>>137
南海土建は、現在の南海辰村建設の前身にあたる企業であり
野球部は、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の二軍選手が中心となって、南海ホークスからの出向という形で結成された

1951年当時、野球界の頂点は東京六大学野球と都市対抗野球であり、プロ野球選手の地位はプロレスラーと同じ扱いだった

だから南海電鉄の上層部も「うちみたいなショボイ企業の資金力じゃ大企業の社会人チームには勝てないはず」と実力を過小評価したから鶴岡一人の案にGOサインを出したのであろう
だがしかし、勝ち進んだ結果著名な大企業の社会人チームを次々と倒した事によって、当時の一流企業の顔にドロを塗ったのと同じ状態になってしまい
その結果、南海電鉄の上層部は勝ち進む事に顔が真っ青になっていった