1976年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
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>>391
またライター気取りの馬鹿か
みんなスルーしてるのがわからんのか >>391
またライター気取りの馬鹿か
みんなスルーしてるのがわからんのか >>398-399
とっても大事なことだから、1回だけでは気が済まずに
2回も書いてしまったわけですねw 巨人のライトが降板させられて
ユニフォームビリビリに破いたとき、
長嶋監督は「ナイスファイト」とか言ってたな。 ライトはレフトが張本でなければもっと勝ってただろうな >>402
2年後にシピンが大洋の誰かはわすれたが、デッドボールを喰らった時に、その投手に暴行を行なった時も、「ナイスファイト」と言ってた。 ライトは気が短くて喧嘩早かった
でも、奥さんはかなりの恐妻で、ライトは奥さんには頭が上がらなかったらしい
ライトが先発の日、奥さんが観戦に来ていたことがあった ライトの投球の癖は阪急に見抜かれていて
森本の2ランは完全にカーブと分かって打ちに行った >>26
島谷、稲葉を出したそのトレードは中日の大損だった >>403
チョンハリは「守備でも安打製造機」だったからなw >>409
自分も当時、これは阪急が一方的に得なトレードだと思った
だが、当時は「森本は島谷や大島より守備が上」「気が弱い稲葉より図太い戸田のほうが
使いやすい」などと、中日が得なトレードのように言われていた 戸田はこの年キャリアハイの12勝を挙げていたし
森本は日本一を決める逆転2ランを打ってたし
阪急思い切った事するなあ、とは思った
日本シリーズ前にもうトレードは決まってたようだけど >>411
大島はともかく、森本と島谷の守備力は特に変わらないと思うし
阪急時代の稲葉の投球を見てると、どこが気弱?とも思う
そう言う事を言ってたのは中日系のマスコミや評論家だろうか 「寄せ集めチーム」
張本勲が日本ハムから巨人へトレードされたのは75年オフだが、日本ハムは前年に大杉勝男、白仁天、大下剛史を放出していて、張本トレードは
「最後の大物、ついに」と言われた。73年11月から球団社長の座に就いていた三原脩が「東映色一掃」へ躍起になっていた事も事実で、2年連続
最下位監督だった娘婿の中西太をやむなく解任して76年に大沢啓二を据えたのも、表向きではロッテ監督時代の若手育成と退任後の解説ぶりを
評価してという理由だったが、加えて主力野手を大量放出して守りを強化するという面に期待していたからだった。
三原−大沢体制となった日本ハムのチーム大改造は、5件のトレードとなって表れた。張本との交換で高橋一三と富田勝、阪神からは南海時代に
2ケタ勝利4回の元メジャー・村上雅則と守備の巧い後藤和昭、近鉄からは7年前の首位打者・永淵洋三と内外野が守れる服部敏和、中日からは
星野仙一らと先発の柱として働いた渋谷幸春、大洋からは17年間で164勝の実力派・坂井勝二を獲得して活性化を図った。
「ヤンキースのような都会的なチーム」を目指す三原の方針で前年も14選手が新顔だったが、大沢が加わった76年は59選手中で移籍12、新人8
、新外国人2と計22人が新顔だった。大沢はロッテ時代に58選手中24人の新顔という改革に着手していたが、その手腕をロッテオーナー時代に
買っていて太平洋クラブオーナーに転じていた中村長芳が、そもそも先に太平洋監督のオファーを大沢にしていた。しかし具体的な要請だった
三原の日本ハム入りを決めた大沢、最初の仕事は戦力大改造だった。
東映および日拓時代を知る主力が数えるほどになった“寄せ集めチーム”だが、4月に王者阪急を3タテした以外の見せ場が無く前期4位、後期5位
の年間5位に終わった。鳴門キャンプから怪我人が続出して大沢も「ここは野戦病院か」と言うほど、ウォルター・ウィリアムスとボビー・ミッチェルの
新外国人が打線を支える状態で高橋直樹、野村収、高橋一が2ケタ勝利を挙げたが、3人とも白星を黒星が上回っていた。高橋一が「巨人で控えの
富田が三番を打つようなチームで大丈夫だろうかと思った」と回想したように選手層が薄く、勝てる体質になるための競争意識もまだ薄かった。 (了) 東映っぽくなかった高橋直樹だけが残った
と思ったら東映っぽい江夏と最後はトレード >>416
確かに、守りの強化という点ではチョンハリの放出は理にかなっているよな
何せ、「守備でも安打製造機」だからw >>416
またお前か
何が「了」だライター気取りの勘違い馬鹿 >>416
ウザいししつこいんだよお前
百歩譲ってお前がこのスレ立てたなら我慢するが違うだろ そもそも「了」ってw
このスレで前に同様の長文があって、
続きものみたいに書き込んでいたならともかく、
単発の長文なのに「了」www >>416
おうちでおかあさんにみせて
ほめてもらいましょうね パリーグは前年からDH制になって張本もDHで出場していた。
だから、守備を気にする必要はもうなかったはず。
それでも日本ハムが張本を出したのは、そのトラブルメーカーの気質を嫌ったのだと思う。
張本が巨人に来たとき、「あんなトラブルメーカーを入れて大丈夫か?」と言われた。 弱いチームの牢名主みたいな存在になってたんだろうな、ハリー
子分たちも皆放出されて、外堀を埋められたところで最後の仕上げをされたか >>421
知ったかぶりで「承前」や「了」を使いたがるスノッブなんだろうな。
どんな高級な掲示板と勘違いしてんだか w >>424
弱いチームの牢名主みたいな存在から讀賣へ移籍
そういえば今年、誰かもそんなことがあったな
しかもご丁寧に、背番号「10」(チョンハリの讀賣在籍時の背番号)まで与えてw >>426
素行が悪くて地元広島の高校には行けなかったのまで同じだね 張本は巨人に来てからは王に感化されて紳士的になったことが美談のようにされていた
広島球場での不幸な事件はあったが、対応も抑制的であった ハリーが来たおかげで新浦がいじめられなくなり好成績 末次の逆転サヨナラ満塁ホームランが劇的だった
今年の巨人はいけると思った この年、前後期とも最下位だった太平洋だが
チーム打率は微差だけどリーグ一位だった
もっともチーム得点はリーグ最少だったけど この年のパリーグは投高打低で全体に低打率だった
その中で太平洋の吉岡が確変を起こして首位打者になったので、チーム打率を押し上げた
だが、江藤監督解任で山賊打線も解体し、得点力がなくなった >>429
それでも、根っこの人間性はそうそう変わるもんじゃない >>434
他にも鈴木葉留彦(当時は治彦)が規定打席には届かなかったもののこの年突如確変し
打率も.311とけっこう打った。大田卓司もDHで23HRをマークし、ベストナインに
だがアルーの衰え、新外国人ジェナスの不振、基の度重なる負傷と遊撃コンバートによる不振で
プラス要素が相殺された感があった。投手陣では巨人とのトレードで来た関本が
肩を傷めててほとんど使い物にならず1年で大洋へ放出する羽目に >>436
古賀も11勝したり、決して暗い話ばかりでは無かったんだけどね。
前年は17勝8敗と阪急になぜか大きく勝ち越してたんだけど
この年は8勝16敗で元の木阿弥に。 加藤初をほぼただ同然で出してしまったしね
起用法をめぐって基と亀頭監督の関係も悪くなった
前年タイトルを取った土井、東尾も成績を落とした
元の弱いライオンズに戻ってしまった 東尾(最多勝)土井(ホームラン王)白仁天(首位打者)と前年にタイトルホルダーを
3人輩出したのは良かったが、その分タイトル料や年俸で財政面を直撃し、さらにドローチャー招聘でさらに予算を取られて
(しかもドローチャーは体調を崩して結局来日できず契約破棄で鬼頭ヘッドコーチが監督に)
緊縮財政のため何人か放出してたしな。加藤初の他に
ビュフォードも南海へ放出された 鉄仮面・藤井もまだまだやれたのに、このオフあっさり戦力外。
阪急に移籍して日本一に貢献。そこまでお金無かったのかな、ライオンズ。 6番掛布8番佐野の重量打線でも阪神部屋と呼ばれ
違う意味でも重量打線で優勝できず
今のリリーフ陣がいれば各駅停車の阪神部屋でも楽に優勝しただろうな 阪神は掛布がこの年から打ち始めて、「田淵に代わるミスタータイガースになるか?」と言われた。
阪神は三宅が怪我で出場できなくなってから「打てる三塁手」がいなくなっていたが、久しぶりに
しかも藤村クラスの打てる三塁手が帰ってきた年だった >>441
この年だっけ?川藤がアキレス腱切ったのは >>437
古賀、翌年の悪天候のOP戦で無理になげさせたのがね。
主催ゲームかつ巨人戦だったから、営業的に強行させて、古賀は肩を痛めてしまった。 前後期完全制覇の阪急だけど、チーム打率はリーグ5位、防御率は4位。
と言ってもチーム打率1位太平洋.2588で阪急が.2565で大した差は無く
チーム本塁打と得点は阪急がリーグ一位。
意外だがチーム盗塁数は阪急112に対し南海の方が147で多かった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています