監督としての王貞治の思い出
鴻野ジュンキとかよく使ってたな。
斎藤雅樹を中継ぎにしたり。
藤田監督とは対称的だった。 細かく分類すると4期くらいになるか?
第1期 名監督の期待も霧散と消えた巨人監督時代(84〜88年)
第2期 生卵時代に象徴されるダイエー初期(95〜98年)
第3期 2度の日本一に輝いたダイエー黄金時代(99年〜03年)
第4期 プレーオフ敗退が秋の風物詩と化した末期(04〜08年)
3 藤田第二期の辛気臭さは異常だった
三本柱に頼りきりで打線はゴミ
ドラフトはゴミ未満
日本シリーズは西武に4タテ
その後はオープン戦すら全敗
あれなら王時代の方がマシ 巨人時代の王監督は異様なまでにマスコミに叩かれていたな。
相当参っていたらしく、記者に対して「なんだ、素人のクセに!」と
怒鳴ったこともあるとか。 堀内は王にパンチ100発くらった恨みがあるから王監督時代に解説で「この人は何を考えてるのかさっぱりわからない」だの
いちゃもんつけてたな
中畑にはわん公言われるし選手、OB、マスコミ、ファン全員に嫌われてたよな
限界集落の九州に逃げてからは何をやってるのか目立たなくなったからとくに話題にもならずいつのまにかフェードアウトしてた それより「助監督」3年もやってるのに その期間の印象がほとんどない ちなみに当時の巨人の選手で王派といえる人はいたの? 54本バースとの最終二連戦
「ちゃんと勝負しろ」という指示を投手に出さず、
無言で暗に(もし勝負したらどうなるか、わかってるだろうな、空気読めよ)と
若手投手陣にプレッシャーかけて四球攻めを余儀なくさせた陰湿な男 強いてあげれば
クロマティとか呂とか王派かな
当時の巨人の日本人選手で完全な王派なんてほぼいないかも 86年にバースにワンポイントで木下を出したら見事にホームランされて目の玉を血走らせた王監督が出てきて即座に投手交代を告げていた あまり奇策に走らずオーソドックスな采配しかしないからな
ダイエーで結果が出ない頃、誰が監督でもやる鉄板継投で
打たれて負けたとき、「下手くそ採(誤字)配王貞治」の横断幕出されたのは
かわいそうと思った 井口小久保松中城島を育て上げ
斉藤和田杉内新垣という投手陣を整備した >>17
便乗犯に屋台のタコ焼き屋が卵を高値で売りつけたというまことしやかな話 >>18
みんな囲い込みでとった選手だから王の功績でもなんでもない >>22
自著にはむしろ孤独な王の話を俺が聞いてやったというような記述があるが 巨人時代は評論家に散々に言われていた
評論家が言ったことを少し後になってから、さも自分が考えたように試合で実行するが、
時期がずれているのでかえって悪い結果になる、
そういう姑息なやり方がいけないなどとも言われていたな 奇策といえばまさかの西本を開幕投手に抜擢したことかな。 監督の時、ベンチでよくらシャドースイングしてた。
もどかしかっただろう。 83年日本シリーズ第6戦後
王 泣いても笑っても明日が最後。思い切っていこー
森 西本のシュート狙え。シュートシュート。原は内角・・・
ミーティングの差 駒田が難しい球をうまくとらえてヒットにしたらベンチで王監督に
「おいお疲れ、お前あの球打ってホームランになるのか」とブチギレられたってな
さすがのお疲れもその場で悔しくて号泣したってな
そして荒川道場に二度といかないと思ったらしい 江川がバースに後楽園で場外ホームラン打たれた瞬間
なにか物凄い叫んでたけど何を言ったのだろう 長嶋さんに育てられた選手が大半だったから
長嶋さんのライバルの王監督に対して微妙に含むところが有って
大事な時にもう一歩、力が出ないんですよね。
王さんもやり難かったと思います。 ONの後任という嫌な役割を二度もやらされた藤田
自分の後任もONという
それでいてしっかりと結果を残したのはすごい >>28
駒田如きに期待をかけ過ぎたのと駒田の根性無し😟
2000本安打も達成したので荒川道場の成果もあった🤭 作家の佐藤愛子が第一次長島監督時代に、マスコミによるバカ殿扱いに
憤慨し「王さんも引退後は監督になるでしょうが、それで成績が思わしく
なければやはりこんなに叩かれるんですか」と、知り合いの新聞記者に聞
いたそうです。
その記者は「それだけはあり得ません。王さんに限っては批判する人は
いません。あの人は完璧なのです」と答えたとか。その頃はそういう認識
だったんですね。実際には王采配への批判は、長島監督以上となりました。 日経新聞の私の履歴書に、助監督は責任のないポジションで勉強にならなかった、一度ユニフォームを脱ぐべきだったと書いていたな
あと胃がんの手術した時もチームに迷惑をかけたので辞任すべきだったと 96年の暴動の時は辛かっただろうな
97年の時に審判に直立不動で手を挙げて抗議してたのを見て王さんも情緒がかなり不安定
だったようにも思う。
果たしてこんな所で終わってよい人なのかと思って見ていたあの頃は じつは巨人人気の絶頂期は王監督、藤田監督時であり長嶋監督時代ではない
長嶋人気というのは芸能人とマスコミが作り上げた幻想なのだ フルタの方程式で鹿取が出てて面白かったわ
岩瀬の投球理論に大興奮してたw
鹿取山本昌岩瀬は投球スタイルが似ていて肘を効かせない投げ方だったからあんなに沢山投げても壊れなかったということらしい。 >>30
長嶋派だけでなく藤田派からも造反されてどうすりゃいいんだ状態だった 巨人の監督最終年はツキが無かった
前年13勝の江川が引退、シーズン中にクリーンアップ二人が相次いでケガで離脱すれば、そりゃ優勝できんわ >>40
松本の引退、東京ドームの開園
この2つが大きいな。
ポスト松本と、ドーム新時代の申し子を求めていた。
あと前年の日本シリーズで西武に走られて負けたのもサカえもんを重宝する動機
を後押しした。
緒方があと1年早く出ていればな、と思う。もっともサカえもんが潰れたから
代役で緒方に役が巡ってきたのかも知れないが。 監督就任の84年に対中日戦14連敗
郡山のゲームで西本が9回2死から豊田にカーブを投げて逆転ツーラン浴びるとか冴えなかった あれと角のサヨナラ押し出しか
あの年の対中日戦の暗黒を象徴する2試合だな 打者の指導、育成は原や藤田よりは長けていたな、やはり。あとはクロマティとか外国人とかも。 逆にいうとクロマティという巨人史上最強助っ人というアイテムを持ち合わせながら、
就任から3年連続で優勝逃したのはいかにもまずいな 84年 3位 防御率2位 打率3位 本塁打数2位
85年 3位 防御率1位 打率2位 本塁打数3位
86年 2位 防御率2位 打率2位 本塁打数2位
87年 優勝 防御率1位 打率1位 本塁打数2位
88年 2位 防御率2位 打率2位 本塁打数2位
やはり戦力的には総合的に見て84年以外は
セリーグナンバー1だったのではないかと>王巨人 クロマティは息子のミドルネームを「オー」にしたほど王を敬愛していた
ちなみにガリクソンの息子のミドルネームは「クワタ」
後は王派と言えば鹿取
酷使と言われたが抑えをまかされた頃は幸福だったそうだ
レギュラーにしようと使ってもらえて感謝していたのが駒田 >>46
バレンティンいたときのヤクルトなんか大暗黒だったり、助っ人で勝てるほどあまくない
更に言うなれば守備でも安打製造機はセ・リーグでは厳しいよ 薄暗いベンチで目の落ちくぼんだ王の暗い表情がテレビ画面に映し出されるのは
ある種のホラーだった 王巨人って1度もBクラスになってないのに
暗黒臭がすごかった 85年のシーズン最終戦。
自身の記録を破られまいとバースとの勝負を避けたが、
その都度レフトスタンドからは「王出てこい」コールの大合唱。
そして翌日の某スポーツ紙の見出しが「後楽園 最 醜 戦」 >>48
これ見ると、クロマティと吉村が頑張ってただけだな。原は87 88 以外役に立ってない。 ミーティングでは選手達が、それは王さんだから出来たと納得できない。
自分の見解だと王さんの現役時代も巨人軍もホークスとは違うだろうし。
そうして、手前味噌で悪いけど、と始めに付け加えて話をするようになった。(斉藤和巳 選手サロンで出されていたバナナを全部棄てて「台湾バナナ」以外はバナナとは言わない!と1人で説きだしと愛国心をそんな事で出すなよと選手に陰で笑われてたこと 原が藤田好きすぎてずっと反発していたのも問題あったわ
敬愛する藤田追い出してやってきたならず者にしか見えなかったんだろうがああいった立場の人間で造反かましてきたら崩壊は火を見るよりも明らか
しかも追い出してまた藤田とか読売も甘やかしたもんだわ
気に入らなければ荒らして壊し要望を通すのはテロの手口と変わらないわ
こういう獅子身中の虫はどうにかできないもんなのかね 現役時は偉大な選手で孤高の人でもあり、現役選手とかは子供、息子にしか見えない。
話をする時には真面目に一生懸命に伝えようと力説するが、選手達の中には好き嫌いが芽生え始め・・・。
絶対的に優勝を目指す王監督と、それを後押しするコーチ陣や上手くいかない選手達との間に溝が出来てしまった。
普通なら監督をやめるが、黒歴史を残したくないので頑張り続けた。
自軍にハッパをかけ続ける監督、これに選手達から悲鳴が上がったのかもしれない。不器用な人なので人を操縦する術に少し欠けていたのかもしれない。
コーチ陣もそうだが、マネージャーが上手い人だったら良かったかもしれない。
大変だった監督業を長くやって結果も残したのだから、やっぱり凄い人だった。 1988年に辞任会見をしたらその直後の試合で打ちまくって大勝して
ビートたけしが「ありゃ嫌われていたんだな」と言っていた
あの時に最初に後任を打診したのは広岡だったって話だね >>54
当時を知らない人?
当時のセリーグは実質4球団でペナントを争っていたようなもの。
87年以降は(阪神が暗黒時代に突入したため)実質3球団。
巨人の戦力考えれば誰が監督やってもAクラスは確保できたよ。 >>58
その話は知らないな そんなバナ いや
愛国心たって日本生まれ日本育ちの大陸ルーツで便宜上台湾籍なだけだし >>54
日本一、僅差の2位、優勝の監督わざわざすげ替えて
その後3年優勝も出来ずではなあ
巨人嫌いだったからざまあとは思ったけど その話は眉唾だな
王さんは自分は日本人だと言ってる
そらそうだ王さんが日本人じゃないと思ってる日本人は一人もいないだろう >>64
それにクロマティが上乗せされてその体たらくだもんな 王がホークスの監督に就任する際に、藤田元司氏がいろいろとバックアップ
してあげたエピソードは本当だよね?
あの話で俺の中で藤田氏の株が爆上がりした >>67
そもそも悩んでいた時に唯一背中を押してくれたOBで並々ならぬ感謝をしているとか本人が 助監督時代ってどんな雰囲気だったんだろうね
立場的に微妙だったのかな 長さんが居なくなったという事だけでも雰囲気が大分良くなったから。
81年は日本一で83年にリーグ優勝と見違えるように強くなった。 藤田さんと牧野さんがどっしり構えてる隣で王さんがそわそわ落ち着きのない姿が見て取れた。
この人は次期監督には余り向かないかなと思ってみてた。 >>71
西本、広岡、仰木とどんな時でもどっしり構えているのが名将の共通項だね >>71
いくら次の監督が約束されているとはいえ
今の自分はまったく必要のない存在というのを感じていた現れでは 初めての日本一の時も
初めての世界一の時も
流れを大きく引き寄せる印象的なプレーをした
福留孝介も引退しちまったなぁ… >>59
星野や野村がやったみたいに藤田派や長島派の内乱分子を切ってしまえばどうだっただろ >>76
今思い返せば星野凄かったな
1982年の優勝メンバーを次々に切って残れたのは宇野位だった プーチンや金平とやってることは一緒だな
独裁恐怖政治だ 生え抜きの価値が巨人と中日じゃ違うだろう
中日は内紛放出が伝統みたいなもんだし 99年の吉永のスクイズに批判してる人達に対して
あれを思いつくのは俺だけ 勝つための最善策の采配であれを批判してる人は勝つ気が無い人達と堂々と語ってた 牧野ヘッドコーチは当時の王助監督に何度か、三塁ベースコーチに立ってみてはどう?と勧めていたとのことだが そらあ客も喜んだろうになあ 一本足で腕グルグルとかさ ダイエー時代の王監督は、1999年に優勝できなければこの年で辞任するつもりだったらしいね。
また、2003年も優勝できなければ危うかったのでは?連覇の後2年連続V逸だったし。 ダイエー(ソフトバンク)の監督は相当長くやってたよな
最初の数年や晩年のほうは大変だったろうけど 1999年は工藤や篠原、ペドラザら投手力ばかり言われるが、打線もなかなかのもの
3割打者は城島だけだが二桁本塁打は小久保、松中、城島、ニエベス、吉永、井口、秋山と7人もいる
これはリーグ最多 監督最後の年の08年
まさか最下位になるとは思わなかったな
確か9月になった時点ではまだAクラスにいて
そこから大失速したんだっけ 結果論的に考えて、王さんは何年でホークス監督を勇退するのが良かったんだろうか?
@2009年も続投、2011年の3連覇で有終の美
A史実どおり2008年
B長期休養明けも3位の2007年
C長期休養し3位に終わった2006年
D西武に20年連続負け越しで連覇が途絶えた2001年 手術したシーズンに辞めるべきだったな
ラストイヤーは痩せすぎて帽子がでかく見えるくらいだったし、あまりにも哀れで最下位でもあまり批判されなかったくらい >>88
なかなかっていっても近鉄ハムよりも迫力はないだろ
打つチームは倒壊(近鉄ハム)
投手力のチームは貧打(ロッテオリックス)
よりも投打のバランスがよかったと言うだけで
でもこの年一番得失差があったオリックスが3位
最終的には尾花が救援陣のやりくりをうまくやった成果 2008年の北京五輪日本代表は、王監督しかあり得なかったのではないか?
何より王さんならそのカリスマだけで金メダルに導けた事間違いないし、
イチロー、城島、松井稼頭央、松坂、黒田も「王監督のために」とメンバー入りしたはずだ。 >>93
その頃の王監督の体調、手術後で一番悪かったから、無理 08年に明石の本塁突入に細川のプレーに抗議してあわや退場になりかけたけどその時のコメントがあんなラフプレーは駄目世界中に映してもいいくらいと言ってたけど今ならコリジョンだよね?
多村に対しても同じプレーしたの? 08~09年は北京でやらかした星野ほどではないが王も求心力や政治力に陰りが出て下野を求められてきた感があったな
長く当選していた政治家がバタリと多選理由に有権者から引っ込められるように
野球の力学だとVやねん&WBCで原と星野に対するアンチテーゼや楽天が安定してきての野村が当時は求められていたような
会長になり補強プランが当たって黄金期に入り名誉回復した感じ >>28
これは言い方と当時の王の立場、駒田の変な特性+結果は出た打席だったというのがまずいけど成績を残す為の真理じゃないか、上4つの内2つでも違ってたらずっと感謝されたかもな 王は大豊泰昭の訃報の際に「結果を残せなかった選手」ってコメントしてたのが許せんわ
台湾出身で、王への憧れを公言していた選手なのに
しかも本塁打王打点王も取って結果は十分残している 勝てないからって球団買収から7、8年もたってるのに
「南海の負け犬根性」となすりつけたと言う話はガチ? >>97
あとはピーコにどんでんに
ノム以外のアンチ巨人が好きそうな名前は粗方ダメだったはず