1982年のプロ野球
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>159を書いてる最中にも永射を思い出したよ。
その数時間後にYahooで>>164を見た。
ロッテのリーがあまりに永射を打てないので
右打席に入ったことが懐かしく思い出されるね。合掌。 なんかショック大きいな
広岡監督就任時の選手会長ですね。
いろいろ板挟みになったことも多かろう
なんといってもこの年は前期で勝った方に優勝マジックが出る阪急戦での奇襲先発だなあ
ご冥福をお祈りします やはり酒の飲み過ぎだったのかなあ。
77年に活躍した翌年全く消えてたのは
酒による肝炎だったみたいだし。
合掌。 奇襲先発した西宮での前期の天王山。
サンテレビが神宮のヤクルト×阪神戦を潰してまで緊急中継したっけな。 あの日はTVKからのネット受けだったから急な変更もできた。
もしTVKの中継予定がなくサン制作の神宮乗り込みなら西宮の中継はなかっただろう。 この1982年の田淵は打撃がかなり不振だったそうな
現在の中田翔(日ハム)がこの年の田淵と同じくらいの打率なんだが、確かに見ててきついわ
自動アウトのようなものだし >>173
それでも前期南海戦で同点の9回表無死二塁から
ライトへのファールフライで走者を進めた打撃を評価されて
年俸アップしたとか言ってたなあ >>174
同点の場面なんだからライトもファールフライを捕球するなよ…。 >>174-175
たぶんどこかの聞き書きだと思うけど
そういうシチュエーション自体なくて、一番近いのが6/11前期11回戦。
3-4の一点ビハインドの無死三塁で代打で登場
ダブルの第1試合で9回打ち切りが決まってて、犠飛で同点打を打ってもらっても
あまり意味のないケースで起死回生の逆転本塁打。
http://2689web.com/1982/LH/LH11.html >>176
田淵本人の回想で、査定の人もえらくシブい働きを評価するなあと思ったら
そんな事かw
なんて謙虚な回想だよ 次の日の新聞
巨人ナイン「夜に会いましょう」⇒叶わず残念
大洋・関根監督「ウチはウチの野球をしただけ(キリッ」 巨人ファンの俺としては当時確実と思ってたV2がチャラになったショックは未だに引きずってる。
やっぱDG24回戦の江川で逆転負けかな。今でもあれ何とかして欲しいと思ってる。
さらに言えば5月31日のヤクルト戦で江川が投げた9回二死2ストライクからの球がボールと判定され、その直後逆転されたこと。
あれストライクと言われれば巨人は優勝したことになる。 82年の巨人は前半に6連敗したり、阪神戦であと一人で角が同点打されて引き分け、
終盤の広島戦で浅野がリリーフ失敗で逆転負けしたりと、
強いのか弱いのか、はっきりしない節があった。 リリーフが弱かった。
角が頼りなく、夏場から浅野がクローザーをやったが、広島戦で三村に逆転2塁打を喫して終わり。
この年中日の引き分け数が19まで行ってマイナスのゲーム差が生じたので(最終的には解消して中日0.5差リードで終了)今のパリーグの現象はよく分かる。 6-2をひっくり返されるとは思わなかったよ。
8月の後楽園GD戦ですべて1点差で3連勝したときはV2確実と思ったがな。
原の決勝タイムリー、原の逆転3ラン、中畑の逆転2ベース 優勝する時は優勝を確信するような試合があるのに巨人にはそれがなかった。
夏場のタイムリー欠乏症の時とか首位を走るチームには見えなかったし。
翌年も広島に猛追されてゲーム差マイナスの首位を譲ってまたやられるかと思った。 俺はGD23回戦@後楽園で中畑が同点ホームラン打って引き分けに持ち込んでV2を確信したが。
翌日の朝日にも「V2は確実」と書かれてたし。 終盤に怪我人が相次いだのも原因。
河埜が離脱し篠塚がショートを守った。
本拠地最終戦の大洋戦で中畑が交錯して骨折。
もし優勝しても西武にボコボコにされ、ショックで翌年は優勝できなかったかも。 シーズン終了から日本シリーズまでたっぷり休養できたから、巨人が優勝してたら西武に勝った気がする。 この年の秋に2つのテレビ雑誌が創刊。
角川書店「ザ・テレビジョン」と小学館「テレパル」(現在は廃刊)。
両誌とも、しばらくは番組表に間違いも多く、買うのを躊躇ったほど。
なかでも「ザ・テレビジョン」は10月23−29日号(10月21日発売)にて、
第1、2戦巨人×西武(日テレ)、3、4、5戦西武×巨人(TBS、TBS・NHK、フジ)と番組欄に表示。
土日のTBSとフジの番組表は通常番組記載で、中日の文字すらなかった。 それは締切ありきの見切り発射だね
まあガバガバ判断&ガバガバ表記であることは間違いない でも他誌(TVガイド、テレビ番組)は註釈つきで、
「中日優勝の場合はフジテレビ(TBS)で放送」「巨人優勝の場合は日本テレビで放送」
「西武×セリーグ優勝チーム」「西武×中日か巨人」と表記していた。
ザ・テレビジョンだけは西武の相手を巨人と決めつけていた節さえあった。 8月の広島球場CG戦、延長戦で原が決勝3ラン。江川完投勝利。
後楽園GD戦、8回原決勝タイムリー、江川完投勝利。後楽園GW戦、原5−4、江川完投勝利。
江川と原の相性が良かった 巨人ファンはむしろ86年よりも、
この年のV逸のほうがかなりショックだったのでは? >>194
78年、82年、86年のV逸は今でもトラウマだ。優勝確信した時点があっただけに。 82年は中日に競り負け、78、86年は相手が中日のアシストで優勝。 中日の19引分に、なんかシラケた感が有った。そのせいか、日本シリーズもピリッとしないまま終わり、やはり巨人が出ないとダメみたいな空気だった。 田尾の敬遠で〜って当時巨人は抗議しなかったの?巨人>NPBなのに >>197
そお?最高に盛り上がったけど
ちな名古屋 巨人が先に全日程終えてて
中日最終戦の中日勝利でV、巨人V逸だから
そりゃあショック大だわな。
86も槙原がヤクルトの伏兵ブロハードに被弾で
痛恨の一敗もショックだろうが、82に比べればね。 セリーグ最終390試合目で優勝が決定したのはこの年が初。 巨人、振り返ればこの年9回に角が追いつかれ引き分けっての多かったな。
きちんとおさえてれば優勝できた。 >>195
その後、こういう感じに巨人がV逸したことってあったっけ? >>204
混線の92年以外に最後までもつれた優勝争いは逃してないな 01は勝利数順の順位表で試合消化の早い巨人の勝ち数が競ってただけで
実質はヤクルトと9月入った時点で9.5差。
そこからヤクルトが9月の対巨人戦6連敗などでむしろ失速して
巨人がどんどん追い込んでったが届かず http://www.tigers-fan.net/01/jun01.htm
2001年はゲーム差換算でも
第8節でヤクルトに4.5ゲーム、中日に5ゲーム差つけてるから
出だしは良かったけど6月以降に実質ゲーム差もなくなってる 浅野が甲子園の阪神戦で無死満塁からリリーフ登板して
三者凡退に打ち取ったのは痺れたよ。
晩年の浅野の最高の場面だった。 '82巨人は終盤に松本、河埜、中畑が相次いで負傷離脱したのが痛かった。
もし優勝していても、'90のように西武に完膚無きまでに倒されたと思う。 当時はリアルには見ていないけど、レギュラーが
立て続けに3人も抜けたらキツイよな。 >>210
西武も初の日本シリーズだから、内容はともかく、巨人も2つくらいは勝つとは思う。 >>212
仮にこの年巨人が出ても外国人選手の差で負けてたと思う。
西武は全盛期とも言えるスティーブ&テリーに対して
巨人は事実上衰えが顕著なホワイト(トマソンは序盤で起用法に反発し契約満了まで2軍幽閉)だけだし。 本拠地ラストゲームで中畑が交錯し骨折した時に優勝はないと確信した。
その日は怪我が未完治のまま復帰した河埜が無理し過ぎて、
9回表の守備に就かず一軍初登録の岡崎と交代。
ファースト山本功、セカンド平田、ショート篠塚の布陣も無理があった。 8月の広島×巨人、江川延長完投、原延長で決勝24号。
巨人×中日3連戦、初戦江川完投原決勝タイムリー、2戦目原逆転3ラン、3戦目中畑逆転2ベース。
なぜこれで優勝できない? >>216
このナゴヤ球場3連戦3連勝で報知が優勝前祝いの特集号出したからなあ。
この時点で巨人ファンは90%V2を確信してたと思う。
特集号は結局阪神の「Vやねん」と同じ運命に・・・ >>217
中日3タテは8月の後楽園でのこと。
9月の広島戦で松本が頭部死球で戦線離脱してから
明らかに浮き足立っておかしくなったな。
しかし兎にも角にも9月末のナゴヤ決戦初戦を落としたのがすべて。
9回裏江川が無死満塁または1、2塁にした時点で角へ交代しておけば・・・ なぜかわからないが藤田はここぞの采配でやらかすことがある 5月31日ヤクルト戦、9回裏2アウト2ストライクから江川が投げた球が「ボール」と判定され、
その後追いつかれ逆転負け。あの時「ストライク」と言われてれば巨人優勝、江川も沢村賞だったかもしれん。 >>222
それは5月30日。日曜日だった。
その日は「西部警察PARTU」が開始された日で、
当時はビデオデッキを持ってなく、ラジオを横に置き、
さらにテレビのチャンネルボタンを何度も押し変えた。
江川対大杉の場面だけは真剣に見たが、今でもあの勝負は鮮明に記憶している。 藤田元司さんは天王星人−で辰巳午が大殺界だったのに、何故か戌年に不運が集中していた。
1958(27歳)大エースでMVPも、西鉄に3連勝4連敗を食らう。
1970(39歳)黒い霧事件で謹慎
1982(51歳)中日とのマッチレースに破れる。
2006年2月 74歳で逝去 82、86は最後に巨人が負けるシナリオで万事進んでいった感じ。 そういえばこの年から戌年は
中日と巨人のトラウマが交互に続いているな
82は巨人が優勝さらわれ
94は10.8で中日が悪夢を見て
06はウッズの満塁で巨人が悪夢
来年はどうなることやら
今はどっちも不調なのが気がかりだが 考えられるのは、讀賣のリーグ優勝→CSで惨敗ぐらいかw 江川があと1勝(つまり20勝、巨人優勝)してたら、今度こそ沢村賞もらえたかな?
北別府より防御率良かったし。 >>231
この年の後半にはもう肩痛めてたから最後のチャンスだったのにな パを排除していた時代の沢村賞に
権威は無いのでは。 そうなると沢村賞3回の斎藤雅樹投手はかなり凄い投手ということになるが・・・ 9月28日の中日戦
巨人4-0とリードした3回表、なおも一死満塁で追加点が取れなかったのも痛い ♪よく晴れたこんな日は 風も爽やか らんらららーん
いつかまた会えそうな 光爽やか(江川さーん) 不二家ネクター 広島最終戦@後楽園の9回裏の大ファール、中日24回戦@ナゴヤの10回表の大ファールがホームランだったら、
原はホームラン&打点の二冠、巨人優勝で原がMVPだった。 松本
河埜
篠塚
中畑
原
ホワイト
淡口
山倉
投手 田尾
平野
モッカ
谷沢
大島
宇野
中尾
上川
都
近藤御大 >>226-227
70年は小川健太郎の追放処分だろ。
前年20勝12敗のエースが開幕1ヶ月で消えたんだから。 中日リーグ優勝決定試合は、相手チームの無気力相撲と思った。 >>248
関根はよく巨人の犬とよく言われるが彼はたまに散々巨人を立てるだけ立てて最後に梯子外すことがあるからな
特に中日と競り合いしていた時
これが他の犬系監督(高田や野村謙あたり)とは大きな違い
アンチ的には星野や近藤昭や小川みたいに巨人に全パワーつぎ込んで巨人に勝ちまくる監督の方が奉られるが >>248
無気力相撲にさせたという方が正解
最初にガツンとやって大量点とればモチベーションの違いで決まる
73年の阪神と88年の近鉄はそれが出来なかった 何気に小松もスキを見せんかったしな
さらに一番打者が5出塁保証だもん
そら大量点、ワンサイドの確立は高まるわな >>238
爽やかさとは無縁の江川がCMキャラクターだったのかw >>249
他の年にアホみたいに貯金を巨人に献上してるからなあ >>249
巨人優勝と長崎首位打者を天秤にかけたら
長崎を選んだだげじゃないの? 原って優勝できない責任全部押し付けられてる感じがするけど、この年は8月の広島戦での延長決勝ホームランとか、
8月の中日との天王山での決勝タイムリー&逆転3ラン、9月中日3連戦での3試合連続、128試合目の大洋戦同点2ランとかよく打ったイメージしかないな。 この年の中日×大洋最終戦と
今年の川崎×大宮戦がダブる… 35年経った今でもトラウマだわ、中日に優勝されたの 広島は当時としてはらしからぬ戦いぶりでBクラスに
前半は良かったんだが夏場が酷すぎた 70年巨人優勝(中日球場)
82年中日優勝(横浜スタジアム)
94年巨人優勝(ナゴヤ球場)10.8
06年中日優勝(東京ドーム)
激しく絡む戌年の巨人と中日 結局原辰徳が一番ホームラン王に近かったのはこの年だったんだな。 笑点の大喜利で
一番松本ライト前ヒット
二番河埜がセンター前ヒット
三番篠塚レフト前ヒット
四番中畑アホなヒト
あ〜あんあ、やんなっちゃった
あ〜あんあ、驚いた
みたいなネタがあったな 巨人が最終戦で大洋に負けたのは今でも不思議だ。
1973年の阪神のような勝負弱さだった。 亡くなった星野がこの年で引退したけど、近藤監督がコーチ兼任な星野をブルペン専任にして
選手として干したんだっけか?お情けで500試合登板はさせたけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています