【昭和】学校の音楽の授業で習った歌
>>3
あったあった
大変な坂道〜で始まる歌だよね
>>4>>6
近年平原綾香が歌詞を変えて歌ってたよね この時期になると思い出すのは「すいかの名産地」です
うちのとこの夏休みのラジオ体操は
毎日体操が終ったあとに
歌を教えてくれてみんなでうたったり、
紙芝居を見せてくれたり、
そんなお楽しみがついていました
そこで歌った「すいかの名産地」
臨海学校とか林間学校も懐かしいなあ 「すいかの名産地」は俺はSmapSmapでしか知らん。 高学年になると音楽の教科書とは別に
「小学生の歌」みたいな小さい本をもらったよね
遠足、林間なんかではその本からの歌をいっぱい歌った 音楽記号を覚える歌あったね
♪いそーげ いそーげ ア〜チェレランド〜
っていうやつ
習ったのは小学校だけど
のちに中学だか高校の音楽のテストで
記号の意味を答える問題が出て
1問この歌に助けられた 小学校に入学して一番初めの音楽で習った歌は
何だったか思い出せない ゆかいに歩けばが好きだったなあ。
バルデリ〜バルデラ〜バルデロ〜♪ とぶよ とぶよ 白雲
そよぐ そよぐ 木々の葉
山の朝だ 夜明けだ
峰をさして さ のぼれ
鳴くよ 鳴くよ こま鳥
吹くよ 吹くよ そよ風
山の朝だ 夜明けだ
峰をさして さ のぼれ
今の季節はやっぱこれだな。
子どものころからずーっと大好きな曲だ。
でも山登りは嫌いだけどね。
高校のときに習った「あれは愛でした」という歌が
なぜか記憶に残っている。
習った人いますか? 見よ〜切り取られた岸壁の〜裂け目がわらう、裂け目がわらう〜♪
ってなんだっけ? 若い翼は
今でも中ボー時代を思い出すと頭の中でBGMとして流れてる。 峰を指して、さあ、登れ〜
って、なんて曲だったっけ? >>25
岬の唄。
”岬は叫ぶ。岬は叫ぶ。岬は叫ぶ、叫ぶ。
進む事も出来ない、出来ない、出来ないと。
退くことも出来ないと。”って感じだったかな。
中学の合唱コンクールで歌った。 合唱といえば「大地讃頌(だいちさんしょう)」が定番だったイメージが有る。
俺は歌った事無いけど。 副読本に載ってたのでは
学生時代
掌を太陽に
風の街
ってのがいいかな 小学校の臨海学校で歌ったけれど「さあ太陽を呼んでこい」って石原慎太郎の作詞なんだな。
昭和の時代はまだよかった。
俺たちの子供たちは今、学校で、”世界は一つ”の左翼ソングばかり歌わされている。
学校任せにしていると、子供たちは、人がよいだけのパッパラパーにされちまうぞ。
世界の子供たちのことはいいから、日本の子供たちを守りましょう
http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=316
>>29
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/yamanouta.html フォスターの「故郷の人々(スワニー河)」
歌詞ではなく音階を部分的に覚えている
楽器演奏とかで習ったのかな 中学校の音楽の時間に、『あの素晴しい愛をもう一度』を習った。 トトハロイトヘヘホニ
ドレミがハニホヘトイロハでした。 たんぽぽ
クラス対抗の合唱コンクールで歌いました
今でもすきな歌です
雪の下の故郷の夜 冷たい風と土の中で
青い空を夢に見ながら 野原に咲いた花だから
どんな花より タンポポの花をあなたに贈りましょう 『Yesterday』
中1のとき。これで洋楽ファンになった。 「てのひらを太陽に」の作詞がやなせたかし先生だったことを
知ったのはほんの10年ほど前のことだった。 『ぼくらの町は川っぷち』とか『地球を七回半まわれ』とか懐かしいわ ドナドナの日本語詞が安井かずみだと知って当時も驚いた。
あの沢田研二や小柳ルミ子などのヒットメーカーがかと思った。 ワイの音楽の授業のマイ鬱曲ベスト5を発表するで。
第5位 グリーン・グリーン 途中からパパがいなくなってリアルは辛いことだらけの歌だった。
第4位 大きな古時計 時計が止まった時におじいさんもあっちの世界へ行った歌だった。
第3位 シャーローム・ハベリム イスラエルの歌はなんか暗い。UAが歌ってるのをつべで見た。
第2位 親知らず子知らず 合唱曲。格好いい曲だけど、子供が波にさらわれる歌だった。
第1位 ドナドナ 説明不要。キングオブ鬱曲
鬱の時は聞くのは危険。東日本大震災のつべの映像を見た後に聞いてはいけないで。 故郷を離るる歌 だったっけ?
♪ 園の小百合 なでしこ 垣根の千草 ♪
ってやつ 「カリンカ」
♪チンポをきれいに洗う〜
と替え歌するやつがいた 「バラがさいた」
最初音楽で習ったとき、童謡か文部省唱歌だと思ってた。
まさかマイク真木が歌ってた、フォークソングとは思わなかった。 「高原列車は行く」と「見上げてごらん夜の星を」。
特に「見上げて…」は後から歌謡曲だとわかってびっくりした。 鬱曲かー
親知らず子知らず、木琴、石仏、
宵待草(竹久夢二)、霧と話した(中田喜直)
シャボン玉とんだ、
長崎の鐘(古関裕而) 花の街(團伊玖磨)
辺りは胸にきますね。 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
ELMU9 「花の子守歌」ってのが好きだった。
「優しいそよ風に、揺れてるスイトピー」って歌詞。
>3の方が書いてる「坂道」と同じページに載ってた歌だった。 小学校の頃、音楽の授業でこの山ひかるとか。
ゆかいに歩けばと、それからコンドルは飛んで行くも色々習った。 嫌いだった歌
手のひらを太陽に
マーチングマーチ
線路は続くよどこまでも >>14 自分もその曲覚えています
♪ いそげいそげアチュレランド だんだん早くなれ チャチャチャチャチャチャチャ
だんだん遅くなれリタルダンド 元の速さでアテンポ チャチャチャ
伸ばすしるしはフェルマーター♪
『速さの変わる歌』だそうな 誰より〜 大変 母さんの仕事〜
掃除に〜 洗濯〜 家族は10人
って歌のタイトルが思い出せん。 『チコタン』
同級生の男の子目線の曲。
忙しい感情やなーと思っていたら衝撃のラスト。
これがいわゆる「鬱ソング」なのか? 誰の作曲かわからんメヌエットを、送別学芸会で合奏したな。 NHK ステージ101の「涙をこえて」
楽譜の最後の部分の歌詞に「アーアー」と書かれていてどう歌うのだか後年BSの特集やYouTubeで見るまでわからなかった 小学校6年生の時、音楽の時間にイギリス国歌 「God Save the Queen」 を習った。
“ドドレシドレ” って、いまでも空ででてくる。