1982年のプロ野球
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この年の中日は田尾・モッカ・宇野・矢沢など強力な打線で、貧打の西武を上回っていた
それなのに、なぜ日本シリーズで勝てなかったのか? 石ころ事件もあるけど、本拠地3試合すべて序盤に大量点取られたらしんどいわ 巨人の終盤の怪我人続出。
軽症だったが鈴木康友が欠場した試合はセカンド平田、ショート篠塚だった覚えがある。
篠塚のショート起用にはチームが満身創痍な感じを受けた。 >>268
第6戦はそれでもよく追い付いたけどな。
7回の片平テリーのホームラン攻勢、
9回のバント攻勢には、なす術がなかった。 都がいきなり石毛の打球を受けて退場したのも痛かった この年何度か星野は巨人戦に先発したが未勝利で引退。6月30日だったか、9回表に誰かに同点2ランを喫して勝利を
逃していた。 4月の熊本藤崎台で、星野が巨人に完投目前で二宮に押し出し、山本功児にサヨナラヒットを食らった。
150球を超えていて、まんま田原坂城山の西郷隆盛だったなあ。 >>271
石毛は投手を直撃するライナーを打つ名人だった。 87年には桑田が第1戦初回先頭打者のライナーの直撃を喰らってこのシリーズ不調に >>269
それ大逆転負けして、中日にマジック点灯を許した翌日だね。
篠塚も慣れないショート起用で痛恨エラー。それが原因で連敗。
松本の頭部死球に始まり、河埜、鈴木康、中畑と呪われたように
主力が、それもシーズンが押し迫ってアクシデントに見舞われ続けたよね。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
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0PNX9 8月の巨人中日3連戦は燃えました。
第1戦、江川、郭の投げあい。中畑のタイムリーで先制するも、宇野のホームランで同点。
8回原決勝タイムリー。
第2戦、0−2から原が逆転3ラン。
第3戦、中畑が逆転タイムリー2ベースで巨人3連勝。 >>281
報知がこの3連戦のカラーグラフ特集号まで出したんだからあ・・・
「優勝前祝い」みたいな扱いで。 ナゴヤ決戦初日の4点差逆転負けがすべてだったな。
9回裏頭から角でいくべきだった。
翌年のシリーズといい藤田采配は投手起用で取り返しのつかない事態を起こしている。 タラレバ言うと、延長10回に原が打った大ファールがホームランだったら…。 藤田監督は先発投手を極力最後まで引っ張るから交代が遅れたのは否めない。
7月30日の阪神戦も1点リードの9回裏、掛布から始まる打順で西本を続投させて
一死三塁、打者藤田平になってから角を投入して結局逆転サヨナラ負けしたが
イニング頭から角だったら違う結果だっただろうな… 第2期はヤクルト野村に「先発完投は時代遅れ」だと罵られていたっけ >>281-284
あの3連戦思い出したけど、3試合連続1点差勝ちなんだよな。
その当時、1点差勝ちは監督の采配のお陰みたいな理論が流行ってて、
名将藤田、愚将近藤みたいに言われてた。
そりゃ報知も優勝確信してVやねんを出すのも仕方ないわ。
ちなみに近藤が「野武士野球」を言い出したのは形勢逆転してから。 北別府投手は6月20日時点(チーム56試合目)で11勝(無敗)だったのですね。 原のホームランペース
20号 65試合
24号 100試合
30号 125試合
シーズン33本 130試合全イニングフル出場 花の82年組
松本伊代(デビューは81年10月だが)
堀ちえみ
石川秀美
中森明菜
小泉今日子
早見優
三田寛子
シブがき隊 巨人が横浜での最終戦を江川で落としてから中日は8試合も残していて、5−3でギリギリ上回った。
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おもいっきり板違いの話ですね
こんなところでマルチポストなんかしたって、無意味なんですけどw 花の82年組
松本伊代=ヒロミと結婚、子持ち
堀ちえみ=何度も結婚、子沢山
石川秀美=約丸と結婚、子持ち
中森明菜=独身
小泉今日子=バツ1、小梨
早見優=誰と結婚したんだっけ?子持ち
三田寛子=橋の輔と結婚、子持ち
シブがき隊 日本シリーズ第二戦で中日ファンが大敗した腹いせに暴動を起こした。
あれは許せなかった。 池田高校が圧倒的パワーで甲子園優勝した82年。
プロでもいち早くパワートレーニングを取り入れた広岡西部が力の違いを日本シリーズで見せつけた。
小松の150キロの球が悉く簡単に打ち返される。決して小松の調子が悪いわけではなく明らかに
力負けしていた。第二戦の都のアクシデントも起きるべきして起きたのかも知れない。
石毛のピッチャーライナーの打球の速さに都も対処出来なかった感じだった。第七戦の片平とテリーの
アベックバックスクリーン決勝弾はまさにパワーの違いを見せつけた感じだった。
82年はレベルの変革期にあったと思う。池田と西武がまざまざとそれを見せつけていた。 巨人が優勝すべき年だった。江川が20勝して沢村賞とるべき年だった。原が二冠王でMVPとるべき年だった。 当時中日ファンだったが巨人ファンの嘆きもよくわかる。
64勝だかで優勝だもんね。
あの投手陣でよく優勝できたよ。
小松、都、鈴木孝、郭、牛島あたりか。
田尾、谷沢らの野武士打線も懐かしい。 引き分け15だからね中日は。粘り強いといえば粘り強いんだろうけどちょっとね。 もしタナボタ優勝した場合、松本と中畑不在で臨んだ日本シリーズは
90年のような悲惨な結果になったのでは? 8月の中日3連戦3連勝でV2だと思うだろ?
9月の中日2連戦で2試合目に中畑が同点ホームラン打って翌日の朝日新聞も「V2は確実に成った」と書いてたし。 その後の怪我人続出は想定外でしょ。
松本、河埜と来て最終戦を前に中畑骨折でトドメを刺された感。 記憶が確かなら、
江川、西本、定岡の三本柱で49勝(前年と同じ)
原も33発、松本も盗塁大幅増
ほかの主力もまあまあだったはずだけど
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松本が広島戦で頭部死球の時ははじめ軽傷と言われていたのが、
数日後には視力低下、耳鳴り等の診断結果が判明し今季絶望の報道。
翌年から松本は常時眼鏡を使用して出場するようになったね。
松本、河埜とセンターラインが相次いで死球で潰されては流石に勝てないよ。 83年スレでは83年が野球人気の山と言われてるが実際は82年ではないか あとホワイトの衰えがいよいよ顕著になって助っ人として限界だったのも 阪神が優勝してたら面白かったな
実は中日より勝数では1つ多かったんだよな
伊藤、工藤、小林の二桁トリオにタフネス福間、池内、最多セーブの山本和行いたし
真弓、掛布、岡田、佐野、藤田の打線もなかなか >>313
その根拠は中継の視聴率だったかと。
まあ、原人気最盛期の第1期藤田巨人の81−83年は大差ないんじゃないの。
>>315
たしかに中日と遜色ない陣容。
バースがあと1年早く来日してれば82年の阪神Vあったかもね >>312
あのスロー映像を見ると頭がぐしゃっていってるから怖かった。
あれで軽傷で済むわけがない。
救急車搬送時はケロっとはしてたけどね松本も。 ケロッとした姿を見てみんな大丈夫そうだなと思ったんだね。
弱さを見せない強い人なんだね。 >>288
ただこの年の角は前年のように調子はよくなかった。西本が投げたときにリリーフ失敗が続いて両者の関係がギクシャクしていた。
8月の終わりごろだっか、後楽園でのヤクルト戦、西本のあとを受けて角がリリーフしてなんとか逃げ切ったあと、無理やり握手をさせられていた。
お互いソッポを向いて、まあきごちない握手で吹き出してしまった。 >>307
それ以上の惨憺たる結果(それこそ「33−4」クラスの)が
待ち構えているだろうねw >>322
阪神ファンにすれば黒歴史なんだが
なんでそれをいちいち掘り出してくるの?
人の不幸見てて喜ぶタイプなんだろ そんな黒歴史なんか、程度の差こそあれどこのチームにもあるだろ
それとも何か?そのネタを出してきた者に対して、一々難癖を付けなければ
気が済まないのか?
捻くれたヤツだな それなら翌年のバースは長い目で見てもらえる事なくすぐ二軍落ちだな かつてはパリーグの最下位の常連でお荷物球団だったライオンズが台頭して
きた年だった。
巨人戦などで他球場の途中経過が伝えられるとき、西武リードが伝えられると
アナウンサーが「西武が強いですね〜」と感心したように言う場面がよく見られた。 西武が中日を圧倒して日本一に輝いたが、
あの5戦目村田審判の石ころ事件がなかったら
中日が勝ってたのではないかと思うことがある。
そうなると王手をかけて名古屋に戻るのだから
中日が日本一になっていたのではないかと。
実は石ころ事件パリーグの明暗を左右していた
と思う。西武がシリーズに敗れれば日本シリーズ
パの5連敗になってパリーグなんかいらない雰囲気になってたのではないか。翌年巨人と対戦するとは
いえ中日に勝てない所が巨人なんてとても
という気分で敢えなく巨人に4勝1敗とかの結果で
終わっていそう。石ころ事件は実は日本プロ野球に
おいてとんでもないターニングポイントだった? 西村京太郎「消えたエース」Wikipediaより
1982年のプロ野球シーズン終盤。
それまで弱小球団とされてきた京神ハンタースは18年ぶりのセ・リーグ優勝を目指し、
読売ジャイアンツ、広島東洋カープと優勝争いをしていた。
その原動力は球団社長が情熱家に替わったこと、
新監督片岡の采配、打撃・若手投手陣の奮起などが挙げられたが、
いちばんの理由は新リリーフエース江島功の誕生であった。
しかし元々わがままな性格だった江島は自分の年俸の安さに不満で、
全勝が求められる大洋ホエールズ戦の3戦目を前に肩が痛むからと
京都の医者に行くと言い出し、その上同伴した球団マネージャーを振り切り、
同棲していたホステスのアパートに行ってしまう。
その翌日、新聞朝刊にそのホステスが自宅アパートで絞殺されたとの記事。
しかし江島は行方不明となっていた。犯人は江島なのか……。
江夏が実際にホステス殺害容疑をかけられたのは当時から知られていたのか?
そして西村京太郎はそれをモチーフにしたのだろうか?
スポーツ紙の連載でペナントと同時進行だったように思うが
モデルの阪神の旗色が悪くなったせいかさっさと連載終了させたと思わせる結末だった。 阪神はエース小林と山本和以外は
ぶっちゃけ、二流三流のピッチャーしかいないというイメージだったから
優勝するチームって感じは当時ですらなかったな。
他チームはまあ、いいピッチャーが数人はパッと思いつくけど
阪神はその二人ぐらいだったもの、やっぱり野球はピッチャーでっせ 工藤 一彦 35登板 11勝8敗2セーブ 防3.00
小林 繁 27登板 11勝9敗 防3.42
伊藤 宏光 27登板 10勝10敗 防3.28
藤原 仁 20登板 6勝3敗 防2.41
益山 性旭 29登板 3勝6敗 防4.76
福間 納 63登板 1勝2敗 防3.17
池内 豊 73登板 4勝5敗4セーブ 防3.98
山本 和行 63登板 15勝8敗26セーブ 防2.41
小林がもうちょっと調子良ければ優勝してたんちゃうの?
首位までたった2ゲーム差だったんだし 試合をぶち壊しにする印象しかない池内が思いの外活躍してて驚き
中日 64勝47敗19分
阪神 65勝57敗8分
だから4.5ゲーム差だけど >>331
「江島功」って名前が酷すぎるだろ。
ロッテにまだ「江島巧」が現役でいた時代じゃん。
中日時代の方が印象が強いが。 >>334
外国人選手がショボかった。この年在籍していたアレンとジョンストンは2人とも大砲タイプではなく
一番打者タイプ。アレンは22盗塁の脚力を残して残留できたがジョンストンも似たようなタイプで
結果を残せずクビ。第3の外国人でラムというのもいたけどこれまたショボくて一緒にクビ。 >>334
つうかまず開幕ズッコケて、その後突如6月から大きく巻き返して広島、巨人、中日と大混戦の首位戦線に顔を出すか?と思ったら途端に
8連敗したりと、どうにも優勝する気が感じられんかった様なw
その辺に後の1992年の巨人(長嶋監督復帰前年)にも似た覇気の無さを感じたり。
珍しく死のロードと呼ばれる長期ロードの時期から再浮上して、息切れした広島に取って代わって巨人、中日に迫るも
取りあえずAクラス確保してけば良いや程度の思惑にしか見えなかった。
シーズン終了後になってようやく「何だよ、優勝のチャンスだったやん(´・ω・`)」と気付いたか?って鈍感さをチームにも選手にも
感じたこの年の阪神でした。 8月末の大洋戦で島野と柴田の両コーチが審判の判定にキレて
(藤田平の打ち上げた打球を大洋の三塁を守ってた石橋貢が取れずファール判定、
島野&柴田側は打球が石橋のグラブに触れてのファールなのでフェアだろとの言い分)
三塁塁審の鷲谷と止めに入った球審の岡田功をボッコボコにした。当然2人は退場処分、しかも審判側が
阪神を「こんな暴力団のようなチームと試合できるか!」と激怒し
あわや没収試合寸前になった。(阪神監督の安藤が平謝りして何とか没収試合は免れた) >>336
西村京太郎作品には「江島」や「功」がよく出てくるから
そこまで考えてないと思われ
掛布→掛井とか、工藤→久藤と微妙に名前変えてるのに
なぜかジョンストンだけそのままw >>340
暴行自体を擁護する積もりでも、まして今やそんな御時世でも無いけど。
南海で野村監督の元に仕えていた島野・柴田両コーチからすれば、優勝のチャンスなのに一向に煮え切らない球団・監督・選手達への
苛立ちも審判暴行にまで至ってしまった要因のようにも思える(´・ω・`)
しかしこの両コーチが無期限出場停止(シーズンオフに解除)を喰らった事で、ますます球団・監督・選手達は冷めてしまったんだろうな・・・。
当時の安藤監督も江本からアホ呼ばわりされた前任監督と違い、野球頭脳は確かだったが、後の負広以上に実に煮え切らない態度の
御方でね。 >>338
あの突然変異のような11連勝にはおどろいた。
直後の8連敗にはやっぱりねとしか思わなかったが。 優勝するには15勝クラスの投手が2人は必要と思ってたから
85年も優勝するなんて思ってなかったわ ドラフトで野口(立大)が「中日 西武 阪急」の抽選の末「西武1位」に決まったが記者会見で「ぼくにも行きたい球団がありましたので・・・」と憮然としてた。
どこ希望だたんだろ?
ドラフト会場の関口、関根、藤田、大沢、安藤監督らが組のサミットみたいな雰囲気だった。 見てくれがカタギっぽくなってきたのはヤクルト時代からかな >>345
結局は未勝利のまま球界を去ったけど、この時の気持ちが後々に影響したんだろう。
「プロならどこへでも」こうした気持ちならきっと違ったはず。 >>345
当時の関東の大学だと在京セリーグがお決まり 野口は今、大日本スクリーンの会社役員だから、いい人生だろ。 2年の春は江川を抜くシーズン奪三振記録を達成して注目された
そこから尻すぼみになったので2年の秋からが黒歴史 野口は二年の春が絶頂期だった。96奪三振の記録を作った。
それがその後はじり貧になっていった。上級生になるにつれて左腕のしなりがなくなっていったような気がする。
ドラフト前に立教の監督が危惧していたな。「二年春の野口なら一億円もらってもおかしくなかったが…」と言葉を濁していた。 この年に関根の温情を受けた長崎は中日近藤監督の
恨まれたのか2年後のオフに阪神へトレードされて
その近藤に可愛がられた田尾も西武へトレードされた後1987年は阪神で互いにチームメイトに… MVPは掛布で良かった。二冠王で打率三位なんだから。
斎藤明夫みたいにリリーフ専門で防御率一位というのも
ファンからすると納得がいかない。 江川の大杉へのボールがストライクたコールされたら巨人優勝江川沢村賞だった。
中日24回戦10回表の原の大ファールがホームランだったら巨人優勝だった。江川沢村賞だった。 >>357
打率3位、二冠王、最多出塁数タイ、最高長打率でしたからね。
当時、もし彼がMVPに選ばれても批判は殆どなかったのでは、と想像します。 セリーグって優勝チーム以外からのMVPはほとんどいないからな
王とバレンティンくらいか >>358
そんなこと未だに言ってるのかよ
未練たらしいなw 日産シルビアRS
トヨタセリカツインカムターボ
トヨタ1G-GEUツインカム24
マツダコスモロータリーターボ
三菱スタリオン
ホンダプレリュード 最終戦中日が落として巨人優勝だったら、MVPは誰か?
原? >>358
ざまあw
現実は中日優勝
沢村賞は北別府 >>357
リリーフ専門つっても平気で2〜3イニング登板だからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています