もしも川上哲治が1975年以降もG監督だったら
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
史実の長嶋G1よりも好成績残せたろうか?
どんな補強や選手起用をしていた?
(長嶋への移行は既定路線だから…とかいう事情は抜きにして) >>168
長嶋だよ
選手方が王に反発して長嶋がいいとわがままたれていた
実は藤田が良いなんてのも少なかったが結果だしてくれたから後付で評価。 広岡に巨人の監督就任を要請したが広岡が断ったので
藤田に再登板がまわってきた
広岡に要請だから面白くなかろうが勝つことを優先したって事だね 広岡スレの奴と丸わかりで草生えるわw
自演スレ埋めて空しくならんのかな?
「ぼくの日記帳」のつもり? >>174
森をヘッドとして招聘できないから逃げたとか 広岡は王の続投を推進して自分はヘッドコーチとして支える意向だった
「私が参謀につけば王は勝てる。長嶋しかり王しかり、球界の宝をこんな形で追い出すのは反対だ」と進言したが受け入れられなかった
みたいな記事のコピペをどこかで見た
真偽はわからない 名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 12:13 ID:???
昭和63年のシーズンも終盤にさしかかり、巨人の優勝はすでに絶望となっていた。
王に見切りをつけた巨人フロントは、次の監督候補の検討に入っていた。
このことは極秘裏に進められた。
最終的に名前が残ったのは藤田と広岡である。
そして二度目の藤田よりも西武を常勝チームに育てた広岡の方を推す声の方が、
フロントには実は多かったのである。
そして、フロントは内々に広岡に来季の監督就任を打診してみた。
広岡にとっては、これを逃せば二度とはないチャンス。
本心では二つ返事で引き受けるところだが、彼にはひっかる点がひとつあった。
名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 13:19 ID:???
巨人軍にはチームを取り巻くマスコミと膨大な数のファンのがある。
その規模は西武の比ではなく、彼らを無視してうかつには行動できない。
そして忘れてならないのは超スーパー・スターのONの存在がある。
広岡には、長嶋退陣時のマスコミとファンからの猛反発が頭にあった。
今季、優勝できそうにないとはいえ、成績は2位。
王にもまだやる気はある。そこで自分が就任を快諾してしまうと、王を追い出した
悪者になってしまう。ただでさえ「冷血動物」との批判があったヤクルト・西武の
監督時代。うるさいOB連中がいる巨人では、最初から悪党の烙印を押されてスタート
するのはいかに広岡とはいえ、やはりやりずらい。
広岡は、ああみえても結構気配りをする繊細な面もあるのである。
特に待ちに待った巨人軍監督の座。一度なったからには2〜3年で辞めたくはない。
そのためには、ことは慎重に運ぶ必要があった。
そこで、広岡は提案した。
「王はまだ監督を続ける意思を持っていると思う。それならあと1年だけやらせてはどうか。
そして来季優勝できなかった場合に、私は監督を引き受けましょう」
それを聞いた某フロントは、広岡の言葉をオーナーに報告した。
当時の巨人のオーナーは、あの「山があるから登るんだ」で有名な大正力の不肖の息子である。
この男が広岡の考えを、西武の堤オーナーに遠慮して言っているものと勘違いして、
結果的に全てをぶち壊してしまった。 名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 14:54 ID:???
広岡には計算があった。
王に一年間の猶予を与えることで、彼の顔も立つ。
それに王自身が中畑・篠塚・角などの長嶋派から総スカンを喰っている今の状態では
来季の優勝はとても無理。悪くするとAクラスも危ないかもしれない。
あと一年だけ我慢すれば、夢にまで見た巨人軍監督の座につけるのだ。
その前に阪神から破格の年俸条件で誘われたにもかかわらず、それを蹴ってまで
待ちつづけたジャイアンツの現場トップになれるのだ。
それに、生真面目で一本気な王のこと、フロントからあと一年との念押しをされると
自ら辞任を申し出るかもしれない。そうなれば「フロントの熱意に押されて、
愛する巨人軍のため、お世話になった大正力に恩返しをするために」引き受けたとの
大義名分が発表できる。その日はもうすぐ目の前に来ている。
広岡の心は踊った。この当時の広岡に逢った人は「あんなに機嫌がいい広岡は見たことがない」
と述懐している。本当に心から嬉しかったのだろう。
広岡の計算違いは、巨人フロントが王を完全に見限っており、王更迭はすでに決定事項
であることを知らなかった点である。
知っていれば無論もったいぶらずにすぐ承諾したろう。
このへんは関係者の証言であいまいな部分もあるが、巨人フロント側の説明不足が
あったものと推測される。最初から正式な監督就任要請をすれば、問題はなかったのである。
さて、あのハナ垂れオーナーである。
大正力の不肖の息子は、能無しなりに黙って成り行きを傍観しておけばいいものを
「登らねばならぬ大きな山」があるとでも思ったのか、広岡招聘には彼が気にしている
西武の堤オーナーにひとこと挨拶をしておかなくてはと、堤に連絡をとり、
彼と逢うことにした。
バカ息子オーナーからことの一件を聞いた堤オーナーは、その場では
「広岡さんはうちを常勝球団にしてくれた偉大な監督。巨人の監督でもりっぱに
連覇を成し遂げるでしょう。正力さん、日本シリーズでまたお会いしましょう」
との儀礼的なエールを送った。
これで正力は「大きな山を越えられた」とでも思ったか、ほっとして球団事務所に
帰って、あとは広岡就任に向けての詰めの作業を行なうだけと思い込んでいた。
事務所に着くと険しい顔のフロント幹部が正力を出迎えた。
「どうした。何かあったのか?」正力は怪訝な顔で幹部に尋ねた。
「オーナー、広岡さんの話はダメになりそうです。」
「えっ、なぜ?だって俺はたった今堤さんと会ってきて…」
「それですよ、オーナー。先程堤さんの側近から電話があって、広岡さんが
西武を辞めたいきさつと、今後彼が巨人でどんなことを企んでいるかを
詳しく話してくれたんです。」 名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 16:20 ID:???
直接自分の口からは言わずに部下を使って色々策略を施すのは、
堤独特のやり方である。
広岡に痛風呼ばわりされた彼にとって、広岡が人気チームの監督になって
脚光を浴びるなど、許しがたいことだったのだ。
西武幹部は、広岡が西武を辞任した背景には広岡が管理部長の根本の追い落としを
謀ったことが原因であり、それに怒った根本が彼を切ったとの説明をした。
広岡が狙ったのは、フロントと現場の両者の全権を一気に掌握するゼネラル・グラウンド・
マネージャーであったとも。
むろん、それは一部は正しい部分もあるが、広岡は巨人軍で全権マネージャーを目指すなどと
いう大それた考えまでは持っていなかった。
(のちにゼネラル・マネージャーについては、千葉ロッテという弱小チームで実現する。
ロッテGMの地位が、わずか2年でおじゃんになった経緯についても面白い話があるのだが、
これは堤とは直接関係ないので割愛。)
それを聞いて、巨人フロントは蒼くなった。
広岡がそれほどの野望を抱いているとは、夢にも思っていなかった。
そんなの考えの人間が監督になり連覇でもすようものなら、簡単には首にできない。
そうなると彼はフロントをも掌握しようとするだろう。
フロントの自分たちの立場が危うくなることだけは、絶対に避けなければならない。
かくなううえは、欲のない藤田の再登板しかない。
能無しハナ垂れオーナーには、フロントと広岡の間に入ってうまく行かせる自信がない。
ここはフロントの意見を入れて話を進めるしかない。
広岡の巨人監督の夢は、ここについえたのである。 >>179-181
真偽は分からんけど、広岡、小正力、堤義明それぞれのキャラクターをよ−−−−−く分かっているのに感心するわw
それぞれまさしくそういう人達だよ・・・・・・・・。 広岡がヘッドあるいは監督してたら竹園旅館のご飯はどのようになっていただろうか 当然
しゃぶしゃぶ すき焼き ステーキのローテーションはメスはいるだろうな 江夏が広岡に通風発言したのは有名だけど、広岡も堤義明に通風発言してたの? 貼られてないけどググってそのコピペの最初の方読むと分かるよ
痛風が痛むから監督をやめる。
痛風が辞めた理由ってのは表向きで 辞任会見で痛風=堤オーナーって
ことで例えて皮肉ったの。 西武は広岡をイベントに呼んでいるからヤクルトよりは良い関係
ヤクルトは初の日本一の功労者なのに広岡にイベント招待状も出さない 広岡が監督に就任すれば、小森、荒川、黒江あたりをコーチに招聘するのだろうか?
西武時代、その野球観を高く評価していた山崎を打撃コーチあたりで呼ぶかも知れない >>187
おそらく球団側が野村克也に忖度した
ノムさんにとって84歳にもなって87歳の広岡に気をつかうイベントなんか面白くないはずだった
参加OBの大半が野村門下である以上、
広岡を呼んで野村を外すという選択はあり得なかった あのイベント自体が老い先短い野村克也のためのものだからな
広岡はそれを分かった上で文句を言ってるんだろうが 野村の生前葬みたいなものだからな
あと今のヤクルトの人気は野村ヤクルトの延長だし >>190
そもそも、ヤクルトで完全な喧嘩別れして、後にノムがヤクルトで4度も優勝したから、広岡の印象がいっぺんにぶっ飛んだからなあ。しかし、広岡自身、ヤクルトと喧嘩別れし、ヤクルト球団に影響も残してないという事がわかってないのか?それとも、過去の経緯を忘れるほど耄碌したのか。 務台→長嶋大嫌い
ナベツネ→長嶋大好き
ってのも面白い >>194
アラフォーだけど広岡が西武の監督してたのは知ってる人はそれなりにいるが
ヤクルトの初優勝監督だよというと驚く人多い 正力亨は慶応出て読売の取締役に就任するくらいだから、優秀だったのかね? >>193
若松と松岡は出ていた。
そもそも野村(ビジユニ)対若松(ホームユニ)の紅白戦で、若松側に松岡がいた。 >>198
江川問題のとき、正力亨の愚昧さを嘆く人が「大正力が泣いている」と言っていた。
自分も強引に江川を獲得しようとしたのは、正常な経営判断に見えなかった。 今思えば江川問題って騒ぐことなのかなと思う。 海外のスポーツの高額
移籍を考えれば大した問題でない気がするけどな >>202
海外の移籍と同等に考える時点でおかしい
まず、海外の移籍で江川問題並みに政治面でも
クローズアップされたことあるであろうか?
年間国内ニュースでスポーツ部門でなく全体でダントツで1位だったことはあるだろうか? >>195
まあ、ナベツネ自体が務台の事が大嫌いで、ゼゲヲの事も能力を評価して好んだわけではないしなあ。ようわ、務台嫌いありきだからなあ、ナベツネ。 >>194
最近の広岡の老害ぶりは異常だな。相対的にハリーの方がまともに見える時もあるくらいだ。 >>203
プロ野球がこれほど社会現象になるのは後にも先にも無いんじゃないか
たった1人のアマチュア野球選手を巡って政界の大物まで動いた
このスケールを黒い霧事件も及ばない ※広岡スレと同じ奴が立てた隔離スレ
不気味な雰囲気の単発が続きますwww 広岡の監督は無理と思う
松井秀喜でも微妙なのに日本国内で他球団というのは無理だろうな
もし他球団の監督が許されたらノムさんや落合を始めとして他球団からどんどん流入したと思う 江川問題の当時、マスコミ、世間の批判はすさまじかった。球団や読売本社のイメージダウンは
相当に大きかったと思う。エースの小林まで放出することになり、江川を獲得するための犠牲は
大き過ぎたのではないか? 事態の責任を取ってコミッショナーまで辞任することになった。
巨人の選手たちがマスコミに何を聞かれても、沈黙していた光景も異様だったのを覚えている。 兄貴の問題とは言え、一連の黒い霧事件報道の発端となった一人なんでね>藤田
元々は慶大繋がりで小正力に近いと見做されていたのもあってか巨人(つうか読売)の出世コースから外れてしまっていたし。 江川がすごいのは憎たらしいヒールを演じれたこと
実力がなければ無理なこと 巨人は好きだけどドラフトの目玉の立場で川上巨人に行きたいかと言われたら
躊躇してしまう。 そういう候補生は多かったのかな??
加藤初でないが長嶋巨人にトレードされてうれしかったと言ってるし
>>212
江川が最低浪人の時にストレートで巨人に来てたら小林繁も新浦もあと4年くらいは持った
だろうね。 逆に定岡は出番なかった可能性あるけど。
これで松沼兄弟取れてたら投手だけは世代交代できた 1980年の長嶋監督解任時、川上監督復帰と言う声はなかったのかね?
1981〜87 川上
88〜95 王
96〜01 長嶋
02〜15 原
という順番になったはずだ。 あんまり過労だと亡くなってたと思うよ。
55歳で監督を辞めて、後の40年近くの余生ってのはよかったと思う。 >>214
そもそも川上本人の興味は再び監督として表舞台に立つ事では無く、良く言えば球団のご意見番・アドバイザー的立場、悪く言えば院政、闇将軍的立場で巨人並びに球界に
関わる形だったのでね。 川上本人にその気が全くなかっただろうな
V9を成し遂げた時点で巨人の中での権力、地位は盤石
再び監督になってもV9に匹敵する成功なんて絶対無理なんだから監督をやるメリットが何もない が 後ろ楯の務台が鬼籍入り
ナベツネが権勢を握り長嶋復帰して
愛弟子の森が横浜でコケてハワイ逃亡してドンの威光は消えていったな 川上の系譜である藤田系の原が政治的にも掌握したからいいだろうに 川上に監督続行の意思があるならプリンスシステムを先取りした筈
73年に慶應落ちの江川と中尾を読売グループに入れて囲い込み
3年育てて76年指名の後、江川は77年開幕先発デビュー
捕手は中尾山倉体制で10年以上安泰という流れ 巨人のGMとか球団社長になれたらよかったけど、実際には少年野球の指導でしょ?
川上はそういう待遇で満足だったのだろうか?
藤本定義、三原、水原といった巨人の監督の先輩たちは、いろんなチームを渡り歩き、
弱いチームの監督にもなっている
川上を監督に招聘するチームはなかったのだろうか? 先代の巨人監督は選手実績はそんなにないが、
川上は選手では大下と共に赤バット青バットと呼ばれ、
しかも監督でもVナインを達成して、それで他球団の監督はできないだろうよ。
もし他球団監督をしてれば長嶋や原辰徳もとっくにやってるだろうね。 川上監督が続投したとして、82・83年の西武も軽く一蹴したのではないか?
75〜83年で再度V9を達成したのは間違いない。
それにしても、圧倒的独走で万に一つもスキがなかった1990年は
何故ああも無残に西武に一蹴されたんだろうか。 1990年は岡崎郁の「私の野球観が変わった」というセリフが有名だが、
この当時の西武はオーナーの命令でとにかく大きい選手を集めろってことらしい。
セカンドの辻やショートの石毛までもがかなりの大柄で、
こんな大きい選手ばかりで負けたら野球観が変わるのもしょうがないw あの野村と張本も川上を尊敬してて川上の昔話をよくしてたね >>230
根本と広岡の方針。 根本ホークス行き森監督の意向が強く反映されたら
小粒で小さい選手ばかりになった 長嶋現役続行 山内、牧野、森コーチとして残留、ジョンソン獲得せず
これでまだまだ行けた バレバレの自演スレだから誰も書き込まないのに自演を続けるキチガイ
発達障害だろうな・・ >>224
妄想じじい
筈じゃねーよ筈じゃバーカ
>>229
お前の人生が一蹴されてんじゃねーか
若い頃からくだらん妄想ばっかりしてるからそんなザマだよ 監督はしてない。本当は読売ランドでアルバイトする予定だった 長嶋解任された80年に川上が球団社長になるとかいう話があったが世間の
猛反発でとんずらした 川上はもう現場復帰の野心はなく、少年野球教室で全国を巡回しながら、時に解説者も
やって余生を楽しむという人生設計だったのでしょう。76年のチームは新生巨人と
いうよりV9巨人の延長の性格が濃厚、以後82年あたりから、スキのない西武野球に
比べて、巨人の粗さ、勝負弱さが次第に顕著になる 76年はセゲオでしょ。クリーンベースボール、川上野球からの脱却。
張本、加藤初の補強。何が何でも優勝を目指す。
82年は藤田なんで、作戦は牧野もいて川上野球の焼き直しなんだよ!
選手は中畑・篠塚をはじめセゲオの鍛えた選手。
81年日ハムを破り日本一になってるんだから、そんなに勝負弱くはない。 76年はセゲオでしょ。クリーンベースボール、川上野球からの脱却。
張本、加藤初の補強。何が何でも優勝を目指す。
82年は藤田なんで、作戦は牧野もいて川上野球の焼き直しなんだよ!
選手は中畑・篠塚をはじめセゲオの鍛えた選手。
81年日ハムを破り日本一になってるんだから、そんなに勝負弱くはない。 51年はジョンソンも晩年の長嶋程度の働きはしたしな ドン川上の後、広岡監督、森ヘッドコーチ、山内打撃コーチだったら
川上野球継承され黄金時代は続いていただろう。
でもファンが長嶋監督以外の監督就任を疑ってなくそれ以外は許さなかった。
ベーブ・ルースの監督を決して認めなかったヤンキーズとは大違い。
日本も大リーグのような冷酷さが欲しい。 長嶋がぬけたサードは富田で固定
森がぬけた捕手は吉田で固定、ショートは河埜をメインに
王を4番に据えて、柴田、高田、土井はそのままかな
問題は3番を誰にするかだけど
外野に新外国人でも連れてきたのかな 87、90年の巨人は西武に一蹴されたわけだが、川上監督でも負けただろうか。 >>244
野球はどんどんつまらなくなり、90年代に
Jリーグに抜かれてしまうだろう。
ただ、広岡と森では全然違うけどね。
森野球はオーナーから「やりたければどうぞ」
つまらない試合が多く西武の人気も低迷し始めていたのも事実。 >>246
75年から最下位常連だよ
ヤクルトや大洋にも一蹴される >>240
川上はもう現場復帰の意思はなかったかも知れないが、正力亨によって少年野球担当に
されたことは、やはり不本意だったのではないか?
これだけの実績を挙げた名将の処遇として、不似合いに見える。
GMのような立場で、選手の獲得、引退する選手の再就職の世話、長嶋をはじめ首脳陣
へのアドバイスなどを、大所高所からして、引き続き巨人軍に貢献することを望んでいた
のではないだろうか?
それが叶わなかったから、退団してNHKの解説者に転じたのだと思う。 堀内はまだ28才高橋一三が29才の年度だ〜
高橋一三も堀内もV9時代先発リリーフに大車輪したから金属疲労だろう
>>55
> 一方、巨人は10勝投手は晩年の堀内ひとり(18敗もしてる) 長嶋茂雄自身は監督をしたかったのか?? 世間が騒いだから仕方なくなったとかでは
ないのかな?? 1975 川上監督
(中)柴田
(二)土井
(右)末次
(一)王
(左)高田
(三)富田
(遊)河埜
(捕)吉田
(投)堀内 富田が長嶋の正統後継者になって法政三羽烏の筆頭になっていた 75年から広島のシェーン・ホプキンスレベルの外人が2枚いれば違った 巨人は78年から83年・91年から96年くらいまで外国人がタイトルとるようなのとれれば
優勝回数増えたよ。 明らかに外人打者はずれすぎ 75年オフ、巨人は田尾を指名
外野の一角になる
もともと、球団は田尾を指名する予定だったが
長嶋が篠塚をゴリ押しして指名に至った
あと、中畑みたいなお調子者の台頭もないだろう でも田淵ならともかく田尾は篠塚にも劣るのに指名しなくて正解なんじゃ・・・ >>251
自分が監督やりたい以前に川上さんの次がいない、兼任コーチになって
監督のレールを引かされていたとは長嶋は私の履歴書等では書いている >>251
監督なんか自分からすすんでやりたい人なんかいるのかね
今は昔と違ってスポーツ新聞や週刊誌だけじゃなくネットやSNSでめちゃくちゃ叩かれるし
選手時代にはファンから愛されてた選手でも無能監督の烙印押されたらファンから嫌われることになる(最近では高橋由伸がこのパターン)
ストレスとかで変な病気になるかもしれないし寿命縮めるだけかも(個人的に1001は阪神の監督しなかったら今もご存命かも)
監督手形つけて残留せまったりFA選手取ろうとすることもあるけど
監督手形なんか俺なら欲しくないと思う まあ選手時代の功労者しか監督にならないからな
例えば阪神で江川監督や中畑監督とかならただでは済まされないってこともありえる 何も考えてなくてベンチ入り野手使い切って代打に投手出した時の与田やラミレスの叩かれ方とか凄かったよなマジであんなの本人が見たら身体壊したり変な病気になったり寿命縮まりそうだ
阪神の監督なんかあの独特の甲子園のキチガイじみた野次聞くだけでノイローゼになりかねん
今年の開幕直後の全然勝てなかった時の矢野の写真からどこかで見たけど顔は青白くなって痩せこけてマジで死神にでも取り憑かれてるようだった。
監督なんて罰ゲームとしか思えん >>262
現役監督なら楽天の監督みたいに
コイツ誰だよ?みたいな人がたまに監督やったりしないか?? それはそれで気付いたらいなくなってるってだけで、あんまり批判はされないと思う >>260
星野は阪神よりも中日末期や北京の後のが辛かったんじゃないか Vナイン時代には外国人に頼らないで勝てるってのをよしとしていたよね。
そんな中途半端な外国人に頼ってまでやってどうすんだっていうw 1974 巨人打線
王貞 .322 49本 107打点
長嶋 .244 15本 55打点(引退)
柴田 .275 12本 50打点
末次 .316 13本 77打点
柳田 .335 15本 52打点
高田 .252 12本 30打点
森祇 .243 2本 19打点(引退)
吉田 .205 7本 20打点
上田 .266 6本 30打点
土井 .186 0本 12打点
富田 .265 6本 27打点
河埜 .195 10本 28打点
黒江 .212 1本 15打点(引退)
長嶋の抜けた穴
三塁→富田
三番→末次と柳田
で、何とか凌ぐのではなかろうか 富田ってのは法政三羽カラスとは言っても最下位だな。
せめて田淵か山本浩二を指名できればそのまま勝ち続けたと思う。
高田や末次、柳田を内野にコンバートして、外野はセンターの山本浩二を中心にすればV15くらいまでは行ってる。 法政での富田は山本浩より格が上、田淵の親衛隊長のような役目。
山本は巨人に入っていたら、せいぜい外野の守備固め。
晩成型だったので、20代後半にトレードか戦力外だったろう。 前評判では三羽烏で評価が一番下は山本浩二だったって話だね
それが唯一の名球会入りだから当てにならない
阪神にはヒゲ辻とダンプ辻がいたから「田淵ではなく富田に行くだろう」ってのが
事前の予想だったがそれに反して田淵に行った
相思相愛だった巨人は田淵をあきらめきれず三角トレードまで持ち掛けた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています