江藤勲●歌謡曲スタジオミュージシャン 5●寺川正興
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歌謡曲畑での話題をメインに、話の広がりによっては劇伴:アニソン畑の曲での話題。
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江藤勲●歌謡曲スタジオミュージシャン 4●寺川正興
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1459096351/
>>2 以降、ミュージシャンの例。基本的に生年順(生年不明の場合は適当) >>152
私もまさにそう思っていたんだけど、ある時期から全然
OKになった。日本が景気よかった時代へのノスタルジーもあるだろうし、当時はデジタル音源のCDへのトランスファー技術が貧弱だったから痩せてひどい音質だったけど、最新マスタリングやアナログ盤で聴くと意外に太い音だったりして印象が変わる曲が結構ある。 リスナーがボーカルしか聞かないし、経費がかかる上ワガママなバックミュージシャンの相手もしなくて済む。
伴奏は外さない程度に適当にしたらいい。
そりゃ、プロデューサーからすれば打ち込みサイコーやわな。 ラムーやらカルロストシキ期オメガとかLA録音でマイコー周りのミュージシャンと被ったりするしな。
なんのかんので音色はシンセドラムだったとしても、やっぱそれなりに一流な演奏だったり
あとまだあの時代って打ち込みってより、今と違ってまだまだ普通にスタジオミュージシャン使う余裕あったし、
山木秀夫が代表的だけど、ドンカマに合わせてシモンズとかをジャストのリズムで叩いてるケース多いんじゃない
矢島賢も奥さんとライトハウスプロジェクトとか始めたけど、やっぱつまらなくなったって言ってたり
ウィンクとかの時代にはみんな機械いじりたがって打ち込み全盛になるけど、
90年代になるとまたCDバブルで、特に打ち込みにこだわらないなら可能な限りやりたい限りは人力モードに戻ったみたいだし、
B'zなんかは青山が叩いてるよね
この時代にも沼澤尚やら江口信夫なんかがトップドラマーとして全盛期だったり ラ・ムーで思い出したけど、菊池桃子 with Koinoniaなんて謎企画もあったな
菊池桃子のファンはKoinoniaなんて知らないし
Koinoniaを知ってるフュージョン好きは菊池桃子なんて興味ないし
誰も幸せにならない企画
Koinoniaのメンバーはギャラをもらえりゃよかったのかもしれないけど
リハの際に、菊池桃子の想像以上のレベルの低さにあきれていたという話を聞いた >>156
1985年の武道館ライブのバックをやっていましたね。
菊池桃子に関してはシンガーとしてのレベルは高くないかもしれないけど、あの声でないと成立しない世界というものが絶対的にあるのでそれは素直にすごいと思う。
テクニックがあるだけで面白くもなんともないフュージョンバンドなんていくらでもいる訳で・・・・。 アイドルは歌唱と言うより映画スタアに唄わせる系譜に近いんだろうしね
人物・キャラに重きが置かれるという
最近の若手歌手は昔と違って…とかよく言われるけど、
赤木圭一郎とか和泉雅子とか決して上手くはないボーカルを愛でる文化はそういう界隈では普通にあったよね >>156
郷ひろみが24丁目バンドをバックに作ったアルバムを持ってたな
「マイ・レディー」の別テイクが入ってたんだけど
なんたってスティーブ・ジョーダンとウィル・リーのコンビだからノリが違う
バックコーラスも郷ひろみそっちのけで叫んでた記憶 80年代前半までは海外録音の話題性高かったよね
LAのデヴィッドフォスター:TOTO系だと尾崎亜美とか竹内まりやとか
ポールジャクソンジュニア、ジェリーヘイ=シーウィンドやら周辺だと杏里とかマリーンとか
NY系だとEPOがジョントロペイとかアンソニージャクソンとか使ってたか 結構猫も杓子もやってたんじゃないの?
アイドルからシンガーソングライターまで なかなかそこらレベルのミュージシャン集めるとなると猫も杓子もとはいかないんじゃない 80年代は日本国内のスタジオの使用料金が高くなり過ぎて、海外のスタジオで向こうの一流ミュージシャンを使って集中して録音した方がかえって安くあがるという逆転現象があったんですよね。 太田裕美の旦那で音楽ディレクターの福岡智彦氏のコラムを最近読んでたんで
海外レコーディング話題つながりで紹介しておく
山下久美子のニューヨークレコーディング
https://reminder.top/684628991/
https://reminder.top/748202608/
https://reminder.top/596304445/
同氏のポンタのエピソードもあるよ
https://reminder.top/108295740/
他にもゴンチチのアルバムを低予算で作った話とか。 山口百恵とかもやってたよね海外レコーディング
西海岸で
イルカとか伊勢正三とかもやってた
やっぱ当時はウエストコースト〜AOR全盛だったから 河合奈保子もやってた
やっぱ西海岸のAOR系だったかな
デイドリームコーストってアルバムで。
そんなこんなで外人のミュージシャンとくっついてしまって
海外流出したのが飯島真理サンと八神純子サン
あっ、あの人もかミカバンドの人(匿名)
それにしても八神純子の見た目あれどうにかならんかケバい水商売女に
しか見えない 西郷輝彦はLA録音の際に
自ら希望するミュージシャンをリストアップしてきたとか あの頃のクリストーマスとくっつくってまあ、すごいよな
バッドフィンガーの、誰も知らない、誰も知らない、知らない、あなたが川に(囁くとき?)あれなんて言ってんだろ
杏里とリーリトナーは婚約破棄だったっけか
河合奈保子のジャッキーチェン話は謎だった。ってここまで来ると音楽関係なくゴシップだけどw >>168
西郷さんのアルバム「SOUTHER」と「TWILIGHT TIME」の2枚は自らミュージシャンのセレクト、ほぼ全曲の作曲、アレンジまで手掛けた本気のAORアルバム。この人は本来加山雄三と同じく、最先端のものが大好きなミュージシャン気質なんだよね。 西郷輝彦といえば、石川晶、鈴木宏昌、飯吉馨、稲葉国光らがバックを務める
71年録音のライブ盤がCD化されてるんだね
アマゾンに安い中古があったから注文してみた
楽しみだな >>171
ギターは成毛滋が担当。シカゴの「長い夜」のアドリブが聴きどころ 71年の録音ということは、成毛はストロベリー・パスと並行して
歌謡曲のお仕事もしていたのか >>173
ロック系の仕事はほぼ持ち出しで全く金にならない状態だったので、歌謡曲や歌謡&ロックインスト系の裏方仕事も
バンバンやっていた。ロックファンの間で知名度が上がってくると各レコード会社のディレクターたちがそんな音源を使って勝手に成毛のソロ名義のアルバムをリリースしたので、本人はすごく怒っていましたね。 猪俣猛?とやって映像が残ってる鍵盤いくつも演奏してるの正式なまとまった音源ないのかな
プログレ的にはかなり良かったと思うんやけど >>175
75年にイギリスから帰国してからはギターよりキーボードメインの音源を作ってレコード会社に売り込んだけど、
上層部の理解が得られなくてリリースに至らなかったと言っていた。残された膨大な音源は誰が管理しているのだろう? 自宅スタジオの機材は数年前に処分されていたけど。 演奏はすごいことやる人だけど、
人脈とか運とか含めて、そういう営業力とかマネージメント力に恵まれなかったな
寺内ヘンドリックスの頃にもっと勢いに乗っても良かった >>175
ミュージックフェア出演の時の映像。ベースは江藤勲。うつってないけど
74年にドラムを元赤い鳥の渡辺俊幸(のちのさだまさしのプロデューサー、アレンジャー)で6曲分レコーディングされてNHK第一やNHK−FMなどでオンエア さんくす。NHKFMの今日は一日プログレ三昧とかでまるごと流して欲しいなw
こっちが知らないだけでそういう機会あったかも知れないが ミュージックフェアの映像やフライドエッグの残された音源
および英国から帰国後のライブを観た印象から言うと
成毛はソングライターとしての能力に乏しかったと思う
だからライブでキーボードを弾いても退屈だったな
右手ギターでハンマリングオン、左手キーボードなんて曲芸みたいなことをやってたけど
でも今はJASRACの理事になってる渡辺俊幸が成毛のバックでドラムを叩く
ライブセッションを見たのは、今となっては貴重な体験 渡辺俊幸は作・編曲家として成功したけど
赤い鳥時代はガロのマークみたいな雰囲気だったのに
今は冴えない音大講師みたいなルックスになってしまったね 成毛はロックギターの教師、ロックのサウンド・機材の伝道師としては有能だし、
日本の音楽界において重要な仕事をしたと思う。
しかしポピュラー畑のミュージシャンとしては残念ながら新しい音楽を創るとか、
他人に無いオリジナリティを開拓するとか、そういった発想が無かった。
'60-70年代の日本では「上手すぎて出演拒否された」なんて話もあったけど、
その後、海外行ってやっても鳴かず飛ばずだった訳で、
本質的に「オリジナルの音楽」を創る才能に恵まれなかったし、
そういう才能のある他人と組むということもしなかった。
成毛自身、「(自分も含めて日本のロックは)欧米ロックの真似事で、
欧米ロック聞かなきゃ駄目」みたいな思想に凝り固まっていたから、
結局ポピュラーミュージックの世界で名を残せなかったのは必然だった。
晩年(つっていいのか)の教則ビデオの映像で
おっさんになった成毛が両手タッピングやクラシカルメタル的な速弾きしてるの見ると
なんかやるせなくなる。 桑田佳祐が新しかった、というか 他の多くのバンドと違ったのは
反歌謡曲ではなく最初から歌謡曲リスペクター(リスペクターて何や)
だったところ。自分は日本で歌謡曲をやるんだ、
というアイデンティティーが最初からあったところ これが一世代上の団塊の松本隆や松任谷正隆になると
当初は反歌謡曲というアティテュードを明確に持っていたんだよね
著書などではっきり書いてる。
(その後二人とも歌謡曲の世界にどんどん進出するがw)
タケカワさんなんか全身洋楽派で英語で歌う派
ただその後のタケカワ、桑田を見ると
やっぱルーツに邦楽が全くないタケカワは脆弱だったかなと
桑田のほうは二枚腰だなと思う。 「ドクターシーゲルのフライドエッグマシーン」CD持ってるから聴いてみるか
確か高中がベースやってるんだよな あれぐらいでいいんだよね。
ミドルオブザロードには来れなくても、
ハゲないうちに(笑)ああいうHRだったりプログレだったりって界隈の作品をもっと産み落として欲しかった つのだひろクラスの社交的かつ凄腕のパートナーが傍らにいてくれたら違ったのかな。 つのだひろは歌謡曲大好き人間だもんな
一時ヒットメイカー目指してたからな
トライアングルの「ラブロコモーション」は名曲だよ >>182
教則ビデオだしたころはまだ40過ぎくらいなので、晩年というには早いかも
教則ビデオ出した後に、成毛滋は90年代頭にMR.EGGをつのだひろと結成して(あとvoとのトリオ)、ビクターからCDも出しているが、70年代ハードロックサウンド+高速テクというったサウンド
90年代中ばにはキーボード奏者になっていて、00年過ぎの最期のレコーディングもキーボード奏者として参加したアルバムだったはず テクじゃ成毛の足元にも及ばない高中があれだけ成功してるのを見ると、個性や協調性って大事だなと思う そりゃプロデューサーだって人柄だからな
タケベとかカメダとかいかにもやさしそうやろ 晩年の成毛にロングインタビューをした人が
「大半が他人に対する批判で、とても発表できる代物ではない」と 俺が叩いた、ならぬ、俺なら弾けてた
前者も怪しい発言はあるけどw
後者はいい意味でも悪い意味でも、なら弾いたもん形にして出せよ、ってこっちゃな >>192
成毛さんは実際に会ってみるとギャグ好きで気のいい人
なのに何故かメディアから取材を受けると、大抵人への
批判や恨みつらみに終始して面倒くさい印象を与えてしまっていたのが不思議でした。もう少しマスコミやレコード会社との関係を上手くやれていれば違った活動も出来ていたのでしょうけど、お金持ちでしたから自分を曲げてまでする気もなかったのかも知れません。 >>194
シーゲルさんは世渡りが極端に下手なんですわ
認められるべき所が認められないし、惜しい才能でした 普段はカルトな話題でノロノロ進むこのスレに、急に隠れ成毛ファンが大挙湧いてきて草w チャック・ベリーの『Tokyo Session』ってアルバムでは、ピアノを成毛滋が担当している
東京公演の模様を収録したもので、渋公ではドラムが遅刻、チャックと成毛とベースのジム・マサーラの3人で1曲目をやった(ドラム無し。レコードには入ってない)
グリスいれまくりのコテコテのR&Rピアノだけど、なんといったらいいのか、R&R特有の転がる感じがないのが(仕事で弾いてますっていう雰囲気)、成毛滋らしい ここだけの話だが陳腐な歴史観を一番撒き散らした最悪の犯人は
萩原健太なんよね そらそうさ。ちょいちょい話題にも出すし、グレコも教則テープ持ってたのも隠しもしないさw
まだプレイヤー列挙されてなかった9年前の1スレの1の頃から水谷公生と並んでギターで真っ先に名前は出されてるしな >>198
あの連中が日本のロックを語る時、見事に当時の主流だったハード・ロックのことは無視するからな。成毛滋や竹田和夫がギター少年たちのスター的存在だった時期は間違いなくあるのにね。シュガーベイブの村松邦男だって元々はブルクリのファンだった。 大瀧詠一と竹田和夫がプライベートでは仲が良かったというのは、皮肉な話だな そりゃたしかブルースクリエイションのボーカルが布谷さんてしょ
ただブルースクリエイション聴くと
どう考えても布谷さんのボーカルが過大評価 >>200
1975年に出たクリエイションのファーストアルバムは
中高生バンドにコピーされた歴代邦盤アルバムランキングで
間違いなく上位に入るであろう >>202
でも大沢博美や竹田和夫のヴォーカルよりは良いでしょ。(笑)でも2008年にやったブルクリのリユニオンでは大沢氏のヴォーカルがすごく良くなっていて驚いた。(今はカナダ在住だそうで。) 大滝詠一はブルースクリエイションのマネージャーで、布谷文夫の家に下宿していた
ブルクリ1stアルバム録音時には、大滝の作詞・作曲による「二人のブルース」というオリジナルもあった
残念ながら録音されなかったが、布谷のバンドDEWのレパートリーになり、のちにCD化された。その際、権利関係を布谷に譲渡した
ブルクリの野地義行は、ブルクリ脱退後にはっぴいえんどに参加した。はっぴいえんどといえば、大滝、細野、鈴木、松本も4人というのが世間に認識だが、野地義行も正式メンバーだった
野地参加のはっぴいえんどの音源は、avexから出たボックスに収録されている やっぱアイ高野ボーカルは個性あったな
いかした Lady マダム. So lonely boy in town ってなんやねん?とか思うがw
あの頃のシティポップ周辺の英語混じりのヘンな歌詞あってこその、後のリゾートポップスやらの歌詞の進化ではあったな
松本隆やらフォーク勢みたいに文芸的に語りたくなるような代物ではないけど、
ああいうその時代なりのカッコよさ軽薄さキャッチーさみたいなものを不器用なりに変化させていった、
具にも付かない詞の積み重ねも、これはこれでこれもまたポップスの本流の一つ そういや竹田和夫オールスターズって、キーボードが成毛でドラムがアイ高野だったな
あの成毛がよくアイ高野とやってたな
遊びだからどうでもよかったのかな 竹田和夫オールスターズは77年に音源が4曲録音されているが、成毛のプログレ作同様レコード化されなかった。
メンバーは、
竹田和夫、成毛滋、アイ高野のほか、
ボビー、ナルチョ、飯島義昭、新田一郎、兼崎順一、加藤朝雄(R&BシンガーのTinaの父)。 泰葉のフライデイ・チャイナタウンとかも今の観点からだと
肩にぶつかるジンガイ、とかなんじゃそれ?とは思うけど(笑)時代と言えば時代
あの曲もいい演奏だけどクレジット出てるのかなあ >>207
アイ高野は後期ゴールデンカップスのメンバーだからなあ GSあがりのドラマーで、スタジオで通用したのは
チト河内、GSとしてはごくマイナーなバンド出身の田中清司、鈴木二郎くらいか
変わったところでは井上茂もそうか
カーナビーツの後期ボーカルのポール岡田がカーナビーツ加入前に参加していた
レコードデビューしないで終わったGS、キャンディーズのリーダーだったとのこと 田中清司はジャニーズあがりでもあるなw
ジャニーズあがりそこそこ以上活躍ドラマーは長谷部徹、リューベン ほかにもGS出身のスタジオドラマーだと、石川さゆり「天城越え」など叩いているアウトキャストの中沢啓光は今も現役スタジオプレイヤーとして活躍している
ピンクレディーの一連のヒット曲をたたいているブルーファイアやバロンの宗台春男なんかがいる
70年代までなら、マックスの萩原克己、フィフィ・ザ・フリーの鈴木ノリ、ラブの島田史雄、ちょっと前に亡くなったヤンガーズの永井光男、フラワーズやフラワートラベリンバンドの和田ジョージなんかも歌謡曲のスタジオワークをこなしていた
サマーズやチャコヘルの牧ツトムは歌謡曲以外にも、チャックベリーのドラマーもしていた
シルクロードの船本英雄、ローズマリーやマキOZのチャッピーは80年代くらいまでスタジオワークしていた そう考えるとザ・バロンもなかなかのメンツだな
芹沢廣明は言わずもがな、若子内悦郎もコーラスで息が長い活動、清須邦義もディレクターやら >>215
中沢啓光はタイコはタイコでも和楽器(鼓なんか)のほうじゃないか? 確かペッパー警部も俺が叩いたさんと宗台春男が被ってるんだよな
ファンタジーだっけ?田中清司と被ってんのは。
どーなんだかねえ >>217
和楽器が本業だけど、70年代にはまだいわゆる普通のドラムスも叩いていた記憶だったけど、記憶違いだったら申し訳ない >>215
かなり詳しいですね。
業界の人ですか? ドラマーといえば、原田裕臣はどうしてるんだろうか?
スタジオワークはジュリーを除いてはほとんどロック、フォーク系のみだったけど
ジャズ仕込みのシュアなテクニックと、サムライでの欧州遠征で身に付けたロックのセンス
そして音を聴けば当人とわかる個性を持ち合わせた、すばらしいドラマーだった >>221
裕臣いいねえ
俺も大好き
上手いんだけど音数は少なくて
間を最大限に生かしたドラミングは唯一無二だと思う
彼が叩いているジュリーのライブ盤がCD化されないのは、なんとも残念 http://diskunion.net/jazz/ct/detail/XAT-1245577070
杉本喜代志 / ギター・メソード
クレジットは鈴木宏昌&彼のオーケストラだけど、寺川ベースっぽいのがちらほらあるような 3月26日にシンコーから歌謡曲作曲家ガイドみたいな本がでるらしいが
馬飼野元宏氏監修らしいが果たしてどうかな 俺的勝手な作曲家ランキングな ヒット数×クオリティ×α(偏愛変数)
1筒美京平
2川口真
3都倉俊一
4鈴木邦彦 5大野克夫 6馬飼野康司 7井上大輔 7森田公一 8村井邦彦
9三木たかし 10宇崎竜童 11平尾昌晃 12芹澤廣明
13林哲司
アーリー部門
服部良一 吉田正 シンガーソングライター系歌謡曲作曲家部門
1松任谷由実 2中島みゆき3吉田拓郎 4加藤和彦5尾崎亜美
6大滝詠一 7細野晴臣
8小椋佳 9芳野藤丸 10西島三重子 ×αってのが味噌だなw
こういうのって作曲クレジットでリスト化分類化することで語れちゃうから、
新情報・新考察ってよりは、自分の好きな作曲家が褒められてるのを頷いて同意しながらおさらいして楽しむ感じのまとめ書籍かな
ニッポンの編曲家みたいにいろいろインタビューが載ってれば、
そういう中からスタジオミュージシャンの話題がポロッと出たりすることもあるから、それ期待か 来生たかおを忘れてたたな
あと中村泰士先生
番外で藤本卓也先生 小田裕一郎、NOBODY、佐瀬寿一、芹澤廣明はダメ?
すぎやまこういち、中村八大、いずみたくはアーリー部門? まーそういうことにはなるねw
いい意味で言えば話題は尽きない。 欧陽菲菲のアルバム火の鳥の曲の殆どが寺川ベース。
CD再発してくれないかな 東芝(現EMI)は自社のアーティストへの愛がない会社だからな、CD化も中途半端なことばかりだし、他社への移籍が一番多いのも東芝では?
洋楽で稼げるから歌謡曲の歌手なんて使い捨てって体質だったんじゃないかな FMCOCOLOの田家秀樹の番組で今月ずっと元東芝のディレクター
新田和長がゲストなんだけどインサイダーな話がとても興味深い
東芝ってやっぱ高島弘之がいて新田がいて武藤がいて成り立ってたんだ
なって話
フォークルからミカバンドから70年台の加山雄三の話
チューリップの話、オフコースから甲斐バンドから長渕剛発掘の話など
当時のレコード制作の話、サウンド面、クリストーマスとの折衝、
クリストーマスは片耳がほとんど聴こえなかった話など
すべて重要な話ばかり。昨日は甲斐バンドのヒーローの音をやたらほめてたが
テレホンノイローゼは新田氏自らミキサーをつとめたとか ただあくまで「ニューミュージック」サイドの話 東芝歌謡曲サイドのことは
わからない。
それからやっぱりメディアではURC時代のはっぴいえんど〜アルファ
のインサイダーな話ばかりが多すぎるんだなと改めて思った
つまり他所の話が少なすぎる 各社各年代でそういう話訊きたいよね
甲斐バンドの音と云えば80年代前半に何作かボブクリアマウンテンがミックスしてたよね
ロキシーやらスプリングスティーンやらのあのテの音響が邦楽で聴けてなかなかだった記憶 オフコースとかアルフィーとか歌謡曲路線、というか作家付き路線を経験した人たち、というかそのファンは歌謡曲を貶しがちだよね リスナーとしても愚かな人たちだよね
作詞作曲できるだけが才能じゃないのに
バックの演奏やアレンジャーの力が大きいのをスルーしている連中がいる 我が神のアーティスト・バンドの売れなかった時期の恨み言を耳にして忖度しちゃうんだろうな
当然、思い通りにやれなかったとか本人達は恨み言言う権利はあるけど。
それをオーディエンスが忖度し過ぎちゃって、
スタジオミュージシャンなんてアーティスト活動で売れなかった二流がなるポジションって平気で書いてるような人もいたりするしなあ
って忖度使ってみたかっただけだけどw >スタジオミュージシャンなんてアーティスト活動で売れなかった二流がなるポジションって平気で書いてるような人もいたりするしなあ
↑
しかし、当時はそう思ってたからなあ。
評価されずにそのまま埋もれて消えていった実力派スタジオミュージシャン、
ありがとう、そして合掌 江藤・寺川時代以降は何らかの形でwikiなどが残っていれば、いつか眠りから解き放たれる可能性もあるけど、
青春歌謡時代のアーアーララランコーラスとかエレキの音とか、
戦中戦後歌謡のクラリネットとかラッパの音とか
いろんな曲で時代を作った共通性あるプレイは感じるもののまだ名前の想像もつかないしな 自作曲(もしくはゴーストやらスタッフミーティングやらのアシストも借り)を世に出し、
バンドアンサンブルを練り上げ、良質な曲を世に送り出すことももちろん大した技能だけど、
スタジオミュージシャンの世界はそれとはまた別ルートで登らなきゃなれない、別の山の頂だよね >>239
アルフィーは未だにライブで筒美京平時代の曲を演奏しているし、
ガロやチューリップをカバーすることあるし、
ファンも含めて歌謡曲をけなしているとはおもえないけどなあ
別名義でGSカバーバンドをやったり、
坂崎と高見沢は昔の歌謡曲を完コピカバーする番組もやっていたりで(演奏が上手いかは別として)、
むしろGSや歌謡曲の名曲をファンに広めている気がする >>245
Alfeeが吹っ切れたのは割と最近の話。
ファンに対してもずっとビクター時代の音源には触れてくれるなという雰囲気があった。 研ナオコのバックだったとか以前はタブーだった気がする たしかに最近といえば最近だけど、90年代のライブDVDからビクター時代の曲いれてるし、研ナオコのバックのことも雑誌のGBやシンプジャーナルでよく話していたから、本人たちは気にしてなさそう
オフコースは確かに作家時代の曲と決別していた。加藤和彦が作曲したシングルがあるけど、ライブで加藤和彦が出たときでさえもその曲やらなかった
でもオフコースが歌っていた森田公一作曲の明治ブルガリアヨーグルトのCMソングはライブでもやっていた 作家ではなくミュージシャンの方で頭脳警察ファンはやたら仮面劇と誕生を毛嫌いとかはあるね
ロックって芸能もキャラクターも必要だからしゃあないことだけど 自作自演で思い通りやってく層もいるだけに、そういう他との比較として送り手はいろいろ思いは交錯するかもな。
受け手は作品として感銘受ければどっちでもよしって考えにもスイッチできやすいけど
音楽を作るレベルに行ってる人達だから、理屈としてはそういう作品本位の考え方もでできるだろうけど >>246
気持ちは分かるがその「割と最近」はオヤジが感じる時間軸での「割と最近」だろうw
ビクター時代の話を普通に公けで語り出してからもう10〜15年は経ってるぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています