田尾安志氏とその周辺
現役生活の16年間で仕えた監督は9人とかなり多く、相性の合わない人がかなり存在
した印象。さわやかで温厚そうなイケメンで、結構ややこしい人という感じ。
上には煙たがられる一方で下には優しいタイプと見たが果たして正しいだろうか。 >>19
亡き小林繁がセは阪神、パは近鉄を優勝予想したな
結果どちらも最下位だった 暗黒阪神は田尾で懲りずにまた高橋慶彦なんかも獲ってるからな 阪神移籍は田尾氏本人が西武から出たがったのが引き金。森監督の下でやりたくなかったから。
根本管理部長に自分の意思をストレートに伝えてしまうところが田尾さんらしい。
高橋慶彦は、一言で言うと「めんどくさい男」
本来は温厚な田尾氏とは異なり、本当のトラブルメーカー。理解者の古葉竹識監督が勇退して後ろ盾がいなくなって孤立してしまい、ロッテにトレードに出されてしまった。ロッテではカネヤンと合わずに今度は阪神にトレード。
そんな高橋慶彦も最近は丸くなった。 87年阪神は開幕4勝3敗で
「今年も広島、巨人との3強」との評で
田尾自身も4試合で17打数8安打と上々のスタートだったのにな 87年はセの最下位は鉄板でヤクルトかと思ってました。
そしたらホーナーがやって来て観客動員が激増して。
阪神は掛布雅之選手が急速に衰えた感じ。 89年の村山への意趣返しのような瞬間的な活躍と
90年のレギュラー取り戻しの活躍が最後の輝き 西武へトレードされた時は名古屋に家を新築したばかりだったとか
引退後にプロ野球ニュースの解説者になったばかりの時はニュースステーションに倣って球団をニックネームで呼んでいた 首位打者を争った長崎慶一と5年後阪神で一緒になったのは、なかなかに味わい深い。 88年80試合わずか160打席でサヨナラHR3本
89年もまた1本
確率から行ったら、ハウエルのシーズン5本以上にスゴイ記録 西武は予定通り、大島を取っておけばよかったということか
直近の実績や人気を考えると、田尾を取りたくなるのは分かるけどね 中日の「田尾をとにかく放出したい」という構想にハメられた?西武 でも大島なら、守備重視の広岡構想と合わず
日ハム時代のような再起はできなかったかも 大島は広岡も田淵やテリー無き後大砲が欲しかったはず。
ただ中日が難色を示していた。
田尾の名前が突然出てきたから余計嬉しかったはず。広岡は。
田尾がいなければ優勝するのも難しかったと思う。
(当時の評論家は田尾が加入したからと西武を一位にした人が多かった)
ただキャンプでの調整が失敗した(肘の故障)のがずっと後迄引いた。
焦らなければもっと違う結果になったかも。
あとトレードで行くことになった杉本は泣いてブルペンで投げていたらしい。 田尾 西武→阪神
平野 西武→ロッテ
谷沢 引退
大島 ハム
モッカ 引退
宇野 ロッテ
中尾 巨人→西武
上川 ロッテ
西武ロッテ多いな 今は猪木と同じ病気にかかっちゃってるんだよな
おぼんこぼんのどちらかも同じ病気 ♪1番田尾が塁に出て
2番平野が送りバント
3番モッカがタイムリー
4番谷沢がホームラン♪ \(^ω^\ ) >>36
最近は中日ハムラインだな
コレ以前は中日阪急ラインだった とにかく星野が自分の現役時代のレギュラー野手みんな粛清しちまったからな >>1
>上には煙たがられる一方で下には優しいタイプ
こういうタイプはチームリーダー、小隊長レベルまではいいが、それ以上の監督や指揮官には向いてない 石コロとは恐らく82年の日本シリーズだから一番勢い盛んな頃 5打席連続敬遠の最後の打席の時に2回空振りした記憶があります。 紙一重で首位打者を逃した試合は中日が負けていたら巨人が優勝だった。
それだけに田尾5打席連続敬遠は、無条件で出塁させるという意味で中日優勝を大洋が大きくアシストした感もある。 西本幸雄さんが田尾のトレードについて「中日がよう出しましたね」と語っていたから、
周囲からはかなり意外で、中日側が損なトレードだと思われていたみたい
結果としては杉本を出した西武の損になった >>50
杉本が移籍して代わりに先発起用されたのが工藤だから西武にとっては大きな痛手はなかった。
渡辺久信、郭泰源、工藤と一気に若返りした投手陣と比較して打線の方は当時のスタメン見るとよく独走したなという感じで田尾だろうと大島だろうと欲しかっただろうなとは感じる。 中軸が田尾スティーブ大田とかショボい代わりに
下位に秋山伊東だからまあ強いわ
今なら低打率でも秋山4番かな 中日にあのままいても結局星野に出させれたと思うけどな 落合トレードの球されてたかも
牛島の代わりか上川の代わりか 広岡達朗氏は楽天時代の田尾監督には温かいコメントを発していた感じ。
「アレは田尾のせいではない」と。 和田豊も似たような事を言っていた
僕は本来.250程度の打者
スコアラーのおかげで3割打たせてもらっている
基本は反応で打つわけだけど
100打数で5安打分くらいはデータが生きる 謙虚な和田さん素敵ლ(^🐽^ლ)
スコアラーにとっても嬉しい一言ですね。(*´🐽`*) 田尾さんは中西太さんとはウマが合ったようです。
現役時代は全く接点がなかった(恐らく)のが残念。 江本と中西太もベンチがアホ以外はウマが合ってたからな ベンチよりもフロントがアホやから野球が出来へん球団やった。
阪神のようで実は中日批判。 85年オフの契約更改。
フロント(坂井氏)から「9点差で負けていた試合でキミが最後に打ったホームラン。あれで救われたチビっ子ファンは
きっといたと思うよ」と言われて、すっかり気分が良くなった田尾さん。
「300万下げるけどいいか?」
元よりダウンは覚悟で臨んでいたし、下げ幅が存外少なく、快く一発サイン。 中日を体験してしまったら西武の当時のフロントは「神」に見えるでしょう。
阪神の時はトレード志願しなかったのかな。 >>53
完全同意。自分の現役時代を知っている選手を極力一掃したいのでしょう。彼は。 黒江透修氏にサインしてもらったことがあるとか。
中日ではコーチと選手の関係。 >>63
入った瞬間このチームはダメだと思ったけど居心地は良かったみたいだし
移籍してきたベテランはみんな真弓を慕って話しに行ってたとか 田尾
「FA権ってのは俺たち選手が初めて背広組に立ち向かえる瞬間だったんですよ」
「だから落合にも協力を仰いだ、お前は俺たちより影響力が強いんだから力になってくれって」
「でもアイツは知らない、興味ないの一点張り、しょうがないからアイツ抜きで背広組と闘ってFAという制度を作った」
「我々選手が初めて背広組に勝った瞬間だった。蓋を開けたら最初にFA権を行使したのがアイツ」
「こういうのは俺が先陣を切ってやらなきゃいけないとかコメントしてるんですよ。どうかしてるでしょアレは」 今さらだが
トッププロにまともなやつは少ないな
田尾もバランス感覚は怪しいが、実のある男だとは思う >>68
落合と仲良くやってる中畑すら落合が最初にFA使ったのは未だに恨んでるみたいだな 落合博満の同期メンバーは仲が良さそうに見えたが田尾氏とは怪しい。 >>69
今なら発達障碍認定されそうなエピソードの持ち主が割といるね
天才とキ○○○は紙一重という諺があるけど
昔から傑出した人物には何となく常人とは相容れない佇まいがあったのをみんな理解していた証でしょう 阪神は金田正泰氏が監督の時に選手・田尾が見たかった。 芦屋に住んでいたころ、田尾の長男坊と同じ小学校だった。もう30年以上前の話だが。 田尾氏長男は1980年8月生まれ。
意外と若く結婚していた。
夫人はロックシンガーだった筈。 ちょっと珍しいくらいの怪力だったらしいな
たまにいるよな、新庄とか
見た目の割にやたら力あるやつ 中西太さんの指導を受けてみたかったみたい。
若松さんとか、自分と上背が変わらない掛布雅之があんなにホームランを打てたのがやっぱり不思議だと。
中西さんに指導を受けた人は「ひねり」の動作が入っていたと最近語っていたのをYahoo記事だかで見た。
ただ自分みたいに2割7分くらいの成績が多かった打者は打撃改造しにくい。2割そこそこの打者のほうが思い切って打撃フォームを改造出来るんですよ、とも。 田尾はトップバッタータイプで、3番とかクリーンナップを打つタイプではなかったと思う
西武はたまたま取れたから田尾を取ったけど、本当は長打を打てる打者を欲しかったのでは? レジェントに聞くという週刊ベースボールのインタビューで「コーチが徳武さんじゃなかったら
もっとホームランの打てる打者になっていた」 田尾をあげると言われたら採るだろうなあ
あの時代ならば
凄い贈り物だものあの当時ならば コイツ単体で全身見るとデカい頭と丸顔で160cmくらいに見える >>85
この歴史を踏まえた上でもう一度トレードするとしても
華もなく守備に難のある大島より
3割打ててそこそこ機動力も使える田尾の方が嬉しいわな たしかに、体格の割に頭がデカい
実寸173くらいだろうが、178ありゃ
もっと大打者だったんだろうか なで肩だからライオンズのビジターユニフォーム着ると工藤や杉山賢人みたいな体系に見えるな 身長173センチ。打席に立っていると小柄には見えなかった。 86年に就任した森祇晶監督は三塁に新人の清原和博を据えて前年大ブレイクの秋山幸二を外野手にコンバート。田尾安志を一塁手にコンバートする絵図を最初描いていた。 森監督と合わなかったが作戦面については田尾さんは「さすがでした」と言っていました。 >>94
ほう 実行しなかった理由は?
なんにせよ田尾と清原が同時に在籍していたイメージがまるでないw 清原選手は肩の脱臼癖があって、サードコンバートは諦めたそうです。
週刊ベースボール連載の「心に刃をのせて」で西武監督退任直後の森さんが語っていました。
「本当は西武の長嶋茂雄にしたかった」とまで言っています。 清原と当初レギュラー争ってたのは田尾じゃなくて片平だろ リーグが変わった途端にあれほど衰えてしまうとは、誰も予想できなかっただろうな
セリーグに戻ってからやや復活したので、最初からセリーグの球団に移籍したほうがよかった 同一リーグ移籍は中日が困るだろ
この時に巨人西本とトレードとか成立しそうだが
衰えが見える松本の代わりになるとしても
田尾が東京暮らしに、そして巨人の一員として馴染めるかな? >>97
サンキュー 脱臼癖があるって真の「ウルフ」は清原であったか
サードの守備位置で泣き出しても石毛は放置だなw 森監督は田尾氏に「清原はどこを守らせたらいいと思う?」と打診。
サードと言って欲しかったみたいなんですけど、ファーストでいいんじゃないんですか、と言いました。
選手の意向を聞いて、やむなくサード清原にした、というワンクッション置きたがる人なんですよ。森さんは。みたいな感じの流れ。 たしかにそれ思った
友達に安木って名前の奴いたけど
なんか名前だけで値打ち低いなあという感じがした
じっさいアカン奴やったが それを言ったら
亜って次のとか準ずるとかだから
女優の芸名とか娘に亜美ってつけるのは卑屈な気がするわ
スレ違いか 卑弥呼とか邪馬台国とか漢委奴国王なんかも
ぜんぶ蔑称なんだよな。パンプスで卑弥呼ってブランドあるけど 蔑称で平気で呼ぶ当時の中国がクソな国家だったちゅうことじゃないんですか。
人として間違っていますわ。 >>103
安らかな心って意味だろう 本人全然そうはならなかったが 息子は高校時代いったん野球部を退部。
理由は「家族と一緒にカナダに家族旅行に行きたかったから」
カナダ旅行から帰国後「野球部に戻りたい。球拾いでも構いません」と息子。
野球部員は復帰に歓迎の雰囲気も野球部長が難色。
父親の安志さんは「本人は球拾いでもいいと言っています」
しかし態度を硬化させたままの野球部長に安志さんが激昂。
「アナタはそれでも教育者なのか!!」
校長先生が出て来て「まあ、まあ、まあ」
校長先生のツルの一声で息子は野球部復帰。
最後の夏は主力選手としてめでたくスタメンに名を連ねたそうですが 強豪校ならともかく甲南ごときが
無駄な厳しさで部活やってたのか 難病を抱えていた弟さんは1980年に他界。
辛かっただろうな。(-_-;) 中日のフロントに対して「すっこんどれ!」と言ってしまったとか。 >>21
田尾以前から阪神は実績のあるベテランを獲る事が多くまたそれらの選手が最後の御奉公みたく地味に良い仕事をしていったからな
田尾と前後して柏原やその前に長崎弘田竹之内東田池辺アルトマンらがそれ 最初は西武の根本管理部長は田尾の受け入れ先として大洋と接触したらしい。 >>113
それ以前に「ちょっと休みます」でよろしやんな
で戻ってきて「そうや こんなやつオッタワ」でもんとりオールOK 阪神
82年の永尾 71打席 .358 本0 点18 在籍6年で代打3割を3度 85年も.327
83年の笠間 439打席 .271 本12 点41 オールスター選出
84年の弘田 409打席 .313 本7 点34 翌年もVに貢献
85年の長崎 116打席 .283 本6 点25 日シリ満塁弾
86年の柏原 345打席 .313 本17 点46 掛布の代役に