〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.25〓
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むしろ入団時の契約金だな。尾崎と両獲りで当時の金額で8000万(池永5000万、尾崎3000万)と
財政状況を無視した無茶な金額提示がそれまでの高給取り主力を相次いで放出し
チームの弱体化に繋がっていったのは事実だし >>459
そういうタラレバが一番くだらない。
南海は鶴岡監督が直接口説きに行ったのに、
池永はボールをもてあそびながら「金の高いところに行きますわ」
と答えて「こんな奴いらんわ」と鶴岡は撤退したんだが >>454
父親を下の名前で言ってたのは本で見た
ただ、稲尾に家に呼んでもらって優しさに触れて泣いたり純なとこもあったみたい 下関商時代から記者に対して横柄な態度をとっていて、センバツ大会では「生意気すぎる」とのことで記者クラブから主催の毎日新聞へ抗議があった 飲酒運転で人んちに車ぶつけて逃げ帰って、ぶつけられた家の人が警察呼んだのを恨んだとか、ゴミ以下の人間だよな ここに2002年、ドーベルでの会話が記してあるけど
「西鉄に決めたのは親の意向、他に南海と巨人が熱心に誘ってくれた
自分としては鶴岡さんのいる南海でプレーしたかった」そう
http://www.geocities.jp/hm1964hm/ikenaga-int.htm
しかしそういう性格でよく飲食業、接客業とか長く続けられたね
開店当初は文句言う客もいただろうにね
まあ期せずして事件が池永を大人に成長させたのかな >>465
仮に南海へ入ったとしても
当時の池永の性分だと鶴岡ともノムとも対立してたように思う 最近の野村の本で池永のエピソードは
死球すれすれの球を投げてきて怒って詰め寄ろうとした後に
平気でまた同じ球投げてくる話と
オールスターでゲッツーを取らせる配球を池永に目の当たりに見せられて
勉強になった話が出てたな >>465
親が靴を磨かせて出来が悪いと怒鳴りつけるような奴が親の言うことを聞くかよw >>468
素晴らしい投手だが故意死球の常習だったってのは今も書いてるね
故意死球の常習って他チームから嫌われるからな
デービスが東尾をぶん殴った後に他チームの首脳陣が東尾批判をしていた位だから
(外人への風当たりが強い時代だったのに)
あと渦中真っただ中の1970年4月28日に大杉がボレスをぶん殴って
退場にならなかったのは偶然なんだろうか
球界のケーフェイをマスコミに漏らした事の怒りにも見える >>470
速すぎて審判はわからなかったと言う話もあるし
仲間も素行悪くてかばう気にならなかったんだろう
ttps://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0806/kiji/K20090601Z00002890.html >>465
壮年期になると草野球にも参加していたぐらいだったし
(しかも西鉄のユニフォームだった時もあった)
結構人付き合いも円滑にできるようになっていた感じだね。
家族には身内という安心感からか、
我儘だった若い頃の名残も幾分見せていたらしいけど。 どっかのライターが「幻の300勝投手」だとか「悲運の大投手」と書きたてたから、池永の神格化が進んだ 追放にならずに無事現役を続けられていたら、池永はどんな人間になっていたのだろうか?
現役5年の実績から推測すると、250〜300勝くらいはしたかも知れない。
鈴木啓示、山田久志クラスの投手になったということだ。
一方、その酷い人間性はさらに進化していき、手のつけられない人物になっていたのでは?
監督やコーチは務まったのだろうか? 本人の問題というか悪いお友達が多いだろうから
今でいう立浪みたいになってた可能性が高い 投手の才能ばかり注目されてるが
中西監督が「池永は20勝するから投手やらせてるが
15勝くらいなら打者に転向させているよ」
と言うくらい打者としても素質が凄かったみたいね 西鉄ライオンズは1968年〜1969年と続けて5位だから
黒い霧を抜きにしても弱体化してたんだよね 68年は主砲だったロイと
投はノーノー清俊彦が抜けたのもあるだろうが69年は既にヤオ汚染が拡がってたでしょ 西鉄としては清のトレードは本意では無かったが、野手陣が深刻な駒不足だったため決断したという
外国人選手がいなければ、基、伊藤光四郎、広野、船田が中軸を打つような状態では致し方ない 高倉のトレードも、表向きは船田・宮寺との交換だが、実際は金銭トレードだったという話だ 尾崎将司は「自分のライバルはいつも池永だった。青木や中島じゃなかった。」と言っていたね どっちも人間的にクズだよなw
こんな奴らを獲るから西鉄は消滅した 西鉄は豊田をトレードに出して以来、主軸を打てる日本人打者がいなくなった。
ロイ、バーマ、ウイルソン、ボレスなどの外人が主軸を打っていたが、費用削減の
ため外人を辞めさせると、貧弱な打線になってしまった。
事件がなかったとしても、西鉄の弱体化は避けられなかったと思う。 事件の有る無しに財政難で身売りは避けられなかったろうな
年間観客動員数はジリジリ減っていたし
そして池永も費用削減でトレードに出されていただろう >>480>>483>>484
単発自演知ったか乙w
高倉は宮寺プラス金銭な
船田は田中久寿男との1対1 >>484
上にもある通りアサヒビールに身売り寸前まで行ってたからね
どの電鉄球団もオーナー交代が身売りの切っ掛けだな
西鉄の楠根、南海の川勝、阪急の柴谷 福岡に球団を運営できる会社がない限り移転は仕方ない アサヒビールは球団持たなくても自力で知名度上げたけど
ペプシコーラは最後のチャンスだったかもしれないな 日拓ホームはフライヤーズを買ってから1年も経たずに手放したけど
知名度が上がったんでプラスになったみたいね
日拓グループは今も存続してるし >>493
日拓でググれば出てくるよ
今の社長の奥さんが神田うの
ライオンズ関連だと太平洋クラブも今も残ってるね 伊藤光四郎は二軍監督時代に二軍に沈んでいた加藤博一にスイッチ転向を勧めた。
スイッチになっていなければ阪神移籍前に戦力外になっていた可能性はあるので恩人と言えるだろな 明るいキャラだから苦労人だって伝わらなかったけど加藤博一は凄く下積みが長い
ファーム時代の加藤を見て気に入って獲得したのが吉田義男
吉田義男は野手転向していた遠山を左投手として復帰させたように
使える選手を見抜くのが意外と上手い ペプシやアサヒがライオンズを買う予定だって言われても、実際買ったのは中村なんだけどね >>498
吉田と一枝は阪神で3度コンビを組んでいたな。 木本は「タダでも良いから売りたい」と言ってて実際にタダ同然で
福岡野球に譲渡した
日拓ホームフライヤーズがロッテオリオンズと合併しようとしたが頓挫
東京スタジアム閉鎖
この頃のパ・リーグは国際プロレスの末期並に悲惨なエピソードだらけ
よくここから復活できたもんだ 吉田と一枝は現役時代は同リーグの
レギュラー内野手って以外の接点は無かったがヒゲ辻と一枝が明大の同期&近鉄で同僚だったのが縁で阪神に前後して移籍して共に吉田の下でコーチになってからだな
辻は吉田と対立して球界からも去ってしまい萩本の欽ドン野球に
尾崎 荒川尭 森徹らと出演していたが >>501
>タダでもよい
「タダより高いものは無い」を
真に証明する結果になったな
西鉄は福岡政財界の中村への嫌がらせに追従していた腐れ企業だったし タダでもよい、って言う所に敬意を表して1億払って嫌がらせされたのかw >>504
え?
マジで福岡野球もとい中村商店は
西鉄に当時1億も払ったのか
好い人過ぎる 恩を仇でかえすとは
この事だわw だけど後に西武に売って福岡を離れる事で
福岡財界にしっぺ返しをしたからね
流石は岸信介の秘書だった人だよ それ「しっぺ返し」って言わなくね?w
(福岡人は思ってるかしれんけど) >>493
高田馬場ででかでかと広告だしてるな
関東に住むまでは過去の企業かと思ってた >>505
ライオンズの過去に敬意を表してらしいな
当時はタダ同然といった報道もあったらしいが Sは佐藤公博 Mは三浦清弘だな
もし、あの時…我が身に迫った黒い霧(後編)
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/dailyfield/entertainment/dailyfield-20181123006
投手Sが大阪球場の選手入り口横の小さな事務所で、午後4時から5時頃に、
後ろを向いて電話をしている姿を頻繁に見た。それは組織がハンデをつけ、張り手に知らせる時間帯だった。
同時期、投手Sはチーム内で目を付けた投手に八百長を持ちかけていたらしい。投手Мはその疑いで事情聴取を受けている。
ある日、投手Sは大阪球場のロッカー横の小部屋に私を呼び入れた。
「これ、着ないか?」。ペンギンマークのポロシャツを差し出した。そんなことをする選手に出会ったことはない。
当時は高価なシャツだ。どうすべきか。戸惑いの中でシャツのサイズが目に入った。
「あっ、Sさん、これ、アメリカサイズのL。おれには大きすぎるわ」
そう断って、なぜかほっとしたことを覚えている。あのシャツを受け取っていれば?。
知らぬ間に黒い霧の中に入っていたのではないか。
もし投手Sが警察の調べで先発投手情報の入手先を問い詰められた時に
「シャツを渡してデイリーの記者にも協力してもらった」とでも答えていたら、私はどうなっていただろう。
半世紀も前の出来事。今も思い出すと戦慄(りつ)を覚える。
投手Sは69年のシーズン限りで引退。事実上の永久追放になった。
一時、暴力団に追われたらしいという噂を聞いたが、それ以後の消息は知らない。(終わり) 三浦は黒い霧の前から野村に嫌われていたのかな?
引退後はふぐ料理屋を経営していたらしいが(現存)野村が訪れた事はあるのだろうか 佐藤公博は中日で八百ウィルスを
蔓延させたと古い中日関連誌にある
何故中日が柿本実と交換したのか解せない それまでの実績に差が有りすぎるのに 中日はトレードがあまり上手くない
監督との確執があったとは言え江藤⇔川畑和人ってのも凄い 桜の花満開時に行われた平和台球場での開幕戦が懐かしい・・・ 「ライオンズを福岡から盗んだ球団の始球式なんかできるか!」
中西がこんな偏屈じゃなくてよかったと思う 「盗んだ」って思うのはさんざん嫌がらせした福岡の人間だけだろうし、
中西さんは四国の人だしね >>517
「埼玉西武ライオンズ」はどう長く見積もっても創設30周年だろwww
「埼玉」を名前に入れたのは結構最近だし。 所沢移転してしばらくは西鉄臭を消そうとしてたが
時間が経ったらそういうのは消えた感じ
2011年にもこんなイベントをしているし
ライオンズ・クラシック2011〜最終章〜「試合前セレモニー」
https://www.youtube.com/watch?v=6t4TY2WtqIQ 「西武は福岡時代を抹殺している!」
豊田泰光が週刊ベースボール誌上で、こう吠えているのをよく見かけた
具体的にどう抹殺しているかの説明はなかった 伊原や土井みたいに西武時代まで選手だった人がコーチになる事はあっても
福岡時代迄に引退した人には冷たかった >>522
「ライオンズ球団創設70周年」なかわかるが、
「埼玉西武〜」だと所沢移転後だからおかしいってことでしょ
30周年じゃなくて40周年だね 中西の四国の後輩・近藤昭仁も逝ってしまったか・・・ 中西は大阪で阪神戦の解説をしている
西武の選手の名はおそらくほとんど知らないと思う 00年あたりだと
稲尾、中西、豊田の三人だと中西さんが
一番やせててやばそうだったのにわからないものだ 中西は戦時中でも食べ物に困らなかった、とどこかで見た。
成長期に栄養不足だった人は早死にするよやっぱり・・・ 中西は西鉄OB会会長だけど、年齢下の稲尾、豊田より後になったのは不思議だな 野球で「自分は監督よりコーチが向いている」と自覚したように
OB会でもトップになるのに消極的だったんじゃね
以前は高倉が会長をしていた位だし >>535
わしの頃に守備の上手いショートがいれば…
とか思ってたりしてw こういう性格も追放された要因だったんだろうね
ttp://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190127-01
入団以来、池永はマウンドで発揮する強心臓に加え、
ビッグマウスもあって一部の記者からは「ナマイキ」と嫌われた。
中西太監督は言う。
「若いくせに横着だ、ナマイキだと、池永は入団前から事あるごとに叩かれてきた。
あれだけマスコミからなんやかんやと袋叩きされるようなことを言われたら、
普通の人間だったら精神的にがっくりくるもんだが、池永は違っていた。
一言も弁解せず、マウンドでしっかり結果を出す。大したもんや」
一方、池永自身は「ナマイキだとか、思い上がっているとか、
人の口はなんとでも言うものです。そんなこといちいち気にしていたら、
ピッチャーなんていう、ヤジの真ん中に立つ仕事はやれません」
大した19歳である。 >>534
食糧不足から壊血病になり死にかけた
すぎやまこういちさんは健在ですけど >>540
頭のおかしな人
「極稀な例を取り上げて反論する」 でも戦時中の世代ってそれ以前の日本人に比べて劇的に長生きだぜ
まあ戦争に行ってないからってのもあるが よく知られたことだが、1949年の球団拡張時、福岡市では西鉄と西日本新聞が共同出資で球団を設立し、
パに加盟するはずだった。しかし新聞派の西日本が読売との義理でセに単独球団作って加盟、1年で経営破たん。合併。
もし最初から西鉄と西日本新聞が仲良く県民球団「福岡ライオンズ」を作り「セ」に加盟してたら?
西鉄も西日本新聞も健全経営。今でも在福財界にも支えられ、福岡市民球団がセにいたのでは? >>543
無理じゃない?
後の福岡財界のクズっぷりをみると 表社会も裏社会も博多系、福岡系の対立に、北九州系、久留米系が絡んだり、時に大牟田系、筑豊系まで絡んで、
何事に於いても修羅の国化する福岡じゃあねえ(´・ω・`) 西鉄オーナーの西亦次郎がドラフト会議を提案して導入させたのは
池永と尾崎の入団にとんでもない費用がかかった事が切っ掛けだったとか ダイエーホークスを福岡に誘致できた理由は
・福岡市が球場予定地を破格の安さで用意していたから
したがって福岡にライオンズを留まらせるためには
・福岡市が福岡で球団経営したいと思わせるメリットを用意すること
・これを用意していないのに、中村に親会社の誘致を頼むことは不可能 >>546
これ恐ろしく身勝手な理由だよな・・・
そんなのお前らの都合だろと >>549
池永や山崎裕之の契約金は当時で5000万オーバーだったって話だからな
そりゃ他球団も賛成するよ
ドラフトが始まってとりあえず契約金の上限は1000万になった ドラフト制1期生の長池は
南海入団のつもりが阪急に指名され
契約金も抑えられて損したと当時の回想でぼやいていたなw
あと長池は実績の割に土井や大杉に比較して年俸が安く抑えられて1500万前後までしか行かなかった 散々既出だけど、阪急は主力の年俸を抑え気味にしていた一方で、
総合的な待遇の面では南海や近鉄みたいな酷い話は聞かなかったな。 昭和30年代では、金田と稲尾の年俸が2000万円前後で、球界最高額だった
実績から言って当然とは言え、西鉄はかなりの高額を稲尾に支払っていた
昭和40年代のパリーグは、年俸がかなり抑えられていた印象がある 選手からしてみたらたまったもんではないわな
「高過ぎるからみんなで安くしましょう」
とかそんなん払えない所だけやってろよ!と >>551
長池は南海末期にコーチをしていたけど、
その縁が売却後の福岡放送での解説に繋がったみたいだ。 >>548
馬鹿ですか?
「壊血病になり死にかけた」状態から回復しただけでも「ごく稀な例」とわからない? >>555
西武のコーチを引き受けたので3を永久欠番にするのが取りやめになったんだな>長池 暗い話題しか出てこんなぁw
末期の福岡・ライオンズの場合はしょうがないけど WIKIによるとドラフト提案は
パの全球団が賛成 セでは大洋が賛成
巨人と阪神が反対
西の説得で中日とスワローズが賛成にまわって
3/4が賛成にまわったので成立に向けて加速したとか >>534
今思えば旧制中学や戦前の大学出身の野球選手て
家そのものが裕福な人が多かったろうしな
義務教育終えたらとっとと就職させられた人のほうが多い時代だったし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています