古賀政男総合スレ
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今月は古賀政男の誕生月。
秋の夜長に哀愁切々と、古賀メロディーを… テレ東で古賀メロディの特番組んでほしい。さらに、古関さんも服部さんも。 >>5
ぐぐって出るためには誰かが情報をうpしないと… >>6
確かにそうだよな
というより古賀政男スレが今まで無かったのは情報量が思ったより少なかったからか… 天下の古賀政男の情報が少ないなんて、意外な話。
ではちょっとしたエピソードを…。確か古関裕而の話だったが、彼が東京都内の某百貨店で、宝石を買いあさっていた古賀政男と会ったという。
古賀は古関に「宝石はいいものね。裏切らないから」などと語っていたらしい。古賀は宝石を買うことで、淋しさを紛らせていたのだろう。 古賀は晩年は宗教にも凝ってたしね。晩年は淋しいエピソードが多いような。 弟子や付き人、養子など、取り巻きは多かったんだろうけど、実子がいなかったのは大きい。
哀切なる古賀メロディーの原点はそういうところにあるのだろうか。 釈迦の仏壇返しというオナニーの新手法を生み出した功績は大きい。 押入れの上段でしこしこするんですと。
で、逝くまぎわに後ろ向きに床に身を投げるんですと。
「それがね、すっごくいいのよ」てディックミネに伝授した。
ディックミネは玉ノ井で女抱いてたからぜんぜん必要ないんだけど 昼間は五線譜におたまじゃくしを並べ、夜は自分のおたまじゃくしを放出してたのか… 確かに日本の魂(こころ)演歌を量産してくれたたのは感謝するけど
列記とした在日コリアンと知った時は正直凹みました(>_<) ×くれたた
○くれた
ダブってました。m(__)m 在日であろうとなかろうと、いいものはいいと思うよ。
日本を貶してたわけではないんだからさ。
日本にいながら日本が嫌いな人達は私だって厭だけどね。 少女…じゃなかった少年時代を朝鮮半島で過ごしてたのは有名な話だが在日なんてのは初めて聞いたな
自分にはどう見ても日本人にしか見えないけど どっちにしても朝鮮の心の音楽を日本に広めた功績は大きい 朝鮮の音楽が日本の音楽がってことでなく、日本で古賀メロディーとして形になったのが大きいんだよ。
宮城道雄も朝鮮半島で育ったが朝鮮にそのままいたらあれだけ偉大な音楽家になっただろうか? 古賀も同じだと思う。 >>21
朝鮮民謡に影響を受けてなければ古賀メロディーは存在しない 古賀先生が自作を歌ったCDがあるけど、いつ頃の音源だか知ってる? 今日の歌コンで古賀メロ特集してたけど
演歌歌手より歌謡曲の歌手に唄わせた方が合うんじゃないか 日本シリーズも終わったけど、古賀政男って生前どこのチームが好きだったのだろうか? そうだね! 古賀曲は演歌歌手には歌って欲しくない
小林幸子なんて変にこぶしまわして きもい つまり>>30こそが古賀政男を否定してるって事だね >>30が言いたいのは
初期の作品は演歌歌手向けではなく、藤山一郎のようなクラシック畑出身者向けってことだろ
たしかに五木の「丘を越えて」なんてふざけてるとしか思えない 古賀メロディーの初期は、古関裕而や服部良一に引けをとらないぐらい洋楽指向のものが大半だから、歌唱スケールが小さく技巧的な演歌歌手では厳しいかもね。
影を慕いて、酒は涙か溜め息か、サーカスの唄、緑の地平線等
定番古賀メロディーはいろんな歌手のカバーが聴き比べられて面白い 古賀政男と古関裕而って、ベートーベンとモーツァルト或いは中森明菜と松田聖子みたいな対比だと思う 古賀政男はギターをつまびきながらメロディーを紡ぎ出していたが、古関裕而は常に頭の中にメロディーが流れていてそれを採譜していた。 >>38
通州事件の歌ですね。
南京大虐殺と違いこれはガチモノの事件だから心に深く刻むべきであろう。 【韓国起源】「演歌始祖の古賀政男は韓国人」「演歌は韓国メロディから生じた」日本の協会理事長が証言=韓国[01/10]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1326195239/
>>40
>演歌始祖の古賀政男先生は「事実上」韓国人であり
なんだよ「事実上」って曖昧な書き方して
また起源捏造かよww
ホモだったんだよね
そのためにジャイアント馬場の後援会作ったりw
ナニを尺八して古賀メロディw
プロレスは好きだったみたいだけど、男の裸を見るのが目的だったのかもね。
まだ新人だったレスラーの遠藤幸吉を自宅に招いて食事をさせたり、遠藤の実家がある山形県へ2人で旅行したり、自ら後援会長をかってでたりしたこともあったようだ。
もちろん、遠藤とも男と女…もとい、男の男の関係まで発展していただろう。 >>47
日本は朝鮮を侵略した覚えもないしましてや植民地支配した覚えはない。
あくまでも(旧)大日本帝国と大韓帝国が合併して出来たのが(新)大日本帝国なのだから。 >>49
そのバイタリティーが数多の古賀メロディーを生み出したのであろう。
♪あなたのリードで処女膜やぶれ 初めは本当に痛かった そのうち良くなり〜… にいちゃんのブログでも古賀政男についてけっこう書かれてるよ。
ちなみににいちゃんもいい男の写真をたくさん載せてるから見るといい
ttp://blog.livedoor.jp/melody1964/ 「それでは、どうぞごゆっくり」
朝鮮人には理解できないフレーズの一つだ ぶっちゃけホモだろうが朝鮮人だろうがどうでもいい
そう断言できるほどキモいルックス >>4
島倉千代子のひろしまの母じゃないかな。
レコーディングは二人とも泣いてしまって当日は録音できなかったとか。 自分も思わず泣いたから、あの曲で泣いてしまうのは仕方ない 霧島昇や大川栄策の目ン無い千鳥は放送禁止歌なんですか 「湖畔のギター」という曲を聴きながら久々にぴたテンを読んでみたら何だかしんみりした気持ちになった 「誰か故郷を想わざる」や「影を慕いて」なんて特にね 森が辛うじて面識があるだけであとは縁もゆかりもない歌手ばかりだった 古賀政男記念大川音楽祭ttp://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20130304/5811991.html
昭和を代表する作曲家、l古賀政男の出身地、大川市で記念の歌唱コンクールが開かれ、出場した29人が自慢の
のどを披露しました。ttp://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20130304/5811991_5015811991_m.jpg
「古賀政男記念大川音楽祭」というこの歌唱コンクールは、日本の歌謡史に大きな功績を残した古賀政男をたたえる
ため出身地の大川市で毎年開かれ、ことしで31回目です。
3日は全国から応募があったおよそ800人のうち予選を勝ち抜いた29人が出場し古賀メロディーと民謡、それに
歌謡曲の3つの部門で競いました。
このうち、古賀メロディーの部門では、出場した人たちは地元で活動するギターアンサンブルの生の演奏にあわせて
「無法松の一生」や「柔」、「湯の町エレジー」などおなじみの曲を歌って客席から大きな拍手を受けていました。
審査の結果、▼古賀メロディーの部門では北九州市の今浪政彦さん、▼民謡の部では大牟田市の猿渡和代さん、
▼歌謡曲の部では苅田町の末崎武尊さんがそれぞれ最優秀賞を獲得しました。 【SP歌謡・回顧と展望】 が、平成25年9月10日をもって
廃止されましたので、こちらに移転致しました。
《日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史》
@10cH 歴史BBS
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&amp;key=354361110
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古関祐而と古賀政男
その他 11月18日は古賀政男生誕記念の日です。古賀政男音楽博物館では毎年、記念企画が行われています。
今年も
ビデオ上映
11月12(火)−11月17(日) 不滅の古賀政男名曲選
11月18(火)−11月24(日) 幾山川は超えたれど
入場料525円
その他、
明治大学マンドリンクラブ演奏会 (指定席制 入場料2千円)ケヤキホール
(問い合わせ先)
小田急線代々木上原駅前(ホ−ムと斜め交差する井の頭通り、駅前交番直前)
古賀政男音楽博物館
TEL 03−3460−9051 りんどう峠/昭和30年、西條八十作詞、古賀政男作曲
島倉千代子初の古賀メロディですね。 中野忠晴「高原の唄」:島田芳文作詞、古賀政男作曲 1932.7 「古賀メロディ」の歴史は、日本に「歌謡曲」という「 大衆歌曲」が生まれ、それが大衆の中に根付くいていった歴史そのものといえる。作曲家はこれまでたくさん出たが、「古賀メロディ」ほど多くの
ヒット曲を持つ作曲家はいない。 「古賀メロディ」紛いで、最近なんでもかんでも、いろいろ作曲家の名前の後に、「メロディ」をつけて、作曲家の曲を「何とかメロディ」で呼ぶことがあるようで違和感を感じている人もあるでしょう。
これらは、いつからか戦後昭和40年代前後の頃のテレビのナツメロブームの影響でしょうか、使い方も間違っていると思います。
西條八十、佐藤惣之助、サトウハチローなど、詩人の日本人の琴線に触れるの詩情溢れる「古賀メロディ」・・、昭和の初めから、人は敬意を持って「古賀メロディ」と呼んだのだ。
しかし、最近のはもちろん、「古賀メロディ」以外が、実際SP黄金時代に、そのように「メロディ」をつけて呼ばれてきたわけではない。
昭和の長い歌謡の歴史の中で「メロディ」をつけて実際にそう呼ばれてきたのは、たくさんある中で、「古賀メロディ」しかないのです。 「古賀メロディ」というのは、単に佐曲家の名前の後に「メロディ」という言葉をつけたものでなく、長い日本の歌謡史の中で生まれ多くの大衆によって育まれ与えられた「称号」ということができるでしょう。
日本人の心の琴線に触れる一種哀調を帯びた優しいメロディ、稀有で卓越した一連のたくさんの古賀作品、それに対する敬意と賞賛の意味が込められていると思われます。 なに言ってるか分からない。
気持ち悪い文章だな。こんな奴に古賀メロディーとか語ってもらいたくない 唯一『古賀メロディ』以外は実態を伴うものでない・・バーチャルということ。 近視眼すぎないか?それ
古賀を持ち上げるためにほかは貶すという。
藤山一郎ばっかり持ち上げる誰かさんによく似てるな 古賀メロディほど多くのヒット曲を持つものはないのです。 日本の歌謡界に偉大な足跡を残した国民的大作曲家古賀政男
『古賀メロディ』と呼ばれたその作品は、昭和一桁時代から数多くの人に親しまれました。
その曲は底辺に寂寥感や哀愁を漂よわせたものが多く、それが同時代の日本人の心の琴線に触れて長く愛されて、日本歌謡史に多大の足跡を残しました。
その数多くのヒット作品、その多くは「映画主題歌」でもあります。「古賀メロディー」ほど多くのヒット曲を持つ作品群はありません。
同時に「古賀メロディー」ほど、数多くの「映画主題歌」を持つものもありません。
昭和6年、「チャッカリしてるわね」(同、西岡水朗作詞、天野喜久代歌)に始まり、「酒は涙か溜息か」(想い出多き女。 高橋掬太郎作詞)、
「丘を越えて」(姉。島田芳文作詞)、「鳩笛を吹く女の歌」(同、佐藤惣之助作詞)(いずれも藤山一郎歌、1931)など無声映画の時代から始まり、戦後30年代頃までよどみなく続きます。 今、「一強他弱といわれているが、昭和の歌謡が一強他弱なんだね。 今日11月8日、島倉千代子(75)が亡くなった。テレビはいっせいに大きく報道。
島倉千代子は、集団就職全盛時代にデビュー、歌われている。
古賀政男が亡くなった時、NHK「特集 幾山河は越えたれど 昭和のこころ・古賀政男 前編・後編」が
放送された。このとき島倉千代子が、「りんどう峠」の想い出を語っている。
ハーイノハ〜イノハイができなくて、何度も何度も古賀邸に通ったという島倉千代子は、あの門から玄関までの道の長かったこと!、と。
なお、その門から玄関にいたる石畳の道が、古賀政男音楽博物館の一階から二階の道に再現されている。
「特集 幾山河は越えたれど 昭和のこころ・古賀政男 前編・後編」は、毎年、古賀政男音楽博物館でビデオ上映されている。 >>95,>>78
ビデオ上映
11月18(火)−11月24(日) 幾山川は超えたれど
入観料525円
他もあり お知らせ
本日、11月12日(火)、夜8時より、
NHKTV [わが心の古賀メロディ〕があります。 予め視聴者からのアンコールと手紙で、影を慕いて(森)、無法松の一生、柔、
男の純情、東京ラプソディ、酒は涙かため息か、りんどう峠、誰か故郷を思わざる、
白虎隊、東京五輪音頭、人生の並木路(森)でした。
なにぶん歌手は今の演歌系歌手で森進一、氷川きよし、などでした。 「りんどう峠」は亡くなった島倉千代子さんの、昭和30年、はじめての「古賀メロディ」で
歌は違うがビデオも使っていました。
島倉千代子さんが古賀先生から教えられた事として、悲しい歌は、自分で泣いてはいけない
聞いてくださるお客様に泣いていただくものと。
藤山一郎が正にそういうことを言っていた。
悲しい歌は淡々と、明るい歌はペーソスをこめて歌う。それが大人の歌と。
最後に「人生の並木路」を歌った森進一の目には涙が、
泣き節になってはいけない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています