その二年後にも、南海ホークスとして優勝し、職業野球への注目度と併せて、
上位チームとして認知されるようになったと。
2リーグ分立の年、本拠地となる大阪球場が開場し、この頃から昭和40年辺りまでが、
いわゆる在阪球団にあって、阪神よりも南海の方が人気のあった時代といわれる。