〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.29〓
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>>354
あと池永の場合は「追放されていなければ300勝できたかもしれない」ってのと
基や船田他の処分が比較にならんほど軽かったってのがあったからね さよなら平和台の動画みたが、
開会宣言で川崎徳次の挨拶してたなぁ。
南海巨人西鉄の3球団のOBでもあるもんな。
応援団はちゃんと西鉄OBに西武の応援歌流してたな。
西武の出塁テーマ。
高倉、豊田の打席は西岡のテーマ
玉造には白幡のテーマ
中西には北村のテーマ。
南海OBはダイエーのヒッティングテーマ流れてたわ。
出塁テーマも線路は続くよどこまでも
広瀬は定岡っぽい応援歌
穴吹は藤本応援歌(現チャンテ)
岡本はダイエー汎用テーマ(現関東チャンテ) 田中勉、与田、益田、永易は永久追放が解除になった池永を見てどう思ったかな 池永が永久追放になったのは自業自得だが、西鉄ライオンズが身売り、移転になってしまったのはよくなかった
永久追放は他にも居るから連帯責任のうちのひとりだけど >>351
自分の妄想だけで非常に気持ち悪いです
ドーベルは基本的に常連ありき、あとは興味本位で訪れる一見が多かった
マスターの背景に関心がなければ通い詰めるスナックではなかったですよ その「常連」さんはどんな感じの人たちだったのかな、できれば教えて欲しい 池永の実父へのエピソードも南海からのソースですよね?
そこまで親不孝でDQNな人間なら追放になった時点で天涯孤独になったはず。
でも追放後に結婚もして商売も始めて子供を育て上げた。
人間性では確かにそういう一面はある。が、本当にそうだったか?
でも入団前は自由獲得競争の時代。南海などの競合に手を引かせるようにしたのでは?という一つの仮定を出しただけ。
西鉄側からも同じようなものが出ればそうなりますが。
生意気だというエピソードは多く当時の記事など見てもいます。 飲食店は、常連に支えられている面が大きいのは確かだな。
自分の場合、バーにはなかなか入りづらいところがあるし。 >>362
池永と同世代かやや下の世代、よくあるオヤジのたまり場と化したスナックですよ
常連が賑やかしている雰囲気で、勤め人より自営業が多かったかな…稲尾さんもいました
「とにかく池ちゃんサイコー」てな感じの人たちです 池永のドーベルには東尾、江本等と言った野球人達も福岡に行くと顔を出していたって話だね
江本がプロ入りした時は池永の追放後だったけど江本と池永も交流があった 長文氏に異議あり!
もし南海の入団交渉を断るつもりなら、受けなければいいだけでは?
つまり断るための演技ではなく、地が出ただけだと思う
池永は後援者がスナックを世話してくれたから助かったが、もし世の中の荒波に放り込まれていたら、どうなっていたことか
東映の森安は漁師になって喧嘩で大怪我をしたと聞くが、池永も同じような運命を辿っていたかもしれない どうしても池永が欲しい西鉄
でも契約金も青天井状態でライバル振り切りたいという状態だったからでの一つの解釈
一説には池永獲得に当時で3億は使ったらしい
そこまで行くならいろんな思惑、人間がオモテからも裏からも絡んでるはず。
その辺の駆け引きを言っている。
同年ロッテ山崎も同じような高額契約金で入団している。そういう時代でもあった もし若い時から腰が低くて、丁寧な人柄だったら、
スケープゴートにされず、処分がまだ軽かったのではという人もいたな。
父親との会話も、本人同士は普通の関係のつもりでも
(親が名前で呼ばせた可能性もある)、やはり世間の常識からは外れていたし。 それでは何故西鉄は池永獲得から当時手を引かなかったのだろう? 池永の中学の恩師は「南海に入団させたかった!」といってるね
池永の根性を叩き直せるのは、鶴岡監督しかいない、と思ったらしい
もし恩師の意見を聞いていたら、南海の入団交渉であんな非礼な振る舞いはせず、晴れて南海のエースになっていただろう その中学の恩師のエピソードのソースってどれでしょう? ナンバー
1985年より前の記事でしょうか?
教えて頂きたく。
探して読んでみます。
蕪木本は本当の箇所が著者の主観でぼやかされてる印象。 態度の悪さを理由に池永の入団交渉を打ち切った鶴岡監督だが、実は慶應大学 渡辺投手の獲得に成功している
つまり鶴岡の本命は渡辺で池永は第2志望だったのではないか
本当に欲しかったら態度の悪さなど気にせず獲得していたはずだからだ
(それでも池永の態度の悪さに激怒したのは本心だろうけど) 池永関連なら笹倉明著の「復権」が一番詳しい
ついでに笹倉氏の現況を知れば二度楽しめること請け合い >>370
八百長犯に逃亡資金渡すような会社がいちいち気にすると思うか?
少しは無い頭で考えてからモノ書き込めや ありがとうございます。
「復権」ですね。15年ぶりに読んでみようと思います。
最後の方は自分も震えが来たことが強烈な思い出です。 その手を引いた時の南海には八百長選手がかなりいたではないか。
都合よく他に出したり引退させたりしたから表に出なっただけ。
受け手になった球団がまた汚染された。
それくらい分かってますよ。 三原は近鉄の監督に就任してヤオ選手を次々とトレードで放出した
だから黒い霧発覚の時はヤオ選手処理済だったので助かった 池永獲得のためにやからのふりをさせる西鉄もすごいですが、たくさん八百長選手がいたはずなのに全く他球団に八百長を伝染しない南海もステキです
「それくらい分かってますよ。」長文氏、西鉄とどちらが八百長選手が多かったか、教えてください! キチガイのおかげで元々いた西鉄原理主義者が
出てこれなくなったのだけは唯一のメリットやな 福岡市って根っからのクズだな
ホークス2軍が老朽化した雁の巣球場の改修工事をお願いしても全く取り合わなかったくせに
筑後に移転が決まるとあてつけのように改修工事を始めたという
ダイエー誘致する時に改心したように見えたけどやっぱり福岡野球いじめていた頃から何も変わっていないな >>358
永易は永久追放解除時点ではもう死んでいる。 >>92
ジャニーズ事務所のバンドグループだな
クラウンファンだったのは誰だろう?気になる 報知、読売が西鉄の八百長事件をすっぱぬいたのは知ってるが、逆に疑問なのが福岡マスコミが沈黙していたこと
西鉄と福岡マスコミが癒着していたのか、それとも口止め工作されていたのか? >>391
マスコミ内部にも八百長に加担してた輩がいたんじゃないかな・・・?
野球じゃないけど、朝乃山のコロナ厳戒下キャバクラ豪遊もスポーツ紙記者が先導した結果だし
競馬の補助金搾取も、スポーツ紙記者が手引したとか
今でもそういう胡散臭いことするやつがいるんだから
昔はもっと多かったんじゃないの >>391
黒い霧事件は西日本新聞が必死に叩いていたな 黒い霧事件には読売陰謀説があるね
福岡に支部を持たなかった読売が福岡進出のために、地元で絶大な人気を誇る西鉄ライオンズの弱体化を狙ってリークしたという説
だが西鉄が読売の福岡進出の邪魔になったとは思えないし(巨人の方が人気があった)八百長事件は嘘ではなく事実だった
結局のところ、全国紙に先を越された地元マスコミが腹いせのために流したデマではないか?と思っている 二週間程経って大分「環境が浄化」された様だな。とは云い乍らまだ頭壊クロ
ゴキブリ辺りが完全死滅していない様だが。まぁ又追ってホイホイ仕掛けると
するか。
(例によって)閑話休題
池永氏ネタで賑わっている模様だが、小生が野球を覚えた時は既に「福岡野球」、
よって氏は追われた身となられていた。。。
同時代の皮膚感覚がない丈に、その後の情報等を総合しつつ、私見中心で述べ
ざるを得ないが、所謂黒い霧は「讀賣による陰謀」しかなからんと思っている。
>>394 氏は飽く迄新聞戦争の切り口で書かれておられるが、加え「(池永氏を
筆頭とする)西鉄の戦力潰し」が主目的かと想像する。 >>323 殿
>グチグチ言うのは時間の無駄
>別のことに力注いだほうがマシだ
えぇ、ですから差し当たっては「クソ球団のお取り潰し」、さもなくば「然るべく
愛称の変更」辺りですかな。 >>332
その溝のきっかけを作ったのが「クソ堤」 wikiのコピペ野郎が江夏豊スレから来たみたいだね
そこにキチガイのダブルコンボともはやカオス >>394
新聞戦争の云々抜きにしても、あの当時の西鉄に地元から絶大な人気があったのなら、親会社が赤字経営でもアサヒビールへの身売り話は進まないでしょう
もう3連覇の時でさえ球団に赤字があったという
関東や関西と違ってセ・リーグの球団が無いにも関わらず1万人(しかも現代と違った杜撰な集計)入れば大入りという状況だったし
客観的視点が無いと>>395みたいな陰謀論を支持する老人が出来あがっちゃうのよ >>391
地元のマル暴との折り合いがあったと思う
ベンチ裏に記者でもない、そういう筋の者が出入りしていたことは玉木マネが証言している
黒い霧事件を始めに追った報知の社会部記者は事務所に出向いて情報を集めている 老人じゃなくて知ったかの中年やろ
しかも脳に障害がある >>399
3連覇目の年に単年度黒字にはなったらしい。
それまでの累積赤字からすれば微々たるものだけど。
それに対する評価の行き違いが三原監督と西鉄球団との関係断絶に繋がる訳で。
つまり三原監督からしたら
「3年連続日本一でようやく単年度収支の黒字にまで漕ぎ着けるまでの集客に至ったんだから、更なる集客の為にも、この黒字分も含め更なる戦力補強をすべき。」
球団側からすれば
「冗談じゃない!黒字分については、まずは累積赤字の解消に充てるのが当然(今までどれだけの金を持ち出しているのか分かっとるのか?)。」
つう行き違い。
だから親会社が南氷洋捕鯨等で莫大な利益を上げていて、懐具合を気にせずに済む大洋に移籍したのよ。 >>401
あの基地害は
万引きか不正乗車で捕まって
堤西武を逆恨みしてるんかなw >>391
フクニチの記者の回顧録だと
全く知らなかったそうだ
むしろ、巨人が関西出張で黒い車が伊丹空港にお出迎えで
記者の間でささやかれてたんだと >>402
西鉄時代に記者に「これからは漁業で大きな大洋とか日本一の規模の私鉄の近鉄とかが伸びると思うよ」
て言ってたみたいだな
記者が後で実際に就任して納得したとか
三原は株とかやってて経済も詳しかったそうだ
大洋の球団史の本で3連覇の前あたりに既に大洋の幹部と三原があって就任合意してたけど
話が流れたとかいう話見たな 三原って戦前から株屋に出入りしてたんだろ?
そこらへんの見る目は福岡の田舎企業の人間では太刀打ち出来んかったやろな
ただでさえ勝負師なんだから 復権を15年ぶりに読み返しました。
なるほど。池永の例の事件に関してはこれが一番だと思いました。
事実と真相の間でもがき苦しんでいた。
特殊な縦社会か?個人と個人の関係か?最初の捉え方で事情聴取が大きく違ってきた。多分そこで誘導尋問に池永の気の強さが最大限マイナスに働いてしまったのだろう。 三原の言う通り補強をしなかったから、黄金時代のメンバーが抜けていくにつれて
選手層が薄くなっていった
最後のほうは貧弱で面白くない打線で、あれではお客さんも来ないだろう
地方の私鉄では球団経営の体力がないのかな? >>405
昭和30年代は日本人の魚介類消費量が多かったから、大洋漁業にとっては
良い時代ですよ。 西鉄は一応、大手私鉄に分類されるからそれなりに体力はあったと思うが・・・ >>408
単純にヤル気が無いだけ
豊田に西鉄のオーナーは日本シリーズやってる時に
後楽園来ないで神楽坂で遊んでたとバラされてた
黄金期ですらその程度なんだからその後はお察し >>411
立ち上げに関わった村上元オーナーが最後の優勝辺りで亡くなったのも大きいかも 基、ビュフォード、土井、アルー
話題の原点に帰ろうや ならお前が書けよ
ライブで見てないから知らないんだろ?w >>413
江藤監督率いる山賊打線こそが原点ということか?
自分が野球を見始めたのもそのころだから、原点かも知れない 中西との確執が原因とはいえ、豊田を国鉄に売っ払って、その金で外人3人補強して優勝したんだから
球団経営にはそれなりに熱意は持ってたんじゃないかな… >>413 殿
(又ぞろ頭が壊れた、否、頭を取られて脊髄反射丈でほざいているクロゴキブリ
が涌いておりまするが…)貴殿の「原点に帰る」なる高見、全面賛同します。
基ファンであった小生としては、先ずは彼のネタにてお応え致したく。小生この
スレでは彼の応援エピソードを二・三書き込んでおりましたが、此処では敢えて
少々辛かった思い出を一つ。
確か吉岡が首位打者取った翌年の1977年、その吉岡がセカンドのレギュラーを
取ったことから、慣れないであろう三塁や遊撃を守らされた基。その年の夏休み、
小生帰福の折に見に行った平和台のデーゲームで、ショートを守っていた彼が
何でもない正面のゴロをタイムリーエラーし、即交代。小生の周りのアツいおい
ちゃん達が「何しょーとか!」とキッついヤジの嵐。彼は帽子を取って、項垂れ
ながら一塁ベンチへ下がる。小生そんな光景を、心を痛めながら見たものでした。。。
そんなツラい思い出があったものですから、彼が横浜大洋に移られた後の「いぶ
し銀の活躍」は、小生をして大いに留飲を下げさせました! >>420
「A」udio:>小生の周りのアツいおいちゃん達が「何しょーとか!」とキッついヤジの嵐。
「V」isual:>彼は帽子を取って、項垂れながら一塁ベンチへ下がる。小生そんな光景(後略)
てなとこかな。 >>410
鉄道部門が新路線計画で苦労していたみたいだね。
北九州市〜博多。大牟田〜熊本。博多駅への支線など。
建設費や採算性などの問題で実現には至らなかったけれど。 俺は福岡ペプシライオンズを見たかった…
300勝近く勝っていたであろう池永の勇姿を見たかった…
九州のライオンズをいつまで見たかった… 情けないなと思うのは当時ロッテのオーナーだった中村が
必死に身売り先を探したこと
せめて身売り先位は自分らで探せと思う 西鉄からしたら単なる赤字生産マシーンなだけでなく
地元ファンからも八百長前の時点で見放されてたのが
そのヤル気ゼロさ加減につながったんやろね
せめて地元の人間が支持してたら違ってたんやろけど >>425
移転と聞いたらパニクって最後は福岡野球に全責任を押しつけるファン()
何が「ライオンズを返せ」だよ笑 官民一体となってライオンズを追い出しにかかって、望み通りに追い出せるってなったら、俺たちは悪くない、って自己正当化しだしたからな 八百長追放組のカラー映像初めて見たわ
永易のフォームえらいカクカクしてるな >>417
詳細はぼかされてたが
記者たちの平和台で「スカウトの良くない行動が見られた」とか
記載があるの見た限り
新人獲得でも色々問題あった気がする。
三連覇で奢りがあって、川崎監督時代ダメになって
適当に青年内閣でやっても昔の遺産でなんとか最後の力振り絞って優勝して
後は西鉄という会社が体力、中身ともに近代化についていけず、意欲もつきて
いくらかめぼしい選手は見いだしつつも
・・・て感じでしょうかね >>432
資金力で打つ手がなくドラフト制度の導入を推進したが、
それでも指名する選手は地元九州や地方の高卒、社会人ばかり選り好みの状態だったという有り様
黒い霧発覚前から意欲はゼロに近かったと思う ジャンボに契約金返せと言うたり
辞めた後も九州にいられなくしたりとか
今なら裁判で負けるだろうな >>434
その頃の福岡みたいな田舎の企業が野球やるってのが無理ありすぎたんよな
むしろ地域人口が福岡より多かった現北九州市でやってた方がよかったんじゃね >>437
現実に昭和40年代前半は年間30試合前後小倉球場で主催ゲームを行っていたわけで 太平洋になって主催ゲームの数を一気に一ケタに減らされて、北九州市とも福岡市とは違った意味でひと悶着あったとか ライオンズを追い出してしまったのは残念だったが反省など福岡市民に学習
させるのには良い機会だったと思うしかない。
確かに昭和50年位まで福岡市は田舎町だった。
北九州の方がイケてた。 >>413 殿
「原点回帰」第二弾、外国人(ビュフォード・アルー)編です。
ビュフォードは73年から75年の三年間、アル―は74年途中から76年迄の
二年半の太平洋時代にフルで活躍してくれた助っ人なんですが、小生の中
で強烈な印象を残している訳ではないんですよね。。。これ、逆に申せば
助っ人としては極めて真っ当な御活躍を頂いた、ということなのかも。
→ビュフォードの印象は「広島市民球場でのオールスターで先頭打者ホー
ムランをぶっ放した」ことですね。何かと露出が少なかったわがライオ
ンズを、瞬間的乍ら全国区的に強く印象付けてくれました。
あの「真紅のユニフォーム」と共に。
その意味で、小生の印象に残っているのは寧ろ「ちょっと残念な助っ人」。
その筆頭は「ウィンストン・ジェナス」。彼が入団した76年の球団ファン
ブックに「同じ中南米出身の阪急マルカーノ位には活躍出来ると思う」と
の彼自身のコメント。『おっ、今年は期待出来るか!?』との小生期待を
見事裏切ってくれました。。。
その年の夏休みに帰福した際、平和台でのデーゲームを見に行った後、球
場正面口にサインを求める子供達に囲まれる何やら助っ人選手らしき人影が。
彼こそジェナスでした。これも何かの縁かもと、手持ちのライオンズビニ
ールバッグにサインを頂きました。そのバッグ、今でも実家にありますが、
何だか微妙なお宝グッズです。。。 博多ライオンズ
リーグ優勝
1954 1956 1957 1958 1963
日本一
1956 1957 1958
博多ホークス
リーグ優勝
1999 2000 2003 2010 2011 2014 2015 2017 2020
日本一
1999 2003 2011 2014 2015 2017 2018 2019 2020
所沢
リーグ優勝
1982 1983 1985 1986 1987 1988 1990 1991 1992
1993 1994 1997 1998 2002 2004 2008 2018 2019
日本一
1982 1983 1986 1987 1988 1990 1991 1992 2004
2008
難波
リーグ優勝
1946 1948 1951 1952 1953 1955 1959 1961 1964
1965 1966 1973
日本一
1959 1964 ビュフォードやアル―やハワードを当時取ってきたのを
当時の選手でも驚いていた。
一体どういうルートを使って取ってきたのか???と。
ハワードのポンコツ発覚が太平洋クラブライオンズの死期を早めたかと。
あとはハンセンとか。。。デービスとか。。。。
そんな助っ人ばかり。 帆船は髭をはやしていて、後のスティーブに似ていたな
ロッテから来たロザリオもあまり打てなかった >>442
開幕前の大怪我だからポンコツとはちょっと違うんじゃね
掛布が人生で見た最もデカいホームランに
オープン戦で見たハワードのを挙げてたくらいだし >>439
それに何かの本で見たが西鉄は戦時合併企業なのは有名だけど
その中でも元々の北九州地域の派閥が野球に熱心だったと見た事がある。
逆に中心となった福岡地域の派閥はさほど熱心ではなかったとか >>442
デービスは獲得前年の基と藤波のトレード話が藤波側の拒否で白紙になった事への
お詫びという側面があった。中日側がデービスのトラブルメーカーぶりに辟易してたのと、
監督に就任した根本がそこを突いて獲得の意思ありなのが一致し、金銭トレードで加入した。 >>444
ハワードは既に膝がボロボロだったんだが
坂井がどうしても話題が欲しいと強引に招聘したんだよ
しかしハワードにしても
ドローチャーにしても
カネをドブに捨てたに等しい
当然その分監督や選手の待遇にしわ寄せが来る筈だわなw >>446
デービスは創価だったんだよな
試合前のロッカーでいきなり勤行始めるものだから
平和台のロッカーでもやってたのかしら 某サッカーのスーパースターみたいに創価でも寡黙な人ならええけど
試合前ロッカーで大音量で念仏流してたというからなぁ… 奇行ならば榎本喜八もな。
試合前のベンチで衆人の面前で座禅組む。
人に寄っちゃあ奇行とは言えんよと思うかも知れんが。 >>435
黒い霧で逃走資金手配してたりとか
当時は西鉄という会社が法務的にざるだったんだろうな
今は知らないよ ハワード年間ホームランクイズってやってて。
年間0が正解
悲しいことに正解者が2〜3人いたらしい。
おふざけ回答で出したと思うがまさか正解とは。
賞品渡したのかな????
ライオンズの笑えないエピソード。 >>453
球団創立60周年で「60勝するのは何月何日でしょう?」ってクイズやったら60勝に届かなかったチームよりはマシかと 60勝クイズ
>それでも1勝はしてでしょう?
ゼロですよゼロ。
絶句レベルですよ。
現場営業レベルの落胆を考えると言いようというか比べようがないですよ。 >>442
1977年は、ハンセンより優秀な打撃成績おさめたパの外国人はレロン・リーくらいだから、さほど悪くない。
翌年のデービスも、数字自体は悪くない。
品行は劣悪だが。
ホテルのルームキーを、返さずに大量にコレクションしていた。犯罪やろそれw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています