南海ホークス20
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
【前スレ】
南海ホークス19
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1579781561/ ちゃちゃいれマンデーやケンミンショウのようなステレオタイプありがとう
ところで野村がヤクルトで優勝した時に
鶴岡が何かのインタビューで野村の良いところを聞かれて
「自分を養ってくれている野球に感謝を忘れないところ」と
答えたのは鶴岡さんらしくかつこの時点で野村さんを
決してdisっていないところが意外でした 鶴岡は野村の高校時代の恩師の熱心な手紙と母子家庭で苦労してる身の上に心動かされ野村を採った
テストで遠投を不正合格させてもらった下りも全て裏で鶴岡の差し金があってのこそ
野村をレギュラーに大抜擢したのも野村の野球に対するひたむきな姿勢を評価したため
見るとこはちゃんと見てる
伊達に昭和の名監督と呼ばれてるわけではない >>94
リアルで野村嫌いな南海ファンなんて見た事無いけど。
その自称南海ファンはどこのファンだろね。 好き嫌いの二極論では割り切れないほど複雑でしょ南海ファンの野村への感情は 昭和30年40年の鶴岡南海全盛期は泉州人ほぼ南海ファン違うの?
泉州の人間がわざわざ大阪湾対岸の甲子園まで足運ぶと思えへんけどけどなぁ。
阪神なんば線の何もない時代やし。
まぁ甲子園の巨人戦は別かしらんけど >>104
こういうゼロか1かでしか考えられない脳はゆとり
ダイエー時代すら知らんガキよ 野村は江夏と柏原を道連れにしただけでもクソだからな
常日頃言う人間教育のできた人間なら辞めるのは自分だけでいいと江夏と柏原を説得してチームに戻したはず
野村が憎悪してた鶴岡なら同じ立場であればきっとそうしてたんだよな 野村はとにかく沙知代を悪く言った者達に対して、とことん泥を塗りたくってやろうと言う魂胆だったんだろう 野村が人格だの人間論だのをうるさく言い出したのはヤクルト監督で成功してからだな
それまでは野球は実力の世界と割り切った考え方だった気がする
長髪だの髭だのは昔から毛嫌いしてたが
まあ真の人格者はこういう当たり前のことをいちいちとやかく言わない
全くの無言で自らの態度と姿勢でのみ模範として示す
鶴岡や西本が一選手に向けて社会人としての常識なんていちいち問うような真似をするはずがない
湯口事件を起こした川上もこういうのが好きだったが自分が非人格者であることを割り切った上でのカムフラージュに過ぎない
沈黙は金雄弁は銀嘘つきは鉄屑 ミッチーサッチー騒動の時にあれだけぶっ叩いたメディアがコロッと変わるんだから不思議なもんだ
近年の夫婦愛アピールは悍ましい限りだった 野村は、南海ホークスは鶴岡が作って鶴岡が潰したと発言した事がある。 サッチーは子供の野球チームでも怒鳴ってた映像がある。
あれを南海でもやっていたと思うと。。。
江本は選手代表で直訴したら、阪神に出されるし、ひどい時代だ。 でも、ノムさんをなんばパークスには飾ってほしい。実績はすごいし、功労者であることは事実。
ここでも、サッチーの意向みたいだから、克則次第だ。
別スレにあるようなノムさんをディスりたくない。
鶴岡さんは広島県人なので口が悪いし、確かにえこひいきもあったろう。
総合的には素晴らしい人なので、和解してほしい。
このままでは、川上>鶴岡(大阪の悪役)のイメージが払拭できないし。 サッチーの意向もあるだろうけど野村自身がお断りだろ 数年前、九州でやってた巨人vsホークスのOB戦出てたけどね。始めは江本しか近づかなったらしいけど。
ヤクルト監督の実績よりも、南海の選手実績でしょ。あの戦力で監督としても優勝1回あるし。 >>114
怒鳴るだけじゃなく
手も出してたやん
自分のガキに手を上げないくせに他人の子供に手を出すなんて言語道断
どう贔屓目で見てもクソBBA カツノリも母親にシバかれてたと著書に書いてたぞ
カツノリの身体が大きくなって腕力で勝てる年頃になると
フライパン持ち出してきたと書いてある そりゃ南海はOBはほとんど死んでるし
ダイエーは誰も知らんわけだし >>122
広岡
「最後に、先日行われたヤクルトの球団創立50周年記念試合で、
私には招待状すら来なかった。OB戦の開催の是非がどうこうではなく、
筋道が通っていない。チームが最下位に沈むのも当然だ。私を誰だと思っているんですか?」 かたや球団の黒歴史でOB選手から腫物扱いかたや球団のレジェンド扱いでOB選手から慕われている
そりあヤクルトユニフォームで葬ってくれと遺言する訳だ
https://full-count.jp/2019/07/11/post437174/2/ >>116
鶴岡なんか全然素晴らしくない
川上は人間性云々を云われるが
川上は真面目に頑張る人間には
暖かかったと黒江らが語っていた
鶴岡の様な好き嫌い依怙贔屓はなかった >>49
高畠「野村さんは昔とは変わってしまった…」
野村「アレ(高畠の退団)は飼い犬に手を噛まれたようなものだ。」 高畠は野村の付録でロッテに来たけど
その後落合、高沢、西村と大打者タイトルホルダーを何人も育てて
確立した自分のやり方に自信があったから
野村と合わなくなってたのでは
変わってたのは打撃コーチとして実績を築いてた高畠の方 10年ぶりに現場復帰して一度失墜した己の名声を高めないとって鼻息荒かった野村と、
その間ずっと現場に身を置き既に指導者としての名声を得ていた高畠
お互い立ち位置の変化がそのまま人間関係にも変化を及ぼした感じ >>128
ここは南海スレでは?
川上の与那嶺や廣岡に対する態度はひどいと思うぞ。
監督としての茂雄や王に対しても。 今月の文藝春秋、克則のインタビューは載っていたが沙知代にフライパンで殴られたことがある
との事 >>133
横からだが
南海スレだから鶴岡や野村マンセーしなきゃアカンのかw 鶴岡親分は南海において神聖にして犯すべからず存在
野村はどうでもいいというか裏切り者だろう南海崩壊の元凶
何が南海は鶴岡が作って鶴岡が壊しただ
親分が築き上げた名門球団をメチャクチャにしたのは他ならぬ野村だからな
川勝オーナーが野村を甘やかせ過ぎて自分が全知全能の南海の神だと勘違いさせた
でなきゃ嫁ですらない不倫相手の愛人をチーム内にずかずかと土足で立ち入らす真似などできるわけもない
ひたすら解任されたと恨み言ばかり言って自分にも非があったと認めすらしないで逝ってしまった 結局野村を中心になんだよな
だから野村がいなくなってからの話はほとんどされない
穴吹時代とかブレイザー時代とかあれはあれで語りがいがある 野村が主力になる前の南海も黄金期なのにほとんど話題にならない 久保寺の不慮の死の話とか新井をはじめとする補弱トレードの話とか門田がアキレス腱切って戸板で運ばれた話とか色々あるにはあるが
陰鬱で気が滅入る内容ではある >>120
港東ムースは南海時代の比ではないレベルでサチヨ伝説がありそう
とにかくサチヨの言いたい放題やりたい放題だったらしい
>>131
高畠の指導で結果を残した選手が感謝を口にするとノムの機嫌が悪くなったという話がある >>135
鶴岡に関してはそう
神聖不可侵の存在
野村は逆
南海の黒歴史として封印すべき存在
なんばパークスでの扱いの様に >>135
別にマンセーじゃない
川上(過大評価)
鶴岡(過少評価)
野村の実績(南海>ヤクルト他)
以上、個人の意見だが。 高畠はヤクルトをやめた後当時田淵が監督のダイエーに移ってたんだよな。
この時期は元監督の広瀬もコーチで戻っていたかと。 >>142
野村の南海での実績はスパイ野球によるものだから価値はない >>142
お前が川上嫌いなだけだろ
川上は野村なんか比べものがない存在
晩年は今ならV9時代のような野球はしないと言っていた
時代に合わせて革新する器量の持ち主
キャンプの練習でリラックスさせるためBGMを流すようになったのも川上が始めた 亡くなってから頭のおかしなのが紛れ込んで来るの何とかならないのかね。 野村アンチは野村嘘スレでオナニーしてろよ。
鬱陶しいからこっちに来んな 野村アンチって不思議だよなー
次から次へと、野村の全く聞いたこともない新情報が出てくるんだよな
しかも、どれもソースなし 「野村話」はもう、オナカイッパイという感じでもういいが
マスコミは「野村語り」が好きだな。
ヤクルト監督以前からマスコミは「野村語り」が好きだったのか? 野村沙知代みたいな正真正銘悪人でも
バラエティでいじられるとちょっと実はいい人のイメージもつくのが怖い 野村アンチは住み分けできないんだよなぁ
嘘スレで同じ意見を持つ人間同士で分かりあってればいいのに
わざわざ南海スレや思い出語るスレにまで乗り込んでくる 野村はヤクルトのチームカラーのおかげで、良い意味で変身した。 たまにはあまり話題にならない選手の話題もしてみようぜ(提案)
中谷とか戸川とか野母とか堀込とか樋口とか >>40
ヤクルト監督時代の野村はかなり執拗な内角攻めをさせていた。
西村とか川崎みたく球威のある投手にも厳しい内角攻めをさせ
長嶋巨人とよく乱闘になってたな。
ヤクルト時代のノムは、もう南海カラーはカケラも残っていなかった。
本人も自分が現役を過ごした古巣に思い入れはあっても未練はなかっただろう。
>>137
最後の優勝だった1973年の日本シリーズ巨人-南海が、数年前にG+で流れてたが
一塁ベースコーチが古葉、三塁コーチがブレイザーだし、野球頭脳では最先端だったかもな。
それでもV9巨人相手には緒戦を取った後4連敗で終わった。
門田博が高橋一が投げる瞬間に、両足をベースよりに移動させて外角カーブを読み切ってる様子が
はっきり映し出されてる。だが、カーブが内角高めに来て、慌てて強振したが一塁ゴロ、ゲッツーになった。 >>157
オチャラケ・フジTVのイメージに上手く乗っかったな。
暗いボヤキが軽妙な漫才芸、落語芸みたいになってしまった。 近鉄って球団経営しようと思ったんやろ?
言っちゃ悪いけど、パールスの状況見て、
球団経営に関してはやる気なさ過ぎやろ。
佐伯オーナーの道楽に過ぎないな。
南海でさえ最初の頃は球団経営上手く行ってたのに、名門チームで。 >>159
門田が球種を読んで足を移動させて打つのって
もう晩年のロッテ戦で抑え牛島の映像で見たことある
投げる瞬間フォークを読んで二歩前に出て落ちる前を捕らえてHR
すげーと感心感動したが
そんな昔からやってたのか・・・ 話題にならない選手
堀井親子・小泉・井上登・林・外山・渡会とか 近鉄は花園もあるしラグビーに力入れてたんだが京阪を除く関西大手私鉄がみんな野球興業やってるから乗り遅れまいと参入したんかな
近鉄はパルケ・エスパーニャをはじめとするバブル投資がほとんど裏目に出て火の車になったからなあ
もうちょっと踏ん張ってたらパ・リーグの隆盛でバファローズも観客動員も大幅に増えてたろうに
オリックスより近鉄に愛着を持ってるファンはいまだに多いし 南海黄金時代に暗黒近鉄パールスファンいたん?
絶対ガラガラやろ藤井寺、日生は。 シュートと言えば野村の実質的な打撃の師匠山内のシュート打ちはまさに芸術的だった
晩年でも平松のカミソリシュートをものの見事にレフトに弾き返していたわ
野村は山内を参考にしてたわりにシュートを打つのはあまり得意ではなかった
稲尾のシュートを投げる時の癖を見抜いて一時打てたがフォームを変えられてまた全く打てなくなった
稲尾に会うたびにお前はスライダーちゃうホンマはシュートピッチャーやとキレていた YouTubeで南海ホークス50年の上ってるの観たけど、なぜか無関係の西鉄の紹介もあったわ、
中西太とか出てたわ。
まぁ、南海のライバルやけど。 宅和とか祓川 渡辺泰輔など
短期間に活躍して去って行った選手も多いな 木村保や林は投手としてダメになってから野手に転向したらしいな >>176
中日にトレードした長谷川と寺田が怪しまれた
長谷川は事故死 寺田は引退後球界を去る
トレード先の中日監督濃人渉も
ロッテ時代その筋との交遊で疑惑 >>176
佐藤公博。鶴岡末期〜飯田時代の中継ぎ投手 >>177
木村はサヨナラ満塁本塁打を記録したその試合では同点となる代打本塁打も打っていて全打点を叩き出している
打たれた投手はいずれも東映の土橋
林は初期のあぶさんに左の代打で出ていたが、登録はスイッチヒッターだった >>179
西本阪急で育ち盛りの若手Pなのに放出されていたから
西本御大からも早いうちに怪しまれたのかもしれない >>145
今じゃ考えられないけど、他の球団もみんなやってた。
広岡が80年代広島市民球場に訪れた時、「まだセンターから双眼鏡で覗いているのか」
と言ってたらしい 星野秀孝も結構忘れられているな
野村時代に西岡とのトレードで来て貴重な左腕としてそこそこ戦力となったが
広瀬時代になり調子が上がらずそのまま引退 >>169
昭和34年 南海(1位)858,869人 近鉄(6位)503,880人
昭和35年 南海(2位)701,417人 近鉄(6位)321,110人
昭和36年 南海(1位)897,060人 近鉄(6位)320,800人
昭和37年 南海(2位)628,877人 近鉄(6位)417,000人
昭和38年 南海(2位)727,468人 近鉄(4位)628,550人
昭和39年 南海(1位)646,235人 近鉄(6位)321,075人
昭和40年 南海(1位)556,811人 近鉄(6位)214,850人
昭和41年 南海(1位)572,371人 近鉄(6位)224,300人 テレ東のスポーツニュースを見てたら、いわき高校野球部監督の名前が木村保だった。
もちろん同姓同名の別人だが。 >>186
当時の大阪球場の収容人数と南海の本拠地試合数はわからんけど
ずっとぱっと見ガラガラじゃないの?
平均で7000人ぐらいは見た目としても多いの?
あとこれ実数なの? >>186
鶴岡親分時代は17シーズン連続で2位以上という強さだったが
昭和30年代の80万人台というのは、当時の人口動態と高度成長期前という
時代背景を考えれば相当の観客動員だと思う。
在来線の強みは関西私鉄の共通だが、やっぱ南海は頭一つ抜けてたんじゃ。
>>188
大阪球場は、この時代くらいまで実数発表だったはず。
昭和30年代は西鉄戦という黄金カードがあって、西鉄戦に限って大阪球場は
ほとんどが満員。「ある大阪の女」(1962年 監督:須川栄三 主演:団令子)という
90分のテレビ・ドラマが「日本映画チャンネル」で放送されたことがあるが、この作品に
大阪球場の南海-西鉄戦のハイライトが2分くらい入っている。どの試合も超満員。
西鉄のキャップがNLではなくL一文字だったので、多分、川崎徳次が監督だった時代。 大阪という人が多い場所
難波という立地
優勝争いしてるチーム
ナイターが中心
それでも1万人ぐらいなのは多いんかね
西鉄戦は満員でも東京とか東映相手だとイマイチだろ >>191
今の基準でモノ言ったら、セ・リーグだって巨人戦以外は悲惨な時代。
今は削除されたが、1972年、甲子園の阪神-広島戦で江夏 vs 山本浩二の
対戦映像があったが、甲子園は通常のアルプス・スタンド閉鎖だけでなく
外野席もガラガラで客がいなかった。
器が大きい分、観衆1万以下の甲子園は閑古鳥以上のガラガラさを感じる。
それでも巨人戦という、当時は年間13試合の超満員確実になるカードがあるから
充分に食っていけた。大阪球場の西鉄 vs 南海は、巨人V9の昭和40年代には
西鉄の凋落でライバル不在、ガラガラになってた。
ドキュメント 南海ホークス 野村克也氏 南海ホークス解任劇
https://www.youtube.com/watch?v=gEqwbuU9Osc
これ見て思ったが、南海は最後の優勝(1973年)から15年後に身売り、移転。
西鉄も最後の優勝(1963年)から15年後に身売り、移転なんだな。 >>184
あのクラスでも左腕不足の南海では重宝された
そもそもマッシーを干してトレードに出さなかったらね 近鉄は優勝して3年後に球団合併消滅
ダイエーは日本一の2年後に身売りだからな
どちらも保有企業の本業が不振で球団を維持できなくなったという事情ではあるが
パ・リーグのいや日本プロ野球界全体の未曾有の危機であった >>82
親分本人も1951年まで4番兼任の監督で相当苦労し、又その間に幼児の娘さんを南海電車の線路に立ち入る事故で亡くしたり、その時付き添っていた親分の
母親もその心労から翌年亡くなりと心労も重なったりという経験からの発言だったろうけど、ノムさんにその辺が理解してもらえなかったって事でしょうね。
ノムさんは親分の1番のお気に入りは広瀬だったと事あるごとに発言しているけど、これ又「鶴岡親分に近い」とノムさんから言われた杉浦さんに依ると、
広瀬は親分の1番の怒られ役だったとの事で、鶴岡本人は「野村は一見大人しいように見えて意外と大胆で叩けば伸びる性格と観て、広瀬と同じように
扱った積もりだったが、実は叩くといじけてしまうタイプだと気付いたんだが、その時には既にどうにもならん所までなってしまっていた。」と仰っていた様ですね。 >>192
その動画に出てる国貞が、杉浦、野村、木村とかに引退後
「ゴリ(国貞)は親分にいちばん可愛がられたよな」
「オレら4連投とかして優勝してよくやったとは言われても、ゴリみたいに褒められたことは一回もないで」と
散々言われて、まさかあんな大スターに嫉妬されてるなんて思わなったと驚いてるな。
鶴岡と国貞は同郷ひいき感もあったんじゃないかと、つべの書き込みにもあるし。 木村でなく三浦やな
大沢は現役時代はひどいやつだったらしいからね >>195
師匠の鶴岡と同じ失敗を野村も阪神でやってるのがなんとも言えんな
褒めて伸ばすタイプの今岡を叱ってつぶかけると言う >>196
広島県人は口が悪いし、不器用。近所の出身は柚木、藤村兄弟、廣岡、国貞他多数。
大下、三村の広商コンビ。張本、福富、広瀬、山本浩くらいまでは何らかの接点あり。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています