【1979】根本監督時代の西武黄金時代前夜ってどんな感じだったの?2【1981】
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>>66
平井はその後打率2位の年もあったので‥‥ 吉岡は最近出たベーマガ社のムック本に夫婦で対談していたな
奥さんが平和台→西武のウグイス嬢という 投手の場合は1年だけ大勝ちしてすぐダメになるケースは時々見るけど、
(巨人の松田、南海の木村、日本ハムの木田など)
打者でタイトルまで取ってすぐダメになった人って、吉岡以外にいる? >>71
自分のイメージはセンベエさんだが
ツツミオーナーがなんとスネ夫だな
その他ジャイアンが審判だったり、ジャッキーチェンがインタビュアーだったり… >>73
タイトルは取っていないが北京五輪にも選ばれ、
3年連続で20HRとハイアベレージを残したGG佐藤は急速に劣化して
首脳陣と対立したこともあってあっという間に放出されたな。 ホームラン王より首位打者のほうがすぐダメになるケース多い 相手投手から研究されていない若手だと、まぐれで3割打ててしまうこともあるのかな?
巨人の広岡も1年目は3割打ったけど、2年目以降は研究されて低打率で定着していった
吉岡は高打率の打者がいなかったのも重なって、3割ちょっとで首位打者まで取れてしまった
長打はまぐれではなかなか打てないのかも知れない
てえか真弓と立花は92年の阪神でもチームメイトだったのか
――
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1629965087/
808 名前:神様仏様名無し様[] 投稿日:2021/11/24(水) 17:15:33.68 ID:ltEH5YSC
> 今年の代打陣は92年と同等だったかな
>
> 岡田 212打席.189 点19
> 真弓 109打席.208 点12
> 立花 101打席.237 点7
> 木戸 99打席.101 点10
> 中野 63打席.192 点6
この時代の西武は肉にコメにお酒。 なんでもありだ。
この時期、肉と言ったら焼肉よりもすき焼きとステーキなのかな 三年でほとんど選手は入れ替わったな、クラウン時代からの選手は
東尾、大田、立花、鈴木葉くらいか? 立花って
後からタブチくんやセニョールパ見るとスター候補筆頭みたいな扱いだったのに
自分が野球見始める頃にはほぼ消えてたな ケガでもしたのか? クラウン時代からの若手は誰一人ものにならなかったんだな。
これじゃあ最下位争いが定位置だったのも当然か。 太平洋・クラウン時代の若手で最も活躍したのは真弓だけど、阪神にトレードしたからね
若菜はぎりぎり西鉄の入団だったんだな クラウンは貧乏だったから有望な選手は獲得できなかったんだろうな。
初期の西武はドラフト外でも大量に入団させていて三年でほぼ入れ替わった クラウンは貧乏だったから有望な選手は獲得できなかったんだろうな。
初期の西武はドラフト外でも大量に入団させていて三年でほぼ入れ替わった >>81
打力優先左打ち外野手というところで
まず金森にレギュラー奪われ、以後も安部、森博之といった同系統ライバルよりも
格下扱いで出番が少なくなった。
クラウン時代の福岡・柳川高からのドラ1ということで
福岡のままならスターになれたんだろうけど、所沢ではあまり訴求できなかったんだろうな。
対金森に関しては、広岡が同窓でいつも練習を頑張ってるからとか
珍しく個人的な理由で金森を抜擢したので運が悪かったのかもしれない。 当時のプロ野球各球団のファンブック見ると
この頃の西武のファンブックにはやる気が感じられる。
一番内容が充実してるというか。逆に阪急やら南海やら前身のクラウンなんか
ページをなんとか埋めている感じ >>81
84年の自主トレにオーバーウェイトで現れて広岡監督の怒りを買ったという記事は記憶にある。その年から下降線なんだよな。 >>87
失礼な 水島センセイのかき下ろしイラストが毎年載ってたんだぞw 立花は外野手としては長打力がなく、盗塁数も多くない
打率では2回3割を打ったので、確実にアベレージを残していけばレギュラーを続けられたかも
左打であったので、「貴重な左の代打」で終わってしまったな 守備重視の森野球で外野は2つポジションが埋まってるから
3割打っても守備力でレギュラーは難しかったと思う
あと西武の左打者はあぶれ気味なのでそんな貴重な代打要員でもなかった
完全に衰える前に金森、駒崎、白幡、(片平もか)のように構想外になった時点で
(87〜88あたりか)他球団に出せば、野球人生が変わっていたかもしれない じゃあどこ行けばよかったのかといわれても
他球団も同タイプの選手はあぶれてるんだよな
金森がバース解雇のおかげでうまく移籍できただけで
左打ち守備力長打力なしで旬を過ぎた選手の出番が急激に減るのは宿命なんだろうな >>93
>左打ち守備力長打力なし
淡口を連想した
外野しか出来なくて守備力がそんなに高くない選手は
長打を打ってくれないとレギュラーでは使いにくいね あの試合でテレビのアナウンサー「淡口、懸命に掴んだ!懸命に掴んだ!」は場面もさることながら守備を評価されていない選手がいい守備を見せたからあれだけ強調されたとも言えるな >>94
南海の新井もそんな感じのはずだった
しかしなにもタダ同然で放出することはないわ 南海の見切りはアホみたいなもんだから
南海では1,2,3,6,7番あたりを順繰りに打たされていて
出塁役なのか帰す役なのか掃除する役なのか、あまり決まっていなかったが
近鉄では2番で繋ぐ役に固定されたのが大きかった
2番なら長打力なくてもバットコントロール抜群の新井に最適な打順 新庄がメジャーでそこそこ試合で使ってもらえたのは守備力が高いからだった
本西厚博が「自分が見た中で一番上手かった」と言うほど
阪神のスカウトの評価で肩:特選Aとついたのは新庄だけだったとか >>93
鈴木葉留彦もそんな感じだったのかな
左打ち、長打力無し、走力なし、しかも一塁しか守れない
左の代打としては重用されていて、日本シリーズでヒットを打ったけどね
立花も鈴木葉も入団時はかなり期待が高かったのに >>63
その年ノーマークで規定打席ギリギリで首位打者
翌年開幕からマークされ弱点攻められ終了のパターン >>100
小さいけど結構パンチ力もあったし脚も速いし
いい選手になると思ったんだけどなあ、蓬莱 蓬莱は引退後
掛布・紳助の草野球に相手チームの選手として参加し
打席に入ると掛布に「こいつやってたから気を付けて」
と実力を一目で見抜かれたって紳助が言ってた >>80
永射も大洋へ出される前の86年までいた。 >>102
門田さんとは逆に
「はよブタマンもってこんかい!」などとヤジられたかもしれんね >>96-97
「金銭トレードは避けたい」って事だったらしいが
あの交換相手なら金銭の方がマシだった
首位打者を無償トレードしたようなもんだ 阪神ファンと西武ファンのヤジの違いニタブチくんがびっくりしてた 「なんだっ あのやる気のないエキストラは!」と激怒するツツミ
「はあ さすがに3万人ともなりますとギャラも…」
そんなイメージがあったので 初めて所沢に行ったとき
イモジャリいやお子ちゃまがキャーキャーにぎやかでビックリした
日ハムが巨人の前年Bクラスで初めて単独開催権獲得した76年開幕のvs.ロッテ戦は1万5千人しか入らなかったのに、
2度目の単独開幕興行(1980年)が西武と当たっただけで5万人近くも客来るバブル祝儀だしw
――
日本ハムvsロッテ 前期1回戦
https://2689web.com/1976/OF/OF1.html
日本ハムvs西武 前期1回戦
https://2689web.com/1980/FL/FL1.html
>>112
76年は前年最下位で開幕権なかったが、当初ロッテが後楽園で開幕戦開催を検討も、
しかし宮城仮本拠地で専用球場を持たない理由で却下。
リーグ、関東ともに最下位の日本ハムに開幕権を譲渡した。
因みに当時のパ・リーグの開幕カードは78年までセ・リーグのように前年Aクラスが開催するのではなく、
関東(ロッテ仮本拠地時代の宮城も含む)、関西、九州で行うのが慣例。
関東(大毎→東京→ロッテ、東映→日拓→日本ハム)
関西(阪急、南海、近鉄)
九州(西鉄→太平洋→クラウン)
以上3地区に分け、地区内の前年最上位球団に開幕権が与えられた(九州は1球団の為、毎年順位に関係なくライオンズが主催)。 >>106
当時板東英二が自著で新井のトレードを「ありゃ補強やなくて『補弱』やなwww」て嘲笑してたのハッキリ記憶してるねw >>115
いつもそれ言ってんなw
主語が上田だったり板東だったりコロコロ変わってるけど。 >>99
片平の加入がなければ、鈴木葉は7番ファーストくらいで準レギュラーになっていたかもしれない
2割7分、8本くらいはコンスタントに打ったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています