1991年のプロ野球 Part.2©2ch.net
>>822
そんな叩かれるような発言とは思えないよね
選手は全力を尽くしたけど自分の采配が悪かったという意味合いだと思うし >>833
1993年の日本シリーズ第七戦後の勝利監督インタビューの野村監督のコメントの
いやあ、公式戦そのものよりも、この日本シリーズで、かなり急激に成長したっていう感じがするんですね。
まあ、相手があのー、王者西武ライオンズでよかったなと。
色んな所で勉強させてもらいますし、やはり、我々はまだ西武のレベルには来てないと思うんですね。
だから本当にいい経験をさせてもらいました。
に関してははどうでしょう。
自分は西武、ヤクルト、巨人のいずれのファンでもなかったですが、
「ノムさん流石だな」と思った次第です。
それでも翌年あわや最下位の4位に低迷しましたが。 それは全然立場が違うじゃん
比較するもんじゃないでしょ 藤田と野村はタイプ違うし
それに野村は藤田のような勝ちに急いだり、相手を舐めた采配はしなかった
野村>>>超えられない壁>>>藤田 >>837
確かに、自分もそういう解釈をした
誰彼構わず責任転嫁するような者よりは、はるかに潔いと思う 広島と翌年のヤクルトは実にしぶとかった
中日と巨人のように勝手に自滅してくれない分苦戦を強いられたイメージ 単純に西武のチーム力が下降していっただけ
92年にデストラーデが、93年には秋山が消えてようやくセのチームでも勝てるようになった 巨人時代の敬遠回数
岡崎 23
清原 8
広沢 4
江藤 0 清原が凄いと思ったのは88年の日本シリーズだな
柔らかいバッティングで場外ホームラン打ってこりゃ勝てないわって思った この年のセ最終戦だっけか神宮のヤクルトvs広島は?
ヤクルト勝ってAクラス3位=巨人Bクラス決定
あの当時のセの開幕戦は前年1−4 2−5 3−6の順位方式での対戦だったせいか、
翌年地元で巨人と開幕できるという興行面も考えて広島が手抜きしてわざと負けに行ったといった説も囁かれた 91年といえば広島のドラフト一位の瀬戸は何で大成しなかったんだろ
達川の後継でめちゃくちゃ期待されて入団したよな >>849
あのドラフトで大学社会人の捕手がやけに1位2位で指名されているんだな
瀬戸(広島1位)、矢野(中日2位)、吉原(巨人2位)、関川(阪神2位)、定詰(ロッテ2位) 瀬戸って浩二の大学の後輩だから1位だっただけじゃ? 1991年のスタメン捕手
西武:伊東
近鉄:山下
オリックス:中嶋
日本ハム:田村
ダイエー:吉永
ロッテ:福澤
広島:達川
中日:中村
ヤクルト:古田
巨人:中尾
大洋:谷繁
阪神:木戸 >>850
これ1989年ドラフト組で大学、社会人でドラフト候補でいえば古田敦也、鈴木俊雄くらいしか
いなかったからな。(これ大卒捕手が凶作だった)
>>850
これ広島は達川の後継捕手、中日は中村のライバル捕手、巨人は中尾、村田の後継・ライバル捕手、
関川は木戸、山田の後継・ライバル捕手、定詰は袴田の後継捕手が欲しかった事情がある。
>>851
瀬戸はその年の大学No.1捕手として鳴らしていた。 巨人時代の敬遠回数
岡崎 23
清原 8
広沢 4
江藤 0 広島は達川の存在が大きかったな
まさか93年に最下位になるとは 93年の広島は過渡期でしょ
91年までは投高打低だったけど、投手力が衰え代わりに前田江藤らが育った
最下位でも悲壮感は無かった
同じ弱いでもパカパカ打つチームは閉塞感が無いし
03年檻も暗さ・悲壮感は無かった
点が取れない、ランナーもなかなか出ないってもの凄く暗黒臭漂うよ
88年95年の阪神とか それもあったけど、エースの佐々岡が5勝17敗
一人で借金12も抱えていりゃ、最下位も致し方ないよね 94年は中日巨人のナゴヤ最終決戦の年だけど、93年から一転して広島もシーズン終盤まで競ったんだよな
広島市民球場の一戦で野村がホームインの時に派手にガッツポーズしていたのを覚えてる 93年の広島はイケトラがブレイクした88年ヤクルトを思わせた 91年クロマティが復帰したロイヤルズがノーランライアンを
ボコボコにKOにする試合がyoutubeにフルでアップされてるな >>860
1991年も1994年も中日が優勝戦線には残るけど最終的にVだぎゃあ
さらに翌年は中日か大コケしてヤクルト優勝も共通 91年は川口が最後の輝きだった
佐々岡 川口 北別府の3枚と リリーフ大野で押し切った >>858
それでも、次のリーグ優勝まで25年も要するなんて、この段階で誰が予想しただろう
かくいう自分も「5年後ぐらいまでには、もう1回優勝するだろう」と安易に構えてたし 2000年前後あたりになると「元気なのは鯉のぼりの季節まで」を地で行っていたな 91年中日があの戦力で勝てないのは星野の手腕を疑ったわ
巨人ファンだけどこ特に91年は4番が原と落合逆だったらよかったと思ったわ この年の星野監督は何となく元気がなかったし、落合も終わってみれば貫禄の成績だけど
好不調の波が激しくて、特に夏場のスランプが大きかった
92年以降ガクっと成績が下がったけど衰えの兆しは出ていたのかも 落合は中日移籍の最初の2年より89年から91年のほうが成績良かった
87年88年は故障疑惑がある 日米野球でバッティング感覚が狂ったとか、セリーグの野球に適応するのに手間取ったとか
今になって色々と裏話が出てきたけど故障説か
案外あったかもしれないね 91年は星野の奥さんがもう危ない状況だったんじゃなかったっけ
オフにあの成績でも辞任したし >>875
87年88年の落合
両手首の腱鞘炎と両アキレス腱の故障でも試合に出てた。
91年落合は5月あたりにふくらはぎを肉離れして1か月くらいやすんだよね? 4月のヤクルト戦で内角高めに外れた球を避ける際に脚を傷め、
その後も我慢して出場を続けたものの、
5月の阪神戦(甲子園)、一塁守備で本塁への送球した際に限界にという経緯だったかと。
診断結果が左ふくらはぎ筋膜剥離。
例年スロースタートの落合選手が離脱時点で打率.397(58-23)5本塁打13打点と好調。
結果論ですが、この時の19試合欠場がなければ打点王を取れていたと思いました。 >>872
実際問題、真夏のナゴヤ球場は体力的にキツかったんじゃないか
なんかナイター中継の画面越しにも湿度が高くて蒸し風呂みたいになっていた印象がある 91年って広沢池山古田のいるヤクルト打線が強力と言われていたが
中日打線のほうが強力だったよね?
まさに強竜打線 彦野がサヨナラHR放った後にベースにつまずいて転倒
立ち上がれなくなり代走が起用される珍事が発生 ヤクルト打線は若くて人気者の実力者が多かったけど
中日打線は不人気のロートルだけだったな
落合も人気は全然無かった 古田 池山 広沢 一茂 内藤 栗山 笘篠とか女性ファンが増えた感じ そういやナゴヤ球場と広島市民球場の中継はなんか画面がモヤってたなあ
ユニフォームの色がくすんで見えた
浜スタや神宮は鮮やかに映っていたからテレビのせいじゃないと思う 中日
91年長嶋故障したあたりから打撃がつながらない
96年音の故障から打撃がつながらない
というイメージ