〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.27〓
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そういや太平洋クラブライオンズ発足時に大洋漁業からクレームは来なかったのかな。
別のリーグではあるが太平洋と大洋だと紛らわしいし それがスポンサーの企業名なんだから仕方ない
丸被りの社名だったらさすがに変更要求は出るだろうが 中西太の自伝を読むと豊田泰光に対する怒りがすごいな
豊田助監督が中西監督を批判した理由は国鉄移籍の言い訳の為だったと言いきっている まあ中西も監督としてはダメなのは何人も証言があるけどな。
黒い霧を防げなかったり日ハムをダントツ最下位にしたり江本に造反されたり。
「終身打率を落としたくないからチャンスでも自身を代打で使わない」とか板東英二に書かれるくらいだし 打撃コーチとしては史上屈指の名指導者なんだけど
監督やると借りてきた猫のように大人しくなるんだよね 江本が言うには「中西さんはピンチになるとベンチから消える」
見た目とちがってナイーブらしいんだよな
後年は本人も「おれは監督に向いていない。コーチ向きだ。」と自覚して
仰木監督、中西コーチのコンビで上手くまわしていた 経費節減のため、中西青年内閣を作ってしまったのが不幸の始まりだった
西鉄OBだと大下あたりが知名度も高く、監督には適任だった >>237 客寄せにはいいけれど、監督にはどうなんだろう。やはり打撃コーチ向きでは。
東映の監督時、
「ハリさん、協力してくれ」としばしば懇願していた。
だめだ、こりゃ。でしょ。いくらハリーでも。
その後、日ハムになったとき、球団社長になった三原修はハリーを放出。
娘婿の中西を監督に起用したが「こいつ監督の器じゃない」と更迭。江本事件は数年後。 ブレイザーが辞任した後にあれだけダメ監督としての
実績を積み重ねてたやつをまた監督にした阪神の
アホさには驚愕する 阪神はOBがとりあえずやって、複数回再起用されてるのが不思議。
若林、藤村、金田、後藤、村山、吉田この辺は2回やってんね。
合格点は若林と吉田くらいかな。
外様で成功したのは石本(広島商)、藤本(巨人)、星野(中日)くらいか。
みな厳しい人ばかりだな。 吉田は3回な
まるでイタリアのサッカーの監督並みだわ >>238
日本ハムの大社オーナーがフライヤーズを買収する際に、既に仲介に入っていた三原氏に、初代監督は息子さんで行きたいと相談したところ、それは…と三原さんは一度は躊躇したとのこと。
三原氏はヤクルトの監督の最後の方は太さんに指揮を委ねることもあったが、首を傾げたくなる采配がままあり、この時点で太さんは監督に不向きであることを見抜いていた。それでも、オーナーのたっての希望だったので、最初は中西監督でやってみたのだが、結局失敗だった まあ元人気選手で客寄せの目的もあるから、仕方ないとしても、2年連続最下位で
辞任させるのもね。三原さんは冷酷だよ、結果的には。ある意味フェアなんだけど。
稲尾、中西、豊田は駒とかコーチしては素晴らしいけど、結局、三原ありきなんだよね。 >>239
やめたのがシーズン途中だったから、とりあえず監督経験者のコーチでという事だったのかも。 >>243
あと、付け加えるとして、大社オーナーは太さんと同じ高松の出身で、太さんが子供の頃から交友があって、いつか同郷の英雄と一緒に仕事をしたいという思いがあったとのことですね
まだ当時の日本ハムは、西日本に比べて東日本ではそこまでトップブランドでは無かったですから、関東の人達に名前をアピールするためにも、まずは全国的な知名度を持った人というのも条件だったんでしょうね ベースボールマガジン1999年夏号の監督大特集での大沢のインタビューによると、
三原は中西について「自分の娘婿だから首は斬りたくないんだけど、あの成績じゃしょうがないから」と言っていたとか。
大沢に要請した理由は「あとは君しかいない。日本シリーズでのプレーも見てるし、
お前さんは監督として、私が見る限りではそれだけの能力がある」という理由だったという。 三原なら元西鉄の選手に人脈があったと思うが、中西を含めて適任者はいなかったのか
だから、元南海の大沢親分に声をかけるしかなかったのか
ライオンズは三原が辞めてから、なかなか名監督が現れなかった
根本、広岡を待たねばならなかった 三原は水原や鶴岡や広岡と違って、指導者を残せなかった。
何故なら彼しかできない、心理戦(ポカリ事件、インタビューすっぽかし)、奇策(ホームスチール、当て馬)ばかりを用いたので、誰も真似はできない。
選手獲得やコーチの採用も巧みだし、独特すぎる。
俺は個人的には三原のライバルは鶴岡だと思う。三原にして「性格が悪い」と言わしめたんだから。彼らの50年代の切磋琢磨というか嫌がらせの応酬は凄まじい。
セリーグのスマートな野球と全く違う。 >>247
西鉄のかつての部下なら、やはり仰木さんでしょうが、三原さんが近鉄の監督を辞めた時に一緒にコーチを辞めようとしたところ、君はもっと色んな人から学びなさい、と押し留めた経緯がありましたからね
仰木さんは西本監督の最初の頃は重く用いられなかったようですが、だからといって、新生ファイターズに…という話は聞いたことはないですから、西鉄人脈はこの時点では娘婿以外は切れていたのでしょうね 三原自体、自身のマジックに酔ってたような。
西本や広岡の選手に付きっきりで育成したり、水原の正攻法さ、ダンディーとは全く違うのと、次の指導者に継承しようとする気がない。
その証拠に、西鉄3連覇達成時に大洋に行こうとしたり、ヤクルトや近鉄にほぼ単身で乗り込むのは、監督マニアというか球団をいじるのが好きなのかなと思う。 >>240
とりあえず現場の頭挿げ替えて周囲からの不満のガス抜きをしよう
っていう魂胆が見え見えやね
野村招聘して、サッチー騒動があっても続投を基本線にしてたこともあったから
この体質が良くない自覚もあったんだろうけど >>250
株が好きで西鉄時代に「日本一の規模の私鉄の近鉄や大洋のような大手企業が持つチームがこれからは球団として伸びる」とか言ってたみたい
親会社が資金力あってまだ組織が未熟だと自分のやりたい事が出来ると思ってたかもね バクチ好きだから…
あと、人を出し抜くのも大好き。
だから、当たればすごく目立つ。
西本とは対称的だ。 そのあたりが根っからの「プロ」の人間だわな。
西本や鶴岡はまだどこかに100%職業野球じゃない甘さがある その熱心な指導をした鶴岡や西本の後継が結局は途絶えてしまったのに
(表面上は)後継を残そうとはしなかった三原野球については
後の仰木なりまさかの栗山なりまでが信徒として残してるのは皮肉やね >>210
下手だよ。守備は全くやる気ないタイプ。
でも西本監督は打てばいいと甘やかした。 晩年の三原監督は巨人のドジャース戦法に手も足も出ず
データで守備位置を指示するヤクルトコーチに対して「選手の勘で守らせろ」
老将も東郷平八郎化していた 佐々木恭介が指導者マニエルを見て
「西本監督の指導に似ているなあ。若手の鍛え方を見ておったんやな。」と感じたそうだ
マニエルが西本野球を受け継いでいる >>255 三原マジックは唯一無二だと思う。
仰木は打順をコロコロし、コーチの権藤や山田の言うことを聞かないなど、結局イチローと震災効果でないと勝てなかった。ノムのヤクルトに完敗。
完敗の仕方が、策がなかったこと。
栗山は本で学んでいるだけで、オープナーとか有名若手の奇をてらった起用法あたりをパクっている感じ。基本的には有力選手を持ち上げてるのは評価できるが、
球団のシステムでやっているので、彼個人の力だけとは言えない。 >>259
栗山監督は中西さんと親交があって、中西さんが保管している義父の生前の資料を通して、三原采配のエッセンスを自分の采配に取り入れているようだね 中西太「三原さんの事についてはもう勘弁してくれというぐらい話してる」 川崎じゃなく大下監督見たかったな
もっともその後の青年内閣〜黒い霧って流れは変わらなかっただろうけども 何かの間違いで豊田監督・中西コーチになってたらどうなったかな。
黒い霧を防げて一定の待遇改善はなされたかもしれないがチームがバラバラになりそうな気がする >>263
天邪鬼な性格で通称「山川さん」と言われたぐらいだからなあ
ベンチで毒舌を吐きまくって早々クーデターを起こされそう >>257 が言ってるように、セリーグでヤクルトはぼろぼろ、パリーグでも近鉄で
結果は残せず、日ハム球団代表で、娘婿中西は大失敗、次の鶴岡の弟子の大沢で
何とか成果を出すみたいな、結構ボロボロ。
結局、自身がスター監督で後継を残す気は全くない。プロの傭兵監督、それはそれでありだけど。
鶴岡がいみじくも言った言葉
「三原さんの後の近鉄でどんな采配をしてたのか興味がある」
これは、三原更迭後の近鉄のオファーを断った時に発した言葉。完全な嫌味。 大洋監督時代も最後の2年は低迷して川上に完全に差を付けられた その後は関わった3チームは全て、就任の目的は強化よりも
八百長の浄化のためだったから仕方ない
放出した選手は真っ黒なのばかり >>268 タイプとしてはセゲオタイプだが、セゲオよりもはるかに逆境からの優勝が
何回もあるんで評価は上。
また、指導者を育てない、もしくは無能なのもセゲオに似てるな。 三原はローテ制度に否定的というか、相反する投手運用してたからな
稲尾も秋山も鈴木も三原時代の登板頻度の多さが目立つ
稲尾秋山はチームを優勝に導いたからまだ良いが、
それが出来なかった鈴木は「あいつがエースでいるうちは近鉄は優勝できない」と
三原に嫌味を言われ、すっかり名将嫌いになってしまった
このせいで後々西本が鈴木の指導で苦労する羽目になる 西鉄最終年、Bクラス確定にもかかわらず稲尾を酷使した采配は興味深い
もしや大洋と日本シリーズで当たるかもしれないチームのエースをつぶそうとしたのか?
そうだとしたら三原こそ真の「プロフェッショナル」 三原って昭和20年代からサイン盗みやらプラトーン起用やらやって
メジャーについて知識結構あったのに稲尾や秋山を使いつぶして
先発ローテーションなかなか導入しなかったのは謎だね。
当時のメジャー先発4日中3日で年間40登板
昭和31年西鉄なら20勝投手3人、18勝1人もいたのにね 三原って昭和20年代からサイン盗みやらプラトーン起用やらやって
メジャーについて知識結構あったのに稲尾や秋山を使いつぶして
先発ローテーションなかなか導入しなかったのは謎だね。
当時のメジャー先発4日中3日で年間40登板
昭和31年西鉄なら20勝投手3人、18勝1人もいたのにね 自己中心的な人かも。目立ちたがり屋でギャンブラー。
大学野球で水原との対決でのホームスチール。
別所引き抜き。
ポカリ事件。
大下騒動。
サイン盗み。
アテ馬作戦。
インタビューすっぽかし。
乱数表導入。
成功した勝負師なんだろうけど、一歩間違えれば長島のカンピューターと一緒。
まあ長島は日本一になるまで約20年かかったけど、この人は西鉄で6年でやり遂げてるんで、はるかに優秀だけど。 そこが正攻法でしか勝てない西本とかとの差異。
追い込まれるとテンパるから満塁でスクイズしたりする 三原はずっとBクラスだったヤクルトでも松岡や安田を酷使していた。
稲尾の酷使よりはずいぶんましになったとは言え今から見たら無茶な起用が目立つ。
そういや三原監督下の抑え専任投手ってあまりいないよな(大洋の権藤正利がそれに近いか)
よそで書いたが、仮に三原が80年代に指揮をしていたらさすがにローテ導入で先発専任とか抑え導入とかしてるだろな。
中三日で完投がノルマとか、抑えだと3イニング以上を連投とか平気でやりそうだけどな 西鉄開幕投手
1954年太田正男
1955年長坂衛
これとか分けわからん >>278
ttp://i.imgur.com/qvqwxgp.jpg
1955年の長坂は「若手のうちもっとも進境著しい」と石本秀一投手コーチが語っていたそうなので期待込みでの起用かな
豊田が2回で2失策と足を引っ張ったようで
1954年の太田の方は当時の新聞を見ても何も触れられてない トンボに黒田博樹の親父がいて代打でヒット打ってるな 黒田博樹の母親は体育教師で砲丸投げの選手
マックス・フェルスタッペンの母親は元カートチャンピオン
母親の血の方が影響するってマジの様な気がするわ >>279 石本さんを投手コーチに据えた三原は頭いい。もっとも崖っぷちでもあったが…
当時のパは鶴岡南海、浜崎トンボ毎日は広商の後輩、いやなキャスティングをしたと思う。
特に鶴岡にとっては、甲子園優勝時の監督が石本だったわけだから…
おまけに、稲尾もとられてしまうし。 三原は選手に魔法をかけて勝たせるタイプで「監督論」は持っていなかった
川上は練習・人間教育・戦術と「監督論」を持っていたから門下生から多くの監督が生まれた 川上は人間的にどうなんだ。広岡、野村、森、星野と少し片寄ってないか?
戦術はドジャースのパクリだろ。 >>284
名門球団で名選手大監督に間違いないだろうな
人間性はクズ、軍隊時代の話、湯口事件のパワハラと捨て台詞を吐いたクソ野郎。 >>285
あと1001も美化されすぎて、暴力パワハラ野郎。
有能監督でも、人間性はクソ。俺は嫌いだな。
川上、星野は。 >>285 巨人の星を含め、マスコミが作り上げた虚像
淡口を評し「この子は親孝行なんですよ」そんな奴、5万といる
>>286 自分は殴られたことあまりないくせに人を殴る。
動機は頭に来ただけとか、気に食わないとか。後で、お金か物あげれば何とかなると思っている。落合はそれを見抜き、見限った。 川上野球の模範は大リーグ
強化のポイントを明文化している大リーグは第三者に説明しやすい利点がある
川上門下生から指導者が多く生まれたのはこのためだろう
但し成功したのは広岡、森ぐらいだが 藤本定義、三原、水原がいろんなチームの監督をしたように、川上もパリーグの弱いチームの
監督もしてほしかった。
太平洋の監督になって、ドジャース野球を導入するのを見たかった。 >> 289 一応、藤田(本当は水原なんだろうけど)
広岡は少し違う。反牧野だったし、川上の精神論信者ではない。
基本の反復練習と頭をつかう細かい野球。
ブレイザーに教えを請うたり、自腹でアメリカに行き体得したもの。
巨人愛、早稲田愛、広島魂が強く、思想として人に媚びたりはしない。だから上とぶつかる。
ただ、毒舌な割には、黒江とか面倒見たり、早稲田後輩の江尻、近藤昭、八木沢などコーチを紹介している。 >>275
水原も勝負師だったが、野球の面ではそれほど無茶なマネはしなかった
土橋は、水原のオヤジにもっと資金面で厚遇してあげれば優勝は1度きりで終わらなかった、と証言している
三原は近鉄時代でもう評価はジリ貧だった 当時の選手間の人気は水原がダントツで、やはり、巨人で第二期黄金時代(11年で8回優勝)はインパクトが強い。
スマートな野球で、姑息な手は使わなかった。
甲子園優勝、六大学のスター、巨人での人気など、すべて三原を上回ってた。
水原が意識していたというより、同郷で2歳下の三原が何故か異常に水原に対して執着していたのではないか。 監督退任時の年齢は水原、三原が62歳、川上は54歳か
川上にはその後、具体的なオファーとかなかったのかな?
それとも本人が巨人以外でやりたくなかったのか、
指導者としての経歴を(数字的に)汚したくなかったのか
しかし退任時やNHK野球教室の川上ってお爺ちゃんに見えたけどまだ50代だったんだなw >>245
最初は日拓と日本ハムとの間で土橋監督続投の約束をしていた様だけど、
結局中西就任に切り替えたのはそういう理由だったのかな? 最後には川上と袂を分かった広岡だが、大いにその薫陶を受けている
それは反復練習、私生活への干渉、必勝法、必敗法の訓示などに見受けられる 川上と広岡が険悪になった根本には現役時代に
広岡が「プロだったらその位は捕ってくださいよ!」
「あんな酷いファースト(守備が下手)で野球ができるか!」と
怒った事がある その上、打撃練習でほとんど時間を取っていたのは川上。
現役時代は打つことしか考えていない。
もっとも、別所も登板数しか考えてなかったらしいが…
門限もそんなに厳しくなく、ベテランには甘かった。
むしろ、当時秋季キャンプとかなかった時代に、練習とか、食事制限とかは広岡が先駆け。今では当たり前だが。
プロなんだから、走攻守、3拍子に一応こだわるのも、広岡イズム。
一応と言ったのは、ベテランには職務上厳しく接してたが、崖の下までは落としていない。大杉、田淵、太田など。 >>295
親会社やチーム名が変わるとはいえ、実質2分の1シーズンで更迭された土橋監督は気の毒でしたな 最初は土橋続投が既定路線でも、結局三原社長が、東映色(水原色と言うべきか)の払拭を重視したんでしょうね 土橋はフジテレビ・ニッポン放送が解説者として拾ったけど、
その縁なのかフジテレビがたまに土日に日本ハム戦を79年頃まで中継していた。
ヤクルトのコーチ就任もフジテレビと球団の関係かな?
ヤクルトでは武上監督が休養して2度目のコーチだった中西が代行もまたまた休養、
土橋が代行の代行として指揮を執ってそのまま正式監督だが、
日本ハムの時とは逆に土橋が中西の後任に。 大洋時代の教え子土井淳は「三原さんの言うとおりにすれば勝てた」と述懐している
三原野球は選手に魔法をかけるマニュアルのない野球 だからだれにも真似できないのだと思う 広岡監督も「広岡さんの言う通りにしたら、できるようになった」「故障が治った」という
話をよく聞く。ただ、三原と違うのは魔法ではなく、理論や科学に基づいていたところか
どちらも卓越した頭脳を持っていたので池沼と呼ばれた 真弓は太平洋を首になっていたら野村南海や上田阪急が拾ったかもしれないな 前から気になってたけどダイエー中日の日本シリーズ、始球式、ゲスト解説が
名古屋中日側が杉下、福岡ダイエーが中西太。
まるでダイエーの前身が西鉄?おかしいだろ?
ダイエー側が広瀬、杉浦、皆川となら分かるが。 南海OBたちは「ホークスは南海の後継球団」と声を張り上げるべきだな 福岡ドームの若者はタマに南海帽子被ってるから嬉しいわ。売り場に南海グッズ売ってるやろな。
西武ドームで西鉄グッズ売ってるし似てる。
腹立つんわ、西鉄残党のファンが強い西武応援してて弱いダイエー見向きもせずに、
西武の主力が移籍してダイエー強くなると、
応援してるの腹立つよな。そう言う奴に限って昔からのホークスファンを名乗るからマジ辞めてほしいわ。南海ファンはもっと怒ってどうぞ。
福岡人の西鉄ファンは西武応援してどうぞ。 >>307
それは「判官贔屓は存在しない」という福岡の県民性を否定することにつながる >>284
パクリだとよw
たまたま当時の巨人が長嶋以外打力あてにならないから(王は一本足になる前)
同じような打高投低のドジャース野球を取り入れただけだ
あとは他のチームに7真似されてばかりじゃねえかwww
川上は2000年頃にインタビューで「今なら全然違う野球をやる」と言ってるよw 果たして、川上に考える頭脳があるのか疑問
牧野あっての川上だったと思うが…
結局、圧倒的な選手獲得力と同一リーグの主力引き抜きでの巨人の采配しか見てないんで、川上の力は測りつらい。
監督引退後、他の球団から引きもなかったので、相対的にもわからない。
藤本、水原、三原、鶴岡のように引手あまたでも無し、巨人以外に影響力も全くなかった。 中日出身で大した選手じゃなく、接点もない牧野を引っ張ってきてるんだから
考える頭脳はあったんじゃないの。 >>310
アホ丸出し。
牧野のあだ名知らんのか?
「茶坊主」
新しい試みは実は全部川上が独創している。
専任バッティング投手導入もキャンプの練習でリラックスさせるため音楽流し台はじめたのも
コーチ任せになったのは軌道に乗ってから。 >>310
アホ丸出し。
牧野のあだ名知らんのか?
「茶坊主」
新しい試みは実は全部川上が独創している。
専任バッティング投手導入もキャンプの練習でリラックスさせるため音楽流し台はじめたのも
コーチ任せになったのは軌道に乗ってから。 >>298
壊れたテープレコーダーか w
広岡スレに帰れウザいんじゃ 今BSで再放送してるムーに時々牧野が出てくるが
選手の実績も監督経験もないのにキー局の看板解説者というのは
当時の巨人人気がいかにすごかったか 川上さんが太平洋の監督になっていたら、牧野さんがヘッドコーチだっただろうな
投手コーチは別所さん、打撃コーチには榎本さんを招聘していたと思う >>316
牧野のヘッドコーチはともかく
川上巨人成立時に投手コーチとなりながらも川上の目に余るほどの出鱈目な投手起用とあからさまなコーチ無視ときて監督の川上と正面衝突し
球団が引き留めるも聞かずシーズン途中で巨人投手コーチを一方的に辞任した別所が
再び川上の下でコーチなんかやらんだろ
フジの解説者時代も川上にはかなり辛辣だったとも聞いたし 川上はレギュラーを獲ったと思われる選手のポジションにも有望な新人を獲得したり、
他球団から力のある選手を補強し、決して選手を安住させなかったようです。
特に森捕手のポジションには、これでもか、というぐらい選手の補強がなされた。
そして森の性格は最悪に… >>319
ライオンズ関連の話をすればもし巨人が狙い通りに
田淵を獲得していたらどんな運命になっていたのだろう
森が手段を選ばずに田淵を潰したのか
森でも天才田淵は潰せなかったのか
38年には慶応大から大橋勲を、40年には市立神港高から吉田孝司を、
42年には槌田、さらに中京商高から矢沢正を、45年には東京六大学の
首位打者、早大・阿野鉱二を…。毎年のように高校、大学の実力派捕手を補強し続けたのだから、
森がぐちるのも無理はない。
だが森は、すべての刺客を蹴散らした。川上哲治が昭和13年から21年間、
王貞治が34年から21年間。「巨人の一塁手はふたりで42年間」とよく言われるが、
どっこい、森だって激務といわれる捕手の座を15年間も独占していたのである。 若菜が以前自著で、もし西部にあのまま残っていたら、
そのままレギュラーを続けたか、広岡さんに嫌われて早々と整理されたか微妙だったと言っていたな。 >>321
讀賣の話はもういいからしつこい野郎だな 川上監督とライオンズといえば黒い霧で投手不足だったライオンズに高橋明を出してくれた事かな
71年、チーム38勝のうち14勝もしてくれて、もしこのシーズン高橋がいなかったら最弱記録でも作ってたかもね
でも翌年、大きく負け越して通算成績も71勝72敗で負け越しちゃった
2006年に64歳で亡くなってるけどライオンズへの移籍についてとか色々話聞いてみたかったな 高橋明は移籍2年目の不振で叩かれてやる気を失い引退を選ぶ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています