江藤勲●歌謡曲スタジオミュージシャン 5●寺川正興
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歌謡曲畑での話題をメインに、話の広がりによっては劇伴:アニソン畑の曲での話題。
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前スレ
江藤勲●歌謡曲スタジオミュージシャン 4●寺川正興
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1459096351/
>>2 以降、ミュージシャンの例。基本的に生年順(生年不明の場合は適当) 次スレからはエレベーター奏法の使い手の荒川康男も入れとかなきゃだな。 荒川康男といえば、「また逢う日まで」のバリエーションのようなこの曲も
作・編曲を担当してるわけだから、当然ベースも弾いているのだろうな
https://www.youtube.com/watch?v=bX54CFeQ0bg また2,3年後にはなるのかもだけど、
次回は900入ったら追加審議した方がおもろいかもね 猪俣猛もいるんだし荒川康男も入れるべきでしょう
鈴木淳もいるし 前スレって消費に2年かかんなかったんだな
忘れずに次回に推薦すればいいよ 荒川康男のスタジオワーク(エレベ)は興味あるね
『メープル・リーフ』での演奏が一つのサンプルになるかな
三保敬太郎作品は、それと似たようなベースが多い気がする 前スレでアントニオ古賀を推薦したけどやっぱ対象外かー 牧村三枝子『鏡橋』
網走刑務所での慰問コンサートのライブ盤
なにがすごいって、バックのミュージシャン
Dr岡山和義、Bs寺川正興(!)、Eg杉本喜代志(!)、Gg斉藤功、Kbd江草啓介
Tp羽鳥幸次(!)・武田和三、Tb鍵和田道男、Sax佐野博美、Vl篠崎正嗣・藤巻重雄
Va鈴木民夫、Vc矢島富雄
これだけのメンツそろえて延々ド演歌だからなあ…
でも寺川節は時々出てる あと、寺川ファンは鳳蘭『肖像画』を手に入れることを勧める
「石川晶グループ」としか書いてないけど、ベーシストの様子がおかしい 演歌っつっても、純民謡調・ヨナヌキ音階オンリーのモロ演歌と、
ムード歌謡っぽいちょっとラテンとか入ってるような演歌とでは、
演奏する方の気構えも変わると思うの。 このスレでしか聞けないこと
トワ・エ・モワ・イン・U.S.A.って、A面とB面で演奏してるメンバーが違うと思うんだが、どうだろう?
https://www.allmusic.com/album/in-usa-mw0001234012/credits
このメンツが演奏してるのはB面だけで、A面は日本のジャズ系スタジオミュージシャンの音がする
英語版「或る日突然」のスネアのフィルとか、石川晶にしか聞こえないんだが >>13
持ってる。
石川晶と書いて買ったが最初しか聞かず寺川氏ではないなと思って途中でお蔵入りしたが。
で、再度聞き直したら最初は平凡だったが確かにベーシストの様子がおかしくなって行く >>19
2枚目の方がヤバいよね
買った時、間違えて2枚目から聞き始めて、ベーシストのテンションが高くてびっくりした >>21
寺川ベースにしてはおとなしいというか
もっと暴れてそうな気もする >>21
ファンキーなアレンジでワロタ
ニューソウルに接近した?
76年ぐらいのサウンドか? 歌謡曲で寺川ベースらしき音が聞こえ始めるのって1970年からで、
寺川さんがジョージ大塚トリオを脱退した年と一致するからそのころにスタジオ仕事を始めたのは確かなんだが、
どういう経緯でモダンジャズから離れてスタジオワークに入ったんだろ。
69年にカウント・バッファロー・ジャズロックバンドに参加してるから、
石川のおじさんに誘われたのかな。 『ドリフのほんとにほんとにごくろうさん』をクラウンから出したのが70年5月ということは、
たぶん年明けくらいからスタジオワークを始めてたんだろうな。 錆で寺川ベースが大爆発する永田英二の「悲しきトレイン北国行き」も70年の5月やね 寺川正興のベースをバックに歌っている歌手たちはどう思ってたんやろうか?
音数多くて歌いにくくなかったのかな? >>26
アメリカでは50年代のロックンロールの誕生でジャズバンドの仕事が減ったんで、
ジャズミュージシャンがスタジオの仕事をするようになったっていうから、
日本もジャズの仕事が減ったからじゃないかな(´・ω・`) 仕事を選ばなければ、当時はまだナイトクラブなどでジャズメンも稼げたが
ジョージ大塚トリオなんていう、トップコンボのメンバーがそういう仕事をするわけにもいかない
かといって、マジなジャズをやる場といえば、ジャズクラブ(ライブハウス)とたまにあるコンサートだけで
とても食っていけない
稼ごうとすればスタジオに行くしかなかった >>33
70年代以降、ジャズしかやらないジャズメンって
それこそスイングジャーナルの人気投票ベスト5以内の人でも
気の毒なほど貧乏な人が多かったからね
スタジオやバッキングの仕事の依頼がきても
ポリシーとして断っていた人なんかは、自業自得といえばそれまでなんだけど >>34
昔、NHK-BSで見た、東京12チャンネルのディレクターだった田原総一朗が
1969年に撮ったという山下洋輔のドキュメンタリーに
彼の家にかかってきた伴奏の依頼の電話を、奥さんが断っているシーンがあったなあ
「1時間で済むし、ギャラもいいんですけど」という先方に対して、奥さんが
「すみませんが、主人がジャズ以外はやらないと決めたもので」と謝りながら断っていた
山下洋輔の場合は、それでも突出した個性があり、エッセイを書いたりする才能もあったから、生き残れたんだろうけど ジャズマンで作曲できる人は大野さんみたいに
CMやら劇伴のほうで活躍したな
できない人は日野てるみたいに公共事業に助けてもらうのだ 日野皓正は若い頃はアパレル(TAC)のイメージキャラクターとして
30代はサントリーのCMキャラクターと音楽で稼いだ スタジオミュージシャンの仕事は、はじめはジャズやクラッシック畑の人のバイトみたいな感じだったんだろ。
世間におおっぴらにできないから奏者のクレジットもされない。
それが市場の拡大とともにスタジオ録音の需要が増大して、しだいに正業にするものが現われはじめた。
アコギで有名な吉川忠英氏は当時のスタジオミュージシャンのギタリストはジャズやハワイアンの人が多くて、
スリーフィンガーピッキングができないので石川鷹彦氏や自分に仕事が来たというようなことを言っていた。 >>39
ジャズやハワイアンの人w
沢田駿吾さんのことですねw ジャズやハワイアンの方がテクニック的にはスリーフィンガーより難しそうだけどなあ。
ジャズやハワイアンがもっと日本国民に人気があれば歴史も違ってたってことか。
スタジオミュージシャンも結局は流行に左右されるんだな。 ドリフのほんとにほんとにご苦労さんのベースは寺川さんなのだろうか。
プレイスタイルは江藤だが音色は江藤っぽくない。 >>43
朱里エイコのファーストアルバムはほとんど寺川さんだと思う。 >>43
朱里エイコのファーストアルバムはほとんど寺川さんだと思う。
北国行きでのB面の
時の流れにのこされ
も寺川正興で間違いない 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
UARAT >>46
江藤さんです、あとは
Dr 石川
G 杉本
P 飯吉
>>22
ここに上がってるスタジオ・バージョンは再録
オリジナルはもっとベースが動いてる よこはまたそがれのベースは鈴木淳だよね
よこはまたそがれ、花嫁、他に鈴木淳っぽい歌謡曲ってあるかな? >>51
譜面どうりに弾いた寺川さんの可能性はあるが何とも言えないな
西郷輝彦の寺川ベースと言えば「真夏のあらし/こわれた風」「情熱/恋はめぐる」「魅惑」あたりがそれらしい
>>52
シモンズの「恋人もいないのに」「ひとつぶの涙」「この広い空のどこかに」あたりはどうかな? 最初聴いた時は寺川さんだなと思ったのだがフレーズがどうも寺川さんらしくない、今も寺川か鈴木か判定出来ないでいる 立川マリのダンケシェーン・ブンダバーも鈴木淳だと思う
シモンズも一聴、寺さんっぽいけど、何か鈴木っぽい気もするね いつも音楽聴くとき
ベースのボリューム上げたりしてる? 美しきチャレンジャーを弾いてみた。
sm32471156 他の弾いてみたさん同様、日頃すごいとは思ってても
こうやって実際弾いてるのみると改めて、こんなことになってんだって感心するな >>59
「昭和歌謡ポップスガイド」本の発売イベントでもガモウ氏が「美しきチャレンジャー」弾いてたな
ここまでちゃんとコピーしてなかったと思うけど この手数をやりつつノリノリってのがさらにすごいとこだな この音数をきっちり再現してついて行ってる時点ですごいけど、
やっぱりオリジナルと比べるとヨレが目立ってしまう
当時、初見で譜面見ながらアドリブでこれ弾いてた寺川さんは凄いね
毎日毎日こんなフレーズ弾いてたんだろうな 寺川正興アワードを創設して、現役のベーシストを勝手に表彰するか? ダンバインがやたら音響いいんで矢野立美編曲のエンジニア気になってきた
有名曲がたくさんある訳じゃないけど、
他の戦隊ものレスキューポリスものも
リヴァーブやらエコーで拡散されて出過ぎないブラスやエレキの音って感じで
ちょいちょい共通性ありそうだから、アレンジも音響のディレクションも兼ねてるのかもだけど >>66
>>67
確かに面白いな
赤木サトシのマサオも矢野立美なんだな 70年代後半ジャニーズ暗黒時代最後の迷曲w
とまどいの終末、星降る街角風ネタ曲って思ってたけど、意外に悪くないな 沢村賞的な位置で寺川賞・江藤賞とかある世界を妄想
この世代より前のスタジオミュージシャンの話ってのは
今後なかなかレアになってくんだろうな
青春歌謡によくあるアーアーコーラスとか同一グループが何曲もやってると思うし
気になることは気になるんだけど 最初は後藤だったけど何かしっくり来ず寺川ベースを聞いた時はこのおじさんのベースについていこうと思った位だ。
寺川ベース、手数が多い割に意外と日本人の手のひらサイズで弾ける。
この人の手はそれほど大きくないと見た。 みんな知らないんよ
昨日10年ぶりに大きな本屋に行ったら
「日本のフュージョン」ていうムック本があってさ井上鑑の
インタビュー記事があってさそのインタビュアーの質問が
「井上さんたちがスタジオの仕事やるようになるまでは
歌謡曲のレコーディングはレコード会社のオーケストラだったんですか」
「井上さんぐらいからスタジオミュージシャンが確立されたんですか」
みたいな質問しててその都度井上さんにいやそうじゃなくてみたいに
訂正されててさ。
要するに歌謡曲というメインカルチャーについての知識がまったくないんよ。
で井上さん周辺のシティポップ(笑)の知識はある、みたいな
逆転現象が起きていてつまり「歌謡曲」のほうがサブカルチャーに
なってるんだよ そりゃ「はっぴいえんど」が日本のロック(日本語のロック、でさえなく)と思っている層には
歌謡曲などまったく響かない、興味を持たれないだろうよ
まあ作り手もそういう層になってきたメディアになど期待するだけ無駄
好きなことは自分で掘るのみ ケニーウッドオーケストラ、○○オーケストラとかの一括り名称の弊害は強いな
確かにこの道にハマるまでは70年代中盤までは
少なくともストリングス、ブラスはそういうシステムだとイメージしてた
ワンツーどんとかで石川おじさんとかクニ河内とか
何かしらのベテランミュージシャンがポップス畑で蠢いていたっぽい空気は感じてたけどw 和製ポップスの時代はコンボ名とかビッグバンド名多いよね
そこからドラムならシックスジョーズから猪俣猛とか精鋭が選ばれてくにつれて
表記が曖昧になってくって流れなのかな
ジャズハワイアンカントリー全盛時代より前はどーなってんだろってなると
ムッシュや森山良子の父親世代の歴史の彼方になってくのか
この世代で淡谷のり子のバックバンドやったり、東京ローズ放送のバックで演奏したなんて説があるけど 今のガキはスラップキチガイが多い。
プレイヤーよりもリスナーの方が酷いかもな。 ただ本間昭光と島田昌典という二人の売れっ子アレンジャーいるじゃん
彼らのインタビュー読むと彼らは
70年代の歌謡曲のアレンジ、サウンドのすごさをよくわかってるんだよね
(一方亀田はあまり知識がない) 若いやつは亀田師匠とか言って尊敬してたりするけど、
いまいち亀田誠司のプレイは面白くないんだよなあ。 プロデューサーアレンジャーとしての才なら俺も好きな曲ちょいちょいあるから、
まあ、そういうことだろうな。 >>74
当時歌謡曲なんか馬鹿にしてた連中が
今のブームにのってくるのちょっとむかつくw きのうざっといろんな記事を読んだけどなあ
EKさんの本とかも悪いけどひどい
自分の紡ぎたいストーリーがあってそれ以外は見ない、というような
論考が多すぎて話にならない
要は音楽の内実を聴いているのではなく
それをとりまくメディアの批評を読んで再構成したものばかり 達郎とか自分と師匠でレッキンクルーの話題とか
自分の関わった青山純関連とかは嬉々として語りそうだけど、
どうもあのお方は素人・評論家レベルが語るのは十年早い!とか考えてる節があるよな
それに引っ張られて、どうもあの界隈、
そういう話題はプロミュージシャンだけが語れる聖域って捉えてる雰囲気 >>84
歌謡曲のバックバンドがダサくなったのは80年代以降。
打ち込み中心で終わってた。 >>87
いきものががりの水野
弦4人と管3人くらいのTV番組で
「こんなビッグバンド用意してもらって…」て発言してた
ビッグバンド=フルバンドの概念も変わったらしい
彼は理論知ってるので嫌いではない
今や打ち込み=ステップ入力をさすらしい 90年代の渋谷系界隈とかの歌謡曲をはっぴぃえんど・筒美で語るアプローチ
幻の名盤連中の昭和歌謡をギャグネタとして扱って少しリスペクトを混ぜたアプローチ
それはそれで当時は何かを一歩進めた感があったのは確かだけど、そこから四半世紀止まってるんだよな
強いて言えばクラブカルチャーからの和モノ評価があるけど、
ジャズシーンと歌謡シーンを結び付けて語る人はほぼ見かけなかったし。
名のある評論家()はほぼ前者で止まったまんま自分語りしてるし、
サブカル好事家タレントは後者で止まって遊んでる。それはそれで楽しいんだけどね。 それもそもそもは70年代後半に
近田とか深夜放送が遊んでたアプローチのオシャレ版・サブカル版だしな
下手すりゃ40年止まってる 90年代だったかな
「新譜ジャーナル」のアンソロジーを買ったことあるのだが
かなり初期の頃の収録された記事で
つまり近田よりもっと前の時期で面白い歌謡曲批評記事が載ってて
興味ぶかかったのだが
その本がどっかいってしまった 早川義夫は60年代の終わり頃に
作家寄りの歌謡曲のことを書いていたよ そこらへんも遡ってみるのおもろそうだね
後追い世代にとってはレコードのライナーとかで接することが多いけど、
これは参考になったなってのあったりするし 駐車禁止の道にパーキングメーターできた
とかいうのはよかった アプローチとしては作詞・作曲・編曲のカテゴライズまでは
誰でも思いつくし、語りやすいだろうな
その後のミュージシャンの段階が、
ここの住人みたいなリサーチ楽しくてしゃあないってタイプと
そこまではめんどいからスルーってタイプに分かれる 頭の良し悪しというよりは教育とか気付きの機会の有無なんだろうな
まずは主旋律以外の音に気付くことが手始めってことにはなるのかな。
運転免許でも取ろうってぐらいのごくごく普通の時間の余裕と根性あれば、
ポピュラー音楽理論レベルの和声・対位法覚えてそこそこの作曲、
いくつかのスケール覚えてアドリブ演奏ぐらいできるだろうしな
今はパソさえあれば、無料で動かせるDAWもあるから、エンジニアリング遊びもできる
そこに気付かないと今の音楽好きのシステムって宗教みたいなもんだからな。
プロになれた、もしくは売れたミュージシャンだけが唯一無二の創造神で、それ未満は糞。
素人は跪いてそれを有難く聴かせて頂くっていう
音楽を作ること、演奏することに対する、できない人から見たハードルが異様に高く設定されてる そういう傾向があるから、曲書けない人にもゴースト付けたり、
チームでミーティングして作り上げたもんでも「作詞・作曲=本人」って箔付けするんだろうな。
その箔さえあればファンに「神」にしてもらえるわけだから。
真偽は知らんけど、フクヤマとか家で作ることはない、スタジオでしか作らない、とか言ってたって話もあるし
西野カナのwikiとか詞書いてない言い訳でしかないような、トンデモイレギュラー作詞法が書いてあるし なんだかんだではっぴぃえんど史観って語りやすいんだろうな
日本ポップス史上に残る作詞家がでーんといる訳だし
他3人も才能あるアーティストではあるけど、ポップスのど真ん中で大活躍した本流ってまでではないよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています