1976年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
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開幕試合は東尾、開幕2試合目は関本、開幕3試合目は玉井が先発して、東尾と並んで
ローテーションに入っているから、太平洋は関本・玉井を主力投手として期待したんだろうな
だが、まったく活躍せず、選手としても終わってしまった >>295
>加藤は巨人でタイトルを獲得する
勝率1位投手は当時のセ・リーグではタイトルではない 今年、大連勝と大連敗がトレンディだけど、この年7月下旬からの巨人は4連勝→7連敗→13連勝→5連敗→5連勝で9月
下旬まで続いてた。
球団の連勝記録は1953?の15連勝だが、この年5月に14連勝で8−9月に13連勝も届かなかった。大逆転優勝した2008年
9月には12連勝だった。
>>298
加藤は移籍早々の4/18広島でノーヒットノーラン。で4月の月間MVPに。 で、加藤はオフの健康診断で肋膜炎が発覚し、翌77年前半を棒に振る。やっぱキツかったのだろう。
12月に何故か巨人の正力オーナー・長嶋監督とヤクルトの松園オーナー・広岡監督がゴルフしながらトレード交渉。
巨人は加藤の穴埋めにこのカード最終戦で完封して復活の兆しが見えた浅野を獲得、翌年4月に4勝してスタート
ダッシュの原動力になり、カムバック賞受賞した。代わりにヤクルトに移籍した倉田はヤクルト初優勝78年の最初
だけの活躍に留まった。 倉田は1年だけでもまともに働いた分関本よりはましかと 王は7/3ナゴヤ球場で連発して699号まで来たが、7/4ナゴヤ、7/6-8札幌円山広島戦、更には7/10-12後楽園阪神戦が
そっくり3連戦中止で、7/14-15鹿児島−熊本のヤクルト戦と不発で吐血までしたらしい。
ここでオールスター休戦となり、7/23再開初戦の川崎大洋戦でやっと700号達成した。
北海道から九州まで跨いだ700号騒動を経験して、翌年の756号が比較的スンナリ出たのかも知れない。 700号目前の時にすごいマスコミとかファンに騒がれたんだよね
王は715号や756号ならともかく700号で騒がれるとは思わず
プレッシャーで打てなくなってしまったらしい 今年の巨人はマジックが出ても6連敗したりマジックが消えたりとヨロヨロしているが、76年も7/30から首位キープ、9月初めで
阪神に9.5差開けたのに連勝連敗の繰り返しでモタモタ、10月のGT5連戦でやっとマジックが出て後楽園最終戦で1にしたが
甲子園で連敗、ついには最終戦の広島で2点リードを許したが、6回に王、ジョンソンのホームランで逆転してやっと逃げ切った。
(この後、阪神は4試合くらい残していた)
決して弱いとは感じなかったが、まあこういう優勝も有ると学習した。 前年躍進の近鉄はこの年は四月に大きく負け越すなどして低迷。
後の連覇時の主力となる選手達はまだ安定して成績を残せるレベルでは無かった。
阪急では70年の一年だけで山田・福本らへの主力の切り替えを果たした西本監督も
近鉄では切り替えに翌年までの二年を要する事になる。 前年の大下・大杉・白をまとめて放出しただけでなく
この年は張本も放出した日ハムだったけど、寄せ集めチームでそこそこ戦えてたな 日本ハムは外人2人のクリーンナップがそこそこ打った
近鉄から大酒豪の永淵を補強して、味わい深い打線になった 中日が後楽園の人工芝恐怖症に陥った理由がなぜなのか
開幕前の人工芝への習熟目的のセリーグトーナメント戦で優勝したのに 岡田奈々とか伊藤咲子とかベイシティ・ローラーズやキッスが人気だった頃だね
阪急の戸田投手がノーヒットノーランをやったのを覚えてる
同じ年のセンバツで同姓の戸田投手(鉾田一)がノーヒットノーランをやってたので
余計に印象深い ノーヒットノーランに自己最多の12勝、二年連続の日本一と
最高のシーズンを過ごした戸田がオフにトレードされるとは思わなかった 戸田より交換相手の稲葉のほうが若かったので、長く使えると思ったんだろうね
そして、阪急は打撃面で優秀な島谷がほしかった
島谷と稲葉をとれたのは、翌年の阪急のV3につながった >>319
というよりは、島谷が欲しかったから戸田を交換要員にしたと捉える方が自然でしょ。
お互いの交換相手の目当てはこうなんだと思う。
戸田⇔島谷
森本⇔稲葉 その大型トレードは明らかに阪急が得をしたんで
中日の与那嶺は責任を問われたとか このトレードは殿堂板でしょっちゅう話題に上るが
それだけ中日ファンにはトラウマになっているのかな 中日どうこうではなく、他球団贔屓のド素人でもおかしいと思った
人間関係が絡んでいるとしか思えない印象 >>324
287: 神様仏様名無し様 [sage] 2019/11/26(火) 06:53:26.52 ID:M568XXbA
ハウスのたまご麺と叶和貴子の乳首
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1567397750/287 >>323
藤波と太平洋クラブの基とのトレード話が藤波がゴネてボツになったのと合わせ技もあるしな 稲葉は少年ジャンプの「トイレット博士」(作者が中日ファン)という漫画で
稲葉のドロップ、とかいって登場してたけど
俺が野球を観始めた頃にはほとんど見たことなくて
中日の先発は星野、三沢、堂上、松本という感じだった
島谷も普通の6番打者というイメージで、まさかここまで明暗別れるトレードになるとは
思わなかったよ デービスって創価信者で、、ところかまわずお題目を唱えるので
選手が辟易して、とうとうウォーリーがやめてくれと申し渡したw 昭和52年だったかな
東京のテレビ局で、夜6時頃に「奥さまは魔女」の再放送をやっていて
タバサ誕生の話の回だったかもしれないが(記憶があいまい)
サマンサが「今、ウィリー・デービスが満塁ホームランを打った」と
驚いているシーンがあった
それを見て、「そのウィリー・デービスはいま日本にいるよ」と思った記憶がある 昭和52年の中日は、開幕当初は森本をスタメンで使っているし、戸田はローテーション
に入っている。森本と戸田は「即戦力のベテラン」として期待が高かったということだろう。
だが、森本は不振ですぐに使われなくなって、代わりに大島が主力打者として定着した。
中日にとって、大島がレギュラーの主軸になったことが、このトレードの最大の成果だと思う。 トレードの失敗をいろいろ言われるけど、この76年より77年の方が
ドラゴンズの成績自体はずっとよくなってるんだよね。確かに優勝争いから
まるで縁遠かったけど。 >>332
一見失敗でも代わりの選手が台頭すれば良いんだよね
そういう点で落合のトレードはロッテ側が失敗だった
落合がいなくなって四番不在で苦しんだからね
中日側は牛島上川の穴は楽に埋まった >>333
マーチンの奇行で選手が参っていたからオールスター明けまで最下位争い
8月にマーチンが怪我で戦線離脱してからチームが上向きになった >>335
マーチンじゃなくてウィリー・デービスな。マーチンはデービスにパシり扱いされてて
8月まで成績が低迷してた あとで思えばこの年のトピックスはシーズン途中に廣岡がヤクルトの監督に昇格したことか
当初ヤクルトは監督荒川、コーチ廣岡、小森、沼澤の早大OBカルテットで首脳陣を組んだが
いずれも一か権ある連中なので不協和音で崩壊をきたし、この年は廣岡しか残らなかった。 >>339
最初、広岡に監督要請したが、コーチなら引き受けるが監督なら受けないと
言うことで荒川監督、広岡コーチになった デービスは天才でしか言えない名言残した
「相手が150キロで投げてきたら、160キロで打ち返せばよろしい」
「寒ければ1枚余計に着ればよい。何事も自然に逆らってはいけない」 >>334
あのトレードは「落合放出ありき」だったからね 太平洋の監督の座をおわれた江藤を一選手として引き受けたカネやん。
この時のことがあったからノムさんの時も同じことをしたのかな。
監督経験者が選手として自分の指揮下にいるなんてすごくやりにくいと思うけど
唯我独尊のカネやんだから出来た事か。 江藤監督率いるライオンズ山賊打線をもう一年見たかったな
土井、江藤、白が加入して、強力打線になったし、チームも3位に浮上した
後任の亀頭監督は地味だったし、チームも弱くなった その前にMLBの名将ドローチャー監督の招聘を発表したが70代で風邪を理由に来日する事無く鬼頭ヘッドコーチが
監督就任。
地味で勝てなかった鬼頭さんだったが、亡くなるまで福岡に定住して地元の大学で指導していた。 ビュフォード、加藤初といった投打の核を失い、他にも伊原、梅田、加藤博一らも移籍して
代わりに来たのが故障持ちだった関本とかでは手のつけようが無かったのでは このシーズンから、何故か甲子園の
ラッキーゾーンが拡張され、より外野が
狭くなった
何故? 誰の指示?(-_-;) 田淵だけでなく掛布も成長してきたし
ホムーラン増やしたかったんだろ
佐野が八番打つような重量打線だったが
違う意味でも重量打線で阪神部屋化していった >>345
話題作りの面があると思う
その前にも引退していた城之内を復帰させたりしたし
名のある選手集めて注目集めようと 金田監督は、日本ハムを自由契約になった高橋博士を獲得して再生させたし、南海を
追われた野村も受け入れた。
ワンマンで短気な金田監督だが、度量の広いところもあると思う。
もちろん、話題作りというねらいもあるが、なかなか他の監督には真似できないだろう。 >>353
小林至も「自分がプロになれたのは金田さんのおかげです」と言ってたね
もちろん「東大出身プロ野球選手」ってのも話題になるからだろうけど 野村再生工場に負けず金田再生球場もなかなかで。翌年中日を自由契約になってた末永内野手も。 ロッテはこの年はメジャーのブリュワーズで主砲だったブリッグス(メジャー通算139発)を獲得したものの
シーズン中の調整法を巡って金やんと対立し(例によってひたすら走れ指導)、
前期限りで退団。翌年にレロン・リーが来るまでラフィーバーをまた選手登録して
何とか場を繋いでた この年人工芝になった後楽園で中日は巨人に0勝12敗1分と翌年7月まで全く勝てなかった。シーズン前の日本ハムとのオープン戦や、セ・リーグトーナメント大会では優勝までしていたのに。
その最初の試合、まだ平日だった5月4日のデーゲーム、セカンドレギュラーの高木守道は過去に堀内から2度頭部死球を受けていたせいか、時折むち打ちを発症して、この時も前カードのヤクルト戦から欠場していた。
で、本職サードの島谷がセカンドに付いたが、雨上がりの人工芝は不慣れだったのか3エラーでチームも大敗。
ここからケチが付いて後楽園で19連敗もしてしまった。 >>353
1シーズンのみというのもあるけど、野村克也のロッテ時代の
映像や写真はあまり残ってないみたいだ
エピソードも聞いたことがないな 11月2日火曜日に足立投手の力投で第7戦に敗れた巨人だったが、11月4日木曜日の夜に日テレで「長嶋巨人優勝おめでとう」番組が有った。
シーズンのハイライトのナレーションは宍戸錠さんで、0―7から大逆転サヨナラのシリーズ第6戦は吉田アナのナレーション。
テープレコーダーに録音するのが精一杯だったけど、何度も聴いて今も頭の中に残ってる。錠さん有難う! 訂正
日本シリーズの方は福留アナでした。
ズームイン朝は始まる3年前。徳光アナは「噂のチャンネル」に出てた。
山城新伍とせんだみつおが変なギャグをやってたけど、山城はTBSで野球選手役のシリアスな1回限りのドラマの主演をやってた。当時解説の牧野茂氏がちょい役のコーチで出演。 1976年日本シリーズ第6戦の日テレの実況を某動画サイトで拝見した
巨人がサヨナラ勝ちした時のアナウンサーの実況が観客の声に
かき消されて全く聞き取れず
今では考えられない出来事だけど、やっぱり今と比べて中継技術が未熟だったのか? シリーズ第7戦、森本の逆転2ランが飛び出した時の
阪急ベンチの面々の嬉しそうな顔は忘れ難い 阪急としては6度目の挑戦で巨人に勝てたからそりゃ嬉しいだろう
山田の話だとONが揃ってるのと王さんしかいないのとでは重圧がちがってたそうだが 阪神が対巨人との順位の競り合いにガチでやって勝てなくなったのはこの年から
73はわざと負けたヤオだし、それ以前は競り合いすら少なく、勝ったりもしていた >>365
マークすべき人間が1人か2人かでは
投手にとってはえらい違いだからね >>369
その代わりに獲ったのが張本だったわけだが
阪急の側からすれば、どんなに好成績だったとしても
自分たちに歯が立たなかった東映の主砲だった選手と言う事で
気後れするようなことは無かったかもね >>370
そういうのはあるだろうね
1988年日本シリーズでは中日は第一戦と第五戦で小野-大石のバッテリーを先発させたが
西武からすりゃ「実力不足でうちを追い出された連中じゃん」みたいな感覚でいられたと思う >>368
単に最終戦甲子園でやって収益上げたかっただけだろ。
優勝グッズも作ってたのにわざと負けるとかありえない。
そういうセコいこと考えるから全ておじゃんになるんだよ。
日本昔ばなしの大きいつづらと小さいつづらの話と同じ。 阪神は結構雑な経営していたり大阪讀賣の土地をめぐる取引に関与していて大蔵省に頭が上がらない
んで読売は大蔵省の幹部天下りさせてるから何かやれば大蔵省回すと脅されて巨人には勝てないらしいな
星野のときは政治家が後ろにいたが05は村上ファンドがすぐでてきたよな?そういうこと ライバル路線を演出してるものの、実際は巨人に追随する姿勢なのは
2リーグ制誕生経緯からして一貫してる
人気面で考えれば大英断だったが、そのせいで毎日から選手を大量に引き抜かれ
内紛劇や関西メディア、タニマチとの過度な密接関係も板についてしまった 地元の野球好きがタニマチならまだましだと思うんだよな
巨人の方は政界や大蔵省が中心でそれを利用してくるからかなり悪辣なのになぜか悪く言われるのは阪神側
やはり勝てば官軍なんだろうか >>376
そうじゃなくてそれが選手に悪影響を与える上に選手が勘違いして
増長する上に野球でダメになるのが阪神だから、ですよ
もし読売の選手がそうなってたら途轍もなく叩かれるわ 何かコロナでアタマやられたクズどもが騒いでるな(笑)
5月29日は「クレージーライト」が来日初登板初勝利。7月の川崎で降板命令に怒って何と伝統の巨人のユニフォームを破っちゃった(笑)
日本シリーズでは山田からホームランまで打ってたが、最終戦7回表に森本に痛恨の逆転2ランを喫した。
森本はその6日後に中日の島谷、稲葉らと大型トレードに。
翌77年は開幕戦が巨人−中日でライトは2戦目に先発。移籍早々の森本はこの試合でもライトから7回表に2ランを放ったが、この試合は中日が大敗で焼け石に水のホームランだった。
そういや一緒にトレードの大石が先発してライトに逆転2ランだったかな。 巨人、本日神宮のデーゲーム12―0大勝。
巨人の神宮デーゲーム勝利は76年開幕2戦目4月4日以来44年ぶり。昨日まで8連敗していた。
前年最下位で前日の開幕戦は5点リードを守れずドロー。
この日は序盤ヤクルト安田を攻略してリードするも先発新浦が5回投げ切れなかったが、阪急から移籍した水谷が好リリーフで白星、前年最下位からの優勝へ希望の1勝になった。
水谷はこの1勝限りで翌年阪急に戻った。 巨人はこの年球団史上2位、3位の14連勝と13連勝を成し遂げたが、連敗も長かった。
13連勝が9月4日に止まるとそこから5連敗。やっと9月16日に加藤初が阪神に完投勝利で連敗ストップ。
この日のTBSラジオの解説は本来はRKB所属の稲尾和久氏で、奇しくもライオンズ時代の教え子の加藤を解説していた。
稲尾さんも加藤も、そしてTBSラジオエキサイトナイターもあの世の存在になってしまったが。 >>351
そのカネやんの発想力、後年の「テレビじゃ見れない川崎劇場」にも
活かされていたのかも 巨人のレフトからコンバートされたサード高田繁がカッコ良かったな 三塁手高田って違和感があったな
やはりレフト高田だろ 張本の凄さを思い知った76だった
内角低めギリギリでも完全に振り抜いていたからね
打撃のレベルが段違いだった
セリーグの投手が貧相に見えたし
日本のプロ野球に置いておくのはもったいないと感じたほど
若い頃いたらどうなっていたんだろう
イチローとよく比較されるが
三冠王とった時のバースに近かったよ 大下 ハリー 大杉
それぞれ弱いチームを優勝に導いた
映画のなかのジャイアンたち >>213
確かデーゲームだったかな
田渕のヘルメットが真っ二つに割れ、気絶してタンカで運ばれた
若い新浦の速球だったから余計背筋が凍った
その後動揺して全くストライクが入らなかった
長島さんは即刻交代させるべきだった
田渕は避けるのが下手だ
気絶したの2回目だった 阪急の日本シリーズのエースは足立だ
米田梶本石井茂夫山田山口でもない足立だ
9回に三者連続ピッチャーゴロは芸術的でアッパレだ
狙ってもなかなか出来ない
三者連続三振よりピッチャーゴロは悔しいね
バッターは計算されたピッチャーゴロでおちょくられてる見たいで 今NHK「おちょやんSP」でトータス松本がミス花子の「河内のオッサンの歌」。
「嗚呼、花の応援団」も「南河内大学」だったし、こういう泥臭い歌をまた聴きたい。どちらも76年の曲。
それにしても大阪なんか知らない田舎の中学生には、河内とか言うオッソロシイ土地のイメージを十二分に叩き込んでくれた。
さっきラジオで金村が藤井寺球場をボロカスに言ってたけど、それよりまだ前の時代。 「歓喜の雪辱」
春季キャンプ打ち上げ前日の事だった。この76年に二軍監督から一軍打撃コーチへと肩書を替えた国松彰ら5人のノッカーが、守備練習と題して
野手一人当たり約300本、計5千本以上のノックを浴びせた。前年リーグワーストの失策数を記録した巨人、長島茂雄監督のキャンプと言えば79年
秋の伊東キャンプだが、76年春も凄かったのだ。ノッカーの一人だったスカウトの内堀保は「茂林寺の千本ノックより激しかった」とプロ野球創成期の
猛練習を引き合いに振り返ったが、張本勲らの大補強といい猛練習といい、前年球団史上初の最下位という屈辱にまみれた長島も必死だった。
張本の左翼固定により外野から押し出された高田繁は、三塁へ“ウルトラコンバート”された。淡口憲治の台頭もあり張本加入前から決めていたという
長島の体当たり策にも、高田は意図を察したのか「ここで駄目なら戻る場所はないと思った」と三塁守備に果敢な挑戦をして、近年落ちていた打力の
向上にも懸命に取り組んだ。
加入の張本と、完全に前年からの脚の故障が癒えた王貞治の三・四番を組んだ打線で、開幕6戦目から9戦連続初回得点という好調ぶりで4月を
勝ち越して発進すると、5月には小林繁、堀内恒夫、新浦寿夫の先発陣にリリーフ役の加藤初といった投手陣の活躍で14連勝して、4月11連勝の
阪神を抜き去った。5月29日には米メジャー100勝投手クライド・ライトが初登板で初勝利を挙げて、先発4本柱が確立した。
球宴前に追走する阪神に首位を奪われ8厘差で2位ターンしたが、7月末の敵地甲子園での直接対決3連戦の初戦の延長10回に代打・山本功児が
決勝打を打って奪首した。2戦目も吉田孝司の4打点と王の2発などで快勝、3戦目も土壇場最終回に抑えの山本和行を打って逆転勝ちして宿敵に
3連勝した後は、8月に7連敗した危機もあったが直後の13連勝と同時期に阪神も9連敗した事があり、最後までトップを譲らず10月16日の130
試合目に前年屈辱の相手である広島に敵地で勝ち、メジャーでも前例がない史上初の同一監督による前年最下位からの優勝を果たした。
8月末に出たマジック減らしと700号そしてベーブ・ルースの714号を目指す王の本塁打記録で集中力を切らさなかった事もあって、9月以降
7連勝と2度の6連勝で猛追の阪神をかわす事が出来た。
この年から3億円をかけて施工され日本初となる人工芝が敷かれた後楽園で36勝16敗5分けで7割弱の高勝率、V9時代にも無かった年間2度の
10連勝以上という見事なシーズンだった76年は長島にとっても、高田のコンバート、大胆なトレード、キャンプの猛練習、選手起用と01年までの
通算15年での監督生活の中でも最も輝いた年だったといえた。 (了) 田渕の頭にぶつけたの、日付わかりませんか?確か平日のデーゲームだったと思う。学校から帰って見た記憶がある
ヘルメットが真っ二つに割れて田渕意識不明!新浦は動揺してストライクが入らす…
長嶋監督は即刻交代しなかった
>>213
> 10月の巨人阪神5連戦。
> 4戦目、5戦目は甲子園。阪神連勝。胴上げ阻止。新浦が田淵の頭にぶつける。 長嶋の後釜のサードは富田だと思っていたけど、伸びなかったね
張本は試合の後半でベンチに下がるので、高田が守備固めでサードからレフトに回っていた
サードは山本和生が守っていたな >>392
セゲヲは3年後の西本が衣笠にデッドボールを与えて乱闘騒ぎになり、完全に西本が動揺している状態なのに放置プレイだったなあ。挙句、試合後、宿舎で西本はセゲヲにボコボコにされる。西本は愛の鞭としてうけとったが、今だったら完全なパワハラ行為だな。 セゲヲに他人の気持ちを思いやれる能力など
あるわけないw >>394
>>392
新浦にせよ、西本にせよ普通の監督や、投手出身者の監督ならマウンドに行くだろう
直ぐに交代するよ!!
特に新浦の場合は交代だよ…王野村克也川上藤田
そーゆところに全く気が回らないパッパラパー >>11
村上ファンドのオッサンでもスタメン暗記してた時代だからな
関西の小学生が熱狂した1年 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています