南海ホークス21
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
【前スレ】
南海ホークス20
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1583495223/ >>225
と言うかあの実績で阪神OB会会長なのが凄いw>川藤
それだけ人望はあるんだろうけどね
選手としての実績で会長が決まった近鉄OB会がああなったのを見ると
あれはあれで良いのかもしれんが 川藤の前の会長って田淵だったっけ?
それ以前だと安藤統夫や田宮謙次郎だったが >>227
そりゃ野球一辺倒の時代と比べて、娯楽が多様化した時代だし。
当たり前やん。 >>230
阪神田宮ob会長と阪神ノム監督時代犬猿の仲やろ? 確か?
田宮はパリーグの大毎に移籍して南海のノムと
試合で顔合わせる事あるやろうし色々確執あるんやろな。タイトル争いも。 毎日大毎ロッテと阪神って因縁あるんちゃうの?
引き抜きで別当、土井垣、若林とか阪神ob会には、和解してるんかな?
あと、巨人ユニ別所と鶴岡親分の一緒に写真写ってるのよくみるけど、親分的にはどう思ってるんやろな? >>232
そもそも阪神監督時代のノムに好意的な阪神OBは皆無
長老クラスから川藤まで皆敵対してた
川藤自身もノム追悼記事で不仲だったのを認めてたし 巨人OB会は落合の獲得には反対で清原の獲得には大賛成
OBってのも見る目が全然ない >>234
南海関係もいるし皆無ってことはないだろうけど
声のでかいのからは嫌われてたんだろうな。
良い機会だからどいつもこいつも駆逐すればよかったのに。 >>233
土井垣は藤本監督時代に阪神にコーチで復帰したけど、これが最後のユニフォームだった。
若林は1965年に早逝したし。
>>234
逆に星野仙一には協力的だったな。 >>236
阪神の場合、OB会はコーチでの在籍者も対象みたいだから、
南海OBの阪神コーチだと皆川や岡本が該当するな。
選手で南海と阪神の両方にいたのは、交換相手だったマッシー村上と和田徹とか。 出る杭は打ち込むんやなくて抜き取るんや
打ち込んだだけならいずれ出てくるやろ
と、有望な新人若手を呑みに連れ回して潰していた川藤 柴田島野がいる時だけ強い印象の阪神
星野が阪神OBと上手くやれたのは野村がぶつかってた後だったからだろうけど
野村に星野並の腹芸が出来るなら江本江夏を呼んでOBの防波堤にしただろう‥ >>239
そうか。なぜかその人たちの名前がすぐ出てこなかった。例のトレードの当事者だったな。
他に池内豊と長谷川勉も。
佐藤正治は江夏と望月の付録での話が出てると引退してしまったw >>223
逆じゃね?
野村が差し出すデータは当然自分の主観が入ってるものだろうし
それを森が日本シリーズで使ってくれたらその実験になる。しかも南海には被害ゼロで。
つまり翌シーズンへのデータになるわけだし南海には全くマイナスは無い >>241
星野がうまくやったのは島野に加えて、
田淵を入閣させたことも大きいと思う
その辺の気配りというか政治力は野村では無理だろう >>239
ダイエーになってからとはいえ
藤本修二 西川 吉田博之 右田 もそう
そうだ 吉田豊彦のほうも ノムが明智光秀を語る。ひどい読み物。野球と戦国武将は全く関係ないだろ。
ヤクルト時代の自分と川上を誉め、鶴岡さんをスルー。
またこれで誤解する奴が増えるな。
https://president.jp/articles/-/34136?page=3 田尾から、球威は無いが気迫溢れる投球をしていた とディスられるほど
奪三振率の低い山内孝徳が1991年には抑えを任されるというクレイジー采配 山内孝はホークスの残って100勝達成
山内和は中日トレードで97勝どまり。
逆なら和宏の方が100勝してただろうな。 あり得ない話だったけど両山内が野村の指導や理論の下でプレーしていたらどうなったかな。
暗黒時代の南海はピッチングを適切に指導できる監督コーチも少なくて、山内新や金城や藤田らベテランの助言を聞いて自己流でやらざるえなかっただろうし 山内新一は野村解任後は特に防御率がガタガタになってるな
やはり野村の頭脳で勝てていたということか >>220
長嶋に関しては、周囲も一生懸命理解しようとしていたんだろうね。
特に長嶋が監督だったときは、長嶋がどんなに理解に困ることを言っても
周囲は必死に理解しようとするでしょ。 >>248
こんなんがアホにはウケるねん(笑)
新書ベストテンに入ってたわ よくも悪くも、南海は野村という司令塔のもとに機能していたから、野村がいなくなった
ことで一気に弱体化してしまった。
夫人と別れることなどを条件に、野村を南海に残留させるべきだった。 >>250
W山内がロッテか近鉄、日ハムにいたらどうなってたんだろ? >夫人と別れることなどを条件に、野村を南海に残留させるべきだった。
それを拒んでクビになったんだから
今更かと
ノムが残留したところで親会社がカネを出さない以上遅かれ早かれ
クーデターでチーム崩壊してたんじゃねw
他球団に比べて選手やスタッフが低待遇低年俸でノムだけ高給取ってりゃ
サッチー抜きでもチーム内で不平不満が溜まってくるだろう 投手とコーチの関係で言えば田島が中西邦之ぶん殴った事件ってあったな。選手がコーチ殴るってにわかに信じられなかったけど >>259
別に野村1人いなくなっただけなら大して変わらん。
その他大勢がいなくなったからああなったわけで >>259
状況がよくわからんけど監督だけ解任はできなかったの?
本人が引退やら退団希望したければそれでいいし
トレード希望ならそれもいい
現役続けたければそれでいい >>264
監督だけ解任するつもりだったが
野村を慕ってた江夏や柏原が野村のいない
南海ではやりたくないとごねたから仕方ない >>262
逆になっとるがなw
田嶋は仮にもドラフトの目玉の一角を抽選で引き当てスンナリ入団という
当時のファンにとっては夢のような経験をさせてくれた
それがなかなか勝てないうちにコーチに反抗してぶん殴られ
それでも中継ぎに転向してチームの健闘に貢献し
さあ来季は飛躍を と思わせてその後サッパリというなんとも https://blog.goo.ne.jp/grussgod/c/a137b86fb3a931cc97dfc4a3b98be262
泣ける記事発見。鶴岡・杉浦の子弟対談。川上・森の子弟対談は腹立つが。
しかし、川上さんが広岡さんを批判し、鶴岡さんが広岡さんを評価しているとこが
面白い。 >>268
高卒と大卒の差があるかもしれない
川上はもともとおまけで入団だから成り上がり的なところがある >>241
その2人はOBと喧嘩するか懐柔されるかのどっちかだと思う >>265
>>264は監督としては解任しても、ヒラ選手としての南海残留はできなかったのか?と言いたかったと思われる。 >>273
確かその時は、村山実は肩書だけは監督のままで、金田正泰が監督代行という扱いだたらしい。 268さんへ
やはり鶴岡さんは広岡と同郷というのがあるんでしょうね
国貞さんが走塁でスパイクしようとして鶴岡さんにかなり叱られたという
ことがありますから
川上は子飼いであっても広岡や森は嫌っていた
自分を脅かすものをすべて排除していたんでしょうな
そういう経営者はよく見られます >>275
あと鶴岡は法大 広岡は早大
共に東京六大学出身
蔭山も早大だった
川上は森を嫌ってるどころか
重用してたろ
ゴマスリイエスマンが大好きだからな
じゃなきゃ森の陰湿な後輩潰しを
知らん顔はしない
森が永く球界に居座れたのは
川上とコーチ監督に抜擢した
広岡や根本のお陰でもある
森が横浜で失敗してハワイへ遁走隠居したのはナベツネに嫌われた
川上の威光が衰えて
後ろ楯に出来なくなったのもあるだろう 森は本来なら長島一次政権の時、入閣してないとおかしいだろ。
川上のアドバイスを長島が拒否して残さなかった。後に広岡がヤクルトに誘った。
一次政権のHCが関根さんというのがユニーク、後の監督業につながるわけだから。
長島のコーチ選択も間違ってない。ただ監督が使いこなせなかったし、由伸と一緒で
選手からすぐ監督になるのは酷だな。 王が「森さんへの文句を言い出したら一日じゃ終わりませんよ」と言った位に
森は現役時代から嫌われていた
長嶋が森を毛嫌いしていたのは有名
球団が「森じゃ物足りない」と次から次へとアマの有望捕手を獲得したが
森は手段を選ばずに潰したことはよく知られている >>275 3人とも同じ呉だしね。しかも近所。鶴岡さんが近所の藤村さんから技術を盗んだ話は初耳。タイプが違うんで。川上君と違って、何でもきちんと話してるね鶴岡さんは。三原さんの継投策もまねたと書いてるし。ワンポイントとか。
結局、野村は鶴岡さんから野球の目的や戦術は学んで、精神論は川上君なんだな。 実際に野村が憧れた監督は川上では無い。
勿論鶴岡でも無く。 鶴岡の時代は大卒が幅を利かしてた時代だからな
川上は別として大成してるのは鶴岡三原水原別当西本とみんな大卒
鶴岡としては大学に行ってない奴が監督つとまるんかと思っててもおかしくない
そういう時代
軍隊出身の鶴岡にしてみれば高卒は所詮は兵隊でしかなく幹部候補の岡本杉浦飯田蔭山穴吹の方が可愛かったのは想像に難くない >>282
鶴岡は大卒ばかり重用して
非大卒は同郷の広瀬や国貞や
姻戚だった飯田とか特別な関係にあった者ばかりな中で岡本は異例の出世だなw
引退後コーチとしてサンケイ阪神近鉄と渡り歩いて近鉄では監督から球団代表にまで上り詰めた
非大卒で球団役員になったのは
大洋で平山菊二 巨人で川上
近鉄で岡本以外に誰か居たかな? 昔は大卒の数が少なかったので、今より社会的地位が高かった。
大学まで行ける人は、元々、家が裕福で地元では名士クラスが多かった。
また、六大学野球の権威が高くて、当初はプロ野球を上回っていた。
川上は最初、引退したら野球界を離れて、一般社会で生きるつもりだったらしい。
旧制中学出身の自分が指導者になれると思わなかったのかも知れない。 大卒とか関係ないと思うよ。
だって、広瀬、長池、山本浩は高校の時から見てて、「法政にでも行かせとけ。」
が口癖だよ、鶴岡さんは。ルートはあったし、法政は野球で入れる時代だから。
即戦力かどうかの違いだけ。
広瀬は広島の知人のコネで取らざるを得なかったみたいだけど。
鶴岡さんのすごいのは、スカウト網を作ったこと。野村を筆頭に知人の売り込みがあったり、評判が良かったら自らの目で見に行って判断してた、というかそういう時代だったらしい。稲尾や中西も見に行って、三原さんに敗れてたんだから。
特に状況は違うが、長池と山本一義の獲得に失敗したのは後年でも後悔してたらしい。 後輩で将来の幹部候補のの冨田をトレードに出したときは怒り新党だってらしいが 川上が引退した頃は
プロ野球界も今ほどコーチやフロント裏方含めたポストが少なかったから
引退したら家業や商売に勤め人の方が
少なくなかった
新聞テレビメディアの評論家解説者も一握りの選手らの指定席
ドラフト制発足後辺りから
コーチや編成スカウト部門
スコアラー用具係etc. と現在の様になって引退後の受け皿が増えたかと >>286 1968年ドラフト
指名順位1番の東映は大橋、2番の広島は山本、3番の阪神は田淵、4番の南海は富田
のちに名球会会員となる有藤、大島、山田、加藤秀、福本、東尾もこの年にプロ入
法政三羽カラス、地元大阪出身をたった4年で追い出せばだれでも怒るよ。
川上に騙され、巨人で余りものの山内、松原でごまかされたんだから。
いずれ自由契約になりそうな2人だから、もっと足元を見ても良かった。
もっとも、巨人は罰が当たったのか富田は巨人で稼働しなかったし、山内は活躍、松原は福士となって広島で活躍だが。 いくらカベ候補とはいえ、西京極で1試合だけ見て野村を入団させた鶴岡は流石やね。 てゆうか戦前で旧制中学に行けるだけで凄い訳で、普通は高等小学校か青年学校に行くからな。 >>298
同じ54年は皆川、宅和も高卒でとってる。
>>285にあるように全国の謎の知人より情報提供や紹介で、監督自らスカウトしてたらしい。重労働というか、そういう時代なのかね。ただ、川上がやってたのは聞かないね。お金とブランドで獲得できたからか。
ちなみに皆川は広島県出身の元野球選手の審判からの紹介。どこまで顔が広いのかw。 >>291
川上は高卒、鶴岡は六大学
やっぱりそれだけで人脈は違うよ
そもそも巨人の場合は自分で行く必要もないし そういう自分で選手を探すGMタイプの監督は星野が最後かな?
今の監督は完全に分業制になってるしな >>292
川上は強運だったし、東京だったので恵まれてたのかな。
巨人だから選手は寄ってくるし、スカウトに丸投げだよね。
九州出身の地縁もないし。腰が重い。
68年ドラフトの空前の大豊作の年も大失敗。
https://tsurezure-baseball.com/giants-draft/
1位は堀内、高田以外はつらいな。
もっとも、高田は南海ファンで、鶴岡に「身体が小さいから大学へ行く方がいい」
と言って、その間にドラフトができて巨人にというパターン。
長池、山本浩もほぼ同じパターン(二人は法政へ) >>284
まだ自由に移動できた一月に関東から関西に旅行に行った際
和歌山城で「和歌山出身の人物」のミニギャラリーを見た
嶋清一先輩と西本御大が鎮座していらしたのには感銘を受けたね
西本さんは銀行員のご尊父が暴風雨のなか涼しい顔で出社されるのに感銘を受けたのだとか MBSラジオで諸口あきらのイブニングレーダーの次は10分くらいのホークスの番組があったな。 GoGoホークスだね、阪神戦中継が始まる前の5分足らずの番組だった
初代キャスターは上田彰(現オフィスキーワード社長)
他に宅和本司、広報の元スポニチ記者の永井さん(王天上の名付け親)
横山由美子が最終担当だったか
久保寺の訃報を最初に知ったのもこの番組だった
https://www.youtube.com/watch?v=T7POLDGxdGg 久保寺は「ぽっくり病」でなくなったと、当時のスポーツ新聞の1面でびっくりした記憶がある。
正式な死因は急性心不全。 この話は面白い
当時はシブチンだったし給料も安かったそうだ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200426-00295883-bizspa-life&p=3
でも特に南海時代は、しょっちゅう球団の社長に給料の前借りをしていたんです(笑)。
借金で3分の2くらい持っていかれて、3日くらいで給料がなくなっていました。
給料日に球団事務所に借金取りが待ち構えてね。ほとんど持っていってしまうんです(笑)。
でも、球団事務所から現金をもらってきても、待ち構えていた借金取りがほとんど持っていってしまうんです(笑)。
わわずかな残りでミナミや北新地に飲みに行って、タニマチのごちそうになったりしてしのいでいました。
計算したことないけど、あまりに年俸が安かったから、たぶんタニマチがくれた車代のほうが多かったんじゃないかな(笑)。
でも、今の時代はキャッシュレスですからね。タニマチも現金を持ち歩かないから、車代もでない。
現役の選手たちは、どう思ってるんですかね。やっぱり温故知新ですよ(笑)。 こういう人気商売は芸能プロと同じで
選手の管理に労力が裂かれる
松竹とかも歌舞伎役者の借金を立て替えてやったり
大手芸能プロもタレントのスキャンダルの示談したりとか
大変と聞いている
もうかるかもうからないか以外にしんどい商売である
タレントも選手も基本的に社員ではなくギャラ払いの専属契約のフリーの人なので・・ 確かに今江本ぐらいの成績上げてれば1億どころか2億近く貰えるだろうね
だけどコンプライアンスや納税もきっちりしてるからタニマチとかで美味しい思いできる球団も少ないんじゃないかな 香川が死ぬ前のインタビューで
「遠征行くと旨い物食わせてもらって、翌日は別の人がそれより旨い物食わせてやるって言うてくる」
「そしてその次の日はまた別の人がもっと旨い物食わせてくれる言うんや」
って言ってたな… >>300
芸能事務所は政府以上に言論統制やってるからね 閑古鳥が鳴いてる時代の南海でも一軍クラスだとタニマチに接待されてたんだな 名前で分かるようにタニマチ発祥の地は大阪だからね
監督時代の根本が配下の選手に「タダ酒は飲むな!」と指示していた
「飲むな!」って事は弱体時代のライオンズの選手にすら
タニマチになろうとする奴がいるってことだ >>300
芸能事務所も金にだらしない人もサポートしないといけないのは面倒でしょうね。
タレントの中にスキャンダルが暴露される人もいますが、
見方を変えると事務所が当該タレントを守る価値なしと判断したから
暴露されたのかとも考えられますね。
>>306
根本は学生時代から組の人たちと付き合いがあり、彼らやタニマチがどのようにして
隙のありそうな人に食い込むか知っているのでしょう。
この前のタイガースの食事会の件なんか、タニマチと球団側がズブズブの関係だったことが
影響しているわけだし。 そういうところから弱み握られ八百長とか仕掛けられたりする
タニマチはヤクザみたいな人が多い
いい女を連れて歩いたり有名人と知り合いとか好きな人種 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=093-20160425-01
僕は、ルーキーのときに当時西武の球団編成・管理部長だった
根本陸夫さんから言われた言葉が今でも忘れられません。
それは「タニマチは作るな!」です。ファンの方などと仲良くなるのは構わないのですが、
ご飯を食べに行くときは「絶対に自分で支払いをしろ」と言われていました。
理由は一度おごってもらうと「大久保さん」から「君」に変わる。
3度目くらいから「君」から「デーブ」に変わる。そしていつしか「オイ!」と呼ばれ始め、
さまざまな頼みごとをされるようになり、なかなか断れなくなる、ということ。
その言葉を守り、当時、ご飯を食べに行くのも先輩たちだけでしたね。今でもその言葉を守っていますよ(笑) >>310
阪神の時の江夏なんかそれで破滅しそうになった口だな 南海の人気のピークって1959年?
60年代後半は既に人気に陰りが出ていたイメージだけどどうよ。 入場者数推移を見ると60年代までに絞れば61年がピークか
60年代までの大阪球場は実数公表だったので水増しもない数字
逆に阪急は最強だった時代がジリ貧なのが興味深い
http://npb.jp/statistics/attendance_yearly_pl.pdf 何年も前にこのスレで
大阪スタヂアムは上場してたから資料見れば実数が出てて
最後まで50万は超えなかったって書き込みあった >>313
61〜65年くらいかな。
阪神に完全に抜かれて追い付けなくなったのは69年 >>312
江夏はそこまで如才ない付き合いができるタイプには見えない。
星野仙一ならやりかねないけど。 広島時代も試合前ほとんど徹マンだろ
21球も前日後援会と徹マンだったし >>316
観客数ごまかして節税対策になるわけないやんw チームとしての完成度が高いのは、100万ドルの内野がそろっていた昭和20年代
かなと感じる。百万ドルの内野がいなくなってからの南海は、強いけどどこかでこぼこな
チームに見える。 難波駅すぐそこの最強立地で年間50万も入れられないのは明かに球団運営ミスってるとしかいえないな。
ケチ球団ならケチ球団なりにやり方があったと思うんだが。 ほんともったいない。都心の水道橋にある東京ドームよりも便利なところにあったのに。GHQにかけあってわざわざ作った意味がない。ボーイズリーグもこの球場ありきだったし、球場にテナント入れるなど先進的だった。晩年は雑居ビルのようになったが…。
上記の仕掛けをした鶴岡さんの後継者がいなかったことが原因か。 鶴岡自身後継者つくる気が
無かったんだろう
蔭山急逝から南海退団まで
チームや親会社の鉄道事故etc.
ごたついてたからな
当時のメンバーで後継者の
素養がありそうなのは岡本や穴吹辺りだろうけど
大沢はハムで三原翁が呼び入れなければ
その後の成功は無かったと思う 父親87歳だがボケ防止に毎日5、6時間5ちゃんに書き込んでいるので、殿堂板は多分年寄りまみれ 鶴岡も野村もただの雇われだから、野球の成績ならともかく球団運営に彼らに責任を負わせるのは酷よ。
最寄りが水道橋の後楽園や駅から徒歩で結構かかる神宮と比べても、大阪主要ターミナル駅である難波駅隣接の大阪球場の立地の良さは異様やね。 今を思えばであるが、鶴岡さんは雇われであったが、かなりGM以上の仕事をしていた。
口は利くけど、利権は人にあげてたからだろう。人が好いというか執着はない。また、元々は広島の人なんで土地にこだわりもない。その辺が名球会を私物化した金田とかと違う。
今なら、難波の場所自体の価値や、CSの放映権料、ボーイズリーグの利権とかで球団はもうかってたはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています