1976年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
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江夏を出して江本、島野、池内を獲得したのはやはり成功といえるか。
前年まで田淵しか一発を期待できる大砲がいなかったが、この年から
重爆撃打線に変貌したのは他球団にとっては脅威だった。 ただ阪神は翌年から急に弱くなったけどな。
2年後の78年なんて勝率だけなら、歴代でもブービーだ。
わずか2年で勝率が約3割も落ちるなんてこと、ほとんどないだろ。 85年よりも、この年の阪神の方がバランスが良い。仮に、日本シリーズに出ていたとしても、阪急と良い勝負になったと思う。 しかし当時、機動力の無さやメタボ体型な選手(田淵とか遠井とか)がいた事から
阪神部屋とも言われたあまり走らない体質や緻密な組織プレーの差で
最後はOH砲の巨人の後塵を拝した。
今では信じがたいが、あの川藤も代走要員に名を連ねてた。
アキレス腱を痛めて守れなくなったのはこの少し後だっけ? チーム得点1位・・・巨人661
チーム打率1位・・・巨人.280
チームHR1位・・・阪神193 この年の巨人は王が復活して49HRで5点打線とか言われてた
けどチームHRは意外と少ないのね163HRでリーグ4位だわ
チーム内では
王49HR(1位)
ジョンソン26HR(11位)
張本22HR(15位)
高田13HR(25位) 巨人は前年最下位だったからか、挽回するための本格的な大型補強をしたのが
この年からだと思う。
張本は盟友の王とOH砲を組んで30試合連続安打(当時のセリーグ記録)をマークし、
加藤初は序盤の広島戦でノーノーを達成し、その後も先発リリーフにフル回転して
長嶋の期待に応えた。ジョンソンや新浦も前年の汚名を返上し
末次は6月の阪神戦で逆転満塁サヨナラHRを放つ瞬間最大インパクトを見せた。
(先日のロッテ角中の逆転満塁弾並みの衝撃か) >>11
確かにこの年の阪神は戦力のバランスがよく魅力的で
優勝してもいいようなメンバーだった
特に投手陣が序盤から安定してて、完投勝利も多かった記憶がある
江本、上田、谷村、古沢という先発4本柱は阪神歴代屈指ではなかろうか 7月の札幌での巨人×広島戦。
北の大地で王700号なるかと騒がれた陰で衣笠がサイクル安打達成。
しかし試合は敗戦w その後あまり話題にもされず衣笠がかわいそうだった。 たらればだけど
この年と翌年の長嶋巨人に牧野がいたら
日シリで阪急に勝てたか!? この頃の阪急は昭和末期の西武並みにチートだったからなぁ・・・
長池が衰えだしたと見るや森本を出して中日から島谷をトレードで獲得したり
とにかく抜け目なかった。福本の癖盗みなんてセの投手はほぼノーマークだったし。 阪急黄金期終らせたのはV9野球継承した広岡森
日シリで破った翌年にはマニエル近鉄に贈って
シーズン連覇も絶ち数年後にはパに乗り込んで
止めを刺した この年に入団した巨人のライトが
後に入団するガルベスとキャラが被る >>28
全然違うわw
ライトはガルベスみたいなキレるだけのキャラではない。
ジョークも言うし、チームメイトに愛された選手だった。 吉岡ばっか取り上げられるけどハルピコもこの年だけ大活躍だったよ 阪神の代打で桑野を思い浮かべる人も多いのはこの年の活躍ぶりからだろうな。 確かユニフォームに名前が表記されるようになったのってこの年からだっけ?
川崎時代の大洋は、どの選手も関係なくユニに「KAWASAKI」って書かれてたけど。 >>29
そうだったのか…
でもライトもガルベスも個人的な理由で
戦線離脱した年があったんだよね?
前者は78、後者は98 >>32
巨人はこの年からだけど、阪神、大洋は70年代前半には既にネーム表記で、ロッテは73年からそうなった。。だった。
因みにヤクルトは69年〜73年はネーム入りも、74〜77年はネームなし。
日本ハムも東映時代の最後の72年と、日拓となった73年前期はネーム入りユニだったのが、
後期の7色ユニから日本ハムになって77年までは背番号のみだった。
尚、全球団ネーム入りとなったのは78年から。 >>35
巨人って00年あたりにもネーム無しやったよな >>37
01年にね。東京ドーム開催の2戦目のみだった。
そういや、98年の中日のサンデーユニと、
阪神が01〜02年にビジターユニをネーム無しにしてたっけ。 >>35
巨人の他に太平洋クラブもこの年から選手名の背ネームになった。
(それまではホーム:TAIHEIYO CLUB、ビジター:FUKUOKA)
一説には例のアメフトユニだと前後の区別がつかなくなるからだとも。 >>35
どうもです。
すごい。説明完璧ですね。
こんなに詳しい人がいたとは・・・ 低レベルの争いの中、伏兵吉岡が首位打者。もし門田が首位打者だったら、この時点で本塁打志向を捨てれたかも? >>41
というか、この年のパリーグは投高打低なシーズンだった。
本塁打王のジョーンズ(近鉄)は36HR、打点王の加藤秀は82打点、
パリーグで3割に到達した打者も4人ぐらいしかいなかった。
投手では最多勝の山田(阪急・26勝)、最優秀防御率&最多奪三振の村田(ロッテ・21勝)を筆頭に
20勝投手が3人(残りは南海の山内新・20勝)達成してた。 セリーグの盗塁王が広島の衣笠というのがかなり意外。 >>46
本人も全然意識してなくて、閉幕翌日に新聞見たら、
「あれっ。なんで俺の名前があるの?」って感じで、新聞見るまで盗塁王になったことを全く知らなかったと。
以前、解説で衣笠氏がこの件を語ってた。 往年の大打者・江藤慎一の現役最終年。古巣ロッテに戻り主に6番で指名打者を務めた。
広瀬、米田など大選手も現役最晩年だった。 この頃の衣笠って2番を打つ事が多かった。
1大下2衣笠3山本浩4ホプキンス5水谷6三村7シェーン8水沼 この年甲子園のラッキーゾーンを左、右中間とも2.5M手前に出した
それが阪神のホームラン量産につながった
確か広島戦で1試合9ホーマーしたはず 青島幸男が「だから巨人ファンはバカなのだ」という本を出したのがこの年。
本の内容によると、日本人の8割は巨人ファンであり、巨人ファンの8割はバカだと記載してある。
阪急が日本一になった時に、数寄屋橋の阪急デパートで振る舞い酒を行ったところ、
さっきまで向かいのソニービルで巨人を応援していた連中が、振る舞い酒に殺到して、
振る舞い酒を中止するハプニングがあったと記載してあったが、本当だろうか? 前年の仕返しで長嶋巨人は広島市民球場で優勝を決めた 前年最下位の巨人はシーズン前の下馬評は低かったの? >>57
2年連続で最下位ということはないだろう
3位くらいには行けるんじゃないかという感じ >>58
想像だけでしょw
明らかに不釣り合いなトレードが日ハムオーナーからのお歳暮とまで書かれてたのに >>61
球団社長だった三原が東映色を一掃したがっていて、打線の弱体化を承知で大杉や大下、白らを
次々に放出して張本自身も次は自分の番と覚悟をしてたと。
それに放出した選手はいずれも水原時代に入団した選手ばかりで
三原も複雑な思いをしてた。 >>58
それにしても前年の借金29から貯金31も稼いで優勝とか
物凄い回復っぷりだなwww
今で言えば今年低迷したオリが来季優勝するみたいなもんか? >>63
−29→+31
60もプラスになるなんて、なかなかないぞw 打高投低で下馬評は低かったが、序盤に新浦と小林がローテーションに入って落ち着いた。
4月に10試合連続くらい初回得点で弾みが付いた。 1柴田2高田3張本4王5末次/柳田6ジョンソン7河埜8吉田
機動力、連打、長打力
巨人軍の歴史でも上位に入る打線だろうな チームHRは167HRもリーグ4位と意外に低いのよ
得点打率は1位だけど 広島中日最終戦で広島を勝たせて3位にする
代わりに谷沢にヒットを打たせて首位打者を
取らせたと、当時巨人ファン間で言われていた 張本さんは、東映時代と違って
タイトル争いの駆け引きで休むことは許されなかった。
本物の野球の厳しさと真実のタイトルの重みを
長嶋監督から教わった。 この年の淡口と言えば阪神との天王山で安仁屋からの逆転満塁(その後追い付かれたがブリーデンのエラーで勝ち越し逃げ切って8−7
勝利)と、阪急とのシリーズ最終戦で1点勝ち越した後の満塁で足立のシンカーを初球1−2−3のゲッツーだな(次のイニングに森本に逆転
2ランで敗北)。 シーズン途中でのスワローズの監督交代
まさか2年後にこの新監督が
スワローズを日本一にするとは
誰も思わんかったよね >>76
確かに。
シーズン終了までのつなぎにしか
思っていなかったからな。 この年からセリーグが急に打高投低になったんだよね 原因はなんだったんだ?
76年は阪神の193本塁打が特に目を引いた やっぱりボールなのかな
まあ、おかげで投高打低のパと
はっきりリーグのカラーが分かれた 人工芝はマジでそう。これで張本の打棒が復活したのだから。
30試合連続安打を達成したのもこの年だし、(当時のセリーグ記録)
おかげでセリーグに移っても谷沢、若松と首位打者争いを繰り広げられた。 太平洋クラブが当初の予定通りドローチャーを監督に招聘出来ていたら
この年のパはどうなったんだろう? >>79
ボールのせいじゃないよ
飛ぶボール使用は数年後 >>81
でも人工芝の所為で「空中イレギュラー」をやらかしているからパでDHに専念していた方が良かったかも? 張本はDHは好きじゃないんじゃないのかな
日本ハムの最後の年の成績も良くなかったし
守りが得意じゃなくてもDHが好きじゃないって選手が
あの頃は多かったよね、長池とか、土井とかも 外人でも守備につかないとリズムが・・・っていうのは結構いる
有名なとこだとカブレラとか 阪神は夏場の9連敗がなかったら優勝できてたな。
それまでずっと好調で、死のロードの前の甲子園で
全然勝てなかったのが、結果致命的だった。
その後も10月巨人5連戦に善戦するなど最後までしぶとく食らいついたが
力わずかに及ばなかった。
12日の試合が惜しかったな。あの試合に勝っていたら・・・ >>86
カブレラと並びあの大穴のホセも守備をしないとダメだった。
あの頃の西武は石井義人も併せて地獄の内野陣に 阪神史上だと一番最強だったかも
85年は先発メンバーの真弓、バース、掛布、岡田が抜きん出てただけで
あとは意外に大したことはない
あと、戦力層の厚さなら83年が最強
バースや岡田でさえレギュラーじゃなかったから 670 :神様仏様名無し様:2015/02/07(土) 16:42:05.33 ID:POowsMT9
西武は、強力打線いわれた阪急と近鉄の不振が大きかった。 85年って、実際は最強言うほどでもない。結局、前年強力打線いわれた中日が、田尾のトレードで弱体化したのと。広島は山本浩二の出遅れ。巨人は、全体的な淡白さが目立った事で、強力打線に印象操作されただけ。
671 :神様仏様名無し様:2015/02/07(土) 18:53:38.56 ID:POowsMT9
野手の戦力層だけなら、実際は83年の方が厚みはあった。バースや岡田でさえレギュラー扱いでなかったし。
ただ吉田と安藤の違いは、選手に対する信用度。吉田は、これと思う選手に我慢して使い続けた。代表が岡田。安藤は岡田をたらい回しにし、外野手にさせたこともあった。安藤って、解説でもわかるが。基本的にネガティブだけに。割と信用しない。
しかし面倒見はよく、バースが一番信頼できる指揮官は安藤とも言ってた。掛布も。
おなじネタを何度も何度も出して来る妄想クンこんにちわ 妄想は自分の見てない時代を記録だけ見て下手に参入しないほうがいいよ
リアルで見てた時代ですらボロボロ突っ込まれるのに この年の後期は、南海が阪急に僅かに及ばず2位。もし後期優勝、プレーオフ敗退だったとして、翌年の野村解任は避けられただろうか? ノムの解任は順位なんか関係ない理由だからなあ
最後はオーナーすらかばいきれなくなっちゃったぐらいだし 大沢ハムは大変だっただろうな。
東映色排除の形で日本ハムになる時から
当時の主力だった張本、大杉、大下等が
移籍してしまって打線が小粒揃いだったような。 >>48
米田哲也
1976阪神 13試合 2勝2敗1977近鉄12試合 2勝2敗だ
300勝投手か米田鈴木と 同時期に二人居ましたよ
350勝達成は近鉄でした。 日本ハムはウイリアムスとミッチェルの外人頼みの打線になってしまった。
ミッチェルはあまりに三振し過ぎだった。
大酒豪・永淵が近鉄から移籍して五番を打ったが、酒の飲み過ぎで、もう
あまり打てなくなっていた。 もし南海が日本シリーズに出ていたら‥‥ 普通に行けば、巨人の4勝2敗だろうが、野村のリードで王封じが成功したら、逆の勝敗になったかも? >>106
富田は復活したし
永渕もここ近鉄での3年間よりも成績がよかったけど ブリーデン、ラインバックは阪神の歴代でも2人の外国人野手の最強
次はオマリー、パチョレックか
かなり小粒 野村はこんな形で解任されるくらいなら、巨人へ移籍しておけばよかった。
ヘッドコーチとして野村が補佐すれば、長嶋監督も欠点を補えた。
王、張本、柳田、野村の打線が完成するのもすごい。 歴史のifな話なら中日の藤波と太平洋クラブの基のトレードが成立してたら・・・
というのがこの年のオフにあった。 >>111
そんなもん、長嶋だってやり辛いだろw
そんなチームがまともに稼動するとは思えんw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています