幻に終わったトレード
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>5
桑田=ダーティーのイメージが強烈過ぎて相手先から断られる羽目に。 77年オフ
江夏(南海)⇔三井(ロッテ)
ロッテが野村を引き受けた真の狙いは江夏の獲得だった。
南海は三井を交換要員に指名したが、
ロッテは大出血しなくても必ず放出すると足元を見てこれを拒否し
江夏・柏原⇔2軍選手4名のトレードを提案。
今度は南海が拒否し、ロッテには野村と高畠コーチの移籍のみになった。 00大村←→坪井
92吉村←→平野謙
98小宮山←→山本昌
88門田←→古久保・吉田剛・+投手池上だっけ?
96石井浩郎←→進藤・三浦
99石井浩郎←→潮崎
09G,G,佐藤←→江草
01仁志・清水←→清水将・小林雅
87掛布←→田辺
87高橋慶彦←→田辺
87田代←→田辺
93秋山←→桑田
93秋山←大魔神佐々木 関本が毎回放出対象になってたような
まあスポーツ新聞や週刊誌の与太なんだようけど 新垣とか吉村絡みのトレード記事もしばしば出てた気がする ロッテの愛甲猛さんが巨人の槇原と交換させられるという話があったと
(追加の選手の名前は忘れた)言っていた。
冗談だと思って放置しているうちに立ち消えになった。
その後しばらくして中日行き。 愛甲に誰かロッテ主力を加えても、槇原1人とつりあうような時代は
ただの一度もなかったと思うんだが 愛甲の成績はショボ過ぎるからな
あれで一塁のレギュラーはないわ 80年代の槙原なんて落合でも出すの渋るだろ 江川の後釜筆頭だったし 槙原の商品価値は高かったんだよなー
大野豊とかと投げ合わなければ200勝できたんだろうな。
FAで長嶋がバラ持って止めにいったしな。 当時の巨人の投手で愛甲と釣り合う選手
うーん、吉田修司とか香田あたりかなぁ スポーツ紙ネタで申し訳ないが当時ロッテ投手陣は、左腕不足で悩んでおり
甲子園優勝投手の愛甲を緊急時のワンポイントリリーフ要因で真面目に検討してて
もしそれが現実化されてたら、もうちょい商品価値上がったかも。 愛甲の投手ラストイヤー
83年48試合登板
投球回24と1/3でフォアボール28個
これはワンポイントも務まらないだろ 高橋慶彦と田辺って
釣り合うわけないのに
よくやろうとしたよな 今後を見込めば広島の方が得だけどネームバリューや集客を考えたら西武も決して損とは言い難い。成立してたらノムケンの獲得もなかった?それともノムケン獲得を見込んで見送った? 田辺とヨシヒコ、年齢差9歳で田辺お得
守備比較
田辺 決して守備範囲は広く無いが取れる範囲の打球は確実にさばく(西武球場でイレギュラーな打球無い人工芝)
慶彦 俊足を武器に広い守備範囲ながらイージーなミスも多い(ただし広島球場天然芝)
走塁は、もう慶彦の勝ち、比べようがない
打撃
キャリハイにすると2人の打撃スタイルがよく判る
打率本塁打打点盗塁キャリアハイ
慶彦 3割0分7厘 24本塁打 71打点 73盗塁
田辺 3割3分8厘 13本塁打 68打点 18盗塁
打撃、オフェンスに関しては慶彦が上とみるけど。年齢差で9歳差は重労働のショートではどうだろう? そもそも売り出して間もない田辺放出を西武が画策すること自体不自然だった >>34
横浜・多村⇔ソフバン・杉内ってのもあった
80年オフ
南海・門田+定岡⇔巨人・新浦+河埜 村田兆治新浦も有った
しかし、門田博光、村田兆治の巨人は似合わない!!絶対に水に逢わない!阪急加藤秀司(秀二)や日ハム高橋直樹と巨人鈴木啓示も似合わない
>>35
> >>34
> 横浜・多村⇔ソフバン・杉内ってのもあった
>
> 80年オフ
> 南海・門田+定岡⇔巨人・新浦+河埜 >>31
というより松田元と慶彦が正面衝突しちゃったから慶彦追い出せるなら相手は誰でもよかった 門田博光、巨人トレードは記憶に残ってる。
当時、野球観始めたばかりでっ巨人ファン。
たぶん東スポ?か中日スポ?でアキレス腱故障で長期離脱中の門田トレードの一報
初めて門田の写真見て「なんだ、この中年サラリーマンみたいなの!いらないよ〜」
って思った記憶がw >>35
その門田のトレード未遂って、よく言われるけどどうも腑に落ちないな。
だってその前年ならまだしも、80年の門田って40ホーマーして復活した年じゃ
ないの?それをトレードで出すなんて普通考えられないけど。 いや、南海で一番年俸高かったんだから普通にありうるだろそんなん。
それよりも(お互いに事実と認めてる)掛布とのトレードにしてもそうだが、
アキレス腱切った後のDH専門田をセで使うリスクを本当に考えてたのかね?
阪神も巨人も。 >>39
定岡兄いわく
>>34のトレードはもう決定してて、お互い兄弟一緒にってのもあったとか
あと門田は王の後継的打者で、新浦は当時南海にマトモな左先発が居なかったからだと思う
結局長嶋辞任→藤田新監督が「新浦は出せない」でボツになった 75年オフ
東尾(太平洋)⇔柴田or高橋一(巨人)
77年オフ
東尾⇔?
79年オフ
東尾(西武)⇔定岡(巨人) >>43
すみません、77年オフも巨人からトレード打診されてます(相手はわかりませんが) 58年の日本シリーズで、実況アナウンサーが東尾のことを「かつて巨人への
トレードが決まりそうだったことがあります」と言っていたのを覚えてる。 75年オフ
高橋一(巨人)⇔三井(ロッテ)
しかしカネやんは末次(当時の5番バッター)を要求 セ・リーグに逝ったら門田は守れないだろう…
まさか負担の少ないファーストにコンバートかい!?
門田さんは身長169位で低いからファーストも無理だよ
>>41
> >>39
> 定岡兄いわく
> >>34のトレードはもう決定してて、お互い兄弟一緒にってのもあったとか
> あと門田は王の後継的打者で、新浦は当時南海にマトモな左先発が居なかったからだと思う
>
> 結局長嶋辞任→藤田新監督が「新浦は出せない」でボツになった >>10
江夏は来なかったし、野村は全く役に立たなかったが、高畠は野村退団後も10年間ロッテに残って多数の選手を育てたから、功績大だな。 >>14
んで毎度阪神出血トレードも辞さずとか書かれてるんだよなw
関本のどこが出血だよと毎度心の中で突っ込んでた 伝説の野田と松永のトレード
当初は野田じゃなかったような… >>51
当初は松永⇔仲田幸司だった
あと湯舟も候補に入ってた 清水(葛飾区青戸6)の告発
清水の父母「息子と娘にいつでもサリンをかけに来やがれっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 >>52
92年大躍進のエースは阪神も出せないよなぁ…
湯舟は3年前のドラ1でノーヒットノーランも達成してたし。 【マイトLーヤのTV出演】 『何の情報もないのか』 Wセイブ・ジ・アース″ 『むしろ人類は危ない』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525571623/l50
GW遊んでる場合か! 三井って人は毎回トレードのタマに挙げられてるが
なんか理由あったの? >>57
サウスポーならびに、うまくいけば二ケタ投手だったからな。 ★★★熱帯魚は何故、あんなに美しいのか★★★
http://jbbs.livedoor.jp/study/3729/s●torage/1162001315.html#125
この掲示板(万有サロン)に優秀な書き●込みを●して、総額148万円の賞金をゲットしよう!(*^^)v
http://jbbs.livedo●or.●jp/study/3729/ →リンクが不良なら、検索窓に入れる! >>57
>>58
流れから考えると三井浩二じゃなく三井雅晴のことじゃないかな。 1962 国鉄金田 西鉄豊田 結局金銭トレードで豊田が国鉄に売られた 豊田のプレーに当時の産経の総帥・水野成夫が惚れこんだんだよね。
スワローズを買収することは決定していたので、豊田をなんとしても自分の手中にしたい。
そのため、ありとあらゆる力を使って、西鉄に拒否させない状況を作り
金銭トレードを成立させた。 >>51
当初阪神が藤井を要求したけど断られた。それならと
偏屈で浮いた存在で若くもなく一発が激減してた
松永(出したがってた?)になった。
野田は92年7月は異常に調子良かった
(なんと4完投3完封)けど、それ以外の月は不安定
だったしセリーグの打者はあんまフォークに反応
しなかった。こまったらフォークみたいな感じで
やや限界を感じさせていた。嶋尾が成長していたし、
とにかく92年は阪神投手陣がこれでもかってくらい
キャリアハイ出してたので、投手に関しては
まあいけるやろみたいな感じだったのかな。
結果を見ると偏屈な松永は(セリーグの配球はよく
わからんとこぼしていた)義理を感じることなく
1年でサヨナラ、ダイエーでも1年しか持たず、
野田も93年以降は並の成績に落ち着いた。 97年オフの阪神ー中日
久慈・関川ー大豊・矢野
この時桧山放出ー中村武志要求案も
あったらしいね。
99年に関川が爆発して中日が優勝した時は
情けなかった(大豊・矢野も好成績だったが)が、
結果的に阪神に利があった。 >>65
このトレード、阪神は矢野ばかりに目がいくけど大豊もそれなりに頑張ったんじゃないかな。
阪神での3年間は出場も100試合を切ってもちろん規定到達も無理だったけど広い甲子園でホームラン21・18・23はよくやったと思う。
阪神2年目は試合出場も半分くらいだけど打率も341だった。 こんな便利な機器(チューナー)があるんだ!
satch.tv/review/satella2review/?mref=445 1975年オフ、巨人が野村克也を選手兼ヘッドコーチとして招聘する案があったが、長嶋が首を縦に振らなかったためポシャったと聞いた
これが実現してたら交換相手は誰だったかな。それこそ堀内とか小林とかか。 74年オフ
張本(日ハム)⇔江尻・米田(大洋)
75年オフ
張本(日ハム)⇔江夏(阪神) >>69
もし実現していたら、江夏の南海移籍は無かったね。
南海の監督は誰になっていたのだろう?
広瀬のプレイングマネージャーは考えにくいし、
杉浦は近鉄コーチ辞任直後だからこれも考えにくい。 >>75
同年限りで現役引退して太平洋を退団した国貞だったかもね 広瀬は野村との仲が冷え込んでから小池共々野村が引退させようとしていたが
球団が拒否して現役を続けさせていた
もし野村が75年で退団していたら、広瀬の引退と監督就任が早まっただけだと思う
国貞は広島でも太平洋でも拾ってもらった時は「恩返しする」と
殊勝なことを言ってはオフに首脳陣批判してたから指導者としての芽は無かった 92年オフの
阪神ーオリックス
仲田ー藤井
それが両者妥協で
野田ー松永になったようだ。
前者でやっていれば!
まあ阪神の優勝はまずなかったろうが。 張本⇔江夏トレードはことあるごとに出てくる成立しなかったトレード
ほぼ成立してて張本は関西に住居手配まで済ませていたが駆け込んできた巨人に掻っ攫われた
ライバル球団に移籍することになった張本が吉田監督の元に謝罪に訪れたとき
「こっちのほうが君のキャリアに良い」とあっさり許したヨッさんはなんだかんだ言って偉いと思った 阪神があっさり張本を諦めたのは甲子園を本拠地とする以上、打撃より守備面を危惧してだと思う。
あと暴れん坊な気質とかも。 それより少し前、鈴木啓示が西本監督と合わなくて吉田監督にトレード志願の電話したと語っていたが、もし成立していたら誰が交換要員だったのだろう 田淵のトレード話が具体化した時の、
新聞に挙がった西武以外の交換要員たち
阪急 加藤秀
南海 佐藤 山内新
ロッテ 山崎 金田留
近鉄 神部 有田 太田幸のうち2人
ここで名前が挙がった選手たちは後に全員トレードで移籍している
阪神がトレード相手に西武を選んだのは、三拍子そろっていた真弓を
ブレイザーが欲しがったからだった 血行障害で肘や肩に爆弾を抱えていた江夏
鈴木啓示(近鉄)江夏(阪神)
もしこれが成立してたら、鈴木の317勝利や1978の連続完投勝利日本記録や25勝、江夏の締めくくりとしての意識革命復活→広島優勝→日ハム優勝も全て無かった
後に鈴木啓はしつこい指導の西本に感謝してる、江夏は南海野村克也に出会って人生が変わった
>>82 それより少し前、鈴木啓示が西本監督と合わなくて吉田監督にトレード志願の電話したと語っていたが、もし成立していたら誰が交換要員だったのだろう ヤクルト監督時代の広岡がその当時の江夏(当時なら南海で1977年オフか?)
を欲しがって獲ろうとしていたらしい トレード嫌いのヤクルトのぬるま湯体質を
一掃するために
ヤクルトに入団していたら西武時代みたいにやっぱり広岡と衝突して干されていたか 引退間近の原辰徳がベイスターズに行くという話を聞いたことがある 掛布もヤクルト移籍の話があったな。
当時ヤクルトのヘッドコーチだった安藤統男が、
折り合い悪かった村山の元から離れたらまだやれると見込み、それとなく話を進めたが
「阪神タイガースの掛布で選手生活を終えたい」という本人の希望で立ち消えに。 野村は引退前の原欲しがってたよ
再生したら長嶋馬鹿にできるだろうし >>86
いや、あの頃のヤクルトと西武じゃ戦力的に違い過ぎる。
江夏の西武入り1984年入団時は森繁が前年に34セーブ挙げてて完全な余剰戦力。
ヤクルト時代は抑えとして重宝されたんでは?
西武時代の東尾みたいな存在になったのでは?
確かにチクリチクリ言われるだろうが。 広岡云々よりも、一本気で曲がったことが大嫌いな大杉と、偏屈で面倒臭い性格の江夏が対立しそう
当時のヤクルトの主力は若松を筆頭に大人しい性格の人が多く、大杉を中心にまとまってる感じだったから、大杉と江夏が揉めたらチーム全体の雰囲気がガタガタになってただろう
まぁ衣笠と江夏、野村と江夏みたいに、アクの強い者同士、案外仲良くなる可能性も無くはないが 東尾って事ある度にトレード要員に上がってたけど結局はライオンズで生涯を全うしたな。 堤が東尾や松坂みたいな童顔でやんちゃな
感じが好きという気持ち悪い話も一部ある 広沢がルーキーイヤーの時、春先不調だった頃に
広沢のくじを外したハム高田がトレードを申し込み成立寸前だった
交換要員は柏原か木田 ロッテ 江川←→小林
南海 江川←→小林
近鉄 江川←→小林 巨人一茂→金銭でロッテ
個人的には広岡の下でどう変わるか見たかった 土井さんの叱責でキレるようでは広岡さんなんてとてもとても。
伊良部みたくグレちゃうだろうねw 30歳こえても危機感ゼロで最後までまともに練習もしなかった一茂だぞ
広岡だろうが川上だろうが誰が何言っても馬耳東風 >>100 こういう書き込み嫌いだ。
どこ見ても日本語じゃねえか。
問題あるとすれば読解力でしょ。もしくは無知。 >>103
同じ二世選手でも引退後はコーチで球界に残った野村Jr.とは大違いだな 克則は性格の良さが認められてコーチに。
人から好かれるの性格なんだとか。
よくあんな嫌われ者夫婦の間からそんな子が育ったもんだな。 高校時代の監督である桑原秀範の教えが良かったんだと
サッチーですら「あの監督の言うことを聞いていれば間違いない」と言っていたと
カツノリ自身が本に書いていた 小山正明←→榎本喜八
世紀のトレードはこっちが本命だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています