惜しくも届かなかった記録
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大杉勝男 両リーグ200本塁打(パ・リーグ287本、セ・リーグ199本) 西口文也
9回まで完全試合1回
9回二死まで無安打無失点2回 杉内のやつと山口のやつと菅野のやつ1つのフォアボールがなければ完全だった 吉村は通算150本塁打
引退した年の年末特番で150本ホームランを打つ企画をやってた >>110
結局打てなかったんだっけ?
代打とかで他の人も出てきた記憶がある 吉永の年間30本
雨で取り消された、西武ドームでの30本目のホームラン 飯田徳治(1978安打)
毒島章一(1977安打)
小玉明利(1963安打) >>10
あまり縁が深いとも思えない神宮球場を借りてやってたな。
東京ドームは使用料が高いんだろうな。 角の99セーブはどういうことだろうな
球団が気を使えば可能だったと思うんだが >>21
両年とも優勝してる。できなかったのは中日。
57年水原巨人は宿敵・三原西鉄に引き分け挟み4連敗の屈辱のせいで(前年と翌年も)リーグ優勝が霞んだ。
61年は中日より勝ち星が1勝少ないが勝率の差で逃げ切り川上監督1年目でリーグ優勝&日本一。
日本シリーズは先日逝去したスタンカのかの有名な
「円城寺、あれがぼーるか秋の空」。 大野の148勝138セーブは遠いけど引退年まですごい球投げてただけになんか惜しい 吉永が29本打った年は1997年で名称は西武球場
この年のオフに第一期工事で外周鉄骨屋根部分を施行して
翌98年に膜張り部分なしのまま西武ドームに名称変更
98年オフに第二期工事で膜張り部分を施行して
99年より原則雨天中止なしのドーム >>23
記録を達成させてあげなきゃとか、トライアウトを持ち上げてクビにしたら可哀想みたいな近年の風潮がおかしい
選手の待遇は当時よりも格段に上がってるのに >>9
甲子園だと新谷があと1人でデッドボールだったかな >>27
98年の名称は仮称的に「西武ドーム球場」だったが、
中途半端に改称するのならライオンズ球場のままで1年待てば良かった。
翌99年からは「西武ドーム」にしたのだから。 >>19
当時から名球会があれば絶対2000本打ってから辞めたはず。 >>24
たぶん昭和57年と61年の意味かと思われ >>34
なるほど
74年、82年、86年は勝数で上回りながら優勝逃してるな 83年7月29日時点で
山本浩二25本塁打
バース9本塁打
シーズン終了時
山本浩二36本塁打
バース35本塁打
なお、大島康徳が最大12本差を追い付いて
山本浩二とタイトルを分け合う >>36
よくバースはシーズン途中で首にされなかったな。 >>37
しかも4月ノーヒットだし
早けりゃここでクビだったかも >>17
結構早い時期(8月だったっけ?)で、1本ぐらい取り消されてもすぐに打てるだろうって思ってたら、結局ダメだったんだよな ミッチェル(日ハム)とケージ(阪急)のホームラン王
ともにノーゲームで本塁打を損したが、ミッチェルは2本フイにした >>28
そうだよな
巨人をクビになった村田を獲得する球団は
2000本まで面倒見なきゃいけないのが
ネックだからどこも獲らないとか言われてたもんな 加藤英司と榎本喜八の生涯3割
谷沢健一の通算1000打点 1992年 前田智徳 19本塁打 89打点
2001年 清原和博 打率.298 29本塁打 98年の30年以上日本一になってないチーム同士の日本シリーズ >>9
それいうと
ブロスのやつも大森が避ければ完全やられてた >>23
最後の年はヤクルトで優勝争いした1992年だから無理 1976年衣笠祥雄
.297で8打数4安打なら3割という状況で
最後のダブルヘッダーを迎えるが7打数3安打.299で3割に届かず
しかも自分の前の萩原の打順で試合終了
その原因を作ったのも自身の盗塁死で最後の1打席を失った >>9
特に杉内のは9回2死まで完全で、そこからのフォアボールだったしなあ。
ちなみに俺の知人がその試合を観戦してて、場内は異様な盛り上がりだったらしい。 81年の門田の5試合連続本塁打→1試合ノーアーチ→5試合連続本塁打
間の1試合に本塁打が出ていたら 国鉄スワローズ村田元一の完全試合未遂
9回2死からファーストがゴロをはじいて
公式記録員が悩んだ末に強襲ヒットにした為
完全試合どころかノーヒットノーランにもならず 坪井智哉 976安打
1000安打を達成するために2度の戦力外を受けても諦めなかった
98年の打率.327は新人最高記録 1955年南海ホークスのシーズン99勝
これでも2位西鉄が夏場まで肉薄して90勝というのもスゴいが >>75
それは82年の時だな
ただし中日は54年 西武(西鉄)は58年以来だ 仲田幸司 99敗
新庄剛志 04年 .298
00年 28本 >>10
意味不明なことに、150本目を打つという企画じゃなくて、一晩で150本の柵越えを目指すという、全盛期でも無理ゲーな企画。 >>10
怪我後にパリーグにトレードされれば300本は打てたな >>63
もし第1試合で3割に乗ってたら
第2試合欠場したのだろうか… 逆に最終戦に出場しちゃったせいで3割を逃したのが1996年の鈴木尚典 >>80
76年なら特に全試合出場にそこまでこだわってなかったのでは?
こだわっていたとしても守備だけとかの出場はできるしね
フルイニングは途切れるけど 通算打率が低い選手ほど3割もギリギリで逃してる印象 >>23
野村が忘れてた
シーズン終了後気づいたんだか人から教えてもらったかして「申し訳ないことをした、どこかであと1つつけさせてやるんだった」と言っていた >>72
1割台ではなく2割ジャスト
あと1本安打が少なかったら.197だった 中日の藤井 2009年 438打席 打率.299 で規定打席を逃す
落合監督に嫌われてるのではと中日ファンの間で噂された 1976年衣笠はラスト7試合で29打数16安打の猛追だったが
9/25〜の5試合19打数ノーヒットで3割切ったのが痛かったな >>89
藤井はちょうどそのタイミングでケガしたからだよ >>63
広島初優勝の75年は
浩二が首位打者だったが
セ・リーグ最終戦の中日vs阪神戦で
中日の井上弘昭が4ー2か3ー2で
逆転首位打者だったが最終打席死球で
1厘差で逃したな
(当時は表彰外だった最多安打は井上) 2001年清原の
率298、本29、点121は、
3割、30本、100打点にもう一息 >>95
打点121は打点王のペタジーニの127に惜しくも及ばず
タイトル獲得していてもおかしくない数字だけに惜しかった 20勝できなかったか中での15勝最多経験って誰だ?
杉内は4回 野茂7回 松坂7回 星野仙4回 桑田4回 >>96
ここでタイトル取っておけば、薬に逃げることもなかった 清原といえば通算2000三振も
未出場だった2007年にある程度出場していればね >>94
当たってないって必死に主張したんだっけ?
ソースは近藤本だけどw >>94
直接対決で井上を満塁で敬遠したんだったな バリー・ボンズは通算で2986試合出場、2935安打、1996打点、5976塁打ともう少しで大台の記録が多い
あと68得点でヘンダーソンに並ぶ通算最多得点だった
2005年にほぼ全休したが、それがなければ… 金本が出てくるまでの阪神の和製大砲
八木 90年 28本
新庄 00年 28本
今岡 04年 28本 05年 29本 新庄は
2000年に30発、
2004年に3割
達成しておけば
「でも数字はw」と
いちいち言われる事も少なかったかもな。 内川の500打数189安打で
あと11安打で4割だったってのもなんか惜しい >>102
終身打率も.298 最終年に3割陥落してしまった
同じようなことになったのがアレックスロドリゲス
700本2000打点に拘ってしまったのか、現役晩年に3割陥落してしまった
しかも696本塁打で終わり 交流戦でDHスタメンで出るだろうし1本ぐらいは打つさ マントルは通算打率3割を切ったのをすごく後悔していたらしいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています