言われた松村家は、吉太郎の父親栄次郎が、そのための「散財」を嫌がって、
信者を低教養と馬鹿にしていて、3年千日通るどころか、言われた3年すぎて、長男吉太郎は、
逸話遍100です。
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
と、仰せになった。
 このお言葉を承って、松村は、心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった。
そこから3年、合わせた数字は「6日」「6年」で、吉太郎は病気になって、
問題のおさしづを頂いたのです。
0591基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:51:04.26ID:RQXqvodv
天理教に騙されて財産無くしたくない、松村栄次郎さんは明治22年(1889)3月3日出直し。
夫善兵衛様は2月22日、家をこぼちたくないと、死んで、3月3日、松村家当主は死んだ。
夫善兵衛が死んで、家はこぼち染め小寒は難波ににおいがけ。
明治22年3月3日は陰暦2月2日、
明治二十二年三月三日(陰暦二月二日)
河内国講社中より分教会設置願
さあ/\尋ねる処/\、さあ/\定めて理を立てば一つの理は治まる。
一つ立てば二つは直ぐに治まる。
皆んな一つよう聞き分けねばならんで、皆聞き分けねばならん。
二つ一つの理を聞き分けたら皆んな治まる。
さあ/\一つの心聞き分けるなら、皆治まる。
銘々に一つ/\の心あっては治まらん。皆一つに。

押して、分教会所を教興寺か、又は恩智か、又は老原に致すべきや願
さあ/\どちらどうとも、これ諭する理でない。なれど元紋型無き処から成り立ち来たる処、いんねんの事情である。
さあ/\元々一つ/\の事情を聞き分けて運ぶなら、皆んな治まり来る。
これだけ諭して置く。
0592基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 03:56:45.44ID:RQXqvodv
元々一つの理を出してある。
長らえて一名一人の処より理を諭し、一人から始め/\、
これは年限々々通し、これまでの道に成りたる処である。

このおさしづ、おやさまお一人から理を諭し、おやさまお一人から始めた。
そして「年限」を通り「天理教会神一条」の今になっていることをきちんと示しています。
「一人から」「難儀の底から」それがおやさまの道。

松村吉太郎さんはそれがわかっていなくて「宗教家業の意識」。
松村栄次郎さんはそれが分かっていたから、「して地獄」を分かっていたから、
半狂乱になって邪魔した。
が、分かっていたという意味で「栄次郎さん」は本物を知っていた先覚者です。
0593基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:00:55.57ID:RQXqvodv
> 対して父は事あるごとに、「もっとしっかり通れ」、「きちんとお供えしろ」と言います
烈火の如き信仰心を持っていた祖父さんには、「こんなことでは申し訳が無い」というおやさまへのお詫びがあって、
お父上には「精一杯しろ」という言葉には、「出来無い事はしないが」という但し書きがついていると言う事ですね。
つまり、難儀の底の落ちていくようなことはしないで済ませたい、「栄次郎さんタイプ」で、
そこで、
本気の天理教「赤」か、応法の天理教「黒」か、
「道の次第も色々にある」。

あなたが、そうした応法の代々に嫌悪をもたれるとしたら、それはおやさまの教えの本質との違いに対する嫌悪でしょう。
いつも「一人から、散財からはじまる」から「ひな型」なのです。

松村吉太郎道の八十年を読んでみて下さい。
教会の普請をして、資金難になって、貧のどん底をしています。
それは、もっと先に自分から求めて、「ひな型」をただ一人で、通るべきだった。
基本教理を、天理教教典からしっかりと、教えの根を掘って、
自分はいかに通るのか、ご思案大切と思います。
0594基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:07:06.24ID:RQXqvodv
私は子供の頃、絶対に「して地獄」は通りたくなくて、特に官憲に弾圧されて真冬に水ぶっ掛けられるなんて、絶対に嫌だと思っていました。
貧乏は、私のお世話して下さった教会は、その頃貧のどん底のど真ん中にいて、人はたすかるのですが、食事といったら最低最悪。
冷蔵庫のなかった時代です。もう腐った匂いのするようなご飯を、教会の家族は食べているのです。
「あんたには無理だから」と、奥さんは笑って、私には炊いたご飯を食べさせる。
「魂に徳が無いから、このままでは短命だ」と、私には古着しか着てはいけないよと、だから、例外的な学生服以外は皆古着で、それでも、
「あんたは徳が無いから」と、優しい笑顔で、来ているもの全部上から下まで剥ぎ取られて、
もうつぎはぎだらけの服に変えさせられて、頭はさっさとバリカンで丸坊主にされて、
「あんたじゃ天理教は出来無いよ」と、それはそれは優しい奥さんでした。

とてもじゃないが、師とその弟子たちの「して地獄」は、私のレベルでは無理。
それは私の実感でした。
「千遍聞いて千遍諭したらわがの理と諭しおこう」。
このお言葉に出会ったとき、これなら、私でも出来ると、聞いて語るだけなら私でも出来ると、道が開きました。
「子供の癖に生意気だ」とか、「この道は論の道では無い」とか、「通ってから諭せ」とか、大人たちから叱られました。

しかし貧乏は嫌で、粗食は嫌で、投獄や拷問にはとても耐えられない軟弱な精神の私には、「千遍聞いて千遍諭す」これしかない。

おふでさきを読ませて頂くようになって、諭し悟り以外に、私には心澄ませる道は無いと、確信をなお深めました。
この水をはやくすまするもよふだて
すいのとすなにかけてすませよ (3-10)
 このすいのどこにあるやとをもうなよ
むねとくちとがすなとすいのや (3-11)
 このはなしすみやかさとりついたなら
そのまゝいれるしんのはしらを (3-12)
0595基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:11:16.62ID:RQXqvodv
このはしらはやくいれよとをもへども
にごりの水でところわからん (3-9)

この水をはやくすまするもよふだて
すいのとすなにかけてすませよ (3-10)

このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや (3-11)
このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを (3-12)

「しん」とは真柱の事。
しかし人個人においては「信念」。
私はそう悟りました。
濁りきった私の心を清めて、澄んだ水に変えていただけるとしたら、
それは「すいのと砂にかけて」済ませ。
「このすいのは胸、つまり悟り」「口、つまり諭し」。
これならば、いつでも出来る。
「ハンドクさん」とはまるで私の事で、私が掃除をすると、「まだここが汚れている」と、お叱りを受ける。
教会でひのきしんすると、「あれがダメ」「これがダメ」とみんなの前で叱られる。
「何をさせてもまともなことが出来ないのは、あんたが高慢だから」と、笑われて、
寸足らずの自分であっても、「胸と口」でなら、心が澄ませて頂けるかも知れない。

「ひとつの物に一つの理」
そうなんだ、「一つで良いのだ」。これ一つで、それだけで良いのだと、確信を与えてくれたお言葉です。
0596基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:15:18.67ID:RQXqvodv
おかきさげに、
又一つこれまで運ぶという、尽くすという。
運ぶ尽くす中に、互い扶け合いという。
互い扶け合いというは、これ諭す理。
人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。
よく聞き取れ。

と、示されてありますように、「諭す理」。「救ける理が救かる」とは、「諭す理」。によってだと、示されてあります。
諭すには、教理を知らねばならない。
それは、胸の思案。そして悟り、「悟りたら証拠ためし」。これは、全て、原典に知らされてあった助けて頂く唯一の道でした。

どんなことの中にも神意を悟る、どんな教えについても知らぬことは根を掘ってたづね、教えの元を知る。

天理教の救済は「悟り諭しの道」。基本的には、おふでさき3号の10、11.
このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや (3-11)
このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを (3-12)

どうぞ、速やかに悟りつきますよう。
0597基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:19:41.67ID:RQXqvodv
諭し悟る、一言の話、一事の話はひのきしんと教えられています。
「幾つもの事を、その方に語っては、ひとこと話」にはなりません。
又、都度に胸を掘る、教えの根を掘ることが大切であって、知識を諭すのではなく、悟りを諭す、
諭して又悟る。
人をたすけるとは、「ひとことまでで皆たすける」という基本を行うことです。
家業第一の中に人たすける。それがおやさまの教えの基本であって、里にいて、里人と共にある里の仙人に、成らせて頂きたいと、それが基本となる。

人をたすけるとは、天理王の神名を、おやさまの神名をお伝えし、人間の親神がおやさまである事をお伝えすることですが、「悟りの世界」。
禅を組み悟りの世界にという、それを、生きたまま生活の中で日々行えば、「この道は生きた禅やで」の教えを行うことになります。

「胸の思案を第一」に、「胸から胸へ」、世界一列兄弟の真実のをやを、伝えて歩む道でありたいと、思います。
0598神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 04:23:07.66ID:RQXqvodv
おやさまはお優しいのですね。それだけで救われる気がします。
基本さんが何を伝えようとして下さっているのか、何回も何回も頂いたアドバイスを繰り返し読んでいます。
まだ「知識」としてでしか、入ってきておらず、「悟り」にはたどり着けていないようです。
天理教が「夜」から抜ける事を、基本さんも望んでらっしゃるのでしょうか。
僕は夜明けが見てみたいです。
0599基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:27:41.28ID:RQXqvodv
>>598
天理教の夜は、自分で目隠しして「見えない見えない」と言ってるようなものです。
天理教は昼です。
こうして、おやさまの教えの基本をきちんと語らせて頂けるほどの「明るい昼」です。

疑わせるように疑わせるように導いてきた「理の親信仰」は、きちんと綺麗になります。
みんな、復元のおやさまの教えを、語れる手前まで来ています。

「諭す」ことをしたら良いだけです。
「諭し悟り」の順番で、諭してから「悟る」のです。
たすけたい一心で、お諭しをする。
諭してから、自分のした諭しの意味を、それから「悟る」のです。
たすけたい一心でお諭しすると、とんでもないお諭しをしたりしますが、それを、かみ締めて「悟るのです。」
0600基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:34:03.91ID:RQXqvodv
わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる (3-47)

人の心に神を諭したら、人たすけた理で、わが心に悟れるのです。
「千遍聞いて」とは、これは毎日教典読んでいるだけでも良い。
12下りだけでも良い。おふでさきだけでも良い。天理教の教会にいたらいつでも出来る。
出来ている。
「千遍諭したら」が、これが「なす理」です。
諭すと言う事は、「たすけたいから」諭すわけです。
「諭したらわがもの」、諭してから、悟る。
「諭す」が全てです。

…田舎の駅で一時間の待ち時間があって、田舎道を歩いていたら、70代の女性に声をかけられました。
「あんたカラオケであったよね、歌上手だよね、コーヒーでも飲みませんか」とのお誘いでした。
電車待ってますというと、千円札を一枚渡して、駅前の店であんたがお菓子買って、そこでお茶飲めばいいよ。と言われました。
「あんたは傍を楽させてるよね」「あんたの歌は傍を楽させる。」
「一生、傍を楽させて通っていくのが人生なんだって、ずっと続けて行ってね」。
0601神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 04:38:05.72ID:RQXqvodv
百戦錬磨の基本。さんと違ってお恥ずかしい話助けたい一心の
諭しなんて1.2度しかしたことがないのですけれど
一心ってホントその通りで、なんとかしなきゃって思うのと同時に
口から言葉がついて出てきて後から考えたらその言葉に自分自身
も助けられたことがありました
それには、存命のおやさまに身上事情を通して自分のあしきを
きちんと教えてもらうことがすごく大事なのではないかと思います。

基本さんへ。
分教会、はては大教会に住み込み、実社会に戻るすべを全て奪われ住み込まわざるを得ない人々をご存知ですよね?
それらの方々は、おふでさきもろくによめません。
その方達はもうすでにお年を召している人ばかりです。
現在の天理教を助けられないのでしたら、助けられないのでしたら基本の基本などと書き込まないで下さい。
0602基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:42:42.42ID:RQXqvodv
> 助けられないのでしたら基本の基本などと書き込まないで下さい。
[現在の天理教をたすけられないとしたら]
これは、おやさまがたすけられないという意味ではなく、基本の基本がたすけられないと、そういう意味ですよね。
あなたは、
「分教会、はては大教会に住み込み、実社会に戻るすべを全て奪われ住み込まわざるを得ない人々」をたすけられないとしたらと、そういう意味で書いておられますよね。
大教会長や上級会長家族をたすけせけられないとしたら、では無いですよね。

@「実社会に戻るすべを無くした方々を、たすける」には、実社会に戻るすべをつくる事ですね。
A或いは天理教会がそういう住み込んでいる方々を大切にする、生まれ変わった天理教会になる事ですね。

基本はそういう天理教にする為に、基本一人の呪法でおやさまにお働き頂いて、全天理教団を改革すると18才で心定めして、
こんにちまで、一貫して生きてきています。
「たすけられる」けれど、それが新たな理の親信仰になったり、基本様は素晴らしいになったら、無意味です。

おやさまの教えは「マンパワー」です。
あなたが侮っているおふでさきもろくによめません。 に方々が、きちんと説いて教えてあげたら、どんなパワーをお持ちになるのか。
基本はおやさまに、全天理教団の改革は私一人でしますとお約束してあります。
出来ると信じている基本です。

そんなの難しいことでもなんでもない。おやさまがなさることです。
130には、古いタイプの天理教は掃除されて、教団はきれいになります。
信者一人ひとりが、おやさまが親神様だと胸に治まれば、おやさまは働けます。

人の心にマンパワーが生まれなければ、おやさまは働きようがないのです。
でも、おやさまはともかく、基本は天理教団改革のために必ず改革します。
教会にすがるしかない方々を、理の親信仰から解き放ちます。
そのための日々ですから。
0603基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:46:50.40ID:RQXqvodv
天理教の教典について、やっと18の頃の語り口で語れるようになりました。
それこそ、皆様にお伝えできる程度にやさしいお話にして、ながく語ってきました。
今は、きちんとお伝えできるようになりました。

私の仕事の仲間には「教理解説」まったくしません。
おやさまの逸話遍は読んで欲しいとお願いしましたが、教典もおふでさきも、話題にすらしません。
しかし、私はおやさまのお望みの世界の普請をすると、それだけは語っています。

基本なんか偉そうな事言っていても何も出来やしないだろうと、お疑いはごもっともです。
だが、ちゃんとして見せると、確信の道にいます。
0604基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 04:55:23.11ID:RQXqvodv
私本当は、家業を立ち上げてしっかり利益をあげて、それを散財すると常々から公言していましたがネットでは書かないでいました。
最近になって、こりゃ天理教の谷底から散財相手にしないといけないのかと、思い始めまして、
とりあえず天理教の谷底救済をするよと、家業立ち上げたらそうするよと言い始めたばかりでした。

ところが、それは一つ間違うと異端組織行動になりかねない、つまり基本の方においでと言わなくても語ってる事になりかねない。
オールフリーで、金を散財するのは、
@「実社会に戻るすべを無くした方々を、たすける」には、実社会に戻るすべをつくる事ですね。
A或いは天理教会がそういう住み込んでいる方々を大切にする、生まれ変わった天理教会になる事ですね。
にはつながらないで、一時のしのぎや、理の親へのお供えやに消えてしまうわけです。

天理教会に住んでいる方なら「家業第一」というおかきさげの教えは、知ってはいるでしょうから、
それをなして生きたいと、そういう精神の問題があって、
「信仰」の問題ではなく「家業第一」の行為としての、助力でなければならないわけです。

そういうことを思案していまして、難しい事いってばかりいますが、
天理教は、天理教の谷底は、基本が、必ず(おやさまと共に)たすけます。

そのための基本の中の基本です。
0605基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 05:16:59.89ID:RQXqvodv
天理教教典の第一章をもうすぐ一区切りとなりましたが、
>最近になって、こりゃ天理教の谷底から散財相手にしないといけないのかと、
思い始めまして
と、言うのは実は嘘です。18の時にそう決めていた。


高熱が出まして、ますます苦しく、
そろそろお役御免かな。という局面です。
もう教団の中の心ある方々は、天理教教典の奥深さと、神意のすっきりになじまれたと思います。

この身上の神意が、「もうお役御免」ならばすっきりと死にましょう。
初心に帰って、最初に精神定めた「大望の道」を、なお突き進めと言うなら、やりましょう。
私ごとばかりで、失礼しました。 天日染めのお話を、教典解説にて月日の理として書いていましたが、
ふと、ビジネスのお話かと、・・・
「国々から金を出してもらいに来る日があるで」と仰せられたのでございます。

 娘はよろこんでその不思議な宝をみやげに村へ帰りました。
 後に近江の国、瀬田に嫁ぎ、その不思議な木綿の話をしたのでございます。
 するとそれは珍しいという噂が広がり、 各方面から生き神様の木綿を、一切れでも欲しいと貰いに来たのでございます。
 これを信者たちは「教祖の天日染め」と言い、宝物として社に収めて拝んだのでございます。
0606基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 05:49:11.51ID:RQXqvodv
天日染めのお話を、教典解説にて月日の理として書いていましたが、
ふと、ビジネスのお話かと、・・・
「国々から金を出してもらいに来る日があるで」と仰せられたのでございます。

 娘はよろこんでその不思議な宝をみやげに村へ帰りました。
 後に近江の国、瀬田に嫁ぎ、その不思議な木綿の話をしたのでございます。
 するとそれは珍しいという噂が広がり、 各方面から生き神様の木綿を、一切れでも欲しいと貰いに来たのでございます。
 これを信者たちは「教祖の天日染め」と言い、宝物として社に収めて拝んだのでございます。
0607神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/22(土) 05:54:52.26ID:RQXqvodv
白紙の状態には、どんな色でもどんな文字でも書けます。
それは、言葉の理が使えると言う事です。
しかし、真っ黒の状態には文字は書けません。色も付けられません。
言葉の理が無いという姿です。

あまりに悲しいと「言葉も出ない」と言いますが、断腸の思いと言う事ですから、「断」とは、断頭台の断で、色なら黒です。
割り切ったと、そういう決め方が種となって、言葉の理のご守護を失うこともあると言う、そんなこともご思案下さい。

基本教理は、30年たって、理解されたら良いのです。
ネットで今語っている人たちは、30年たって、分かるかどうか。
力比べと言うのは、そういう息の長い力比べです。
後に来る人は、基本教理は常識として、使いこなせるでしょう。
0608基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 05:58:07.81ID:RQXqvodv
中休みにと、丁度手ごろな話題をありがとうございます。
「黒」、時刻は丑寅、深夜漆黒の闇。
そこに白文字、かしこね命様の色は「白」です。

そこでお子様の胸の内に「暗い闇があって」の話題が元でした。

かなり昔でしたが、入学児童なのに幼稚園児程度の会話しか出来ないお子さんがいて、
たすけて欲しいとたのまれました。
お母さんとは電話でお話しただけですが、お子様の前で「夫婦で」「夫婦の会話の演技」をお願いしました。
一ヶ月もたたないうちに、お子さんは会話が出来るようになって、
これが、
「黒地」には「白文字」の手法です。

心を開かせようとするよりも、扉の外で「仲良し会話」の白い光で文字を書く。
良い方法です。
0609基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 06:02:20.48ID:RQXqvodv
村上重良さんという方は、私は立ち読み程度でしか著作の内容は心得ていないが、良心的で学問の態度にこだわりがなく、客観的な姿勢を貫いている。
ご紹介の本の書評を読んで、感動しました。引用します。

勝手に新宗教のナゾに迫る、第二弾は天理教である。
・・・
 中山みきが布教を開始した幕末から明治初期、新政府は、〈国家神道を軸に思想統制を図っていた〉(同「国史大辞典」)。
そんな中、人類創造神を持ち出してくるのだから、当然、弾圧の対象となる。
教団は仕方なく国家神道色を強めることで政府の公認を得、戦後ようやく、中山みきへの原点回帰を果たした。
 私が気になったのは、教典に頻出する〈世界〉という単語だ。「日本国語大辞典」によれば〈世界〉は、
梵語を翻訳した仏教用語で、800年代から史料に現われている。
 それまでの〈世の中〉などの用法に加え、〈地球上のすべてのひろがり。特に、諸国家の集合体。万国。地球〉(「日国」)の意味を持ち始めた初出は、1795年。
つまり、日本の“外”を意識し始めた時から、「世界」は「外国」を含むようになったということである。
 天理教の聖典、中山みきの筆による『みかぐらうた・おふでさき』には、「世界」という言葉が、なんと約150回も登場するのだ(対して「日本」は30数回)。
 〈これからは何でも世界一列を 勇める模様ばかりするそや/だんだんと何事にても日本には 
知らん事をわ無いと言う様に/何もかも世界中へ教へたい 神の思惑深くあるのに……〉
 「世界」と「日本」を使い分けていることからもわかる通り、中山みきにとっての「世界」は、明らかに万国を差しているのである。
幕末、当時のグローバリゼーションの大波が押し寄せて来た際、中山みきは、それまでの仏教(先祖崇拝)や神道をぶん投げて、新しい神話を提示したのだ。
「世界」に対し、「世界観」で立ち向かおうとしたのである。
現実世界の中に、諸外国に侵されないユートピアを創ろうとした、という言い方もできる。
0610基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 06:23:30.79ID:RQXqvodv
ある意味で教団批判者には村上重良さんという方は、二代真柱派だとみなされるでしょう。
学問的に忠実であろうとすると、二代真柱の説に近づくのは必然です。
 しかし、そこに「世界宗教」としての天理教を見出す感性は、宗教学者の中でも卓越した部分であろうし、
世界を150回、日本を30数回の、圧倒的な中山みきの世界観を、
たんたんとした学問の中から、浮き出させる手法は、それなりに評価されます。

こんなところです。

> お母さんとは電話でお話しただけですが、お子様の前で「夫婦で」「夫婦の会話の演技」をお願いしました。
これも、呪法の一つです。模倣呪ですね。
チェーン店などの接客も、別に有難いと思っていなくても「まいどありがとうございます」。
嬉しく内客と感じても「いらっしゃいませ」。
こういう「模倣」で「呪」をかけるわけです。

こんな呪と言うのは、気が緩んで居る相手に友好ですが、気がピリピリしている相手には、まるで通じません。
「断腸のお気持ち」でいるような事情の場合には、黒地に白と言うような「テク」に走るのは、お諭しとしては、不適格でしょう。
0611基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 06:27:09.33ID:RQXqvodv
天理教の教理と言う物は、もともとは「学窓」にではなく、「やまい諭しの現場」で、取次ぎの人が病人さんにお取次ぎすると言う時に、諭されました。
病人さんが来て、神様にお願いして「おさずけ」をして、それから、お話をするという形式で、子供の頃見慣れたものです。
そのお話の時に、「私たちの親神様は天理王命様と申し上げます。無い人間無い世界をお始め下さいました元の神様、実の神様で、天理王命様と申し上げます。」
この度、旬刻限の到来によりまして、中山みき様と言うお方に神がかりありまして、お説き下されましたのが天理教の教えであります。
こんな風に初心からから語り始めたスタイルが、古典的なおたすけの現場に必ずあったと、言う事です。

人類全体に対しましての立教の意義と意味の説明をしまして、
それから、ただ今親神様にお助けをお願いしましたが、病と申しますのは、親神様からの、
「手引き、手入れ、道教え、残念、意見、立腹、など、神意は病によりまして、皆それぞれに子供可愛い親心からの神様からのお働きであります。と、
今回の、病についての「理のお諭し」をする。
こういう順番で、病の諭しをしまして、それで助けていただく順番になっていたわけです。
0612基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 06:31:03.16ID:RQXqvodv
認知症のお諭しについてご質問です。
病理の諭しのお話の前に、病気そのもののお話からしましょう。

認知症

認知症の原因となる主な疾患には、
脳血管障害、アルツハイマー病などの変性疾患、正常圧水頭症、ビタミンなどの代謝・栄養障害、甲状腺機能低下などがあり、
これらの原因により生活に支障をきたすような認知機能障害が表出してきた場合に認知症と診断される。
///////////////////////////////////
と、あります。

アルツハイマー型認知症
画像検査
CT・MRIX線-CT・MRIでは、脳血管性のものとの鑑別に有用であり、側脳室の拡大・脳溝の拡大・シルビウス裂の拡大などの大脳の萎縮が見られるようになる。特に海馬は、他部位と比較して早期から萎縮が目立つ。

海馬 (脳)
海馬(かいば)は、大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。

その他、虚血に対して非常に脆弱であることや、アルツハイマー病における最初の病変部位としても知られており、最も研究の進んだ脳部位である。
心理的ストレスを長期間受け続けるとコルチゾールの分泌により、海馬の神経細胞が破壊され、海馬が萎縮する。心的外傷後ストレス障害(PTSD)・うつ病の患者にはその萎縮が確認される。
簡単に言うと、「脳に血液、血液の栄養が行かなくなって」起きた、後天的脳の機能障害と言うことですね。

お諭しは、「脳の理」で諭すより、「血液の理」で諭したらよろしいと思います。
「虚血」が、「脳の機能を破壊する」。
「虚血(きょけつ、英: ischemia, ischaemia)は、動脈血量の減少による局所の貧血。

血液は「面足命」様、日様。温み。母親。
それが「虚」であるという事に絞り込んでさとされたらよろしいと思います。
0613基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 06:39:59.94ID:RQXqvodv
「甲乙の甲」です。促進する側向上する側の「甲」があります。
ところが、代謝は活発であるのだけれど「向上に向けて」は、活発にはならない。

難しく考えなくても「向上する」と決めてしまうだけで、治るものです。


妊娠の事情でもそうです。
子供は欲しい、でも、母親となるために家事炊事、向上しようなんて気はさらさらない。
子供は欲しい、でも妻として人間として、向上しようなんて気はさらさらない。
人はうらやましがり、ああなりたいとは思うが、努力は嫌で、向上するくらいなら寝そべっているほうが良い。
人の手前は、繕っていますが、本音本性は、そこに行き着いているわけです。

だから、代謝を良くするには、「向上せん」を「向上する」に切り替えることです。
0614基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 06:45:10.31ID:RQXqvodv
病の悟りの基本は、十全の守護の理です。
甲状腺はホルモンです。
代謝機能は、「たいしゃ・大食天」様の守護の理です。
オンオフスイッチという見立てで言えば「甲状線」はオンの役割、つまり「甲」なのです。
八つの埃で言いますと「欲」の埃で、甲状線の病になると理解します。

そこで欲にも、善悪があります。「良い欲」は「意欲」、前向きな甲です。
「向上する」という良い欲に切り替えるという諭しは、甲状線には有効だと思います。
0615土居孝子
垢版 |
2018/12/22(土) 06:50:07.61ID:RQXqvodv
基本さん。 いやです 困ります!
0616基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 06:54:07.12ID:RQXqvodv
明治29.4.6日、内務省秘密訓令。
天理教の日清戦争に対する非協力ぶりが問題となり、言いがかりをつけてでも潰してしまえというものであった。
これにより天理教の弾圧強化が指令された。
天理教は淫祀邪教であるから、何かと難癖つけて潰してしまえという内務省訓令が警察の元締めである内務省から各警察に発令された。
内務省訓令は次の通り。

 「近来天理教の信徒を一堂に集め、男女混交ややもすればすなわち風俗を乱れるの所為に出で、或いは神水神符を付与して愚昧を狂惑し、
遂に医薬を廃せしめ、もしくはみだりに寄付を為さしむる等、その弊害漸次蔓延の傾向有り、
これを今日に制圧するは最も必要の事に候条、将来は一層警察の視察を厳密にし、時宜に依っては公然会場に臨み、
もしくは陰密の手段を以て非行を抉摘し、その刑法警察令に触れるものは直ちに相当の処分をなし、又そのしからざるものは、必要によりては祈祷説教を差し止め、もしくは制限する等臨機適宜の方法を用いて、その取締りを厳重にして、
殊に金銭募集の方法については最も注意を周密にし、且つその状況は時々報告すべし。
なお、神仏各宗派にして禁厭祈祷、風紀並びに寄付金に関し天理教会に譲らざる弊害あるものも可有り。
これまた同様の取締りを為すべし。明治29.4.6日 内務大臣芳川顕正」。
この時の「お指図」が次のように為されている。
「心さえしっかりして居れば、働きをするわするわ。反対する者も可愛い我が子、念ずる者は尚の事。
なれど、念ずる者でも、用いねば反対同様のもの。
山が崩れる。水が浸く。雨風や。何処へ駆け付く所も無いというようなもの。泥水すっきり流してしまう。
泥水の間はどんな思案してもどうもならん。
心一つの理を繋げ、心一つの理を繋げ。
いかんと云えば、はいと言え。ならんと云えば、はいと言え。どんな事も見ておるほどに」。
0617小牛田ドクトリン(Kogota Doctrine)
垢版 |
2018/12/22(土) 06:59:07.29ID:RQXqvodv
秘密訓令の新鮮な角度からの見解、「はいはい」の理への解説、ありがとうございました。

十全の守護の理を基本さんがそれぞれ解説された文章などはどこかにありますか?
色・数理・神名にあたる漢字・お好きなもの・嫌いなものなど…

宗教における反社会性をどう考えられますか?
秘密訓令が出たのは時の明治政府から見た場合の反乱分子としての要素がお道にあったからだと思われます。
現在、天理教も含めて、日本におけるほとんどの宗教は、日本国憲法・宗教法人法の枠内で、既存社会と折り合いを付けて活動しています。
外れれば、テロ集団扱い・カルト扱いでしょう。
天理教の教えは枠内で折り合いがつくものですか?おやさまの大社高山との対決姿勢は反社会性を帯びている故に、あまり前面に出てきていないように感じます。
0618基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 07:03:07.46ID:RQXqvodv
きっと、天理教教典第四章に至ったら、詳細に解説できるかもしれません。(笑)
理と言うのは「原理的」なものは、天理教教典の内容で十分だと思います。
基本は必要な一言を諭せたらよいと言うおやさまの道具ですので、そのときその瞬間の悟りで語っています。
知識は必要ですが、ひとつの事を信じきる能力が無いと、決定力が無いわけで、薬の数が多ければ多いほど迷うばかりですし、
一言まででみなたすけるでになりません。

若い頃私は、「今これを悟りましたから、この悟りが役立つ」と決め付けて、隣に来た人にいきなりお諭ししてました。
必ず的中します。
一つしか知らないから、それだけ使うが、最良と思います。
たくさん知ったら、用いねば反対同様ですから、たくさん使わなければならなくなります。
それは、避けて、一つを大切に、馬鹿の一つ覚えに思えても、一つをじっくり思案し続けるべきです。
0619基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 07:38:49.43ID:RQXqvodv
> 宗教における反社会性をどう考えられますか?
おやさまh宗教においての反社会性には反対の立場だと思います。
「非社会性」はおやさまの教えの、「汎社会性」もおやさまの教えの特徴だと思います。

> 秘密訓令が出たのは時の明治政府から見た場合の反乱分子としての要素がお道にあったからだと思われます。
それは政府からの見方です。
おやさまから見たときには、天理教団の反社会性が問題であって、「上」を使って天理教を掃除し、純粋と不純に分けたのだと思います。

わかりやすいおさしづでは、明治三十五年七月十三日のおさしづがあります。
『何を持って来い彼を持って来い、と言うてあるまい。』
これが急所に当たります。
『何を持って来い彼を持って来い、』これが反社会行動そのものです。

宗教は営利であってはならないという世界の常識がある。
ところが天理教がしていたのは「何を持って来い」であった。
これをおやさまは、掃除したくて、応法の道を心通りの通されたと言う事です。
0620基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 08:10:24.75ID:RQXqvodv
明治三十五年七月十三日
・・ならん事から、これまでどういう事もこうしたら一時遁れるかと、いろ/\品変えて通りたる/\。
世界から道理を付けて世界中この道から、一つ信者から一つ敵の中と、前々伝えたる/\。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教組織として法の目を逃れようと、公認等という「世界から道理をつけて」の行為で、やってきた。
しかし、「一つ信者から一つ敵の中」。
つまり信者一人の応対を間違うと「敵の中」になる。
信者から金を出させ物を出させたら、一転信者が敵になる。
金や物を出せと言う教えでは無いのに、それを説いている。これが、反社会的行為と言う事です。

大西愛治郎(おおにし あいじろう、1881年−1958年)は、日本の宗教家。ほんみち教祖。
農家に生まれ、奈良師範学校在学中に1899年に母親の病気治癒の目的で天理教に入信する。
その後、奈良師範学校中退し、東京で単独布教をし、群馬県碓氷郡安中町で単独布教ののち、
山口県で3つの分教会を再興させ、天理教山口宣教所所長となる。
・・1906年天理教の教理「貧に落ちきれ」の下、全財産を献納した。
1913年に大西は、神がかりをして我は生き神「甘露台」であり、教祖中山みきに続く天啓者となった(「甘露台人の理」を保有した)ことを悟ったと主張した。
大西は教歌「甘露台古記」を示して、これを天理教本部で訴えると異端者と看做され天理教教師を剥奪された。
0621基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 08:14:07.52ID:RQXqvodv
一列思やんせにゃならん、と、早い理に諭したる。
一寸通り難くい。一時こうと言うた処が、怖わいと言えば、負うて歩かにゃならん。
負うて行けば負われる。
負うと負われると違うで。負う力持ってくれにゃならん。
これだけ伝えたいから、多くの人寄せにゃ書取というものは、その場切りのものである。
ほんの当分のもの。
これ真実の心定める事なら、世界に於て多くの人通す。
通す理立つというは、天然自然と諭したる。
又日々の処、さづけ一条書下げある。
何を持って来い彼を持って来い、と言うてあるまい。
親大切、家業第一、と諭したる。
この理から聞き分けにゃならん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神様の道の為にと、言いながら、世界の道を通るのは怖い、そう思うと、
天理教である事が重荷になる。負う荷物になる。
それはだめだと言う事です。
神様は頼もしいと、神を軽くもってなら、神がこちらを負うて下さると言う神意です。

おかきさげの、家業第一と親孝心なら、反社会性どころか社会の手本です。

全財産供えさすと大変な事態になる事は、それが反社会的行為だからです。
0622基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 08:18:10.67ID:RQXqvodv
さあ/\たゞ一筆は何処まで行ても立ち切る。親孝心、又家業第一。これ何処へ行ても難は無い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教が反社会的である事は避けなければならないことです。
いわゆる、お宮参りとか、そんな程度の信心で良いと言う事が理解されないと、
家業第一親孝心という平凡が、天理教だと分からないと、宗教高慢いんねんから因縁切りはできません。
例えば天理教は人類の平等を説いている。
魂は月日人間同じ魂だと説いている。
明治政府は天皇は現人神と説いたから間違っていると、そういう主張を説いたとします。
八島系異端の説き方ですが、
中山みきは「自分が神」だと説いてるわけですから、
「人をして神というのはけしからん」と、なります。
八島さんは共産主義の原理主義者と共同行動していて、天理教の行事すっぽかしてそっちをやっていた。
それを御本部が問題視して、当時の関東の教会長や後継者には仲間が親派が大勢いたが、本部に逆らうと教会にいられないと言う事で、
お詫びしたりして、八島さんの親派で教団を追われて八島さんと行動する人たちは、八島さんを中心に、教団批判組織を立ち上げたわけです。

やまい助けで世界の富貴になろうとした山名系。
水屋敷の飯田岩次郎さんも間違っていますが、
おやさまの思想でこの世を改革しようとした、共産主義天理教も大きな間違いをしたと言う事です。
0623基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 08:22:21.91ID:RQXqvodv
解決と言うのは、本当は簡単なことのわけです。
親神を信じたら良い。
それだけの事です。

おやさまが教えを説いた。
おやさまが不思議なたすけをなした。
おやさまば不思議な授けを渡された。

それは、おやさまのお力を示しただけの事で、教えの内容や思想には、この世を変える力などないのです。
おやさまが渡されたおさずけは路銀であって、道を通るための経費にすぎません。

おやさまそのものが天理王命であって、
真柱が道の真柱であって、
道具と用木がいれば、間違いなくこの世は、陽気普請できる。
それだけの事です。
0624基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 08:26:30.03ID:RQXqvodv
親神を信じたら良い。
それが信心の要諦です。

天理市にいくと、地場があって、神やかたがあって、その姿をみて、人は信じている気分になれます。
そこまでの土台をつくるために、本来の定命115才をお使い下された。
存命のおやさまには、お住まいの教祖殿が出来たわけです。

そうなると、あとは、おやさまの教えを信じて家業第一の、授け一条かきさげにあるままの用木がいたら良いのです。
その平凡が、未熟な信者には我慢できない。
それが普通であってはつまらないという不満が天理教団の内々にあるということです。

道をわから無いと言う事は、そんなもんです。
0625基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 08:32:09.38ID:RQXqvodv
産業革命の事、思い出してください。

力織機[編集]

最初の力織機(機械式織機、Power loom)は、
1785年にイギリス人エドモンド・カートライト(Edmund Cartwright)が製造した。
力織機はそれまでの手織機に代わって織物生産の主役となり、産業革命を主導した。
以降、手織機の使用は工芸品や伝統的な布を作る場合に限定されるようになる。
特殊な用途に応じた素材を扱えるような織機や、効率的に最大量 生産できるような織機も開発された。
力織機はもともとシャトルを用いて緯糸を通しており、シャトル式は20世紀後半でも標準的であったが、
実は20世紀初めにはより速く効率的なシャトルレス織機も発明されていた。
エアジェット織機(air-jet loom)は、空気を噴射する力で緯糸を通す織機で、
天然素材などさまざまな糸に対応でき、安価な布の大量生産を行う工場や、先端的な織物工場で導入されている。
また水の噴射を利用して合成繊維を織るウォータージェット織機(water-jet loom)もある。
コンピュータで操作される織機は、工業用のみならず個人用にも生産されている。
工業用の織機は、1秒で6列以上という速さで緯糸を織り込んでゆく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうして、高山と谷底は出来ていった。

おやさまは、逸話遍1は、機械対おやさまの感性の、力比べです。
あなたは、どちらに軍配上げますか。
どちらを選びますか。

これがひな型の意味です。

>>615
土居さん。あなたこそ、「いやです、困ります」。
0626基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 08:53:36.92ID:RQXqvodv
よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ 思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。
一見すると、「お屋敷内贅沢禁止」と誤解されます。
が、それは素人さんの通ったことの無い人の、「宗教倫理」からきた間違いです。
おやさまと一緒にいられると言う事は、何以上に、美しく綺麗でいられる絶対条件です。
おやさまと一緒にいられると言う事は、美食であるのが当然の世界です。
おやさまと一緒にいたら、遊山の日々です。
これが分からないと言う事は、仮に住居はお屋敷に居ても、おやさまと共にいないと言う事です。

おやさまは、通るに陽気遊び思うてくれと言われています。
「よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい」

おやさまは「その日暮らしの長者もあるで」と言われています。
0627基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 08:57:05.28ID:RQXqvodv
話が本筋に入ろうとすると、色々な方が登場します。(笑)
<オラ2ぢゃんねるの書ぎ込みば忙しぐでな
<家業に専念でぎないことば
<一番の悩みだども どーしたらよかんべ
基本の家業の一つは文筆業ですから、2チャンネルの書き込みも家業行為の一つです。

>>714
> 基本。はなあ、東日本大震災の時におやさまを後ろ楯にして、大阪に工場を持ってこいだとか言ってたが、
言っていません。
> 被災地の工場は無くして、大阪が栄えれば良いとでも思ってんのか。
被災地の工場はなくならないと、復興ビジネスの事でちゃんと指摘しています。
> とふぢんが多いから、関西経済は神の返しで低迷してるんとちゃいまっか?
それは間違った認識です。
0628100式
垢版 |
2018/12/22(土) 09:01:18.98ID:RQXqvodv
明治20年 1887 (陰1月26日)午後2時頃、教祖現身を隠す
5X5X5=125年後 2012年
まだ記述がありません。 近未来です。
と、書きました。
今年の六月から、来年の六月までが、一番危険です。
とのことらしいから、一番危険はもう過ぎ去ったんじゃね?w
それ以降も災害はあったけどな。

こんな風に書けるんだから神の守護が切れっぱなしかどうか分かってるでしょw

関西電力最大の原子力発電所がなぜか北陸にあるんだよね〜知らなかったとはいえ
北陸にリスク押し付けて関西でぬくぬく電気を使っていた私自身も福島東京の
ことは他人事ではないわけで

次の災害はどうかお手柔らかにとおやさまにお願いする日々ですわw
そのお願いを誠にするにはどうすればいいか…

あちらからこちらに動かせばあちらが困るもその通り
高いお山が右から左じゃ意味ない

ならば天理教徒らしく関西の地で家業第一谷底から競り上げ
もちろんおやさまと一緒にね
試してダメならその時にはいくらでも罵ってちょうだいな
でも試さぬうちから火事場泥棒よばわりはよろしくないね
0629基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 09:06:03.49ID:RQXqvodv
> 2012年何が起きていたか、確認しましたか。
その話題の前に、ですが、125の数理について私の投稿を確かめておきましょう。

2007年7月に基本はこう書いています。
基本。 </b>◆XE./kJ00CA <b> 2007/07/28(土) 01:16:42 ID:3Sm7zXhB
天理教の原典には、天災が、神の残念であると、知らされている。
地震、大水、津波、旱魃、天日(太陽)の火の海、・・
それらは、地球環境を直接的に、人間に不便なものと、変えてしまう。
人間の肉体で言えば、大病。
それが、天災であり、天災は、神からの「残念の返し」である。
 それでは何が残念か、何が神の残念か。
「大社・高山」が、谷底をままにすること、そのものである。
人が病から、その人の心得違いを悟るように、
人類は、天災から、この世の構造の間違いに目覚めるようにと、親神様は、災害にて返しをされる。

五つの数理は悪には神の立腹、五つの数理善には神の理吹く。
5の三乗は125です。
0630基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 09:10:04.27ID:RQXqvodv
> 2012年何が起きていたか、確認しましたか。
その話題の前に、ですが、親神様はおさしづにおいてこう語っています。
明治二十五年十二月五日
第七、刻限に掃除という事あるに就て願
さあ/\もうこれ一日の日を、だん/\追い詰めてある。
日柄も先ず無い。又一つ天災という事情も聞き分けにゃならん。
掃除は、万事の処に心を治めてくれ。
掃除掃除天災一つの理は計られん。
よう/\の事に治めたる。
大層は十分に受け取らん。成らん処は十分受け取る。
心勇んで運んでくれるよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「掃除は、万事の処に心を治めてくれ」
つまり、掃除と言うものは「万事のところ」、万事と言うのはよろづよの世界一列の理です。
御神楽歌の処に理を治めてくれと言う神意です。
「又一つ天災という事情も聞き分けにゃならん。
掃除は、万事の処に心を治めてくれ。
掃除掃除天災一つの理は計られん。」
 天災とは掃除であり、おつとめの理で治めてくれと、知らされています。
0631基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 09:18:50.14ID:RQXqvodv
東北関西の経済の話題は、基本の投稿の文章を一部読んでかじった程度で批判されていますので、
気持ちは分かりますが、合理的な対論は成立しません。
もっと正確に投稿文章を読んで、下さらないと、おばかすぎて無視します。
> こんな風に書けるんだから神の守護が切れっぱなしかどうか分かってるでしょw
当然分かっています。
神の守護が切れっぱなし、なのは大社高山の方たちにおいてです。
東京電力などエネルギー高山は、大阪の経済の地盤沈下を意図的に行った。
それで貧のどん底になったという現象をもって、神の守護が切れたというのは誤解です。
おやさまは水でも落ちきれば吹き上がるといわれていて、高山から仕掛けられて落とされた関西経済は、関西は吹き上がる。
それは天理の基本です。

明治の維新で、政治に天皇を利用するために天皇を東京に移住させた。
みきは「地場のかみがた」「地場の上方」と歌っていて、上方は、親神側ですから、守護は切れたりしません。
それだけの事です。
0632基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 09:24:47.89ID:RQXqvodv
> 第七、刻限に掃除という事あるに就て願
これは、明治25年12月24日の午後八時、午後8時・・・戌(いぬ)の刻・・・五つ
五つの理においての「刻限お話」です。お指図本文には、
『一つの諭もして置こう。何箇年に道下り、今日の日が無くば、一年の日も無い。よう聞き取れ。
 雨風にざあ/\の道を通りて一つの理、その理無くば今日の道は無い。』
『掃除に掛かりてくれ。一つの道に掃除に掛からにゃならんで。掃除掛かりて何処がどうでも構わん。早く掃除に掛かれ/\。
 なか/\の大層、一日の怪我も無く通りた事情、
 何処がどうでも構わん。何ぼうでも切りは無い。早く掃除々々。
 何ぼ日指折り数えても、なか/\又この日もある。
 早く/\、掃除掃除、明日日から掃除やで。』

このようにあります。
「雨風にざあざあの道も通りた。」→これは過去を語って未来を語る手法の、天災の予言です。
ちょっとこれが直接何の事情を指すかは後にします。
「何ぼ日指折り数えても、」→これは何日の理で数理で現れると言う意味です。
「なか/\又この日もある。」→これは中中又、に再現されるとの理です。
0633基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 09:28:39.93ID:RQXqvodv
明治二十五年十二月五日 に、 第七、刻限に掃除という事あるに就て願
さあ/\もうこれ一日の日を、だん/\追い詰めてある。
日柄も先ず無い。又一つ天災という事情も聞き分けにゃならん。
・・・・・・・・・・
親神は二月四日の刻限で掃除を急げとお指図し、予言を調べろ、数を数えよと、掃除を急げとお指図されています。
そして、25 24 5の刻限にこれを説いて、数理上5の理も「月日」(年月日時刻)そのもので示しているわけです。
5つ理を吹くが、神の立腹の数理の基本です。
刻限の24日から、24日を1として数えて5番目は、28日です。
ネット上には、防災情報新聞があります。ここには7種・9表の災害分類が整理されていて日本の災害の資料が集められています。

親神が刻限で数えてみよと言うので数えてみて、五つ理を吹くの日、明治25年12月28日、防災新聞によれば、気象災害が起きています。
○和歌山県勝浦港の漁船、強風のため集団遭難(120年前)
 1892(明治25年)12月28日
・・・48人死亡、181人行方不明という大惨事である。・・・
0634基本。
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2018/12/22(土) 09:33:10.36ID:RQXqvodv
刻限でこのように予言がされていても、大教会初代や高弟たちは年数一つ数えなかった。
神も仏も名無しさんのように、災害の悲惨さはご思案されてと思いますが、神の刻限お指図の予言されていたと、それ、思案した高弟たちはいなかった。
五つ理を吹くが神の立腹の数理ですが、5×5は、立腹の二乗です。
そこで刻限から明治25年1892年12月を1して数えますと、25番目は1916年12月から1917年11月までです。
ネット上には、防災情報新聞があります。調べますと
25年目には大正時代最大の気象災害が起きています。引用します。

○大正6年9月秋雨前線+台風、1日の東京湾観測史上最高位高潮と大阪淀川大洪水(90年前)[復刻]
 1917年(大正6年)9月29日〜10月1日
 9月26日、フィリッピン諸島の東方海上に発生した熱帯低気圧はその後台風となって、29日南大東島付近を通過した。
30日夜半、東海道沖に接近、10月1日2時過ぎ駿河湾に入って沼津付近に上陸した。上陸後、台風は90km/時という早い速度で北東に進み、3時半ごろには東京の西方を通過、
宇都宮、福島、仙台を経て、三陸沖を北上した。
 この台風により近畿地方以東は激しい暴風雨となり、東京では最大風速39.6m/秒、銚子では50.8m/秒を観測、
1日夜半、東京湾では十五夜の大潮と重なったこともあり、観測史上最大の前後2回にわたる高潮を記録、
その高さは、築地の霊岸島付近で東京湾平均海面+3.1mに達した。
築地沿岸には大小の船舶が打ち上げられ、月島から深川洲ア及び荒川と江戸川に挟まれた葛西地区では、
ほとんどの家が床上浸水となり、中には軒下まで浸水した家も少なくなかった。
この高潮により東京市内だけで215平方kmが浸水、
東京市を含む府下(現・都下)の被害は509人死亡、54人行方不明、961人負傷、住家全壊3258戸、同流失998戸、
同床上浸水1万8952戸、道路決壊延べ1.66km、堤防決壊延べ7.7km、橋梁流失89か所となった。
0635基本。
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2018/12/22(土) 09:37:07.40ID:RQXqvodv
一方、関西では台風接近に先立って9月末から秋雨前線による雨が降り続いていたが、
台風の雨が29日3時半ごろから加わり、午後5時ごろから豪雨となった。
そのため淀川各水系では急激に増水、1885年(明治18年)の「枚方切れ」以来の大洪水となり、1日8時40分、淀川右岸高槻の大塚堤防が決壊、
次つぎと支流の堤防も決壊して大阪府下が大洪水となった。
中でも神崎川筋では、同日午後11時10分ごろ新庄村(現・吹田市)の堤防が決壊、
次いで味生村(現・摂津市)の堤防も破れ、吹田市を吞んだ濁流と合流し淀川右岸最下流部の大阪市西部重工業地帯を襲った。
大阪府下では1万5358戸が浸水被害を受けている。
 東京、大阪の外、東京湾沿岸の川崎、横浜などが高潮の被害を受け、
神奈川県全体で60人死亡・行方不明。
千葉県では江戸川河口の浦安、行徳、船橋各町が高潮に襲われ、県内で336人の犠牲者を出している。名古屋も伊勢湾で高潮が起き、東海道線では神奈川県で酒匂川の鉄橋が落ち、当
時同線だった山北−御殿場間のトンネルが崩壊するなど、しばらくの間、不通となった。
とあれ日本の両都を含む東海道ベルト地帯に大被害があった、大正時代最大の大水害である。
被災地全体の被害、1324人死亡・行方不明、2022人負傷、
住家全壊3万6459戸、同半壊2万1274戸、同流失2422戸、同浸水(床下+床上)30万2917戸、
船舶被害8182隻(中央気象台「気象災害年表」)。
0636基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 09:41:16.40ID:RQXqvodv
つまり、5つ理を吹くの五日の期間において、天理教の高弟たちが刻限のお諭しを実行していたら、つまり掃除掃除を実行していたら、
5×5の数理での対象最大の気象災害は防げた。
それなのに、おばかな初代たちは、みんな愛町の関根さんがそうであったように、初代様は神様だとか、宮家の跡地に大神殿を立てましょうとかおばかさんばかりで、、
親神様のお言葉さえ聞き逃していた。
 元々明治25年には、
明治二十五年二月二十七日
教祖御墓地用豊田山買い入れの願という、おやさま存命の否定を高弟と幹部は謀反同様に願っている。
明治二十五年六月三十日
教祖豊田山墓所五日取り掛かりの願という、墓地づくりが開始された。
明治二十五年八月七日
御墓所塚の周り玉垣の下石垣積む願 親神はそうしたおめかしを否定している。
明治二十五年十月十一日
教祖御改葬に付御輿の処四方御簾(みす)に致し度きに付御許し下されますや願
さあ/\だん/\追々理を以て尋ねる処、一つの事という。又一つにはどうよこうよ思やんあろ。
一つ尋ねる。一時さしづ及ぼ。それはどうと好まん。

とうとう親神は「好まん」と言われているが、高弟と言う名の裏切り者たちは教祖お墓地を立派に立ててしまっている・

こういう天理王命を馬鹿に仕切った態度では、刻限などちゃんと悟れるわけが無い。
気象災害の予言。

> 「雨風にざあざあの道も通りた。」→これは過去を語って未来を語る手法の、天災の予言です。
天災はまさに気象災害であると、おさしづには語られてあるのです。
おばかな高弟のようなことしていたら、みき姉さん、残念立腹、そりゃ当たり前です。
0637基本。
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2018/12/22(土) 09:52:05.27ID:RQXqvodv
天保八年:
 天保八年十月二十六日のこと、
十七歳の長男秀司は、母親みきに伴われて麦蒔の畑仕事に出た折、急に左足に痛みを覚え、駒ざらえを杖にして辛うじて家に辿りついた。
早速、医者に診せた処、薄荷薬などを用いて手当ての限りを尽してくれたが、一向に痛みは治まらない。
そこで、人の勧めるまゝに、近在に聞えた修験者、長滝村の市兵衞に使者を出したが、あいにく市兵衞は仁興村へ行って不在であった。
 越えて二十八日、再び使者をたてた。市兵衞は事の由を聞いた上、早速、百燈明を上げて詫びてくれた。
使者が帰った頃には治まって居た。が、翌日になると又痛み出したので、又もや使者を出して祈祷して貰うと、
一旦は痛みは治まるものゝ、次の日になると又痛み出し、使者を出して祈祷して貰うと、治まった。
こうして三度祈祷が繰り返されて、一応治まったが、二十日程経つと又々痛み出した。
 心配の余り、善兵衞自ら市兵衞を訪れ、折入って相談した処、そういう事ならば、
一層の事、お宅で寄加持をするが宜しかろう。との事であったので、一旦家へ帰り家人とも相談の上、その意見に従う事にした。
市兵衞は、勾田村のそよを雇い、幣二本を持たせて台とし、近所の誰彼にも集まって貰い、護摩を焚き寄加持をした処、痛みは治まった。
半年程経つと痛み出したので、寄加持をして貰うと、治まる。暫くすると又痛むという工合に、一年の間に九度も繰り返した。
寄加持の時には、ただ近所の人々に集まって貰う丈ではなく、一々酒飯を振舞い、又供養のため近在の人々に施米した。
一回の費用は凡そ四百目かゝり、軽い経費ではなかったが、可愛い伜を救けたいとの親心から、善兵衞は少しもその費えを厭わなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ ここには、九つまでの宗教の教えの基本があります。
酒飯を振る舞い施米する 施米とは、困窮者や托鉢僧などに米を施すこと
古神道・修験道 布施、これを九度踏んでから、立教に至ったと言う事です。
0638基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 09:56:02.67ID:RQXqvodv
「みきを神の社に貰い受けたい」

やしろとは、《「屋(や)代(しろ)」の意。「代(しろ)」は神を祭るために地を清めた場所
・・・・・・・・・・・
行者の市兵衛さんは「よりしろ」にみきの体を用いたのですから、一時的に「代・しろ」の状態であった。
それを、みきの本質本体である親神が、「やしろ」にしたいと、貰い受けたいと、言い出したと理解するのが、実情に即した理解です。
憑代(よりしろ)は忘我の状態でありますから、やしろになるということは、忘我の状態のままでいることを意味します。
憑代(よりしろ)から正気に戻った後のみきを「やしろに貰い受けたい」と告げた。
告げられた中山家の側にとっては、神おろしという非日常が日常化するわけですから、とても簡単に受け入れられない、そういう事情が見えます。

社と言う言葉を、神の住まいと短絡的に読んでしまうのは、当時最高レベルの修験道の行者。その神おろしの「よりしろ」よりも、
もっと、清らかな聖地のようなみき、と言う、大きな前提が見えなくなってしまいます。
お住まいではなく、神事を行う聖地としてのみきの肉体と言う前提で、理解します。
0639基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 10:00:43.90ID:RQXqvodv
おやさまの教えを出来る限り詳細に、九九の手ほどきで、二代真柱さまという超大天才の編集になる天理教教典の内容を語らせて頂きます。
二代様を「応法の真柱」と私は呼んでいます。世間的には1905−1967 大正-昭和時代の宗教家。62歳で亡くなっています。
正善真柱が生まれる以前に、親神は本席を身上にして、「一ニ三一二三の切りを入れる」旨を告げています。
「本席身上」と言うのは、教団が間違っていると言う事情のあるときに、本席を病気にして、人間がお指図を伺う、そのときの神のおさしづです。
おさしづは、明治22年11月2日 この数列は222(1+1)2 となっています。
「陰暦十月十日」は、陰暦の意味するのは、古い時代、十月十日は「漢字でいうと朝」です。 人間で言うと誕生です。
おやさま50年のひながたの時代に「正善」と言う名は予言されていました。
「中山秀司」の生まれ変わりが、正善真柱と言われています。二代真柱がまだ生まれていないときに、
「復元まで60年」という、日の切りをきちんと親神は入れています。

 明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時
 本席身上障り願
「さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印を打って置く。一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。
ようこれを聞いて置かねばならんで。」
0640基本。
垢版 |
2018/12/22(土) 10:07:51.30ID:RQXqvodv
 親神が切りを入れた明治22年(1889年)から予言どうりに60年で、1949年(昭和24年)4月1日、天理大学開学。10月26日、『天理教教典』公刊。
その予言当時には生まれてもいなかった正善真柱は、天理教教理を復元しています。
最初の一二三の切りの時、30年後には青年増野鼓雪が青年会を活動拠点に、おふでさき、またおさしづを基にした教理を教団内に復元開始し、
二代真柱は本部員に抜擢して増野鼓雪は教団思想のニューリーダーとして脚光を浴びています。

 おやさまは見えん先から説いておかれるお方で、この切りを切らねばならなくなるというご注意も警告も、先に警告されています。
 それはおさしづで、
明治二十二年四月十八日 午後十時
刻限御話
さあ/\/\/\うん/\/\、さあ/\/\話掛ける/\、どういう事を話掛ける。これまでの処というものは、皆んな一つ/\寄せて運んだ処、
皆寄り合うて始めた処、又これよりどんと一つの道改める。
改めると言えば皆が案じる。皆々変わる/\と言えば皆案じる。案じる事は無いで。
道が変わると言えば案じる。
さあさあ今になって今の事を言うやない。所々には一つ/\の名を下ろし/\。
さあさあいつ/\までの事情、往還道を待ち兼ねる。
何か一つの治め方、一つの事情、元一つの事情から始め掛ける。
初まりという、国々何処の国々、初まり/\前より一つ。
さあ/\遠く/\こんな処から、何処からどういう道が付くとも分からん。
世界の中の所から、どんな所より道が付くやら。
偉い事や。この道というは、後々の事も言わん。日々の処どんな所へも入り込む。
さあ/\皆始め来たる処、あちらに一つの社や、こちらに一つの講や。
皆々難しい処より始めた。心の理によって一つの名を揚げた。一つこうのう始め掛けたら、よう聞いて置け。
何処にどういう道が始まるとも分からん。

さあ/\天理教会やと言うてこちらにも始め出した。
応法世界の道、これは一寸の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。
元一つの理というは、今の一時と思うなよ。今までに伝えた話、かんろだいと言うて口説き口説き詰めたる。
さあ/\これよりは速やか道から、今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあるという。
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