監督としての王貞治の思い出
鴻野ジュンキとかよく使ってたな。
斎藤雅樹を中継ぎにしたり。
藤田監督とは対称的だった。 細かく分類すると4期くらいになるか?
第1期 名監督の期待も霧散と消えた巨人監督時代(84〜88年)
第2期 生卵時代に象徴されるダイエー初期(95〜98年)
第3期 2度の日本一に輝いたダイエー黄金時代(99年〜03年)
第4期 プレーオフ敗退が秋の風物詩と化した末期(04〜08年)
3 藤田第二期の辛気臭さは異常だった
三本柱に頼りきりで打線はゴミ
ドラフトはゴミ未満
日本シリーズは西武に4タテ
その後はオープン戦すら全敗
あれなら王時代の方がマシ 巨人時代の王監督は異様なまでにマスコミに叩かれていたな。
相当参っていたらしく、記者に対して「なんだ、素人のクセに!」と
怒鳴ったこともあるとか。 堀内は王にパンチ100発くらった恨みがあるから王監督時代に解説で「この人は何を考えてるのかさっぱりわからない」だの
いちゃもんつけてたな
中畑にはわん公言われるし選手、OB、マスコミ、ファン全員に嫌われてたよな
限界集落の九州に逃げてからは何をやってるのか目立たなくなったからとくに話題にもならずいつのまにかフェードアウトしてた それより「助監督」3年もやってるのに その期間の印象がほとんどない ちなみに当時の巨人の選手で王派といえる人はいたの? 54本バースとの最終二連戦
「ちゃんと勝負しろ」という指示を投手に出さず、
無言で暗に(もし勝負したらどうなるか、わかってるだろうな、空気読めよ)と
若手投手陣にプレッシャーかけて四球攻めを余儀なくさせた陰湿な男 強いてあげれば
クロマティとか呂とか王派かな
当時の巨人の日本人選手で完全な王派なんてほぼいないかも 86年にバースにワンポイントで木下を出したら見事にホームランされて目の玉を血走らせた王監督が出てきて即座に投手交代を告げていた あまり奇策に走らずオーソドックスな采配しかしないからな
ダイエーで結果が出ない頃、誰が監督でもやる鉄板継投で
打たれて負けたとき、「下手くそ採(誤字)配王貞治」の横断幕出されたのは
かわいそうと思った 井口小久保松中城島を育て上げ
斉藤和田杉内新垣という投手陣を整備した >>17
便乗犯に屋台のタコ焼き屋が卵を高値で売りつけたというまことしやかな話 >>18
みんな囲い込みでとった選手だから王の功績でもなんでもない >>22
自著にはむしろ孤独な王の話を俺が聞いてやったというような記述があるが 巨人時代は評論家に散々に言われていた
評論家が言ったことを少し後になってから、さも自分が考えたように試合で実行するが、
時期がずれているのでかえって悪い結果になる、
そういう姑息なやり方がいけないなどとも言われていたな 奇策といえばまさかの西本を開幕投手に抜擢したことかな。 監督の時、ベンチでよくらシャドースイングしてた。
もどかしかっただろう。 83年日本シリーズ第6戦後
王 泣いても笑っても明日が最後。思い切っていこー
森 西本のシュート狙え。シュートシュート。原は内角・・・
ミーティングの差 駒田が難しい球をうまくとらえてヒットにしたらベンチで王監督に
「おいお疲れ、お前あの球打ってホームランになるのか」とブチギレられたってな
さすがのお疲れもその場で悔しくて号泣したってな
そして荒川道場に二度といかないと思ったらしい 江川がバースに後楽園で場外ホームラン打たれた瞬間
なにか物凄い叫んでたけど何を言ったのだろう 長嶋さんに育てられた選手が大半だったから
長嶋さんのライバルの王監督に対して微妙に含むところが有って
大事な時にもう一歩、力が出ないんですよね。
王さんもやり難かったと思います。 ONの後任という嫌な役割を二度もやらされた藤田
自分の後任もONという
それでいてしっかりと結果を残したのはすごい >>28
駒田如きに期待をかけ過ぎたのと駒田の根性無し😟
2000本安打も達成したので荒川道場の成果もあった🤭 作家の佐藤愛子が第一次長島監督時代に、マスコミによるバカ殿扱いに
憤慨し「王さんも引退後は監督になるでしょうが、それで成績が思わしく
なければやはりこんなに叩かれるんですか」と、知り合いの新聞記者に聞
いたそうです。
その記者は「それだけはあり得ません。王さんに限っては批判する人は
いません。あの人は完璧なのです」と答えたとか。その頃はそういう認識
だったんですね。実際には王采配への批判は、長島監督以上となりました。 日経新聞の私の履歴書に、助監督は責任のないポジションで勉強にならなかった、一度ユニフォームを脱ぐべきだったと書いていたな
あと胃がんの手術した時もチームに迷惑をかけたので辞任すべきだったと 96年の暴動の時は辛かっただろうな
97年の時に審判に直立不動で手を挙げて抗議してたのを見て王さんも情緒がかなり不安定
だったようにも思う。
果たしてこんな所で終わってよい人なのかと思って見ていたあの頃は じつは巨人人気の絶頂期は王監督、藤田監督時であり長嶋監督時代ではない
長嶋人気というのは芸能人とマスコミが作り上げた幻想なのだ フルタの方程式で鹿取が出てて面白かったわ
岩瀬の投球理論に大興奮してたw
鹿取山本昌岩瀬は投球スタイルが似ていて肘を効かせない投げ方だったからあんなに沢山投げても壊れなかったということらしい。 >>30
長嶋派だけでなく藤田派からも造反されてどうすりゃいいんだ状態だった 巨人の監督最終年はツキが無かった
前年13勝の江川が引退、シーズン中にクリーンアップ二人が相次いでケガで離脱すれば、そりゃ優勝できんわ >>40
松本の引退、東京ドームの開園
この2つが大きいな。
ポスト松本と、ドーム新時代の申し子を求めていた。
あと前年の日本シリーズで西武に走られて負けたのもサカえもんを重宝する動機
を後押しした。
緒方があと1年早く出ていればな、と思う。もっともサカえもんが潰れたから
代役で緒方に役が巡ってきたのかも知れないが。 監督就任の84年に対中日戦14連敗
郡山のゲームで西本が9回2死から豊田にカーブを投げて逆転ツーラン浴びるとか冴えなかった あれと角のサヨナラ押し出しか
あの年の対中日戦の暗黒を象徴する2試合だな 打者の指導、育成は原や藤田よりは長けていたな、やはり。あとはクロマティとか外国人とかも。 逆にいうとクロマティという巨人史上最強助っ人というアイテムを持ち合わせながら、
就任から3年連続で優勝逃したのはいかにもまずいな 84年 3位 防御率2位 打率3位 本塁打数2位
85年 3位 防御率1位 打率2位 本塁打数3位
86年 2位 防御率2位 打率2位 本塁打数2位
87年 優勝 防御率1位 打率1位 本塁打数2位
88年 2位 防御率2位 打率2位 本塁打数2位
やはり戦力的には総合的に見て84年以外は
セリーグナンバー1だったのではないかと>王巨人 クロマティは息子のミドルネームを「オー」にしたほど王を敬愛していた
ちなみにガリクソンの息子のミドルネームは「クワタ」
後は王派と言えば鹿取
酷使と言われたが抑えをまかされた頃は幸福だったそうだ
レギュラーにしようと使ってもらえて感謝していたのが駒田 >>46
バレンティンいたときのヤクルトなんか大暗黒だったり、助っ人で勝てるほどあまくない
更に言うなれば守備でも安打製造機はセ・リーグでは厳しいよ 薄暗いベンチで目の落ちくぼんだ王の暗い表情がテレビ画面に映し出されるのは
ある種のホラーだった 王巨人って1度もBクラスになってないのに
暗黒臭がすごかった 85年のシーズン最終戦。
自身の記録を破られまいとバースとの勝負を避けたが、
その都度レフトスタンドからは「王出てこい」コールの大合唱。
そして翌日の某スポーツ紙の見出しが「後楽園 最 醜 戦」 >>48
これ見ると、クロマティと吉村が頑張ってただけだな。原は87 88 以外役に立ってない。 ミーティングでは選手達が、それは王さんだから出来たと納得できない。
自分の見解だと王さんの現役時代も巨人軍もホークスとは違うだろうし。
そうして、手前味噌で悪いけど、と始めに付け加えて話をするようになった。(斉藤和巳 選手サロンで出されていたバナナを全部棄てて「台湾バナナ」以外はバナナとは言わない!と1人で説きだしと愛国心をそんな事で出すなよと選手に陰で笑われてたこと 原が藤田好きすぎてずっと反発していたのも問題あったわ
敬愛する藤田追い出してやってきたならず者にしか見えなかったんだろうがああいった立場の人間で造反かましてきたら崩壊は火を見るよりも明らか
しかも追い出してまた藤田とか読売も甘やかしたもんだわ
気に入らなければ荒らして壊し要望を通すのはテロの手口と変わらないわ
こういう獅子身中の虫はどうにかできないもんなのかね 現役時は偉大な選手で孤高の人でもあり、現役選手とかは子供、息子にしか見えない。
話をする時には真面目に一生懸命に伝えようと力説するが、選手達の中には好き嫌いが芽生え始め・・・。
絶対的に優勝を目指す王監督と、それを後押しするコーチ陣や上手くいかない選手達との間に溝が出来てしまった。
普通なら監督をやめるが、黒歴史を残したくないので頑張り続けた。
自軍にハッパをかけ続ける監督、これに選手達から悲鳴が上がったのかもしれない。不器用な人なので人を操縦する術に少し欠けていたのかもしれない。
コーチ陣もそうだが、マネージャーが上手い人だったら良かったかもしれない。
大変だった監督業を長くやって結果も残したのだから、やっぱり凄い人だった。 1988年に辞任会見をしたらその直後の試合で打ちまくって大勝して
ビートたけしが「ありゃ嫌われていたんだな」と言っていた
あの時に最初に後任を打診したのは広岡だったって話だね >>54
当時を知らない人?
当時のセリーグは実質4球団でペナントを争っていたようなもの。
87年以降は(阪神が暗黒時代に突入したため)実質3球団。
巨人の戦力考えれば誰が監督やってもAクラスは確保できたよ。 >>58
その話は知らないな そんなバナ いや
愛国心たって日本生まれ日本育ちの大陸ルーツで便宜上台湾籍なだけだし >>54
日本一、僅差の2位、優勝の監督わざわざすげ替えて
その後3年優勝も出来ずではなあ
巨人嫌いだったからざまあとは思ったけど その話は眉唾だな
王さんは自分は日本人だと言ってる
そらそうだ王さんが日本人じゃないと思ってる日本人は一人もいないだろう >>64
それにクロマティが上乗せされてその体たらくだもんな 王がホークスの監督に就任する際に、藤田元司氏がいろいろとバックアップ
してあげたエピソードは本当だよね?
あの話で俺の中で藤田氏の株が爆上がりした >>67
そもそも悩んでいた時に唯一背中を押してくれたOBで並々ならぬ感謝をしているとか本人が 助監督時代ってどんな雰囲気だったんだろうね
立場的に微妙だったのかな 長さんが居なくなったという事だけでも雰囲気が大分良くなったから。
81年は日本一で83年にリーグ優勝と見違えるように強くなった。 藤田さんと牧野さんがどっしり構えてる隣で王さんがそわそわ落ち着きのない姿が見て取れた。
この人は次期監督には余り向かないかなと思ってみてた。 >>71
西本、広岡、仰木とどんな時でもどっしり構えているのが名将の共通項だね >>71
いくら次の監督が約束されているとはいえ
今の自分はまったく必要のない存在というのを感じていた現れでは 初めての日本一の時も
初めての世界一の時も
流れを大きく引き寄せる印象的なプレーをした
福留孝介も引退しちまったなぁ… >>59
星野や野村がやったみたいに藤田派や長島派の内乱分子を切ってしまえばどうだっただろ >>76
今思い返せば星野凄かったな
1982年の優勝メンバーを次々に切って残れたのは宇野位だった プーチンや金平とやってることは一緒だな
独裁恐怖政治だ 生え抜きの価値が巨人と中日じゃ違うだろう
中日は内紛放出が伝統みたいなもんだし 99年の吉永のスクイズに批判してる人達に対して
あれを思いつくのは俺だけ 勝つための最善策の采配であれを批判してる人は勝つ気が無い人達と堂々と語ってた 牧野ヘッドコーチは当時の王助監督に何度か、三塁ベースコーチに立ってみてはどう?と勧めていたとのことだが そらあ客も喜んだろうになあ 一本足で腕グルグルとかさ ダイエー時代の王監督は、1999年に優勝できなければこの年で辞任するつもりだったらしいね。
また、2003年も優勝できなければ危うかったのでは?連覇の後2年連続V逸だったし。 ダイエー(ソフトバンク)の監督は相当長くやってたよな
最初の数年や晩年のほうは大変だったろうけど 1999年は工藤や篠原、ペドラザら投手力ばかり言われるが、打線もなかなかのもの
3割打者は城島だけだが二桁本塁打は小久保、松中、城島、ニエベス、吉永、井口、秋山と7人もいる
これはリーグ最多 監督最後の年の08年
まさか最下位になるとは思わなかったな
確か9月になった時点ではまだAクラスにいて
そこから大失速したんだっけ 結果論的に考えて、王さんは何年でホークス監督を勇退するのが良かったんだろうか?
@2009年も続投、2011年の3連覇で有終の美
A史実どおり2008年
B長期休養明けも3位の2007年
C長期休養し3位に終わった2006年
D西武に20年連続負け越しで連覇が途絶えた2001年 手術したシーズンに辞めるべきだったな
ラストイヤーは痩せすぎて帽子がでかく見えるくらいだったし、あまりにも哀れで最下位でもあまり批判されなかったくらい >>88
なかなかっていっても近鉄ハムよりも迫力はないだろ
打つチームは倒壊(近鉄ハム)
投手力のチームは貧打(ロッテオリックス)
よりも投打のバランスがよかったと言うだけで
でもこの年一番得失差があったオリックスが3位
最終的には尾花が救援陣のやりくりをうまくやった成果 2008年の北京五輪日本代表は、王監督しかあり得なかったのではないか?
何より王さんならそのカリスマだけで金メダルに導けた事間違いないし、
イチロー、城島、松井稼頭央、松坂、黒田も「王監督のために」とメンバー入りしたはずだ。 >>93
その頃の王監督の体調、手術後で一番悪かったから、無理 08年に明石の本塁突入に細川のプレーに抗議してあわや退場になりかけたけどその時のコメントがあんなラフプレーは駄目世界中に映してもいいくらいと言ってたけど今ならコリジョンだよね?
多村に対しても同じプレーしたの? 08~09年は北京でやらかした星野ほどではないが王も求心力や政治力に陰りが出て下野を求められてきた感があったな
長く当選していた政治家がバタリと多選理由に有権者から引っ込められるように
野球の力学だとVやねん&WBCで原と星野に対するアンチテーゼや楽天が安定してきての野村が当時は求められていたような
会長になり補強プランが当たって黄金期に入り名誉回復した感じ >>28
これは言い方と当時の王の立場、駒田の変な特性+結果は出た打席だったというのがまずいけど成績を残す為の真理じゃないか、上4つの内2つでも違ってたらずっと感謝されたかもな 王は大豊泰昭の訃報の際に「結果を残せなかった選手」ってコメントしてたのが許せんわ
台湾出身で、王への憧れを公言していた選手なのに
しかも本塁打王打点王も取って結果は十分残している 勝てないからって球団買収から7、8年もたってるのに
「南海の負け犬根性」となすりつけたと言う話はガチ? >>97
あとはピーコにどんでんに
ノム以外のアンチ巨人が好きそうな名前は粗方ダメだったはず WBC2回目の時は張本と親分からはソフバンの勇退してもWBCの監督は王さんしかいないって言ってたし 北京五輪の監督が王であれば、普通に楽勝で金メダル獲れたな。
「世界の王であらせれば!」と、MLBは王の名にひれ伏して日本人だけなら五輪派遣を認め、イチロー達も参戦して
「王監督のために!」と選手達が一致団結した事間違いなかったのではないか?
更に言うと、2012年のロンドン五輪も「王監督なら」野球が種目に入ったはずだ。 99年の日本シリーズ第3戦でノーヒットピッチングしてた永井を7回で交代した事について王は第2戦を大差で負けたからどうしても勝ちたかった
篠原とペドラザは第3戦が初登板 >>104
そんなの篠原とかすげえプレッシャーじゃん笑
後からそう聞くと二戦目に調整登板も良かったのかなと思うけど、実際はそんな無駄にもなりかねないことをするのはとてもとても‥ってなるし難しいですねえ >>103
いわば巨人がほしいままの権力を世論に行使できた最後の時期だな
アンチ巨人の神がみんなやらかしてアンチ巨人の肩身狭い昭和に戻ったが、震災開幕とTDN加藤で国民からは一気に嫌われ者になった 巨人での王監督は3、3、2、1、2位だったが
何で前年優勝していての2位と悪くない成績なのに解任されたんだ?
前年の日本シリーズの負け方が悪すぎたことと、
2位と言っても中日に10ゲーム以上離されたからか? >>108
5年間で優勝1回だから「王は監督の器じゃない」と巨人からもファンからも見限られた感じ
実際に王解任の時のファンからの抗議は長嶋の時とは比較にならないほど少なかったそうだ 王は知的なイメージがあったから監督就任時は
長嶋みたいなことはないだろうというファンの評価だったので
余計裏切られた感があったな 4年に1回優勝するのがやっとのチームになった事をフロントが理解出来てなかった。 99年と00年は3番とDHとセカンドが併用?
DH 吉永 大道 ニエベス
セカンド 浜名 柳田 鳥越
00年後半に井口が離脱して鳥越がショート固定される 日本シリーズには井口は復帰したけど
01年以降はセカンドに井口がコンバートされて3番に固定
その前に98年シーズン終了後に勃発したダイエースパイ疑惑の疑いがかかった3人、三者三様の対応
柳田→真っ先に否定会見を行う 99、00年は左投手先発時の2番セカンドとして堅実な活躍
大道→黙殺、99年以降出場機会は左投手先発時のレフト・DH、あるいは代打の切り札となるが、疑惑前より打率を上げて面目を保つ 今もホークス球団のコーチ
吉永→西日本新聞、東京新聞のスクープ記事に写真が使われる 疑惑は否定し、翌年3番DHで主に使われるも疑惑前より精彩を欠くようになる 後に読売に移籍し、そこで引退、球界にも残らず 吉永だけ八百長スパイ行為?
監督やコーチの八百長は? やったやってないは置いといても、しかしその3人の中では既に挙げてる打撃成績を維持あるいはそれ以上を挙げるのが難しい好成績、その挙げた成績によっての注目度に掛かるプレッシャーなんかもあって吉永は断然厳しいやろ まあ実際やっててその後成績が落ちたり、後ろ暗いから球界にも残らずだったらそりゃ自業自得というのもあるけど、やってなくてもそういうことがあると萎えちゃう気持ちが切れちゃうみたいな性格の人もいるから後者だったらあれだけのバッターが凄いもったいないなあと 王は凡打で戻ってきた選手の目の前でシャドースイングしてたからね。なんであんな球打てないんだ、俺なら打てるという意味のシャドースイングだったんだろうか。
それとよく手をパンパンと叩くシーンをよく見かけた。
あまり具体的な指示を出さない監督なのかも。 >>108
直前の藤田は1、2(しかも最後の最後まで優勝の可能性が有った)、1位。 99年根本さんが選手とコーチ陣に対してお前達何を身構えてるんだ王さんはラーメン屋のせがれだったんだ 遠慮せず接しなさいって言って呪縛を解いたけどこの一声が大きかった?
それまでの王さんは投手交代が苦手とコーチの進言を聞かないエピソードが多かったし 実績を残したとか凄い人がそういう状態に陥るのって日本だと(他の国はわからんけど)絶対周りがその人を利用しようとしてそういう空気にしてるよな
人格化されればされるほどそれと繋がりのある自分がそれを使って色々やりやすくなるというか >>122
しかしそれで「なーんだそうかラーメン屋か」となるかね
選手が恐縮してるのは出自に対してじゃないんだし
むしろ 根本さんがいうなら無理にでもそうしなきゃ
という効果だったりして 黒江ヘッドの存在が大きかったかも
V9の時は、王の一塁守備の動きが緩慢な時は遠慮無く苦言を呈していたから、監督とヘッドの間柄になってもヘッドの助言には素直に耳を傾けていたし、監督が選手に直接キツいことを言わないように、代わりに叱り役に撤したりとかね >>125
黒江コーチといえば1982年の田尾への説得を思い出す。 角も鹿取もサンチェも、藤田監督になったらみんないなくなった >>127
日シリまで考えたら藤田監督の先発酷使戦術は失敗なんだよね
実際斎藤や桑田なんて89、90と日シリでは完全にへばっていたし
逆に西武はブルペンを上手く使って先発を酷使しなかったので万全の状態で日シリに臨めた訳だ >>122
それ巨人時代から言われてたけど
ラーメン屋から努力してあそこまでなったのかと更に神格化されていった。
根本さんは先ずこの人も人間だよという事を選手に解きかったのかと >>129
江本が本で書いていたが
「王さんが努力の人なんて嘘。元から天才な上で猛練習をしたので
ウルトラ天才になっちゃったんだ。」そうだ そもそも日本における天才って言葉の使い方がおかしい気が‥まあどこの国でもその時々、年代で勉強やスポーツで成績残したらあいつは天才じゃないのか?とはなるんだろうけど、途中で伸び悩んで消えたのにいつまでもいつまでも天才だったとか言ったり 王はもし荒川の指導で大化けしなかったら、2割7分、15本くらいの打者だった
阪神の遠井くらいの通算成績だったんじゃないかな? しかしまあ荒川さんも極端な事をしたよね。
極端な一本足にしたのはどうしても王さんのバットが寝ない癖を無理やり直す為の
措置だったのだがそれで大化けしちゃったんだね ダメな打ち方でそこそこの成績を残していたのでこいつを何とかしたいという感じに
なってた。覚醒前のイチローに似ている。
イチローと違う点はイチローはダメな打ち方を押し通して覚醒したけど王さんの場合
ダメな打ち方を極端な荒療治で直して覚醒した。 川上は「王の一本足は悪い癖を矯正する為の一時的なもので二本足に戻すと思っていた」そうだ
川上は「王は二本足なら四割打てる」と言っていたが現実に戻したらどうなったんだろうね
長嶋の極端なアウトステップ打法は川上によれば「他の打者があんな打ち方をしたら打率一割も行かない」で
落合のアッパースイングは「あんな打ち方でプロで通用するわけがない」とさんざん言われたそうで
タイトルをとった後ですら野村が著書で「アッパースイングを矯正して欲しい」と書いていた
打法はある程度は結果オーライで良いのかもしれんね 2本足に戻したら打てなくなったんでしょ。
1本足に戻すと打ちまくり、それ以降1本足打法を貫いた。 >>137
1960年は高卒2年目にしてはそこそこ良かった。(.270 17HR)この年は極端な投高打低な年で
本塁打王になった阪神藤本で22本、
2位の森徹(中日)と興津(広島)が21本で本塁打ランキングは4位。
長嶋(16本)よりチーム内では多く打ってた。 >>137
当時のレギュラーの中ではそこそこの成績だったけど、首脳陣の評価が今ひとつだったらしい
特に別所コーチの評価がよくなくて、川上監督にトレードを進言するまでになった
王は外野の守備ができなくて、一塁しか守れなかった
一塁しかできないのに、このくらいの成績というのが低評価の原因だった 9回裏0-1で投手北別府。一死一二塁の場面でバント。次打者がサヨナラ安打。
本当にバントが好きだった王采配が珍しく奏功した事例w >>142
一本足打法誕生の前日、川崎の試合が雨で流れて、急遽行われた首脳陣のミーティングで、王を巡って別所ヘッドコーチと荒川打撃コーチが口論になったんだよな で、頭に血が上った荒川が王を呼びつけて、明日はキャンプで試した一本足やるぞと FDH(福岡ダイエーホークス
この帽子を見た時に、なんてセンスが無いんだ!と思った。
岡本太郎にデザインされた近鉄の帽子とは全く違う。
ちなみに近鉄の帽子は巨人に次いで売れたという(最下位の初年度だろうか。
監督の千葉が岡本太郎と知り合いだったらしい。 >>144
別所と荒川って、後年フジテレビのプロ野球ニュースに解説で出演したご両人だなw >>82
あのインタビューの受け答えは凄い印象に残ってて個人的に大好きだ
堂々として自分に自信持ってるのが見ていてわかる >>146
同時に文化放送ホームランナイターの解説者でもあったな 84年に後楽園の人工芝が張り替えられたけどそれに慣れずに苦しめられた印象
88年はドームにも慣れなかった
いずれも地の利を生かせなかった 両翼100メートルの東京ドームの外野守備対策として、弱肩の松本引退・俊足の栄村抜擢という策が完全に裏目に出たよね いや、裏目どころか中心選手の一人の野球生命が無くなりそうになるとは 守備コーチがきちんと見てない、聞かせてないから事故が起きたんだよ。
守備コーチが、栄村がどんな性格でどんな守備をするかを頭に入れてなかった。
しかもその後の球団、王監督を含めた首脳陣フォローも無いに等しく、栄村1人が悪者になり孤立化して終わった。
栄村が2軍に落ちたときの監督は須藤だったかな。
気の弱い選手だったら即退団、ヘタするとジサツしていたかもしれない。
吉村にまともに謝罪する機会もなく、近年のテレビ番組の中でそれが叶った。 個を軽視するくせに何か大事になると適用範囲を大きくされる個の責任🤔 プロですらない昔の松井敬遠の後に凡退繰り返した選手とかさー 清原は「PLであの作戦をしたら失敗したと思う。自分が敬遠されても桑田や他の打者が打った。」と言っていた
桑田のバッティングはいまだに「打者転向が正解だったのでは」と言われるほどだった
定岡はリアルタイムで「桑田は登板がない日に野手として試合に出しても通用すると思う」と言っていたし
篠塚も「桑田の打撃と守備は素晴らしかった。桑田が前にいると守備が楽だった。」と言っていた。 松井だけ抑えれば勝てるチームだったのでそこはチーム力の差 >>155
馬淵は相手を分析の結果あの作戦にたどり着いたんだから
そもそもそんなアホなことしないよ キヨちゃんw 84年に後楽園の人工芝が張り替えられた時は巨人のそれまでの野球が通用しなくなった
打っても打球が外野に抜けない、守ってもランナーを刺せない。硬い人工芝を利用した戦術が
柔らかくなった事によって通らなくなってしまった。 今の札幌ドームの硬い人工芝でさえゴロはそこまで高速化しない
後楽園の76年から83年までの人工芝が如何に硬かったかが分かる
76年は中日がそれに苦しめられて巨人に勝てなかったが84年はそれで
中日が巨人を圧倒したのは皮肉だった センター松本、ライトスミスの二人に一気に衰えが襲ってきたのも影響した 正直、クロマティがセンターを守ることは王監督以下首脳陣も想定していなかっただろう 顕在化していた外野守備の不安は、三年後の日本シリーズで露わになることに >>160
すごいトリオだな 守るときはタダの人じゃっけん 末期の松本の弱肩は酷かった
とったボールをクロマティに渡して投げてもらっていた位だから。
田淵が「どんな当たりでも高田さんが守っていると二塁打は狙えなくなった」と言っていた
V9時代の高田とは雲泥の差 >>162
松本匡は最終年の87年が特に酷かった記憶がある
大洋戦(新浦に完封された試合)の守備で、何でもないゴロを後逸して大量失点の原因
を作った時はこりゃもうダメだと多くの野球ファンが思ったはず
打撃の多少の衰えはしゃあないけどまともに守れないなら最早どうしようもない 一方、ライトを守っていた吉村も不慮の運転の事故で左肩を故障してしまい…当時の巨人の外野手は揃いも揃って弱肩ばかりだったな 吉村、松本、中畑、原、篠塚、岡崎と比べて冷や飯を食わされていた感が強く、出ていった駒田が唯一の名球会。
巨人は見る目が曇っている!? 決定的だったのが神宮でのヤクルト戦で、ホーナーのフェンス際の打球をグラブに当てて
打球がスタンドインするアシストをやらかしたシーンもあった 1987年の日本シリーズ第一戦の先発オーダー、9番DH松本に失笑したのは私だけであろうか 中日ファンだけど99年はドラゴンズが負けたのではない。
関川がたまたま打てないタイミングが5試合あったのと小久保を4番にした王を批判した連中が負けただけだ。 小久保四番を非難って?ホームラン王も過去に取ってるわけだし脱税の問題でか?それとも良い外人でもいたっけ? 宮崎キャンプ地にあった姉の経営するスナックで、松本さんと藤城さんの酔っ払ってる写真が残ってる
藤城さんはレコードも出してたような >>170
藤城和明の歌唱力はプロ並みで引退後に敏いとうとハッピー&ブルーのメンバーになってレコードも出している >>171
あの有名なグループですね。(^_^;)
スナックでマイクを握って歌ってる写真も見ました。 >>169
小久保は年々成績を上げ本塁打王(95)、打点王(97)と獲得し、
順調に四番としてのキャリアを築きつつあったが
脱税問題で謹慎+故障欠場で一年丸々棒に振ったのが98年
明けて99年、故障から回復した小久保を王は当然四番に起用するが
小久保は絶不調。オールスター休みの時点で.185 15本。
それでも頑固に四番から外さなかった王に対する(この年限りの)四番小久保批判 >>173
ありがとう、あー言われてみればそんな成績の時あったなあ
長い目でちゃんと軸になるって見てたからこその頑なさ(ちゃんと結果が出た今となっては頑なという言い方もあれだけど)だったんだろうな この年は自分の首もかかってたからね(5年契約5年目)
優勝を逃すかもしれない局面でそれでも外さなかった覚悟はすごいと思うわ
もっともこの年は
井口松中覚醒前
秋山はもう四番としての長打力無し
吉永急激な衰え
外国人ニエベスは不安定
四番捕手城島は荷が重し
で代わりに据えるのがおらんかったからというのもあったかも >>170
キャンプで日テレのアナウンサーが
「ジャイアンツの練習メニューに挑戦!」などというアホな企画をやらされ
あっという間にぶっ倒れて息も絶え絶えになったが
大半の選手が「素人が それ見たことか」と冷ややかな視線を向けるなか
藤城だけが「大丈夫ですか」と水を持ってきてくれたんだとか >>176
優しいね。
藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。元歌手・タレント。 あれ神和住純さんがやってたと思った
プロテニスプレーヤーなので野球選手のトレーニングに付いていけなかったのは
ちょっとショックだった。 テニスのトッププレーヤーだからね。ちょっとショックだった
新浦から野球を舐めるなと叱責されてたが
藤田監督が見かねてちょっと休んでろと日陰で休ませてた。 へえ 神和住さんもやってたのか
なんにせよ本人がイキって志願したのでなく番組の企画で仕方なく ぐらいわかるだろうに
ジャイアンツの連中は大人気ないな >>173
小久保本人も四番を外して欲しいって直談判したけどホークスの四番はお前しかいない結果を残せって言って却下した >>127
その三人とも
ローリングスのグラブ使ってた ネットやり出した頃に検索してたどり着いたホークスのファンサイトでは
酷い言われようだった 関西の南海ホークスだったファンと、巨人に負けてばかりの阪神ファンが、ここぞとばかりに元巨人の王監督を痛めつけたんじゃないのかな。
甲子園で優勝された時に王選手の頭をゲタで叩いた爺さんが率いて。 >>183
鹿取は王派で「酷使と言われたが押さえを任された頃は幸福だった」と言っている
引退後も王と仲が良い >>184
「南海の負け犬根性」はアカンでしょ ワン公のくせしてw 鹿取は大学時代に毎日300球を投げていて、それで負担のかからない投げ方を身につけたそうだ。
それと準備に3球投げたらピークにもっていけたとのこと。
人間の身体と投球についての常識は間違っているのかも知れない。 巨人監督時代の王貞治は「名選手、必ずしも名監督にあらず」の格言を象徴する人物だったね
今はそのイメージは消えたけど ホークスでは優勝するまでは、地元民の多くが何で5年もやらせるの?って感じだったけどね その分、優勝してからの良い方への掌返しはすごかった 99年のダイエー日本一が無かったら、王は東京に帰ってただろうね >>167
その翌日の9番DH山崎(福也の父親)、第6戦の7番DH有田も大概だった。
まあ、誰を出してても工藤は打てなかったろうけど。 >>127
引退後の回顧録で角は、露骨に王を嫌ってた 読売新聞のスポーツ面の巨人王監督のコメント欄の所に王の似顔絵載ってて勝った時と負けた時で表情が違っていた
負けた時の似顔の方が印象が強い 今でこそホークスの人だけど、王が巨人から離れたときはびっくりしたな >>59
こういうことが起こるのって下々同士でのみ争わせるようになってる日本的システムのせいだよな、王監督自身も江川にやってたけどなんで上が決めただけなのにそこで争うの?って思っちゃう ベンチで良くシャードースイングしてたよね。
あれやめたほうがよかった >>165
駒田が厚遇されたのは藤田時代だな、優勝争いは1年毎の傑出度も問われるからあの期間中にタイトルの1つも獲れば長嶋復帰後の扱いも変わったか…。
(篠塚・松本・原は表彰タイトルあり) 「頼むから辞めてくれ王」
「病原性敗戦菌OH−89」
「腹を斬れ!!貞治」 巨人軍で長年バッティング投手を務めた峰さん。
最初は大洋に居たが芽が出ず解雇。その後、何と巨人から誘われて張り切って練習していたが、
首脳陣から、さっぱりブルペンへ行く指示が出ない。そこで確認してみると実は現役としてではなく
バッティング投手としての採用だったことが判明。
(春のキャンプ中まで球団から説明は全く無し)
知り合いに巨人へ移籍したんで頑張ると報告していたそうで泣きそうな顔で落ち込んでいた時に
王さんから「峰ちゃん、俺、アンダーシャツ(ユニフォーム用)のサイズを1ダースも間違えちゃってさあ、
俺の身長には合わないんだけど峰ちゃんの身長には偶然合うと思うんだ。悪いけど使ってくれないかなあ?」
とアンダーシャツ一式をプレゼントしたそうです。
律儀な王さんが自分のサイズを間違えるはずが無い。しかも王さんならば自分で注文しなくてもメーカーから届くはず。
気の毒なくらい落ち込んでいた自分を励まそうとして、王さんが下手な嘘をついた事に峯さんは感激。
それ以後、殆ど王さん専属のバッティング投手として投げ続けて、王さん引退後も仕事を続けたそうです。 >>99
一本足打法でホームラン王になったのが気に入らなかったんじゃね
一本足打法のホームラン王は俺の専売特許
二人もいらないと ドナルド・トランプの言い違いを、ねちっこくあげつらうマスゴミ。
バイデンこそ言い間違いばかりしてるのに。
監督・王のミスをこれでもかとあげつらってたマスゴミ。
長嶋こそ似たようなことやりまくってた。