田尾安志氏とその周辺
トレードって、放出したい選手を出す球団のほうがワガママ言うみたい。
例えば阪神。
「エースを出すんだからエースをよこせ」
江夏⇔江本を軸にした2対4のトレード。 田淵出すから真弓その他よこせもかなりの商売上手
1対1でも阪神ボロ儲けなのに >>121
放出したいがまだ惜しい気もする…
そんなゆがんだ心情がそういう行動をとらせるのかもな >>122
阪神ファンって松永のことを持ち出すのが好きだけど、トレードは結構得したケースが多いよな。
弘田は藤倉、長崎は池内で獲ってるし相手は丸損だけど、そういう話は全くされない。 田淵放出はブレイザー新監督の意向だったのではないかと田淵幸一氏はコメント。 掛布雅之選手入団1年目の阪神
「『助けてくれ〜〜〜』という監督の声と廊下を走る音が聞こえてきました」
阪神、打者一巡の猛攻で監督を打ちまくっております、なんてことが水面下であったのかも。😱 ライオンズとしては期待の若手だった真弓をトレードしたくなかったが、
ブレイザーは「絶対に真弓」でライオンズも田淵獲得は出血覚悟だったので
最終的に飲んだ。
落合のトレードは、中日が出血覚悟だったのにどう見ても得をしたのは中日で
損をしたのはロッテなんだよな。ロッテは四番不在であきらかに戦力が落ちた。 真弓選手にとってはライオンズが身売りして故郷のチームでなくなるタイミングでの移籍だったのは救いだったのかも知れない。
タイガース生え抜きと勘違いしてしまうくらいに阪神の水に馴染んだ。
逆に真弓選手を失ってしまった新生・西武ライオンズはショートの穴に相当苦労させられる。 キッチリ収支見ていくと阪神のトレードは
12球団1でプラス計上してるって研究あったな
野田だって94年からは37勝30敗 3.49だし
93年の好成績はパ球団の認識不足と勝負するスタイルが大きかった
阪神時代はクセがバレてたし、あんなにフォーク振ってくれなかった
それに松永がややこしい野郎とはいえ、さすがにあんな不義理は考えにくかった 根本は真弓の放出だけは後悔していたと思う。
後から何度もトレードでの出戻り画策しているし。
真弓もライオンズへの愛着は持っていた。 真弓自身は「西武は石毛を取れる算段があったので、自分を出したのだろう」と語っている
もし真弓が西武に残っていたら、三塁にコンバートして、
山崎・石毛・真弓の内野陣になっていたかも知れない 石毛入団までの2年間が非常に厳し〜い西武のショートでした
阪神は78年にダントツ最下位でしたが小林繁のトレード獲得とか、かなり血を入れ替えて79年に臨みました。なかなか評価出来ると思います。 >>126
「おっと ピッチャーにまで打たれてしまいました」 そんだけ血の入れ替えしても阪神は最終4位。(最多勝もホームラン王もいたのに)
逆に田尾を加入させて自前で大きく血の入れ替えをした西武は優勝。
その差は何なん? >>132
大原というショート(後に近鉄~広島)がしょっちゅう悪送球してたな。今じゃ滅多にお目にかからないレベルの。 😲🎤。阪神の選手による金田正泰監督への猛攻が続いておりますが江夏豊投手は殴っていない模様です
おっと失礼。脱線してしまいました。
江川卓の交換要員に小林繁が選ばれたのが謎です。
もっと安い選手を送りつけても阪神はエエでと言って取引に応じた筈です。
巨人は何故に小林繁を交換要員に選んだのでしょうか。 スレチだが
阪神の遊撃は84年から真弓→平田
二塁は85年から岡田⇒真弓
平田の守備は素晴らしかったが、あの打力を補える程だったのか
真弓の遊撃はそれほど上手くなかったのか
二塁は真弓の方が岡田より上手かったけど、岡田は外野だと散漫になるとかいう
コンバート理由だった。85年は
遊:真弓、中:北村/弘田、一:バース、三:掛布、二:岡田、右:長崎、左:佐野なら
史上最強打線だったかもしれんな 79年からの小林:77勝
江川135勝-77勝=58勝
あれだけバッシング受けてブランド低下させ
ドラフト成果は一人の58勝
バカじゃないか。結果論じゃなく >>125
捕手としては元々そこまで評価が高くなかった上に明らかに動きが鈍くなってたからね
DHのあるパに行けたのは田淵自身にとってもプラスだった ここはとりあえず田尾安志スレ
阪神での田淵幸一は10年間で2位が実に6度。
西武では日本一を2年連続で達成出来たから良かったと。一応。 >>133
江夏豊「ピッチャーのほうが打撃がええねん。当時の監督に対しては。ワシは2回も目の前で見とるからな」 小林繁は77年オフに巨人のフロントと契約更改で大モメ。
多分この時の件が引き金になって江川問題の時に放出されてしまったのだろう。
田尾選手の中日から西武への移籍の件と根っこの部分では似ている。
西本聖+誰かの1対2のトレードで良かった。阪神はこれでも文句は言わないだろう。 コーチと仲の悪い人同士の交換だったね。
小林繁放出は気前が良過ぎた感があったが、浮気問題も浮上していた時期でもあったから
スキャンダルの芽を摘んだか。 三木谷とも早々に喧嘩して監督やめたね
今考えたら三木谷と田尾なんて合うわけがない(笑) 北別府学VS高橋慶彦とか不仲な人たちの話をもっと知りたくなります。 三木谷氏はホリエモンよりはマシということで浮上した人やから
大して期待出来ん >>133
金田正泰監督に対して『猛虎打線爆発』ですが、肝心の今日は高橋一三を全く打てずに沈黙しましたね〜解説の根本陸夫さん
「猛虎打線の代わりに今、グラウンドにファンが乱入して爆発してるね。ワンちゃんが危ないね」 鹿取⇔西岡は西武が得した
ただでさえ強い西武の強化に協力してどうする >>149
ABCテレビだな。
ていうか、その時実況席にいた植草・根本の2人も標的にされた。 ヤクザと知らずに暴行しようとはさすがはドチンピラの阪神ファンである 根本氏と学生時代からコンビを組んでいた関根潤三氏にも手を出さないほうがいいです。
チンピラ阪神ファンの安全が保証出来ません。 読売テレビで解説していた村山実氏も前監督なのに襲撃された バースの本では村山は最低の監督と書かれていた。
解説者時代から「若手を育てるべきだ」と言っていて
実際に若手を育てようとしたので有限実行ではあったけど。 スタッフだかの結婚披露宴でスピーチを披露したのはいいがなぜか自分の現役時代の自慢話ばかりで
「こんなところで自慢してどうする まったく見下げはてたヤツだ」とまで書かれていたw 瀬古利彦氏を指導した中村清監督は奇人。
瀬古氏の2学年上の内藤光雅氏は早稲田大学時代に箱根駅伝を走り、中村監督に私淑していたこともあって結婚式の仲人を中村監督に依頼。
結婚式当日。瀬古氏のボストンマラソン出場数日前。
中村監督は一人で喋り倒して、他のスピーチ予定者が全員喋る時間がなくなって顰蹙を買う。内容が新郎新婦そっちのけで瀬古利彦氏の話ばかり。
締めの言葉は「ボストンで頑張ってきます」 >>157
新郎は苦労したんだな というのだけは列席者に余さず伝わると思う 中村清さんは早稲田の競走部の学生を前にしゃべりまくる。
ある時、金山雅之選手(箱根駅伝ランナー。現在は作家の黒木亮として活躍)が
時計で計っていたら2時間11分しゃべっていたこともあった。
プロ野球の監督に喩えると誰に該当するのか難しい。 バースは「安藤監督の下で野球をしたい」と書いていたが
安藤は監督継続ならバースを解雇する気だったんだよね。
後任の吉田監督が「バースがいなくなると困る」だった。 阪神は吉竹と田尾を交換したんだよね
阪神移籍後、田尾がいくらか復活したので、これは阪神がやや得か
吉竹は伸びるかと思ったけど、伸び悩んだ感じがある 田尾に関しては来る時も出て行く時も西武主導のトレードではなかった。 吉竹、暗黒時代なら規定打席数回立ってそう
北村なんかもいたが、他が強力でクローズアップされなかった
ちょっと後に外野で大野久や中野、衰えた田尾が守ってると
あゝ・・・・って思いだったな 田尾、坂本が凡退していたら???
もし・・・、もし・・・、もしもの世界で生きてるの笑笑。
阪神をヨイショするヤツは、巨人降ろしに必死だな笑笑。
ただの老害だな笑笑。 >>164
もともとは西武の狙いは大島だったんだが、中日側が「田尾を出せる」と言って来た。 >>167
『冬の喝采』という黒木亮作品で調べてみたら昭和54年の出来事。
1979年。
当時の世界記録はオーストラリアのデレク・クレイトンの2時間08分33秒6。
1979年から秒以下は切り上げるようになったので、今なら2時間08分34秒相当。
世界歴代2位が宗茂の2時間09分05秒6。現在の記録に直せば2時間09分06。
瀬古利彦は春のボストンマラソンで当時の自己ベストの2時間10分12秒の当時
世界歴代9位の記録。
暮れの福岡国際マラソンで2時間10分35秒でトラック勝負の末、宗兄弟を抑えて
同大会2連覇(当時早稲田大学4年)。 >>126
アホらしい
投手に殴られたのは犬猿の中の江夏がけしかけただけ
2回とも殴られた現場に江夏がいて、当時そう噂されてた
野手は村山派の残党を除きほとんどアンチ金田はいなかった
そもそも江夏と金田が不仲になったのは、
野手陣が「江夏を特別扱いするな」と金田に詰め寄ったから
そもそも野手 村山前監督は金田正泰監督と良好な関係だったと思う。
若手初期の頃の監督でもあり、72年は指揮権を譲渡して実質金田正泰監督で阪神は回した。 越前の永平寺だかに金田監督と江夏豊が一緒に籠もったこともあると聞いた。 その辺は阪神あるあるというか、周りが勝手に焚きつけてるうちに
本人同士の関係にも隙間風が吹くといったもの 田尾と無関係な阪神の話はこの辺にしてもらえませんか 田尾さんにとっては、とてもいい人だった根本&坂井コンビが
広岡達朗氏にとっては「天敵」とも言える相性でして。
広岡達朗氏の早稲田大学の少し後輩に当たる堤義明オーナーも根本管理部長とは
相性抜群。広岡氏は監督兼管理部長(かGMみたいなポジション)に為りたかった
のでしょうね。 田尾は阪神巨人OB戦に阪神OBとして出場するけど中日OB戦は出ないのかな
福留は両方掛け持ちで出場だが 引退後も草野球で1試合1本塁打をノルマにしてて
阪神巨人OB戦でホームラン放ったのに
55歳王がスタンド叩き込んで霞んでしまった >>172
どこがだよw
指揮権返上してギクシャクが始まる
↓
本格的に確執 【田尾安志スレッド内スレッド】ちょっとコーヒータイム☕
◎金田正●監督の災難
197●年(昭和4●年)。
殺し屋ならぬ「殴り屋」を職業にする男の所に、一つの依頼が舞い込んだ。
「金田正※監督をボコボコに殴れ。 必ず金田監督をボコボコにした証拠を
写真に撮ってきてくれ。手段は問わない。成功報酬100万円」
「金田正」と「監督」の間の文字は擦れていて、よく読み取れない。
殴り屋は狂喜した。ほな、お安いご用でっせ。金田監督をボコボコにすることなんて
映画館に入って映画を見ることよりも簡単。🤗すぐに実行しまっせ。
殴り屋は、金田監督の所に行って、「その節はお世話になりました。今日はお礼に
恩返ししまっせ」と言った。
はて、目の前の男を世話した覚えなどないのだが。
金田監督が不思議に思ったその瞬間。
🤜💨💨💨💨😖 👓
殴り屋の強烈無比なパンチが金田監督の顔面にヒットし、金田監督のメガネが
吹っ飛んでいった。さらに2発3発。
「た、助けてくれ〜〜〜〜〜😭🩸」
泣き叫ぶ金田監督。と、その時。
「そのくらいにしときなはれ」
ガタイのいい男がボソッと言った。顔立ちは阪神タイガースの江夏豊投手に酷似だった。
頭の中に100万円をチラつかせながら殴り屋は依頼主の所に意気揚々と凱旋した。
しかし。金田監督の変形した顔面の写真を見た依頼主の表情がみるみるうちに強張った。
「ワシはこの男を殴れと依頼した覚えはない!!」
「し、しかし」
「しかしもクソもない。バカヤロー。ワシが殴れと依頼したのは別人の金田だ!!」
殴り屋は意気消沈した。人違いではビタ位置も払う金などない、と依頼主に言われ夕陽を背に
トボトボと依頼主の自宅を後にした。
ラーメンとライスを一人空しく食べた。🍜🍚今日は儲け損なった。ここ2週間は収入なしだ。
男は五百円札をポケットの中から取り出して、お釣りを100円貰い受けた。
※上のくだらない作品はフィクションです。くれぐれも真剣に読まないでください。悪しからず。 >>177
小林繁投手が存命中ならばGTのOB戦にGの先発として登板して途中でTのリリーフ登板の兼任も可能 野球音痴スポーツ音痴の三木谷はなぜ田尾の名前を知ってたんだろう? そりゃあ田尾は巨人戦の視聴率全盛期の中日の主力だぞ だったら別に谷沢でも大島でも宇野でもよかったんじゃね?
谷沢監督で楽天1年目でいきなり球団崩壊するの見てみたかったなw >>183
別に三木谷はスポーツ音痴ではないぞ。一橋の体育会テニス部主将だし。 誰が監督やっても楽天初年度は最下位。
汚れ役を引き受けた田尾さんは漢(おとこ) 自分でスポーツ、特に大学でテニスやってるような奴は意外と観る方は全然ダメだったりするぞ
俺の昔の知り合いで、夏はテニス、冬はスキーって奴いたけど、
プロ野球とサッカーは全然無知だった 谷沢は、やらなくて良かったタイプ
田尾も一回だけで止めといて良かった形 >>186
そうそう
ただ野球とサッカーはあまり詳しくないだけで 実際はほとんどの選手に嫌われてたのは江夏
73年の最終戦で巨人に負けた夜、野手が田淵のマンションに集まって、
江夏を殴ろうとまで言われてたのに >>190
立浪はやってしまって自分のキャリアに泥塗ったタイプだよな
山本昌はそもそも監督やる気があるのかどうかからして疑問 ヤクルトの松園オーナーは巨人ファン
ヤクルトアトムズの別所毅彦監督も巨人ファン >>185
12球団全てのチームが逮捕されたことのある人で固めたら、そこそこビッグネームが集まると個人的には思う。 >>189
違うな
別所が巨人ファンキャラをやりだしたのはプロ野球ニュースの解説者になってから
それも80年代過ぎから プロ野球ニュースの順位予想にて
柴田勲「ことちもジャイアンツゆうちょうでつよねえ、べっちょたん」
別所毅彦「ハッハッハッハッハ、柴田の言うとおりだ。
ハッハッハッハッハ、ワッハッハッハッハ」 「柴田さん。なんでそんなに予想が当たるんですか。監督も出来ますよ」
「ボクは賭博で逮捕歴があるからダメなんですよ」
こんなやり取りが本当にあったようです。(;ŏ﹏ŏ) >>206
青田は別所と違ってちょっと悪質だったな
長嶋が解任されて藤田が就任した頃は、
長嶋を擁護して藤田体制に批判的だったのに、
藤田で優勝して日本一になったら掌返し
90年代には完全に巨人ヨイショOBになってた じゃじゃ馬・青田昇。
893と近い関係だったようですが。
藤田派は意外に球界に多そう。 週刊誌で山本浩二は広島のヤクザの親分とゴルフしてるとデマ発言して大問題になって
読売のオーナーが広島に飛んで土下座謝罪した
生前殿堂入りできなかったのはこの発言があったから >>205
「柴田監督因縁のカード」とか「エキサイティングな好カード!」とか書きづらくなるからな 賭博であげられたと言えば東尾や土井正博もなんだよな
だけど東尾は監督をやっている。
東尾は弁明記者会見で麻雀柄のセーターを着なかったからなのか 東尾さんは最初「大丈夫かなぁ。この人が監督で」と思ったが、7年間でリーグ優勝2回。日本一こそ監督では経験していないものの、黄金期の後の西武をまとめたと思う。 当時の西武はオーナーがいいと言えば誰も反対できないからな。ある意味簡単な話。
巨人は世論の顔色見ながらやるところもある。森や星野の招聘も観測気球あげて世論の反応見て取りやめた感もあるし。
柴田については現役時代もコーチ時代もメディアからよく言われてなかったし人望も薄かったんだろう。 >>199
素晴らしい!
田尾のスレだよ!ってことで
82年の中日優勝がかかった大洋戦で
黒江コーチが止めずに空振りを続けていたら
田尾の生命が無かったかも…
「四球かあるいは"一球で済ます"か?」 森が辞任し石毛が監督要請したら固辞し東尾に監督要請しました 東尾監督がドラフトで意中の選手を引き当てたら
「東尾監督リーチ一発ツモ、ドラ1」
なんて見出しがスポーツ紙を賑わしたのかなあ。 >>214
あと一打席凡退なら.3493だし
.350で終わった方がいい、首位打者はまた取れるとか説得したんだろうか ポール・マッカートニーが日本に入国する時に大麻所持で逮捕された時、
翌日のスポーツ紙の一面はほとんどがその件だったが、
報知だけは「青田暴言!」が一面だった >>216
どこぞの奴みたいなみっともないチョンボはしないだろう プロだからな ONOフーズからドラフト1位の森山投手は
裏ドラを駆使した見事な戦術。
ヤクルトの真中監督はフリテン。 >>216
松坂の時なんてまさにそれだけど、そういう見出しは見たことないな 和製・トランプの柴田勲氏には是非トランプ元大統領と会談して欲しいです。♠♣♥♦🃏 >>214
最多安打は田尾選手でしたね。
表彰種目でなかったようですが。当時。 >>213
乱闘の時に張本勲がエモやんにこっそり「柴田をボコってくれ」と囁いたとか(二人は東映で1年間だけチームメイト) 張本勲と柴田勲。
イサオ同士で仲良くやればいいのに。 張本勲と高田繁も仲が悪いそうですね。
浪商OB同士なのに。 別所毅彦監督時代のヤクルトアトムズ、さすがに勝率2割台は酷すぎる。
ワースト監督は誰かは分からないが、私は別所監督に1票を投じたい。
三原脩監督になって、3年間Bクラスながら明らかに立て直しに成功した。
楽天の田尾監督はV9時代の巨人を指揮すれば一度は優勝監督になれたと私は思う。 >>224
あの半笑いがデフォだから変則のポーカーフェイスとも言えるな 柴田勲氏は何故かドン川上哲治には可愛がられた。
76年あたりにコーチと揉めてオフにトレードで出されかけたこともあったらしいが。 なんか田尾を筆頭とした悪の一味みたいなスレタイだ笑 >>200 逮捕or書類送検された選手
(引退後含)
投 小川健太郎(中日)
捕 矢沢正 (巨人)
一 土井正博 (近鉄etc)
ニ 矢ノ浦国満(近鉄etc)
三 葛城隆雄(大毎etc)
遊 桑田武 (大洋etc)
左
中 柴田勲 (巨人)
右 菱川章 (中日)
小川 葛城 桑田は小型自動車競争法違反(オートレース八百) 田尾さんのスレを借りて好き勝手放題に脱線しておりますな。
でも田尾さんは、こういうこと似は意外に怒らないキャラの筈です。 >>236
凄いメンバーですな(笑)
江夏豊も清原和博もまだおりますで。
監督は東尾さんかなあ。 >>236
清原を忘れていたw
左翼に師匠の土井
一塁に清原で >>198
タイガースのことを「タイガー『ズ』」って言ってたよね。
本当に阪神ファンなら、絶対に間違えちゃいかんやつ >>241
阪神はタイガースだがデトロイトならタイガーズだからな。社員に英語強要してる手前、正しい英語で発音したんだろう。
尤も楽天もイーグルスというカタカナ表記なのが謎なんだけど。 川藤幸三さんみたいに知っている英単語を並べるだけでも結構相手には通じるらしい。
辛子明太子を「さちこのめんたいこ」と言っていたのも川藤さん。 川上哲治 Coffee please
王貞治 Me too
長嶋茂雄 ミー スリー 西本監督とマニエルは西本は日本語で喋り、マニエルは英語で喋っているのに
2人の間ではコミュニケーションがとれてて笑いが起きていたそうだ >>74
天才って1/100なら天才と言えるらしいからトップじゃなくてもプロ野球選手なら全て超天才やろ >>245
近鉄行って大正解でしたね。
マニエルは日本1年目の76年(当時ヤクルト)はパッとしない成績でしたが、よく解雇されませんでした。
77〜80年の4年間は見事な成績。 >>243
日本人の語学下手の原因の一つとして、文法や発音とかもきちんとしないといけないという
悪い意味での完璧主義があるのは間違いないだろうね 長嶋茂雄氏はレストランで知っている英単語を並べたてて最後にハリーアップと叫んだら非常に早く注文した料理が来た。
その息子は立教大学での試験で答案用紙は白紙。名前のところはローマ字で書いたが綴りが間違っていた。 >>245
反抗的な態度をとったアーノルドには
「ユー ドーント ライク マイマネジメント?」
の一点張りで制圧した 通訳「How about your condition?」
タフィ・ローズ「(日本語で)ボチボチでんな」 >>236
投手は凄く層が厚そうですね。
最近も続々とブタ箱ジャパンのメンバー入りを果たしている選手が出ているようですし。
外野手の奮起も期待したいですね。 堀田商事って何か怪しい。
中日時代からの縁故だったのかな? >>103
>>108
高校の時のしかも教師に不学って名前の奴がいたぞ笑
何かことが起こるとグワッとなるけど普段は落ち着いた感じじゃないの? >>248
ハルク・ホーガンが言うには日本の英語のテスト用紙を見たらアメリカ人が見ても難解な英語が書いてあったそうだ。
プロレスの記者が言うにはアメリカ人レスラーに対して「Sophisticated(洗練された)」と言うと
Sophisticatedが通じる確率は10%以下だとか。 未だに85年シリーズ5戦の第一打席は納得いかない。 西武時代の日本シリーズは85年も86年も3割打っていたんですね。
86年は自身唯一の日本一経験の年。 あの打席は池田を折れさせるのに十分なものだった。
田尾の小野かよというという萎えた気持ちそのままの打球。
必死に金森まで前日の流れを生かそうとしていたのに。
目が当日ショボショボしていたとか言い訳してたけどそれならバントしろと
言いたかった。西武が負けた大きな原因の一つはコレ。
平田のダブルプレーも今見ると十分怪しいけど。 >>248
ドイツ語の話だけど
現代ドイツでグーテンタークと言うことはまずなくて、
ドイツ人も電話に出るときや店員さんに声をかけるときはハローと言うらしい ドイツ語だと医者が患者のことをクランケと言うことはまずなくて
パティエント(patientのドイツ語読み)と言うことがほとんどらしいね 外国人の話す日本語はアクセントが少しおかしいくらいのほうが親しみがいがあって面白いですね。 よく脱線するな。このスレ。
3割打っても有効打でなければ短期決戦で活躍したことにはならない。
5戦では田尾のブレーキが痛かった。 >>68
2人とも中日OBになったからな
FAが無ければ落合監督ではなく田尾監督だったのかも ぶっちゃけ阪神ファンとしては85年の日本シリーズ、
3番田尾が2割6分台ってのを見て、「こんなんに負けるわけねーよ」と思ってたわ 私は西武の4勝0敗を予想しておりました。(;ŏ﹏ŏ) タラれば許されるなら
バースが打たなければ西武4−0か4−1の可能性十分だった。 >>268
そもそも、四番がシーズン11HR、五番が10HR。
伊東や金森より少ないっていう。 秋山幸二はまだ下位でノビノビ打たせたかったのでしょうな広岡さん。 打線はたいした事が無いが二位に15ゲーム差をつけての圧倒的な優勝なんだよね>西武 あの年は前半の圧倒的な貯金がモノを言った。
後半からは郭も居なくケガ人も出始め失速。
それでもしぶとく繋いで投手で守ってゲームを勝ちに行ったという印象。
その悪い流れがシリーズで最初に出てしまった。
拍車をかけたのが広岡の休養問題。
トップが揺らいだら選手にも伝染しますよね。
6戦前の移動日に同乗した阪神選手に西武の選手がMVPの賭けで云々とか。
広岡が通常の状態だったら黙っていられないのだろうけど何も言わなかったし。
それの流れに真っ先に言われもしてないのに乗ってしまったのが田尾と思ってる 落合が360台、50本以上打ってる超ラビットの年に、
あの打線で優勝はねーわw セ・パ共に三冠王誕生の年。ロッテは前年に続き2位。
ライオンズ監督時代は黒い霧の余波もあって5年間Bクラスだった稲尾監督もここでは、なかなか好成績。 当時のロッテは三冠王の落合とリーがいて3割打者が四人だから打線は良かったし
村田も復活したからね 西武は田淵・テリー・山崎が抜けて、主軸を打てる打者が欲しかったはず
その目的を達せず、田尾・スティーブ・片平が主軸になるようでは、編成は失敗している
本来、スティーブは3番タイプだし、田尾は1番で石毛と役割がかぶっている その主砲巡って根本と広岡が対立した一因に。
シリーズ2戦ゲーム前
星野に広岡が主砲が居れば。。。何とかとつぶやいていたのがOAされてた。
バースの差だけと言いたげ。 阪神が連勝した1・2戦。実はバースしか打点を挙げていない阪神。3ランに2ラン。
三冠王になっただけでなく、急所のここ一番で打っていたから、いまさらながら素晴らしいバッターだったと再認識している。 ヨッさんが西武にしては珍しく野球が雑だったとコメントしていました。 古巣を相手に戦う日本シリーズだった真弓明信は生涯唯一の日本シリーズ出場となるのかな。
ライオンズのままだったら何回も日本一を体験出来たと思うけど阪神に行って良かったと個人的には思う。
82年オフに村田兆治との1対1トレードが成立しかけたことがあった。 >>281
森がいなかったからだろうな
広岡の化けの皮が剥がれたと 自分は選手に肉食うなとか言ってたくせに痛風になっちゃねえ
説得力ゼロどころかマイナスでんがな >>278
今なら石毛、田尾、スティーブ、秋山
みたいな感じになるんだろうか >>281
掛布が語ってたな。
「西武は相当緻密な野球をやるから勝ち目はないだろうと思って西武の練習見てたら、
サードの秋山が意外に粗い守備だったのでこれなら勝てるかなと思った」って。 そりゃ秋山人差し指骨折してたから。シリーズ直前に。
動きも多少影響あったよ
それを最後までバレなかっただけでもすごいと思うし(一般には突き指)
広岡は強行出場させ(石毛にも)プロ根性を植え付けさせた。
だから翌年の春秋山が衣笠に一喝されて以来ケガしても公言しなく出場し続けた。
逆に掛布は翌年ケガの連続。弱気の虫が心を蝕んでいく。
対照的だな。 先発投手陣もしょぼすぎる
松沼兄、高橋直樹・・・
それでなぜか抑えが工藤東尾という豪華ラインナップ 今にして思えば西武、良く短時間で若手に切り替えることに成功したな、と評価したいのだが甘い味方なのかなぁ。 田淵・山崎・江夏・森ヤクザ・オト松・郭・杉本・清原のいない西武に勝ってしまったことで暗黒時代に陥った阪神 前シーズンベテランに見切りを付けて若手に振り切ったからある意味凄いのでは?軋轢は色々あったらしいけど。ベテランの言い分より若手の伸びしろを取ったのでは?それだけ当時の西武の編成がすごかったと。 >>285
実際にぼろぼろ球団だったのが日本一になったんだから、十分に説得力があるけど?
あのデブで動きが鈍かった田淵がスリムに戻り、復活もしたがな。それをバカにした江夏は落ちぶれていったが。 現在の田淵幸一氏は風貌もまだ若々しく70代後半に見えない。 >>293
山崎裕之は現役最終年の扱いがいまだに納得がいかないらしい。
1983年にキャリアハイの82打点なのに1984年に「若手に切り替える」と
使われなくなって引退だからね。
辻が台頭してきたから若手切り替えの方針は正しかったんだろうけど 山崎は黙って代打送られたから気持ち切れたと言っていた。
広岡はそういうところが欠けていた。
同年オールスターも甲子園で田淵を代打でも温情で出してやるべきだった。 監督業で世代交代はどれだけ気を使っても悪者になる難しい仕事だろうし、廣岡さんは下手だったと言われるとなるほどなキャラだよね 84年の西武は結果こそ3位ながら切り替えに成功したという意味で会心の年かも。 山崎を使いたくないのなら、トレードに出せばよかった
晩年の片平や辻もトレードに出しているのだから >>297
田淵はオールスターにでる成績ではないが選出。
甲子園で試合があるし、今年引退であろう田淵に広岡さんも意外と粋なことするじゃないかとファンが感心してたら、甲子園で出さないという結果だったもんな。
甲子園で出さないなら選ばなくていいんじゃないという感じだった。 田淵本人が阪神の本拠地甲子園に出たくなかったんじゃない?後に村山実監督から打撃コーチを要請された時、「村山タイガースなら喜んで協力させていただくが、阪神タイガースには行かない」と言うほど、阪神を恨んでいたからな。 86年の川藤幸三の監督推薦での球宴選出は粋に感じた。 山崎は埼玉だったからトレードでライオンズに来た。
例え関東球団でもトレードに応じたかどうか?
田尾は一言多いタイプ
広岡は大切な一言ほど言わないタイプ >>303
どんくさい人気薄のロートルがたちまち昔からの人気者・名物男に仕立て上げられていく過程に子どもながらも嫌悪感を持った
川藤個人ではなくね エモやんは法政大学時代に松永玲一監督に「お前は一言多いんだよ」と言われた。 >>広岡は大切な一言ほど言わないタイプ
これはなるほどの意見。 >>261
二塁のベースタッチも一塁の判定もセーフっぽいな
もしそうなら無死満塁で大変な事になってただろう もしそうなったら岡田、平田と吉田が猛抗議
手が触れて一気に三人退場、となったら甲子園騒然となっただろうね。
つべで見てもセーフにしか見えない。あのシリーズは判定に怪しかったの多かった。
審判があの時パの塁審だったはずだけどファンの報復が怖かったのかも。 >305
そこは痛いほど分かります。
阪神の選手だからと関西マスコミの恩恵を最大限受けた選手の一人かと。
川藤よりもっと立派な成績を出している関西球団の選手はいっぱいいた。
ただ関西マスコミが偏り過ぎて地味のイメージを付けさせた。
東海圏も中日でその傾向があからさま。
田尾トレードで一時期不買運動起きたがいつのまにか落ち着いていた。
だから今に至る。 2回クビになりかけて「タダでも構いませんから置いてください」と懇願して、野球協約で定められている25%以上の年俸ダウンも受け入れて、自己ベストの年に今度は自ら引退。
川藤幸三の野球人生。 田尾さんと川藤幸三氏はスレ違いでチームメイトだったことはない。 前年度日本一のチームから前年度最下位のチームへの移籍。自らも大スランプ。ガ〜ン😱 >>312
そんなもん どいつも言いだしたら収拾つかないだろ
それで煽りをくらう選手もいるかもしれんしエゴイスティックな行為で好かんわ >>314
前年度最下位じゃなくて
自分が入ったら最下位に転落 阪神は前年度3位で優勝候補。
しかも3位の前の年は日本一。田尾さんも在籍していた西武が相手。
阪神の素晴らしいところは一度日本一になると40年はそれをオカズに美味いメシが
食えるところ。 あの日本一は特別だろう
去年の日本一は1年持たない
64年の東京五輪と20年のそれみたいな感じ あの年の阪神の何がマズかったのか………
田尾選手の想像を絶する不振は理由の一つだが。 >>315
むしろ川藤は本業(明らかに収入面ではこっちのが上だったろ)で土建屋やってたから
そういうワガママが言えた 阪神球団も首脳陣、選手が甘く考えたから暗黒時代に行ったんだよ。野球は投手力が重要なのに1985年の日本一は、投手力は大したことがなかった(防御率3点台)のに打撃だけで奇跡的に日本一になってしまったので、投手力を整備せず既存の打撃陣だけでやろうとしたのが阪神の不幸の始まりだった。その打撃陣も不摂生だったのですぐに怪我、引退で数合わせのドラフトなどまさに暗黒時代だった。今阪神が打撃は大した事がないのに優勝争いが出来ているのはまさに、投手力があるから。 掛布雅之の短期間での凋落が全く意外だった。
86年は死球などケガが原因と思われるが87年はタイトル争いに絡めるだろうと予想していた。 さすがに中村~野村時代から見ると選手層も厚いしフロントの仕事もまともだと思うが、そうでも無いのかな? 87年の成績を見てたら
そりゃあ村山も使うのためらうよ
ミーティングで意見したとか関係なく 掛布の凋落は普段の不摂生のタワモノ。本人も言っているが二日酔いのまま試合に出るのがしょっちゅうだったとか。
若い時は若さと体力で誤魔化して来ただろうけど、中年に入ってその副作用が出て来た。 田淵、江夏、遠井で阪神相撲部屋と揶揄されたが
若い選手にもタニマチがつくぶったるんだ環境だからな
西武に移った田淵が体型が変化したのでもわかる >>320
なるほどな こんな美味しいポジションからどけんと 掛布選手は若い頃のひたむきさが失われてしまったとはヨッさんもコメントしていた。
ただ、あの大きいとは言えない体型であれだけホームランを打ったことによる勤続疲労
みたいなのがドッと出てしまったのでは。
あと85年の日本一達成を経験したことで心底ホッとしてしまったか。
酒好きだがタバコはやらないし、江夏豊よりは遥かに節制していたと思うんだが。 >>320
土建屋は再婚相手の父の事業引き継いだだけ
川藤が現役時代やってたのは兵庫の僻地のスポーツショップで
最初の奥さんが教師やってたから好き勝手できた >>328
軽い事故起こしてしおらしくしてればいいものをわざわざ警察にまで悪態ついて明るみにされてしまうほど酒飲むことのどこらへんが節制なんだ 掛布さん同年輩より明らかに老けてる気がしてたけど、酒飲みなのか 田尾は酒やタバコはあんまりやらなかったのか?
晩年でも20代の体力筋力だったそうだが >>328
>あの大きいとは言えない体型であれだけホームランを打ったことによる勤続疲労
>みたいなのがドッと出てしまったのでは。
長池もそんな感じがする。掛布や長池は32位で衰えて、落合は32から10年も
バリバリ働けたから人それぞれだね。 掛布は手首、今岡はバネ指、濱中は肩のせい
ってことになってるが、もっと複合的な理由のはず
掛布は86年から故障のデパート。守備の動きは84年頃からモタッてきていたし
85年春も全体練習以外ほとんどやらないので吉田が違和感憶えたらしいな
85年はフィジカルが保たれた最後の年で、超ラビットに技術力で打っていた
手首壊したんなら落合や原もそうだよな?危機感もなく春先から大酒食らって…
今岡はバネ指完治後も復調できず、ラビットに特化した当て勘が狂った感じ
濱中は肩壊して復帰した06年に.302 20本。前年は代打だったため
相手が殆ど対策しておらず、3.4月 .435 10本と狂い咲きしたのが効いた
(以降は.275 10本)翌年はずっと低調なうえ嫁に逃げられ、コンビニ弁当を
買い込むところを岡田に目撃され呆れられるなどグダグダだった
今岡、濱中とも金本に言わせると練習せん子だった。金本と比べると可哀想だが 掛布:しょっちゅう外で痛飲→31歳でパンク
岡田:しょっちゅう谷町と夜遊び→34歳でパンク
真弓:所に関係なく殆ど真っ直ぐ帰る。状態悪いと自ら外れ、二軍調整もする
→38歳まで一線級。41歳シーズンはシーズン代打打点の日本新記録
木戸:32歳で若ハゲ眼鏡、出腹。二塁ダイレクトが困難。全く打てず山田に交代
矢野:33歳で本格化。37歳まで強打の捕手として君臨。阻止率も高め安定
梅野:31歳で全く打てなくなり好機破壊王子に。自慢の肩も山なり送球に
木戸、梅野が不摂生してたかは知らんが・・・ 新庄が打撃面で覚醒して.290まで通算打率を上げるようなもんだからな 意外に新庄は監督としての資質があるのでは。
昭和の時代に生まれていたら「今日は江夏くんと田淵くん。活躍が見事だったな。あと遠井くんの内野安打が素晴らしかった。カークランドくんも凄かったね」なんてコメントしていただろう。 18年秋ドラフトされた今年24歳の世代の出世頭は巨人の戸郷やね。
ドラフト6位なのに。 >>315
悪いことに当時上岡龍太郎とかの芸人が支持したからな
そういう世論に弱いのが阪神の体質
ブレーザーとか岡田使えの圧力でクビにされなしな 掛布⇔門田のトレードが成立しかけたそうだけど意味不明なトレードだ
同じ左の強打者で掛布より歳上で、当時すでに守れない走れないだった
門田をとってどうする気だったのか
セにはDHがないのに アキレス腱やってた門田はDH制のないセ・リーグでは居心地が悪くなるだけ。
25歳の人気者のサードに対して32の守れない走れない選手。
スポーツ紙の煽り記事だろうけどセンスのないトレードの内容。
100%とは言わんけど普通は99ない掛布⇔門田のトレード話。
藤田平の南海放出はあり得たかも知れん。 藤田が行かされそうになったのは広岡時代のヤクルト
浅野が交換相手だけど纏まらず話は巨人へ
この頃はフロントにも阻止してくれる味方は居たみたいだけど数十年後には… その頃の上手く立ち回れた経験や実績があったから
監督時代はフロントにも強気に行ったのかな 藤田平は晩年はファーストしか守れなくなっていたから、出される可能性はあった
中村勝広と違って幹部候補でもなかったしね
>>328
掛布は中距離打者のままなら、もっと長くやれたと思う
田淵が抜けた後、主砲としての任務を背負ったことが寿命を縮めたように見える 結局一番長生きしたのは節制してウェイトトレーニングと走り込みを欠かさなかった真弓 村田兆治を欲しがった当時の安藤統男監督だが交換要員に真弓を要求されて「真弓は出せない」と不成立。
翌年真弓が首位打者。阪神に残して大正解。 >>349
貧乏球団ライオンズの選手だから満員の観客で野球ができるタイガースの
ありがたみを痛感していたのか。
根本は配下の選手に「タニマチを作るな!」と命じていたそうだが
それを移籍後も守っていたのか。 藤田平も川藤みたく大見得切ってれば優勝経験できたかもしれんけど
そもそも藤田平にそれを求めるのが無理筋か 男前がカネや名声をつかんでもそれまで通りストイックに励むとはまるで大谷の先達だな
一方で醜男がカネや名声をつかんで… だから真弓はカケなんとかさんと違って
若手や外様に人望あったんだろうな
各所にケンカ売る田尾は人望あったんかな? 桧山が新人時代、ウェイトルームで38歳の真弓が使った後の器具に座り
「ベテランさんの重量やし、余裕やろ」と扱ってみたらビクともせず
自分より数段膂力がある事がわかり、慌てたのがマッチョ化のきっかけとなった
岡田は絶対二軍に行かなかったが、真弓は若手に交じって精力的に走り鍛えるので
かなり影響を受けたようだ。面倒見もよく時間を惜しまず相談に乗っていた
監督した時期は過渡期で難しかったと思う。管理職の経験も足りなかった感がある 小林
「掛布にリーダーシップを感じた事がない」
「彼が監督をやろうと言うのは料簡が違うように思う」
バース
「掛布は自分の事以外あまり気に掛けなかった」
「2番と7番はむやみにバントしたが、他は思いのままに打っていた」
吉田
「岡田君はチームの練習以外しませんでしたな。一概に間違いとも言えませんが」
「野球力は20歳までで決まる、北陽は無茶苦茶厳しかった、よう言うてましたわ」
「ロッカールームでよく将棋してたの覚えてますわ」
「オリックスで早出特打ちしてましたけど、なんで阪神で出来なかったのかw」 >>82
中西さんは打撃コーチとしては屈指の指導者だけど監督となると不用意な発言をしてしまう。
投手からの受けは余り良くないのでは。 田淵も1987年頃に「掛布は本来はアベレージヒッターだ。アベレージに徹すればまだやれる。」と
コメントしていた。あの小さい体でHRを打っていた事に無理があって太く短くで
燃え尽きたのかもしれない。
逆に駒田はあの体格で中距離打者に徹したので、原も篠塚もできなかった2000本安打を
達成できた気がする。 ノムの軛が外れた途端にアキレス腱という枷がはめられる
門田さんはつくづく数奇な野球人生だったのだなと >>335
一定以上実績のあるプロ野球選手を見ることなんてそれ自体まず無いのにそれ同士が町中で偶然会ってしまうとは浜中も不安やな笑 >>336
プロのキャッチャーが二塁にダイレクト送球できねえってなんだよ😅
昔自分が高校野球を終えた頃プロ野球を見に行った時にしょぼいしょぼい言われてた村田真一ですら「おぉ、ショボいと言われててもプロだ!」って思わせてくれた送球(まあ肩が強いというよりはさすがに高校生とは動作が違うからだろうけど)してたのに 西田真二とバッテリー組んでPL学園初の全国制覇の時の主力やったなあ 80年代は一流の人気選手であれば引退後の方が稼げた。
小林、定岡、江川があの歳で引退したのはそれもある。
江本が引退して本がベストセラーになって現役時代の10倍の金が入ってきたそうだし、
そういう状態だと意地でも現役を続けようにはならんよね。 >80年代は一流の人気選手であれば引退後の方が稼げた。
それは主にセリーグの選手だけだったように思う。
パリーグは余程の成績でないともしくはインパクある選手でないと解説者には
なってもそこまで稼げなかったと思う。
例を挙げると松沼弟が引退して解説になった時68勝実積程度のピッチャーが。。
とか雑誌で言われていた。
セリーグは別。関本四十四みたいな実績でも堂々と稼げてた。
江本定岡然り。最大限両チームブランドを生かした良き時代。
田尾もそうかな? 小林繁は血行障害になっていたことが今では明らかになっていますね。 田尾もラストが阪神だったから関西テレビの解説者になれたし、自分のyoutubeチャンネルも大半は阪神の話。 田尾のドラゴンズの話が少ないというのは名古屋独特の偏りと闇を感じる。 >>371
大物選手が追い出しみたいなトレードをされるとそんなもんでしょ。
田淵は星野が間に入ってようやくタイガース復帰だし、
土井正博はライオンズOB扱いだし。 その割には名古屋ローカルのCMとかバンバン出てるけどな >>368
関本四十四なんて巨人を出されてから数年で引退。
まだ現役(コーチ兼任)の堀内恒夫と対談していた。
あのトレードは太平洋が遥かに大損。
巨人なんて加藤一二三が来て、いきなり広島戦でノーヒットノーラン。10年以上も戦力になった。
長嶋巨人は第2次の時はFAに走る感じでイマイチ感があったが第1次の時はなかなか魅力的に映る。 >>68
この時の落合の態度の変わり様は酷かったもんな
同じチームでプレーすることになる原ですら落合に対して呆れてた >>375
マウンドで躍動するひふみんが思い浮かんでしまったではないか バカモノw 加藤初と加藤一二三言い間違えている人、確かに私の周りにもいた(笑)
将棋の棋士も野球好きはかなり多いらしい。
加藤初は「鉄仮面」のあだ名でした。 加藤英司もいい選手だったが阪急出てからは所属球団コロコロ変わった。
上田監督と不仲だったのかな。 2度目の監督復帰のとき
何しに戻って来たんですか?
みたいなことを言っちゃったから
すぐには出されなかったけど
成績を下げたときを見計らって出された 上田監督は意外に陰険かも知れない。
福本豊を勝手に引退扱いしてしまうし。
審判は明らかに彼のことを嫌っていた。1時間19分の抗議がマイナスに響いている。 加藤英司⇔水谷実雄
大物同士のトレード
阪急丸もうけ >>378
同時に在籍したら加藤(初)と加藤(一)表記でよけいややこしくなるな >>384
広島は常時Aクラスにいたから目立たないがあんまりトレード上手くないよな
江夏放出も損だったし 江夏さんと仲の悪い高橋里志が一緒にハムへ。
広島フロントが「仲が悪い二人なんだけど大丈夫?」
と聞いたけど
「使うのはオレだ。関係ねえ」みたいに親分がコメント。
監督としては別に名将ではないが、問題児の扱いは上手かった親分。自らが問題児だったからか。
県商工時代に審判殴るとか、とんでもない野郎ですよ全く。コイツのせいで後輩が1年間対外試合禁止処分。 田尾のスレなのに。。。
やっぱ田尾は外見で随分、最後の所属球団(阪神)で得をしている。
不細工な面だったら今頃あの人は今?状態だったのかな?
コーチでも阪神から呼ばれないし、ドラゴンズやライオンズも。
適性が無いのかな? 別のスレでも書いたが、
素人が150キロのマシンに挑戦する企画で
グラブはめて打席に立ち150キロの球を捕れれば
150キロは打てるという田尾の指導で
ヨボヨボの爺さんまで打ったのは驚いた 中日、OB戦に松本幸行氏、田尾安志氏、鈴木孝政氏、平野謙氏、宇野勝氏らの出場が決定!
https://baseballking.jp/ns/427578 おぉ懐かしい!
まつもとつらゆきさんもいるのか
平野謙を西武に出したのはミステイクだったと思います。 >>390
(これまでに出場が決定している選手)
総監督:法元英明
監督:権藤博 谷沢健一
選手:小松辰雄 山本昌(山本昌広) 山ア武司 谷繁元信 今中慎二 岩瀬仁紀 川上憲伸 福留孝介 荒木雅博
落合にはまだ連絡が入ってないのか
「私を誰だと思っているんですか?」w 藤田元司さんが落合博満さんに「お前、なんでOB総会に来ないんだよ」
と聞いたら
「オレのところに通知が来ないんですよ」
それ以来、落合家に巨人OB総会の通知が来るようになったらしいが、
めんどくさいから欠席で良いと思う。 >>391
星野の良い点は選手を飼い殺しにはしないこと。
中尾も巨人にトレードした。
中尾は「人気球団にトレードする」と言われていたので
西武かと思っていたそうだ。
まさか同一リーグにトレードとは思わんわな。 中尾も西本も生きた最高のトレードでしたね。アレは。100メートル11秒の足がある中尾は外野手も出来るし、巨人から行った西武でも居場所がありました。 本来星野流のトレードが正しいトレードなんですけどね
阪神のトレードは結果オーライでもその過程で揉めるイメージが強い 巨人OB会はこういうふうに改革したらどうでしょう。
岩隈久志会長。加藤英司副会長。
あと高橋直樹氏に松原誠氏にエリック・ヒルマン氏。ジョン・マント氏。太田幸司氏も巨人軍の栄光の歴史を彩りましたね。 >>388
過去の球団や首脳陣との衝突常習犯をコーチに招く所はないやろ。楽天の監督になれたのも掛布やオマリーに監督要請を断られた誰も引き受けてくれないから、お鉢が回って来ただけだし。 田尾が週刊ベースボールのレジェンドで聞くではダイエーの監督王貞治からコーチの要請があったが
断ったと言っていた ダイエーの達川光男コーチと高橋慶彦コーチが西武球場で殴り合いの喧嘩をしたようですが。 高橋慶彦氏によれば達川さんと正田さんの二人とは、それほど仲が悪いわけではないそうです。
本当に仲が悪かったのは北別府学だったと。 >>402
これが許された時代…いいなぁ~🧐ワイも昭和とかに生まれたかった😫 ホークスベンチで尾花が若菜を殴ったというのもあったな >>407
巨人の尾花コーチの印象があるから意外
若菜だったら殴り合いに発展しそうなもんだが… 王さんはホークスの監督になるにあたって巨人と完全に訣別したなあ、と感じたのがコーチ陣ですね。
巨人の匂いがしないですからね。
田尾さんにコーチ就任要請したという話は初めて知りました。 >>405
ファン感謝デーで騎馬戦をやっていたら
北別府と高橋がマジで乱闘を始めたってエピソードがあるね >>410
見たかったなあ その半グレの抗争と水争いのマリアージュのような光景 王さんは最初ホークスに巨人の良さも取り入れようとした。(土井監督みたいに)
余りの体質の違いにアレルギーみたいなものを感じ察した根本が更に血の入れ替えと
ドラフトを進め必死に王を守って(スパイ容疑とか)花を持たそうとした。
根本の死を経てようやく優勝を。一番の喜びだったと思うし
その根本や中内オーナーらの恩義をしっかり守って福岡に腰かけでなく居を置いている
そういう格を得たホークス。福岡の人の気質もしっかり掴んで(東京志向、格式やブランドに
弱い。なびく。寄り添う)地元のチームになっていったと思う。
田尾も楽天初年度に悪戦苦闘して決して投げ出さなかったから地元の人もずっと応援する
様になっていくきっかけになったと思う。
誰かが修羅場を逃げないで対処するような事が無いと中々新球団も立ち行かないという事かと 田尾さんは捨て石になって負け戦確実の楽天の初代監督を務めた漢(おとこ) >>406
暴力バンザイやね\(^o^)/\(^🐽^)/ ダイエーなんて達川コーチと高橋コーチが殴り合いのケンカをしたそうじゃないですか、と豊田泰光氏が終刊ベースボール誌上のコラムに書いたら
「どういうことですか!」と食って掛かった高橋慶彦コーチ(当時ダイエーのコーチ)
「そんなことより殴り合いの事実はあったのか!」と
豊田氏学園訊ねたら、ニヤリと笑って
「一度だけありました」
確証もなしに書いてしまいました。これはオレが謝ります、みたいな感じでコラムに書いてありました。
豊田氏と高橋氏は和解したようです。 >>411
北別所は田舎者
慶彦はシティボーイ() >>386
高橋直樹も広島では不振。
82年途中から移った西武で復活。
加藤英司はカープに1年しか居ませんでしたね。 >>417
そういう関係での知り合いがいる人いくらでもいるやろ笑 加藤英司は長打力もある田尾安志という感じ
阪急を出てからは所属球団を転々
近鉄でプチ復活したがほどなく巨人へ
流れ着いた最終地が南海ホークス
ボロボロになりながら2000本安打達成 >>420
顔のマズい田尾 とかね
南海入りが2千本のためなのは誰の目にも明らかで数字もパッとしなかったけどさすがと思わせるシーンはあった
デビッド解雇で一塁が空いたんだからもう一年やって昭和いっぱいで終わらせればキリもいいし世間の心証もよかったと思うんだが >>423
プロ野球では良い歳で2000本安打、200勝を達成すると
「これを花道に引退しろや」という空気になるらしい。
平松は関根監督の頼みで200勝達成の翌年に現役を続けたら
チームの空気が「まだいるよ」になったと回想していた。 柴田勲は2000本安打を達成したら「ご苦労さん」モードに入って翌年確か引退。
堀内恒夫は79年に200勝を達成するかと思ったら、4勝止まりで入団以来継続していた連続2ケタ勝利が13年でピリオド。
翌80年は3勝で、この年で到達したが、残り3年間で挙げた白星は2つ。実質80年で終わった。 そうしてみると、31歳で2000本安打を達成した榎本喜八はすごかったということか
張本より早いペースでの達成だったんだよな >>424
なるほどな しかしそれは戦力になっていない選手の話では?
昭和ラストイヤーは河埜がファーストに入ったりしてたからいっそベテラン2人のツープラトンでも面白かったんじゃないかと思わされてな
まあ本来ジャイアンツ1年で2000本達成して引退する目算だったんだろうからさらなるエクストラを求めるのはムリかw >昭和いっぱいで終わらせれば
昭和が終わる前に具体的にいつ終わるのか知っているやつはおらんだろ
加藤が辞めた時点では昭和天皇は2024年現在の上皇くらい元気だったし 加藤英司は巨人に骨を埋めるつもりで自宅を購入したが1年でお払い箱、ただしバブルが到来し始めた頃で家の売却益はかなりでたと聞く。もう一年持ってればもっと儲かったかも。 セ・リーグにDH制があれば、巨人時代はDH加藤英司で円満解決。巨人で名球会入りを果たして第二次藤田内閣で打撃コーチとして入閣出来たかも知れない。
鈴木啓示の代わりに加藤英司に近鉄の監督やらしても良かった。かも知れない。 >>423
水谷実雄よりは加藤英司のほうがイケメン。
なにしろビートたけしが「広島の水谷が打席に入ったらCMを流してしまおう」と提案したくらいだったから。 >>428
むろんおっしゃる理屈は自明なので「結果として見れば」っていちいち書かなかったんだけど
書かなアカンかったのか 加藤英司さんスゲー
田尾さんもスゲーけどさらにスゲー
1979年の数字。打率364。本塁打35。打点104。
もはやほとんど神の領域じゃん🤩😍
ところで1985年のオフになんで近鉄は金銭で加藤英司さんを出しちゃったのか。巨人じゃポジションのダブつきで一塁の定位置を奪えなければ代打しか使い道がないじゃんか。🤧 駒田は2000本安打達成後も現役を続ける気だったが
横浜を戦力外になってどのチームからも誘いは無かったそうで、
やっぱり「これを花道に引退しろや」が球界全体の空気なんだろうね 加藤英司なんてパ専で
日シリとか観客の多い試合ではさっぱりな印象 >>431
もうちょっと後なら「モザイクかけよう」だな 駒田は職場放棄事件がなければどこかが拾ってくれたかも 駒田に対してテリー伊藤氏が東スポだかで「罰金7000万円だ!」とかマジギレしていた。 阪急に移籍してすぐに打点王を獲得した水谷実雄選手。
しかし翌年死球のアクシデント。引退が早まったのが惜しまれる。 日本ハムでかつて良好とは言えない関係だったエエデのおっさんから打撃コーチの依頼が来て悩んだ加藤英司さん。恩師の西本幸雄さんの所へ相談。 水谷で36発なら衣笠は40発浩二は60発打てたな
慶彦が当時のパのミズノのスーパーラビットは市民のナスよりはるかに飛ぶといってたな
江夏は飛ぶけど変化球はよく曲がるといってた 加藤英司・日本ハム打撃コーチ就任。
これは過去のことは水に流そうや。また仲良くやろうや、というオッサンの軟化。
西本さんも引き受けてやれや、とアドバイス。
今は上田はんのことも恨んでないやろ。加藤はん。
めでたしめでたし、ちゅうこっちゃ。 >>443
前年は32本で本塁打王だったので飛ばないボールのイメージがあったのですが。 加藤は西本のところに引退報告に行ったら
「2000本安打が残っているだろ?」とその場で杉浦に電話して
南海入団が決まった。 西本さんは杉浦さんの立教大学の先輩!
加藤英司さんは最初加藤秀司の名前だった >>448
これ巨人の監督がシゲだったら解雇撤回してもらえたのか? 数字だけ見てアホの加藤をもっとアホの巨人が欲しがったんでしょうな 一度トレードで出されてしまった選手は2つ目の球団は長続きしない傾向にある。 田尾が優勝経験したのって2回か
名選手の中でも比較的知名度自体は高い方なのに揉めたイメージでばかり語られる気がするけどこのせいか?
でも1982は優勝チームでこの成績ならフィーバーやったんやろかね?🤔 顔については2枚目だけど、俺個人は子供の時はたこ焼き顔の人としか思ってなかった笑 田尾さんて最盛期の頃、何故かてっきり独身かと思い込んでいた。
実際は80年に長男が生まれていたと最近知ったが。
加藤英司さん繋がりで元阪急で巨人に行った選手として簑田浩二選手の名前を
唐突に思い出した。この人も素晴らしい選手でしたよ。 加藤英司の誤算は巨人で名球会を達成出来なかったこと。
有田修三は近鉄から巨人移籍組だが役に立った印象。 >>454
阪神が村田兆治を欲しがった時に交換要員として要求されて、あわやトレードでしたね。 反りが合わないように見えた森祇晶監督と田尾選手ですが、森監督の戦術面については田尾氏は絶賛。
3敗1分けと土俵際に追い込まれた時に開き直ってミーティングなしの方針を打ち出し、反撃開始。
2勝した後で、またミーティングを再開するのかと思ったら、そのままミーティングなしを継続。
「変わってきた流れを大事にしたのでしょう。さすがの勝負師だと思いましたよ」 >>463
おぉ、だから揉める揉めるって言われるけど、人格の問題じゃなくておかしいのはおかしいっていうだけの話でかなりまともではあるんじゃないのか? 落合博満氏と中畑清氏は仲がいい感じだなあ。
やはり巨人で一緒だった時期があって「ミスターを男に」という目的を共有したことが大きいのかな。
田尾氏は落合氏とは相性イマイチな感だけど一緒のチームにいた時期が全くないからなあ。
落合氏は「お前なんで早くに引退してしまったんだよ」と田尾氏に声を掛けてきたり、別段嫌ってはいなさそう。 高橋直樹が巨人OBです、ちゅうたら驚きやけどれっきとしたOBなんやな。
関根潤三はんもそうだし。甲子園のアイドル・太田幸司もそうや。 オチもかねやんも全く気にしてないぞ
球場で会えば普通に挨拶して会話すると言ってたし
オチはあれで先輩を立てるタイプだよ
球界の重鎮たちで落合を嫌ってるやつはほとんどいない 金やんはもう逝ったがな
球界最高のピッチャーは誰か?って質問に金田って言ってた 田尾は落合が労組の組合費払わないのにFA利用したことにご立腹w 掛布もyoutubeで選手会でFA導入活動をして、落合にも協力を求めたけど、我関せずの態度をとっていたのにFAが導入されると一番にFAして「なんだ!この人は」と腹たったと言っていたな。今も落合とは仲悪いみたいだ。 一緒のチームになれば、たちまち仲良くなりそう。
落合博満の不思議な魔力。 >>472
ん、ラジオかユーチューブかで対談してた気が🤔
掛布が一人で落合のことを語ってただけだっけな? >>464
まあ、世の中正論ばかりでは通らないしね。 >>471
流石、中日時代安月給の裏方さんのタバコ🚬を
勝手に吸ってたドケチジジイ
セコいエピソードのオンパレード 巨人時代は元木をパシリにして雑誌とか買いにいかせて金払ってくれなかったとか >>477
これ俺も見たことあるけどほんとかね、選手じゃなくて雑用とかやるチームスタッフがいるわけだしさすがにこれは…と思っちまうけど 秋田繋がりで意外と山田久志ともウマは合ったのでは。落合博満。
グラウンド上では敵チーム同士だったけれども。 盛ったかもしれない記事を鵜呑みにしてそれを思い込みに上書きしていく。
偏ったファンはそういうもの。
一瞬で掌返し。 金田と落合の不仲説の根本にあるのはロッテのキャンプを見に来た金田から
「あんなアッパースイングでプロで通用するか!」と言われたから。
ただし、これは金田以外からも散々言われたらしい。
野村の本では落合が首位打者をとった後だったのに
「アッパースイングを矯正して欲しい」と書かれていた。
昔の選手にはアッパースイングはそれだけ邪道らしい。 「オレは社会人から入って25歳で打たれ強くなっていたからまだ良かったけど、高校出たての子が大選手だった人に、アイツは駄目だ、と言われてごらん。これは相当に悩むと思うよ。あの人は、そういうことは何も考えないのかね。
それで数年後、オレが三冠王になったら、今度は手の平返しだろ。あんないい加減な人種はいないよ」
だいたいこんな感じのニュアンスだった。
あと中日時代に記者に対して「あんな奴の言うことなんて聞かなくていいよ」とコメント。
記者は記事にしなかったが青くなったようだ。
「あんな奴」とは当時の中日監督。昭和が終わる頃。 >>482
野茂英雄はフォームをいじられなくて本当に良かった コーチには選手を殴ることは厳禁と言い渡した。
脱・星野。 因縁の長崎とタイガースで同僚になって麻雀をしたとか >>486
森繁和がピッチャー蹴っても見て見ぬふり 高柳が堂上に死ねと言っても見て見ぬふり 田尾のスレなのに。
>488
実際選手がその当時の監督やコーチを悪く言わないのは何故?
口をつぐんでいるだけ?
その当時の監督やコーチ(ヘッド)が選手の悪口を言うのは聞いたことが無い。
その辺のつじつまが合わない。
田尾はその辺中間管理職の悲哀というか理不尽をを一身に受けて一定数同乗されていたけど
最下位と複数回優勝と実積も違っていてこうも違うかな???? >>487
本人達のせいじゃないもんな
長崎本でも田尾の事は悪く書いてないし 82年のMVPは中尾だけど成績だけ見たら田尾が相応しいと思いました
トップバッターで3割5分、最多安打
詳しく方教えて下さい 最多安打は当時表彰種目ではなかった😭
最終戦5打席連続敬遠のおかげで最高出塁率も実は田尾選手だった筈。 当時のセ・リーグの表彰は率ではなく最多出塁数だな。
タイトル抜きにしてリアルタイムのインパクトは最終戦含めて田尾だったのでMVPが中尾だったのは驚いた。 >>487
「おれトップだからオリるよ」
「なんだ また敬遠か?おれはツッパるぞ これどう?ハズレ? これは?これもハズレ? よーし次は…」
黒江「おい田尾、もうやめとけ」 5打席連続敬遠は漫画の世界でもあった。
4打席目は満塁で敬遠されていた。 おまえら、田尾関係なく、やきうの話がしたいだけ
そういう姿勢だから、焼き豚は、とか言われちゃう >>501
久々に聞いた名前ですな。懐かしい。(*´ω`*) 80年代は記録に現れにくい捕手を高く評価することで通ぶっている人がかなりいたと思う。
中尾МVPや山倉МVPもその流れ。
ただ中尾孝義はキャッチャーとして本当に有能だったと今は思う。斎藤雅樹にとっては藤田元司監督と並んで「恩人」と言っていい存在なのでは。 >>499
中日が勝つか引き分けで優勝、負ければ巨人の2連覇となる1982年10月18日(月曜)、
フジテレビは大洋対中日(横浜スタジアム)の生中継を決めた。
萩本は、日枝久編成局長(当時)から21時開始の『欽ドン!良い子悪い子普通の子』を
通常の録画撮りから生放送への変更を打診され、快諾した。
大洋対中日戦が続いていた21時、萩本が画面に登場。共演の山口良一らに
「どうする?」と聞くと、「野球を見たいです」と返答され、画面はナイター中継に戻った。
結局、『欽ドン!』の放送は20分間に留まったが、名古屋地区で『大洋対中日戦』58.1%、
『欽ドン!』55.7%(ともにビデオリサーチ調べ)と大成功を収めた。
https://www.news-postseven.com/archives/20200308_1547427.html?DETAIL >>504
有田が強気は有名だと思うけど中尾のリードもそうだったんか? 中尾の超攻撃型リード。
中日での晩年は足を活かして(100メートルが11秒台のとても捕手とは思えない能力)外野手に転向したもののコーチと仲が悪く、燻っていた。
巨人へはコーチと仲の悪い同士の交換で来たがは元の捕手に戻され再ブレイク。
中尾のキャリアハイは実は巨人移籍直後の89年かも知れない。悩むタイプの斎藤雅樹に対してドンと構えて狙い球と違ったコースに球が来ても「ドンマイ、ドンマイ気にすんな」とアバウトに接した。
89年から96年までの8年間で最多勝5回。ブレイクするまでに時間が掛かったので200勝には届いていないが、斎藤雅樹こそは巨人軍史上最強の投手だと私は思う。 田尾スレなのに他の選手でレスが伸びるという。
田尾に帰って実積とか足跡を振り返ると
自分や周りを大事にしすぎると周りが期待以下の成績になってしまった。
もう少し立ち回りを上手くすればという思いが絶えず出てくる
でも人間的なものではあまり揶揄されない。
何処に自分の価値の基準を置くか?考えさせてくれる人物だと思う。
(途中で辺に曲げて上にへつらい。数字を後輩の育成無視して残してそのあと出世とか。組合で意見まとめその場ではカッコいい事言って交渉時には簡単に折れるその後言い訳ばっか。とかの人間のなんと多い事よ)
自分もこの年になって見えてきているけど自分お利益だけとか自己中とか周りはよく見えている。
表面ではへつらっていても本音では軽蔑している。
でも本人はカネや名誉の他の尊敬迄欲しようとする。どこまでも欲深いし
俗物性が出てきてそれは顔に現れる。
表面だけの利益だけに執着するのか?筋を通しての生き方を選択するのか?
そういうものを見せてくれる人だと思う。どっちに共感するかは人それぞれ。
でも田尾を好きな人は人の本質を見てのものだと自分は思う。 >周りが期待以下の成績になってしまった。
一部訂正
周りが思う期待以下の成績になってしまった。 捕手MVPつーと
2003年は井川がMVPだったが
1位票は矢野が上回っていた
.328 本14 点79 阻止率.350 上手投げ時代の斎藤雅樹を見て解説の堀内恒夫氏が
「ピッチャーでは通用しない」とまで言った。 >>505
そんなモンティ・パイソンぽいメタな放送だったんだな 強打者の捕手のベスト5は
野村克也、田淵幸一、古田敦也、城島健司、阿部慎之助の各氏ですな。
間違いない。木俣達彦氏も捨てがたいが。 >>505
胴上げの時に近藤貞雄監督が帽子を盗まれていた。 「このクソガキ!」とブチ切れるさまが全国に流れたんだっけ あの年はヤクルトのみ仲間外れで7月上旬では5チームに優勝の目があった。 3番モッカがタイムリー(この時に田尾さんがホームインですな) >>505
バックスクリーン3連発の試合も
欽どこの時間にずれ込んでも最後まで放送して
スタジオで観客とファミリーがテレビ観戦してたな 物心ついたころで
にーばんタヌキがもっこりバンド〜ってワケわかんなかったな 3番モッカはアメリカに戻り
4番谷沢は監督になれず 3番井上日ハムに
よんばんマーチン大洋に
いいぞがんばれドサ回り もーええよドサ回り うちらの近所で流行ってたのは
1番田尾はライオンズorタイガース
2番平野はライオンズ
3番モッカは首になり
4番矢沢はフジテレビ というの 井上は75年に惜しくも首位打者になれなかった井上さんかな(*´ω`*) >>527
移籍先が東京と横浜の球団なのにドサ回りなのかw
井上弘昭なんか広島→名古屋→東京なのに そりゃああんた
世界の首都名古屋からしたら東京横浜なんてクソ田舎に決まっとるでかんわ
つボイさあも言っとらっせるで
瑞穂が国立競技場に 小牧が国際空港になるのだ〜〜!! て >>531
そりゃあ名古屋は1981年にオリンピック開催地に選ばれたくらい大都市ですからね。😊 >>532
母親の出身地ってだけで内情知りつつ外から冷ややかに見てただけの俺には効かないからねw 山崎武司の応援歌に使われたアレも燃えドラっぽい曲調だが
山本正之が出身の名古屋人の田舎者気質を内心小馬鹿にしてたんじゃないのか? >>536
YAHOOに載っている牛島の回想面白いな。
ああいう風だったからトレードの対象にされたんだろうなとも思う。 フロントと星野というダブルパンチはあるが、あの時代問題なく中日一筋で引退できた選手の実に少いこと 星野は別にやり方としてはおかしくないじゃろ?たしかに日本の風土的にはそう感じたりもするけど 1982年の開幕ナインを見ると中日で終われたのが谷沢と小松しかいない
谷沢にしたって星野に引退勧告されての引退だったし モッカはオールスターに選ばれるなど、なかなか優良外国人選手でした。 >>540
中日一筋の山本昌は例外中の例外ですね。82年組ではないですが。 星野仙一からするとトレードを積極的に行った根本陸夫は、まだ穏やかな感じがする。 >>535
山本正之は三河者定期
名古屋人とは似て非なる物 >>540
やはり平野謙のトレードが
田尾の時以上にショックだった 松永FAで年俸の1.5倍の保証金得たと思えば大損でもないな 補償金の間違い
田尾の時代にFAがあればどのタイミングで中日出たかな FAがなかったから一つの球団で選手生活を終えたものの、当時FA制度があったら確実に行使した選手は………う〜ん。 >>551
田尾と首位打者を争った長崎は実は1981年の時点で
「俺を放出してくれえ」と訴えていた
FAあったら宣言していただろうな 「オレを出してくれ」と「オレに出してくれ」で事情は異なる。
前者は西武時代の田尾さんで、後者は中日時代の田尾さん。 田尾は森の何が気に食わなかったのだろうね
清原云々の話は別に森に落ち度はない
阪神の中村批判も引退を相談したら止めて欲しかったとか
止めてくれないから批判とか
ちょっと自分に甘いよは 森を気に食わなかったのではなく森が田尾を気に食わなかった。
モノの言いようだと思うがズバッというから森も必要以上のマイナスな解釈
をしたのでは?と思う。
特に性格が違い過ぎるからスタメンに出さない。優先させないという選択を森はしたのだろう。森の性格もどうかと思うけど。 【田尾安志選手の監督との相性】⬅想像です。
与那嶺要監督 ➡ 相性△
中利夫監督 ➡ 相性△
近藤貞雄監督 ➡ 相性◎
山内一弘監督 ➡ 相性△
広岡達朗監督 ➡ 相性◯
森祇晶監督 ➡ 相性✕
吉田義男監督 ➡ 相性◯
村山実監督 ➡ 相性✕
中村勝広監督 ➡ 相性✕
中日フロント ➡ 相性✕
西武フロント ➡ 相性◎
阪神フロント ➡ 相性△ 立場が上の人の理不尽を許せんとか思っちゃうタイプなだけじゃないのか?後輩とは揉めなさそう なにしろ公立の弱小野球部に入っちゃって、1年生の時からリーダー面してた人だから 同志社大も単位取得を最優先してたから
体育会系にありがちな上下関係もゆるかったんかな ヤフコメの欄(わりと最近の話)見たら、かつてナゴヤ球場でボールボーイを務めていたという人が「田尾さんは本当に気さくに声を掛けてくれる人でした」というコメントがありました。 泉尾から同志社とか
北陽から早稲田とかあんのか
地頭よくても授業内容が低次元過ぎるだろw 千葉東高から早稲田大と順当な道を進んだが
早大野球部と夢である教職取得は両立できないと思い知らされて早々に野球部を辞めた市原稔氏 大学を卒業出来なかった選手でベスト9を組んだらかなり強力なチームが出来る筈。 83年から87年まで5年連続違う監督ってこんなやつ他にいるのか?
暗黒横浜でも2年やってるわけだし 83年近藤貞雄
84年山内一弘
85年広岡達朗
86年森祇晶
87年吉田義男
88年村山実
6年連続やね。 一般社会なら異動・転職しまくりのニイちゃんやないか 異動はそんなにしないが上司がコロコロ変わる人。
西武時代の上司はどちらも現役時代は二人の上司にしか仕えていない。 中日時代のコーチの黒江透修さんは巨人の現役時代では川上哲治監督しか関わっていない。
アレ⁉ 西武時代も黒江透修さんはコーチとして田尾さんと接点あり、か。 >>567
後藤光尊
2002 石毛
2003 石毛、レオン
2004 伊原
2005 仰木
2006 中村
2007 コリンズ
2008 コリンズ、大石 >>566
そもそも大学出身選手でちゃんと単位取って卒業した方が稀では 現巨人監督は中央大学四年間で8単位しか取ってない伝説 でもスポーツで入れたんならスポーツを全うしたらそれでよしとして単位よこせよな ソフバン和田や高橋由伸は大学卒業式で学友達との記念写真をスポーツメディアにバンバン撮らせてた
「おれは野球バカどもと違ってちゃんと勉強して卒業してるぞ」アピールだったのだろうな 江本
「プロ野球選手は〇〇大学■■学部卒ではありません!〇〇大学野球部卒なんです」 >>579
それだけじゃわからんぞ、卒業式の日にスーツ着て式場まで行くのは自由やろうし笑 国家資格取ってる人は卒業してる可能性が高いな
片平は東農大卒で林業の測量の資格を所持
あと東北福祉大は将来を見据えて福祉の資格を取ってちゃんと卒業しないとプロ入りさせないって聞いた 星野は明治大学島岡学部野球学科卒
本人が言ってるんだから間違いない
小池百合子はカイロ大学2年次編入、3年になれず退学 くふうハヤテに群馬大医学部の人がいたなあと思って調べたら
ちゃんと医師国家試験に受かって卒業していた
医学部でも看護学科なのではとか失礼なことを考えてしまった >>581
いや卒業証書入れた筒も持ってたぞ
中身空っぽの筒だけ用意して持ってったとかなら知らんw >>582
金本アニキも大魔神も予祝矢野も福祉資格持ってるのか >>582
片平さん偉いなあ(*´ω`*)
東農大みたいな大学は絶対に廃れることはないでしょうな。
私は大学の学食を幾つか回りました。基本、一般人の利用も可です。
学生相手ですから日曜は普通休みですが、安いのがなんといっても魅力。
自分の母校(そこしか受からず。中堅私学)の学食は土曜の昼などは
年配の方に加え、下見に来たと思われる高校生の姿もありました。
他に早稲田大学、法政大学、北海道大学、鹿児島大学の学食を利用したことがあります。山梨大学構内で売っていたワインをお土産に購入したこともありました。 教員免許持ってる奴はそれが生かされる事がないぐらい活躍する法則
栗山は微妙だったけど 南海の市原通訳は
早大野球部は教員免許取得と両立できるほど甘くないと言われ退部したらしいが
早稲田出身のプロ選手で持ってる奴はやはりいないのかな 早稲田の教育は「教育学部なのに教員免許取る奴が少ない」として有名
ただ昔の野球部員はほとんどが教育の体育専修だったから、
プロへ行けるほどでもない奴は体育教諭の免許取ってるのが多かったと思う しかし、皆さん、よう知ってまんな。
ワシなんか秋山翔吾以外のエピソード、まるで知りませんでしたぞ。 でもプロスカウトなどとひと悶着ありそう。
>大学監督
ドラフトなどで獲ってもその球団育成などで周りからクレーム入ると
一直線に抗議しに行きそう。
そこで溝とか出来て。。。ルートが狭まって
筋を通したい田尾とルートを広げたい大学側で。
と予想してしまう。
育成については問題ないかと。 あんまり強豪でないチームの底上げ役には向いているのでは。 >>567
山崎武もそうかな
01年から06年まで一年ずつ違う監督
おそらくこれが記録のはず 田尾さんが日本記録タイの保持者の筈です。
6年連続違う監督。 と思ったら>>572の書き込み見落としておった(汗) 88年のオフに阪神のフロントに移籍志願をしたら良かったかも。
村山実監督と合わなかった筈だから。
移籍先はロッテあたり。
89年は有藤通世監督。
で90年に金田正一監督と反りが合わずにオフにトレード。
移籍先は横浜大洋。
91年は須藤豊監督。92年途中から江尻亮監督。93年は近藤昭仁監督。 >>602
いやもう 単位なんて落としほうだいw
でもこれ誰でも成立しちゃうな >>610
とくれば 法政三バカスとか言われた富田勝氏も 江川卓氏はどうだろうか。
一浪して慶応大学進学しても良かったのでは。 ただの無駄よ、まあ法政に行ったのも無駄でしかなかったと思うけど 江本孟紀氏は高校時代ハイネの詩集を読んでいたとの証言があった。 >>402
田尾さんは、こういうエピソードは聞かない。 真弓選手は353で首位打者も獲得。息の長い選手になりました。 高橋慶彦と田尾安志のトレードは成立しなかったですな。(゜-゜) >>619
ハムも一言居士みたいな選手には報復する印象だが 日本ハムは東映色の一掃を計っていた節があった。
70年代の半ばくらいの話。 広島のフロント、よっぽど高橋慶彦のことが嫌いだったんだと思う。
主要交換要員の高沢選手をロッテにすぐ戻している。