1982年のプロ野球
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>>312
あのスロー映像を見ると頭がぐしゃっていってるから怖かった。
あれで軽傷で済むわけがない。
救急車搬送時はケロっとはしてたけどね松本も。 ケロッとした姿を見てみんな大丈夫そうだなと思ったんだね。
弱さを見せない強い人なんだね。 >>288
ただこの年の角は前年のように調子はよくなかった。西本が投げたときにリリーフ失敗が続いて両者の関係がギクシャクしていた。
8月の終わりごろだっか、後楽園でのヤクルト戦、西本のあとを受けて角がリリーフしてなんとか逃げ切ったあと、無理やり握手をさせられていた。
お互いソッポを向いて、まあきごちない握手で吹き出してしまった。 >>307
それ以上の惨憺たる結果(それこそ「33−4」クラスの)が
待ち構えているだろうねw >>322
阪神ファンにすれば黒歴史なんだが
なんでそれをいちいち掘り出してくるの?
人の不幸見てて喜ぶタイプなんだろ そんな黒歴史なんか、程度の差こそあれどこのチームにもあるだろ
それとも何か?そのネタを出してきた者に対して、一々難癖を付けなければ
気が済まないのか?
捻くれたヤツだな それなら翌年のバースは長い目で見てもらえる事なくすぐ二軍落ちだな かつてはパリーグの最下位の常連でお荷物球団だったライオンズが台頭して
きた年だった。
巨人戦などで他球場の途中経過が伝えられるとき、西武リードが伝えられると
アナウンサーが「西武が強いですね〜」と感心したように言う場面がよく見られた。 西武が中日を圧倒して日本一に輝いたが、
あの5戦目村田審判の石ころ事件がなかったら
中日が勝ってたのではないかと思うことがある。
そうなると王手をかけて名古屋に戻るのだから
中日が日本一になっていたのではないかと。
実は石ころ事件パリーグの明暗を左右していた
と思う。西武がシリーズに敗れれば日本シリーズ
パの5連敗になってパリーグなんかいらない雰囲気になってたのではないか。翌年巨人と対戦するとは
いえ中日に勝てない所が巨人なんてとても
という気分で敢えなく巨人に4勝1敗とかの結果で
終わっていそう。石ころ事件は実は日本プロ野球に
おいてとんでもないターニングポイントだった? 西村京太郎「消えたエース」Wikipediaより
1982年のプロ野球シーズン終盤。
それまで弱小球団とされてきた京神ハンタースは18年ぶりのセ・リーグ優勝を目指し、
読売ジャイアンツ、広島東洋カープと優勝争いをしていた。
その原動力は球団社長が情熱家に替わったこと、
新監督片岡の采配、打撃・若手投手陣の奮起などが挙げられたが、
いちばんの理由は新リリーフエース江島功の誕生であった。
しかし元々わがままな性格だった江島は自分の年俸の安さに不満で、
全勝が求められる大洋ホエールズ戦の3戦目を前に肩が痛むからと
京都の医者に行くと言い出し、その上同伴した球団マネージャーを振り切り、
同棲していたホステスのアパートに行ってしまう。
その翌日、新聞朝刊にそのホステスが自宅アパートで絞殺されたとの記事。
しかし江島は行方不明となっていた。犯人は江島なのか……。
江夏が実際にホステス殺害容疑をかけられたのは当時から知られていたのか?
そして西村京太郎はそれをモチーフにしたのだろうか?
スポーツ紙の連載でペナントと同時進行だったように思うが
モデルの阪神の旗色が悪くなったせいかさっさと連載終了させたと思わせる結末だった。 阪神はエース小林と山本和以外は
ぶっちゃけ、二流三流のピッチャーしかいないというイメージだったから
優勝するチームって感じは当時ですらなかったな。
他チームはまあ、いいピッチャーが数人はパッと思いつくけど
阪神はその二人ぐらいだったもの、やっぱり野球はピッチャーでっせ 工藤 一彦 35登板 11勝8敗2セーブ 防3.00
小林 繁 27登板 11勝9敗 防3.42
伊藤 宏光 27登板 10勝10敗 防3.28
藤原 仁 20登板 6勝3敗 防2.41
益山 性旭 29登板 3勝6敗 防4.76
福間 納 63登板 1勝2敗 防3.17
池内 豊 73登板 4勝5敗4セーブ 防3.98
山本 和行 63登板 15勝8敗26セーブ 防2.41
小林がもうちょっと調子良ければ優勝してたんちゃうの?
首位までたった2ゲーム差だったんだし 試合をぶち壊しにする印象しかない池内が思いの外活躍してて驚き
中日 64勝47敗19分
阪神 65勝57敗8分
だから4.5ゲーム差だけど >>331
「江島功」って名前が酷すぎるだろ。
ロッテにまだ「江島巧」が現役でいた時代じゃん。
中日時代の方が印象が強いが。 >>334
外国人選手がショボかった。この年在籍していたアレンとジョンストンは2人とも大砲タイプではなく
一番打者タイプ。アレンは22盗塁の脚力を残して残留できたがジョンストンも似たようなタイプで
結果を残せずクビ。第3の外国人でラムというのもいたけどこれまたショボくて一緒にクビ。 >>334
つうかまず開幕ズッコケて、その後突如6月から大きく巻き返して広島、巨人、中日と大混戦の首位戦線に顔を出すか?と思ったら途端に
8連敗したりと、どうにも優勝する気が感じられんかった様なw
その辺に後の1992年の巨人(長嶋監督復帰前年)にも似た覇気の無さを感じたり。
珍しく死のロードと呼ばれる長期ロードの時期から再浮上して、息切れした広島に取って代わって巨人、中日に迫るも
取りあえずAクラス確保してけば良いや程度の思惑にしか見えなかった。
シーズン終了後になってようやく「何だよ、優勝のチャンスだったやん(´・ω・`)」と気付いたか?って鈍感さをチームにも選手にも
感じたこの年の阪神でした。 8月末の大洋戦で島野と柴田の両コーチが審判の判定にキレて
(藤田平の打ち上げた打球を大洋の三塁を守ってた石橋貢が取れずファール判定、
島野&柴田側は打球が石橋のグラブに触れてのファールなのでフェアだろとの言い分)
三塁塁審の鷲谷と止めに入った球審の岡田功をボッコボコにした。当然2人は退場処分、しかも審判側が
阪神を「こんな暴力団のようなチームと試合できるか!」と激怒し
あわや没収試合寸前になった。(阪神監督の安藤が平謝りして何とか没収試合は免れた) >>336
西村京太郎作品には「江島」や「功」がよく出てくるから
そこまで考えてないと思われ
掛布→掛井とか、工藤→久藤と微妙に名前変えてるのに
なぜかジョンストンだけそのままw >>340
暴行自体を擁護する積もりでも、まして今やそんな御時世でも無いけど。
南海で野村監督の元に仕えていた島野・柴田両コーチからすれば、優勝のチャンスなのに一向に煮え切らない球団・監督・選手達への
苛立ちも審判暴行にまで至ってしまった要因のようにも思える(´・ω・`)
しかしこの両コーチが無期限出場停止(シーズンオフに解除)を喰らった事で、ますます球団・監督・選手達は冷めてしまったんだろうな・・・。
当時の安藤監督も江本からアホ呼ばわりされた前任監督と違い、野球頭脳は確かだったが、後の負広以上に実に煮え切らない態度の
御方でね。 >>338
あの突然変異のような11連勝にはおどろいた。
直後の8連敗にはやっぱりねとしか思わなかったが。 優勝するには15勝クラスの投手が2人は必要と思ってたから
85年も優勝するなんて思ってなかったわ ドラフトで野口(立大)が「中日 西武 阪急」の抽選の末「西武1位」に決まったが記者会見で「ぼくにも行きたい球団がありましたので・・・」と憮然としてた。
どこ希望だたんだろ?
ドラフト会場の関口、関根、藤田、大沢、安藤監督らが組のサミットみたいな雰囲気だった。 見てくれがカタギっぽくなってきたのはヤクルト時代からかな >>345
結局は未勝利のまま球界を去ったけど、この時の気持ちが後々に影響したんだろう。
「プロならどこへでも」こうした気持ちならきっと違ったはず。 >>345
当時の関東の大学だと在京セリーグがお決まり 野口は今、大日本スクリーンの会社役員だから、いい人生だろ。 2年の春は江川を抜くシーズン奪三振記録を達成して注目された
そこから尻すぼみになったので2年の秋からが黒歴史 野口は二年の春が絶頂期だった。96奪三振の記録を作った。
それがその後はじり貧になっていった。上級生になるにつれて左腕のしなりがなくなっていったような気がする。
ドラフト前に立教の監督が危惧していたな。「二年春の野口なら一億円もらってもおかしくなかったが…」と言葉を濁していた。 この年に関根の温情を受けた長崎は中日近藤監督の
恨まれたのか2年後のオフに阪神へトレードされて
その近藤に可愛がられた田尾も西武へトレードされた後1987年は阪神で互いにチームメイトに… MVPは掛布で良かった。二冠王で打率三位なんだから。
斎藤明夫みたいにリリーフ専門で防御率一位というのも
ファンからすると納得がいかない。 江川の大杉へのボールがストライクたコールされたら巨人優勝江川沢村賞だった。
中日24回戦10回表の原の大ファールがホームランだったら巨人優勝だった。江川沢村賞だった。 >>357
打率3位、二冠王、最多出塁数タイ、最高長打率でしたからね。
当時、もし彼がMVPに選ばれても批判は殆どなかったのでは、と想像します。 セリーグって優勝チーム以外からのMVPはほとんどいないからな
王とバレンティンくらいか >>358
そんなこと未だに言ってるのかよ
未練たらしいなw 日産シルビアRS
トヨタセリカツインカムターボ
トヨタ1G-GEUツインカム24
マツダコスモロータリーターボ
三菱スタリオン
ホンダプレリュード 最終戦中日が落として巨人優勝だったら、MVPは誰か?
原? >>358
ざまあw
現実は中日優勝
沢村賞は北別府 >>357
リリーフ専門つっても平気で2〜3イニング登板だからな >>367
投票する記者の心理としては、
「江川は前年にMVPになっているし」との理由で
原選手に1位票が集まったのではないか、と思います。
>>366さんの指摘通り、勝利打点王であるほか、
33本塁打、92打点はともにリーグ2位でしたから。
まあ、原選手をMVPに選ぶのなら掛布選手では?と思ったりするのですが・・・ で江川には沢村賞つう事か(´・ω・`)
前年の事態を受け、スポーツ紙各社が早々に沢村賞投票ボイコットを決めた事もあり、この年から沢村賞受賞若しくはそれに相当する実績を残したプロ野球投手
OB達で構成された審議委員会に依る推挙制に変わったからね。 >>368
掛布はないだろ
優勝チーム以外からMVPになるには三冠王ぐらいとらないと そのへんはパリーグのほうが比較的柔軟に運用(?)されているけど、
セリーグは「優勝チームから選出」という大原則を崩していないからね
王とバレンティンが例外だったぐらいで >>203
あまりにも酷いから浅野が代わりに抑えやってたが、
やはり続かず打たれて角に戻ったが最後まで不安定。 あの西武をいきなり日本一にした広岡監督の
指導力に誰もが舌を巻いた。 広島26回戦の9回裏の大ファールと中日24回戦の10回表の大ファールが、ホームランだったら巨人優勝原二冠王MVP江川最多勝沢村賞だったな。 いい加減現実を受け入れろっての
これだから讀賣ヲタは… 中日の19引き分けがやたら目立って
中日は引き分けで逃げたから優勝できたみたいな言われようだったが
巨人も14引き分けなんだよな。
引き分けを0.5勝0.5敗で換算してもやはり中日優勝だし文句ないだろ。 G 66勝14分 勝ち点212
D 64勝19分 勝ち点211
巨人優勝。 勝ち点って、サッカーじゃねえんだから
いい加減諦めろ 巨人OBでもある近藤貞雄さんが優勝監督になれたんだからいいじゃないかw 素直に巨人優勝で良かったのに。
名古屋はタモリにdisられてれば良かった。
いいともが始まる前のキワモノタレント時代。 >>381
当時のサッカーの勝ち点は勝利で2だからどの道優勝は無理。 何が何でも讀賣の優勝を願っていたヲタが
30年以上の時を経てこのスレを荒らす… >>386
それを言うなら、この年の日本一監督だった廣岡氏も讀賣のOBだからいいじゃないか
ということになるなw メンドくさいから読売優勝でいいよ
余計惨めになるだけなんだから 廣岡vs近藤
巨人ファンなら狂喜乱舞したはずだぞw(たぶん) 巨人が出ない日本シリーズで
巨人OB監督同士の対決だったのってこれが唯一? なんでもかんでも巨人が起源かよwwww
その理論なら平成時代も95、97、98、01、05、14以外みんな巨人じゃないか
落合や工藤が在籍していたら巨人扱いだから >>394
2017年(工藤VSラミレス)と1962年(水原VS藤本)も。 1982年と1992年って中日とヤクルトの順位入れ替わっただけでそっくりな件… テレ朝で放送した大洋×巨人が80年代のNPBの最高視聴率だったはず 中日巨人24回戦が素直に終わってれば巨人優勝。
最多勝江川、沢村賞江川、MVP原。 日本シリーズでの中日のファンのあまりのマナーの悪さに、週刊誌が
「名古屋五輪落選して良かった。タモリは正しかった」と書いてたなw >>242
この時のスタメン6人がトレードに出されるとはねぇ… 西武黄金時代の幕開けに中日というやられ役は
うってつけだった。巨人が連覇してたら西武は
終わり。前年の日ハムとか今度の西武とか
パて存在意義あるの?と言われてそう。 そして翌年、讀賣が散ったことで西武の黄金時代が始まる 抑え投手ブームだった
斎藤明夫、山本和行、森繫和が当初先発やってたのに抑えに転向して成功
牛島も最初は先発だったかな?
佐藤義則も前年まで任意引退扱いだったが抑えで復活
逆に大野が江夏の代わりとなり切れず2年後に先発転向 セリーグは260イニング以上が3投手もいたのが凄いですね。 40年経った今でもこの年素直に優勝してれば、って思い続けてきたのですが、
この年優勝したら恐らく翌年の大洋戦での駒田の初打席満塁ホームランが存在しなくなることまったく考えてませんでしたw >>353
それ、野口を投げさせ過ぎたからじゃないのかね。
あと、野口は確か奥さんも同じ名前(裕美)じゃなかったかなw 中日の最終戦、小松が開幕戦以来の先発で完封勝利だったが、この時の中日は先発出来る目ぼしい投手が、ほんとに全く残ってなかったんだな。 その代わり83年に優勝決めた江川最後の球はボールだと思う
どっちもヤクルト戦か ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています