南海ホークス13©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
金満化はたびたび批判されてそのたびにいろいろ出るがまたそうなるんだよなNPBは
大毎東映→南海→近鉄と被害者みたいなチームまで出る
今中日がそんな感じか
なんとかならないんかね
巨人とソフバンがいるうちは無理か そういえば俺、大阪球場のレフトスタンドだけ入ったことがない。 >>82
さらにプロアマ断絶後は、大学に送り出したらアマ側に指導者候補として囲い込まれて
一転プロ拒否になったという選手もいた様だし。 >>78
松原(福士)⇔金城
江夏→金銭
大損じゃん
広島オタ、調子乗り過ぎw 渡辺泰輔は何でひと皮剥けなかったんだろな。
今の基準だと一流の成績だけど20勝してやっとエース扱いの当時では
入団前の期待が大きかった分物足りなさを言われていただろし。
あげく実家を継ぐため30歳であっさり引退したからな >>83
都立高改革じゃないけど、底辺に合わせると全体が地盤沈下する。
金が無いとか抜かす会社はとっとと退場してもらわんと。
「君は3位指名の予定が繰り上がったから契約金は3位分ね」
なんて値切られた豊彦なんて今だったら大炎上モノだろう。 マネーの国アメリカが案外優しいんだよな
昔なら南海は巨人や西武、今なら中日あたりがソフバンから贅沢税をもらっていたはず
ブランドの安定化や市民球団に近いからできるのかな 貰った側のチームのファンって、屈辱的に感じないのかね?それ。
仮にそれで強くなってもねえ… リーグ全体の興行収入を考えた場合
戦力均衡化できてるほうが優位だからな
メジャーはコミッショナー権限が強いからできる
日本のコミッショナーなんて代わりにぬいぐるみ置いといても変わらんけど >>92
なんとかしろってw
南海ファンは=巨人ファンなんだからいいじゃないか カズ山本が著書で、近鉄と南海で山本一義コーチから指導を受けて、山本さんのおかげで南海でレギュラーを取れたと書いてたな。謹んで御冥福をお祈りします。 山本一義さんはプロ野球ニュースの解説もしていたな
たしか大和田とか興津のより後で山本浩二以前の広島の四番 >>87
渡辺泰輔の契約金は6000万で、ノムさん曰くドラフト前の天辺だろうと書いてるね。
ウィキだと5000万だけど。 ノムの本だと8000万になってたな
一等地に300坪の土地と山一つ買ってもまだ余ったらしい >>91
それ、プロレスが廃れた日本と今でも大人気のアメリカの理由にもつながるね。
あっちのファンはシナリオのあるストーリーに熱狂する。
日本人は筋書きの無いドラマに熱狂する。 アメリカは世界で最も人権にうるさい国だけど、こと自国のプロスポーツ界では逆だからね。
ドラフトや契約満了選手の拘束など、諸外国では考えられないようなルールが罷り通ってる。
まあ、そのダブルスタンダードもまたアメリカなんだが… >>82
鶴岡親分のよく言えば家族野球、悪く言えばタコ部屋野球は
さすがに廃れる時期だったのでは、極論だが
>>89
アメリカはプロが先にできて、ビジネス、商売モデルがどんどん発達しただけでなく
野球以外のプロ・スポーツも盛んだから、相互にいい面、悪い面を研究できる
取捨選択のスピードが速い環境だしな
日本は学生野球、アマチュアが先だから、どうしても教育面優先、未だに金儲け、商売は悪という
儒教的な下意識が残ってる面が大きいのと、プロ野球を最初に作った讀賣こそが利益を独占すべき
と考える勢力が讀賣本体以上に讀賣の応援団に多い
長嶋の燦燦会なんてその最たるものだが、王にも多いかな
>>101
というか、アメリカはプロ野球だけが未だに独占禁止法の対象外になってる
NFL、NBA、NHLがサラリー・キャップを試行してるのに、それさえやらない
まぁいちばんサラリー・キャップが安いNHLでも1チーム総額75億円らしいが ドラフト実施の頃はね…
まず鶴岡親分のやり方はカネがかかったというのは事実
で、苦労して選手獲得までしてるのに監督成績しか見てくれない
スカウティングは評価してくれないと鶴岡自身も南海球団に反発してた時期
色んな意味で限界だったんだよ >>96
山本一義さんは鶴岡親分同様、広島商→法政大で本人も当初は南海に入団するつもりだったけど
父親の反対や当時のカープ後援会長だった池田勇人(所得倍増の総理大臣)らに説得されて
カープを選んだという。引退してロッテの監督を退任してから
先輩の鶴岡親分に顔立てするために打撃コーチとして加入したとも。
西本翁やドン川上、山内一弘からも可愛がられてた。 >>100
それと似た例で、競馬のハンデ戦の多さもある。
日本は競馬の本場、ヨーロッパの影響を強く受けてるからハンデ戦は最高でもG2までで、G1は無い。
でもアメリカは強い馬に重い斤量を課してレースを面白くしようとする意識が高いからG1にもハンデ戦がある。
もちろん、外国から馬を招いてやるレースには無いが。 仮に南海があのタイミングで身売りされなかったら、
長池が監督になってたんだってね
杉浦から直接「来年からチームを頼む」と言われたとか
結局ダイエーへの身売り、その条件に杉浦の留任が盛り込まれたことで
なかったことになったが 身売りして近鉄ファンになったやつも多かったそうだな 南海阪急が身売りした時期は近鉄全盛期だったからなあ >>106
>長池が監督
知らんかった
へぇ~だな
50~70年代に選手で在籍した生え抜き阪急OBで
他球団含めて監督になったのって梶本 山田久志の両人だけだな
南海4人(ノム広瀬穴吹杉浦)
近鉄3人(クサ佐々木梨田)
西鉄4人(中西稲尾仰木東尾)
ロッテ1人(有藤)
東映1人(土橋) 長池の采配@末期南海
西本野球を目指しそうな気もするがあまり想像つかんな セも調べてみたw
読賣9人(川上千葉広岡長嶋王森高田土井堀内)
阪神6人(松木藤村金田後藤村山吉田)
中日4人(西沢中星野高木)
広島4人(長谷川山本一山本浩三村)
ヤクルト3人(武上大矢若松)
大洋3人(秋山土井山下)
現役晩年や引退前に移籍した御仁は外してるので
それ含めたらもう少し増えるんかな
(広島の古葉阿南 中日の杉下 大毎の山内) >>106
穴吹→杉浦→藤原だと思われていたよね?
藤原が余力を残して引退したのも、監督になるためのはず。 まあ将来の藤原監督ってのは既定路線と思われていたけどねぇ >>114
外部からの監督招聘をダイエーに球団売却するまでやらなかった南海が
外様の長池を呼ぶとはとても思えない。身売りしない場合はやっぱり
杉浦の後釜は藤原だったのでは その手形を切りながら福岡行けばライオンズ路線を取るとはなあ それなりの年月野球ファンやってきたが長池コーチの監督昇格案なんて初めて聞いたぞ
もしも南海ホークスが続いていれば次は藤原だろう >>29
既に80年か81年の週ベの巻頭トピックスで
南海、ダイエーに身売り?神戸に新球場?みたいな
記事というか推測煽りはあった
>>116
久保寺売り出しの為だったっけ? 80年代前半なら南海が高野線や難波の大開発で巨額の事業費を投入していたから
本音はその時期に売り払いたかっただろな。
結局身売りは一旦見送りになったが球団に落とすカネも減らされて
年俸や食事や寮や編成などで貧乏球団ぶりを揶揄されるようになった。
野村監督の時まではそこまでみすぼらしいイメージは無かったのだが >>119
一応サンスポが発刊した「レジェンドが語るあの日、あのとき」って本で
長池本人がそう発言してはいる
もっとも杉浦も適当なところあったから、冗談だったのかもしれんけどね 60年代〜70年代の高度経済成長の時期はすでにチーム手放したがってる
鉄道会社が急成長した時代と見せかけて実は全くそんなことなく
「公共」交通機関として多額の投資を強いられるもリターンがそれほど返って来なかった時代
鶴岡のやり方にカネ払えませんってなるのも当然 >>122
川勝オーナーが、色々噂されるがオレの目の黒いうちは売らんって言い続けてたよな
亡くなった年にすかさず身売りされるという、まさにその言葉通りになっちゃったわけだが >>122
藤原引退前に、久保寺はレギュラークラス。ただ、遊撃手、外野手と便利屋的な存在だったために、評価は高く無かった。
藤原の引退は、久保寺売り出すよりも、将来の監督就任のための色合いが濃かったはず。 思えば藤原も身売りに人生狂わされた1人だわな
いずれ南海を背負ってくれって説得されて早い目に引退したのにさ
まあ球団自体が消滅したんだから空手形は当然だし、世間には良くある話だが >>126
来島どっくやダイエーと川勝が交渉していたという証言を青木一三がしているな。
もしそれが事実だとしたら、その発言は対外的なポーズだったのかな? >>124
藤原就任までの中継ぎ監督として考えていた可能性も。 杉浦が福岡行くときに辞めて指名しておけば良かったんじゃない?
確実に引責相当な成績であったわけだし 久保寺が亡くなったり新井トレードの大ポカの頃って本当に戦力がドン底で、泣きっ面に蜂だったよなあ
新井はベテランリストラで年俸浮いて収支には貢献したろうから単純には言えないけど
あの頃の戦力考えたら最下位常連はある意味当然
ロッテなんかだと戦力的には悪くないのに纏まらない不思議なチームだった まあ久保寺が亡くなっても若手に佐々木がいたり日本人打者は悪くなかったよ
問題は門田と組む外国人打者だった
ここを外し続けたから結局ダメだった 投はそこそこ、打も酷すぎるってほどでは無かった
最大の弱点はやはり内野守備か
正直もう見ていられなかったわ
堅実と言われた小川ですらしょうもないエラー多かったもんなあ 両山内の防御率が悪かった一因も
バックの守備がお粗末で記録に残らないエラーが多かったからだろな。
外野手も岸川の守備などひどいのが多かった 本当に内野守備はひどかった
まあ捕手も外野も良いとは言い難かったが…って全部だめじゃねーか 飛ぶボール使ってた時代に20本打てないような外人。
土の内野なのにヘタクソ揃いの内野手。
足は遅くないけど走塁の意識が薄いランナー。
日本でもかなり先に「抑え投手」を考案したのに、それがいない・・・ 山内孝なんか気合いで投げるタイプなんで、バックのエラーで気持ちが切れて、まともな中継ぎもおらんので続投してズタボロ展開ってのが多かったな
しかしあのチームで100勝あげたんだから、もう涙が出る 吉田も岩木も捕手としてのレベルが高かったとは言えないが香川よりゃましだったな
あ、もちろん守りの話ね >>133
佐々木も岸川も
打撃コーチだった長池が手掛けた打者だな
西武で秋山 横浜で鈴木尚と佐伯
ロッテで福浦とタイプの違う打者を育成した
80年代順以降 山内 中西に次ぐ名打撃コーチは
長池 水谷実雄 田代 新井宏昌の4人かな >>140
せめてバックが横浜大洋並みなら
通算防御率が1点くらい違っていたかもしれない。
80年代は大洋もどん底だったけど守備は堅かったからな 新井はオリックス、ダイエー、広島と打撃コーチを歴任したけど
打撃不振になったチームの責任を取って解雇されてるのでそこに並べるのはちょっとね
スレチだが名前を挙げるなら内田コーチか、伊勢コーチかな >>144
新井は有能だと思うが
広島もあとから芽が出たし 藤原が三塁手でベストナインになったのが76年。それが南海ホークス最後の三塁手ベストナインで、ホークスとしては94年の松永浩美まで、待たなければならなかった。それから、22シーズンが過ぎたが、受賞者は出ていない。 >>146
一軍打撃コーチは就任している年の一軍打撃成績を高めるための役職
あとから芽が出たっていうのは結果論に過ぎん >>146
去年は緒方と喧嘩して緒方が代打について新井に意見聞かないとか
緒方と新井が別々に指導しているとか地元紙の中国新聞にシーズン中にばらされてた。
雰囲気悪いからぶちまけて改善しようとする意図だったようだが >>146>>148
チーム成績を上げる(打線を底上げする)のと
個々の打者を育成しブレイクさせるのは
必ずしも一致しないからな
上に挙がった御仁で前者は内田や伊勢で
後者は長池や水谷なんだろう
新井は前者を王ホークスで
後者を広島でやったがな 湯上谷の人生最後のプレーって、日シリでスタンドに投げ込んだ悪送球なんだろうか? 新井は野村が見出した選手なはずなんだけど
仰木のブレーンの印象の方が圧倒的に強い
新井トレードは佐々木が頭角表して左打ち外野手が
過剰気味になりつつあったからとはいえ、交換相手がなぁ 新井の交換要員で最初交渉したのは谷
近鉄が谷を渋って山口と交換成立
結果論だがどっちにせよ・・・だな 南海のサードは、山本(鶴岡)・蔭山・森下・ピート・藤原と、それまでは
こと欠かない系譜があったのに、後年はかなり苦労したもんねえ。
まあ、内野自体が苦労したというか・・・
>>151
あの送球目にして、即座に木塚忠助の名前が浮かんだ。
最後にああいう大舞台で、往年の名プレーヤーを彷彿させるとは・・・ >>154
当時の野球誌に女性南海ファンが、電車5両ゆずるので新井さんを返して!って投稿していて笑った
ただ電車5両って何億円するんやって話だが 線路の幅違うやん!
って思ったが近鉄にも狭軌あったなそういや。 >>144
新井は04年までは良かった
それ以降は打撃不振で辞任解任解任辞任
水谷はダイエー時代は全くダメで中日時代も打撃不振で休養後辞任 イチローの振り子を見いだしたのは凄いわ
土井だけじゃなく山内や大熊も疑念していたからな ここ数年「アメトーク」で何度もカープ芸人やってて、いかに自分たちが虐げられてきたかって自虐ネタで毎回盛り上がってるけど、どう考えても末期南海の方が酷い扱いだったよなあ
80年代パリーグ芸人って括りでやってくれんかと密かに思ってるんだが、金村があらかた喋ってるからなあ >>154
新井は本塁打が打てない。守備、走塁は並。代打には不向き、指名打者は門田がいる。強肩でガッツある山本、脚のある若手の佐々木。交換要員になるのは仕方ないが、せめて羽田ぐらい要求しても良かった気もするが‥‥ >>161
「せめて羽田」って何様のつもりだって言われると思う
羽田はまだバリバリのレギュラー
翌年の開幕戦で故障して、それから金村が出られるようになった
もともと新井−金銭の予定が新井の立場を考慮して、新井−トレード要員って形に
しようとして、近鉄のいいなりになるしかなかった
素直に金銭というのがベストな形だった 山口哲治を新井の交換相手にしたのは
密かにウエスタンとかで何年もマークしていて
故障を乗り越えて復活が可能と南海首脳陣が判断したかららしい。
結果はご存知のとおり ただ、山口は引退・退団後は阪神・近鉄・楽天の打撃投手・コーチ・スコアラー等で長く球界に残ったな。 1966年6月26日の新聞テレビ番組欄
【日本テレビ】 20:00〜21:26
広島×巨人
【NETテレビ (現・テレビ朝日)】 20:00〜21:26
南海×西鉄 ※ 雨で中止のときは東映×近鉄を放送 野村の新著(野村の遺言)買ってきたけど、表紙が南海のユニフォーム姿なのは驚いた 楽天の監督退任が決まった時に
「ユニフォーム姿がいよいよ秒読みだが、やっぱり俺は元南海がいい」
と言ったりしてたね 鶴岡、飯田、杉浦、皆川、4人ともホークスが強くなったのを見届けて逝ったな >>166
遠い昔にはパの試合も普通にゴールデンタイム放送をしてたんだな
予備カードにも感動 1966年だから、ちょうど世の注目がセリーグに集中し始めてパが焦り始めている頃かな
この後10年で信じ難いほどの差(勿論実力の話ではなく)がつく訳だが 黒い霧事件後明らかにパリーグの中継は減った。
それ以前は平日ナイターの全国中継も割とあった。 >>174
そうそう今の人がパはテレビでやってなかったから人気出なかったと言ってるけど、その意見は間違いだと思ってる。昭和40年代あたりは結構やっていたと思う それでも巨人に人気で差をつけられたのはなぜだろう 球界再編の時に誰かが貼っていたけど
(残念ながら手元に無い)
63年のペナント終盤の南海戦は関西地区でほぼ全試合中継されていたらしい 局数が少なく、クロスネットの多かった地方局の番組編成も影響してそうだな。
そうした地域だと野球中継が巨人中心なりがちだったのかも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています