田尾安志氏とその周辺
現役生活の16年間で仕えた監督は9人とかなり多く、相性の合わない人がかなり存在
した印象。さわやかで温厚そうなイケメンで、結構ややこしい人という感じ。
上には煙たがられる一方で下には優しいタイプと見たが果たして正しいだろうか。 田淵出すから真弓その他よこせもかなりの商売上手
1対1でも阪神ボロ儲けなのに >>121
放出したいがまだ惜しい気もする…
そんなゆがんだ心情がそういう行動をとらせるのかもな >>122
阪神ファンって松永のことを持ち出すのが好きだけど、トレードは結構得したケースが多いよな。
弘田は藤倉、長崎は池内で獲ってるし相手は丸損だけど、そういう話は全くされない。 田淵放出はブレイザー新監督の意向だったのではないかと田淵幸一氏はコメント。 掛布雅之選手入団1年目の阪神
「『助けてくれ〜〜〜』という監督の声と廊下を走る音が聞こえてきました」
阪神、打者一巡の猛攻で監督を打ちまくっております、なんてことが水面下であったのかも。😱 ライオンズとしては期待の若手だった真弓をトレードしたくなかったが、
ブレイザーは「絶対に真弓」でライオンズも田淵獲得は出血覚悟だったので
最終的に飲んだ。
落合のトレードは、中日が出血覚悟だったのにどう見ても得をしたのは中日で
損をしたのはロッテなんだよな。ロッテは四番不在であきらかに戦力が落ちた。 真弓選手にとってはライオンズが身売りして故郷のチームでなくなるタイミングでの移籍だったのは救いだったのかも知れない。
タイガース生え抜きと勘違いしてしまうくらいに阪神の水に馴染んだ。
逆に真弓選手を失ってしまった新生・西武ライオンズはショートの穴に相当苦労させられる。 キッチリ収支見ていくと阪神のトレードは
12球団1でプラス計上してるって研究あったな
野田だって94年からは37勝30敗 3.49だし
93年の好成績はパ球団の認識不足と勝負するスタイルが大きかった
阪神時代はクセがバレてたし、あんなにフォーク振ってくれなかった
それに松永がややこしい野郎とはいえ、さすがにあんな不義理は考えにくかった 根本は真弓の放出だけは後悔していたと思う。
後から何度もトレードでの出戻り画策しているし。
真弓もライオンズへの愛着は持っていた。 真弓自身は「西武は石毛を取れる算段があったので、自分を出したのだろう」と語っている
もし真弓が西武に残っていたら、三塁にコンバートして、
山崎・石毛・真弓の内野陣になっていたかも知れない 石毛入団までの2年間が非常に厳し〜い西武のショートでした
阪神は78年にダントツ最下位でしたが小林繁のトレード獲得とか、かなり血を入れ替えて79年に臨みました。なかなか評価出来ると思います。 >>126
「おっと ピッチャーにまで打たれてしまいました」 そんだけ血の入れ替えしても阪神は最終4位。(最多勝もホームラン王もいたのに)
逆に田尾を加入させて自前で大きく血の入れ替えをした西武は優勝。
その差は何なん? >>132
大原というショート(後に近鉄~広島)がしょっちゅう悪送球してたな。今じゃ滅多にお目にかからないレベルの。 😲🎤。阪神の選手による金田正泰監督への猛攻が続いておりますが江夏豊投手は殴っていない模様です
おっと失礼。脱線してしまいました。
江川卓の交換要員に小林繁が選ばれたのが謎です。
もっと安い選手を送りつけても阪神はエエでと言って取引に応じた筈です。
巨人は何故に小林繁を交換要員に選んだのでしょうか。 スレチだが
阪神の遊撃は84年から真弓→平田
二塁は85年から岡田⇒真弓
平田の守備は素晴らしかったが、あの打力を補える程だったのか
真弓の遊撃はそれほど上手くなかったのか
二塁は真弓の方が岡田より上手かったけど、岡田は外野だと散漫になるとかいう
コンバート理由だった。85年は
遊:真弓、中:北村/弘田、一:バース、三:掛布、二:岡田、右:長崎、左:佐野なら
史上最強打線だったかもしれんな 79年からの小林:77勝
江川135勝-77勝=58勝
あれだけバッシング受けてブランド低下させ
ドラフト成果は一人の58勝
バカじゃないか。結果論じゃなく >>125
捕手としては元々そこまで評価が高くなかった上に明らかに動きが鈍くなってたからね
DHのあるパに行けたのは田淵自身にとってもプラスだった ここはとりあえず田尾安志スレ
阪神での田淵幸一は10年間で2位が実に6度。
西武では日本一を2年連続で達成出来たから良かったと。一応。 >>133
江夏豊「ピッチャーのほうが打撃がええねん。当時の監督に対しては。ワシは2回も目の前で見とるからな」 小林繁は77年オフに巨人のフロントと契約更改で大モメ。
多分この時の件が引き金になって江川問題の時に放出されてしまったのだろう。
田尾選手の中日から西武への移籍の件と根っこの部分では似ている。
西本聖+誰かの1対2のトレードで良かった。阪神はこれでも文句は言わないだろう。 コーチと仲の悪い人同士の交換だったね。
小林繁放出は気前が良過ぎた感があったが、浮気問題も浮上していた時期でもあったから
スキャンダルの芽を摘んだか。 三木谷とも早々に喧嘩して監督やめたね
今考えたら三木谷と田尾なんて合うわけがない(笑) 北別府学VS高橋慶彦とか不仲な人たちの話をもっと知りたくなります。 三木谷氏はホリエモンよりはマシということで浮上した人やから
大して期待出来ん >>133
金田正泰監督に対して『猛虎打線爆発』ですが、肝心の今日は高橋一三を全く打てずに沈黙しましたね〜解説の根本陸夫さん
「猛虎打線の代わりに今、グラウンドにファンが乱入して爆発してるね。ワンちゃんが危ないね」 鹿取⇔西岡は西武が得した
ただでさえ強い西武の強化に協力してどうする >>149
ABCテレビだな。
ていうか、その時実況席にいた植草・根本の2人も標的にされた。 ヤクザと知らずに暴行しようとはさすがはドチンピラの阪神ファンである 根本氏と学生時代からコンビを組んでいた関根潤三氏にも手を出さないほうがいいです。
チンピラ阪神ファンの安全が保証出来ません。 読売テレビで解説していた村山実氏も前監督なのに襲撃された バースの本では村山は最低の監督と書かれていた。
解説者時代から「若手を育てるべきだ」と言っていて
実際に若手を育てようとしたので有限実行ではあったけど。 スタッフだかの結婚披露宴でスピーチを披露したのはいいがなぜか自分の現役時代の自慢話ばかりで
「こんなところで自慢してどうする まったく見下げはてたヤツだ」とまで書かれていたw 瀬古利彦氏を指導した中村清監督は奇人。
瀬古氏の2学年上の内藤光雅氏は早稲田大学時代に箱根駅伝を走り、中村監督に私淑していたこともあって結婚式の仲人を中村監督に依頼。
結婚式当日。瀬古氏のボストンマラソン出場数日前。
中村監督は一人で喋り倒して、他のスピーチ予定者が全員喋る時間がなくなって顰蹙を買う。内容が新郎新婦そっちのけで瀬古利彦氏の話ばかり。
締めの言葉は「ボストンで頑張ってきます」 >>157
新郎は苦労したんだな というのだけは列席者に余さず伝わると思う 中村清さんは早稲田の競走部の学生を前にしゃべりまくる。
ある時、金山雅之選手(箱根駅伝ランナー。現在は作家の黒木亮として活躍)が
時計で計っていたら2時間11分しゃべっていたこともあった。
プロ野球の監督に喩えると誰に該当するのか難しい。 バースは「安藤監督の下で野球をしたい」と書いていたが
安藤は監督継続ならバースを解雇する気だったんだよね。
後任の吉田監督が「バースがいなくなると困る」だった。 阪神は吉竹と田尾を交換したんだよね
阪神移籍後、田尾がいくらか復活したので、これは阪神がやや得か
吉竹は伸びるかと思ったけど、伸び悩んだ感じがある 田尾に関しては来る時も出て行く時も西武主導のトレードではなかった。 吉竹、暗黒時代なら規定打席数回立ってそう
北村なんかもいたが、他が強力でクローズアップされなかった
ちょっと後に外野で大野久や中野、衰えた田尾が守ってると
あゝ・・・・って思いだったな 田尾、坂本が凡退していたら???
もし・・・、もし・・・、もしもの世界で生きてるの笑笑。
阪神をヨイショするヤツは、巨人降ろしに必死だな笑笑。
ただの老害だな笑笑。 >>164
もともとは西武の狙いは大島だったんだが、中日側が「田尾を出せる」と言って来た。 >>167
『冬の喝采』という黒木亮作品で調べてみたら昭和54年の出来事。
1979年。
当時の世界記録はオーストラリアのデレク・クレイトンの2時間08分33秒6。
1979年から秒以下は切り上げるようになったので、今なら2時間08分34秒相当。
世界歴代2位が宗茂の2時間09分05秒6。現在の記録に直せば2時間09分06。
瀬古利彦は春のボストンマラソンで当時の自己ベストの2時間10分12秒の当時
世界歴代9位の記録。
暮れの福岡国際マラソンで2時間10分35秒でトラック勝負の末、宗兄弟を抑えて
同大会2連覇(当時早稲田大学4年)。 >>126
アホらしい
投手に殴られたのは犬猿の中の江夏がけしかけただけ
2回とも殴られた現場に江夏がいて、当時そう噂されてた
野手は村山派の残党を除きほとんどアンチ金田はいなかった
そもそも江夏と金田が不仲になったのは、
野手陣が「江夏を特別扱いするな」と金田に詰め寄ったから
そもそも野手 村山前監督は金田正泰監督と良好な関係だったと思う。
若手初期の頃の監督でもあり、72年は指揮権を譲渡して実質金田正泰監督で阪神は回した。 越前の永平寺だかに金田監督と江夏豊が一緒に籠もったこともあると聞いた。 その辺は阪神あるあるというか、周りが勝手に焚きつけてるうちに
本人同士の関係にも隙間風が吹くといったもの 田尾と無関係な阪神の話はこの辺にしてもらえませんか 田尾さんにとっては、とてもいい人だった根本&坂井コンビが
広岡達朗氏にとっては「天敵」とも言える相性でして。
広岡達朗氏の早稲田大学の少し後輩に当たる堤義明オーナーも根本管理部長とは
相性抜群。広岡氏は監督兼管理部長(かGMみたいなポジション)に為りたかった
のでしょうね。 田尾は阪神巨人OB戦に阪神OBとして出場するけど中日OB戦は出ないのかな
福留は両方掛け持ちで出場だが 引退後も草野球で1試合1本塁打をノルマにしてて
阪神巨人OB戦でホームラン放ったのに
55歳王がスタンド叩き込んで霞んでしまった >>172
どこがだよw
指揮権返上してギクシャクが始まる
↓
本格的に確執 【田尾安志スレッド内スレッド】ちょっとコーヒータイム☕
◎金田正●監督の災難
197●年(昭和4●年)。
殺し屋ならぬ「殴り屋」を職業にする男の所に、一つの依頼が舞い込んだ。
「金田正※監督をボコボコに殴れ。 必ず金田監督をボコボコにした証拠を
写真に撮ってきてくれ。手段は問わない。成功報酬100万円」
「金田正」と「監督」の間の文字は擦れていて、よく読み取れない。
殴り屋は狂喜した。ほな、お安いご用でっせ。金田監督をボコボコにすることなんて
映画館に入って映画を見ることよりも簡単。🤗すぐに実行しまっせ。
殴り屋は、金田監督の所に行って、「その節はお世話になりました。今日はお礼に
恩返ししまっせ」と言った。
はて、目の前の男を世話した覚えなどないのだが。
金田監督が不思議に思ったその瞬間。
🤜💨💨💨💨😖 👓
殴り屋の強烈無比なパンチが金田監督の顔面にヒットし、金田監督のメガネが
吹っ飛んでいった。さらに2発3発。
「た、助けてくれ〜〜〜〜〜😭🩸」
泣き叫ぶ金田監督。と、その時。
「そのくらいにしときなはれ」
ガタイのいい男がボソッと言った。顔立ちは阪神タイガースの江夏豊投手に酷似だった。
頭の中に100万円をチラつかせながら殴り屋は依頼主の所に意気揚々と凱旋した。
しかし。金田監督の変形した顔面の写真を見た依頼主の表情がみるみるうちに強張った。
「ワシはこの男を殴れと依頼した覚えはない!!」
「し、しかし」
「しかしもクソもない。バカヤロー。ワシが殴れと依頼したのは別人の金田だ!!」
殴り屋は意気消沈した。人違いではビタ位置も払う金などない、と依頼主に言われ夕陽を背に
トボトボと依頼主の自宅を後にした。
ラーメンとライスを一人空しく食べた。🍜🍚今日は儲け損なった。ここ2週間は収入なしだ。
男は五百円札をポケットの中から取り出して、お釣りを100円貰い受けた。
※上のくだらない作品はフィクションです。くれぐれも真剣に読まないでください。悪しからず。 >>177
小林繁投手が存命中ならばGTのOB戦にGの先発として登板して途中でTのリリーフ登板の兼任も可能 野球音痴スポーツ音痴の三木谷はなぜ田尾の名前を知ってたんだろう? そりゃあ田尾は巨人戦の視聴率全盛期の中日の主力だぞ だったら別に谷沢でも大島でも宇野でもよかったんじゃね?
谷沢監督で楽天1年目でいきなり球団崩壊するの見てみたかったなw >>183
別に三木谷はスポーツ音痴ではないぞ。一橋の体育会テニス部主将だし。 誰が監督やっても楽天初年度は最下位。
汚れ役を引き受けた田尾さんは漢(おとこ) 自分でスポーツ、特に大学でテニスやってるような奴は意外と観る方は全然ダメだったりするぞ
俺の昔の知り合いで、夏はテニス、冬はスキーって奴いたけど、
プロ野球とサッカーは全然無知だった 谷沢は、やらなくて良かったタイプ
田尾も一回だけで止めといて良かった形 >>186
そうそう
ただ野球とサッカーはあまり詳しくないだけで 実際はほとんどの選手に嫌われてたのは江夏
73年の最終戦で巨人に負けた夜、野手が田淵のマンションに集まって、
江夏を殴ろうとまで言われてたのに >>190
立浪はやってしまって自分のキャリアに泥塗ったタイプだよな
山本昌はそもそも監督やる気があるのかどうかからして疑問 ヤクルトの松園オーナーは巨人ファン
ヤクルトアトムズの別所毅彦監督も巨人ファン >>185
12球団全てのチームが逮捕されたことのある人で固めたら、そこそこビッグネームが集まると個人的には思う。 >>189
違うな
別所が巨人ファンキャラをやりだしたのはプロ野球ニュースの解説者になってから
それも80年代過ぎから プロ野球ニュースの順位予想にて
柴田勲「ことちもジャイアンツゆうちょうでつよねえ、べっちょたん」
別所毅彦「ハッハッハッハッハ、柴田の言うとおりだ。
ハッハッハッハッハ、ワッハッハッハッハ」 「柴田さん。なんでそんなに予想が当たるんですか。監督も出来ますよ」
「ボクは賭博で逮捕歴があるからダメなんですよ」
こんなやり取りが本当にあったようです。(;ŏ﹏ŏ) >>206
青田は別所と違ってちょっと悪質だったな
長嶋が解任されて藤田が就任した頃は、
長嶋を擁護して藤田体制に批判的だったのに、
藤田で優勝して日本一になったら掌返し
90年代には完全に巨人ヨイショOBになってた じゃじゃ馬・青田昇。
893と近い関係だったようですが。
藤田派は意外に球界に多そう。 週刊誌で山本浩二は広島のヤクザの親分とゴルフしてるとデマ発言して大問題になって
読売のオーナーが広島に飛んで土下座謝罪した
生前殿堂入りできなかったのはこの発言があったから >>205
「柴田監督因縁のカード」とか「エキサイティングな好カード!」とか書きづらくなるからな 賭博であげられたと言えば東尾や土井正博もなんだよな
だけど東尾は監督をやっている。
東尾は弁明記者会見で麻雀柄のセーターを着なかったからなのか 東尾さんは最初「大丈夫かなぁ。この人が監督で」と思ったが、7年間でリーグ優勝2回。日本一こそ監督では経験していないものの、黄金期の後の西武をまとめたと思う。 当時の西武はオーナーがいいと言えば誰も反対できないからな。ある意味簡単な話。
巨人は世論の顔色見ながらやるところもある。森や星野の招聘も観測気球あげて世論の反応見て取りやめた感もあるし。
柴田については現役時代もコーチ時代もメディアからよく言われてなかったし人望も薄かったんだろう。 >>199
素晴らしい!
田尾のスレだよ!ってことで
82年の中日優勝がかかった大洋戦で
黒江コーチが止めずに空振りを続けていたら
田尾の生命が無かったかも…
「四球かあるいは"一球で済ます"か?」 森が辞任し石毛が監督要請したら固辞し東尾に監督要請しました 東尾監督がドラフトで意中の選手を引き当てたら
「東尾監督リーチ一発ツモ、ドラ1」
なんて見出しがスポーツ紙を賑わしたのかなあ。 >>214
あと一打席凡退なら.3493だし
.350で終わった方がいい、首位打者はまた取れるとか説得したんだろうか ポール・マッカートニーが日本に入国する時に大麻所持で逮捕された時、
翌日のスポーツ紙の一面はほとんどがその件だったが、
報知だけは「青田暴言!」が一面だった >>216
どこぞの奴みたいなみっともないチョンボはしないだろう プロだからな ONOフーズからドラフト1位の森山投手は
裏ドラを駆使した見事な戦術。
ヤクルトの真中監督はフリテン。