〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.25〓
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年棒を安くしたことが、プロ野球の発展に大きく貢献したのは間違いないな 逆では?
パリーグが丁度そこらへんから一気に凋落していった時期だし まだそこそこ強くて優勝も狙えて、黄金期メンバーも多数残っていて、中西監督誕生の話題性もあった62年の地元開幕戦で
既に観客数が1万人を割ってるんだからな。
黒い霧から不人気になった訳ではなくて早いうちから構造的な問題で不入りになっていって
西鉄にはそれを打破する能力も資金も人財も無かった 台湾野球で八百長事件が発生して野球人気が落ちたんだが
「黒い霧」と同じ構図なんだよね
893が裏で野球賭博をやってて儲ける為に選手を買収する
台湾野球って給料が安いので選手は受けてしまう
当時はONの年俸がジャイアント馬場より低かった位だから
パの選手の給料がどうだったか分かる そりゃオーナーが東京に来ても日本シリーズ見ないで別の所で遊んでた会社だもの ドラフトのおかげで安く選手を獲得できるようになり、広島、ヤクルト、阪急、近鉄が大きく花開いた
ドラフトがなければ巨人一極集中が続き、巨人以外は人気がないプロ野球が続いていただろう 上尾高→東京(ロッテ)オリオンズの山崎が5000万
下関商→西鉄の池永も5000万
慶應大→南海の渡辺泰輔も5000万
これが65年最後の自由競争時代の契約金。現在の物価に直すと3億くらい。
大卒の渡辺はともかく、高卒の2人にこの金額は常軌を逸してると非難され
翌66年からドラフトによって契約金の上限が1000万に。
西鉄だと池永と同期入団の尾崎も3000〜5000万との説があった。 >>565
森時代末期もそうだけどファンがこのチームはもう終わりって勘づいてしまったことが客離れに繋がったのかな。あの当時のチームだってこれ以上強くなり様が無かったんでしょ。 永易の年俸は今に換算すると1千万も行ってないね
ttps://number.bunshun.jp/articles/-/833281
一昨年亡くなった永射保は、現役時代「左打者殺し」の異名を取った一流の中継ぎ左腕だったが、
現役時代、オフには身分を隠して自衛隊でアルバイトをしていたという。屈強で仕事もできたので
「正式に入隊しないか?」と誘われて断るのに苦労したという。
当時の野球選手は、一部のスター選手を除いて、サラリーマンとさして変わらない収入で野球をしていたのだ。
1969年に球界を揺るがした「黒い霧事件」は、そういう「プロ野球選手のステイタスの低さ」を背景として起こった。
主犯格の投手は二けた勝利も記録した一線級だったが、年俸は150万円程度だった。
だから高級クラブで接待され、10万円、20万円という金を提示されて目がくらんで八百長を行ったのだ。 >>569
ほう
で、西武はドラフトで安く選手を獲得しましたか? >>573
逆指名・自由枠の時代はマネーゲームには参戦せずに安く手に入る選手を中心に獲得した印象。 >>565
数年前まで巨人を倒して日本一になっていたチームなのにそこまで不人気になる
理由がわからないですね。
他のスポーツに客を取られた、ファンとの間でいざこざがあった、
球場が老朽化して安心して応援できる環境ではなくなったなどの理由でしょうか? >>565
>>575
同日の他の球場も見てみるといいよ
東映−大毎@神宮 55,000
南海−阪急@大阪 6,400
西鉄−近鉄@平和台 9,000
国鉄−大洋@後楽園 39,000 DH第一試合
巨人−阪神@後楽園 40,000 DH第二試合
中日−広島@中日 5,000
地方ではむしろ多い方
ついでに日大三高−作新学院@甲子園 30,000 センバツ決勝 >>575
何だかんだで全国区の人気・知名度があった三原・大下が抜けたのと長嶋巨人入団とマスメディアの発達が同時進行した事が大きかったのかな。 クリッパーズのユニフォーム観てみたいよな。
パイレーツとか。
みんな産まれてないのは当然だけど、歴史勉強と思って復刻やってくれへんかな。 なんで中西はホークス臨時コーチやってるんだよ?
中西とホークスにゆかりないだろ、まぁ九州福岡繋がりだけか。
どちらかと言うとホークスはライバルチームやないの? まぁ稲尾、河村、若菜とかは埼玉とかのライオンズより、地元九州のホークスの方が好きなのは分からなくもないけど....。色々複雑。
まぁ郷土愛かな。 昔から野球ができれば球団にはこだわらない人
ヤクルト、日本ハム、阪神、近鉄、オリックス・・・ >>579
そうなると中西がパリーグのチームで関わってないのは楽天か。 >>580
連投スマソ。
その面々は南海(大阪本拠)時代と移転後を分けて考えているところがあるな。 今時スマソとか、ほんと痛々しいまでにじじいばっかだな ヤクルト・日ハムは岳父の三原ライン
近鉄・オリックスは仰木ライン
謎なのは阪神。どういう経緯でなのか?他にも巨人やロッテでも指導してたな 元親会社の西鉄がホークスを応援しているぐらいだからな
西鉄OB並びに西鉄ファンはホークスファンでライオンズ嫌いと思っておいた方がいい >>584
スマソとか香具師とか絶滅したと思ってたわw
「と言ってみるテスト」とかwww >>585
阪神コーチ就任に関しては確かによくわからないな。
ブレイザーの意向なのか、コーチとしての評判を聞いたフロントの意向なのか…
ただブレイザーの退任で途中から監督になるが。 >>578
悪いけど全く興味無いわ
別に強かったわけでもなし凄い選手がいたわけでなし >>585>>588
阪神の前任者ってえびせん山内かな?
現役時代のライバルだったが
接点は無くとも中西をフロント等に推薦してたりしてなw
打撃理論指導方法は違えど
情熱的な指導では定評のある両人だし
阪神巨人ロッテで指導経験が有るのも偶然か 伊東勤はライバル球団の西武の選手だったのに
中西からコーチしてもらった事があるそうだ 確か西鉄の後の太平洋クラブとかクラウンライターは、
ネーミングライツを買い取った会社で運営自体をしていたわけではない
ということですよね?
にも拘わらず数年で名前が変わったということは、これらの企業も弱体だった
またはネーミングライツの保有が割に合わなかったということでしょうか? 企業としては決してイメージアップになったとは思えんなあ
不人気パ・リーグの弱小球団ではあまりにも暗すぎた
少しは知名度が上がったからいいかもしれんが 日拓、太平洋クラブ、クラウンガスライターのうち
日拓と太平洋クラブは現存しているから
むしろ短期間名前を宣伝した効果があったんじゃね
後に近鉄がネーミングライツをしようとしたらNGを食らったのも分からん
かっての福岡野球と同じなのに >>595
ネーミングライツの候補に消費者金融(アコム)が入っていたからという話を聞いた事があるな。 近鉄が消滅前にネーミングライツで継続しようとしていたのは知りませんでした。
ただ消費者金融がNGなら、パチンコはOKだったのかという話もありますよね。 >>595-596
近鉄のネーミングライツ案はナベツネの一言で却下された
その時点で既に、近鉄を合併して1リーグにするためにオリックスの宮内とナベツネが手を組んでいたとも
ネーミングライツの候補がアコムだったのもナベツネにとっては都合が良かった >>597
テレビニュースでも報道されてたよ
すぐに瞬殺されて、それが当然という雰囲気だった。
そしてその年か翌年かに合併が出てあれが前兆だったのかと驚いた感じだった
近鉄がそこまで切羽詰まってた感じしなかったからな
少し前に優勝して、関西じゃCMよくしてたし >>600
レッドでハッスル〜バファローズ!ってやつか。 タフィ・ローズの高額年俸を払えず放出したのも前兆だった
ホームを近鉄沿線じゃなく自前の球場でもない大阪ドームに替えたのもマズかったとか
高額の加盟料がネックで買ってくれる企業も見つからず >>572
かつてのプロ野球選手の社会的地位の低さ、待遇の悪さというのは重要なポイントだね
>>576の集客数を見ても、集客できているのは首都圏の球場ばかりだ
「パリーグの地方球団の無名選手」なら、今では考えられないくらい地位は低い
これではモラルも下がるし、お金の誘惑に弱くなる
かつての将棋界にあった暴力団がらみの「賭け将棋」と同じだ。
黒い霧事件は起こるべくして起こったと言える ペプシがライオンズを買う話の信ぴょう性は確かなのか
外資規制をどう免れるかをクリアできなくてご破算になったのではないか? じゃなかったらユニフォームがあんなペプシ色にならんだろw >>605
ペプシの関連企業のペプシコ・ジャパン(日本法人)に球団運営を任せるプランだった。
これなら国内企業扱いになって協約もクリアできてた 坂井のその話が一番信憑性が乏しいんだ
外資規制はクリアできてた、でも東映のせいで?嘘くさい! 永射保については上官が「すげえ体力がある奴だな」と思ってたとか
そりゃプロ野球選手だからな
竹之内が焼き鳥屋、若菜が年賀状の仕分け、加藤初がスナックでバイト
長嶋巨人の主力投手だった加藤初がスナックでバイトなんだから
信じられん話だ >>603
この左側のイラストは、1977年は○はの代わりにユニフォームの左袖につけられていたな。 >>609
年俸だけでまともに食えたのは東尾と土井と基くらいかな。
大ベテランの石井や山下でさえ給料が安かったように思う >>611
土井は本業博徒副業野球だったから
余裕で食えてたろうなw
同世代の阪急長池は球団がシブチンで全盛期でも2000万行かなくて気の毒 埼玉に移転するまでのライオンズは1軍選手でもバイトするくらいということは、
当時の選手たちが中州を遊び歩いていたというのもただ豪傑イメージを作りたいだけか、
大下や中西の頃はまだ待遇がよかったというだけなのかもしれませんね。 カネなくても遊び歩いて飲み歩いている奴はいる
貧乏時代のライオンズに大勢いそう 自由競争最後の年は
池永、尾崎=西鉄
山崎=オリオンズ
渡辺=南海
と不思議な事にパの方が金を積んでるんだよな
特に西鉄は無理しすぎ
他は中日が獲った菱川か >カネなくても遊び歩いて飲み歩いている奴はいる
黄金時代はタニマチにごっつあんしていたらしい
だから野球賭博犯にごっつあんしても平気だったのだろう >>616
田淵がこんな事を言ってたそうだ
https://www.sankei.com/west/news/170520/wst1705200010-n2.html
「どうしてもっと自分の『野球』を大切にしないのか、悲しかった。
あの事件があったから僕は現役時代“タニマチ”といわれるような人との交際は一切しなかった。
はい、車代だといって10万円も出すような人は普通じゃないだろう。
タダ酒は飲むな−っていうことだよ」。田淵が球界から得た多くの「教訓」のひとつである。 阪神は今でもちょっと目立つ活躍したらタニマチがすぐチヤホヤしてタダ酒を飲ませたりする環境だからな。
どれだけの選手が誘惑に潰されたか。根本(田淵とは法政の大先輩でもあった)の教えもあったろうけど。 >>616
当時の西鉄に限った話ではないのでしょうが、簡単にタダ酒に預かる隙丸出しの私生活が
賭博師をはじめとした怪しい人たちを近づけた原因の1つでしょうね。
>>617
田淵はいいことを言っているけど、この人は元々裕福な家の出なので
そのような誘いには乗らなかったとも言える。
学生のころからステーキや寿司を食べに行けた身分だと言われてるし。 >>613
豊田の時代はまだ野球選手が一般労働者よりも高い給料だったんだよ
高度経済成長期を迎えてどんどんその差が縮まっていった
ここからバブル期までが最も野球選手が(相対的に)安かった時代 西武がライオンズ球団を買ったころ、当時の長者番付に松沼兄、松沼弟、森繁が出て
いたのを覚えている
当時としては破格の契約金をもらって入団したためだ
「西武の新人選手」が他の財界人や有名作家(司馬遼太郎など)と並んで長者番付に
出るのを見て、西武とはすごい球団だと感じた
貧窮したプロ野球選手のイメージを変えて、「プロ野球は稼げる」ことを示した
西武のプロ野球界参入の意義は非常に大きかった 田淵は金持ちのボンボンで母親から「ボクちゃん」と呼ばれていた >>620
高度成長期終焉オイルショックと
福岡野球時代がリンクしてるね
60年代末期からバブル期直前迄か
倉持明とか今だったらもっと年俸稼げた感
CM等副業の方が割が良かったってのマジだろうし 与田は八百長の誘いを受けたとき
「聞いてはいけないことを聞いてしまった」 と思った
小心者で優しい人だったらしいが
その性格が悪いほうに・・・ >>623
王や長嶋ですら、副収入での稼ぎが多かった分、年俸自体は抑えられていたという話があるな。
事前に下交渉で根回しして一発更改を演出していたというし。 >>621
年俸は推定、に出来ちゃうけど長者番付は公表されちゃうもんね、昔は。
しかしその時代に、ってのが凄いな。
あの権藤なんかは新人の年に長島金田を抑えて長者番付1位になったが
権藤曰く「自分はよく分からないが多分税金は球団がもってくれたと思う」
要はあの当時の貨幣価値で巨額な契約金額を手取りでその金額分貰えてたって事だからなぁ 酷使された分の損害賠償の支払いを先にされたようなものか >>625
ONは後に「自分らが粘って年俸をあげるべきだった」と後悔してたね
漫画界で手塚治虫の原稿料が最高額の基準になっちゃったようなもんで
トップが上げないと他の選手の給料も上がらんのよ
後に落合が「俺が上げないと他の選手の年俸も上がらなくなる」と言っていたのもそう そう考えると今の税引前1億ってやっすいなw
更に「恩師」とかにもってかれるし実際残るのは半分以下だろ 太平洋やクラウン時代には、主力選手の年俸を払うのは本当に大変だったろうね
球場内食堂の米代すらすぐには払えなかったんだろ
遠征費用にも事欠いた創設当時の広島よりは少しはマシかもしれんが 「遅配は一度も無かった」
が
「給料日になんとか全員分揃えた」
事は普通にあったらしい >>628
巨人戦しか客が入らなかった時代にそんなことしてたら球団経営から撤退する企業が続出してたわ。
パなんか軒並み撤退で1リーグになってるわ。
そう考えたらONが銭ゲバしなかったから2リーグ制が存続したようなもん。
むしろ球界のバランス考えた善行だろ。
客も入らん球団がどうやって高年俸払うんだよ? 選手からしたらそんな食うや食わずの企業には撤退してほしいわな
みんな低いからうちも安くします、とかプロの世界で通用せんて >>632
ONは実際はもっと貰ってたという説もあるよね
>>633
そんなお花畑はいいから。
高度成長終わって第一次オイルショック後、
当時の社会状況考えたら撤退する企業は当然だが、
客がらがらなのに年俸高騰で参入する企業あるわけないだろ 歴史の必然だよな。
球団経営赤字で選手に高額年俸払い続ける奇特な企業あらわけない。
それならパが潰れて1リーグになってたよ。 >>633
FAや渡米という選択肢の無い時代なら十分通用するだろ。何しろ当時はグッズで儲けるという概念すら無かったんだから。 選手達も給料の安さや移籍の自由のなさ等
あまりに球団有利な契約が不満で労働組合結成に動いたんだよね A級10年選手とかB級10年選手みたいな制度があるにはあったが、
いつもまにか消えた 結果論だが西鉄がもっと早く潰れてアサヒビールなりなんなりに譲渡してれば事件は起きなかったかも
給料安いわ電気代勿体ないからデーゲーム増やすわナイターも照明ケチるわとかそりゃ八百長やるよ。
別に追放されてもマイナスは少ないわけだし。
台湾のプロ野球と同じ。 10年選手制度で移籍した最後の選手が金田
10年選手制度はなし崩し的に消滅
契約金を抑える為にドラフト導入
「選手が自分の意思で決められるのは引退だけ」と言われるような
経営者有利の状態だったのが70年代で
当然選手の不満は溜まって選手会は中畑を中心にして行動し
1985年に労働組合化した
そしてFA制度導入等の成果を上げた >>602
あの当時の近鉄はすさまじいリストラをしていた印象
あの頃に消えた遊園地や百貨店や劇場は多かったし 最初の約束どおり西鉄と西日本新聞が仲良く共同出資で球団作って、パじゃなくセに加盟してたら、
経営安定し、選手の待遇も良くなり、注目度の高いセなのでその筋の人も近寄れず、福岡市民球団として今でも健在だった気がする。 ワーストオーナーってのがあったら楠根は上位に入るだろう
アサヒビールへの身売りを成立寸前に潰す
黒い霧ではトカゲの尻尾切りで永易に逃走資金を渡す >>640
その割に契約期間満了後も選手が前所属球団に拘束されるって点は放置してるのが無能な所だ
野球しかやってこなかった連中の寄り合いだからとは言え酷い >>643
かろうじてOSK日本歌劇団が、団員主導で存続したぐらいだね。 10年選手制度は金田移籍事件以後オーナー側が面倒がってわざと形骸化させたんじゃないかと思う。
資格獲得直前にトレードに出したり、出したくないベテランには密かに複数年契約を結んだりして行使されないようにしたと思う。
正式な廃止は75年らしいが このスレに合ってる記事だな
東京スタジアムまで建てた永田が反対したってのはいかにもだ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190419-00000012-baseballo-base
事前の情報によればパは全球団が賛成、逆にセは全球団が反対を表明すると言われたが、
ふたを開けると、パでは東京、阪急が反対に、逆にセの広島、大洋が賛成に回ったといわれる(公式発表はない)。
大川オーナーは球団経営の苦しさを訴え、10球団での1リーグ制を現在の日本経済の中での等身大のプランとして提案。
一方、東京・永田雅一は「もうからないからと言って、せっかくつくった2リーグ制をやめてどうする。
もう一度みんなが知恵を絞り、努力してこの危機を乗り越えるべきではないか」と猛反対した。
この年、黒字を出したのは巨人、中日、サンケイの3球団のみ。
1リーグ制への動きは、観客動員やテレビ放映権料で巨人の「一人勝ち」状態が顕著になる中、
すでに上向きにはなっていたが、65年の証券不況各社も影響し、親会社が球団経営の見直しに乗り出したことが背景にある。
さらに、これまで親会社が球団の赤字補填のための費用を厚生費、宣伝費など、いろいろな名目をつけ、
経費で処理してきたものに、国税局が目をつけ、課税対象として検討を始めたこともあったといわれる。
球団別の動きもある。近鉄は独自に広島に合併を持ち掛けたが、広島から「時期尚早」と断わられ、
西鉄は巨人と組んでセ・リーグ入りを模索していたという。 >>631
坂井の本であちこち金融機関駆けずり回った話かかれてたな
創設時の広島よりはましだろうけど >>649
これだけでも永田がいかに経営者として無能かよく分かる ただ永田については私財を投入して東京スタジアムを建設したって時点で
悪く言いたくない
良くも悪くも映画屋で夢を追いかける人なんだと思う ロッテが優勝した時の日本シリーズに永田を招待した位だしな 最初に優勝したときのロッテはまだ永田オーナーだけど、1974年の日本一の時の話? >>654
>永田が球界を去った3年後の1974年、ロッテはパ・リーグを制し、中日ドラゴンズとの日本シリーズに臨んだ。
>ロッテのホーム初戦となる第3戦、後楽園球場のスタンドに、選手や球団に招きに応じ、永田が姿を現した。
>永田が野球場に足を踏み入れたのは、ロッテのオーナー職を退いて以来初めてのことであった。
>グラウンドには永田時代を知るロッテ選手だけでなく、中日側にも与那嶺要、近藤貞雄といった
>オリオンズ在籍経験のある者(指導者)たちが姿を見せていた。永田はその光景を見て
>「まるで息子たちが試合をしているような気がする」とつぶやいたという。
>ロッテはシリーズを4勝2敗で制し、日本一を達成した。 >>652
そういう夢想家はそれだけやらせておいて実務にはエキスパートを置くのがベストなんだが
大映の悲劇は永田が実権まで握れたことだろうな
野球でもパ側になったりコーラの販売でもペプシ側に立ったりと
全てに置いてなんとも裏目に出る御人だが 東京スタジアムは本塁打量産球場と言われたほどフィールドは狭かったがロッカールームや食堂等の
設備は充実してて選手に喜ばれたそうだ そうなの?
前に土橋とかあの時代の投手の座談会で
「うちらの頃は日生とか平和台とか狭い球場ばっかだったから」
って例えに挙げられてたから逆かと・・・ 前から疑問思ってたけど、
地元九州人以外でビジター(地方出身)の太平洋、クラウンライターファンの人間で、
西武なってからどうしたか気になるな。
ファンやめたか引き続き応援したか。 ビジター含めて、地方遠征と
全国にいる極少数派の福岡末期のライオンズファンいてるはずやろ。
極少数派でも。
なにかのきっかけで福岡ライオンズが好きになったんだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています