1982年のプロ野球
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8月の広島×巨人、江川延長完投、原延長で決勝24号。
巨人×中日3連戦、初戦江川完投原決勝タイムリー、2戦目原逆転3ラン、3戦目中畑逆転2ベース。
なぜこれで優勝できない? >>216
このナゴヤ球場3連戦3連勝で報知が優勝前祝いの特集号出したからなあ。
この時点で巨人ファンは90%V2を確信してたと思う。
特集号は結局阪神の「Vやねん」と同じ運命に・・・ >>217
中日3タテは8月の後楽園でのこと。
9月の広島戦で松本が頭部死球で戦線離脱してから
明らかに浮き足立っておかしくなったな。
しかし兎にも角にも9月末のナゴヤ決戦初戦を落としたのがすべて。
9回裏江川が無死満塁または1、2塁にした時点で角へ交代しておけば・・・ なぜかわからないが藤田はここぞの采配でやらかすことがある 5月31日ヤクルト戦、9回裏2アウト2ストライクから江川が投げた球が「ボール」と判定され、
その後追いつかれ逆転負け。あの時「ストライク」と言われてれば巨人優勝、江川も沢村賞だったかもしれん。 >>222
それは5月30日。日曜日だった。
その日は「西部警察PARTU」が開始された日で、
当時はビデオデッキを持ってなく、ラジオを横に置き、
さらにテレビのチャンネルボタンを何度も押し変えた。
江川対大杉の場面だけは真剣に見たが、今でもあの勝負は鮮明に記憶している。 藤田元司さんは天王星人−で辰巳午が大殺界だったのに、何故か戌年に不運が集中していた。
1958(27歳)大エースでMVPも、西鉄に3連勝4連敗を食らう。
1970(39歳)黒い霧事件で謹慎
1982(51歳)中日とのマッチレースに破れる。
2006年2月 74歳で逝去 82、86は最後に巨人が負けるシナリオで万事進んでいった感じ。 そういえばこの年から戌年は
中日と巨人のトラウマが交互に続いているな
82は巨人が優勝さらわれ
94は10.8で中日が悪夢を見て
06はウッズの満塁で巨人が悪夢
来年はどうなることやら
今はどっちも不調なのが気がかりだが 考えられるのは、讀賣のリーグ優勝→CSで惨敗ぐらいかw 江川があと1勝(つまり20勝、巨人優勝)してたら、今度こそ沢村賞もらえたかな?
北別府より防御率良かったし。 >>231
この年の後半にはもう肩痛めてたから最後のチャンスだったのにな パを排除していた時代の沢村賞に
権威は無いのでは。 そうなると沢村賞3回の斎藤雅樹投手はかなり凄い投手ということになるが・・・ 9月28日の中日戦
巨人4-0とリードした3回表、なおも一死満塁で追加点が取れなかったのも痛い ♪よく晴れたこんな日は 風も爽やか らんらららーん
いつかまた会えそうな 光爽やか(江川さーん) 不二家ネクター 広島最終戦@後楽園の9回裏の大ファール、中日24回戦@ナゴヤの10回表の大ファールがホームランだったら、
原はホームラン&打点の二冠、巨人優勝で原がMVPだった。 松本
河埜
篠塚
中畑
原
ホワイト
淡口
山倉
投手 田尾
平野
モッカ
谷沢
大島
宇野
中尾
上川
都
近藤御大 >>226-227
70年は小川健太郎の追放処分だろ。
前年20勝12敗のエースが開幕1ヶ月で消えたんだから。 中日リーグ優勝決定試合は、相手チームの無気力相撲と思った。 >>248
関根はよく巨人の犬とよく言われるが彼はたまに散々巨人を立てるだけ立てて最後に梯子外すことがあるからな
特に中日と競り合いしていた時
これが他の犬系監督(高田や野村謙あたり)とは大きな違い
アンチ的には星野や近藤昭や小川みたいに巨人に全パワーつぎ込んで巨人に勝ちまくる監督の方が奉られるが >>248
無気力相撲にさせたという方が正解
最初にガツンとやって大量点とればモチベーションの違いで決まる
73年の阪神と88年の近鉄はそれが出来なかった 何気に小松もスキを見せんかったしな
さらに一番打者が5出塁保証だもん
そら大量点、ワンサイドの確立は高まるわな >>238
爽やかさとは無縁の江川がCMキャラクターだったのかw >>249
他の年にアホみたいに貯金を巨人に献上してるからなあ >>249
巨人優勝と長崎首位打者を天秤にかけたら
長崎を選んだだげじゃないの? 原って優勝できない責任全部押し付けられてる感じがするけど、この年は8月の広島戦での延長決勝ホームランとか、
8月の中日との天王山での決勝タイムリー&逆転3ラン、9月中日3連戦での3試合連続、128試合目の大洋戦同点2ランとかよく打ったイメージしかないな。 この年の中日×大洋最終戦と
今年の川崎×大宮戦がダブる… 35年経った今でもトラウマだわ、中日に優勝されたの 広島は当時としてはらしからぬ戦いぶりでBクラスに
前半は良かったんだが夏場が酷すぎた 70年巨人優勝(中日球場)
82年中日優勝(横浜スタジアム)
94年巨人優勝(ナゴヤ球場)10.8
06年中日優勝(東京ドーム)
激しく絡む戌年の巨人と中日 結局原辰徳が一番ホームラン王に近かったのはこの年だったんだな。 笑点の大喜利で
一番松本ライト前ヒット
二番河埜がセンター前ヒット
三番篠塚レフト前ヒット
四番中畑アホなヒト
あ〜あんあ、やんなっちゃった
あ〜あんあ、驚いた
みたいなネタがあったな 巨人が最終戦で大洋に負けたのは今でも不思議だ。
1973年の阪神のような勝負弱さだった。 亡くなった星野がこの年で引退したけど、近藤監督がコーチ兼任な星野をブルペン専任にして
選手として干したんだっけか?お情けで500試合登板はさせたけど この年の中日は田尾・モッカ・宇野・矢沢など強力な打線で、貧打の西武を上回っていた
それなのに、なぜ日本シリーズで勝てなかったのか? 石ころ事件もあるけど、本拠地3試合すべて序盤に大量点取られたらしんどいわ 巨人の終盤の怪我人続出。
軽症だったが鈴木康友が欠場した試合はセカンド平田、ショート篠塚だった覚えがある。
篠塚のショート起用にはチームが満身創痍な感じを受けた。 >>268
第6戦はそれでもよく追い付いたけどな。
7回の片平テリーのホームラン攻勢、
9回のバント攻勢には、なす術がなかった。 都がいきなり石毛の打球を受けて退場したのも痛かった この年何度か星野は巨人戦に先発したが未勝利で引退。6月30日だったか、9回表に誰かに同点2ランを喫して勝利を
逃していた。 4月の熊本藤崎台で、星野が巨人に完投目前で二宮に押し出し、山本功児にサヨナラヒットを食らった。
150球を超えていて、まんま田原坂城山の西郷隆盛だったなあ。 >>271
石毛は投手を直撃するライナーを打つ名人だった。 87年には桑田が第1戦初回先頭打者のライナーの直撃を喰らってこのシリーズ不調に >>269
それ大逆転負けして、中日にマジック点灯を許した翌日だね。
篠塚も慣れないショート起用で痛恨エラー。それが原因で連敗。
松本の頭部死球に始まり、河埜、鈴木康、中畑と呪われたように
主力が、それもシーズンが押し迫ってアクシデントに見舞われ続けたよね。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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0PNX9 8月の巨人中日3連戦は燃えました。
第1戦、江川、郭の投げあい。中畑のタイムリーで先制するも、宇野のホームランで同点。
8回原決勝タイムリー。
第2戦、0−2から原が逆転3ラン。
第3戦、中畑が逆転タイムリー2ベースで巨人3連勝。 >>281
報知がこの3連戦のカラーグラフ特集号まで出したんだからあ・・・
「優勝前祝い」みたいな扱いで。 ナゴヤ決戦初日の4点差逆転負けがすべてだったな。
9回裏頭から角でいくべきだった。
翌年のシリーズといい藤田采配は投手起用で取り返しのつかない事態を起こしている。 タラレバ言うと、延長10回に原が打った大ファールがホームランだったら…。 藤田監督は先発投手を極力最後まで引っ張るから交代が遅れたのは否めない。
7月30日の阪神戦も1点リードの9回裏、掛布から始まる打順で西本を続投させて
一死三塁、打者藤田平になってから角を投入して結局逆転サヨナラ負けしたが
イニング頭から角だったら違う結果だっただろうな… 第2期はヤクルト野村に「先発完投は時代遅れ」だと罵られていたっけ >>281-284
あの3連戦思い出したけど、3試合連続1点差勝ちなんだよな。
その当時、1点差勝ちは監督の采配のお陰みたいな理論が流行ってて、
名将藤田、愚将近藤みたいに言われてた。
そりゃ報知も優勝確信してVやねんを出すのも仕方ないわ。
ちなみに近藤が「野武士野球」を言い出したのは形勢逆転してから。 北別府投手は6月20日時点(チーム56試合目)で11勝(無敗)だったのですね。 原のホームランペース
20号 65試合
24号 100試合
30号 125試合
シーズン33本 130試合全イニングフル出場 花の82年組
松本伊代(デビューは81年10月だが)
堀ちえみ
石川秀美
中森明菜
小泉今日子
早見優
三田寛子
シブがき隊 巨人が横浜での最終戦を江川で落としてから中日は8試合も残していて、5−3でギリギリ上回った。
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おもいっきり板違いの話ですね
こんなところでマルチポストなんかしたって、無意味なんですけどw 花の82年組
松本伊代=ヒロミと結婚、子持ち
堀ちえみ=何度も結婚、子沢山
石川秀美=約丸と結婚、子持ち
中森明菜=独身
小泉今日子=バツ1、小梨
早見優=誰と結婚したんだっけ?子持ち
三田寛子=橋の輔と結婚、子持ち
シブがき隊 日本シリーズ第二戦で中日ファンが大敗した腹いせに暴動を起こした。
あれは許せなかった。 池田高校が圧倒的パワーで甲子園優勝した82年。
プロでもいち早くパワートレーニングを取り入れた広岡西部が力の違いを日本シリーズで見せつけた。
小松の150キロの球が悉く簡単に打ち返される。決して小松の調子が悪いわけではなく明らかに
力負けしていた。第二戦の都のアクシデントも起きるべきして起きたのかも知れない。
石毛のピッチャーライナーの打球の速さに都も対処出来なかった感じだった。第七戦の片平とテリーの
アベックバックスクリーン決勝弾はまさにパワーの違いを見せつけた感じだった。
82年はレベルの変革期にあったと思う。池田と西武がまざまざとそれを見せつけていた。 巨人が優勝すべき年だった。江川が20勝して沢村賞とるべき年だった。原が二冠王でMVPとるべき年だった。 当時中日ファンだったが巨人ファンの嘆きもよくわかる。
64勝だかで優勝だもんね。
あの投手陣でよく優勝できたよ。
小松、都、鈴木孝、郭、牛島あたりか。
田尾、谷沢らの野武士打線も懐かしい。 引き分け15だからね中日は。粘り強いといえば粘り強いんだろうけどちょっとね。 もしタナボタ優勝した場合、松本と中畑不在で臨んだ日本シリーズは
90年のような悲惨な結果になったのでは? 8月の中日3連戦3連勝でV2だと思うだろ?
9月の中日2連戦で2試合目に中畑が同点ホームラン打って翌日の朝日新聞も「V2は確実に成った」と書いてたし。 その後の怪我人続出は想定外でしょ。
松本、河埜と来て最終戦を前に中畑骨折でトドメを刺された感。 記憶が確かなら、
江川、西本、定岡の三本柱で49勝(前年と同じ)
原も33発、松本も盗塁大幅増
ほかの主力もまあまあだったはずだけど
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http://www.sjack.org/ >>310
松本が広島戦で頭部死球の時ははじめ軽傷と言われていたのが、
数日後には視力低下、耳鳴り等の診断結果が判明し今季絶望の報道。
翌年から松本は常時眼鏡を使用して出場するようになったね。
松本、河埜とセンターラインが相次いで死球で潰されては流石に勝てないよ。 83年スレでは83年が野球人気の山と言われてるが実際は82年ではないか あとホワイトの衰えがいよいよ顕著になって助っ人として限界だったのも 阪神が優勝してたら面白かったな
実は中日より勝数では1つ多かったんだよな
伊藤、工藤、小林の二桁トリオにタフネス福間、池内、最多セーブの山本和行いたし
真弓、掛布、岡田、佐野、藤田の打線もなかなか >>313
その根拠は中継の視聴率だったかと。
まあ、原人気最盛期の第1期藤田巨人の81−83年は大差ないんじゃないの。
>>315
たしかに中日と遜色ない陣容。
バースがあと1年早く来日してれば82年の阪神Vあったかもね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています